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無神論者の聖女紀行  作者: はっぴーせっと
第1幕 無神論者の転職紀行
31/59

第25話



 「有難いお言葉恐縮です。話を続けさせていただきましょう。…では、ロベール攻略における有用性をこれだけ見出しておきながら、何故トイトーネはロベールに侵攻せず様子見を続けているのか?その理由はロベール独自の国民性にあると私は考えております」


 「ロベールの独自性」という点にテニッセン准将が反応した。


 「ほう。ヴィトゲンシュタイン殿はロベールに短期ながらも滞在していましたからね。その独自性というのはここにいる中で一番理解があるかもしれませんね」


 「一番かどうかは分かりかねますが、少なくとも短期間で感じたなりの相違点というのは挙げられます。その中でも、恐らくトイトーネには存在しないものがロベールにはある」


 「ロベールにあって我が国に存在しないものか。して、それは何だね?」


 レーリヒ中将の問いかけに、思わず口の端を歪めながら答えた。


 「唯一神、ですよ」


 葉巻を一口吸って、長く吐き出す。ああ、本当に良い品だ、コクがあって芯がしっかりしている。

 一瞬忌々しい唯一神を思って歪みかけた表情筋を、葉巻の薫りで緩和しつつ言葉を重ねた。


 「トイトーネ帝国大ライヒ党は、無神論を標榜していると耳にしました。一方ロベールは隔離された文化形態を構築している。その中心となるのが唯一神という訳です」


 トイトーネ帝国、少なくとも彼ら自身は自国を「覇権国家」と定義している。その実状が如何なるものかは現時点でまだ把握していないので明言出来ないが、その発言からトイトーネ帝国が覇権主義を標榜していることは間違いないだろう。

 覇権主義を掲げる国家というのは、内政がある程度安定しているか中央政府が強い支配権を有している場合が多い。そして内政において統制が取れている国の宗教的背景というのは、安定した宗教信仰があるか逆に強力な規制が働いているかのいずれかである可能性が高い。

 トゥーマン少尉からの話の限りでは、トイトーネ帝国では無神論を定め、かつ一定の宗教弾圧を徹底していると考えられる。国家が宗教を管理するトイトーネと、宗教が国家結束を堅固にするロベールでは、その在り方が180°異なる。


 「確かにロベールの頑強なまでの唯一神信仰というのは、その閉鎖性とも相まって中々に特殊だと言えますね」


 テニッセン准将が納得したように頷いている。まあそうだろう、ロベールはあの社会閉鎖性を宗教でもって維持しているようなものだから、唯一神信仰の徹底は不可欠なのである。

 

 「ええ、そうです。そしてその閉鎖的な宗教意識が、貴殿らを煩わせる大きな原因となっている」


 「…我々が未開国の宗教に手こずっていると?」


 レーリヒ中将の眉根を寄せた表情も特に気にせず、そのまま話を続けた。


 「確かに総合的な国力を見た場合、トイトーネがロベールを物理的に征服することは赤子の手をひねるように容易いでしょう。ロベールの軍事水準はこの国の技術レベルからしてみれば前時代の遺物です。それこそ未開国を開拓するが如く征服は可能でしょうね」


 「ふむ、ではロベールの唯一神とやらが出る幕は無さそうではないかね?」


 「はい、いいえ。実体のない唯一神など、物理的な影響力を持たないのは自明の理ですが、アレの力が発揮されるのはそこではありません。アレの力というのは、物理的な力の発揮ではなく、人々の心に如何に深く根付いているか、という点にあります。人間というのは面白いもので、如何なる逆境に生きようとも何かを“信じる”という行為によって精神を強く保つことを可能にする生物です。そういう意味でいうとロベールにおける唯一神信仰というのは、民衆の帰属意識を強化する精神剤のようなものということになります。そしてロベールは、信仰を徹底させることでその地盤を強固なものにしている。その団結力をトイトーネは危惧しているのではありませんか?」


 「つまり我がライヒの国力をもってしても、ロベール国民の団結性が脅威足り得ると?」


 再びレーリヒ中将が厳めしい顔をしたまま口を挟んでくる。

 確かにロベールとトイトーネを比較したときの国力差には歴然としたものがある。だからまあ、机上の存在でしかない唯一神ごときが障害になっているという指摘に、思わず不快の念を示したくなる気持ちは理解できる。

 しかしこの反応もまた、私の思考力及び提言力を試すブラフだろう。ここで相手の機嫌を取るために迎合しては、今までの流れが水の泡だ。


 「レーリヒ中将、貴殿の疑問を呈したいお気持ちも十分理解致します。ですが、私はトイトーネの国力を否定しようとしている訳ではありません。寧ろ、その中枢が明晰な頭脳を有しているからこそ、長期的な展望を見据えることが出来ていると確信しております」


 「長期的な展望、というと?」


 「当然ながら、ある地域なり国家なりを支配下に入れるというのは、単純に軍事的侵略を行えば済むというものではありません。支配下に入れるとは即ち、軍事的優勢で以て相手を制圧した後、何らかの形で統治することまで含みます。対ロベールでいった場合、軍隊で蹂躙した後ロベールの現政権を解体、若しくは間接支配することでロベールをトイトーネ帝国に編入させるというのが最終的な目標です。更に編入してからも、属国として存続させるのか、それとも完全な同化政策を取るのか、移民型植民地として扱うのか、幾つもの選択肢があります。ロベール人を人的資源として活用するのか、それとも飽くまでトイトーネ帝国民の新しい土地として領土のみを手中に入れたいのか、最終目的によって取る政策は異なるでしょうが、いずれにせよロベールの民を撲滅するのでない限り、ある程度の懐柔策は打たねばなりません。こういった長期的支配政策を考えたとき、トイトーネがボトルネックになると懸念しているものこそ、ロベールの唯一神信仰なのではありませんか?」


 私の問い掛けに対し、一瞬の沈黙が流れる。まずそれを破ったのはテニッセン准将だった。


 「そうですねえ、では例えば我がライヒが統治政策においてロベールの唯一神信仰がボトルネックだと考えていると仮定した場合、具体的にどのような点が懸念材料になると思いますか?」


 なんだかテニッセン准将の話し方のせいか、大学の教授と問答している気分になる。クラス討論は面白かったなあと少々懐かしい気持ちになりつつ、彼の問いに対する答えを述べた。


 「まず、征服後のゲリラ勢力による抵抗が考えられます。物量や技術力によってロベール政府を降伏させることは簡単でしょうが、問題となるのはいざ新たな統治機構を樹立しようとした際に民間レベルの反乱多発が予想されることでしょうね。ロベールは絶対王政の形態をとっていますが、実情は王権・議会政府と教会府の二大勢力による支配です。特に教会府は唯一神信仰によって、人心把握という点で強固な基盤を築いています。結局国家というのも国民と領土あってのものです。圧倒的軍事力によって首都を制圧したところで、ロベールの民が完全服従しなければ統治に支障がでます。民間の抵抗というのは物量面では微々たるものかもしれませんが、教会府というある程度知能を持った組織が抵抗を主導するとなると戦闘の長期化も考えられます。ましてやゲリラ戦にでも持ち込まれれば泥沼化は避けられないかと」


 「確かに民衆の蜂起というのは植民地化において課題の一つだな。今までライヒが植民地にした領地ではまともな現地の統治機構が存在しなかったから、我が国は今のところ植民地統治で頭を痛めることはないが。他の列強では現地政権の支配が頑強だった故に、随分と手を焼いた部分もあったらしいしな」


 レーリヒ中将が唸る様に相槌を打つ。ふむ、やはり原住民との衝突というのはどこでもある話なのだな。


 「ええそうでしょう。そして信仰というのは民衆の抵抗力を増強させます。まあ謂わば心の拠り所ですね。民とは尊厳なくしても糧があれば生きられるが、逆に糧なくとも尊厳があれば生きることもできる。そういう生物ですから」


 「はは、上手いことを言う」


 このジョークはゲレン上級大将のお気に召したらしい。何よりである。


 「そしてその論理でいくと、唯一神信仰というのはロベール民の尊厳維持に貢献するわけです。ですから、唯一神はトイトーネにとって統治時における害虫の温床に他ならないということです」


 「ああ、虫けら如きに尊厳など持たれても困りものではあるな」


 「ええ、そうですね。全く虫は虫らしく踏み潰されていれば宜しいものを」

 

 ゲレン上級大将とレーリヒ中将がやれやれ、という風に紫煙と共に嘆息する。

 いやしかし、「虫けら」とはなかなか辛辣な表現だ。私が元いた世界で他民族に対して迂闊にそんな発言をしようものなら、非人道的言動だと糾弾されること間違いなし。私は唯一神に対しては怨恨極まりない感情を抱いているが、ロベール国民に対しては無関心というか、まあ良く言えば特に負の感情はないので、善良な一個人としては必要性もないのに反人権的単語を口にするのは少々心苦しい。

 そういうわけで、取り敢えず曖昧に笑みの表情を繕いつつ話を続けることにした。


 「それに加えて、植民地政策の方針によっては理念的な障害になる可能性があります。例えば編入方法として同化政策を取る場合。民族の同化には、言語を筆頭に文化的同化が欠かせません。そして宗教は文化の主要素とも言える部分。偏執なまでの唯一神信仰が蔓延しているロベールにおいて、宗教観を変革するには徹底的な宗教弾圧が必要になってくるでしょう。人間の心に根付く信仰心を根絶するとなると、下手をすれば数十年単位がかかる。少なくともその根を断ち切ることは容易なことではありません。弾圧するにしても強権な現地警察機構の構築が必須ですし、それだけの人員を現トイトーネ国民から教育し配備するというのも相当手間が掛かります。それにあまりに強権的な現地機構を設立してしまうと、現地警察の独立性が高まってしまう可能性も危惧されます」


 「ええ、植民地支配において現地機構の運用は、課題の一つでありますからねえ。特に警察部隊という武装組織が暴走し始めてしまうと手に負えなくなる」


 「そうだな。まあ飽くまで民族の同化政策を選択した場合の話ではあるがね」


 …おいおい、まさか種の断絶なんてことを考えているんじゃないだろうな。南北アメリカ大陸におけるインディオ、オーストラリアにおけるアボリジニ、一応彼らは絶滅寸前で生き延びているが、その文化継承は宗主国家の侵略によって風前の灯火まで追い詰められたのだ。アメリカへの入植者たちは「明白なる運命」とか言ってネイティブアメリカン達の土地を傲然と略奪していったが、あれをトイトーネはやるつもりなのだろうか?それともアフリカ植民地のように現地民を奴隷として使役するつもり?え、ちょっと待って、私のこれからのプレゼンによって一民族の人権が剥奪されることになるとしたら、私の責任重大じゃないですか。


 「レーリヒ中将、それはトイトーネが民族の同化ではなく、駆逐を考慮に入れているという意味でしょうか」


 「いやなに、飽くまで他の選択肢も政治学上は存在する、というだけの発言だ。トイトーネ政府の方針を語ったわけではない、気にするな」


 そうですね、植民地政策の一つとしてそういった選択肢が存在することは、私も元の世界の世界史を見て知っていますよ。そしてそれが大体後世において、人道的・倫理的見地より国際社会で非難の嵐に晒されるというところまでセットですからね。

 まだこの世界の現時点では先住民に対する人権付与という事例がないのか、これは首脳陣の方針次第で弱小民族の絶滅なんてやらかしかねない勢いだ。今後の発言にはよくよく気を付けておかねば、風向きが変わったときに戦犯扱いされたらたまったもんじゃない。


 「そうですか、失礼致しました。では話を戻すとして。ここまで瞬時に考えられ得る懸案事項を挙げてみたのですが、実際トイトーネは以上を含めた点から、ロベールの宗教観が植民地化において大きな懸念材料になり得ると考えているのではないでしょうか?だからこそ、現時点では他国に先んじられないよう牽制しつつも、直接の実力行使には慎重になっている、と私は考察したのですが」


 一拍置いて、パンパン、と鷹揚な拍手が一つ、部屋に響く。見れば、ゲレン上級大将が満足気に手を打ち鳴らしているところだった。


 「宜しい、実に宜しい!成程、クルマン大佐の報告は過大評価ではなかったと確認できて、私は大変満足だ。ヴィトゲンシュタイン殿、貴殿の分析力を大いに評価しよう。――正にその通り。我々はロベールの軍事的攻略においては容易と判断しつつも、今の段階では征服後の安定的統治が困難であると危惧し、安易な派兵は控えている。かといって地理的要因から完全に放置することも不可能だ。結果として、諸外国の介入予防の為に情報総局にて管理している状態だ」


 よし、対ロベール方針の考察は正しかったようで何よりだ。前提条件の正確な把握は交渉における必須条項。この初歩でこけてしまうと、交渉の結果に響くどころか事前調査も出来ていない無能だと認識され、最悪交渉の場から追放されてしまうことになる。


 「はい、長官殿。何せ簡単に手に入るはずの果実を、管理の段階で虫が湧きやすいからという理由でもぎ取るのを我慢しているようなものです。トイトーネ帝国はさぞや歯痒い思いをなされていると心中お察し致します」


 その言葉に、ゲレン上級大将が手を組みながら検分するような視線を投げかけてきた。


 「正しく。してヴィトゲンシュタイン殿、これまでの話の流れを整理するに、貴殿はこの状況を打破する方法を考案した、と捉えて良いのかね?」


 そちらから話を戻してくれるとは幸いだ。これで私の提案を推すのにいい流れになる。


 「はい、その通りであります。その方法こそが、トイトーネの軍備をお貸しいただいて、ロベールの北伐に参加することに他ならないのです」





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