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12 就寝

 スーッと、俺の頭から血が引いていった。

 自分がゾンビになったと知った時以上にショックだった。


(なんで、母さんが? なんで……)


 俺は帰宅してからの自分の行動を振り返ってみたけど、母さんに感染させるような行動は思い当たらない。俺が帰宅する前に、すでに母さんは感染していたのかもしれない。


 母さんは、ぼーっとした表情で料理を口に運んでいる。俺が箸を手から落としたことにも、母さんは気がついていない。

 母さんの顔に浮かぶ赤と青のアザは、まだ薄い。知らない人は、気がつかないだろう。

 でも、ゾンビマークを見慣れた俺にとっては、まちがいようがない。母さんは、感染している。


 俺は震える声で話しかけた。


「母さん?」


「なあに?」


 母さんは返事をした。俺は少しほっとした。

 まだ会話はできる。まだ俺が言うことは理解できる。

 ひょっとしたら、母さんも俺と同じようにゾンビウイルスにやられても脳は影響を受けない体質なのかもしれない。

 俺はそんな淡い期待を胸に抱いた。


「母さん、今日、ちょっと料理つくりすぎじゃない?」


「なぁに?」


「ふたりじゃ食べきれないよ」


 母さんの表情はうつろだ。


「母さん、今日……いや、なんでもないや。最近、父さんから連絡こないね」


「なぁに?」


 母さんはうつろな顔で、同じ返事をくりかえした。

 箸をもった俺の手が震えていた。

 これが最後に食べる母さんの手料理になるかもしれない。俺はそう感じていた。


(そんなことはない。だいじょうぶだ。きっと、俺たちはゾンビウイルスに勝てる)


 俺はそう自分を励ましながら、震える箸で夕飯を食べ続けた。

 どんなに食べてもなくなりそうにない大量の料理。

 食欲はなかったけど、なかなか満腹にもならなかった。

 その間、母さんが俺に話しかけてくることはなかった。

 俺が話しかけると、時々、上の空で同じ返事をするだけだ。

 いや、上の空というより、俺が話していることがよくわかっていないのか。

 考えられないのか、言葉にできないのか。

 人形みたいに同じ言葉を繰り返すだけだ。


 もうこれ以上食べられないと感じた時、俺は食事を終えた。腹がいっぱいなのか胸がいっぱいなのか、よくわからない。

 その時、母さんは、ぽつりと言った。


「なんだか、とても疲れたわ。風邪かしら。文亮も気をつけてね」


 一瞬だけ、母さんがいつもの母さんに戻ったようだった。

 とても具合が悪そうだったけど、俺はうれしくなって、早口に言った。


「うん。母さん、片付けは俺がやっとくから。早く寝なよ。だいじょうぶだよ。きっと、寝て起きたら元気になってるよ」


 数秒の沈黙の後、母さんはまた聞き返した。


「なぁに?」


「……だいじょうぶ。心配いらないよ。きっと、だいじょうぶだよ」


 俺は自分に言い聞かせるように、そう言った。

 母さんは、ぼーっとした様子で寝室へと歩いていった。歯をみがいたり、着替えたりすることもせずに。


 食器を洗っている間、俺の手は震え続けていた。何度も食器を落として割りそうになった。

 「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。きっと、だいじょうぶだ」と、俺は皿を洗いながら自分にささやき続けた。


 食事の後片付けをした後、俺はシャワーを浴びた。

 洗面所で鏡を見ると、恐ろしい顔のゾンビがうつっていた。

 俺の顔自体は変わっていないはずだけど。

 ゾンビマークのアザと、疲れ切った俺の表情は見るのも恐ろしい。

 この顔を見て異変に気がつかないなんてありえない。

 やっぱり母さんは……。

 俺を再び不安が襲った。


 不安を脱ぎ捨てるように、俺は急いで服を脱いだ。

 母さんのことは、とりあえず、忘れよう。

 今悩んだところで、どうしようもない。


 目の前の鏡には、もうひとつの酷い現実が広がっている。

 ゾンビマークは顔だけではなく、俺の全身にひろがっていた。

 見るのも嫌なほど、気色が悪い。

 シャワーを浴びながら、俺は一人で叫んだ。

 

「俺の青春を返せ! まだ甘酸っぱい青春の1ページ目も始まっていないのに、もう最終ページかよ!」


 くだらないことを叫んだら、ちょっと気分が落ち着いた。

 それにしても、うんざりだ。

 この見た目じゃ、一生彼女はできないだろう。それに人と濃厚接触したら感染させるから、常にソーシャルディスタンスを保って、清く正しく童貞を守らないといけない。

 俺は以前は恋愛に全く興味がなかったんだけど。手に入らないとなると欲しくなるから不思議だ。


 俺は風呂から出ると歯を磨いて、パジャマに着替えた。鏡の中でゾンビが歯を磨いているのを見るのは、なんだか不思議な感じだ。「ゾンビも歯を磨くのか……」と、俺は自分に話しかけそうになった。


 寝る準備をすませた後、俺は母さんの部屋に立ち寄った。

 母さんは寝息をたてていた。寝ているのか、意識を失っているのか。

 生きてはいる。

 それ以上のことは、わからない。


 俺も寝よう。

 そう思いながら居間を歩いていて、俺はさっきテーブルの傍に置いたリュックに気がついた。

 もう家を出る必要はない。母さんはすでに感染しているんだから。

 俺はリュックを自分の部屋に持ち帰った。


 ベッドに入って、暗い天井を見上げながら俺は思った。

 今から眠り、目覚めた時には感染から24時間近くがたっている。

 一度眠ったら、俺はもう自我をもって目覚めることはないかもしれない。


(何かやり忘れたことはないか?)


 今が、やり残したことをできる最後のチャンスかもしれない。

 まだ寝ちゃだめだ。

 考えよう。

 最後に何をすべきか。


(そうだ、書き残そう……。父さんと母さんに……俺は……)


 だけど、俺はそのまま睡魔に引きこまれ、深い淵に落ちていくように意識を失っていった。


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