14 ご近所
久しぶりに父さんから電話があったと思ったら、その後は毎日連絡がきた。
父さんから得た情報で、俺は自分が置かれた状況を少し理解することができた。
当初、警察とかに「保護」された感染者は「療養施設」という名の隔離施設に送られていた。
たぶん、俺が学校から帰宅途中に見かけた「俺ゾンビ」男の逮捕が、その「保護」だ。
日本では、以前あった感染症流行後に、国民の主権を制限する法律がたくさん作られた。だから、ゾンビウイルスのような指定感染症の感染者は、必ず「療養施設」に入らないといけない。
治るまで無期限に。
指示に従わなかったり「療養施設」から脱走すると、逮捕されて刑事罰を受けることになる。
でも、感染者が爆発的に増えたため、警察によるゾンビウイルス感染者の「保護」は、途中から追いつかなくなった。
そのため、感染爆発地域をロックダウンして感染者を閉じ込めることが決定された。
ロックダウンされた封鎖地区への出入りは禁止。ただし、症状がない者は封鎖地区の外へ避難することが認められている。
避難者は10日間ほど避難者用の隔離施設に入り、発症しなかったら解放される。もちろん、感染者は解放されない。ゾンビ状態から回復するまで永遠に隔離され続ける。
結論。俺はこの封鎖地区から出られない。
どう見ても、俺は感染しているのだから。
封鎖地区内での生活が長引きそうなので、帰宅して数日後、俺は食品や生活必需品を買いにスーパーに行くことにした。
まだ家の冷蔵庫には色んな食品が入っていて、災害備蓄用の保存食も含めれば、2週間分くらいの食料は余裕であった。
でも、欲しい物は他にもあるし、なにより、食料がいつまで入手可能かわからない。
たぶん、封鎖地区に外から物資が運ばれてくることはない。早めに買いだめしておいた方がよさそうだ。
母さんは別に悪いことはしないので、放っておいても問題なかった。カギさえかけとけば、俺がずっと外出していても大丈夫なはずだ。
俺は、帽子、マスク、手袋、サングラス、ネックウォーマーで厳重に皮膚を隠して家の外に出た。
夏の紫外線対策バッチリなおばさんよりもバッチリな装備だ。
今日は暖かいから、玄関を出るなり汗ばんできた。
すぐにでもマスクや帽子をむしり取りたい気分だ。
マンション内はひっそりとしていた。
だけど、エレベーターが1階について扉が開いたら、唸り声が聞こえた。
「うー。うー。」
マンションの入り口ホールに、なにかを探すように徘徊するゾンビがいた。
エレベーターから降りた俺は、ゾンビを数秒観察して、気がついた。
このゾンビは同じ階に住む近藤家のおばさんだ。またの名を一郎君のお母さんともいう。
近藤家は4人家族で、おばさんとおじさんの他に俺より2歳年下の一郎と5歳年下の瑠奈がいる。一郎とは小学生の頃は遊んだこともあったけど、近頃は疎遠だ。
おばさんは顔の片側が誰だかわからないくらいに腫れあがっていた。誰かにひどく殴打されたようだ。
俺はとりあえず挨拶をした。ゾンビであっても、近所の人に違いはないから。
「こんにちは」
「うー。うー。」
おばさんゾンビは、俺のことは無視して、悲しげな様子で何かを探している。
ホールには、スーツケースが2つ転がっていた。
「スーツケースなら、ここにありますよ」
「うー。うー。」
俺はスーツケースをおばさんゾンビの前に押していった。
おばさんは関心を示さない。
「うー。うー。」
何かを探し続けている。スーツケースを探していたわけではないらしい。
でも、スーツケースには名前が書いてあったので、まちがいなく近藤家のものだ。
俺はスーツケースとおばさんを近藤家に送り届けることにした。
エレベーターにスーツケースとおばさんを押し込んで、俺は元の階に戻った。
近藤家のインターホンを押したけど、誰も出ない。ドアを開けようとしてみたけど、ドアにはカギがかかっていた。
俺は、ゾンビなおばさんにたずねた。
「カギ、かしてもらえますか?」
「うー」
イエスかノーかわからないけど、俺はおばさんのバッグから勝手にカギを探し出して、ドアを開けた。
「すみませーん。木根文亮です。誰もいませんか? おばさんを連れてきたんですけど。おばさんはゾンビウイルスに感染しているから、誰かいるなら、ホールに戻しておきます。誰かいたら、返事をしてくださーい」
返事はなかったけど、物音は聞こえた。
俺は、おばさんを廊下に置いて中に入った。ドアを閉めると、背後に逃げ場がなくなった感じでちょっと嫌な感じだ。
ドンドンガンガンと、どこかからか物音が響いている。
廊下に不自然に椅子が置かれていた。そこにあるドアが開かないようにしているらしい。椅子の上には重たそうなものが色々のっている。
物音が聞こえているのは、その部屋の中からだ。
俺はとりあえず、その部屋をスルーして居間に入った。
居間には誰もいない。部屋の中は散らかっている。
絨毯の上にゴルフクラブが落ちていた。ゴルフクラブには血がついている。
よく見ると、床には血の跡もある。点々と、リビングから廊下に血の跡が続いている。
血痕は椅子でバリケードされた部屋へと続いていた。
俺は、再びその部屋をスルーして、他の部屋を確認した。全て無人だ。
(やっぱり、あの部屋を無視するわけにはいかないか)
俺はひとつずつドアの前に置かれていた物を取り除き、最後に椅子を居間のダイニングテーブルのところに運んだ。
部屋の中から物音はしていた。だけど、中からドアが開かれる気配はない。
俺はドアを開けた。
散らかりきった部屋の中で、血で染まったTシャツ姿のゾンビが、唸り声をあげながらベッドを蹴りつけている。
俺は挨拶をした。
「一郎、久しぶり。しばらく見ないうちに……おたがい、すっかりゾンビになったな」
「うぐぅあーー」
一郎は、なんか怒っているっぽい。ベッドを蹴り続けている。
足の脛が痛そうな蹴り方だけど、痛くはないらしい。一郎はいつの間にか脛を鍛えていた……とは思えないからゾンビになった影響だろう。
一郎は俺を無視していた。
完全ゾンビになった人達は、いやがらせのように俺を完全無視だ。襲ってほしくはないけど、挨拶くらい返してくれてもいいのに。
俺はかまわず一郎に近づいて様子を確認した。額と鼻から出血していたようだ。だけど、すでに血は止まっている。
右腕が折れているかもしれない。でも、致命傷になるようなケガはない。
俺はほっとした。
あの学校で起こったことを見た後だから、俺はもっと悪い予想もしていた。
この家には一郎以外誰もいない。
おじさんと瑠奈はすでに避難したんだろう。
俺は、この家で何が起こったのか推測してみた。
一郎は、たぶん、おじさんにゴルフクラブで殴られて監禁された。
平時だったら、通報するレベルの虐待だ。
一郎が怒るのももっともだな。
そして、発症した一郎を家に閉じこめ、残りの家族3人は逃げようとした。
ますます、一郎が怒るのも、もっともだ。
でも、マンションを出る前におばさんも発症。
おばさんは、頭部を殴られたためかゾンビウイルスのためか、気絶。ホールに放置され、めざめた後はゾンビになってうろついていた。
おばさんを殴ったのも、おじさんだろうか。
ひどいDVだな。
近藤家がおじさんのDVに苦しんでいるという噂は聞いたことがなかったけど。
でも、よく殺人事件の報道とかで、近所の人が「全然気がつきませんでした。普通の家庭でしたよ」とか言っているから、俺という近所の人が言うことはあてにならないけど。
たぶん、相手がゾンビだからおじさんは狂暴になったんだろう。人はなぜか感染者を前にすると狂暴になるから。
俺は玄関に戻って、おばさんを家の中にいれた。
家の中に入ると、おばさんは唸るのをやめて大人しくなった。おばさんは一郎の部屋の前に行って、そこで立ちどまって佇んだ。もう何も探そうとはしていない。
おばさんが探していたのは、一郎のことか、家への帰り方だったんだろう。
一郎は怒っているみたいだから、一郎の部屋のドアは閉めたままにして、俺はスーツケースを玄関にいれ、近藤家から立ち去った。




