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後編

 「――皆さんが書いてきた作文を、お父さんやお母さんに読んでもらいます」


 保護者参観の案内に書かれていた通り、作文を春香たち一人一人が読み上げるようだ。楽しげに声を上げる子供たちに反し、保護者たちには緊張が走っていた。

 テーマだけに子供たちが何を話すのか、期待半分不安半分なのだろう。私も雰囲気に流されて少しそわそわしてしまう。


 春香は、私やお母さんのことをどう想っているのだろうか。普段の様子を知っているから、変な内容を書くとは想えない。

 むしろ、聞いている私が恥ずかしくなるような、嬉しい内容を書いている気がした。その予感を信じるならば、お母さんが駄々をこねた理由もよくわかる。仕事に出掛けたお母さんが可哀そうに想えてしまった。


 「――僕は、そんなお母さんが大好きです!」


 一人……二人……三人……。

 子供たちが想い想いに作文を読み上げていく。元気よく話す男の子、少し恥ずかしそうな女の子。読み上げの上手い下手や、声の大きい小さいに関わりなく、教室の誰もが発表に聞き入っていた。

 子供も保護者もニコニコと笑っている。和やかな空気が流れていった。


 読み上げは座席順に行われている。窓際から廊下側へ向かって一列ずつ進んでいた。春香の席は廊下側だったから、夢ちゃんとタケシくんの方が先に作文を読み終えていた。


 真っ赤な顔でたどたどしく読む夢ちゃんには想わず頑張れと応援したくなった。

 元気一杯のタケシくんの声は、聞いていて気持ちが良い。明るい気分になった。


 教室の誰よりも大きく手を叩き、幼馴染二人の頑張りを春香は喜んでいた。涙で曇った顔はどこにもなかった。

 緊張もしていないのか、子供たちの読み上げが終わるたびに振り返って私の顔を見つめてくる。春香のお尻の辺りから、ブンブンと大きく揺れる犬のシッポが見えるようだった。


 さらに十分が経過しただろうか。ついに、春香の番がまわってきた。


 「次は、一ノ瀬さん、お願いします」

 「はい!」


 元気よく答え、春香が真っすぐに手を挙げる。一目でわかるほど、明らかに気合が入っていた。ぴょんと椅子から飛び降り、背筋を伸ばして立つ。

 読み上げる前に春香はもう一度振り返る。その顔はどこまでも得意げだった。……少し、私は不安を覚えてしまうが、春香に気づいた様子はない。


 大きく息を吸い込んだ春香は、元気一杯に作文を読み上げ始めた。


 「私は、お母さんのことも、お姉ちゃんのことも、大好きです!」


 言葉を区切るように大きな声で言う。春香は堂々としているが、私は羞恥と喜びで顔が真っ赤になる。鏡を見なくても、それが自覚できてしまった。


 「でも、お母さんの話は、他のお友達がすると想うので、私は、お姉ちゃんについて、話します!」


 一瞬で頭がパニックになった。キョロキョロと視線を動かしてしまい、すぐに後悔してしまう。両隣の保護者たちが微笑ましげに私を見ていたのだ。逃げるように私は顔を俯かせていた。


 「……それで、お姉ちゃんはいつも、美味しいご飯を作ってくれます! 私は、お姉ちゃんのカレーが、大好きです! ミニトマトを入れるのは、意地悪だと想います!」


 春香の読み上げは進んでいき、教室中から楽しげな笑い声が上がる。私は恥ずかさのあまり、逃げ出してしまいたかった。


 「お姉ちゃんは、怒ると少し怖いです! だけど、頭を撫でるのは上手で、私は大好きです! でも、一番大好きなのは、一生懸命なところです! 私のお姉ちゃんは、カッコイイと想います!」


 春香の声がさらに大きくなる。ハッとして私は春香の背中を見つめていた。


 「私は、知ってます! お姉ちゃんは、ドリョクカ? です! お勉強をとても頑張ってます! 学校でも、一番になりました!」


 そこで、春香が読み上げを止める。大きく息を吸ったのが、見てわかった。


 「お姉ちゃん、一番おめでとう!」


 力一杯に春香が叫ぶ。黒板や壁に反射された、春香の声で全身を射抜かれるような心地だった。


 「お姉ちゃんは、私の一番の……えっと、アコガレ、です! 私は、お姉ちゃんみたいに、カッコよくなりたいです!」


 アコガレ、憧れ――春香は、私に憧れてくれるんだ。約束を守れなかった、ダメダメな姉を……私のことを……。


 「私は、お姉ちゃんが大好きです! お姉ちゃんみたいになりたいです!」


 力強く宣言して春香は読み上げを終える。小さく肩で息をしていた。

 どうだ、凄いだろ! そう振り返った春香の顔には書いてあった。さらに、私に向かってピースサインを送ってくる。

 私も、想わずピースサインを送り返していた。


 「……一ノ瀬さん、ありがとうございました」


 担当教師が少しだけ困ったように言う。私は慌てて春香に椅子へ座るように、ジェスチャーを送る。

 春香はキョトンとした顔をしていたが、すぐに気づいてくれたのか、名残惜しそうに顔を正面へと向けた。


 「次は、高橋くん、お願いします」


 次の子供が立ち上がり、再び作文の読み上げが始まる。しかし、私はちっとも聞いていなかった。春香の言葉が、頭の中をグルグルとまわっていた。


 春香の作文は、ハッキリ言って滅茶苦茶だった。でも、だからこそ、その内容が本心だと信じられてしまう。

 胸のつかえが取れるような不思議な感じがするのはどうしてだろう。瞳から勝手に涙が零れ落ちていた。


 「……素敵な妹さん、ですね?」


 隣にいた誰かのお母さんが小さな声で言い、ハンカチを差し出してくる。その顔は微笑ましげだった。


 「……私の、自慢の妹です」


 ありがたくハンカチを受け取り、誇らしげに笑って見せる。また一粒涙が零れ落ちるが、心はポカポカと温かかった。




 その後、保護者参観は滞りなく進んでいった。

 作文の簡単な総評を担当教師が行う。子供たちは話を聞いていなかったが、保護者たちは真面目に聞いていた。次いで、帰りの学活が始まり、簡単な連絡事項が伝えられる。そして、最後に「先生、さようなら」と子供たちが声を張り上げて、保護者参観は終わった。


 教室の後ろで待っていた保護者たちは、帰る準備をした子供たちを出迎えていく。それは、私も同じだった。


 「春香、帰ろう」 

 「ねえ、お姉ちゃん、春ちゃんの作文どうだった?」


 ポツリと椅子に座ったままの春香に声をかけると、不安そうに見上げられてしまう。授業中に見せていた笑顔は翳っていた。


 「急にどうしたの? 私は良かったと想うよ……恥ずかしかったけれどね」


 隣の机から椅子を動かし、春香の横に座る。ウルウルと潤んだ瞳がジッと私を探るように見つめていた。

 私はポンと春香の肩に手を置き、私の方へと引っ張っていく。小さな肩が私の肩と触れ合い、二人で隣り合って座っていた。


 顔を俯かせたままの春香は何も言わない。私は春香が口を開くのを、ただ辛抱強く待ち続けていた。


 「……だって、お姉ちゃん、泣いてたもん」


 数十秒が経ったころ、落ち込んだ声が聞こえてくる。春香の顔はくしゃりと飴細工のように歪んでいた。

 ポツポツとまばらだった涙雨が土砂降りへと変わっていく。感情を爆発させるように、春香は急に泣き出してしまった。教室に残った子供や保護者の視線が、背中に突き刺さるのを感じた。


 突然のことに、私は目をしばたかせていたが……想わず笑ってしまった。

 春香の身体をギュッと抱きしめる。すると、春香はグリグリと頭を私の胸元に埋めてきた。


 「私も、春香が大好きだよ。作文、とても嬉しかった」

 「……本当?」


 探るような目で春香が見上げてくる。そんな春香の両頬にそっと手を当てて優しく持ち上げる。涙を溜めた真ん丸おめめに、笑顔の私が映っていた。


 ああ、バカだな……私。最初から、疑う必要はなかったのに。


 「私、春香が憧れるような、カッコイイお姉ちゃんかな?」


 同じ道を歩いて一緒に学校へ行く、約束を守れなかった。

 勝手に不貞腐れて、中学生活もちっとも楽しめていない。入学式の日も、春香を祝ってあげられなかった。……きっと、附属小学校に合格した春香へ嫉妬もしていたと想う。


 私は、私が想い描く立派な姉ではなかった。それでも――。


 「お姉ちゃんは、いつもカッコいいよ?」


 鼻をスンスンと鳴らしながら、春香は不思議そうに言う。まるで、当たり前のことであるかのように。


 「お料理も上手だし、お勉強も凄いし、怒ると怖いけど、優しいもん」


 春香がポツポツと言葉を紡ぐ。それは、作文に書かれていた内容と同じだった。


 「……春ちゃん、お姉ちゃんが頑張っているの、知っているもん!」


 私が黙ったからか、春香は少し怒ったように言う。両頬をプクッと膨らませるが可愛いだけだった。衝動的に、可愛い春香を――大切な妹を抱きしめていた。


 悩む必要はどこにもなかった。答えは、最初から目の前にあったのだ。

 私が心に想い描いた、理想の姉を目指す必要なんてなかった。

 春香が憧れるような、春香の姉を目指すだけで良かったんだ。


 私が『姉』で、春香が『妹』……それだけで、特別な関係だった。


 「ありがとう、春香」


 私が私らしくあること、それを春香がカッコイイと想うのならば、今の私を大切にしてあげればいい。難しく考えることは一つもなかった。


 春香が私を見て、真似したいと、頑張りたいと、少し想うだけでいい。

 理想の姉像を追い求めて、私自身を卑下する必要はなかった。

 私が感じ、考え、頑張った姿を、春香が見ているのだから――。




 私の一歩は、春香の二歩。意識して私はゆっくりと歩く。伸ばした右手は、春香の左手と繋がっていた。

 校舎から校門までの道のりを二人きりで進んでいた。遅くまで教室に残っていたらしく、時刻は十二時半をまわっている。保護者参観に参加した中で、最後に名札を返却したのが私だった。


 「春ちゃん、お寿司が食べたい。イクラが好きなんだ!」


 ぴょんぴょん、とその場で軽くジャンプしながら春香が主張する。食べる姿を想像しているのか、満面の笑顔だった。

 お母さんからお金は十分に渡されている。二人で食べるのに問題はない。小学校から一番近くにある回転寿司の場所を想い出しながら歩いていた。


 唐突に、後ろから大きな声が聞こえてきた。


 「――おい、一ノ瀬、ちょっと待ってくれ!」


 春香が声に驚き、ジャンプの着地に失敗する。前のめりに倒れそうになったところを、私は慌てて抱き留めていた。その間に、声を掛けてきた――竹島くんが追いついていた。


 走って来たのか、竹島くんは肩で息をしている。私は春香と揃って怪訝な眼差しを送っていた。一体、何の用事があるのだろうか。


 「お姉ちゃん、知っている人?」


 クイクイ、と繋いだ手を引きながら春香が訊ねてくる。その視線は、竹島くんへ釘づけになっていた。


 「ん? 一ノ瀬の妹か? ちっこいな」


 想わずと言った様子で竹島くんがつぶやく。

 春香は最初意味がわからなかったのか、自分を指差す竹島くんを不思議そうに見ていた。しかし、態度で馬鹿にされたとわかったのだろう、力一杯に睨みつけていた。


 「この人、嫌い!」


 怒った春香が大きな声で叫ぶ。仕返しと言わんばかりに、春香は左手で竹島くんを指差す。私と繋いだ右手をギュッと握りしめていた。


 春香の言動に苛立ったのか、竹島くんは春香を睨み返している。私は慌てて背中に春香を隠した。


 「……竹島くん、どうしたの?」


 内心怖がりながらも、私は素知らぬ振りで訊ねる。


 「えっとさ、一ノ瀬、ちょっと話がしたくて……」


 怒り顔から戸惑い顔へと竹島くんの様子が変わる。緩み始めた雰囲気に、私はホッと息をついた。


 「一ノ瀬とは、学校が離れちまったけどさ……俺は、その、仲良くして欲しいんだよ!」


 声が途切れたと想ったら、急に竹島くんは大きな声で言う。勢いのままに距離を詰められ、少し仰け反ってしまう。


 「ほら、今の俺だったらさ、一ノ瀬に勉強とか教えられるし、遊びにだって連れてくぞ。一ノ瀬、小学校のときも友達少なかっただろ? 中学校でも、どうせ友達いないだろうからさ、俺が代わりに遊んでやるよ」


 ぐいぐいと近づく竹島くんに、私は後退ってしまう。早口で話され、否定の言葉一つ挟むことができなかった。


 突然後ろに動いたからか、春香の戸惑う声が聞こえてきた。その瞬間、私は足に力を入れて踏み止まる。そして、勢いのままに口を開いていた。


 「――離れて!」


 想像よりも大きな声が飛び出る。竹島くんが驚いた様子で固まった。


 春香の手を強く引き、一歩二歩と距離をとる。湧き上がる怒りを抑えるように、何度も息を吐き出して心を落ち着かせていた。私の背中に春香を隠し、竹島くんと真っ向から見つめ合う。


 不思議ともう怖いとは想わない。附属中学に合格した竹島くんへの劣等感もなくなっていた。楽しくない中学生活を卑下する気持ちもなかった。


 勝手な姉像を想い描くのは止めた。

 私は、私のまま――もう一度、頑張ると決めたんだ。

 昨日までの独りよがりな私、今から精一杯に頑張ると決めた私、どちらの私も大切にしたい。どちらの私も、春香は見ているのだから。


 「竹島くん、心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だから……これから、中学生活を楽しむし、友達ともたくさん遊ぶ。だから、心配しないで」


 私は一方的に宣言する。言葉の向先は、竹島くんではなく私自身だった。


 ポカンと口を開いたままの竹島くんを無視し、私は春香の手を引いて歩き出す。妙にスッキリとして気分がいい。足どりも軽く、スキップしたいくらいの気持ちだった。


 春香と繋いだ手をブンブンと大きく振る。すると、春香も楽しそうに手を前後に動かし始めた。私と春香は隣り合ってバカみたいに笑い合う。そこに、理由は必要なかった。




   ■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■




 真新しい制服を着た私は、春の日差しを全身で浴びていた。腰まで伸びた髪が春風で流され、軽くスカートがたなびく。心地の良い朝だった。


 「秋葉、高校入学おめでとう」

 「ありがとう、お母さん」


 一番に準備を済ませ、玄関の外で待っていた私へお母さんが声をかけてくる。その顔は誇らしげだった。

 軽く背中を二度三度とお母さんに叩かれる。別に緊張はしていないのだけれど……私は想わず苦笑いしてしまった。


 「秋葉、中学生活は楽しかった?」


 私の肩に腕を乗せながら、お母さんがもたれかかってくる。答えはわかっている、そう言いたげにニヤニヤと笑っていた。悔しいことだが、私の答えは決まっていた。


 「楽しかった……うん、凄く楽しかったよ」


 親友ともライバルとも言える相手と過ごした中学生活だった。不動の一位と二位と呼ばれるほど、私と二条さんの成績は縦並びだった。『一ノ瀬』『二条』の並びが崩れることは、三年間一度もなかった。

 一緒に学び、一緒に遊び、同じ高校に進学する。外部組の私と二条さんで高校の一位と二位も独占する……少し考えただけでも面白そうだった。


 「高校生活も、凄く楽しくなると想う」


 本心が口から衝いて出る。高校生活への期待で胸は一杯になっていた。


 「――春香を置いて行かないで!」


 騒々しく玄関から春香が飛び出してくる。小学生らしくランドセルと安全帽を被った、いつもの通学スタイルだ。飛び出した勢いのままに、春香が私の腰に抱きついてきた。


 甘えるようにグリグリと春香が頭を押し当ててくる。チラリと見えた目元には薄っすらと涙が浮かんでいる。背が伸びても泣き虫なところは変わらなかった。


 「置いて行くわけないよ。ほら、春香、手を繋いで行こう」


 春香の手に私の手を重ね、そっと隣り合うように立ち位置を変える。私の右手と春香の左手は固く繋がっていた。


 ガチャリ、と鍵のかかる音が聞こえる。顔だけで振り返ると、お母さんが鍵を片手に悪戯っぽく笑っていた。


 「春香、秋葉を学校まで連れて行ってあげるんだ!」


 高校の方角を指差しながら、お母さんが冗談めかして言う。隣で春香は大きくうなずいていた。


 「うん、任せて! さあ、お姉ちゃん、行くよ!」


 そう言って春香に手を引かれて歩き出す。

 麗らかな今日、私たち三人の目的地は同じだった。誰も欠けることなく、同じ道を最後まで歩く。それが単純に嬉しかった。


 今日は、私の高校入学式。私と春香の制服には、同じ付属校を示す校章バッジがつけられていた。

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