41* 結生
不気味で強烈な弾けるような音が何度も響いた。
不機嫌にベッドに座っていた結生は両耳を手でふさいだ。
今朝までだったら、あの音が何かわからなかった。でも、今は知っている。
結生の心に生じていた寧音や美羽への疑いが確信になった。
このフロアにいたゾンビの人達は、たぶん、もうこの世にいない。
だとしても、数年前に同級生がホームから落ちて死んだ時ほどのショックは感じなかった。でも、別の種類の不気味な衝撃が重苦しく襲ってくる。
殺された人達のことは良く知らない。でも、殺した人のことは良く知っているのだ。
木根文亮は全てを説明したわけではなかった。
それでも、銃声と爆発音、そして人の声や物音を恐れ逃げ続ける文亮と過ごした一日で、結生は多くを理解した。
今この世界で、ゾンビと呼ばれる人達が置かれている状況を。
結生がひたすら巣ごもりしていた間に、いつのまにか、命が簡単に吹き消されてしまう世界になっていた。
誰でも簡単にゾンビウイルスに感染し、感染すれば殺されてしまう。そんな世界に。
文亮のことを思い出したところで、結生の中で不意にむくむくと怒りがこみあげてきた。
(先輩のバカ!)
ただ生きることすら難しい世界だからこそ、結生は全てを、命すら捧げる覚悟でいたのに。
明日はないかもしれない世界だからこそ、どれだけの長さでも人生の残り時間を一緒にいられたらそれで幸せだったのに。
文亮は何も気がつかないように立ち去ってしまった。結生は精一杯のアピールをしていたのに。
文亮は文字通り指一本手袋を外した手では結生に触れずに、腹が立つほど紳士的な態度で守るだけ守って立ち去ってしまった。
もう二度と会えないことなんて、何でもないことのように、堂々と去って行ってしまった。
(あっさり振られちゃった……)
ずっと片想いをしてきたのに。あっけなさすぎて、今は涙すら出ない。
部屋の外では、寧音と美羽が会話をしていた。
今朝までなら、あの声を聞けば結生は安心できた。今は、不安になる。
「このフロアのゾンビは始末しておいたよ。でも、建物内だと焼却処理ができないから、あの部屋には近づかないようにね」
「ありがとう。美羽」
「なんてことないって。それより、結生ちゃんはだいじょうぶ? あれからずっと行方不明で、走るゾンビと一緒にいたんでしょ?」
美羽のかわいらしい声の奥には探るような調子があった。美羽はいつも可愛らしく親切だが、その心の奥には何が詰まっているのかよくわからない。
寧音はたぶん、その底知れない闇のようなものには気がついていない。
今の美羽の質問に含まれていた「結生はゾンビじゃないの?」という残酷な質問には気がついていたとしても。
「ああ。結生はなんともない。朝まで私が一緒にいるつもりだ。……どうなろうと、迷惑はかけない」
寧音の声に秘められた覚悟を、結生は感じ取った。
文亮が「感染爆発の日」と呼んだ日に帰宅した寧音がまとっていた、におい。
祖父母がいなくなった日に姉から漂っていた、におい。
あのにおいの正体に結生はすでに気がついていた。
あれは血のにおいだ。
ケガをした時に流れる血の臭いではない。生命がこと切れる時に流れるにおい。
人を殺した人間がまとうにおい。
寧音がゾンビ相手に使う木刀の他に祖父の真剣を一振り持ち歩いていることも、結生は気がついていた。
美羽はあいかわらず明るい調子で言った。寧音の言葉が、「結生がゾンビになれば、私が殺す。だから誰にも迷惑はかけない」という意味だと気がついていたはずなのに。
「じゃあ、朝までこの辺りにいるね。避難ゲートは朝まで開いていないしね」
そこで、男子生徒の声が聞こえた。
「広瀬隊長。犬養団長から緊急の指令が届きました」
結生は気がついた。この声は、同じクラスの山下真護だ。山下は優しい柔らかい声の男子生徒で、よく結生のことを気にかけて、困ったことがあるとすぐに手伝ってくれた。
5秒くらいたってから広瀬美羽の声が聞こえた。
「う~ん。走るゾンビの捜索かー。おもしろそうだけど、今回はパスかなー」
「団長への返信はどうしますか?」
「直接話そっかな。じゃ、ちょっと犬養君に電話かけてくるね。寧音、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
広瀬美羽が歩き去って行く音と、この部屋のドアが開く音が聞こえた。寧音が部屋に入ってきた。
結生はベッドにもぐった。
「結生、もう寝たのか?」
「まだ寝てないよ。今寝るところ」
「そうか」
寧音は隣のベッドに座った。返り血を防ぐためのマスクやゴーグルを外し、サイドテーブルに置く音がした。
結生は寝たまま話しかけた。
「お姉ちゃん、ゾンビって、ゾンビウイルスに感染した人でしょ?」
「ああ。ウイルスに感染して、人を襲うようになった危険な輩だ」
「でも、木根先輩は、何も変わっていなかったよ。優しくてかっこよくて……ただの、腹が立つくらいのお人好だったよ」
寧音は答えなかった。結生はそのまま話し続けた。
「ゾンビは普通の人なんだよ。わたしと同じように。普通の人達とはどこか違うかもしれないけど、それでもやっぱり同じ、普通の人なんだよ」
寧音は返事をしなかった。
「それからね。お姉ちゃん、約束して。わたしに何があっても、お姉ちゃんは生き続けるって。絶対に自殺なんてしないって」
寧音が図星をつかれたように息を飲む気配がした。
結生がゾンビになったら、寧音は結生を殺して自分も死ぬつもりだろう、と結生はさっきの会話を聞いて察していた。やっぱり、予想通りだったらしい。
「ああ……」
「この約束を破ったら、お姉ちゃんのこと、絶対に永遠に生まれ変わっても許さないからね」
「わかった」
結生は言いたいことを告げると満足して、そのまま深い眠りについた。もしもこのまま目覚めることがなくても、結生に後悔はなかった。




