第24話
「まず、今次情勢の整理から致しましょう。飽くまで私の今ある知識の中での認識ですので、相違があれば都度指摘を願います。…まず大トイトーネ帝国は産業革命を経験し、それに伴う高度経済成長によって国力を発展させた結果、他国に抜きんでた経済力と軍事力を有するに至った。現状として、トイトーネは周辺諸国と緊急性の高い経済・政治・軍事的摩擦は有していない。この認識で宜しいでしょうか?」
「そうだな、貴殿の認識は概ね正しい。どうせすぐに貴殿の知るところになるわけだし、一応軽く説明しておこうか。テニッセン准将、世界地図をここに」
「はっ。こちらを」
テニッセン准将が地図を広げると、ゲレン上級大将は指示棒を取り出して説明し始めた。
「我が国は北は北海に面し、北東をサヴィート連邦、南方にテュッレーニア都市連合、南東にカールパート共和国の三列強と領地を接している。テュッレーニア都市連合とカールパート共和国の方が産業革命の勃興は早かったが、我が国は遅ればせながらもそれらに対して技術的に超越することを成功せしめた。サヴィート連邦は領土が広大だが、技術革新が遅れている。よって現時点で我が国は経済・軍事面において、覇権国家たる地位を占めているわけだ。政治的摩擦がこれまでないことはなかったが、現在は下火になりつつあるな。まあサヴィート連邦は政治的イデオロギーが全くことなる国家故、必然的に仮想敵国になってしまうのは仕方がないことだ。それもリーフラント条約が締結されたことでキップ線を引き、一時的な国境安定は確保できている。ああそれと、もう一国最近列強入りした大インダイ国というのもあるが、あそこは北東の辺境の島国という地理性も相まって、我が国を含めた四ヶ国を追う形だな。我が国とは距離が離れているし、今のところ懸念するような事由もない。従って現在高緊張状態にある国境線は存在しないと、軍参謀本部は判断している」
成程、半分当てで言ってみたが、私の予想は外れてはいなかったらしい。更にゲレン上級大将は地図まで提供して、丁寧かつ簡潔な補足説明までして下さった。有難いことだ。
この世界の世界地図と思しきものに表記されているのは、中央から西方へ位置する“エレバス大陸”と、南東方面にあるそれより少々小さめの逆三角形をした“クク大陸”、そして北東にある丸い一番小さな”チアマ大陸”。あとは海洋に浮かぶ大小様々の島だ。それぞれに国境線や国名等が印字されている。
その中で彼が指示したトイトーネ帝国の位置は、最大の面積を有するであろうエレバス大陸の中央部。“北海”と表記された北方の海に面し、そこから大きく南東へ張り出すように国境線が伸びている。その東側の国境を接しているのが、サヴィート連邦とカールパート共和国。サヴィート連邦が北側の四分の一程度を接し、カールパート共和国が南東方面までのほとんどの国境を共有しているようだ。南方の国境を接するテュッレーニア都市連合は、大陸の最南端に位置し国土が逆三角形の半島のようになっている。
そして山脈に沿う形で引かれた西方の国境こそ、私が叩き潰したいと欲してやまない唯一神のおわします国、ロベール王国と接している。
各国名の印字された国境線を見る限り、この世界の中で領土的に最大面積を誇るのはサヴィート連邦、次にトイトーネ帝国。列強と呼んでいたカールパート共和国とテュッレーニア都市連合は、比較すると前者の方がやや国土が広いだろうか。大インダイ国はサヴィート連邦と東側の海を隔てて隣に位置しているが、面積にすると割合小さな島国だ。その他にも何十と国は存在するが、ゲレン上級大将が説明を省いたということは、列強諸国とは国力差が大きい又はそれ程重要な地域ではないのかもしれない。
更によく地図を見ると、他大陸や島に“トイトーネ帝国××領”という形式で記載された地域が散見される。カールパート共和国とテュッレーニア都市連合然りだ。その他の国の名もある。5,6ヵ国程あるそれは、大体がエレバス大陸の中央から東側に位置する国たちだ。
ふむ、これを見る限り、この世界でも植民地主義というのは跋扈しているらしい。元の世界では社会ダーウィニズムだとか優生学といった思想から、「白人の責務」だとか「文明の使命」だとか「明白なる大命」だとかいう理論が正当化されていったが、この世界でも似たような思想論が存在するのだろうか?だとすると、所謂文明の中心はこの大陸の中央から東側諸国ということになるのか?
いやしかしそういった優生学的思想が強ければ、今頃ロベールなどスペインにおけるインカ帝国侵略のように呆気なく植民地化されているはず。しかしトイトーネは、諜報員こそ送り込めど派兵は一切していない様子。つまりロベールの大体の内情を知った上で、手を付ける価値がないと判断しているのか、もしくは単純に軍事的行動を起こすにはいかない別の事情を抱えているのか。
私はこの場合後者だと推察する。何故なら彼らは、軍こそ動かさないものの諜報活動自体は継続させている。加えて国境を越境して敷設された鉄道。あとはこの世界地図と国際情勢を鑑みれば、自ずと事情は想像できる。
そう仮定するとだ。私がロベールにおける北伐のためにトイトーネの軍備を利用したいと考えたとき、トイトーネはその「派兵するに至らない事情」が解決される見込みが立たなければ、その軍隊を動かすことはしない可能性が高い。いくら私が利用価値のある人間だからといって、私を引き入れるためだけに無策無謀な派兵するなどという非生産的な選択はしないはずだ。
つまり私が今彼らにプレゼンテーションするべきなのは、ロベールに少数でも派兵することによって、如何に今後の情勢がトイトーネにとって有利になり得るかということである。
ああ、やはりこういった分析は面白い。折角ならこういった情報を事前に手に入れてから、万全の状態でプレゼンをしたかったのだが…飛ばされた先が悪かったと諦めるほかないな。
それに社会人経験にて、常に万全の状態で事に臨めるとは限らないというのは飽きる程経験済み。元の世界の情報過多社会において、情報の不確実性というのは認識済みであるし、その流動性というのも了解している。だからこそ臨機応変、即応力というものが身につくのである。
「ご説明ありがとうございます。では先程の私の発言を少々修正させていただきましょう。サヴィート連邦、カールパート共和国、テュッレーニア都市連合という列強と国境を接しつつも、現在トイトーネ帝国は諸列強の中で覇権国家たる発言力を持っている。それを支える経済・軍事基盤も整っており、今のところ国境線問題やその他の政治的摩擦も安定を保っている」
「ああ、左様」
「サヴィート連邦は領土は広大だが、技術革新が遅れていると仰いましたね。ということは今次国際政治界で大きな発言権を有するのは、トイトーネ帝国、カールパート共和国、テュッレーニア都市連合。あと近年発言力を増した大インダイ国。加えてカールパート共和国の東方、サヴィート連邦の南部に位置するヴァーサ王国、更にその南部のイベロス民衆国、カプス王国もそれなりの国力はありそうですね。どこも植民地を保有している。他地域に国軍を派兵するだけの経済力と軍事力、そして国際社会での発言権を認められているということでしょう」
「正にその通り。植民地領に着目したか、正解だな。ああ、あとマッカ太守国も交易という点で要点だ。あそこは自然資源が潤沢にある」
レーリヒ中将が髭をなぞりながら頷く。
ふむ、マッカ太守国、と。自然資源があり今のところ統治機構はあれど、諸外国と比較して軍事的に劣勢となると、今後列強諸国の火種になるやもしれぬ。エレバス大陸の南東部にある国を見つけて、記憶に残しておく。
「マッカ太守国ですね。成程。…地図上で見る限りでは、植民地化活動はここ近年活発化したものかと思われますが?」
「そうですね。最初は南洋に面しているイベロスあたりからだが、特にここ数年あたりで一気に植民地は増えました」
テニッセン准将も地図を覗き込みながら相槌を打ってくる。
「ライヒも別大陸に幾つか植民地を有していますね。しかし一番近くにある弱小国であるロベールには、手を伸ばしていない」
「先程も言ったように我々は、ロベールにそれほどの価値を見出していない」
レーリヒ中将が再び同じことを繰り返したが、それに対して疑問を呈してみる。
「果たしてそう断言できるでしょうか?」
「何?」
先程の考察からいけば、トイトーネ帝国はロベールに一定の関心は持っているはずだ。帝国の独立諜報機関ともなれば、そんな内部事情など誰もが知っているはず。
つまりレーリヒ中将の発言は、こちらの推察力を試そうというブラフ。ここで正しい見解を導き出せなければ、私は途端に用済みだ。
「確かにトイトーネ軍部は一番近くにある攻略目標であるはずのロベールに対し、驚くほどアクションを起こしていない。技術力の差を見れば、トイトーネがその気になって派兵すれば簡単にロベールを落とすことが出来るにも関わらず、です。それは一見トイトーネが、それだけの価値をロベールに見出していないように見える。しかし私は、完全に利害を考査に入れていないとも言い切れないと考えます」
「ふむ。その根拠とは?」
ゲレン上級大将が鋭く切り込む。
「ロベールに潜らせているであろう、モグラたちの存在ですよ。貴殿らは無価値といいつつ、しっかりと諜報活動はなさっている。あれだけ対外政策がずぶずぶの国であれば、わざわざ諜報員など潜ませる必要などないでしょう。素人でも入り込めそうな容易さだ。それなのに貴殿らは11Hという、恐らく専門の部署まで設立している。それにあの長距離鉄道。無用の土地と捨て置くのであれば、国境の険しい山脈にトンネルを掘ってまで鉄道網を引いたりしないはず。鉄道だって建設費もかかれば、維持費だって馬鹿になりませんからね。まあ大規模な公共投資事業でも行ったなら別ですが、国交の無い地域へ長距離鉄道を引くなんて案件を公共事業にするほど、対外政策が狂っている国とも思えないですし」
ちょっと半笑いになりながら言うと、他の四人からも苦笑が漏れた。
「まあ冗談はさておき。トイトーネの対ロベール政策は、傍観に見せかけて周到なものだ。ロベールに対して一定の関心を寄せているというのは明白です」
「そうですね、確かにそう見るとライヒがロベールに寄せる関心というのは小さくないと思えますねえ」
テニッセン准将が思案するように言葉を重ねてくる。よし、この線で間違いはなさそうだ。それに相槌を打ちながら、更に話を続けた。
「そうでしょう。では具体的にトイトーネは、どこに利点を見出しているのか?理由は何点か挙げられます。まずは自然資源の確保。私の見た限りロベールは、特有の産業が飛躍的に発展しているわけでもありませんが、土地が貧しいわけでもない。農産物の生産量は並み程度はあります。よって食糧生産量という点で考えると、ロベールを手に入れた場合、入植ないし現地徴収いずれかの形で農産物の生産量を拡大することができます。加えて技術的なテコ入れをすれば、鉄鋼等の物資採掘量も飛躍的に向上する可能性がある。そうなると、単純に土地として見た場合でも、ロベールは自然資源生産の新たな拠点になり得るわけです」
「我が国は今でも国力を維持するに十分な量、自然資源を自国生産で賄っているが、生産量が増えて問題になることは一切ない。確かに新たな土地というのは、よほど痩せた不毛の地でなければ利用価値はあるものだ」
レーリヒ中将も同意する。自然資源の確保というのは、国家が国民に衣食住を約束するに必ず必要な要件である。軍事力や経済力を維持するには物資が不可欠。特に規模の大きな国家になればなる程、国内生産で賄いきれる割合というのは領土の質や広さに依存する。ここまで見た限りトイトーネは、技術的イノベーションも経験したある程度の国力を持った国だ。だから、他国侵略を考える場合これはまず理由の一つであるべき。
「ええ、そうです。特にトイトーネ程の規模の国家にとっては、自然資源の確保というのは当然の理由と考えます。ある種対外政策における大前提とも言えますから、これはまあロベール侵略の動機における下地の様なものでしょうね」
「ふむ。つまり他に大きな理由があると」
「左様です。大きな理由として考えられるのは2点。消極的理由と積極的理由です」
「消極的理由、ですか。我が国が積極性以外を以て、ロベールに関わる必要があると」
テニッセン准将がそれと無く疑問を呈す。レーリヒ中将とゲレン上級大将も、問う様にこちらを見詰めている。聞く姿勢をとってもらえているのは何よりだ。このまま話を続けるとしよう。
「ええ。何故なら地政学的観点から、トイトーネはロベールに関わらざるを得ません。トイトーネは他の諸列強と陸続きで国境を接している訳ですが、唯一西側だけはどの強国とも接していない。このお陰で現在、トイトーネは国境線の警戒を東部と南部に集中できています。しかし万が一西側が、諸列強いずれかの支配下に入ってしまったらどうでしょう?例えばサヴィート連邦。今は植民地を保有しておりませんが、それは彼らがこれから植民地化活動を行わないという保証にはなりません。特に地図を見る限り、他大陸は他の諸列強や現在入植している国だけで、それなりに開拓が進行しているようだ。今後新たな領土、しかも有用な領土を求めるとなると、選択肢は大分限られてくるはずです。だとすれば、サヴィート連邦がロベールの土地を狙わないという確証は何処にもありません。ではサヴィート連邦がロベールを手に入れてしまったら?」
「…ああ、それは我が国にとっては最悪極まる事態だな」
苦虫を嚙み潰したような表情でレーリヒ中将が応えた。
「ええ正に。トイトーネは三方を列強に囲まれることになる。更に言えば、政治的イデオロギーの異なる仮想敵国に、国土を両側から挟まれることになるわけです。これを総統府や軍部が看過できるはずが無い。つまりトイトーネは、西方国境線の安全維持という消極的理由から、ロベールの支配権を握らねばならないということです」
「…ふむ、正論だな。では積極的理由とは?続け給えヴィトゲンシュタイン殿」
ゲレン上級大将が続きを促す。よし、きちんと認識の擦り合わせは出来ているようだ。次のポイントに移るとするか。
「はい。では積極的理由について。これもある種地政学的観点からの問題にはなってきます。トイトーネは植民地を、クク大陸やその周辺の島に多く持っている。しかしトイトーネが海に面しているのは、北海のみ。従って植民地との行き来はこの沿岸の港湾に限られるため、輸送船や艦隊等の保有数にも限度があります。一方テュッレーニア都市連合などはどうでしょう?北部のトイトーネ帝国とカールパート共和国との国境以外、全てベレト海に面しているお陰で、幾つもの港湾を確保出来る上、他大陸や島への物理的距離も近い。これは植民地支配という点でも、制海権の把握という点でも有利でしょう。例えば戦争が起こった場合、物資の枯渇というのは参戦国にとって脅威の一つです。だからこそ国内生産の充足は大切な課題なのですが、万が一植民地からの補給が途絶えた場合、この国は物資供給面でどれだけの打撃を受けることになるでしょうか?確かにトイトーネ帝国本土自体も広大であり、ある一定量の生産は維持できるでしょうが、列強同士の戦争ともなれば、通常の供給線では到底賄いきれるような消費で収まるとも思えません。だとすれば、自国他領土からの補給線確保は死活問題。となると、北海の一部のみに制海権を持つ現在の現状では、余りにも心許ないと言わざるを得ません」
「その活路がロベールだと?」
「如何にも。注目すべきはトイトーネの植民地領とロベールの位置関係です。ロベールはその西方を大西洋に面しています。そこからであれば、クク大陸への海路も短縮化できますし、北海における交戦や北海港湾都市へのハラスメント攻撃があった場合でも、安定して使用できる港湾施設を確保することが可能です。更に申し上げるなら、ロベール南方の湾岸にも軍事拠点を置くことが出来た場合、ベレト海の制海権を狙うことも可能足らしめます」
「ロベール南方には小国が存在したはずだが?」
ああそう、確かにロベールは南方を2つの小国と接している。レーリヒ中将からの指摘を受けて、少々補足説明を入れることにした。
「はい、その通りです。ロベール南方には二つ、ロベールから見た小国があります。つまり、ロベールよりも更に弱小国が二つほど、そこに転がっているだけです。最早国家というより部族の集合体と表現して過言ではない勢力。トイトーネ帝国にとっては蟻を踏み潰すかのように、簡単に征服できるでしょうね」
そう、ロベールから見た小国など、トイトーネ帝国にとっては単にそこにいる先住民を蹴散らすくらいの感覚でしかないだろう。少なくとも私がロベールで見た資料の限りでは、南方の2国も国家というより、地方大領主か複数部族の集まり程度の規模でしかないと思われた。…まあ、ロベールの資料の信憑性という点においては、私は自信をもって担保することは出来ないが。
取り敢えずここまでの説明で、不足な点がないかどうか、三人の反応を観察する。
テニッセン准将、レーリヒ中将は、葉巻を咥えながら頷き合っている。二人の様子から見るに、私の提示した利点は概ね帝国情報局が考えていたものと合致していたようだ。認識の擦り合わせが上手くいったことは、喜ばしいことである。
一応ゲレン上級大将の様子も窺う。この場のトップである彼との意識共有は大事なことだ。さて、これまでの私のプレゼンは、彼の基準の合格ラインに達しただろうか?そう思いながらゲレン上級大将を見遣ると、彼は興味深そうな目を私に向けていた。
「ふむ、貴殿の主張は理解した。そして私もそれに概ね同意する次第だ。…さて、ヴィトゲンシュタイン殿。ここまでだけでも貴殿の考察能力を証明するに十分な論理展開だったと思われる。その上でだ。説明にはまだ続きがあるのだろう?是非とも続け給え」
よし、起承の評価は上々だったようで何よりだ。ここから転結をしっかりとプレゼンせねば!
内心わくわくしながら、私は自分の要求を呑ませるべく、次なる攻勢に入ることにした。




