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「バー⁉︎ 僕未成年なんですけど……」
東京の中心にあるような会員制高級バーさながらの、深い焦げ茶色で精巧な彫り細工が施された重厚な木製の扉。その前で立ち止まった全身黒ずくめの男に、快はそう呼びかける。
「なんだ、 十八歳ではないのか?」
それに対してその聞かれた男は、異質な、全身に響くような声で答える。快は先ほどからその声になぜか違和感を感じているのだが。
「いや、十七です。というか、ここでは十八からお酒飲めるんですか?」
「いや、そうか。お前は迷子だと言っていたな。なら説明してやろうか。ここでは十六から酒が飲める。シガーは二十三からだがな」
酒タバコに年齢制限がかけられているだけ、ここの社会は発達していると見るべきか。
「でもバーっていうのは、大人の場所だから僕みたいなガキが行っていいところじゃーー」
「俺は十八だ。それから、エンリルが頭の悪いガキなんか神子にするはずないだろうが」
「……なっ!」
エンリル、そして神子というワードが突然出てきたことに対する驚きに顔を強張らせる快を尻目に、その十八の黒ずくめの男は目の前にある扉をわずかに開いた。
もっとも、仮面で顔を隠した男が自分のことを尻目に見たことなど快には分からなかったが。
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バー、NinQluraの中は快が知っているバーそのものだった。
そもそも未成年である快がなぜバーの内装について言及するかについて謎がある。しかし答えは単純で、単に某近未来バーテンダーのゲームに影響されただけのことだ。
だがその影響のされようはやや異常で、カクテルの名前と画像と大体の材料は記憶している。体育祭や文化祭の準備を面倒臭がってスマホでひたすら調べまくったのだ。
ともかく、四人がけのテーブルがふたつとカウンター席が八席拵えられた内装は、元の世界においてバーがその存在意義としていた、『現実からの逃避』を見事に再現していた。
「……いらっしゃいませ」
そしてカウンターの奥に控えるバーマスターと思しき男性は、想像以上に年齢を重ねた男性だった。七十ほどだろうか。真っ白に染まった髪を後ろへ固め、いわゆるオールバックだが、何を考えているのかわからない無表情で、二人を見やった。
「……ああ、しばらく前に話した捜し人だ。こういった場所は初めてらしいからよろしく頼む」
それに対して黒男はクールに返す。それに対してマスターは最奥の席を手で指す。
ーーーーやっぱりバーはこういうところなんだよ。最近打ち解けるためにシリアス長田やってないしなぁ。
そんなことを考える快に背中を向けている黒ずくめの男は、そのまま他に客のいないその店内を歩き、最奥の席に座った。快はそれに思い出したようについていき、隣に着席した。
「……アレキサンダー二杯」
「えっ! アレキサンダァ⁉︎」
残念ながら快はアレキサンダーというカクテルを知っている。割とアルコール度数が高いカクテルとして。
そもそも快はカクテルを知っていると言っても当然飲んだことはなく、彼の飲酒歴は毎年祖父に飲まされる日本酒と、親戚で集まった時に出てきた梅酒だけだ。
日本酒は、大体の人間がそうである通り、若い快にはその美味しさを理解することはできない。ただただ苦い液体を飲まされたという感じ。
対して梅酒は店員によるとアルコール度数が高めだったらしいが、そのお店の価格設定も高めだったのでかなり美味しかった。
しかしその二種類だけだ。
初めてのカクテルがアレキサンダーなのは、むしろその材料の一つである生クリームにガキだと言われているような気がして、快は不安と不満の正反対の感情に挟まれていた。
アルコール度数が高いが味としては比較的快でも飲みやすいアレキサンダーは果たして吉と出るか凶と出るか。しかしそんなことより。
「あ、あの、仮面をつけているのにどうやって飲むんですか?」
そう、直近の疑問。それは、隣の男がどうやって酒を飲むかだ。そもそも状況についていけていない快はそれ以外にも山のように疑問があるのだが。
「ああ、問題ない」
しかし快が勇気を振り絞って聞いたその質問はその一言で済ませられた。男は懐から手のひらサイズの円状の金属を取り出した。
銀色に輝くそれは、四つの円の穴と時計の針のようなものがあった。男はその中心から伸びる針を回して反対側の穴に合わせた。
すると一瞬、文字通りひと瞬きの間に彼の姿は変わっていた。仮面は鼻より上だけのものになり、高く美しい鼻先と固く結ばれた薄い唇がのぞく顔。
そして彼の体を包むのは、先ほどまでのようなシルエットを隠すようなものではなく、スーツのようなものだった。もっとも、下のシャツまで黒いので闇金の関係者のような見た目だったが。
「……す、すごいですね」
快は目の前の光景に対する驚きのあまり口を半開きにしたまま唖然としている。
「プリセッターも知らないのか。本当に物知らずだな。ならばあれか、四次元チューブも知らないか?」
「いえ、それは知ってます」
隣の男は快の返答が、しかもやや食い気味だったそれが気に入らなかったのか、よく見えるようになった口で舌打ちをした。
「あっ、いやでも、プリセッターは知りませんでしたし他にも何か知らないかもしれません!」
「…………」
しかしその男は何も返さない。
何よりもきつく快を責める静寂の中、アレキサンダーが運ばれてきた。鈍い白色のそのカクテルが腹を立てているように見えたのは、元の世界でアレキサンダーが食後に運ばれるものだからだろうか。
一口目をつけかねていると、隣の男に促された。
人生初のカクテル。恐る恐る口を近づけ、舐めるように飲む。その味は。
酒だった。
たしかに美味しいと感じる要素はある。しかしやはり不慣れなため、舌がその味や香りなどに反応しきれていない。慣れたら美味しいでしょう、といった感じ。
二人が一口目を終え、しばらく二人は黙りこくった。そうして雰囲気ができてから隣の男が口を開いた。
「……さて、始めるか。話をしよう、我が同朋よ」
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「同朋……」
快はその言葉に眼光を鋭くする。
「ああ、同朋だ。お前と俺、そしてまだ見ぬもう一人の神子。俺らは悪神エンキが歪めた歴史と政治を匡正するための存在だ」
同朋、匡正。
耳当たりの良い言葉が聞こえてくる。しかしそれは、エンリルと精神世界で対話してから常に彼の頭の中を回っている事柄だ。
「……………………」
結局正しいかどうかの判断は先延ばしにするということで置いておいたのだが。目の前の男はすでにエンリルの側に完全に入っているという。同じ神子の身として。
「……となると、最近にプレートを二枚取ったというのもあなたですか」
「……フン、そうだ。だが残っている十一枚を回収するにはもう一人の神子の力が必要だとエンリル神は言った。結局こうして出会えたのだから二人でことを進めれば順調そのものだがな」
バーのマスターは道具を慣れた手つきで拭いている。
「誰が協力すると言った」
唐突に放たれた言葉。それは快のものだ。驚いた黒ずくめの男はわずかに鼻の穴を広げる。
「と言うのは?」
「俺はあの神を信じていない。そもそも俺をこの土地に送り込んだのもあの神だ。俺は何も貸しなんか作っちゃいない。俺は俺だけを信じて生きる人間だ。ずっと前から」
隣の男は口の端をわずかに歪めた。
「貸しがないとは本当か? お前は神子だ。何かしらの力を与えられただろう。そしてそれを使わなかったか?」
そうか。それならある。自動治癒だ。治癒魔法を使える者が少ないこの世界において、自動治癒は非常に価値が高い。実際これがなければコールを殺すことはできず、快とニンガルの身がどうなっていたかは分からない。
それに、快は気付いていないがあれほど高性能の陽魔法の魔法陣を使いこなすことができるのも、自動治癒による筋肉の疲労やダメージ回復によるところが大きい。
「……力か、それなら確かにもらった」
「そうだろう。ならばプレートの回収に協力するのも筋ではないか?」
「…………」
快は考える。思考が加速するほど鋭くなる眼光は、目の前の液体を発火させるほどの圧力だった。そうして出した答えは。
「なるほど、確かに。お前に協力してやろう」
快はいつのまにか変わっていたその言葉遣いと同じように、今までとどこか違う様子でそう言った。
「ならばまず名乗り合う必要があるな」
言葉遣いが変わった快ともう一人の黒髪の話し方は非常によく似ており、また声質も、快は異質だと思ったそれも似ておりマスターは一瞬顔を上げてどちらがそう提案したのか確認した。
「そうだな。俺は長田快だ」
「俺は、ルーツェ=ランドールだ」
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「プレートは残り九枚なのか」
「……ああ、そうだ。俺が今身を寄せているエンキ派奪取陣営の奴らがすでに二枚回収している」
二人はあの後、アレキサンダーを飲むのも忘れずに、情報のすり合わせを行なった。
まず、快が知っていてルーツェが知らなかったこと。
貴族であるクローヴィス家がエンキ側の人間としてプレートを二枚手に入れているということ。
快がそのクローヴィス家で世話になっていること。
次に、ルーツェが知っていて快が知らなかったこと。
ウル・ディーメアはその記憶を共有している可能性があること。
プレートが護られている場所は必ずしも遺跡の形は取っていないということ。
ウル・ディーメアはその戦闘方法に違いがあること。
エンリルがルーツェに対して、神子、クローヴィス家、ウル・ディーメアをそれぞれ、エンリル派神子陣営、エンキ派奪取陣営、エンキ派防護陣営と名付けていたということ。
途中でアレキサンダーがなくなってしまい、快は調子に乗ってトロイカを、ルーツェはブラッド・トランスフュージョンを注文した。
その後二人は、心地よい静寂を楽しんだ。
「今回は俺が払ってやる」
ルーツェはそういいながら手元のプリセッターの針を回して元の服装に戻り、チェックを済ませた。
「どうも、じゃあまたいつか、会うことになるだろうな」
「……ああ。そうだな」
二人はすっかり日が高く登った中、お互いにそれ以上踏み込むことはなく別れた。
「……あぁ、これでプレートを集められるよ。でもあいつ、頭悪そうで助かったなぁ」
酒が回りほどよく気持ち良くなっている快は、そうこぼしながら同じく中層にあるケースリットに向けて歩いていた。
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