20 微かな希望
テレビの特番を見た後、俺は焦った。
このままじゃ、俺や母さんや、一郎やおばさんや、近所のゾンビ全員が、合法的に殺戮されてしまう。
何とかして、止めないと。
ゾンビウイルス感染者は「脳死」なんてしていない。ゾンビはちゃんと生きている人間なんだってことを知らせないと。
そう思った俺は、SNSと動画で発信してみようと思った。
ちなみに、動画でもSNSでも、ゾンビ関連で「いいね」を沢山もらっているのは、「ゾンビに負けない」とか「ゾンビ殺してきた」とかいう感じのやつだ。
例えば、隔離地区で撮影されたゾンビ狩り動画は人気が高い。
でも、もっと人気が高かったのは、キャバ嬢ゾンビ、メイドゾンビ、ギャルゾンビ、アイドルゾンビ、とかの観察動画だ。ほとんどがR18だったから、俺は動画の中身はよくわからないけど……。
こんな中で、「ゾンビは平和だよ」とか「ゾンビのいる穏やかな日常」とか「ゾンビ、東大の過去問を解いてみる」とか投稿して、見てもらえるか怪しいけど。
でも、やってみよう。と思って、俺がSNSの新アカウントを作成しようとしていたところで、父さんから通話がかかってきた。
父さんは嬉しそうだった。
「良い報せだ。製薬会社で研究者をやってる友人におまえのことを話した。ワクチンや治療薬の開発につながるから、ぜひ会いたいそうだ。あいつは天才だ。ひょっとしたら、本当にゾンビウイルスの治療薬を開発できるかもしれない」
「治療薬?」
希望の光が射した。
治療薬ができたら。
母さんを元に戻せるかもしれない。
ゾンビのみんなを助けることができるかもしれない。
「わかった。その研究所に行ってみるよ。場所は?」
「近所だ。3キロくらいしか離れていない。住所は今、送る。たしか、隔離地区D42とか言っていたな」
父さんの言葉で、俺の期待は一気にしぼんだ。
D42……。
ここは、隔離地区D43だ。
警察に殺されずに、別の隔離地区にある研究所にたどり着くことができるだろうか……。
父さんは、俺にチャットで住所を送った後、話を続けた。
「研究所の名前は恵庭隈研究所。知り合いの名前は中林亜覧だ。あの偏屈は、あえて逃げないことを選んだらしい」
その人のことは、以前も父さんが話していたから知っている。会ったことはないけど。
父さんの高校の同級生だった人だ。
「あいつは本当の天才だ。ひどい偏屈だけどな」と、父さんはいつも言っていた。
天才的な薬学研究者で、イギリスのケンブリッジ大学からも声がかかったけど、飛行機が嫌いだからと東大の教授になって、何かのトラブルで大学を辞めさせられたら、海外の製薬会社から10倍以上の給料でスカウトされたけど、やっぱり飛行機が嫌いだからと、この近くの研究所に移ってきた人だ。
中林亜覧がこっちに引っ越してきた頃、父さんは、飲みに行こうと誘ってるのに人嫌いだからめったに会ってくれない、とぼやいていた。
父さんはしみじみと言った。
「ワクチンか治療薬ができなければ、人類はゾンビウイルスに勝てそうにない。このまま行けば、世界のほとんどの国が滅亡する。文亮は、滅亡に直面する人類の希望かもしれないな」
俺は自分の耳を疑った。
うちの親はほめて伸ばす教育方針の親バカだから、ほめられるのには慣れている。
小学校の時に、円周率3桁を覚えたら、それだけでほめられたくらいだ。調子にのって1時間後に100桁覚えたら、「天才だ! 天才だ!」とうるさくなったから、俺はそれ以来、親にほめられそうなことは言わないことしたくらいだ。
それにしても、「人類の希望」は言いすぎだ。
無力であっさり殺されかけている俺が、人類の希望なんかであってたまるか。
もしも俺が希望なら、それは、俺が今ちょっと素顔で避難ゲートまで歩いて行けば、パンパーンと撃たれて消えてしまう希望だ。
そうじゃなくても、このままなら国防軍に「安楽死」させられて消えてしまう希望だ。
儚いにもほどがある。
俺はとりあえず父さんに頼んだ。
「父さん、テレビで見たけど、感染者を安楽死って話、ありえないよ。感染者は脳死状態なんかじゃない。俺のことや、こないだ送ったゾンビキッズの映像を誰か知り合いに報道してもらって、安楽死政策をとめてよ」
でも、父さんは一転して暗い声で言った。
「むりだ。今、政府は、感染者を殺さなければ事態を収束できないと判断している。たしかに、ゾンビは人を殺したりはしないが、初期の感染拡大行動が厄介すぎて、パンデミックが収まらないんだ。今の感染拡大スピードでは、数か月以内に日本が滅亡するといわれている。だから、ゾンビ特措法の邪魔になるようなことは報道されない。感染者には心がある、脳にダメージを受けない者もいるというのは、政府にとっても非感染者の国民にとっても、今は、不都合な真実だ」
そんなこと言われても、ゾンビ的には納得できない。ゾンビキッズみたいに「ブーブー」言いたい気分だ。
「不都合でもこれが事実なんだから、報道してよ」
「事実だろうが真実だろうが、メディアは政府が嫌がることは報道しない。昔と違って今のメディアに報道の自由はないんだ。最近は特にデマの流布を禁止するという名目で、マスメディアの報道も個人のSNSも規制されている。といっても規制に引っかかる前に、それぞれの社内でもみ消されるんだが。どこも上の方は忖度人事で固められているからな」
父さんはため息をついた。
「ジャーナリストのはしくれとして、やれることはやってみるが、効果は期待しないでくれ。世論がかわるとも思えない。たとえゾンビの子どもが元気に走りまわる映像を見せられたとしても、まだ感染していない自分の子どものためにゾンビを全滅させようとするのが人間だ」
俺には反論できなかった。父さんは続けた。
「それと、おまえの話は出さない。これは亜覧からの指示だ。ゾンビウイルスに感染しても発症しない人間が本当にいると知られれば、世界中の諜報機関が誘拐しにくるだろうから絶対に秘密にしろ、だそうだ。まちがってもSNSで発信なんてバカなことはするな、と伝えるように言われた」
「だ、大丈夫。SNSや動画で俺というゾンビを宣伝してゾンビは人間なんだって伝えよう、なんてこと全然考えてないから。ギリギリセーフだよ」
俺は冷や汗だらだらだ。誘拐される危険性は想像していなかったな。
「ギリギリ? まぁ、どうせSNSで発信したところで誰にも信じてもらえず翌日にはデマを流したとアカウント停止されて終わりだろうけどな。それはそうと」
父さんは最後に真剣な声で俺に言った。
「もしも国防軍による感染者狩りがはじまったら、自分の身を守ることだけを考えろ。それが母さんの望んでいることだ。親にとっては、おまえが無事でいることが、一番の望みなんだ。母さんの望みを叶えてくれ。頼む」
聞いた時、俺は意味がよくわからなかった。だから俺はこう返事をした。
「うん。殺されないようにがんばるよ」
だけど、通話を切ってしばらくしてから、俺は父さんが言おうとしていたことを理解した。
もしも、隔離地区で国防軍による銃撃や空爆が始まったら。
ろくに歩くことも隠れることもできない母さんを連れて逃げようとすれば、どうやっても逃げ切れない。
だから、俺が生き延びるためには、母さんを置いて逃げないといけない。
そんなこと、俺にはできない。
それでも、母さんを見捨てて逃げろ。母さんはそれを望んでいるから。
父さんは、そう言っていたのだ。




