43 走るゾンビ走る
しばらくの間、俺は薄汚いビルとビルの間の狭い隙間に隠れていた。
耳の集音器が色んな方角から足音を拾っていた。
もちろん、ゾンビの歩き方じゃない。たぶん、全部、自衛兵だ。
ゾンビは全然歩いていなかった。
といっても、俺が歩いているとたまに、こっそり営業している居酒屋に通りがかることがあって、その中には楽しそうにぐでんぐでんしているゾンビがいっぱいいた。
あと、さっき隠れようとして近くの建物に入ったら、そこはホストクラブで、中ではホストゾンビ達が寝そべったままグラスをもって、「ウーウー♪ ウーウー♪」って、コールしていた。
ホストゾンビ達はみんなふっくら丸まるとしていたんだけど、デブ専ホストクラブだとは思えないから、ゾンビになっても酒を飲み続けていたせいで太ったんだろう。
でも、ほとんどのゾンビはおとなしく寝ているらしく、外を歩いているゾンビはいない。
たまに、路上で寝ているゾンビに足をひっかけて、転びかけることはあったけど。
今も、俺の足元に寝ているゾンビがいる。このゾンビは、たまに「う~」と、なんか嬉しそうに小さな寝言を言う他は、完全に熟睡している。
多くの自衛兵に囲まれている状態で移動をするのは危険だから、俺はしばらくこのビルの間に隠れていた。
自衛兵の数は最初の頃より増えていて、今は相当な数がこの辺りをパトロール中のようだ。
「走るゾンビ」を狩るために。
俺が所々で自衛兵団の奴らの会話を盗み聞きしてきた情報をまとめると。
「走るゾンビ」は、十代後半の男で黒いリュックを背負っているらしい。
長袖、長ズボン、マスクで皮膚を隠しているから、一見非感染者と見分けがつかない。服装は黒のナイロンパーカーにカーキ色のズボン。
俺と同じ服装だ。
つまり、どう考えても「走るゾンビ」は俺だ。
他にいるはずがない。俺のリュックは実は黒じゃなくて濃紺だけど。
しかも、自衛兵達の会話によると、普段は夜のパトロールなんてしないのに、今日は犬養からの指令で特別に「走るゾンビ」狩りに駆り出されたらしい。
犬養め。くだらない私怨のために、みんなを利用して俺を殺そうとするとは……。
幸い、集音器と暗視ゴーグルのおかげで、俺はすぐに敵を察知することができた。それに、自衛兵団は懐中電灯を使っているから居場所はわりとすぐわかる。
だけど、俺は訓練を受けたスパイなんかじゃない一般人だ。
これだけパトロールがいると、研究所までたどり着くのが難しい。
かといって、この状態で朝になれば、さらに移動するのが難しくなる。どう考えても、夜の闇に隠れて移動する方が見つからずに済む確率は高い。
夜が明けるまでには研究所にたどり着かないと。
俺は自衛兵の足音や声が遠ざかるのを待って、再び移動を開始した。
その後も、声と足音を避けながら夜の街を彷徨うこと、たぶん数時間。
いや、実際はそんなに経っていなかったのかもしれない。とにかく、長い時間がかかった気がした。
俺はようやく目的の研究所まで数百メートルのところに近づいた。
俺が立っている道の横には大きな病院がある。それを超えた先に研究所があるはずだ。
この辺りは停電になっていて真っ暗だった。
街灯はついていない。病院の建物も真っ暗だ。
この付近だけぽっかりと闇に包まれている。
俺にとっては好都合だ。
俺が暗がりの中を進んでいると、突然、激しい音が響いた。
俺は慌てて集音器を耳からはずした。
同時に、あたりがやたらと明るくなった。
俺は暗視ゴーグルをはずした。
周囲が妙に明るい。周囲の家も、道路の文字も、病院のブロック塀も、すべてはっきりと見える。さっきまで真っ暗だったのが、ウソのように。
突然、時間が進んで昼になったのか?
これは夢? 幻?
まぬけにもそう思ったところで俺は気がついた。
(照明弾か!?)
俺を見つけるために、自衛兵団が照明弾を撃ちこんだらしい。そんなものまで持っていたなんて。
照明弾の効果が消え、再び暗くなりはじめたところで、もう一度音が鳴り、あたりが明るくなった。
早くどこかに隠れないと。
そう思っている矢先。小さな銃声が聞こえ、俺のすぐ横にある塀で、なにかが弾けた。
そこには、さっきまでなかったはずの銃弾の痕らしきものがある。
たぶん、俺は狙撃されている。
たぶん、犬養が俺を狙撃している。
俺はとにかく走り出した。
俺を追いかけるように、銃弾が塀を削っていく。
照明弾の効果は落ちてきて、あたりは再び暗くなってきた。
犬養の狙撃の腕は相変わらずへたくそだ。
このまま走り続ければ、犬養の銃弾が俺に当たることはないだろう。
だけどその時、声が聞こえた。たぶん、俺の右手の道路の方から。
「犬養からターゲットの場所が送られてきた。走るゾンビはこの近くにいる」
「よし、探そう。……あれ? 今、何か、走っていかなかったか?」
照明弾の効果は落ちているけど、まだ、俺を見つけるには十分な明るさだった。
俺はとにかく全力で走り続け、病院の塀に沿って角を曲がった。
その先は、病院前の広い通りだった。その通りで、いくつもの声が聞こえた。
「おい、誰かが走っているぞ?」
「走ってる……? あれじゃないか? 走るゾンビ」
「見つけたぞ! 走るゾンビだ!」
「隊長に連絡だ!」
完全に見つかってしまった。でも、俺にはとにかく走ることしかできない。
研究所はすぐそばだから、このまま走り続ければ研究所までたどり着けるかもしれない。だけど、追われている状態で研究所に行くわけにはいかない。研究所が自衛兵団の襲撃を受けてしまう。
まずは、自衛兵団から逃げ切らないといけない。
俺はすぐ傍にあった、開け放たれた病院の門を通過し、病院の駐車場を全力で走り続けた。
俺が広い駐車場を走り続ける間にも銃声が響き続けていた。
駐車場にはところどころ車が止まっていた。俺はなるべく車の影に入りながら、走りつづけた。そのたびに、銃撃を受けた車の窓やフロントガラスが割れていった。
俺は必死で病院の入り口へと駆け込み、自動ドアの横の手動で開閉するドアを押した。
(開け!)
ドアは開いた。俺は真っ暗な病院の中へと駆けこんだ。