第12話
カルメル氏との大変有意義な会合の2日後、私は王宮から東方行きの許可が下りたとの連絡をもらうことになった。
フィリップに頼んだ際は、もう少し時間がかかると踏んでいた。そもそも聖都から王都へ移動するのにも、教会府と貴族院の間で多少揉めたようだし。王都へ来たからには、貴族院は聖女を少しでも長く留めておこうとするに違いないのだ。それをさらに東方に遣るとなると、他地域からの横やりも入るかもしれないし手続きが面倒かと思っていた。
どうも、カルメル氏の知人であるエマール視察官というのは優秀らしい。貴族院の有力派閥とのパイプラインがしっかりあるのか、恐らくカルメル氏が話を持って行って直ぐにかたを付けてしまったようだ。うん、仕事のできる知人を持つとは大切なことである。
というかそもそも、私が東方視察申請を出していたところから知っていたのではないだろうか。だってこの前さり気なくスルーしていたものの、カルメル氏らは私のことを“マーガレット”と呼んでいた。勿論私は何も名乗っていない。つまり私が何者かであるかはあちらには筒抜けということである。
まあ私もそれを前提で会話していたのだけれど。え、不用心が過ぎる?いやいや、私だって彼らが自分の利に一ミリもならないと思えば相手になんてしませんよ。でも彼らは、私が十分関心を寄せるほどのモノを持っていると確信している。むしろ私の個人情報が流出しているからこそ、向こうが私に価値を見出してくれたとも言えるだろう。情報とは使い様によって、薬にも毒にもなるのだ。
さて、今私が何をしているかというと、ちょうどそのエマール視察官に面会しに行くところなのである。
今回の東方行きの許可、想像以上にすんなりと出たわけだが、残念ながら元の世界のように一人気ままに旅行というわけにはいかない。そこは聖女様、同行する者を複数つけなければいけないのである。
当然近衛兵やパーリツィ軍団から護衛を出し、更に東都長官と面会するに際して誰か使者を同行させるという話になったのだが、そこで立候補したのがエマール視察官だったのだ。
ここまでの流れは想定通り。「東方方面の案内をする」とカルメル氏も言っていたのだ、そこはエマール視察官がついてくる流れになるのは当然だろうと思っていた。
予想外というか計画外だったのは、今横に並んで一緒に王宮の回廊を歩いている人物である。
「マーガレット様、本当に東都へ視察に行かれるのですか?」
エスコートしながら顔を覗き込んでくる人物。濃い目の金髪に鮮やかな青い瞳、甘い顔立ちをした青年はそう、言わずもがなフィリップ王子である。
「ああ、少し東方に興味があってね。単なる私の我儘ではあるが、国内を知る良い機会でもある。東方方面へ旅でもさせてもらおうかと思ってね」
「我儘などとんでもない!ただ、東都へは遠いですし、道中なにかあったらと心配で…いや、我がパーリツィ軍団や近衛兵の力量を疑うような意味ではないのですが」
「ご心配どうも。彼らの力量に関しては私も特に問題があるとは感じていないよ。だからフィリップも特に心配することはないのではないかな」
「ええ、まあ、そうではあるのですが…」
私が東方へ行きたいと言い出してからずっとこの調子だ。いい加減相手にするのも疲れてきたのだが、余程貴族院の一部からの圧力があるのだろうか?しかし私の東方行き申請は既に問題なく通っている。今から引き留めるというのは、一王子の進言如何でできるものではない。
そうこう言っているうちに応接室へと到着し、憲兵たちにドアを開けてもらい中へと入る。
「お初目にかかります、聖女様、フィリップ殿下。私パトリック・エマール、王国視察官に任官されているものでございます。本日は両御尊顔を拝せましたこと、誠に幸いに存じます」
頭を下げているのは割合体格の良い青年。頭を下げた状態でも背が高いのは十分に分かる。私も元の世界では女にしては身長がかなり高い方だったのだが、少なくとも私より10cm程高い。この国の男性の平均身長から見ても大きい方だろう。
「面を上げよ。楽にしろ」
フィリップがそう言うと、パトリック・エマール視察官はゆっくりと顔を上げた。
目の前に立つのは栗色の緩くウェーブする髪に、ライトブラウンの瞳の男性。身にまとっているのは官吏服で、胸元に付けているバッジから中級官僚であることが分かる。
エマール視察官は一瞬私の顔をじっと見た後、笑顔で口を開いた。
「聖女様は噂に違わず大変聡明そうな方でいらっしゃる。視察官として同行させていただけることを心より光栄に思います」
「ありがとう。まあ私は少々魔力の使い方を心得ているだけで、その他の知識に関しては素人も同然だからな。東方方面への案内はエマール視察官にお任せするのみだ」
「そんな、素人などととんでもない!マーガレット様は大変政治にも学術にも明るい聡明な方だ。いいか、視察官、決して粗相のないように」
褒めていただけるのは有難いが、まるで私の保護者の様な態度を取られても…いや、王子が建前上私の王都での後見人なのは事実だから、強ち間違った行為ではないのかもしれないが。
「は、勿論でございます。…しかし政治や学術に通じる御方とは、流石聖女様、その魔力のみならず多方面で秀でていらっしゃる」
「当然だ、マーガレット様は特別なお力を持った方なのだからな!」
いや、だから何故お前がそんな得意そうにするのだ、フィリップよ。被後見人としての立場は弁えているつもりだが、お前にそこまで言われる所以は持っていないぞ私は。
「本題に戻るが、今回はエマール視察官の東都視察へ私が同行するという形で話を通してもらったと聞いている。それに際し、貴方から視察行程の提案があるとのことでやってきたのだが」
「ええ、左様でございます。つきましては説明に多少お時間を頂きますので…」
「ああ、では席につかせてもらおうか。貴方も席につきたまえ」
そうしてエマール視察官が向かいの椅子、私とフィリップが3人掛けのソファに座る。
「はい、聖女様。では失礼させていただきます。それではまずは概容から。今回の東方行きは、表向き定期の東方方面視察団とさせていただきます。理由につきましては、聖女様方につきましては十分ご理解の上かとは思いますが、東都・西都・南都・北都とある地方都市の中で、東都のみに聖女様がご興味を示されているということについて、他地方都市からの懸念が上がることが予想されるからであります」
「ああ、それは十分理解している」
「ありがとうございます。そこで運がいいことに、今年は東方視察団の編成される年でもありましたので、聖女様の東方行きは地方都市視察の一貫として丁度良く機会があったため、という名分を使うこととなります」
「丁度良く機会があったことに感謝せねばね」
「ええ、私としても担当する東方への視察に聖女様をお連れできるということには、喜びの極みでございます」
思わずじっとエマール視察官を観察する。この男はなかなか態度が官僚的だ。まあ官僚そのものであるから、その在り方としては全う正しいのであるが。割と四角四面な性格なのだろうか、笑顔は浮かべているが、兎に角自分の仕事を淡々とこなしているという感じが出ている。
この国の貴族院の議員たち、まあつまりは貴族なのだが、彼らにはいくらか接してきた。なんとも真っ当に貴族的な奴らだ。自分の利権を出来るだけ保守し、装飾的な言葉でもって相手をおだてたり貶めたりする。それから見ると、彼は貴族ではないからかもう少し実務に寄っているようだ。
いや、忘れかけていたが彼はカルメル氏の知人ではないか。もしかすると本来この国の出身ではないかもしれない。そうすると、外面は王国人らしくしていてもどこか漂う実務主義的な雰囲気というのは、彼らの国の気質なのやもしれぬ。
「それで、詳しい内容が聞きたい。詳細は?」
「は、こちらが各詳細となっております。1枚目からめくって頂きますと、視察団メンバー、出立日時、出立に際する旅団の構成、更に旅程スケジュール、東都に入ってからの訪問先でしたり諸々日程を記載しております。是非御目通しされ確認していただきたく」
「ありがとう、確認させてもらおうか」
渡された紙の束をぱらぱらとめくって、内容を確認する。
まず視察団員だが、エマール視察官を筆頭に副視察官、事務次官をはじめとして幾人かの役人たちが名を連ねている。更に護衛として、近衛兵から20名程度、パーリツィ軍団から副団長と一個大隊が同行するらしい。総勢80名超といったところだろうか。
出立は10日後。東都へ馬車で向かい途中の町で4泊、その後東都長官邸へと迎え入れられるらしい。順当な行程だ。
「あの、私も拝見しても宜しいでしょうか」
横からフィリップが声をかけてくる。私はちらりと横を見て読み終わっている資料を渡した。
「どうぞ。しかしフィリップは事前に目を通していなかったのか」
「ありがとうございます。ええ、内容は主に監査委員会にて討議されたものですので、私はここまで関与しておりません」
「成程。まあ私が見たところ特段問題があるようには見えなかったけれどね」
フィリップがメンバーのチェックをしている間、私は私で東都到着後の日程と睨めっこしている。カルメル氏によればエマール視察官が東方を案内してくれるようだが、スケジュール上は東都滞在期間がほとんどで、更に東方へ行くのは僅かな期間だ。さて、どう時間を工面してくるのだろう?
「エマール視察官、念のため確認を。東方方面への視察期間はこの内容で十全であると請け合えると?」
「はい、マーガレット様。聖女様には書面上通りの行程で視察していただくことになります故、十分な時間を確保することが可能かと思われます」
「…成程。理解した」
“聖女様には”ね。つまり私の行程は、書面とは別に用意してあると言外に言っている。
にこりと笑ってエマール視察官とアイコンタクトを取っていると、フィリップの声が割り込んできた。
「あの、マーガレット様。失礼ですが…」
「うん?なんだ?」
「やはり、お一人で行かれるのですか」
うん?いや、確かに名目は視察団特別客員だが、独りどころか80人以上も一緒にぞろぞろと行くことになるのだが。
「いや?エマール視察官等同行してもらうことになっているだろう?ああいや、名目上は私が同行する側ではあるが」
「いえ、そういうことではなく」
困った顔をしているフィリップ王子。何が問題なのだろうか?
よくわからずにちらりとエマール視察官を見遣ると、彼は難しい顔をしてフィリップを見ていた。
「恐れながら王子殿下、今回の視察団派遣に関しては議会でも賛成多数で可決されておりますので…」
「しかしだな、やはりここは私も行くべきなのではないか?」
は?
いやいや、何故そこで王子まで一緒にくっついてくることになる。あれか、矛の聖女には第1王子が目付け役との暗黙の了解か?しかし既に貴族院は聖女が東都へ行くことを許可している。今更何も文句もあるまい。
「フィリップ、貴方は第1王子。王都を離れるには少しばかり重すぎる身だろう。特別気を遣っていただく必要もない」
「いえしかし。やはりマーガレット様が王都を離れるというのが心配でして…」
「勿論私も聖女が聖都や王都を長く離れるということに対する、教会府や議会の懸念は理解している。しかし今回の視察団旅程は精々2か月程度だ。その程度であれば特段問題ないだろうと私は考えているし、実際議会の許可も下りている。他に問題でも?」
私が淡々と指摘してやれば、フィリップは少し俯き加減になりながら「いえ…」と呟いた。
実際もう許可は下りているのだから、あとからあれやこれや言われたところで私としては何もすることがない。王子は実質議会の駒だと思っていたのだが、そこらへん連携が取れていないのだろうか?勢力内の意見割れに私を巻き込まないで欲しいと、心の底から思う次第である。
さて、フィリップは放っておいて、エマール視察官だ。彼の方に視線を戻すと、もう一度話を仕切りなおす。
「失礼、視察官。資料の概容は確認させてもらった。貴方には道中お世話になるであろうことを今からお願いしておこう」
「いえ、こちらこそ。しかし王子殿下もご心配でしょうし、出立までに王子殿下を交えて旅程についての打ち合わせを行うのは如何でしょうか」
「ああそうだな。ということでフィリップ、この資料をこの後精査し次第、出立までの期間にエマール視察官との面談に同行してもらうことは可能か?」
すると沈んでいた王子が何やら少しばかり復活し、ぱっと顔を上げた。
「はい!もちろんでございます!」
「よろしい。では資料は改めて精査させていただく。2日後に再度視察団メンバーとの顔合わせをさせてもらうことは可能だろうか?」
「はい、もちろんでございます。つきましては、監査委員会の方で視察団員のスケジュールを調整し、こちらの応接間にて顔合わせといたしましょう」
「よろしく頼む」
これで視察団に関しては話が進みそうだ。出立まで10日しかないが、それまでにさっさとやることを済ませて東方への旅路を楽しもうではないか。
…正直移動手段が馬車という時点で、あまり快適性の高い旅ではなさそうだなあ、というのが本音ではある。ロベール王国にはまだ鉄道や自動車なるものが普及していないというのは、元の世界の交通網に慣れ切っている一現代人としては少々苦痛を伴うのだった。




