□大人用漢字多め
※こども用とは違う表現を使っている箇所があります。
昔々、ある山間の村に、流行り病で父親を早くに亡くし、母親と一緒に生活している三人の男の子たちが居ました。
暮らし向きは決して豊かなものではありませんが、ささやかな幸せを分かち合い、仲良く過ごしていました。
ところが、ある日のこと。
母親が突然倒れ、重い病気に罹ってしまいました。三人の子供たちは交替で看病しましたが、なかなか快方に向かいません。
そんな時、病床の母親は熱に浮かされながら、譫言で「奥山にある奈良梨が食べたい。食べれば喉が潤い、火照りも治まるだろう」と口走りました。
これを聞いた長男の猪之助は、奈良梨を取りに出かけました。
猪之助が奥山を目指し、山道をえっちらおっちら登って行くと、山の中腹に大岩がありました。大岩の上には、瞑目した仙人が胡坐をかいています。眠りこけていると思った猪之助が通り過ぎようとすると、仙人はカッと刮目して猪之助に言いました。
「これ、そこの若いの」
「うわっ、吃驚した。起きてたのか」
「どこへ行くのじゃ?」
「母ちゃんのために、奥山の奈良梨を取りに行くのさ」
猪之助が答えると、仙人は、途中に彼岸花が咲いている野辺があるが、そこに瑠璃色に光る極楽蝶が飛んでいるあいだは、そこを横切ってはならないと教えました。猪之助は、どうして駄目なのかと疑問に思いましたが、仙人が再び瞑目してしまったので、理由を聞かずに歩き出しました。
猪之助が半刻ほど山道を進んで行くと、仙人が言った通りに彼岸花が赤々と生い茂っている野辺に辿り着きました。その彼岸花の上空では、キラキラと青く光る極楽蝶が、ひらりひらりと優雅に飛んでいます。
先を急ぐ猪之助は、仙人の忠告も忘れて野辺を横切ろうとしました。
すると、ガサガサという足音に気付いた熊が彼岸花の下からのっそりと起き上がり、猪之助を追いかけ回しました。
それから更に半刻ほどして、猪之助は這う這うの体で熊から逃れたあと、やっとの思いで奥山の沼に到達しました。沼の畔には、奈良梨がたわわに実った樹が生えています。
猪之助は、一番低い枝から奈良梨を取ろうと樹の俣に足を掛け、沼の方に向かって大きく腕を伸ばしました。
すると、その刹那に生臭い風が吹き、沼から大きな口を開いた化け物が現れ、あっと言う間に猪之助を呑み込んでしまいました。
待てど暮らせど、いつまで経っても猪之助が帰って来ないので、今度は次男の鹿之進が奈良梨を取りに出かけました。
しかし、鹿之進もまた、戻ってきません。
こうして、とうとう末っ子の蝶之丞が奈良梨を取りに行くことになりました。
小さな身体で山道をてくてくと登って行くと、途中で先の二人と同じく、胡坐をかいて瞑目している仙人に出会いました。そして、上の兄弟たちと同じように仙人から極楽蝶の注意事項を教わりました。
義理堅い性格の蝶之丞は、お礼に握り飯を仙人にあげました。すると仙人は、蝶之丞に刃渡り八寸ほどの短刀を渡し、こう言いました。
「沼には主が潜んでおる。実を捥ぐ際は、ゆめゆめ水面に己の姿を映してはならぬぞ。万が一にも主に遭遇せし場合は、躊躇なくこの刃で切り裂くのじゃ。よいな?」
「わかりました。ありがとうございます」
蝶之丞は仙人の忠告をよく守ったので、彼岸花と極楽蝶の野辺も無事に越え、奈良梨の樹のある沼の前までやって来ました。
蝶之丞は、沼の主である化け物に見つからないよう、自分の影が水面に映らない南側の枝から実を取り始めました。しかし、つい調子に乗って北側の枝まで手を伸ばしてしまい、化け物に呑み込まれてしまいました。
ところが蝶之丞は、仙人から渡された短刀を抜いて化け物の腹を裂き、見事に化け物を倒しました。
こうして蝶之丞は、化け物の腹から助け出した猪之助、鹿之進と共に家へ帰り、母親に奈良梨を食べさせました。
すると、母親の病気は嘘のように治り、元の生活を取り戻したそうな。
めでたし、めでたし。