36 ホテル
ゾンビ狩り部隊を避けて隠れて逃げ続けて、約1時間後。
俺と結生は、こじんまりとしたホテルのロビーにいた。
犬養に狙撃された後、俺は結生にゾンビは非感染者に襲撃されるのだと説明した。
それ以降、人の声や物音がするたびに結生は俺に教えてくれて、おかげで俺達は一度も見つからずに逃げおおせてきた。
このホテルは少数だけゾンビが徘徊している地域にあった。ゾンビに囲まれて逃げ場がなくなるほどのゾンビはいない。でも、ゾンビ狩りが接近すれば銃声が聞こえるだろう。結生にとっても俺にとってもそこそこ安全そうな地域だ。
ホテルの外観はただの小さなビルみたいだったけど、中はけっこうおしゃれで、カップルで泊ればロマンチックな夜を過ごせそうな、ちょっと高級ホテル風だ。
もちろん、けっして、時間単位で宿泊可能で高校生が泊ってはいけない、ああいうホテルではない。俺はそういうホテルに泊まったことがないから、見分け方がわからないけど。
ホテルのロビーからカードキーをごっそり入手し、俺達は上に上がった。
俺は3階の部屋で休むつもりだった。2階にはレストランがある。
上の方の階だと逃げる時に大変だから、俺はなるべく低い階を選んだ。
3階の広い廊下を歩いていると、結生が突然俺の手をひっぱり、ささやいた。
「誰かいます」
結生は305号室を指さしている。
その部屋のドアノブには「起こさないでください Do not disturb」の札がかかっている。
宿泊者がいるのかもしれない。そういえば、ロビーの受付のところにカードキーがない部屋もあった。
非感染者が部屋に籠っていると、面倒だ。
「ここで待ってて」
俺は警戒しながら壁際を歩きドアに近づき耳をすました。中からドアを叩くような音が聞こえる。唸り声も。
たぶん、部屋の中にいるのはゾンビだ。ゾンビだからドアを開けることはできないようだ……と思っていたら、突然、ガチャッとドアが開いた。
俺は開きかけたドアの前で身構えた。
ゾンビが出てきたら、すぐにゾンビを部屋の中に押し返さないといけない。
ゾンビマークの浮かんだ手がドアから出てきた。
だけど、ガンッと鳴り、ドアはちょっと開いたところでとまった。
ドアにはU字ロックがかかっていた。
少しだけ開いたドアから、赤青紫色のゾンビの指が20本くらい出て蠢いている。盛んな唸り声と蠢く指は、不気味で恐ろしい。
だけど、ゾンビはU字ロックを開けるところまでは頭がまわらないらしい。
「だいじょうぶだ。ドアロックがかかっているから、ゾンビは出てこられない」
俺がほっとしながら言うと、結生もほっとした様子で言った。
「わかりました。ゾンビさんなんですね」
結生は全くゾンビに怯えていなかった。
俺の説明が悪いのか、なぜか結生は俺と一緒になって非感染者の人間を恐れて、ゾンビを恐れない。
非感染者の結生はゾンビを恐れないとまずいのに。犬養に狙撃されて以降は、まるで自分のことより俺の心配だけをしているように、非感染者を恐れていた。
ゾンビの様子を見ていた俺は、ふとある実験を思いつき、結生に指示を出した。
「この先の廊下の端までひとりで歩いてみてくれる?」
「わかりました」
結生が廊下をどんどんと進んで行く。それにあわせて、ゾンビは次第に静かになっていった。
結生が廊下の向こう端に着き、こっちにふりかえった。
「これでいいですか?」
「OK。そこで待ってて」
ゾンビの指はドアの隙間から消えていった。非感染者を襲うことはあきらめたようだ。ドアは静かに閉じていった。
俺はゾンビの様子が気になったので、完全にドアが閉まる前にドアを掴み、中をのぞいてみた。
ドアの近くに全身にゾンビマークの浮かんだ全裸の男女ゾンビがいた。男女のゾンビは密着し手足が絡み合っている。さっきまでのことは忘れたように、すっかり二人だけの世界にいる雰囲気でくっつきあっている。
裸の男ゾンビは俺を見て、「邪魔だ」と言う風に「うっ」と唸った。
俺はドアを閉めた。
俺はいったん305号室のドアの前から離れて、この実験結果について考えた。
非感染者がある程度離れると、ゾンビはあきらめる。それは、すでにわかっていた。
だけど、今回はドアがあるから、ゾンビ達は結生がどこにいるか見えなかったはずだ。
なのに、結生が近くにいることも、結生が遠ざかっていくことも察知していた。
どうやって?
視覚じゃない。音でもないはずだ。
俺は305号室のドアの前に近づき適当なタップダンスを踊ってみた。だけど、ドアの向こうのゾンビ達は無反応だった。
ゾンビは音には無反応だ。
それに、最初に感染した時からずっとそうだけど、なぜか俺はゾンビにゾンビだとバレる。
非感染者が相手なら、皮膚のゾンビマークを隠せばごまかせるのに。
俺がどんなに皮膚を隠していても、ゾンビ達は俺がゾンビだとわかっているから、ずっと不思議だったのだ。
ゾンビが非感染者とゾンビを見分けるのに使っているのは、視覚じゃない。たぶん聴覚でもない。
……てことは嗅覚か?
ひょっとして、俺はゾンビ臭がしているのか?
俺はちょっと不安になった。自分の臭いって自分ではわからないらしいから。
俺は廊下を歩き結生の方に向かった。
結生と合流して、俺は早速たずねた。
「俺って、ゾンビ臭い?」
結生はかわいらしく小首をかしげ、はっきり言った。
「先輩は汗臭いですけど。ゾンビ臭いかはわかりません。ゾンビ臭さってどんな臭いですか?」
「そ、そう……。いや、俺もゾンビ臭さがどんな臭いかは知らないんだけど」
俺、汗臭いのか。今日はあれだけ運動したもんな。防弾チョッキとか着こんでいて厚着で暑いし。
結生は俺を励ますように言った。
「でも、先輩は汗臭くても、そんなに嫌な臭いじゃないから、かろうじてだいじょうぶです」
結局ゾンビがどうやって非感染者とゾンビを判別しているのかはわからないままだ。
わかったのは、俺が汗臭い、しかも、かろうじて大丈夫な、ほぼアウトなレベルに汗臭いっていう残念な事実だけだった。




