34.SEDUCTIVE
イアンナ、ニンガルの二人は突然の脅威の消滅に口を開く。それは当然、その出来事の卒爾なる様子に対する驚きであり、そして目の前に広がる、敵ながらも若干の同情の余地があるほどの景色に対する驚きである。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
二人の視界に映るのは、上半身が爆発し頭部はどこかへ消え、そして肉が彼岸花の花弁のごとく裂け広がっているウル・ディーメア。
それから、目を血走らせて陰鬱に嗤う長田快だった。
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快は二人には目もくれず、目の前の骸を見つめている。瀕死から立ち直った反動と、生命を蹂躙するその能力を行使した反動で肩で息をする快。
快はその光景に見覚えがあった。忘れもしない、あの静謐な無の空間を汚された時だ。あの時もこんな感じに人間が爆ぜていた気がする。
しかし唯一違う点は、あの時の『対象』は人間で真紅の液体が飛び散っていたのに対して、今回の『対象』はウル・ディーメアであり、飛散する液体はドロドロとした灰色の液体であるという点だ。
否、違う点はもう一つあった。それは、あの時は目の前の死に興奮していなかったのに対して、今回は興奮しているという点だ。
そう思っていると、快の耳に何かゴソゴソと物音が聞こえる。物音の方を見てみると、ちょうどイアンナがこちらを見ながらニンガルの腕を掴んだところだった。つい先ほどまで彼女は快の近くにいたはずなのだが。
ーーーーまぁいいか、俺は早くコイツの血を飲まないと…………
「うん?」
快は、爆ぜたウル・ディーメアの腰のあたりに顔を突っ込み、その肉から灰色の血液を啜っていた。しかし快はそんな状況でも驚かない。
何故なら、それが先ほどの能力のコストであると無意識に理解しているから。そして何よりもその血が快のエネルギーとなり、快の力を向上させてくれると分かっているから。そう思いつつ血を啜り続けていると、ニンガルに声をかけられる。
「か、快君? 何をしているんです?」
快はしばらく無視をして顔を突っ込んだままだったが、遅れて返答した。
「ゲホッゲホッ……ほら、僕も神子ですから。こうして能力を行使したあとはガソリンを入れないと……」
「快君……」
ニンガルは同じ神子として、なんとも言えないもどかしい思いに胸を支配され黙り込む。しかしイアンナはまず神子とは何かすら知らない。快の見せる狂気とニンガルの微妙な様子とを見比べている。
快は腰から吸える限りの血液を飲み切ると、今度はウル・ディーメアの太ももの付け根をナイフで切断した。死んだ時点で変化が解けているので、その細い脚は容易に切断することができた。
しかしそこからはその細さからは想像できないほどの量の血液が滴る。一滴も無駄にしない勢いでそれに吸い付く。ずるずると全身が痒くなるような音が広い空間に響く。
「ああぁ、美味いなぁ……」
啜る、啜る、啜る。啜って啜って啜り続けて、気が付いたらウル・ディーメアの身体は原型を留めていないほどに切断されていた。その全ては、長田快に血液を搾り取られている。
どれほどの時間が経ったか、快はその切断された肉片を口の中に放り込み始めた。
快が顎を動かすたびにぬちゃぬちゃと音を立てる。快も流石にこれは食べられないと判断し、ペッと吐き出す。しかし、良い食事だった。快の頭にはそれしかない。今ここがどこで、どのような状況で、そして誰と一緒にいるのか。それさえも彼の頭からは抜け落ちている。
「快君! 何をしているんですか⁉︎ 恐い、恐いです、やめてください!」
イアンナが快の隙を見て叫ぶ。その顔にはエレシュが殺された時よりも、クローヴィスが殺された時よりも悲痛に満ちていた。
「え? まあ必要なんだから仕方ないじゃない? みんなだって家畜を殺して食肉を得ているわけだし」
快の飄々とした態度にイアンナは絶句する。たしかに快が言っていることは間違っていない。正論といえば正論だ。しかし、どこか違うのだ。何か、何か違うものが先ほどの快には感じられたのだ。
「ま、まあイアンナ様、落ち着いてください? 今はそれよりもプレートとお二人のことが優先です……」
それを聞きイアンナはハッとする。快はなんのことだか分からず、しかしなるべく人に頼らないことを目標としている快は、自力で状況を理解すべく周りを見渡す。すると、二つの地に伏せている人影が目に入る。
「……え、お、おい。エレシュと、クローヴィスさんは……?」
ニンガルは顔を背けながら悔しげに応える。
「私の力が及ばないばかりに……亡くーーーー」
「おいッ!」
ニンガルが言い切る前に快は近くに倒れていたエレシュのもとに駆け寄る。快がエレシュの顔を覗き込むと額に小さな穴が開いていた。
その延長線上の後頭部にも同じ大きさの穴があり、彼女の頭部が貫かれたことは明白だった。快は彼女の肩を持ち上げその死相を目に収めようとしてーーーー
「…………生きてるじゃん……」
「…………え?」
イアンナとニンガルの二人は大いに驚く。たしかに確認はしなかったし、ニンガルは黒針で人を殺すときは必ず二回以上は刺している。
二人はクローヴィスに駆け寄るとその胸に耳を当てる。たしかに、生きている。
「でも脳みそ貫かれてるんじゃあな、後遺症とか残っちゃうんじゃないか?」
快は上を向いた空気を下に下げること覚悟でそう告げる。だがしかしそうはならなかった。
「いいえ! 正規軍の軍医さんに頼めば大丈夫なはずです! 命がある限り彼らは治してくださるんですよ!」
イアンナがそう言う。彼女が言うのならばそうなのだろう。先ほどまでの快に対する緊張感はどこへ消えたのやら、三人は安堵感を共有する。
「なら私が今すぐ転移で正規軍本部へと二人をお運びします! イアンナ様は同行していただけませんか? 説明が要求されるでしょうがそこは……」
「ええ! 当然です!」
そこからは仕事が早い。二人はせっせとエレシュの身体をクローヴィスの近くに運び、そして闇の中に消えた。
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数分後、ニンガルは再び快の目の前に現れた。
「私たちはプレートの回収をしましょうか」
ニンガルはそう言うと快を引き寄せ、そしてあの細い道の前にあったドーム状の空間に転移した。そしてそこには、前回見たときは影もなかったプレートが、空中に浮いていた。
「どうしてここにプレートがあるか分かったんですか?」
快は率直な疑問をぶつける。
「それはですね、私の転移の能力の一つです。ウル・ディーメアを撃破すればプレートのもとに転移することができるようになる。全てはエンリル様のおかげですね」
エンリル様。正直に言うと、快は今の今までエンリルをクソだと思っていた。しかし今、この異能を手に入れてからの全能感を思うとエンリルはなんと寛大なのかと思う。
ニンガルが神子だと知ったのはつい先ほどだったが、思い返してみれば彼女もなかなかエンリルのことを敬っているように思えた。ルーツェは言うまでもなく。
しかしそれさえもエンリルの謀ではないか、そう思うのは自分が疑い深いからか。もはや正しい判断など望めない。そう自覚すると、むしろ快の胸は軽くなった。
「今回、僕たち全員が生き残れたのも彼のおかげですね」
「ええ、もちろん」
ニンガルは主を評価されたことで子供のように嬉しそうな顔を見せる。しかし、その顔にはどこかまだ覚悟が決まっていないような感がある。
「あの、失礼だとは思うのですが……」
「なんです?」
「…………ニンガルさんは、エンリルとクローヴィスさん、どちらの味方をするつもりなんですか?」
ニンガルはそれを聞くなり俯く。快はやはり不躾な質問だったかと思い撤回しようとする。すると、
「分かりません、私でも」
ニンガルが前を向き直す。
「分かりませんが、私は私なりに考えて決めたいと思います。どちらも私にとっては恩人ですから。今のところエンリル様が優勢ですがね」
ニンガルは板挟みにあるはずなのにどこか楽しそうだ。選択の自由。ひとえにそれがためにある表情だろう。
「個人の選択……か、異世界にしては人権が保障されてるな」
果たしてこの自由とは何なのか、快自身これに悩まされ続けるだろうと自覚しつつ、目の前のプレートを眺める。
藤色の淡い光を放つそれは、神秘的で美しく、仮にこれに神々の意思が封印されていると知らなくてもコレクションしたくなるような雰囲気を放っている。
「それでは、帰りますか」
二人は同時にプレートに触れ、そして次の瞬間快の目の前に広がったのは懐かしく、そして寂しくなったケースリット大学の校長室だった。
> 第2章 神の慈悲 完 <




