第5話
確かに私は“異世界”“魔法”という単語に、少々夢を見ていたのかもしれない。元の世界では全ての現象が科学で実証され、化学反応式というものが自然界を構築していた。「魔法」というワードはそれには当てはまらない、科学を超えたファンタジーというものを感じさせるには十分である。
だから、教会府から「魔法を使いこなせるよう訓練をする」と聞いたときには、少なからず万能感すら感じていたのだ。こう、自由自在に現象を出現させたり感知したりする、的なね。
ではここで実際の魔術式をお教えいただいた感想を率直に申し上げましょう。あくまで私の主観ですのでご参考程度ではありますが。
――使い勝手が悪すぎるんだよ役立たずが。
失礼、淑女としてあるまじき言動でありましたでしょうか。お耳汚し失礼致しました。その上で大事なことですのでもう一度申し上げます。
どうしてこうも効率悪くできるんだ無能技術者共め。
「通常ですと私共の場合、魔術式を覚え、詠唱をすることによって魔法陣が起動、術を発現させます。魔術式は高度になればなるほど複雑化しますので、一般人は基本的な生活魔法以外習得しないものです。僧侶や騎士など一部の職業に就いている者のみ中等以上の魔術式を学んでいます。ですが、聖女様においてはその限りではございません。高度基礎魔法までに関しては、主への祈りの言葉を捧げていただき、発現させたい術式のイメージを明確にすることによって魔法陣を起動することが可能です。後は術式の発現規模に合わせて魔力放出の調整を行っていただければ魔法が発現します。ですから今回聖女様に覚えていただくのは魔術式の発現イメージのみ、後は主に祈りを捧げる御心さえお持ちであれば、すぐに魔法が行使できますよ。高度応用魔法に関しましては、残念ながら式自体は存在すれど相応の魔力量を持ち合わせた人材が現世にはおりませんでしたので、聖女様にそれぞれの魔術式を覚えていただくことになりますが。しかしご安心下さい、聖女様のお力と主の御心によって、全ての課題は乗り越えられるでしょう」
それは問題だ、私は唯一神なんかに祈るような感性なんて持ち合わせていないから、永遠に魔法なんて使えないに違いない。あくまでこの司祭の説明通りに解釈すればだが。
案の定マリアは不安そうな顔をしている。ああそうそう、昨日の魔力制御訓練を経て、無事マリアも魔圧の制御ができるようになった。途中どうしても安定せずマリアも疲労を見せ、私も流石にあのまま放置しておくと自分のスケジュールに影響が及ぶと考えて、多少入れ知恵をしてみたのだ。「全身に魔力が行き渡っているのをイメージしてごらん」こう言っただけでマリアはそのうち魔圧制御を達成して見せた。随分と柔軟な考えが出来るような少女らしい。そもそもあのふざけた説明で魔力制御が出来るようになっていたら、確実なmadだろう。そういう意味では、マリアがmadの仲間入りをしていなかったことに少々安心した気持ちもある。
そういうわけで現在2人で仲良く魔術式の基礎講習を受けているわけだが、延々と司祭が詠唱して発現させた魔法を見せられ、イメージを覚えていけというのだ。しかも私たちにいずれ必要とされる高度応用魔法とやらになると、術式自体はあるものの行使できる魔力量をもった人材がいないから、自分で一から魔術式を覚えなければいけない。つまり、理論はあるが実証できていないものをとりあえず覚えてやって見せてくれというのである。何という無茶振り!それって机上の空論というのではないですか?そういう指摘は誰からもなかったのですか?
「ええと、とりあえずポールさんの出した魔法のイメージを覚えていって、神様への祈りを捧げる…祈りの言葉って、どんなことを言えばいいんでしょう?」
マリアは真面目に司祭へ質問している。ポールというのは私たちの講習についている司祭の名前だ。
「主への信仰心が重要ですので、マリア様の思った言葉を仰ればよろしいのですよ」
えっ、自分で考えるんですか?信仰心の欠片もない私はどうしたらいいですか?無言で通していいですか?
「自分の思った言葉…わかりました、やってみます!早速ポールさんの魔法を見せてもらってもいいですか?」
ここはポールとマリアが色々やっている間に自ら打開策を打ち出すしかあるまい。さて、私の理論構築力と直感よ、どうか仕事をしておくれ。
私が魔術式についての考察をし始めている中、ポールは何やら詠唱をしていた。
「『我、主の敬虔なる信徒なり。彼の偉大なる御許にてその力を行使せん。第1移送魔術式、発動せよ!』」
そういってポールが手を三角形の形にしてかざすと、黄色く光る魔法陣が現れる。そしてかざした先の椅子がふわりと浮き上がって動き始めた。
「わああ、これが魔法…!」
そう言ってマリアは隣で空中に浮かぶ椅子と光る魔法陣とを興奮したように交互に見つめている。
ポールが椅子を別の場所に着地させ手を下ろすと、魔法陣が消えた。
「今のは第1移送魔術式、所謂物体を移動させるときに使う魔法です。椅子の様な軽いものでしたらこのように第1次式でも動かすことができますが、物質の質量や密度が上がれば上がる程、高次式を使うことになります。私共はどの術式でもまず魔術式から覚えるのですが、聖女様は今のイメージを覚えていただければ主に祈るだけで同様の魔法が使えますよ」
「ええ、すごい!!」
とりあえずマリアが興奮して色々質問したり魔法を見せてもらったりしている間に、私は魔法の効率的な運用方法について考えてみよう。
まず魔法行使についての制約だが、この司祭の説明によるとイメージと信仰心というのが必要だという。それは事実か否か?答えは恐らく半分真実、半分は嘘だ。何故か?それは私が既に初日に魔法を行使し得た事実があるからである。あの時私は元の世界の科学で出来得る事象を想像し、イメージを構築することで魔法を行使した。その際信仰心なんてものはもちろんのこと、唯一神のゆの字も頭に浮かべていない。だから、魔法の行使にはイメージは必要であれ信仰心は特段不要、これが第一の解である。
次に、イメージとはどの程度どのようなものが必要なのか?これは重要な点だ。司祭の話ではいちいち司祭の使う魔法を見ていなくてはいけないとのことだったが、これは真か偽か。答え、偽である。これも初日に自身で証明している。最初の問いの答えと以下同様だ。
ではイメージさえすればどんな事象でも行使することが可能なのだろうか?これに関しては私は否と考える。何故なら、魔法というものが体内魔力の放出によって魔力を世界に干渉させた結果起きる現象だと仮定したとき、その干渉対象である次元空間というのにも限りがあると考察するからだ。
例えばイメージさえすれば、過去や未来に行き来することが可能かを検討してみる。誰しも漠然としたイメージはあるだろう。過去のある時点に戻ってやり直したい、未来の世界を見てみたい。そう思った時、果たして人間はどこまで具体的に想像力を働かせることが出来るのか?過去の一時点に回帰したいと願ったとしよう。あの場所、あの時間、あの場面。記憶力の良い人間であれば、より明確にイメージできるに違いない。そしてその場面に戻った自分を想像し、魔法を行使してみる。その通りの場面に移ることが出来たと仮定しよう。しかしそれは、本当に過去のその場面そのものなのか?簡単に言えば、その人間が移行した場面とは単にその人間が“思い描いた”場面であって、“過去”だとは限らないのではないか、という疑義が付きまとうのである。
何を言いたいかというと、人間の想像力というのは現実世界の化学反応にある程度縛られるということだ。つまり、その事象を正しく起こしたいとき、人間は意識の根底でその事象を引き起こす科学力の根幹を理解している必要があるのである。
だから私は過去にも未来にも移動する魔法は使えない。だが同じ時間の逆行・促進でも、林檎を種に戻したり腐らせたりすることは可能だろう。これは物質自体の時間経過という点で、細胞や分子レベルでの化学反応をある程度理解しているからである。
魔法というものをこう仮定した上で、今次最大の及第、「私に可能な限りの効率的な運用方法」を考察してみる。まず一点目、主への祈りなど形式上のものであり、詠唱は魔法行使に不要である。二点目、魔法行使に際して、イメージするために誰かの魔法を参照しなければならないという制約はなく、自身による想像力の活用にて魔法行使は可能だ。三点目、人間の想像力というのは科学的に多少なりとも実現可能性のある事象に限るものであり、ここから魔法行使にはある程度高次の科学的知識を有していなければならない。
まとめると、私は魔法行使にあたって詠唱は省略すべきであり、かつ現時点での科学的知識を最大限有効活用することによって、効率的な運用が可能となる。これが今ある限りの材料での結論だ。
よし、とりあえずの考察は済んだので実践に…と思ったところで、ポールから遠慮がちな声がかかった。
「あの、是非マーガレット様も魔法を使ってみてはいかがでしょうか」
ああ、私が真面目に考え込んでいるうちに、マリアは何度か魔法を試してみていたらしい。今も光の玉を生み出す魔法を試している…
「『主よ、私にその偉大なるお力をお貸しください!』」
…うわあ、本当に祈りの言葉的なものを口にしている。
別に私は他人の宗教観に干渉する気はさらさら無いのだが、これまで日本人的な無宗教で育ってきたと思われる少女が、大仰な祈りの言葉を捧げている図というのは、なんだか居たたまれないものがある気がする。
そんな私の些細な感情は置いておき、マリアのかざした掌の先には室内の灯り程度の光源が生じている。ふむ、あれが魔法で生み出された光か。
「ポールさん、これも出来ました!マーガレットさんもやってみましょうよ、これすごく楽しい!」
「ああすごいねマリア。そうだね、私もやってみようか」
よし、そしたら試しに量子テレポーテーション――つまり瞬間移動なるものをやってみよう。
実はこれ、ある程度自分なりに魔法運用の仕方を考えていた中で、結構やってみたかったものの一つなのだ。ほら、有名な某米国宇宙映画であるじゃないか、"Beam me up"ってやつ。あれ、ちょっと憧れていたりしたんだよなあ。
量子テレポーテーションの人間版は現実では実現していないし、そもそも送ることが出来るのは実体ではなく情報だという説だけれど…まあそこは、魔力というそれこそ魔法の力でなんとかしてしまおう。なに、そのための異世界だろう?
しかし確か有機物の場合は冷凍状態にした上で量子のもつれの関係にし、更に転送先で再構築する必要があるから、どれだけ魔力量を消費するのか不安な点がある。あまり最初から無茶をしすぎるのは考え物だ。実験はまず基礎から。だから、例えば今立っているところから、この部屋の端まで移動してみることにしよう。
幸いこの部屋は講習用なのか、割と広めな造りをしている。私たちが今立っているのは部屋の中央右寄り、そこから部屋の隅まで20mといったところか。まずは自分を物質化して、量子もつれを発生させ、更にそれを光速で転送して…みたいな要領だったか?
さあ行け!
物質化・量子エンタングルメント・光速転送・再構築、これらをイメージして、体内魔力を放出し空間に干渉させる。
瞬きする間もなく、次の瞬間私は部屋の隅に立っていた。
「あー、こんなものか…」
消費魔力を体内魔力量の偏差で何となく計算しながら呟いていると、不意に部屋の中央あたりから叫び声が聞こえた。
「え?!マーガレットさん今瞬間移動した?!えっていうか無詠唱でできちゃうんですか!」
「マ、マーガレット様?!これはっ?!私がお見せした魔法ではなく…高度応用魔法を一回目から…しかも無詠唱で…!!何という、何という…!」
まあポールが驚くのは無理もない。既存の魔法活用方法に頭が凝り固まっているだろうからな。しかしマリアよ、君は私と同じ世界から来ている聖女なる人間、きっと同じことが出来るはずだぞ。
ともかくもう一度コツを掴むのも兼ねて(決して歩くのが面倒だからとかいう理由ではない)、もう一度2人のところまで瞬間移動をしてみた。
「ああ、私もとりあえず魔法は使えるようだね、良かった」
そう言うと、マリアがずずっと寄ってきた。何やら目を輝かせている。
「あの!どうやったらそれ出来るんですか?!私もイメージしたら出来ますかね?!」
「ああ、出来るんじゃないか?魔力消費量はあるが少々感じる程度だ。試しにやってみると良い」
「じゃあ…!『主よ、私にその偉大なるお力をお貸しください!』」
…ううん、出来ないか。何故だろう?
「で、できませんでした…」
「うーん、魔力量に相違はさしてないだろうし、想像力という点で問題があるわけではないはずだが…マリア、量子テレポーテーションは解るか?」
「え?りょうし?テレポーテーション?」
「そうだ。量子力学に基づいたテレポーテーションだよ、量子をエンタングル状態にさせて情報を転移させるっていう…」
「…」
説明し始めようとしてやめた。マリアが物凄く曖昧な笑みを浮かべ始めたからだ。
この表情は見たことがある。大学生の頃家庭教師をやっていた生徒が、解説をしても分からなかったときに浮かべていたのと同じ笑み。つまり「すみません、言っている意味を頭が理解しようとしません」という表情筋による言外の切実な主張だ。これをやられたら最後、相手が理解しようという気になるまであれやこれやと手法を凝らすか、諦めるしかない。
そして今私が取る選択は、諦めることだ。だって、相手は家庭教師先の生徒じゃないもの。雇用主と労働者ではない、非契約関係。私の労働に対して対価が払われるわけでもない。だとすれば、単純計算して解るまで説明している時間が余りにも勿体ないじゃないか。
だから残念ながらマリアには、テレポーテーションは諦めてもらうことにしよう。
「まあ、別に出来なくても何が困るというものでもないだろうし。マリアはマリアにしか出来ないことがあるよ、きっと」
「…そうでしょうか…」
何だか落ち込み気味のマリアを見て、欲しかった玩具を貰えなかった子供の様に見えてきた。ああもう、こういう時こそ講師がきっちり面倒を見て下さいよ。思わず愚痴をこぼしそうになりながらポールの方をじとりと見る。
するとぽかんと呆けていた司教は、私の強い視線でやっと意識を取り戻したのかはっとしたようにマリアに声をかけた。
「そ、そうです!まずマーガレット様の先程の魔法は、あまりにも規格外というか!聖女様にしても有り得ないようなことなのですよ!ですから、マリア様が聖女様として不足があるとか、そういったことは一切ありませんのでご心配なく!マリア様には『盾の聖女』としての役目もありますから、そういった分野でこれからお力を発揮なされることでしょう」
あり得ないとかさらっと失礼なこと言われた気がしないでもないが、そこは聞かなかったことにしておこう。
兎も角私はこれで晴れて魔法使い初級くらいにはなれたはずだ。魔法運用率の向上も自分で試行錯誤できそうだし、高度応用魔法とやらもいちいち魔術式を覚えるなんてことをしなくてもいいから、非生産的な時間が削減できる見込みが立ったわけだ。
そんな調子で幾つか魔法を試してみたら、マリアがちょっと泣きそうになってポールが茫然自失状態になったのは、余談である。
…ううん、何故こうなった?