27 到着
結生は無邪気に人懐っこく俺にたずねた。
「木根先輩も避難する途中だったんですか?」
その声は小鳥のさえずりのように可憐だ。
「いや、俺は別の場所に行く途中だったんだ……」
俺はそう答えながら考えていた。
結生の「はぐれたお姉ちゃん」が高木寧音だとすると、ゾンビの群れの中でも感染しないで生きているかもしれない。
高木寧音は学校でゾンビ狩りをしていたような奴だ。結局、無事に村田も倒したみたいだし。
たぶん、あいつだったらゾンビが徘徊する町の中でも自由に移動できる。
だったら、寧音を見つけて結生がこの喫茶店にいることを知らせれば、問題はすべて解決するはず。
俺の正体がバレないように寧音に居場所を知らせないといけない、というのがちょっと難しいところだけど。きっと、どうにかなるだろう。
俺はさっそく高木寧音を探しに行こうと、立ちあがった。
「高木さん」
「結生とよんでください。お姉ちゃんと、どっちかわからなくなっちゃいますから」
「あ、あぁ。俺はお姉さんを探しに行くから、ここで待っててくれ。ここなら安全だ。扉は分厚い金属で、窓からもゾンビは入ってこれない。俺が出たら、ドアにカギをしめて……」
俺がドアの方に移動しながらそう言っていると、結生は無邪気に言った。
「待ってください。先輩。お姉ちゃんなら、きっとここに来てくれます」
それを聞いた俺がぎょっとしたことには気がつかず、結生はスマホを取り出した。
「ここは何という場所ですか?」
「喫茶ブルーキャット……」
バカ正直に答えながら、俺はあせっていた。
高木寧音がここに来る。それは、まずい。
高木寧音は俺がゾンビウイルスに感染したことを知っている。俺を見つければ即座に俺を殺そうとするにちがいない。また学校であいつに撲殺されかけた時の二の舞になる。
(あーあ。俺、なんで正直に喫茶店の名前を言っちゃったんだよ!)
後悔先に立たず。
「お姉ちゃんにメッセージを送信。喫茶ブルーキャットにいるよ」
結生は声でスマホを操作し、寧音へのメッセージを送信した。
(そうだよな。スマホ使えばいいだけだもんな……)
この辺りは荒廃した世界に見えるけど、実は普通になんでも使える便利な状態のままだ。
俺は反省しながら、さらに焦っていた。
俺は思い出したのだ。高木寧音はかなり過保護に妹を溺愛、つまりシスコンだ、という噂を。
たしか、まだ平和な学校生活を送っていた頃に加藤が「高木は妹に近づく男を容赦なく殺そうとするぞ。気をつけろ。あー、痛ぇー。あいつ、なんなんだよ。ちょっと話しかけただけで」と頭をおさえながら言っていた。
あの時は気をつける必要性を全く感じなかったけど。
今はゾンビだというだけで本当に殺される時代だ。
妹に接近する男子がぶん殴られるなら、妹に接近するゾンビなんて、どんな扱いを受けるかわからない。
一刻も早くここから離れないと、俺の命が危なすぎる。
俺は結生に声をかけた。
「結生さん」
「ただの結生でいいです」
「その、俺は、ちょっと……」
俺が結生を置いてこの場を去る口実を考えていたその時。ありえないタイミングで、ドアがガチャガチャと鳴った。
「結生! 結生! そこにいるのか!?」
ドアの向こうから、高木寧音の声が聞こえた。ガンガンと鍵のかかったドアを開けようとする音が響く。
(なんでこんなに早く!?)
結生がメッセージを送信してから、たぶん、数十秒しかたっていない。
ひょっとしたら、寧音はGPS追跡アプリで結生の居場所を把握していたのかもしれない。
きっと、結生がメッセージを送信した時には、寧音はすでに近くにいたんだろう。
俺はあらためて店の名前を教えてしまったことを後悔した。
結生が立ち上がった。
「お姉ちゃん?」
「結生!? ドアを開けてくれ!」
(まずい。まずい……)
今まさに、ゾンビの蔓延る町ではぐれた姉妹の感動の再会シーン、かもしれないけど。
俺が寧音に見つかったら、まずい。
俺は半分パニックになりながら、ドアの前を離れて喫茶店の奥にあるカウンターの方へ向おうとした。
ティーポットやコーヒーポット、グラスやカップ等が並ぶカウンターの向こうには、ひっそりとドアが見えている。
そのドアの向こうがどうなっているかは知らないけど。逃げ場はそこしかない。
この喫茶店では窓から逃げることはできないのだから。
こっそりと移動中の俺に、結生は不思議そうに言った。
「先輩? ドアをあけてください」
俺はしどろもどろになりながら言った。
「俺はちょっと用事があるから、入り口のドアは俺のかわりにあけて……」
「カギの位置がわかりません」
そりゃそうだ。でも、今、開けるわけにはいかない。狂暴な人間が入ってきてしまう。
「えーっと……」
俺は考えた。
(よし。このまま二人を放置して逃げよう)
結生だって、しばらくすれば手探りでカギを見つけられるだろう。ちょうどいい時間かせぎだ。
その間に、俺は裏口から逃げよう。裏口が、あれば。……なければ、どこかに隠れるしかない。
俺は結生に小声で頼んだ。
「ちょっとお願いなんだけど、お姉さんには俺のことは内緒に……」
俺が情けないお願いをしていたその時、奥のカウンターから、ガタガタと物音が聞こえた。
俺はぎょっとして、カウンターの方を見た。
結生も、カウンターの方に顔を向けた。
「誰かいるんですか?」
「いや……」
カウンターには、誰もいない……はずだった。
今も、何も見えない。
カウンター席は無人だし、カウンターの向こうに立っている人もいない。
カウンターの向こうには、お洒落な食器各種と色んな種類の茶葉やコーヒー豆が入った瓶が並んでいる棚が見えるだけだ。
でも、音が聞こえるということは、何かがそこにいる。
「う、うぅー……」
小さな低い声が、カウンターの向こうから聞こえた気がした。
音だけの世界に生きる結生は、きっぱりと断言した。
「誰かいます」
「見てくる」
俺は急いで奥のカウンターに駆け寄り、向こう側をのぞき込んだ。