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異世界と神とDNA  作者: 夏井 悠
第1章 伝わらない異世界
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12.どうわのせかい




当然ながら、次の日からは昨日のように〔普通〕の日常が始まった。


健康的な早起きをし、朝風呂に入り、四人で朝食を食べ、図書館に向かう。昨日一日を落ち着いて過ごしただけで、もはやこれが普通になっている。おそるべし、人間の適応能力。


快は胸ポケットに万年筆を入れ左手に綺麗な紙束を持ちながら、右手にある〔最重要!一般動詞一覧と活用表!〕を眺めながら中庭を歩いていた。


「流石に活用は自分でも頑張らないと完璧には無理かぁ」


昨晩、自室で作り上げた一覧表の出来には相当な自信があった。


言葉は不満げながらも、声にはどこか本当に自分の力で勉強している事に悦びを感じている感があった。


大図書館に着くと、今日はエレシュの方が先に座っていた。


「おはようございます。今日は童話を使って授業をするのですよね?」


ぎこちないが文法的な間違いは一切なかった。エレシュはそんな快に内心驚きながらも、


「そうだよ。我ながらいい授業ができそうだ」


『どんないい授業ができるんだ?』


『我ながら、いい授業を、だよ。定型表現だから覚えておきな』


質問した時点でエレシュによる軽い講義が入ることを予期した快は、すでに用意していた万年筆と紙でキチンとメモを取った。


その後、朝食の間のイアンナ、エレシュ、クローヴィスの会話をどれだけ聞き取れていたかのチェックを軽くされ、すぐに二日目の授業に入った。




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『昨日も言った通り、これからしばらくは一日一本童話を読んでいくよ。朝はここからここだね』


エレシュが小学生用の軽い小説ほどの厚さの本を取り出し、全体の五分の一くらいのページに折り目をつけた。文字もちゃんと大きかった。


その後の一時間は、ひたすらキーワードと重要表現についてだった。こうしてみると、意外と昨日の内容だけでは読み解けないことがわかった。そうなると快もやる気になった。


『この中でも特に実用性が高いのってどれ?』


『うーん、ボクが一番使うのはこれかな。ボクの話し方という意味なら言い換えで迂遠な表現にする事だけど慣れない人を不快にしてしまうからね。オススメはしないよ』


快はエレシュが指差した表現も迂遠な表現になると思ったが、自分も迂遠な表現をするとフォローを入れておいた。


『よし、じゃあとりあえずはおしまいだから、今やったところを訳しておいてね。昼前の授業で確認するから』


「わかりました先生。ありがとうございました」


「うんうん。じゃあまた」


もはや恒例になりつつあるが、授業終わりの最後の会話はウル語で行い快が自室に戻ろうとすると、


『ここでやってもいいんじゃないかな?』


『いや、歩いて集中力を回復したいし、自室の方が安心するんだよ』


快が中学生の頃からの勉強への強いこだわりを五分程度語ったのち、本当に別れた。




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むかしむかし、あるところにせみがたくさんいるむらがありました。にんげんたちはこれがうるさかったのでだいきらいでした。


なつになるといえのちかくでけむりをたいて、せみをよけていました。


しかし、ひとりのおじいさんはせみたちのこえをげんきだといって、なつになるとひとりでもりへでて、ききにいっていました。


おじいさんは、まいとしまいとし、だれになにをいわれようときにしないで、せみのこえをすきだといって、きいていました。




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「ふぅっと、こんなもんか?」


与えられた部分の和訳を終え、快は一息つく。


文法をある程度覚え、重要なところは教わったとはいえやはり和訳は骨が折れる。二時間の休み時間の半分を費やし、意訳まで含めた渾身の訳に満足していた。


例えば『けむりをたく』は、もともと『けむりをだす』だった。やはり文化の違いだろうか。現代文の文章で言語が違えば感性も違うというものがあった。快は逆じゃないかといつも思っているが。


これだけ重い宿題をやった後に自習をする気には流石にならなかったので、気休めに最後のページに目を通してみた。


この前に見た本と同様に、文字がビッシリと書き込まれていた。


ある程度読めるかもしれないと思い目を通したが、想像以上に読めなかった。確かに英語の論文を中学生が読めるかと言われたら無理だ。少しエレシュの意表をついたからといって調子に乗ってしまった。


「まあ、このペースならこのくらいも一ヶ月すれば読めるんじゃないか? おそるべし!チート万年筆とテレパシー美少女!」


最終的にポジティブな方向に持って行って、ベッドに倒れこんで休憩した。スラスラ覚えていけるから脳に負担はかかっていない、なんてことはなく、残りの休み時間は全て昼寝に使ってしまった。


もし机の上の像のダイヤルが回され、ズレた棚の奥に黒い影が入っていった。なんてことが起きても気付くことができないほど熟睡していた。




実際、気付かなかった。




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昼前の授業が始まる五分前、少年が一人ベッドから起き上がった。


「あー、意外と寝ちゃったなー」


と言いつつ、二度寝できるかどうか確認するべく置き時計の針を見ると、


「ん? 宿題が終わってから二分しか経ってないな? いやそんなはずは……」


言ってから短針の位置の違いに気づいた快が大図書館についたのは、およそ三分後のことだった。


『どうしたんだ? 二日目から遅刻だなんて君は真面目なのか不真面目なのか、はっきりしてくれよ』


予想通り、エレシュがむすっとした顔で痛いところをついてきた。


『人間っていう生き物はさ、誰しもが矛盾を抱えて生きていると、そう思うんだよね』


哲学的なことを言ってなんとか誤魔化そうとしたが、なんともいえない表情を向けられただけだった。正直何も言ってもらえないのはキツイ。


ーーーー罵倒してくれ!って、あれ? 俺M?


そんなことから始まった二時間目。一時間目の宿題の確認をした。


『さすがだね。程よく意訳も入っているから自然に読める。今回は問題ないね』


一気にべた褒めモードに入り少し違和感があったが、その後の授業も一時間目と同じように進んだ。そして、同じように終わった。


その後、昼食でもリスニングとしてハブられ、宿題をした。




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あるなつ、おじいさんはあることにきがついた。


せみのいのちはいっしゅうかんしかないことにきがついた。


なつやあきのはじめに、しんちょうにじめんをみながらあるいているといままできづかなかったことがおかしいとおもえるくらいに、たくさんのしがいがおちていた。


はじめはたまってしまったのだとおもいそうじした。しかしそうじしてもそうじしても、まいあさそとをみると、おおくのしがいがころがっていた。


おじいさんはこのことをとてもかなしくおもい、じぶんのちからでげんきなせみたちのげんきなきかんをながくしてあげたいとおもった。おじいさんはエンリルさまのおちからをかりようと、シンのまちにむかった。ひとりですこしずつすこしずつすすんでいった。




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おじいさんはエンリルさまのせきぞうのところについた。


おじいさんは、このくにをまもるかみがみのリーダーであるエンリルさまなら、せみのうんめいをかえることができるとおもった。


おじいさんはふゆのあいだずっといのりつづけた。


するとあるよる、おじいさんはあきらかにいつもとちがうゆめをみた。


ゆめは、くらいいせきのようなもののなかだった。そこでおじいさんはじぶんよりすこしだけわかいおとこのひとにであった。


そのひとは、じぶんがエンリルだといった。




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おじいさんはすぐにはそのことをしんじることができなかった。しかし、そのおとこのひとが、おじいさんのいのりにこたえてでてきたというと、おじいさんもすぐにしんじた。


おじいさんはすぐにかわいそうなせみたちのことをつたえた。


すると、エンリルさまはおこってしまわれた。わたしがつくったものにもんくがあるのか、と。わたしのおもううつくしさにくちをだすのか、と。


おじいさんはとたんにこわくなってしまった。


しかし、おじいさんもすぐにあきらめるほど、よわくなかった。


エンリルさまにうつくしさについてきいた。


しかしそのこたえはとてもこわいものだった。おじいさんはまったくなにもりかいできなかった。さいごには、エンリルさまはせみもようちゅうのじきはながいとおおしえになった。


おじいさんはとうとうあきらめ、ゆめもそこでおわってしまった。




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『エンリルって、童話じゃこんな扱いなのに崇拝されているのか?』


『ああ、最後の部分の確認が終わったら解説するよ』


五時間目のはじめ、四時間目の宿題の確認が終わったとき、快は物語が途中で大きく折れ曲がったことに困惑していた。


ーーーーまあ、無言で俺の身体に何かしたあいつも、もしかしたらそのエンリルなのかもしれないしな。そう思うと別に不思議でもなんともないか。


「じゃあ始めようか。最後は解説しながら訳して、物語の結末をともに見届けようじゃないか」


「はーい」


エレシュの臭いセリフを無意識のうちにスルーしてしまった快は、エレシュが寂しそうな顔をしたことに気付くこともなく本と紙を広げた。




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おじいさんはいえにかえり、つぎのなつにはせみがしんでしまわないようにじっけんをはじめた。


じっけんはせいこうした。おじいさんは、せみのようちゅうにくすりをあたえて、じゅみょうをのばすことができるようになった。


おじいさんはこれをむらのせみのようちゅうにあたえた。なかまはずれがでないように、すべてのようちゅうにあたえた。これでおじいさんはまんぞくになつをすごせるはずだった。


しかしつぎのなつにはせみがなかなかった。おじいさんはおかしいとおもいもりにでると、せみたちはさなぎのすがたのまましんでいた。せいちゅうになることができなかったのだった。おじいさんはないた。ひとばんじゅうないた。


そのつぎのよる、こんどはおじいさんもねむった(死んだ?)。するとゆめにはエンリルさまがでてきなさった。


エンリルさまはおじいさんにおっしゃった。わたしがただしいのだ、と。きみにとってせみのいのちはみじかいが、せみはそうおもっていない。わたしはしなないが、きみはじぶんのかぎりあるいのちをみじかくてざんねんなものだとおもうか、と。




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『え? どういうこと?』


ぶっちゃけ快は意味がわからなかった。勉強のしすぎで思考力が落ちているのかと疑った。


『まあ、これは難しいね。これが伝えたかったことは、簡単に言うとエンリルの絶対性なんだよ。老人は短命な蝉を哀れんでエンリルにどうにかできないかと頼んだ。しかしエンリルはその短命ささえ蝉の特徴で、短命が故に成せる美があると、そう思っていたんだよ。まあ、あのやかましい声のことだけどね。そして、その蝉のアイデンティティを奪おうとした老人に対して、自然と蝉は蝉の死をもって対抗したと、そう言うこと。分かる?』


『エンリルが作った世界みたいなもんだから、エンリルが絶対に正しいし、自分の考えで勝手にそれを変えようとするともっと悲しいことが起こる、みたいな?』


『そうそう! その通りだよ。エンリル様に逆らうべからず、ってね』


エレシュが少し嫌味っぽく言ったが、快もエレシュがそういう言い方をするのを全く咎めなかった。


ーーーーエンリルにエンキに、ここの神はクソ野郎ばっかしなのかよ


そして、今の自分のように誰かをを恨むべく生まれたモノがヒトだなんて、卑屈に哲学チックなことを考えながら、二人は一緒に一棟へ帰っていった。




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