31.神子としてのニンガル
ウル・ディーメアは、ニンガルの神子としての異能である転移能力を借りて転移した。転移した先にいたのは、エレシュ=セルバントスだった。
エレシュ、イアンナの二人は快よりも長く首を締められていた。そのため解放されてからも回復に時間がかかるのは当然のことであり、ウル・ディーメアは暗闇の中で横たわるエレシュを一瞥すると壁面にある蝋燭に火を灯す。
そしてその数分の間にエレシュは目を覚ました。冷たく硬い地面を全身で感じる。意識を失った時とは明らかに違う光景と体勢に驚いたエレシュは、勢いよく上体を上げる。
「なぁっ!」
そんな彼女の視界に現れたのは、てらてらと蝋燭の光を反射している黒光りした存在。快が先ほど横目に見た、痩せ細った四足歩行の人間のようなもの、今回のウル・ディーメアだ。
「ーーボクだってそんなに驚かれると傷つくな」
しかし『それ』はエレシュが気がついたことを知ると一瞬で変化する。その姿は毎朝晩に鏡で見る姿と酷似している。口調も同じ。
人間は、殆どが自分を外から見た際、ある程度の嫌悪感を覚える。それは向上心であったり、過去の罪による罪悪感だったりする。
しかし、絶対に今エレシュが感じている嫌悪感はそれだけによるものではない、そう言い切ることができるだけの異常なまでの嫌悪感が彼女の腹部を疼かせる。
「ゲホゲホッ……なぜボクたちをこんなやり方で別れさせたんだ? ニンガルの姿で突っ込めばよかったじゃないか。目の前で先生と快君を転移させて、何をしたんだ!」
そしてエレシュは先ほどまで溜めていた激情を一気に発する。
「そう感情的にならない方がいいと思うんだけどな。まあいいや、クローヴィス=タイラーゲートにはまだ何もしてないよ。長田快とは少し遊んだけど」
エレシュは『エレシュ』のその適当な返答しかしない態度に苛立ちを隠せない。ギリギリと音が鳴るほど歯を食いしばる。そして右手を上げて『エレシュ』に合わせる。
次の瞬間、エレシュと『エレシュ』をとてつもない目眩と吐き気が襲った。これは先ほどウル・ディーメアが快と『遊んだ』ときと全く同じ手口だ。相打ち。
しかし一つ違う点がある。それは、陰魔法には相殺という概念がないということ。そしてエレシュは治癒魔法を扱うことができるということ。お互いに苦しみ、お互いに解術する。二、三度繰り返すもエレシュは勝ちようが無いことを悟る。
しかしこれはウル・ディーメアも同じことだ。
「ボクって案外単独戦力としては下の方なのかな?」
そう言うとそれは、先ほど別室で戦闘を繰り広げた相手、長田快な身体となった。
「僕の方が単独なら戦えるんじゃないかなぁ?」
『長田快』は陽魔法の魔法陣の効果によりかなりのスピードでエレシュに接近する。辛うじて五メートル程の距離に発生させた瘴気に『快』が引っかかったため、よろける『快』を前に立ち上がることができる。
「フッッ!」
しかし『快』はすぐさま体勢を整えて短ナイフを投擲する。瘴気の影響でかなり速度は落ちているが、エレシュの胸のあたりを正確に貫こうとする。
エレシュはなんとか身を捻って避ける。しかしその先にはもう一本の長いナイフが飛んできていた。洗練された殺人術。これが果たして快の頭の中に入っていたものなのか、ウル・ディーメアがそれとして放った技なのかは分からない。
しかし唯一分かること、それはエレシュの死が確定したということだった。
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ニンガルは通路で一人、ポツンと立っていた。
二十年ほど世話をしてくれ、全幅の信頼を寄せてくれていたクローヴィスを目の前で飛ばされた。
最近やって来た少年で、自分と同じく神子として存在する、弟のように感じていた快も、目の前で飛ばされた。
そして自分に生と生の目的を与えてくれたエンリルを侮辱された。
しかしその全てを行った悪の権化をこの手で消し去ることはもう出来ない。なぜなら自分が歩き回ったことのない洞窟の中で転移されたから。
ニンガルは自分との戦闘はかなり厄介だろうと自負している。だからこそ、あの卑劣な異形の存在がここに戻ってくるとは思えない。
イアンナとエレシュと言う、幼いころから見守って来た存在にようやく最近知ってもらうことができた。そんなささやかな喜びも、もはや無意味なものとなってしまった。なぜなら目の前で失ったのだから。
むしろ無意味どころか彼女の胸をより強く圧迫するものとなってしまった。
ニンガルは、エレシュは自分にどこか似ていると思った。なぜだか分からない。彼女も親を亡くしているからだろうか。エレシュ=セルバントス。何か特別な存在であったような気がしてくる。
様々な想いが、記憶が、ニンガルの脳内を駆け巡る。これが走馬灯というものだろうか。ニンガルは決して死を前にしているわけではないのにも関わらず。
むしろ今、ニンガルはここから逃げ出すことができる。あの狡猾でいやらしい能力を扱うウル・ディーメアに別々に隔離されてしまったら、打つ手は無い。
ニンガルが今まで相手したウル・ディーメアはここまで悪質ではなかった。ただ体術に長けている青年のような者であったり、魔法に長けている老人だったり。その脅威は人間のレベルを超えてはいなかった。
神子であるニンガルからすればなんでも無いような相手だった。それがいきなりこんなレベルに。とそこまで考えると、一つ思い出したことがあった。
ルーツェ=ランドールだ。その存在は夢の中でエンリルに聞いた。快とはすでに接触しているらしく、この三人が現在存在している神子の全てである、と。
ルーツェ=ランドールは、ウル・ディーメアを二体撃破したらしい。つまりだ、仮にウル・ディーメアの戦闘力が倒すごとに上がる方式だとすると。二段階分の戦闘力を飛ばして挑んでいることになる。
それはつまり、今回の敗北とルーツェ=ランドールの有用性、そしてニンガル自身の有用性を表す。それはこの仮説を考えたという点と戦闘力という点において。
自分が、エンリルのために生きると幼い頃に誓い、それを今でも実行している自分が、今何をするべきなのか。神子として、何をするべきなのか。
答えは明らかだった。
ここから出るしか無い。
『ニンガルさん、ボクはエレシュ=セルバントス。まあ知っているか。今まで全く気がつかなかったんだ。申し訳ないとは思っている。そして感謝と宜しくの念を』
「……はぁ、本当に困ったものですね」
しかしどうしても踏ん切りがつかない。なぜここでクローヴィスの顔が思い浮かばないのか、実際不思議なところではある。だが先ほどから浮かび上がるのはエレシュの顔。
どうすればと目を閉じ、深呼吸するニンガル。彼女の元に飛んで行くことができればどれだけ幸せだろうと思う。しかし、とりあえず目の前の道を進むことが先決だと、そう覚悟して目を開く。
しかしそこには、ここにはいないはずの体勢を崩したエレシュと、彼女に向けて飛来するナイフ、そしてそれを投げたと思われる『長田快』がいた。
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ニンガルは状況を瞬時に理解して、エレシュに向かって一直線に進むナイフを打ち落とした。
「えっ! ニンガルさん、なんでいるんですか⁉︎ いや、そんなことはいいから早くそこのクソを殺してくださいよ!」
ナイフを打ち落とされた『長田快』は、驚いた表情をしつつニンガルを煽るような発言をする。
「そんな小芝居に引っかかるわけないじゃありませんか。彼ならぶち殺せと言いますよ?」
それに対してニンガルは冗談なのか本気なのか、どちらにせよ議論になりかねない発言をする。『長田快』はそれを聞くとぶくぶくと沸騰した。そうして一瞬で『ニンガル』になるウル・ディーメア。その顔には明らかないらつきが現れていた。
「あぁあぁ、まさかこのタイミングで自覚するとは……」
それだけ残すと、彼女は再び影になって消えた。
「大丈夫ですか?」
ニンガルはそれを見届けると、隣で棒立ちしているエレシュに声をかける。エレシュは今の瞬間に死を覚悟していたのだろう。脳は事実と関係なく死を受け入れることがあるという。
今のエレシュはまさにその直前といったような状態。ニンガルは肩を叩いたり呼びかけたりし、エレシュの意識を現実の生に引き戻す。
「はっ! ニンガルさん、ボクを助けてくれたんですか?」
エレシュの瞳孔はいまだ開いたままであるが、それでも彼女は死んだと勘違いして死ぬという哀れな命の失い方をすることは避けることができた。
「他の人たちは⁉︎ 大丈夫なんですか⁉︎」
正しい時間経過を確認することのできないエレシュは、自分の精神が彷徨っていたときに何か起きなかったか確認する。
「い、いいえ。まだ確認は……」
「何をしているんだ! ならば早く皆と合流しなければならないじゃないか!」
エレシュは先ほどまでの様子とは打って変わり、クローヴィスのように正確に今するべきことを提案する。ニンガルもそれには一種の安心感をいだく。そしてまた彼女の発言は嬉しいものでもある。
「ならばまずクローヴィス様が優先でしょう。あの化け物はクローヴィス様を嫌ってますから」
ニンガルはそう言いエレシュの腕を掴み引き寄せる。そしてクローヴィスのところへと転移しようとする。つい先ほど自覚した、異能の異能たるその『常とは異なる能力』を行使して。
果たしてその時の彼女の頭にあったのは、クローヴィスなのか、エンリルなのか。本人にも分からないだろう。
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