27.分岐点
ジアのプレート回収まで残り五日。それまでの間、快はずっと頭を抱えていた。
自分は一体どうすればよいのだろうか。
快は今まで、死と他者排斥を思考の中心に置いていた。しかし先日、それは半分生と他者受容に置き換えられた。おおげさなように思われるかもしれないが、実際そうなのだ。
それがあの時の自分が弱っていたからだというのも、一つの理由だろう。しかしそれでも、他者との関係の中で決定したものはまた他者との関係の中で変化しやすい。
その根本的な考え方の変化は神子としての長田快にとって大きな痛手だった。というよりも、快の半分の今まで通りの部分にとって拒絶反応の対象だった。
なぜならば、神子である長田快はエンリル復活のために目の前に立ちはだかる敵は無差別に排斥しなければならないからだ。さらに敵でなくともプレートを保管するのに生贄が必要となる。
さらに自分の過去は取り除くことはできない。自分がこの世界に来てから積み重ねてきた罪は、自分の半分には受け入れられ残りの半分には受け入れられない。
それには他者を受け入れて愛を理解しようとする長田快など邪魔でしかない。今ではエンリルに少なからず感謝もしている快が、さらにニンガルとルーツェまで裏切って神子から下りるわけにはいかない。また、自分の過去は受け入れなければならないが、それも逃げてはいけない。
快にはイアンナと、エンリルと神子の仲間たちを天秤にかけてどちらかだけ選ぶことなどできない。どちらも大切で、しかし相反しているからこそ比較することができない。
だからこの間は、スラムで死にかけている老人を生贄に捧げた。これならむしろ苦しまずに済む。しかし、それは自分を正当化しているだけだ。そもそも人の命を奪うということ自体が罪なのだ。今の快の中には、そんな考えを持っている部分がはっきりと存在している。
快は今になってそんなことを真面目に考えているのだが、現実はそう甘くない。人がどのような悩みを背負っていようと、どのようなジレンマに陥っていようと、時間は等しく過ぎていく。
神子として、今日はルーツェにジアの下見を頼まれている。そして前回と同じように一つ屋根の下で暮らす仲間として、イアンナに一言断って馬車を出してもらい、国の中心から国の端まで移動する。
こうやってどっちつかずのずるい時間を過ごすのか。
「またですか? あまり問い詰めませんが無理は禁物ですよ?」
快はイアンナのこの一言にどれだけ救われ、そして罪悪感を感じるか。同じ状況に陥ったことのない人間に、この気持ちが理解できるはずがない。
さて、ジアはフォールカからやや近く、シン都から見て北北東の方角にある。快は馬車の窓から外の様子を眺める。その風景は途中まで少し前に見たものと同じだった。
一度通った道をそれ以降通る時、体感時間は短くなる。また、人は考え事をしているとこれもまた体感時間は短くなる。
快は馬車の座席で一人揺られながら自己の内面と対話する。そして。
ただ、今までのように自らの快楽のために他者の命を奪うことを止めようと決めた。ただ、必要に迫られて他者の命を奪うときも相手に対する礼儀というものを胸に抱き続けようと決めた。ただ、他者を人間として扱うためになるべくあの狂気的な異能は使わないようにしようと決めた。
「快様、ジア行きでよろしいですね?」
「ああ」
そんな甘い綺麗事に塗り固められた決意が、意志が、それでもじっくりと時間をかけて完成したのと、フォールカへの道とジアへの道の分岐点に差し掛かったのは、ほぼ同時だった。
ああそう言えば。この決意を戦場に向かう者の義務だと言った人物もいたそうだったかな。
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「さっ、寒っ!」
快は馬車を下りてその寒さに体を震わせた。なんと言っても、ここジアは北部のキール共和国との国境に存在する山脈の麓に位置しており、山から吹き下ろしてくる風はまさに殺人級だ。
返り血で染まった赤黒い外套を体に巻き付けると、その手は血の固まったぱりぱりとした触感を得る。これは今の快にとって戒めだ。
自分がものも考えずに奪っていった命の重みを、自分の肌で感じられるように。
それはそれとして、快はここジアにおけるプレートとウル・ディーメアが待ち受ける場所を探し始める。エンリルによると今回は山のどこかにある洞穴の最深部に行けばいいらしい。
となれば、山へ向かい重苦しい空気を吐き出す口を探せばいい。それから、ここだけの話快はこの辺りにリベロー草が生えているのではないかと考えている。
理由は特にない。直感だ。ただただ珍しい植物は山に生えているというお決まりからくる直感。洞穴の入り口を発見したらそのあとは探索をしようと考えている。
そんな前向きな感情で自らを鼓舞しながら、人のまばらな村を突っ切る。当然その若干の暴力性を孕んだ歩き方に住人はソワソワするのだが、自分たちにカケラも興味を持っていないと分かるとすぐにそれぞれの仕事に戻った。
快が横目で捉えた村の様子を一言で表すと、発展しているようで発展していない村だ。
その原因は至って単純。ここの周辺には木々がほとんど生えていないのだ。山は裸で、地面の質感も水捌けが良すぎるように思われる。
村の周辺や山の岩肌の間にもときどき緑が現れるのだが、あの数では確かにこれだけの人間しか生きていくことができないだろう。ただ、住居は石造りなのでその点だけは発展しているように思われる。
しかし快にとってこれは好都合だ。
なぜなら、山がほとんど岩肌が露わになっているのなら、洞穴はすぐに見つかるはずだからだ。
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「……そうか、すでにあの日からかなりの時間が経っているのだが」
暗闇の中、低く深い声が鳴り響く。その声に含まれる感情はあまりにも複雑で、その声の主ですら自分の感情がよく分からない。
「シャルガフ=セントロメア、あの男によく似たものだ……」
声の主は、生まれた時から自らにとって最も大きな存在であった男の名を口にした。
その声には、尊敬と恨みと恐怖と愉悦が入り混じっていた。彼の果てしなく深い魂が、それ以上に雄大な魂を切り取って蔑む。
そのような行動は許されるはずがない。実際、以前ならば許されなかった。しかしそれは今は許される。
「いっそのこと、あの狂人を神として生まれ変わらせるのも面白い」
声の主は自らの作り出した新たなシナリオの出来の良さに喜び、そしてそれへの方針の転換を決定した。暗闇は決して大きくはない嗤い声に満たされた。
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斜面を眺め始めてからすでに三十分が経とうとしている。だというのに快は洞穴を一つも見つけられていない。洞穴を見つけたとしても、それがそのまま目的の洞穴であるということはそう起きないと考えていいはずだ。
となると、候補すら見つかっていないこの状況はなかなかにつまらないものだ。快は斜め上を向いて固まりつつある首をほぐしてため息をつく。これは聞き込み調査を行ったほうが良いようだ。
「こういうのは知識豊富な老人に聞いたほうがいいな」
来た道を戻って村の中心部までやってくる。住人は大抵採掘された鉱石やら岩石やらを加工している。おそらくこれを別の村や町にでも売って食料を得るのだろう。
快の考察はさておき、そういった職業柄男たちは家の前のちょっとしたスペースで働くのがこの村における『普通』となっている。老人を探すのにも都合が良い。
ものを言わせない、なんだか掴めない無表情をたたえて見回る快。いくつもの不審がる視線を受け流し、目をつけた老人に歩み寄る。幸運なことに老人の視力は悪く、快のその表情をうまく認識することができなかった。
そう、それは実に幸運なことだった。快の内面と矛盾しているようだが。
「すみません、あの山に入ってはいけない洞穴なんてものありますかね?」
しかし快の呼びかけは、岩石に金属が打ち付けられる甲高い響きに打ち消され、老人の遠い耳には届かない。つい老人の手元に視線が吸い寄せられる快。
分厚く、そしてゴツゴツとした手だ。これだけ頭を白銀に染めながらも働くことができるのは、おそらく若い頃からの積み重ねで得たこの手のおかげだろう。
「じゃなくて、すみませぇん! お話伺ってもよろしいでしょぉかぁ!」
曾祖母に話しかけていたときのように、腹式呼吸で腹から響く発声をする。流石にこれには老人にも気がつき、手を休め目を上げた。
「なんじゃえぇ?」
全力で声を張り上げる快と、全力で聞き取り全力で記憶の海に潜る老人のやりとり。
外から見ても当人たちからしても美しくないそれが終わったかと思うと、快はペコリとお辞儀をして再び山へと向かった。
その足取りはジアについてから一番にしっかりとしており、そしてその向かう先も決まっているかのように真っ直ぐだった。
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『若干の暴力性を孕んだ歩き方』は現代日本の都市部では割とよく見受けられますね。それはさておき、シャルガフさんはいい人ですよ。快君なんかとは大違いです。




