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前編

 月日が流れるのは、本当に早いと想う。麗らかな春の日差しを浴び、知らず知らずに目を閉じてしまっていた。


 「お姉ちゃん、待ってよ~。私も一緒に行く~!」


 声の方へと振り返れば、いつも満開の笑顔の花が咲いていた。

 春に咲き誇るサクラよりも、冬の寒さに負けないウメよりも、どんな花の美しさにも負けない――私の心を魅了する、世界で一番の花だった。


 両手を力一杯に振り、まだまだ短い足を精一杯に動かす。背中に担いだ真っ赤なランドセルは新品で、頭に被った黄色の安全帽はピンとつばが伸びている。これから小学校の入学式へと向かう妹はご機嫌だった。小学校の制服がキラキラと輝いて見える。


 走った勢いのままに、妹は私に飛び掛かってくる。真新しい中学校のスカートが掴まれ、クシャリとしわができていた。


 「春香、手を離して」


 少し強い口調で言うと、妹――春香は不満げに両頬を膨らませる。ギュッと強くスカートを握りしめたまま離そうとはしない。しかし、もう一度だけ「春香」と名前を呼べば、渋々といった態度で手を離してくれた。


 パッパッとスカートを軽く払い、両膝を曲げて目線を合わせる。そして、ハンカチを取り出して、ポロポロと涙を溢れさせる春香の目元を拭っていく。

 泣き虫は生まれつきなのか、春香は本当によく泣いた。笑顔も多いから感情の振れ幅が大きいだけかもしれないが……。


 感情を顔に出すのが苦手な私とは、正反対の妹だった。


 「泣いていたら、夢ちゃんやタケシくんに笑われるわ。それでいいの?」


 ブンブンと春香は大きく首を横に振る。

 幼稚園で仲良しの二人に、春香が負けん気を起こしていることは知っていた。春香は私の手を避けて、ゴシゴシと力任せに拭い始める。あっさりと涙を止めた春香は、自信満々に宣言する。


 「春ちゃんの方が、二人よりもお姉ちゃんだもん! 泣いてないから!」


 どうだ、泣いてないぞ! そう言いたげな春香は得意げだった。春香の頭を軽く一撫でしてから立ち上がり、私は顔を玄関へと向ける。

 慌てて玄関を走る足音が、外にまで聞こえてきていた。足音の主は、私と春香のお母さんで間違いないだろう。


 「遅くなって、ごめんね」

 「ホントだよ! お母さん、遅~い!」


 ぴょんぴょん、とその場で春香がジャンプしている。謝るお母さんはにこやかに笑っていた。


 「秋葉も、中学入学おめでとう」

 「……ごめんなさい、お母さん」


 ありがとう、と私は素直に言えず、つい顔を俯かせてしまう。次の瞬間には、お母さんに抱きしめられていた。


 「何、バカ言っているの……私は、秋葉が頑張ったことを知っているから。もう気にしたらダメよ。気持ちを切り替えて、これからの中学生活を楽しむことだけを考えなさい、いいわね?」


 ポンポン、と慰めるように頭を優しく叩かれる。その優しさが嬉しくもあり辛くもあった。


 「ああ! お姉ちゃんだけ、ズルいよ! 春ちゃんにもして!」


 そう言って春香は、私とお母さんの間へと割って入る。グリグリとドリルのように頭を挿し込んできた。

 お母さんは目線で私に謝り、春香の小さな身体を力一杯に抱きしめる。すると、嬉しそうに春香ははしゃいでいた。それは、入学シーズンに相応しい、明るい光景だった。……私も混ざるべき、明るい家族の光景だった。


 しかし、春香と喜び合う資格は、私にはなかった。春香と交わした約束を果たせなかったのだから。


 私の視線は下へ下へと落ちていく。どうしても春香が着ている制服を、未練がましく見つめてしまう。私自身の制服姿を見てため息を漏らしていた。


 今、春香と私は違う制服を着ている。

 春香が着ているのは大学の附属小学校の制服で、私が着ているのは平凡な市内の中学校の制服だった。春香がこれから通う附属小学校の敷地には、中学校と高校も含まれている。

 私は、附属中学校に入るつもりだった。……入りたかった、が叶わない。


 春香は小学受験に成功し、私は中学受験に失敗した。だから、家族三人の行き先は途中で別れてしまう。附属学校の敷地に入れない私は、一人で別中学へ行かなければならない。


 お母さんと一緒に、春香を祝ってあげたかった。

 しかし、私には叶わない願いだった。




 中学校での入学式は、本当に退屈だった。全ての景色から色が抜け落ち、灰色に見えてしまう。しかし、それは私だけだった。

 入学式の席についた私のまわりには、これから始まる中学生活への希望に満ちた笑顔ばかりだった。明るい雰囲気の中、私一人が落ち込んでいる。ポツンと浮いていた。


 同じ小学校出身の知り合いも入学していたが、話しかける気にはなれなかった。私の被害妄想だとわかってはいても、『中学受験に失敗した女』と嘲笑われている気がしてしまう。視線が合うたびに、顔を逸らしてしまっていた。


 翌日から始まった授業も、退屈で仕方がなかった。どれもこれも簡単に感じてしまう。それは、中学受験に失敗したと知った後、悔しさを中学の予習にぶつけていたからだ。

 もう結果は変わらないのに、何もせずにはいられなかった。意味のない、ただの自己満足だった。


 『一ノ瀬 秋葉  総合成績 第一位』


 春の新入生学力テストでは、当然のように首席だった。第二位とは五十点差の圧勝だ。しかし、少しも誇る気にはならない。今、高得点をとっても、附属中学校へは通えるわけではないのだから。

 第二位の成績だった二条さんが悔しそうに私を睨みつけていたが、それもどうでも良かった。成績上位者の掲示から踵を返して、早々に帰宅する。中学校に友人は一人もいなかった。


 帰宅途中に買い物を済ませ、夕食の支度をして春香の帰りを待つ。それが、私の日課だった。


 幼稚園からの仲良しとは小学校でも変わらずに仲良しらしい。毎日、春香は泥だらけになって帰ってくる。

 昨日は鬼ごっこをして転んだらしい。今日は、何をして服を汚してくるのだろうか。楽しそうな春香の学校生活を聞くことが、私の楽しみだった。


 秘密基地探しで汚れた服を着替えさせ、春香に夕食を食べさせる。

 ポロポロと食べ物を零して口元を汚すのは相変わらずだ。それでも、無邪気な笑顔に私は癒されていた。


 一緒にお風呂に入り、一緒に勉強し、春香が寝るまで、同じ布団で過ごす。

 春香が可愛らしい寝息を立ててからが、私の時間だった。時計は夜九時半を指し示していた。

 授業の復習を行い、読みかけの小説の続きを楽しむ。お母さんが帰って来たのは夜十時半のことだった。


 「秋葉、凄いじゃない! 一番よ! 一番!」


 成績表を見せた瞬間、お母さんは興奮したように言う。そして、私を力一杯に抱きしめてきた。


 「お母さん、痛いから。離してよ」

 「えっ? あっ、ごめんね。……でも、凄いわ。頑張ったわね、秋葉」


 私を抱くのを止めたお母さんは、ピンと成績表を横に引っ張ってまじまじと見つめ出していた。その顔はニヤニヤとだらしなく緩んでいる。


 何も言わず私はお母さんを見つめていた。こんなに喜んでもらえるのは、幸せなことだとは想う。ただ、私は素直に喜べなかった。お母さんと一緒には喜べなかった。


 「……附属中学じゃないからだよ。きっと、あそこなら一番じゃない」

 「秋葉、貴方まだ……でも、頑張ったのは事実なのよ。私にとっては、秋葉は自慢の娘よ。秋葉も、春香も、二人とも大好き」


 そう言ってお母さんは、私の頬にそっとキスをする。私の頭をグシャグシャと力任せに撫でまわし、着込んだスーツを着替えに行ってしまう。私の成績表も一緒に持って行った。

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