第15話
ガタガタと全身に伝わっていた振動が、軽い衝撃と共に止む。
「ああ、到着したようですね」
目の前に座っていたエマール視察官が、にこやかにそう告げた。その言葉とほぼ同時に、ドアをノックする音が聞こえる。
「開けて宜しい」
エマール視察官がそう言うと、馬車の扉が開かれ外の空気が流れ込んできた。
「マーガレット様、お手をどうぞ」
そういって差し出された彼の手を取り、馬車の外へと降りる。そこには青い空と白亜の建物が広がっていた。
ああ、漸く開放された!
到着したのは東都長官官邸。そう、私は今しがた東都の地に足を踏み入れたのである。
道中は本当に酷かった。
一応これでも文明の相違というのは重々自分に言い含めた上で、この旅に出たのである。移動手段が馬車というのは承知の上だったし、途中泊の宿があるだけ有難いことだと感謝していたくらいだ。その上で一言。
蒸気機関を発明し、鉄道網を構築した元の世界の産業革命よ、汝こそ偉大なる奇跡なり。
逆に言うと、産業革命前の世界がどれほど不便で快適性に欠いていたか、身をもって知ることとなった。自動車と高速鉄道が長距離移動の利便性にいかに貢献したかというのを、馬車にひたすら乗っている時間の分だけ痛感したとも言える。
腰が痛い、首も痛い、というか全身あちこちが凝り固まってぎしぎしする。4日間という時間は数字上では大したことが無いように見えるが、馬車で身体を痛めつけるには十分すぎる時間だった。
そういえば東方まで行くとなると、馬を飛ばして10日かかるとか言っていたような…え、これをまた10日間以上体験させられるのか?東方まで辿り着く道はなんと険しいことか!
思わずエマール視察官の顔をじっと見て尋ねることを止められなかった。
「エマール視察官は馬車での移動に慣れているのか?」
「そうですねえ、この国では馬車での移動がほとんどですからね」
…おや、これはもしかすると、東方方面行きはまだましな道中になるかもしれない。是非とも東方のかの国が、馬車よりも快適性のある交通手段を有していることを願うばかりだ。
そうして歩いていくと、前方にいる集団の中から東都長官と思しき人物が進み出てきて挨拶してきた。
「これはこれは、聖女様、視察官殿!遠方よりよく御出でになりました!東都市民を代表いたしまして、私、東都長官ドニ・ドゥ・シャレが心より御礼申し上げる次第でございます」
「お久しぶりです、シャレ長官。ご壮健そうで何よりです。前回も大変お世話になりました」
「いやいや視察官殿こそお元気そうで!お世話になっているのはこちらこそですよ!今回も視察官殿に我が都市のより一層の発展をお見せ出来ること、心よりお待ちしておりました」
恰幅の良い腹回りに派手な服装、おまけににこにこと満面に浮かべられた笑み。シャレ長官は、正にある種の地方領邦主らしい出で立ちをしていた。くるくるとした巻き毛が少々額から後退する素振りを見せているのが、年齢を感じさせる。
地方長官はその都市の行政を任される役職だ。歴史を鑑みても自明の通り、広い国土を有する国が地方行政機関を確立した場合、大抵地方独立性の芽生えという問題に直面する。そこで考案されたのが、中央からの役人派遣による地方行政の監視である。ロベール王国でも例に漏れず、こうして地方視察官という役職が、地方分権化を防止しようと設立されているわけだ。だから通常であれば、地方長官と視察官というのはあまり仲が宜しいわけではない。
しかしここで双方の様子を見る限り、特に軋轢はなさそう…というより、明らかに地方長官がエマール視察官に胡麻をすっているのが分かる。エマール視察官も流すわけでもなく、いつものやり取りをしているといった風だ。
これはエマール視察官と長官との間できっと、金や情報の非公式なやり取りがなされているに違いない。エマール視察官は大方東方からのエージェントだろうと、私の心の中で確信が芽生えた瞬間だった。
「初めましてシャレ長官。私はマーガレット、矛の聖女を務める者だ」
「マーガレット様でいらっしゃいますね!なんとお美しく気高い御姿!王都から伝え聞いておりました以上の御方であると、推察致します次第で。こうして東都へお越しいただいたのも何かのご縁、是非とも我が都市にてゆったりとお過ごし下され!」
しっかり私にも胡麻をすってくる。聖女を自らの管轄区に招き入れるとなればそれなりに箔は付くだろうから、このくらいの対応は当然といえば当然か。
「歓迎感謝する。2ヶ月程こちらで世話になるからな、是非とも宜しく頼むよ」
「ええ、ええ、もちろんでございます!今回聖女様がお越しになるとあって、私共の方でも万全に準備させていただきました。僭越ながら、ご満足いただけるものであることを自負しております!」
「ああ、それは楽しみだ。では長官、早速マーガレット様をご案内差し上げていただけるかな?」
「ええ是非!では聖女様、視察官殿、我が長官邸をご案内致しましょう。…さあ皆の者配置に」
「「「はっ!」」」
長官の掛け声とともに、周囲に控えていた役人や使用人たちがさっと散らばっていく。そして私には隣のエマール視察官から腕が差し出された。ふむ、エスコートということか。
「お気遣いありがとう。では案内していただこうか」
エマール視察官の腕に手を置き、シャレ長官の方を見る。シャレ長官はにこにこと笑みを浮かべ続けて、大仰に腕を広げてみせた。
「では改めまして。――ようこそ東都、白亜の都、ディジヨーヌへ!聖女様及びエマール視察官殿の御来訪、全市民を代表いたしまして感謝の意を称させていただく次第でございます!」
そうして私たちは、一先ず東都長官邸へと招き入れられたのであった。
見て回った東都の街並みは、なかなか洗練されていた。
マルブルの採掘場が近いとあって、至る所にマルブルが使われている。街の大きな公共建築物は、大抵マルブルで造られているようだ。南都も煌びやかな街だと聞いていたが、東都も清廉な美しさという点では素晴らしいものだろう。
聖都や王都で見るマルブル建築も、ここの石を使っているとか。所謂都市の名産物である。
とはいっても歩いて回ったわけではないので、馬車の車窓からのんびり見物した感想ではあるが。
今はエマール視察官とシャレ長官の3人で、東都名物という葡萄酒を吟味しているところだ。
「如何でしょう、我が地方名物のピノ・ノワールは!こちらはドメーヌ・ビーズ社のものでして、ジャンベルダン村で栽培されたピノ・ノワールを100%使用した高級品なのですよ」
「いいね、このベリーやシェリーを思わせる華やかさ。メインの鴨肉のソテーととても良く合う」
「おや、マーガレット様はなかなか舌が肥えていらっしゃる。果実の豊満さと花のような香しさ、これがきめ細かい肉質ととても相性が良いのですよ。ねえ、長官殿」
「ええ、ええ、まさに!聖女様も視察官殿もこの味を楽しんでいただけているようで、何よりですよ!」
「私実は、知人からマーガレット様はお酒をそれなりに嗜まれると伺ったもので、東都では葡萄酒を一度試していただこうと思っていたのですよ」
「なんと、聖女様は葡萄酒がお好きで!それは東都長官をしている者としては嬉しい話です」
「ああそうなんだ。実をいうと乾杯の際に出してもらったシャンパーニュ、あれも素晴らしいものだったと称賛させて欲しい。きめ細やかで華やかな薫りの、素晴らしい一品だったよ」
「お気づきになられていましたか!あれも同じドメーヌ・ビーズ社のものなのですよ。あそこは最高品質の葡萄酒を用意してくれる。聖女様のお口に合えばと思っておりましたが、お気に召されたようで何よりでございます!」
にこにこと上機嫌に語るシャレ長官は、既にいい具合に酒が入っている様だ。頬のあたりがほんのりと赤くなってきている。
それに比べエマール視察官は、ほとんど顔色を変えずにワインをぐいぐい飲んでいる。東方の国ではアルコール度数の強い酒も多くあるらしいから、国の人間もアルコール耐性が強いのだろうか。とは言いつつも私もここぞとばかりに杯を乾かしているので、他人のことは言えないだろうが。
「そういえば、シャレ長官は何時からこちらに?」
「私はここ7年程、東都長官の任に就かせていただいております」
「ほう、7年か。なかなか長くいるのだな」
「本来長官職は4年が任期なのですが、シャレ長官は国王からの信もありますし、地元民からの支持層も厚いため二期目を続投することとなったのですよ」
「いやあそんな、エマール視察官殿!私など微力な一国民でしかありません。国王からの信を受けることが出来るのも、ひとえにエマール視察官殿の御助力があってのことですよ!」
「エマール視察官も東方担当となってから長いのか?」
「ええ、私はシャレ長官程ではありませんが。4年程東方視察官として務めるさせていただいておりますね」
「丁度私の前任期が終了する頃に赴任されたのが、エマール視察官殿でして。前任視察官殿は少々几帳面すぎるきらいがありましてねえ、なかなか大変でしたよ。しかしエマール視察官殿が着任なされてからは、地方活性化に注力することができるようになりまして、それはもうお世話になっているのです」
「いえいえそんな、こちらこそシャレ長官には、私の経験の浅さを寛大に受け止めていただきましたし。何かとご指導いただきましたからね、お互い様というものですよ」
「ははは、そう言っていただけると有難いですなあ!」
「さ、シャレ長官、もう一杯いかがでしょう」
「おお、ありがとうございます!では麗しきディジヨーヌに乾杯!」
3つのグラスで赤い液体が揺らめいて、シャンデリアの光を反射する。
そうか、エマールは4年前から視察官として潜入しているのか。年はわりと若そうだから、恐らく諜報員としては一場所目あたりだろうか?カルメル氏らの所属する東方国家がどの程度の機構を築いているのかまだ測りかねているから、諜報員といってもどの程度の職務なのかは推測するしかないが。
しかし少なくともこの国より遥かに高度な魔法運用がなされているとすれば、ある程度の国家規模は持っているに違いない。
というかそもそも、実際の国際関係はどうなっているのだろうか?
ロベール王国の地政学上では、ロベール王国が大陸の中心を陣取り西南方面に小国が2、3ヵ国、北西部にも1ヵ国、そして北方に遊牧民族と思われる一群。西方は一部海に面している。東方は高い山脈があり、それより先は「主の御加護の届かぬ未開の地」とされている。そこらへんの感覚が、地球は平面で四方に地の果てがあり魔物が棲んでいると信じていたような、大航海時代以前のヨーロッパのような思考だ。
しかし元の世界史でも、地球平面説がトスカネリによって地球球体説に置き換えられたように、如何にロベール王国という旧時代的国家が内側に向けて、我が国が世界の中心だと喧伝しようとも、現実に相違がある可能性は十分ある。というか、私にはその可能性しか見えない。唯一神なんて崇めさせている時点で、tenebraeの香りがぷんぷんするじゃないか。まあ細かく言えばルネサンス期とは複数あったようだから、中世ヨーロッパを一概に暗黒時代と称してしまうことに、一部の専門家は異を唱えるのかもしれないが。
いずれにせよ、この国が広域の視野を持ち得ていないことは確かだろう。He that stays in the valley shall never get over the hill.ロベール王国は谷の住人というわけだ。東方国家は正に「丘の向こう」なわけだから、字句通りである。
いや、教会府あたりは何となくそのくらい掴んでるんじゃないか?自らが谷の住人だと認知した上での、今回の聖女召喚だとしたら?北方民族の討伐というのを名目に、内実東方からの本当の脅威を逃れるための秘密兵器として聖女を召喚したのだとしたら?
最悪極まりない。私はコンキスタドールに駆逐されるインディオなぞに、絶対になりたくない。ピサロに侵略されるインカ帝国で、英雄的な奮戦をしろと?圧倒的鉄量の前で、ネイティブアメリカンたちの神は弑されたのだから。
まあそれを確かめに、今回の東方視察を組んだのだ。シャレ長官との冗長なお喋りを右から左へ聞き流しながら、早く東方視察の日がこないかなあとグラスを揺らすのだった。




