32 ゾンビの証明
結生は無言だった。俺はもう一度言った。
「高木が……お姉さんが言ってただろ? 俺はゾンビだからすぐに離れろって。俺はゾンビなんだ」
俺の声は、少し震えていた。
結生は頭を傾け、ためらいがちに俺にたずね返した。
「ゾンビ……ですか?」
「ああ。なぜか俺はゾンビになっても、見た目以外は全部元のままだから、しゃべってるけど」
結生は首をかしげたまま、俺にたずねた。
「ゾンビって聞いたことはあるんですけど、よくわからないんです。ゾンビってどういう人ですか?」
今度は俺が首をかしげた。結生の予想外の反応に。
「ゾンビは、ゾンビ……ほら、ホラー映画とかゲームとかに出てくるだろ? ゾンビ?」
結生は困惑した様子だった。実は俺も同じくらい困惑しているんだけど。
「映画はほとんど見ないです。ゲームもやりません。それに、ホラーとか怖いのは好きじゃないので」
(この子、本当にゾンビを知らない……?)
そんな子がいたなんて。俺、ゾンビはもっと有名だと思っていたよ。
しかも今は、ゾンビパンデミックの真っ最中なのに。さらに、結生は今まで散々ゾンビに襲われかけていたのに。
でも、考えてみれば、結生にはゾンビを見ることはできないのだ。
「そっか……。そういえば、映画もゲームも映像を見ないとおもしろくないもんな」
「はい。そうなんです。ミュージカルは好きですけど。他は、見てもおもしろくないので」
俺がちょっとだけ納得したところで、結生は無邪気にたずねた。
「それで、ゾンビってどういう人ですか? 映画やドラマで人気だったり、ミュージックビデオで踊ってたりするって聞いたんですけど。それに、アニメでアイドルになったりもするって。ゾンビって、かわいいんですか?」
何か違う!
たしかに結生の言うことはその通りなんだけど。
結生のゾンビイメージは、たぶん、全然ゾンビとは違うものになっている!
これじゃ、本物のゾンビに会っても、ゾンビだと気がつくはずがない。
俺がゾンビだって告げても、(え? 木根先輩は実は歌って踊れる人気者だったの?)ってなっちゃうだけだ。
俺が今まで、「ゾンビだ!」って叫んでいた時、いったい、結生は何を思っていたんだろう……。
俺は冷静に結生のゾンビイメージを訂正しようとした。
「全然かわいくないよ。ゾンビは恐ろしくて、危ないんだ」
そこで、結生は俺にたずねた。
「恐ろしくて、危ない……? どう恐ろしいんですか?」
「え? まず、見た目が腐った死体だから、見るだけでぎょっと……」
俺が説明を開始したところで、結生は申し訳なさそうに言った。
「見た目だとイメージがつきません。わたしは、赤ちゃんの時から目が見えなかったので……」
「あ、そうか。えーっと……」
俺はちょっと困った。
ゾンビの恐ろしさって、見た目先行だから。視覚的な恐ろしさを除くと、説明に困る。
ゾンビって、別に牙や爪もないし、鈍いし弱いし……。
ゾンビの恐ろしさって……。
そうだ! 感染させるところだ。
「ゾンビは噛みついて感染させる危ない人なんだ」
俺が自信をもって言うと、結生は言った。
「でも、ゾンビが噛みつく人なら、先輩はゾンビじゃありません。噛みつきませんから」
「え? いや、たしかに俺は噛みつきはしないけど。俺はゾンビだよ。見ての通り、顔の皮膚なんて赤、青、紫とかで。皮膚もあちこち、ぐちゅぐちゅになってるし」
結生は、ふてくされたように言った。
「そんなこと言われても、見えません」
うーん。どうやって理解させればいいんだろう。
俺がゾンビだと信じてもらえないとは、予想していなかった。いや、そもそもゾンビを知らないとは予想していなかったんだけど。
俺がゾンビだという証明……実は、見た目以外に何もない。証明書とかは持っていない。
というか、「ゾンビ証明書」を持っているゾンビなんて見たことがない。
俺が悩んでいると、結生は明るく言った。
「私の耳によると、先輩は普通の人と何も違いません。だから、先輩は普通の人です」
たしかに、俺は、皮膚以外は普通の人なんだけど。……近頃ちょっと自信がないけど。
「たしかに、普通の人だけど。でも、俺の血液とか唾液とかにふれると感染してゾンビになっちゃうから、気をつけないと……」
結生は落ち着いて、むしろ力強く言った。
「先輩がゾンビなら、私がゾンビになってもだいじょうぶです」
(何を言ってるんだ、この子は!)
ゾンビになる気満々じゃないか……。
俺は慌てて早口になって言った。
「だいじょうぶじゃないって! だめだって。普通はゾンビウイルスに感染したら脳を破壊されるんだから。そうだ。それが一番怖い所なんだ。ゾンビになったら、「うー」しか言えなくなっちゃうぞ? 俺はなぜか、皮膚以外に症状が出ないけど、普通は生ける屍に……」
結生はくすっと笑った。
「先輩は特別なんですね?」
「あ、ああ。俺はなぜか特別……」
結生はのんびりと言った。
「お姉ちゃんがいつも言っていました。木根先輩は特別だから、張り合っても無駄なのに、犬養先輩は絶対に負けたくないんだって」
「え? 犬養?」
結生がなんでそんな話をはじめたのか理解できないけど。
そんな噂になるほど犬養が俺のことをライバル視していたとは。
結生は、のほほんと言った。
「知ってますか? お姉ちゃんは犬養先輩のことがずっと好きなんです」
「へぇ。知らないけど、別に驚きはしないな」
俺は心底不思議に思った。
(こんな危険なアポカリプスな世界で、俺達はなんでこんな会話をしているんだ?)
しかも、俺がゾンビだと告白した後で。というか、結局、結生はゾンビを理解していないんだけど。
でも、俺はなんとなく流され質問した。
「じゃ、あのふたり、つきあってるのか?」
「ううん。お姉ちゃんはとても純情だから。全く進展しないんです」
「へぇ。あの高木寧音が……」
(いやいや、こんな会話をしている時じゃないだろ!)
俺は辺りを確認した。ゾンビはいない。
この辺りは、なぜか全くゾンビが見当たらない。
胸騒ぎがする。
俺はその理由に思い至った。
ゾンビがいないってことは、誰かがゾンビを排除したってことだ。
つまり、ここは俺にとっての危険地帯かもしれない。
早く移動した方がいい。
俺は結生に言った。
「ここは危険かも。移動しよう」
「じゃ、いきましょう。誘導してください」
「ああ。あ、そうだ。指を顔につけちゃだめだぞ? 俺の服にはゾンビウイルスが付着しているかもしれないから」
「はいはい。先輩、心配性。お姉ちゃんみたい」
結生はそう言ってのんびり笑った。まるで、平和な日常の中にいるように。
俺は結生を見ながら不思議に思った。
(ゾンビの怖さを知らないから、結生は能天気なのか?)
でも、俺だってゾンビは怖くないけど、散々絶望している。
俺は結生の反応にほっとしながら首をかしげて、移動をはじめた。




