31.我ら神子、障害忽ち討ち果たす
「どうだ、二人もこのランドールティーの味わい深さを理解できるようになってきたころじゃないか?」
深夜、白銀の月明かりだけがこのスラム街を照らす明かりだ。そんな中、一軒の建物に集まり茶を嗜む三人がいる。彼らは神子。エンキに封ぜられた神の中の神、エンリルの復活を目的とし各地のプレートを回収する存在。本気でエンリルを復活させようと考えているのは今のところ一人だけだが。
まあそれはそれとして、彼らがプレートを回収しているというのは紛れもない事実だ。そして今夜、ジアに存在するプレートを回収する予定だ。その準備として、ランドール家に伝わる増強効果のあるお茶を飲んでいるのだ。
「私は初めて飲んだ時から美味しいと思ってましたよ?」
特にこの中でも茶を飲む仕草が似合うニンガルが、小首を傾げてそう言う。この光景がどれだけ月明かりによって芸術的な神々しさを帯びたかは言うまでもない。
「俺は紅茶なんて似合わないからな。まあだんだん分かってきたのは事実だが」
それに対して隣の快のそれは何でもない。ただ少年が紅茶を飲んでいるだけ。なんの魅力も、意味合いも感じられない。ただこれから殺し合いに出向くから、それに効果があると言われたから摂取する。そんな作業的な感がものすごく強い。
「ハァ、全く。まあいい、それよりも事前会議だ」
かちゃりという音をたててカップを置くルーツェ。快とニンガルもそれに倣ってカップを置く。出発まで残り十五分。もしかしたら二人の前で自分の血を飲むことになるかもしれない。なんてことを一人考える快。
「長田快の情報によると、現地住民でウル・ディーメアに出会ったと思われる人々は発狂したらしいんだったか?」
発狂か。たしかに発狂ではあるが元の世界で発狂といえば大声で叫ぶことだったから違和感が拭えない。無言でうなずく快。
「なるほど。で、二人は今回の相手が絶望的な強さを誇るか精神汚染を引き起こす攻撃を用いるかのどちらかだと考えているのだな?」
「ええそうです。後者の方がありがたいのですが」
「まあそうだな。だがいずれにせよやることは一つだろう。俺は最初に長田快の異能を放つのが最適だと思うが」
そんなこと当たり前だ。逆にどう動けば良いというのだ。ウル・ディーメアは嬲り殺しができるような相手ではない。一番初めに最強の攻撃を当て、それが効いたか否かを見て動けば良い。
「そうだな。それで効かなければニンガルの転移網を張りつつルーツェの剣技で押し切る。仮に精神汚染攻撃があるのならニンガルの機動力が肝だ。それから負傷したら俺の血を飲め。それで治る」
そう言いながら時計を見て、快は短刀を取り出す。左手の袖をまくり肌を露出する。そして月光をちらちらと反射する刃を走らせた。
つつと流れる血液を舐め、そのまま舌を傷口に這わせる。そして異能で塞がろうとするそこに舌をねじ込む。どうしても最初だけ痺れるような痛みを感じるが、それも一瞬のことだ。
快は自分の中の膨大なエネルギーが練度を増していくように感じる。今なら三百六十度の全てを死の空間に変貌させられるだろう。
舌を抜くとすぐさま傷口は癒えた。そんな快を見て、ニンガルは気まずそうな顔をし、ルーツェは仮面でその表情はよく分からない。
二人とも快のこの方法は既に見ている。ニンガルは聖光騎士団による拷問のあとに快の血を飲み大幅な回復に成功した。快はあの状況は興奮したが、おそらく大半の人間はそうではないだろう。
ルーツェは聖光騎士団のグレイ=ジャーン戦の際に快に血液を提供して索敵の異能を一時的に分け与えた。
どちらにも共通している点、それは異能の一時的な共有だ。快もふくめて誰もこれの原理は分からない。だがしかし異能という神子だけの特権を共有しているあたり、DNAのらせんの数が関係しているように思われる。何しろ味が違う。そして三重の血液を取り入れても魔法は扱えない。
と難しい話は置いておいて、そろそろ出発の時間だ。
「それではそろそろ行きましょうか」
ニンガルの声かけと同時に、三人で残りのランドールティーを飲み干して立ち上がる。
「我ら神子、障害忽ち討ち果たす!」
「何カッコつけてんだよ!」
ルーツェの独特な士気の上げ方を快が笑い、ルーツェが顔をしかめた瞬間。三人は重く閉ざされた岩の扉の前に転移した。
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「さて、それではこの扉はどうやって開ける?」
目の前の扉を閉ざしている魔法陣はざっと五つ。どれもある程度手の込んだ物ではあるが大した物では無い。快の偏見だが、田舎は総じて教育水準が低い。したがってジアの住人は高レベルな魔法陣を描けなかったのだろう。
この程度ならばニンガルが解除できるだろう。快はタイラーゲート陣営でのプレート回収の際、彼女が通路を隠していた陰魔法の魔法陣を解除したのを思い出してそう考えていた。
「ニンガル、いつかみたいにこれも解除できないか?」
「なんなら扉ごと消せますが」
「…………うん?」
これには快も驚いた。彼女は攻撃力はお世辞にも高いとは言えないものだが、いつそのような破壊力を手に入れたのだろうか。というか、そもそもあの業の原理は何なのだろうか。彼女は魔法は扱えないらしいが。
「そもそも、あの時私は魔法陣の一部を転移で取り除いてその効力を消し去ったのです。ですので今回の場合扉ごと転移させてしまえば、仮に走ってここから出なければならなくなった時に脱出が容易になるかと」
「ああなるほど、ならそれで」
転移にそのような使い道があるとは。ニンガルも転移を本気で扱えば快も殺せるのではなかろうか。なんと言っても使い勝手がいい。快はニンガルに若干の恐怖と劣等感を抱いた。
そんな快の様子には気付く様子もなく、ニンガルは扉へと近づき手を添える。ブツブツと独り言をするニンガル。おそらく転移先を決めているのだろう。
すると突然目を開いて手に力を込めたように見えた。次の瞬間、重い岩の扉はフッと姿を消しポッカリと開いた無限の闇の入り口が三人を喰らわんとする。
視界が傾きそうになるのをなんとか堪えて立つ快。するとやや離れた山のところから、ガラガラと大きな音が聞こえてきた。
「なんだ!?」
「ああ、滑り落ちちゃいましたか」
やっちゃった、といった風に目を細めるニンガル。ルーツェも不審がってニンガルの様子を見る。
「いや、快君が私を呼んだところに転移させたのですが。なんだか厄介なことをしてしまったかもしれませんね」
岩雪崩が起きる可能性がある、ということだろうか。確かにこれが原因でジアの人々に被害が出てしまうというのなら厄介だ。しかし今更どうすることもできない。
「仕方ないです。さっと忘れてぶっ殺しに行きましょう!」
快のブレない姿勢はここでルーツェとニンガルにとって明らかに良い影響を与えた。
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三人は、異能によって暗所でも比較的目が利くニンガルを先頭に闇の中へと進んでいく予定だった。
しかし、その闇は全く文字通りの闇だった。何も視神経を刺激するものが無いのだから、『比較的』などというものは無意味だった。絶対の闇。
ならばそこに絶対の光を放り込めば良い。
それが常識だ。だが、ウル・ディーメアもプレートも常識から外れている。ならばこの洞穴も常識から外れていても不思議ではなかろう。
中に向けて火球を放った快は、目を凝らして洞穴の内部を観察しようと試みた。しかしそれは叶わなかった。絶対の闇は光すら飲み込んだ。と、ここで快は思い当たった。ケースリット陣営でプレート回収をした際、あの海蝕洞も光を飲み込む性質を持っていた。ならば。
「中に入れば見えますかね、マリナの時のように」
「ええ、私も今そう思っていたところです」
先ほどからルーツェが会話に入れていないように思われるが、神子ならば目的そっちのけでそのようなことに気を回している暇はない。そもそもそのような人種は選ばれていないが。
「それなら私から。声をかけますのでそれから入ってくださいね」
ニンガルはそういうと、敵襲に備えて黒光りする長針を六本取り出してから大口を開けた闇の中へと足を踏み入れた。
待つこと三十秒。中からは一切物音がしない。となると音までも遮断されているというのか。これはマリナの海蝕洞とは違う。しかし三十秒もあれば中に敵がいたとしてもニンガルが倒してくれただろう。
「……よし、俺が入る。何かあったら出てくるから、三十秒たっても出てこなかったら入って来い」
手筈通り二番目を歩く予定だった快が入る。秘薬を無限に手に入れるための道具である短刀を右手に、鎖分銅を左手に用意して目を瞑る。『敵と判断した者は容赦なく葬り去る』。敵がどのような形であれ、その命を儚く美しく散らす情景を想像して胸を高鳴らせる。
右足から闇の中へと、征服するつもりで力強く踏み込む。
が、それは失敗した。踏み込む地面がなかったのだ。ルーツェに危険を知らせるため、とは格好つけたものだが、それでもこの状況をなんとか周囲に伝えたいという本能的な働きで叫ぶ快。
闇は深く、終わりが来ない。ただひたすらに落ちていく。闇の中を気が狂うのでは無いかと思うほどに。落ちて落ちて落ちて落ちて、もはや内臓がひっくり返りそうになるあの感覚すら麻痺してきた。
それでもまだ落ちる。飽きた。落ちるのは飽きた。頭ではそう考えているのに、本能は依然として死の恐怖を感じ続ける。
さすがにこれだけ落ちたら助からないだろうな、と快は冷静に判断したのだった。
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エンリルとか神子とかがよく言う『障害』っていうのは『敵』という単語よりも広義ですね。そこは区別して読んでもらうと分かりやすいかと。




