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18 避難指示

 ある日の夜、いつものように父さんから音声通話がかかってきた。母さんのスマホに。

 俺は、自分のスマホをなくしてしまったので、母さんのスマホを借りていた。

 父さんからは、ほぼ毎日連絡がきていたけど、俺はどうでもいいことしか話していなかった。スーパーで買って食べた宮崎県産マンゴーの味とか。


 その日、父さんは言った。


「早く避難した方がいい。全国の隔離地区に避難指示が出ている。母さんと一緒にすぐに避難準備を進めて、できるだけ早く隔離地区を出てくれ」


 言われてみれば、近頃、家の外から何度も放送が聞こえていた。


「隔離地区D43に避難指示が出ています。ゾンビウイルスに感染していない市民の皆様は、すみやかに指定避難所か指定ゲートに集まってください。ただし、周囲に感染者が確認される場合は無理をせず、安全な場所で命の助かる可能性の高い行動をとってください。また、発熱などの症状がある場合は、まずは発熱相談センターに電話をかけてください」


 こんな感じの。

 感染者の俺たちには関係がないことだと思って無視していたけど。


 それに、たしかに最近は避難ゲートと避難所にも、避難する人達があまりいない。

 俺は避難所とゲートの観察を定期的に行ってきた。 

 最初の頃は避難所からしょっちゅうバスや護送車が発着していたけど、今日確認した時には、バスは見かけなかった。

 避難ゲート前の列も、もうだいぶ短くなっていて、誰も並んでいないことも多い。


 父さんは、ちょっと焦った声で言った。


「避難指示は、じきに避難命令に変更されて、その後、国防軍が感染拡大防止の作戦行動に出るという噂だ。巻き込まれないように、今のうちに隔離地区から出るんだ」


(国防軍? 感染拡大防止作戦?)


 俺は不思議に思った。国防軍が一体何をするんだろう。集団接種するワクチンもないし、ゾンビは元気だから医師や看護師も不足していない。

 ちなみに、国防軍は以前は自衛隊と呼ばれていた。いつだったか改名して国防軍になってからは予算や攻撃能力がアップしているらしい。


 いずれにせよ、俺はこの時、ようやく父さんに俺と母さんの状態を告げた。


「むりだよ。俺と母さんは感染しているから」


 父さんは、数秒沈黙した後、俺に確認した。


「感染している? ゾンビウイルスに?」


「うん。ゾンビだよ」


 再び、沈黙があった。

 父さんは、かなり驚いているようだ。

 俺はこれまでビデオ通話にしたこともなかったから、父さんは俺達が感染していることに気がつくはずもなかった。

 父さんに感染を隠す必要はなかったけど、俺はなんとなく隠すようなことをしてきた。


「いつ、感染したんだ?」


 父さんの声が震えていた。

 父さんは、若い頃、海外の紛争地帯や危険な場所に好き好んで取材に行く怖いもの知らずの命知らずだった。

 テロリストに誘拐されかけたり、デモ隊を弾圧する政府軍に撃たれたりもしていた。昔、撃たれて入院した父さんのお見舞いに行って、俺は子ども心に、ジャーナリストにだけはなりたくないな、と思ったものだ。

 とにかく、だから、俺は小さい頃からずっと、父さんに怖いものはないんだと思っていた。

 なのに、父さんの声は、明らかに何かを恐れていた。

 

 一方、俺は、すでに母子ゾンビな日常に慣れすぎて、当たり前の話をしている気分だった。

 俺は、のんびりと言った。


「はっきり思い出せないけど。この辺りが封鎖された日かな。父さんから久しぶりに電話がかかってきた頃だよ。俺は学校で感染して、帰ってきたら母さんも感染してたんだ。翌日には母さんは重症になってて。今は会話もできないけど。でも、だいじょうぶ。ちゃんとご飯も食べてるし」


「……そんなに前なのか? おまえは、文亮は、どういう状態なんだ?」


 父さんの震えた声は、まるで、おばけと話をしているかのような声だった。

 父さんは、何をそんなに怯えて混乱しているんだろう。ゾンビな俺は、不思議に思った。


「俺は感染しても皮膚の色が変わっただけだよ。もうずっとこの状態だから、たぶんこれ以上は悪化しないはず。でも、ゾンビマークはバッチリで、一目見たら感染者だとバレるから、隔離地区からは出られないんだ。避難ゲートで感染者だとバレたら殺されるから」


 数秒、沈黙があった。

 たぶん、その数秒の間に、父さんは俺の状態をちゃんと理解したんだろう。

 父さんは、いつもの頼りになる声に戻った。


「状況はわかった。症状がなくて、なによりだ。皮膚以外無症状の感染者がいるなんて、噂に聞いたことすらなかったが……おまえが無事でよかった。とにかく、そこで待機してくれ。たしかに、感染者は療養施設で餓死させられたり人体実験に使われているという話を聞く……」


 父さんは、さらっと恐ろしいことを言っていた。今度は俺が怯える番だ。


「餓死? 人体実験?」


 どう聞いても、「療養施設」じゃない。俺の背筋を、ぞわぞわと毛むくじゃらな感じの気色悪い恐怖の塊が走った。


「ああ。毎日死者数が出ているだろう? 大半は療養施設で死んでいるんだ。今は法律上、療養施設の感染者を殺害してはいけないはずだが、色々行われていそうだ。証拠は掴めていないし、掴めたところで報道できないが。おまえが言うように、避難しようとして捕まれば何をされるかわからない。こっちで何か手がないか調べるから待っててくれ」


「うん。わかった。絶対にゲートには近づかない。あと、母さんのことは心配いらないよ。俺がちゃんとめんどうを見ているから」


 また数秒、妙な沈黙があった。


「……ああ。またかける」


 父さんはそれだけ言って、通話を切った。

 気のせいかもしれないけど、その声は、まるで泣いているように聞こえた。

 でも、たぶん、俺の気のせいだ。

 俺には、世界が崩壊しても、父さんが泣いているのだけは想像できない。


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― 新着の感想 ―
[一言] この作品のゾンビ って餓死するんだ じゃあ、今やっている様に対策として区画を封鎖してから兵糧攻めを行えば処理は楽だね 手軽な感染検査の機器もあるし、ゾンビ は駆除しやすいし、人類の未来は明る…
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