29.ニンガルと神とウル・ディーメア
人魚の襲撃も難なく払い退けた一行は、洞窟をさらに奥深くへと進んでいく。相変わらず壁面や天井は照らされないほどの距離にある。
異臭とジメジメとした空気、そして抱え切れないほどの不安で快やイアンナ、エレシュの精神はみるみる削がれていく。
『もう少し明かりを強くしてもらえませんか?』
そんな状況を少しでも改善しようと提案する快。
『駄目だ。ニンガルにとって十分なだけあればいい。それ以上は敵襲を招くことになる』
だが快の提案も人魚のように一瞬で払い退けられる。しかし、それでもなんとなくではあるが少しずつ周りが変化しているのを感じる。それは環境の点で。
それは風の強さであった。それは気温であった。それは地面が滑らかになったことであった。それは悪臭が増したことでもあった。そしてそれは、何者かがたてる足音であった。
一行は明らかに敵に気付かれている。そもそもこの海蝕洞の中に住んでいる生き物は全て敵なのだから、どうしようもない。しかし、足音は聞こえているにもかかわらずこちらは先手を取ることができない。なぜなら、
『すみません、まだ察知できません』
『仕方がない。向こうとて抵抗せずにプレートを渡すはずがないだろう。エレシュ、瘴気を周囲に発生させておけ』
『はい、すでに発生させてます』
『イアンナ、快。二人は狙いどきがきたらその時動け。先手と敵の攻撃を挫くのは私たちに任せろ』
『分かりました』
クローヴィスの的確かつ簡潔な指示が飛ぶ。これでも少しは落ち着くことができるものだ。先ほどの快の意図を読み取ったのか、クローヴィスが一つ動いたのだ。
そんな緊張状態で進み続ける一行。一見崩すことができないように見えるその防御線も、しかし大きな弱点がある。それは、
「カハッッ!」
前方からここ数日毎日見てきたものが飛んできて、快の脇腹を貫いた。長く鋭利なそれは、そのすべての部分を対象を傷つけるために利用される。
そしてそれだけでなく、それは影が湧くことのできる空間を広げるものでもある。脇腹を燃やすかの如く襲う痛みに頭の中が沸騰しそうな快は、しかし残った部分でギリギリ状況を判断する。
『ヤバイヤバイヤバイ!』
快の脇腹の辺りからは見慣れた顔が浮かんでくる。そしてそれはそのまま刺さった黒針を引き抜き今度は快の顔面にそれを突き刺そうとした。
しかし快は後方へバランスを崩しながらも右腕に巻きつけた火球の魔法陣を発動する。しかし黒い影は火球に蒸発させられる寸前に、全く、消えてしまった。
「ハァハァ……」
快はジリジリと逃げ場の無い痛みを送り続ける脇腹を、だんだんとかゆく感じる。出血も収まっている。おそらく神子の異能が発動したのだろう。
『大丈夫か!?』
地面にへたり込んだ快のところにクローヴィスとエレシュが駆け寄る。二人は快の腹部のあたりのシャツが真っ赤に染まっているのを見て悔しげな顔をした。
『チッ……襲撃か、どれ』
そして快の服をめくったクローヴィスは驚きに目を丸くする。隣にいたエレシュも同様に驚いた様子だ。なぜなら傷はすでになくなっているのだから。
『ええ、襲撃です。……ニンガルかもしれませんが』
すでに驚いた顔だった二人はさらにその顔に驚きを深く刻み込む。
『どういうことだ、ニンガル!』
興奮するクローヴィス。実際後ろの四人よりも前を歩いていたニンガルはその黒い服の効果もあり、なんとなくしか視界に捉えることができていなかった。そんなニンガルなら、と疑念が生まれても何ら不思議ではない。
否、不思議だ。特にクローヴィス、彼は十年以上ニンガルの面倒を見ているのだ。しかしクローヴィスはこのように取り乱している。果たして何故だろうか。
『敵襲ですね、私ではありません。快君に聞いてみてはどうでしょう』
しかし、そんなクローヴィスに対してニンガルは至極落ち着いている。
快もこれをニンガルがやったとは思っていない。明らかに敵襲だ。それはうまく説明できないが動きにニンガルのような優雅さがなかったような気がするのだ。おそらくそれは敵の殺人欲とでもいうべきものだろうか。それが感じられたのだ。
あの気が動転した一瞬でのその判断は確実なのかと聞かれたら、おそらく一瞬口籠ってしまう。しかしこの一週間、毎日練習させてもらった経験は大きい。そもそも戦いは常に感覚的なものだ。
『そうですね、あれはニンガルではなかったと思います。……しかしニンガルと同じ武器で同じ転移魔法を使っていました。厄介そうですね……』
幾許かの静寂ののちクローヴィスが出した結論。それは、
『そうか、なるほど。……ならばそいつが今回相手するウル・ディーメアだろうな』
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クローヴィスは快とニンガルの証言を参考に、今の敵襲をウル・ディーメアによるものだと言った。ウル・ディーメア。現在この国の政治を牛耳る、真神教過激派であるディーメア派の最上位。
しかしその正体はエンキがプレートの守護のために作り出したという特殊な精霊、らしい。
『私が過去に戦った二人のウル・ディーメアも不可思議な能力で我々を翻弄してきた。おそらく今の襲撃もその能力を利用したのだろう。作戦を練る。快、詳細を』
クローヴィスはスイッチが入れ替わったように話題を変更し、快に質問する。
『わ、分かりました。えと、僕は最近ニンガルと戦闘練習していたのですが、その時にニンガルの黒針と転移魔法に若干見慣れていたんですけど。で、その見慣れた黒針がいきなり脇腹に刺さって、ニンガルと同じような背格好の何かがそこに転移してきて襲われたところを魔法陣で退散させたってところです』
先ほどまでは襲撃にも関わらず冷静さを比較的失っていなかった快だが、ここに来て動揺で頭が空回りするようになってきた。
『誰か襲撃を察知できたやつはいるか』
『私でも突然後ろに気配を感じたのみです。おそらく視界外から転移したのでしょう。ちょうど私がするように……』
『そうだな……』
一行は皆すでに薄々感づいている。そもそもこの五人は全員頭脳明晰だ。皆、襲撃後すぐに気付いただろう。このウル・ディーメアの能力は変化だと。
『ボクはかなり厄介に感じるんだけど』
一行は進攻ペース一気に緩め、周囲に気を張り巡らせながら思うことをポツリポツリと流していく。地面はすっかり平らになっている。
『そうですね、ニンガルさんの能力だけしか真似られないとは到底思えませんし』
『でもこっちの方が数で勝ってるじゃないか』
エレシュ、イアンナの不安を快が人数を挙げて払拭しようとする。何にしても不安がり過ぎるのは悪い結果を招く。
『私とあれでは転移魔法の経験の数が違います。そこまで悲観することはありませんよ』
ニンガルもそう言い、全体的に楽観的になっていく一行。しかしその慢心とも言える感情は明らかな死への近道だ。当然クローヴィスはそれを止める。
『待ちなさい! 相手の実力も知らずにそう語るのは愚の骨頂だ。なぜ今自分たちが見たものが全てだと考えるのだ、馬鹿者が!』
しかしそのトーンは想像を上回るもので、快はビクッとしてしまう。クローヴィスも父親として思うところがあるのだろう。それきりは相手の能力がまだ十分に分からないということでお互いに自分の能力の弱点を伝えることにした。勝利に直結すると信じて。
『私は火魔法しか扱えない。イアンナが水や土の魔法で打ち消してくれれば十分だ。それからニンガルの転移魔法で直接攻撃を仕掛けてもいい』
クローヴィスの弱点、というより対処法は至極単純。打ち消しと無視。火魔法の対策として王道だろう。
『私は、そうですね。大抵の魔法は扱えるとは思いますので……その、大変かもしれません。しかしさすがに転移魔法で背後に回り込まれたりでもしたらとっさの対応はできないのではないかと……』
しかしクローヴィスに対してイアンナはさすがだ。基本の四属性全てを扱えるとなると本人でも弱点が思い浮かばない。だがそれにも勝る転移魔法。それを扱うことのできるニンガルの重要性がよく分かる。
『ボクは大したことはできない。それに治癒魔法も扱えるからね、ボクの能力はボクが潰すよ』
サポーターとなるエレシュの能力による影響はサポーターであるニンガルが打ち消す。当然といえば当然か。
『僕は、えと、うーん。この中で一番弱いからね、大丈夫だと思う……あ、傷の治りが早い……?』
数値化した時の戦闘力がこの中で最弱であることを自覚している快は特に言うことを思いつかない。しかし最後に付け足したように神子の能力を告げると、皆は若干戸惑ったがすぐに話題に戻った。そしてニンガル。
『私の弱点は連携に嵌められるとボロが出てくることと、それからウル・ディーメアは転移の経験不足で判断を誤るかもしれませんね』
やはりニンガルの転移魔法が最も厄介だ。具体的な対策は思いついていないも同然なその発言にイアンナが驚いたような呆れたような声を出す、もとい思念を送る。
『何かありませんの? 今まで負けたことくらいあるでしょうに』
『…………』
黙り込むニンガル。イアンナは眉を潜める。
『……あー、彼女の必要のない戦闘は私が禁じていてね。彼女は今までの人生で二回のプレート回収の際にしか本気の戦闘はしていないんだ。快君との修行で彼女が本気を出したなら話は若干変わってしまうが』
クローヴィスが気まずげにそう言うのだが、しかしそれでは快の中で大きな不自然が生まれる。
『えっ⁉︎ でも戦闘の理論みたいなのも知ってそうだったけど?』
そう、彼がここ一週間で戦闘中の立ち回りを教わったのは他でもないニンガルだ。彼女の言葉はいつも分かりやすく、むしろ数多くの経験の中から生み出されたものだと思っていた。
『それは、その、夢の中で知ったと言いますかなんと言いますか……』
夢の中。この世界では夢が出しゃばりすぎている。魔法のある世界ならば仕方のないことなのかもしれないが。
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とりあえずの情報交換を終えた一行は、落ちたペースを元に戻すために『詳しいことはもう少し接触してから』として再び外に注意を向け進み始めた。
しばらく前から下りの傾斜も落ち着き、地面のぼこぼこもかなり小さくなっていた。
すると、一行はドーム状の広い空間にたどり着いた。一行はその空間の壁の前まで来るとそこが行き止まりであると悟り、そしてクローヴィスが明かりを一気に強くしたのだ。
壁と天井が一体化したドームの周りは、人魚との戦闘が起きた場所とは違い滑らかで美しい岩肌を余すところなく見せていた。
『ここにプレートが?』
しかし行き止まりのそこにもプレートは存在せず、何度見回し直しても同じ景色がぐるぐると回るだけ。
『おかしいな。ニンガル、探せ』
ニンガルはクローヴィスの命令を受けた瞬間高速でドームの中を駆け回る。それは敵からの突然の攻撃の対処なのかクローヴィスから離れる時間を短くするためなのか。おそらくどちらもであろう。
ドームの中央に存在する太陽のような火の玉に照らされ、影のようなニンガルとニンガルの影が交わったり離れたりを繰り返す。
数秒か経ったろうか、ニンガルはクローヴィスの下に戻る。
『こちらへ』
ニンガルに連れられ行った先、先ほど一行が入ってきたところの隣に、人一人分の通路が存在していた。
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