幕間 仮称・カルメル氏の場合
マーガレットとの密会後、彼は葉巻をくゆらせながら満足感に包まれていた。
本国から彼に言い渡された大まかな今回の業務内容は、“ロベール王国が召喚したとされる「聖女」の観察及び、それらの与える軍事的変革の可能性についての考察”だった。
ロベールに聖女という存在が召喚されたという情報を彼らが掴むのに、大して時間はかからなかった。ロベールの防諜機関は、彼の国から言わせてみればただの給料泥棒に等しい。お陰でこちらは情報を抜きたい放題、選びたい放題だ。まあここ数年は大した動きもないから、西方担当、即ちロベール王国担当というと、彼の所属する組織では新人だったり危険任務からの離脱先だったり、次のポジションが空くまでの中継ぎの場合もあったりする。
しかし今回は聖女という未知数の存在が、彼らの関心を惹くには十分すぎるほどのものを持っていた。
ロベール王国では「聖女」と呼ばれているが、彼の国においてそのような概念はない。そもそも唯一神とやらを崇拝するという宗教的観念はないから、ただ聖女なんて言われても眉唾物である。
それでも今回彼らが聖女という存在に注目するに至ったのは、確固たる技術に基づいた観測の結果によるものである。観測の結果ロベール王国聖都から強大な魔力反応を検知したとあって、本国組織も聖女と名乗る存在にマークを始めたのだ。
ロベールに駐在させているエージェントからの第一報では、聖女は2名、その名の通り女性の姿をした者であり、強大な魔力を保持しているとのことだった。
保持魔力が強大であるだけなら、放置しておくことも可能だ。もちろんその魔力が引き起こす巨大な魔法反応については多少留意する必要があるかもしれないが、言ってしまえばその程度なのである。
ロベール王国での魔法運用方法は、本国軍部ではこう評価されている。曰く、「全くもって非効率甚だしく、前時代的な遺物である」と。いくら魔力が底なしにあろうとも、まともな運用方法がなされていなければ宝の持ち腐れだ。一方彼の国は他国に追随する形ではあったものの、技術革新が飛躍的に進行し高度経済成長を経た結果、周辺諸国より抜きんでた技術と国力を保持した軍事大国と成り得た。軍事的魔法運用に関しては他国を圧倒する力を持っている。そういった点から、いくら個人として魔力量の多い者が現れようと、ロベール王国の国力では我が国の精密な軍事機構に対を張ることは到底不可能である、というのが、軍関係者の総意であった。
それでも本国が聖女の観察に乗り出したのは、聖女が“異世界からの来訪者”という点において未知数であると判断したからだ。異世界からの人間ということは、ロベール王国の人間とは保有する価値知識が異なる場合がある。もし彼女らがより高度な知識を持っていたら?それによってロベールの魔法運用水準が大幅に引き上げられることになったら?ロベールの軍事機構の抜本的改革へと繋がることになったら?そしてそれが、本国の基準に追いつくような、あまつさえ超えるようなものであったとしたら?
たった1人や2人の力で国を動かすことは通常であれば困難だろうが、万が一ということもある。バタフライエフェクトが起こり得ないという確証はどこにもないのだ。特に本国にとって好ましくない影響が考えられるケースであれば、可能性が0ではないのなら、例え何億分の一の確率であろうとも予防の手を打つ。これが首脳部の考え方だった。
「しかしこれは予想外の掘り出し物だった」
彼の呟きには、期待以上の成果を出せるかもしれないという興奮が含まれていた。
2人の聖女の名は、マリア・サカシタとマーガレット。正確な年齢は不詳だが、前者は外見10代前半、後者は20代前半と思われる。どちらも同じ世界から来訪したらしい。ロベール王国ではマリアを『盾の聖女』、マーガレットを『矛の聖女』と呼んでいるとのこと。言うなれば、マリアは衛生兵科やロベール内部への戦意向上宣伝効果として、マーガレットは戦闘兵科として前線配備を考えているのだろう。
まずは両者の基本情報を洗った上で、どのような人物かを細かく観察していく。教会府内部と貴族院にはそれぞれ諜報員を潜入させているので、情報は容易く手に入った。
マリアは元の世界で学生。年相応の知識と精神を有した少女と思われる。魔力保有量は絶大だが、魔法運用に関しては素人でありロベール王国の水準を超えるものではない。素直で他人に対する警戒心が薄い性質が故に、すでに教会府に取り込まれているようだ。つまり教会府の犬。まあ犬といっても知識も思考も幼いから、仔犬の様なものだ。教会府の愛玩犬とでも表現しておこうか。
こちらは特に留意すべきものではないと、彼は判断した。処置すべき問題はないだろう。ロベール教会府が愛玩犬を愛でて国民に愛想を振りまかせているだけだ。我が国が気に掛けるようなものではない。
問題はマーガレットの方だった。
本人の語る情報が少ない。既に社会人経験有りとの背景は確認できたが、それ以外は一切口を開かないと諜報員は報告してきた。教会府の方も手綱を掛けかねているようだ。
更に魔法運用に対して、ロベール王国での通常水準を遥かに上回る適性があるとのこと。その運用力は彼の国の軍事水準と比較しても高水準にあると判断された。実際彼も資料を読んでその推定が間違っていないことを確認している。
何せ最初に使用した魔法がテレポーテーションだ。身体反応速度向上や大規模爆破術式の発動、その他術式の多数同時発動も行えるらしい。
それらの技術だけみれば本国軍部での運用は既にされているが、重要な点はそれらの魔法を“何の介助もなく”やってのけるということ。本国の魔術士たちは、それらの術式を発動させるのに“ハルスバント”を介する必要がある。正式名称“魔導術式起動機構装置”、その形状からハルスバントと呼ばれる機器は、魔術士たちの心臓のようなものだ。それを使用せずに生身で同水準以上の魔法が使用できるという事実は、彼の注意を引くに十分すぎるものだった。
更にマーガレットの動向を探らせた結果、自ら魔法運用方法の資料に目を通しているとの報告も入る。それを聞いた瞬間彼は「これは要注意人物だ」と断定するに至った。
彼女は明らかに自らの魔法運用力を他者に適用する方法を模索しようとしている。現時点でロベール王国の技術水準が如何に前時代的なものだったとしても、彼女がブレイクスルーになり得るとしたら?ロベールは唯一神信仰という宗教概念こそ技術面での発展のボトルネックだと思われるが、彼女がそれを打ち壊すほど有能な人間であったらどうだろう?
彼女は我が国にとって明らかに無視できない存在だ。彼はそう判断した。その上で、どのように対処すべきか考える。早期に始末してしまうべきだろうか?刺客ならいくらでもロベール内部に放てるだろう。しかし、彼女自身の自衛能力が障害となる。観察報告でも、デコイを使用するなどなかなか用心深い性格をしているようだ。ロベールの防御網はザルだとしても、本人に手こずる可能性が高い。
ならば、と彼は考えた。消すのではなく、上手く活用する方法はないだろうか?彼女の能力自体は高く評価すべきものなのだ。それを本国に都合の良い形で利用できないものだろうか?
そこで彼が思い至ったのは、彼女をこちらの陣営に組み込んでしまうことだった。教会府や貴族院に潜らせているエージェントからの情報では、彼女は自身の情報を最低限にしか周囲に伝えていない。つまり、ロベール教会府や議会と一定の距離を置こうとしている。ということは、彼女をロベールから引き離し本国にて活用するということも可能なのではないか?
そこに、彼にとっては思いもよらぬ朗報が入ってきた。
なんと、彼女が東方民族に目を付けたというのである。
彼の国は、ロベールでは“東方民族”と称されている。正式な国交すらない。周辺国家は南方と北方に小国が接するのみで、東方は険しい山稜地帯が広がる未開の地だと思われているのだ。魔法を使用できるのは自国のみで、まさか東方の山を越えた向こう側に既に技術革新の進んだ先進国たちが犇めいているなど夢にも考えていない。おめでたいことだ。だからこそ、ロベール内で東方民族というのは未開の地に住む未知の民族程度にしか認識されておらず、そんなものに注目する人間などよっぽどの物好きくらいしかいなかった。まあ教会府の情報規制というのも無きにしも非ずだが。
だから、マーガレットが東方民族、即ち本国に着眼したというのは、運の良さと共に彼女の分析力を評価するに十分な出来事だったのである。
その報告が入ってから早速、彼は「ジャン・カルメル」として彼女と接触することにした。まずは彼女がよく護衛を撒いて来店するという、裏通りの小さなカフェで。そこで彼女と少々お喋りをした彼は、交渉する価値有とみて今回の接触を試みた。
半分彼女の実力を見極める意味も込めた2回目の会合だったが、彼女は期待以上に手際よくこちらの意図を汲んでくれた。
高い知識水準を思わせる応答に、相手の思考を正確に読み取る洞察力。明らかに彼女は仕事の出来る人間だ。プレゼン力、洞察力、知識力、応用力、どれをとっても優の評価を付けられるだろう。彼の職場は本国でも少々特殊だから、同僚として働きたいタイプの人間はとても貴重なのだ。そんな人材をこんなところで遊ばせておくには惜しい。ちょうど上司が即戦力になる新しい人材が欲しいとこぼしていたし、戦力にするにぴったりではないか。そう判断した彼は、その場で彼女を本国に有能な人材として斡旋することを決意した。
「ああ、本国に一報知らせねばならないな。それと“エマール視察官”にも再度話をしなければ」
彼は店主――彼も組織の一員である――に声を掛けると、「これを」と言ってメモを渡した。
「“我、矛ノ有用性ヲ認ル。談合ハ成立セリ”…ですか」
「ああ、あれは期待以上だ。この国にあれを御せる程の力があるとは思えないが、だからといってそれだけの人材を遊ばせておくのは勿体ないだろう?何、ちょっとしたヘッドハンティングだ」
「ええ如何にも。では確かに電報はお預かりいたします」
「宜しく頼むよ。さて、私はブュオ01に連絡を取らねば」
「畏まりました。…いってらっしゃいませ“カルメル様”」
店長がさっと敬礼をする。それに軽く手を挙げて応えると、彼はドアを開け、日が沈みつつある夕暮れの街へと姿を消していった。




