33 調理人
残酷描写があります。
歩き出してすぐ、乾いた銃声が聞こえた。何発も。
「クラッカー?」
結生はそうつぶやいた。俺もパンデミック前だったら、そう思っただろうけど。
今の状況では、銃声以外を想像する方が難しい。
俺は周囲を見回した。今いる通りには、俺たちの他には誰もいない。
それに、銃声は結構離れたところから聞こえた気がした。
「今の音、どっちから聞こえた?」
「あっちです」
結生は迷いなく指をさした。俺達が今いる道路から60度くらいの方角を。
少し先に狭い道が見える。
「たぶん、あの角の先か。ちょっと見てくる。ここで待ってて」
「はい」
俺はカバンから双眼鏡を取り出すと、音のした方へ近づいて行った。
ビルの角に立ち、双眼鏡を手に狭い通りをのぞきこんだ。
狭い通りに、赤い腕章をつけた制服姿の高校生が数人いるのが見えた。俺と同じ高校の生徒もいれば、別の高校の制服もいる。
でも、みんな同じ赤い腕章を腕につけている。そして、拳銃や自動小銃を手にしている。
俺はとりあえずデジタル双眼鏡で録画をした。
(あれはエアガンか?)
だけど、エアガンじゃゾンビを倒せないから、持っている意味がない。
ということは、本物のはずだ。
どうやって、銃を手に入れたんだろう。
完全に銃刀法違反だし、そもそも普通の高校生には入手ルートが存在しない。
ここにいる高校生達は、どちらかといえば真面目そうな、どこにでもいる高校生だった。
視線をおろしていくと、制服姿の高校生達の前に、さらに不気味な存在がいた。
全身を覆う防火服を着てフェイスガード付きのヘルメットをかぶった、消防士みたいな恰好の人間だ。
消防士にしては小柄で、後ろにいる男子高校生達よりも背が低い。
まるで子どもみたいな体格だ。
消防士みたいな恰好の人間は、消火をしているわけではなく、両手に何か大きな銃のようなものを持っている。
その手前では、地面に死体が積み重なっていた。
髪の長い女性、その下に女性よりも小さな体。小学校高学年くらいの女の子だろう。どちらも、手足にゾンビマークが見える。
血だまりの中にいるところを見ると、あの場所で銃弾が撃ちこまれたようだ。
偶然なのかもしれないけど、俺の目には、女性が子どもを守ろうと覆いかぶさっているように見えた。
子どもの手足が、まだ小刻みに動いていた。……下にいる女の子の方は、まだ死体じゃなかった。
「感染対策に、こまめな焼却を心がけましょう♪ ふんふんふふーん♪」
防火服姿の人間が、高い音程で鼻歌を歌っていたかと思うと、その手に持つ銃から路上のゾンビめがけて炎が噴出された。
あの銃みたいなものは、火炎放射器だった。
防火服姿の小さな奴が、鼻歌を歌いながら火炎放射器で地面のゾンビを焼いている。
火炎の中からは子どもの苦し気な声が聞こえ、炎の中で小さな手が動いている。
燃え盛る炎と苦痛の声に混ざって、鼻歌が響いていた。
「ふんふんふーん♪ こんがり焼きましょ♪ 焼きましょ♪」
火炎放射器をもつ怪しい人間の歌声は、異様にかわいらしかった。
こいつからは、狂気しか感じない。
人を焼き殺しながら、あんな歌を歌えるなんて……。
双眼鏡を持つ俺の手は、無意識のうちに下におりていた。
だけど、俺はそのまま、通りをのぞきこむ姿勢のままでいた。
俺はショックで呆然としていたのだ。
もちろん、それは間違いだった。
「あ♪ のぞき見ゾンビはっけーん♪」
防火服姿の子どもみたいな奴は、目ざとく俺を見つけ、嬉しそうな声をあげた。
けっこう距離が離れているのに。
「ゾンビを追いかけよー!」
「はい! 隊長」
防火服姿の危険な奴と銃を持った高校生たちが動き出した。
俺は慌てて走って逃げ、結生に駆け寄った。
「危ない奴に見つかった。逃げよう!」
結生は、俺が逃げてきた方角に顔を向けて言った。
「待ってください、先輩。どこからか美羽先輩の声が聞こえた気がします」
それを聞いて、俺は防火服姿の危険人物の正体に気がついた。
あいつは、広瀬美羽だ。
学校では包丁投げでゾンビを仕留めていた調理部の広瀬。
「あいつか! 恐怖の調理部! くそっ。このままじゃ、俺が広瀬にこんがりウェルダンに焼かれて、丸焼きゾンビにされる!」
俺が思わず大きな声でつぶやくと、結生は言った。
「逃げましょう! よくわからないけど、先輩が危ないなら逃げましょう!」
俺は差し出された結生の手をとり、結生を連れて走り出した。
俺は後で気がついたけど、本当はこの時、結生をつれて逃げる必要はなかった。
結生はゾンビじゃないのだから。
むしろ、結生は寧音の友達である広瀬と合流した方が安全なはずだった。
だけど、俺は慌てていたのと、広瀬があまりに危険人物オーラを出していたので、結生を連れて逃げる必要があると思いこんでいた。……たぶん。
俺は急いで結生と一緒に近くの路地へ走りこんだ。
路地を走っていると。
「あれぇ? ゾンビいないなー。素早い。……ひょっとして、走るゾンビ?」
後方から広瀬の声が聞こえた気がした。
続いて別の男子生徒の声。
「広瀬隊長、あっちに逃げていきました。二人いました」
「よし。ゾンビを追いかけよ♪ これ、重たいからちょっと持って……」
「わかりました」
俺はすぐに角を曲がった。
方角を知られないよう、結生には「曲がる」とだけ言って進む方向にむかって手を動かした。
結生はそれでちゃんと俺の意図を理解してくれた。
俺は何度も角を曲がりながら走り続けた。
最初は、結生を連れて逃げるのはかなりのハンデかと思ったけど、意外と結生は走るのが速かった。
今までの逃避行で息が合ってきたから、最初の頃よりだいぶ速い。
何度か後ろを確認したけど、一度も追っ手の姿は見えなかった。重い防火服を着こんだ広瀬の動きが遅いせいだろう。
念のため、俺たちはその後もしばらく走り続けた。