13.本当の始まり
ええ、本当の始まりです。
快はフォールカの下見から帰ってきてから、神子専用ジムでの対戦相手を大人数にしてもらっている。というのも、屋敷の周りで狼の魔獣に襲撃されたときに危うかったからだ。
あのときは頭上に枝があったので相手の攻撃範囲から逃れることができたのだが、実戦で毎回そう上手くいくはずがない。相手が魔法を使えたらその時点で負け確定だ。したがって、この何もない空間で自分の実力だけでどうにかする練習をするのだ。
「今回はどうする」
エンリルが今回の対戦相手の『設定』を尋ねてくる。ここで自分と言ったらどうなるのか、快はすでに何度か気になっている。まだ怖くてやらないが。
「それでは弱目の兵士を十人で」
何か料理を頼んだようにも聞こえる台詞で相手を設定してもらう。今までは屋敷の周りの時と同じように獣と戦ったり、盗賊五人という設定で人と戦ったりしていた。だがそれではぬるい。
なので出発までまだ少し日数がある今日あたりから、あえて今の自分よりも高いレベルを目指して、おそらく敗北して味わうだろうその悔しさを糧に戦闘力を上げようという作戦だ。
「本当にいいのか?」
あのエンリルとはいえ、流石にこの無茶には思うところがあるらしい。何が理由なのかは知らないが、神子専用ジムは一日に一度きりの貴重なチャンスなのだ。自分の駒が馬鹿な真似をしようとしているとなると、やはり少しは心配にはなるのだろうか。
快が口を固く結んだまま深く首肯すると、彼は手を快の前方十メートルほどのところに向けた。しかしエンリルは兵士を登場させる前にカウントダウンを始めた。
これもこの一対多数の練習に入ってから適用されている。それはずばり快のフライングアタックを防ぐためのもの。実戦でそれを行うのは全く文句は無いが、やはり練習の場で毎回それをするのは愚かだ。快としては純粋な自分の力の向上に努めることができそうなのでそこまで悪いものだとは感じないが。ついでに瞬時に相手を見極める練習にもなる。快が伝えた『設定』通りの敵が現れるので大したことはできないが。
エンリルのカウントがゼロになった瞬間、鉄製の甲冑に身を包んだ兵士が十人現れる。剣士と槍兵が五人ずつだ。そして一瞬の間もなく快も兵士たちも相手に向かって突っ込む。そのまま交戦かと思いきや、快は身を回して兵士たちの間をすり抜けた。
陽魔法の魔法陣を活用して初めて為せる業だ。わずかな隙間を縫うように走り抜けつつ異能を放つ。こうしていれば一人であるという逆境をなるべく軽減させつつ攻撃することができる。
快が反対側に出たときにはすでに敵兵は二人倒れていた。仲間を倒されたことに対する怒りと、快の人間離れした動きと正体不明の攻撃に対する恐怖、二つの感情のジレンマに陥る敵兵。長田快は、そこを見逃すほどの馬鹿ではない。
快は鎖分銅で槍兵の手元を絡めとりつつナイフを槍の上を走らせる。こうして槍兵の動きを完全に抑え、そのまま流れるような動きで首元の鎧の隙間にナイフを突っ込む。
呻き声と鮮血が出てくる。残り七人。付与された魔法で鎖分銅が自動で槍兵から離れる。次の敵を殺さなければ。その思いで、背後にいるかも知れない誰かへの攻撃としてナイフを振りながら後ろに振り返る。
「ーーイッ!!」
その瞬間快の右手を電気が走るような刺激が襲う。ぼとりという音と同時に快は自らの右腕が切り落とされたことを悟る。その瞬間、快の中で何かが切り替わった。
右手を切り落とされた今、快はナイフ一本と鎖分銅と火球を失ったことになる。今快にあるのは異能だけ。したがって爆散させるしかないのだ。だが快は先ほどまでそれをためらっていた。なぜなら、あれを連発することは身体にとてつもない負担がかかると本能的に考えていたから。
だがそんなことはもはやどうでもいい。目の前にあるこれらを全て壊して、そしてそこから溢れる紅い液体を啜る。それができれば一時的に気を失うことなど安いものだ。快はそう考えながら、塞がりつつある右腕の切断面を舐めた。
今までのこの思考はこの右腕を舐める動作中に完結し、そして次の瞬間、ぐちゃりという音とともに七輪の美しい朱の華が咲いた。
快は予想に反して自分が意識を失っていないことに驚きつつ、全身に浴びた血液を舐める。そのときにはすでにこの空間の特性により右腕は完全に再生していた。
そしてエンリルがこの場にいることを思い出すと、反射的に彼も爆散させようとした。快がエンリルの腰に集中して、そこから連鎖的に小爆発を起こそうとした瞬間。
快は一瞬のうちに自分の水月あたりに炎が生まれたと錯覚し、それが少し弱まったように感じ、そして激しい何かを感じてその命を落とした。
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「ーーーーッッ!」
快は意識が戻った瞬間に目を開け周囲を見回す。どうやら先ほどまでと変わらず神子専用ジムにいるらしい。一瞬自分が死んでしまったと思ったが、あそこでは『死なない』ということを思い出していた。
「ようやく目が覚めたか、貴様は本当に無礼な馬鹿者だ!」
エンリルが久しぶりに鬼の形相で快を睨みつける。だが状況をうまく飲み込まない快は、口をパクパクさせている。
たしか兵士たちと戦っていてスイッチが入ってしまったのだった。そしてそのまま勢いで近くにいたエンリルも殺してしまったのだ。否、エンリルは殺せなかった。その代わり自分が死んでしまったのだ。死人花を咲かせるように。
「……え? 僕、どうやって死んだんですか?」
「自分で考えろ馬鹿者がァ! そうすれば少しは自分の立場も弁えられよう!」
エンリルが右手を上げて快に向ける。嫌な予感がしていたが事実はその予感と同時に快を襲った。
「ーーーーヴゲェッ!」
快はエンリルから放たれた見えない何かに吹き飛ばされ地面を転がる。どういうことだ。いやまさか、そんなことが。
混乱する快。思考に秩序がない。
あるのだろうか。彼は何者だったか。彼は、この世界における神だ。そして、快たち神子の、主。それならばあり得ない話ではない。あり得ない話ではないが、しかしそれでも受け入れがたい。特にこれといった理由は無いがそれでも受け入れがたい。
でもだがしかし現実は、受け入れなければいけない。そうだ。彼はエンリルは快に異能を与えたのだ。快以上の異常な異能を持っていてもおかしくない。というよりそれが当然だ。
ならばあれは、快の異能であったのか。あの体の内から得体の知れない、しかしその異常性だけは感じることのできるあれが、快の異能なのだろうか。もしそうだとしたら……
「何だよそれ…………最高じゃねぇか」
快はその瞳を異常者の如くすぼませ、その唇を異常者の如く歪ませ、その喉を異常者の如く鳴らした。
そして快はそれと同時に悟ったことがある。それは、この厄介な父親から逃げることなど不可能だということに。しかし快は一つ、この冴え渡った頭で気がついたことがある。
「全てお察ししました。ですがエンリル神、先程の戦闘訓練の際私にルーツェ=ランドールの異能を一時的にお与えになりませんでしたか?」
気色悪い笑みを顔面に貼り付けた快がエンリルのもとまでやってきて質問する。快はむしろこれが正解のような気さえする。
「……フン、主に歯向かおうとする馬鹿者ではあるが愚か者ではないようだな」
エンリルは快を見下ろして低い声で答える。
「ということは、そうであると。ちなみにエンリル神…………いいえ、忘れてください」
「……………………ああ、貴様の想像通りだ。我輩とて貴様に全く失望したとまではいかぬ。我輩の子として、死ぬまで我輩に尽くせ」
「仰せの通りに、我が主」
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快はこの日、NinQluraへと行きたくなったのでその欲望のまま再びあの扉を開くことにした。
すでに日は暮れ、裏通りは日中以上に人通りが少なくなっている。そんな中でも引き込まれるような形容しがたい魅力を放っているバーがある。
快が扉を開くと、中にはすでに先客がいた。年齢を平均すると四十程度だろうか、快は自分の場違い感にとてつもない恥ずかしさを覚えた。しかしここで挙動不審だとさらにその場違い感は強くなる。快はそれを肝に銘じて堂々と歩く。
席に着くとマスターが歩み寄ってくるのでオリエンタルを頼み、今日一日のことを振り返る。実は今日は休日なのだ。そこでイアンナとニンガルと三人でエレシュとクローヴィスのお見舞いに行ったのだ。
結局二人とも眠っていたのでオーリ軍医に挨拶をしたのだが、『順調かなぁ』の一言で済ませられてしまった。彼も忙しいとは思うのでとやかくいうつもりはないが、医者があのようにのんびりとした口調で話していると不安になるのだ。せめて詳しく言ってくれれば安心できるのにと考えてしまう。
だが快が見たところは二人の顔色も少し良くなっていたので、快が心配することはなさそうだった。
むしろ快が心配なのは自分自身だ。今回はかなりエンリルを攻めてみた。こうして快が今考えていることが彼に筒抜けであれば結果は散々なものになりそうではあったが、向こうでは全く完璧に演りきった。その確信はある。自分の中にある彼に対する畏怖のカケラを核に彼に忠誠を誓う神子を演じた。
我ながら完璧だった、本当に。
「よし、ここからだ。誰も俺は出し抜けない」
果たして誰がどうするか、何をしているか。もはやこれは神にも快にもわからない。
分からないならどうするか、そんなことは自明だ。わざわざ書くまでもない。
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うん、本当の始まりですよ?




