29 ラグビー部
俺は喫茶店前の階段をかけあがった。
道路に立つと、階段下で想像したよりもゾンビの数が多かった。
喫茶店から見て向かって右手の方にゾンビが沢山いる。反対側にはほとんどいないのに。
ひょっとしたら、寧音がここに来る時に引き寄せてしまったゾンビ達なのかもしれない。
ちょっと離れたところには、首がありえない角度に曲がったゾンビも転がっている。たぶん、寧音にやられたんだろう。
俺はドアのところにいる結生に指示を出した。
「そこでちょっと待ってて」
まずはゾンビ達を階段から遠ざけることにした。
階段近くには、ラグビーのユニホームを着たゾンビ男がふらついていた。
年齢はたぶん俺と同じくらい。高校か大学のラグビー部員っぽい。
周囲には、同じユニホームのラグビー部員達が何人もいた。
きっと部活クラスターで部活中にみんなでゾンビになってしまったんだろう。
ゾンビ達はまだみんな大人しい。まだ結生には気がついていない。
俺はとりあえず、階段近くのラグビー部ゾンビを遠くへ押しやった。
この位置じゃ、結生が階段を上っている間にこのゾンビに襲われてしまう。
ラグビー部ゾンビは「うー」と文句を言いつつ、抵抗せずに押されるがままに移動していった。
俺は階段に近いところにいるゾンビ達をどんどんと押して遠ざけた。
ゾンビを移動し終えると、俺はドアのところに立っている結生に声をかけた。
「これでよし。結生、ゾンビの少ない所まで移動しよう。階段を上がってすぐ左に進んで」
結生はほがらかに言った。
「はい、先輩。それじゃ、お姉ちゃん。先に外に出てるね。あとで追いかけてきて」
「待て! 結生! そんな奴を信じちゃだめだ!」
寧音の焦ったような叫び声が聞こえていたけど、結生は外に出てきた。
その様子を見ながら、俺はちょっと不思議に思った。
寧音がとめているのに、結生は聞く耳を持たず、俺に従っている。
いくら結生が人を信じやすい純粋な子だったとしても、普通はさっき会ったばかりの男よりもお姉ちゃんの言うことを信じるはずだ。
なんで結生は俺についてくるんだろう……?
結生が階段を上がりだすと、ゾンビの一人が結生を発見したのか、興奮しだした。
すると、その興奮が伝染したかのように周囲のゾンビ達がどんどんと興奮して唸り声をあげだした。
階段からけっこう離れたところにいるゾンビにまで、興奮は伝播していった。
大勢のゾンビが盛んに唸り声をあげている。
傍目には恐ろしい様子のはずだけど、俺は、なんか推しアイドル登場時のファンの雄たけびみたいだな、とか思った。
ゾンビ達は嬉しそうなのだ。
しかも、ゾンビ達には何か奇妙な一体感みたいなものが感じられる。
ゾンビ達は、ゆっくりと結生の方へ動き出した。
俺は慌てて一番階段に近いところにいる、わりと細いラグビー部ゾンビに駆け寄り、押し戻そうとした。
結生が通過するまでは、絶対にゾンビを階段に近づけるわけにはいかない。
だけど、俺はラグビー部ゾンビに、あっさりと片手で横に転がされてしまった。
俺はあきらめず、階段に近づこうとするゾンビ達に体当たりをし続けた。
俺の気分は、ラグビーで仲間が前に進めるように敵の選手にぶつかっていくフォワード選手だ。
俺の体形はあきらかに後ろのバックスだけど。
でも、ラグビー部ゾンビ達は、俺がいくら押しても動かない……どころか俺を押して前進し続けた。
何度かラグビー部ゾンビ達に挑んだ後で、俺は悟った。
俺のポジションはフォワードでもバックスでもない。
俺のポジションは、情熱は誰よりもあるけど才能が皆無だから監督にマネージャーにならないかと言われてベンチでサポートに徹している男子マネだ。
運動神経も筋力もない俺が、ゾンビとはいえラグビー部員相手に押し合いでかなうはずがなかった。
それに、ゾンビと揉みあっている途中で、俺のサングラスは落ち、踏まれて無惨に割れてしまった。
何はともあれ、あらかじめゾンビ達を階段から遠ざけておいたので、いくら俺が無力でも、結生は無事に白杖で探りながら階段を上り、俺の指示通り左に曲がった。
(さて、この後どうしよう)
ゾンビ達は全員、結生を追いかけようとしている。動きは遅いけど、あまり距離はない。
(また走って逃げるか……)
そう考えたところで、俺は結生が進む先に、手押しの台車が放置されていることに気がついた。
後ろに空き瓶の入ったプラスチックのカゴがいくつか倒れているけど、台車の上にはまだ何も置かれていない。
俺の記憶が正しければ、この道は少し先までは登り坂だけど、その先は長い下り坂になっている。
あの下り坂を使えば台車で一気に逃げ切れるはずだ。
俺は結生に指示を出した。
「結生、その台車に乗ろう」
「これですか?」
結生は杖を触角のように素早く動かし台車を探っている。
「ああ。そのまま2歩前に」
俺は結生に駆け寄り、手を添えて台車にのせた。
「すわって。落ちないようにこの棒をつかんで」
結生はしゃがみ、杖を持っていない方の手で台車のハンドルの下の方をつかんだ。
俺の後ろからは、ゾンビ達が唸りながら寄ってきている。
俺は台車を押した。結生は軽いから大した重さではない。と思っていたけど、上り坂だから押すのに思ったより力が要る。
おまけに俺はすでに疲れ切っていたから、台車は思ったようなスピードでは動かなかった。
しかも、結生を台車にのせている間に、ゾンビ達との距離は縮まっていた。
今はもう俺のすぐ後ろにラグビー部ゾンビ達が迫っている。
さらに問題なのは、後ろからだけじゃなく、斜め前方からもゾンビが近づいていることだ。
かなりスピードを出さないと、坂を上り切る前に斜め前方のゾンビに追いつかれ、台車の前か横から結生が襲われてしまうかもしれない。
このままではまずい。
俺はとにかく必死に全力で台車を押した。
今更、走って逃げることはできない。
今の俺にできることは、この台車を押すことだけだ。
俺はとにかく一生懸命に台車を押した。
だけど、追い付いてきたラグビー部ゾンビの手が俺の背にふれた。
(まずい! 引っ張られたら、終わりだ……)
でも、ゾンビには俺を引っ張るという発想は浮かばないらしい。
むしろ、ラグビー部ゾンビの手は俺の背中を押していた。
たぶん、ひたすら結生の方向に近づこうとした結果、偶然、俺の背中を押すことになったんだろうけど。
ゾンビが押してくれるので、俺は台車を押すのが楽になった。
さらに、ちょっとすると、なぜか俺は腰の辺りをもっと強い力で押されるようになった。
俺は首を左右にまわして後ろを見た。
俺は驚いた。
俺の背後でラグビー部ゾンビ達が、なぜかスクラムを組んでいた。
スクラムを組んで、なぜか俺を押していた。
しかも、ゾンビ単体は鈍かったのに、スクラムを組んでからは移動速度が上がっている気がする。
ゾンビ達に押されて、俺が台車を押すスピードはぐんぐんと上がっていった。
(これがスクラムの力……?)
わけがわからないけど、俺はなんとなくスクラムを組んでボールを運んでいく気分になった。
まるで、俺とゾンビ達が一体になったかのような気分だ。
俺は爽快な高揚感を感じた。
「すごい。早い」
結生は台車の上で楽しそうに言った。
その声を聞いた時、ゾンビ達とワンチームになって全力で台車を押していた俺は、ふと冷静になって、不思議に思った。
(なんで、俺がゾンビに押されているんだ?)
今までの俺のゾンビ観察によれば、ゾンビは感染前の習慣的行動を繰り返すことがある。
だから、ラグビー部ゾンビがいつものくせでスクラムを組んだのだとしても。
俺を押してくれる理由はないはずだ。
台車はかなりのスピードで坂道を進み、斜め前から近づくゾンビに追いつかれることなく、坂の頂を超えた。




