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異世界と神とDNA  作者: 夏井 悠
第3章 民の軍、神の軍、そして神の子
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35.ニンガルの○○

結構色々明かされます。

いや、そんなかも。

 



 ニンガルが目を開くと、そこは暗くて狭い路地裏だった。


 彼女は神子という存在であるがゆえに、さまざまな路地裏を飛び回った。しかしこの景色だけは絶対に忘れない。自分にとって明確な記憶のスタート地点。家族と離れ離れになり、そして異能、当時は魔法だと考えていたが、に目覚め、そしてクローヴィスと出会った場所。


 拷問の影響をまだ若干引きずり、精神力が低下したニンガルにとって、この景色はあまりにも強い毒だった。視界は歪み、まるで身体がこの場にとどまることを拒むようだ。


「……どうして……私は何を……?」


 混乱する。なぜこのような場所にいるのだろうか。自分は何をすればいいのだろうか。さっぱり分からない。その焦りはさらなる不快感を煽り、吐き気まで催してきた。


「お、お姉ちゃん、どうしたの?」


 ニンガルは突然話しかけられて驚く。声のした方を見ると、そこには小さな小さな自分が立っていた。五歳の自分は、今現在の自分の置かれた状況を理解するにはあまりにも幼く、そしてそれが故に単に明かりを求めるためだけに存在する、ということが可能だった。


 その明かりが、今こうして呆然と立ち尽くしている自分なのだろう。


「い、いいえ。どうもしてないよ? あなたこそ大丈夫?」


 幼い自分の瞳に涙がたまる。どうして自分はそのようなことを尋ねてしまったのだろうか。大丈夫なはずないことくらい、自分なら容易に分かるではないか。


「ごめんね? その…………よかったら私と一緒にお散歩する?」


 先ほどの質問をかき消すように新しい質問でその場をごまかす。しかし幼い自分にはそれで十分だった。


「うん! …………でも、あんまり遅くなっちゃうとお母さんに怒られちゃうかも」


 そんな、そんなことを言わないで。自分でわかっているでしょうに。自分がもう一生両親と会うことができないことなど。


「……そのときはお姉ちゃんが代わりに怒られるから、心配しなくて大丈夫だよ」


 しゃがんで自分を抱きしめる。その後に待ち受ける、満たされながらも永遠の罪に縛られる自分の運命から庇うように。しかしそれは、ニンガル本人が自覚していない点でよりいやらしいものだった。




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 ニンガルは小さな自分の手を握って、大通りの方へと歩いていた。前回は気がつくことができなかったものも、さすがに四、五倍生きているとどちらへ向かえばいいのか、勘が働くようになる。


 それを頼りに、転移はせずに大通りへと向かう。なるべくあの異能に気がつかなくて済むように。なるべくあの感覚を忘れられるように。


 夜の路地裏は人が少ない。歩いているとすれば、それは酔っ払いかチンピラ、あるいはそのどちらにも当てはまる小汚い男だ。


「よぉネェちゃん。そんなちっさい子ぉ連れてどうしたぁ? 夫が気持ち良くしてくれねぇのかぁ? なら俺が慰めてやるぞぅ?」


 無精髭を生やし、脂で頭皮に張り付いた髪の毛を左右に分けた酒臭い中年が歩み寄ってきた。


「近づかないでください。それ以上近づけば自己防衛します」


 冷たく無機質な声を出すニンガルと、その後ろに隠れる幼きニンガル。


「強がんなってぇ!」


 男がずいと踏み出してくる。それに対してニンガルは投げ技で対抗しようとする。だがそれは失敗してしまった。


 なぜか。それはニンガルが距離感を見誤ったからでは無く、また男が強かったわけでもない。


「グフッ!……カハァッ!」


「んんー!」


 彼女は、異能に目覚めたその日から、それを使いこなしていた。


「やめっ、やめなさい!」


 幼きニンガルは転移の異能で瞬間的に男の背後に周り、身体強化の異能で大の大人並みの力を生み出し目の前にある首を絞め、さらにはへし折ろうとしている。


 生まれながらにして人を殺す術を知っているかのような、そんな圧倒的な殺人力。ニンガルはこれの理由を当然ながら知っている。


 それは、この異能を授けてくれたエンリルの教えだ。ルーツェが父親によって人を斬ることを教わったのと同様に、ニンガルはエンリルに人を殺すことを教わっていた。


 だがそれもつい先ほどが初めてのはず。つまり、彼女はその教えを単なるセンスによって一瞬で習得したのだ。だからこそ生まれながらの神子。無秩序な死をばら撒く快とは違う、神の子に相応しい死の塊。


 ニンガルは声をかけながらも目の前で命の炎が消えるのを止めようとしなかった。それは彼女自身が、それが自分のアイデンティティだと認めているからに他ならない。


 家族とその記憶を失った自分に残されていたのはこのセンスと、その後に与えられた異能二つ。それを使わずして生きられようか。


 結局男の首は恐ろしい音をたてておかしな方向へ曲がり、神の子は達成感に喜びをあらわにしていた。


「ニンガル、あなたはそのままではいけませんよ。お姉ちゃんが守ってあげるんだから、そんな無茶はもうしてはいけません」




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 結局幼い自分から元気な返事をもらえることはできず、おそらく彼女がそれを止めるつもりはないだろうと若干沈んでいると、大通りに出ることができた。


 この辺りは洞窟が多いという話だったように思う。したがってそこへ魔獣狩りへと向かう若い男たちのための宿や、食糧から武器までを取り揃えた店が数多く並んでいた。


 ニンガルはこの後どうすれば良いのだろうと漠然とした疑問を頭上に浮かび上がらせていると、とてつもない力で目を惹くものを視界に捉えた。


 炎よりも赤い、烈しい紅の髪と瞳。その歩く姿からは生まれと育ちの良さが感じられ、一瞬一瞬で周囲の状況を観察、そして考察している様子からは彼の明晰さが窺われる。


 二十代後半、男として最も魅力的である年齢でもって本人の魅力を増大し、道行く女性の視線を掴んで離さない彼。


 ニンガルはそれに見覚えがあった。彼こそが当時ケースリットの校長に就任したばかりで自分を救い、そして今もエンリルとは別の主であるクローヴィス=タイラーゲートだった。


 最悪だ。この子を彼に近づけてはいけない。もちろんニンガルはクローヴィスには感謝している。今の自分の生きがいの三分の一はクローヴィスで、彼がいなければ今の自分はいないだろうと思う。


 だが自分がいれば話は違う。クローヴィスに仕えなければ、二つの陣営の間で揺れるということもなければ、ケースリットという大学に縛られることなくもう少し自由な人生を歩んでいけたかもしれない。


 ならばわざわざ会わせまい。しかしそんなニンガルの考えも一瞬にして崩されたのだった。


「やあ、すみません。少しお話いいですか? その子が見つめてくるもので」


 真紅の色男はわざわざニンガルに近づいてきてそう言ったのだ。


「お話、ですか?」


 拒絶することは、相手がクローヴィスであることのせいで憚られる。


「ええ、この近くにあるという禁じられた洞窟を知っていますか?」


 ええ知っているとも。ニンガルにとって忘れられない、初めてのウル・ディーメア戦。あの場所を忘れるはずがない。


「すみません、存じ上げまーー」


「おじさん、私知ってるよ!」


 ニンガルの隣で、小さなニンガルはぴょんぴょんと飛び跳ねながらそう答えた。自分がその場所を知っていることを自慢するように。


 何を言っているのと、そう言ってやりたかった。だがそれは叶わなかった。


「ほう……詳しく聞かせてもらえないかい?」


 クローヴィスの瞳に宿る炎が変わったからだ。つい先ほどまで宿っていたそれは、まるで太陽のように周囲を照らし上げていた。それに対して今のそれは、地獄の業火のようだった。


 全てを焼き尽くすほどの激しさと、無感情な冷たさを兼ねた炎。ニンガルはこのような顔のクローヴィスを見たことはなかった。だから喉が開かなかった。


「えーとね、口で言うのは難しいからついて来て!」


 ニンガルを除外して会話を進める二人。ついには実際にその地に赴くという話にまで大きくなってしまった。いけない。ここで止めなければ自分の運命は固定されたままになってしまう。


「待ちなさい! いけませんよ勝手にそんな危ないところに行ってしまっては!」


「何言ってるのお姉ちゃん、私にはこれしか無いって分かってるんでしょ?」


 幼き自分の言葉。


 杭が刺さった。頭の天辺から爪先まで、一本の杭で貫かれた。身体が動かない。声も出ない。頭も動かない。ただその大きすぎて重すぎる言葉を咀嚼することに精一杯で、しかもその咀嚼すらままならない。


「君、大丈夫ですか? さすがに私も保護者の同伴は願いたいのですが」


 自分はこの運命から逃れられない。そう悟る。


 いや、それは嘘だ。自分はまだそのようなことは認められない。まだ手遅れになったわけではない。この後にもいくらでもチャンスは巡ってくる。


 自分にそう言い聞かせて、前を小走りする二人を追いかける。


 どれだけ走ったろうか、ついに三人は禁じられた洞窟、つまり遺跡にたどり着いた。


 それはまさに自然と人間、そして神の三つの力が合わさってできた作品だった。


 精巧な彫像が並び立ち、それを絡めとる蔓はしかしその彫像の存在を尊重するように生きている。そんな神々しい光景であるはずなのに、三人は背筋を冷水が流れているような錯覚をする。


 その原因は明らか。その遺跡の内部にてプレートを護っているウル・ディーメアだ。


「行くの?」


 クローヴィスの袖を引っ張ってそう聞くロリニンガル。


「いいや、このあとは宿に戻る。もしよかったら君も一緒に行くかい? 君は強い子だから」


 またしても喉が開かない。口は開く。喉が開かないのだ。


 そんな危険なことをさせてはいけない。子供を巻き込んでいいと思っているのか。明らかにそう考えているはずなのに、ニンガルはとうとう本当にその言葉が自分の口で紡がれていいのか疑問に思いはじめた。


 ニンガルの書き換えたい過去は、彼女自身のジレンマによっめ書き換えられずにいた。




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そろそろこの状況を察し始めたんじゃないでしょうか。この作品の読者層はおそらく頭いいでしょうから。

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