17.影は優しく
ネズミと鼠の表記の違いは故意です。
逆さまに落ちていく快は成すすべもなく、加速しながら地面に迫る。
ゴウゴウと耳元で空気が鳴り、頭の中では別の音が鳴り響いていた。明らかな死の予感。そして成すすべのない無力感。命を無駄にするかもしれないという寂寥感。
脳が、自分の位置が二階相当の高さになったと認識した時、すでにその体は地面の高さにあった。
ところで、落ち行く快の体に途中から影が纏まり出したことに、快は気付く由もなかった。
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少年が目を覚ました。快が目を覚ました。
始めて目に入ったものは天井だった。一度だけ見たことのある天井。しかし今はいつこれを見たか思い出すことができない。
次に目に入ったのはこれまた一度だけ見たことのある顔だった。
「一体何を考えていらっしゃるのですか?」
「姉さん……」
快の作戦はうまくいったようだった。異世界の女性を居もしない姉と勘違いするという訳の分からない失敗はしたが。
「いや、会いたくて……」
ニンガルの咎めるような口調に十分な返答ができなかった。
「それは存じ上げてます。他に方法ならあったでしょうに。そもそも、私の任務の中にオサダ君の見守りが入っているのですからお願いの一つでもしたいただければすぐにお話を伺ったのに」
快にとってニンガルの発言は後出しジャンケンだった。今更遅い。そう思うのが当然だった。
しかしなぜかこの時の快はただひたすら安心感に浸るのだった。なぜか他の三人に対するのと同じような、攻撃的な意識は芽生えなかった。
やっと会えた。そのことに感動することができた。そもそも始めて顔を合わせた時は気が動転しており脳みそなんか働いていないようなものだった。その後望んで再会を果たすと、前回見ることのできなかった細部に目が行った。
黒髪は光の当たり具合によって濃紺にも見え、顔にかかるものはバードケージベールとブライダル関係の仕事を持つ父が言っていたものだった。顔、スタイルどちらもシュッとしており、眼光はその人の優秀さを物語るが如く鋭かった。そしてその服装は職業柄に似合わず漆黒のドレスで、その形状は職業柄に合わせて動きやすそうなものだった。このような格好をしている原因はこの間教えてもらった気がする。
三タイプ目の美人だった。
「お願いって…… 無理そうだって、見てたらわかりましたよね? まあいいですよ、こうして結果的には顔を合わせることができたので。そんなことより、ニンガルさんってやっぱり陽魔法の使い手ですか?」
結果から見て自明ではあったが仲間の情報を知らずして異世界で生きていけるとは思えない。そもそも今の快の仲間はニンガルしかいないのだから。
「ええ、もともとは二重だったのですが十年ほど前に仮死状態に入ることがありまして、それから陽魔法と転移魔法が使えるようになりました」
「運命に逆らっただと⁉︎ しかも転移魔法だと⁉︎」
明らかに快の常識と絶望を覆す発言だった。
「そんな私の話よりも鼠のことですよね?」
ニンガルがあまり興味のない様子だったのでさっさと本題に入った。
「ああ、はい。ごめんなさい、一人で盛り上がりすぎて。そうです、鼠です。他の三人があまり気にしていないんですけどやっぱり心配で。何か知ってますか?」
「それが私もまだよくわからないんですよ。私は今までのところ、七、八匹捕らえたのですがどれも捕まると何をしても動きを止めてしまい、かと言って殺すと光になって消えてしまうので」
ニンガルの処理した鼠たちも快の知る鼠と同様に不思議なものだった。
「僕はこの世界のこと、まだよくわかってないんですけど、何か人為的なものを感じるんですよ。大学が今危険な状態だって思います?」
ニンガルの返答によって今後の快の動き方は大きく変わってくるがーーーー
「もちろんです。実は私もクローヴィス様にこの件に関して相手にされず困っておりました。こんなにも普通ではない状況は初めてです。いくらネズミだからと言っても、この状況は早急に抜け出すべきです」
ーーーーいくらネズミだからといってって、ネズミは病原菌運ぶしナメたらあかんでしょ。いや待て!
「もしかして、この世界ではネズミって弱者の象徴……?」
ニンガルの首肯が返ってきた。
やはりそうだ、今まで読んできた童話でやたらと弱者にネズミが採用されていた。
となると鼠を使う人物がいるとしたら、相当頭が回る。
「そしたら人々にあまり意識されずに歩き回ることができる、か。やっぱり人為なんじゃ⁉︎」
「ええ、となると目的は大学一棟の偵察か、何かを探しているかのどちらかでしょう。一棟は貴重な資料も多いことですし泥棒でしょうか。それとも…………」
ニンガルが言い淀んだ。
ところで快は異世界人だ。ラノベもそこまで多くはないがいくらか読んでいた。そんな彼が導き出した答えはーーーー
「いや、ディーメアでしょう。エレシュから聞きました。クローヴィスさんが歴史に関する大発見をしたと。そんな歴史を根本から覆すような発見、国最大の宗教が見逃すはずがないじゃないですか。宗教は権威によって成り立っているのですからそれを覆しかねないものは早めに消しておくのが得策ですよ」
よくあるストーリー展開だった。
それにディーメアの〔柱〕とか言う代表的なやつらは特別らしい。何が特別なのかは知らないが、この世界に住む四人も理解できない能力があるならばおそらくディーメアだろう。
「やはりそうなりますか。私も今はそう考えているんです。となるといよいよ大問題ですね。でも鼠がどこから来ているかなんてわかりませんよ。見つけた鼠にマーキングしたところで刺激を与えられた鼠はその場から動きませんから」
手詰まりか。二人がそう考えたとき、快は閃いた。
「転移魔法! ニンガルさん転移魔法使えるんですよね⁉︎ 転移魔法は術者と対象の行ったことのある場所から転移先を選ぶんですよね? そこで対象を鼠とニンガルさんにしたら逆探知して行けるんじゃないですか⁉︎」
エレシュを信用していない今、エレシュからもらった知識が役に立つとは実に不愉快だったが知識は全員に平等にある、と考えてなんとか凌いだ。
「っ! それですね! 耳に挟んでいた通り優秀な方でいらっしゃる!」
鼠問題はこれにて解決が確定した。
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三日後。大学に鼠が現れた。快はニンガルの名を呼んだが反応が無かったので何の躊躇もなく握りつぶした。
翌日。大学に鼠が現れた。快はニンガルの名を呼んだが反応が無かったので何の躊躇もなく握りつぶした。
翌日。大学に鼠が現れた。快はニンガルの名を呼んだが反応が無かったので何の躊躇もなく握りつぶした。
翌日。大学に鼠が現れた。快はニンガルの名を呼んだが反応が無かったので何の躊躇もなく握りつぶした。
翌日。
翌日。
翌日。
嫌な予感。
ところで、ニンガルは檻の中に閉じ込められていた。
「オサダ君の推測は残念ながら外れ、ですか」
物事はそう上手くいかないらしい。




