13 あくる日の現実
朝日がさしこんでいた。小鳥の声が聞こえる。
俺は、ベッドの中でのびをした。
まったく、ひどい悪夢を見た。
学校でゾンビパニックが起こって、俺がゾンビになって、みんなが殺されて、加藤まで殺されて。
街はゾンビだらけで崩壊してて、母さんまでゾンビになって……。
とんでもない悪夢だった。
あんなありえない悪夢を見るなんて、俺もどうかしている。
よっぽど疲れているんだな。
近頃ちょっと勉強しすぎかもしれない。
まだまだ受験まで長いんだから、適度に息抜きをして遊んだほうがいいかも。
俺は起き上って、もう一度、のびをした。
そしてパジャマの袖からはみ出た自分の腕を見て、俺は悪夢が現実であることに気がついた。
(やっぱり、現実か。いかにも夢っぽいのに)
何度、夢だと思おうとしても、この悪夢より悪夢みたいな現実からは逃れられない。
時間を確認しようと俺はスマホを探した。
そこで俺はスマホを学校に忘れてきたことを思い出した。スマホは学校に置き去りにしたカバンの中に入っていた。
俺は、棚に置いてあった腕時計を見た。
今は7時半だった。
ちょっと寝ぼけ気味の俺は、時計を見て反射的に思った。
(早くしないと学校に遅刻……)
もちろん、すぐに気がつく。ゾンビが学校に行けるわけがない。
登校したら、犬養達に殺される。いや、犬養達もすでに帰宅しているか?
どっちにしろ学校に行く必要はない。
そこまで考えたところで、俺は自分がまだ正気を保っていることに気がついた。若干、寝ぼけてはいるけど。
俺が感染してからもう24時間近くたっている。普通ならゾンビウイルスによって完全に脳がダメージを受けている頃だ。
まだいつも通りってことは、俺はゾンビウイルスに耐性があるってことだ。
でも、俺は慎重に考えた。
ひょっとしたら、俺は自分で正気だと思っているだけかもしれない。
実は、他の人から見たら、俺はただの何を考えているかわからないゾンビかもしれないぞ?
俺は自分の脳機能をテストするため、元素周期表を口に出して言ってみた。
「水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素……(中略)……リバモニウム、テネシン、オガネソン」
俺は、118番のオガネソンまでちゃんと言えた。64番ガドリニウムと70番イッテルビウムの間の5つがちょっとあやふやだったけど。
俺は、今度は円周率を言ってみた。
「3.141592653589793238462643383279502884197169399375105820974944592307816406286208998628034825342117……」
もう十分だろう。
俺の記憶は完璧だ。「何を考えているかわからない」って実は昔からいつも言われていたことまで、バッチリ覚えている。
俺の脳は、ちゃんと機能している。
やっぱり、俺はゾンビウイルスに耐性があるらしい。
たぶん、俺はもう大丈夫だ。
たぶん、俺達は大丈夫だ。
俺は希望を抱いて居間にむかった。
すでに母さんは居間にいた。
母さんの顔には、はっきりとゾンビマークが浮かんでいる。
俺と同じように。
(でも、俺と同じなら、きっと、大丈夫だ)
俺は自分に言い聞かせた。
「おはよう」
俺は震える声であいさつをした。
返事はない。
母さんの目が俺を見ることすらない。
母さんは、のろのろと歩き続けていた。
「母さん、朝ごはん、もう食べた?」
返事はない。
テーブルの上には何もない。
いつもなら、俺が起きてきた時には、もう朝食が用意されているのに。
「過保護すぎないか? ちょっとは自分でやらせないと、文亮が後でひとり暮らしをした時に苦労するぞ?」と、父さんが苦言を呈するほどに、いつも母さんはバッチリだった。
俺はキッチンに行き、トーストを焼き、目玉焼きを2つ作り、ウィンナーを焼き、朝食のプレートを2つ作った。
テーブルに2つ皿を置き、俺は母さんに声をかけた。
「母さん、朝ごはん、できたよ」
母さんは歩き続けている。
俺が朝食を食べている間、母さんはひたすら部屋の中を歩いていた。
俺は立ちあがり、テーブルの反対側のイスを引き、母さんの両肩をつかんで、イスの方へ誘導した。
案外あっさりと母さんはイスにすわり、目の前のトーストを、だらりと力なくたれさがった手でつかみ食べ始めた。
目玉焼きもウィンナーも、母さんは手でつかんで食べた。
そのまま皿まで食べようとしたので、俺は皿を取り上げてキッチンに片付けた。
母さんは、ぼーっとイスに座り続けていた。
そして母さんゾンビは、数時間後には、また何をするわけでもなく、うろうろと歩き出した。
昼食の時も朝と同じような調子だった。
俺は、昼ご飯には、昨日冷凍しておいた夕飯の残りをレンジで温めた。
昨日、母さんが大量に作った夕飯の残りは、全部俺が冷凍しておいた。
たぶん、あと2日分くらいはある。
たぶん、あれが母さんの最後の手料理になる。
全部は食べないで、しばらく取って置こうかな。
母さんゾンビは、一日中、特に何をするわけでもなく、家の中をうろうろしていたり、ぼーっとしていた。
一言も言葉は発しなかった。
でも、暴れるわけでもなく、誘導されれば大人しく従い食事をとった。箸やスプーンは使わなかったけど。
大きな赤ちゃんみたいだ。いや、たぶん赤ちゃんより、聞きわけはいい。
こうして、静かに一日が過ぎていった。
夜、家の電話に、電話がかかってきた。
父さんからだった。
俺が電話に出ると、父さんは、ほっとしたような声で言った。
スマホにかけても、俺も母さんもでないから心配していた、と父さんは言った。
父さんによると、我が家のある地区は、ゾンビウイルス感染症によって封鎖されているらしい。
父さんから話を聞いて、俺は今日、自分がパソコンもテレビも何も見ていないことに気がついた。
俺は今日は外にも出なかったから、ロックダウンに全く気がつかなかった。
「ふたりとも無事か?」
そう父さんに聞かれ、俺は少したって、「うん」と答えた。
なぜウソをついたのか、俺にはわからない。
だけど、俺には本当のことが言えなかった。
「そうか。よかった。またかける」
ほっとした様子で、父さんは慌ただしく電話を切った。




