第9話
場所は移って王宮内某所、薔薇の咲き誇る庭園の中で、只今優雅にアフタヌーンティーをいただいているところである。
相手は第1王子フィリップ。聖都から王都へ移ってきたときぶりだろうか、まあ王都にいる間ちょくちょく顔を見せてはいたが、こうしてまともに会合をするのは久しぶりだ。
「マーガレット様、王都に初めていらっしゃった時以来ですね。王都ではご不便ありませんか?」
「ああ、大丈夫だよ。聖都もよかったけれど、王都も活気があって面白いね。偶に我儘を言って王都内も歩かせてもらっているが、楽しいよ」
「我儘などとんでもない。マーガレット様に如何に王都が素晴らしい都市か、宣伝する良い機会ですからね。いずれパーリツィ軍団の訓練にも参加していただくことになりますし、その前に街の人々の暮らしを少しでも垣間見ていただければ喜ばしいかぎりです」
「そうだね、パーリツィ軍団との合同訓練も楽しみだ」
楽しみなわけあるか。
聖都を守護する先鋭と評判のヴィザンティ軍団であの運用効率。実質国王軍であるパーリツィ軍団をまだ実際目にしたわけではないが、資料上流し読みした限りではあれと大差ないレベルだ。まあ練度の程はこの目で見てみないと分からないが。兎に角自分がこき使われそうな未来を予想させる代物など参加して楽しいはずがない。
「マーガレット様はもうすでに多くの魔術を使役できるときいております。魔力の制御も完璧だとか。お陰で自分たちの仕事が少なくてどうしようと、司教たちが逆に慌てていましたよ」
「おやおやそれはそれは。持ち上げられても私からは魔力以外何も出てこないよ」
「ははは!それこそ魔力を出していただけるのは私たちにとって最大の恩寵ではないですか!」
快活に笑うフィリップの表情を見ていると、彼も随分聖女に対する態度が慣れてきたなあと思う。
私にこそ敬語を使っているが、マリアに対しては「もっと親しみやすい話し方をしてください!」と彼女きっての強い要望で、レオなどは敬語をとったフランクな話し方をしているらしいと聞いた。まあこれも、お付きの侍女たちが「盾の聖女様はとても親しみやすくて下々にも平等に接している慈悲深い方らしい」と噂しているのを耳にしたのだけれど。彼女自身の人徳もあるのだろうが、今のところ『盾の聖女様』は枢機卿たちの思惑通りに聖女像を構築しているのだろうと思われる。
「しかし、貴方も随分『聖女』という存在に馴染んできたようだ」
私の発言を苦言と捉えたのか、慌てた様にフィリップが言い繕う。
「え!いえ、そんな!決して聖女様に対する敬意を忘れたというわけではありません!ただ、聖都にてマリア様とお話しする機会が多くてですね…。彼女はどうも堅苦しい態度が苦手なようでして、それで、もう少しフランクな態度で接してみようと周囲が試みておりまして。思わずそれが出てしまったというか…」
成程、フィリップも聖都でマリアと接する機会が多かったはずだから、聖女に対して畏まる態度も少し崩れがちなのだろう。まあ別に私は畏まられたいのではなく、単純に自分の立ち位置さえきっちり確立できればいいのだから、細かい態度どうこうは大して気にしていないのだが。
「いや、そんな慌てなくてもいい。別に咎めるつもりで発言したわけじゃない。単純に雰囲気に違いがでていたのに気づいて指摘してみただけだ、要は只の気紛れな一言だよ。私も貴方たちが聖女の存在に慣れてきたということに関しては、喜ばしいことだと思っている。いつまでも緊張の極限のような態度を取られても、お互い気疲れするだけだ」
「広いお心遣い、ありがとうございます!」
「ほらほら、さっきのように軽い会話でもしようじゃないか。そうだな、マリアは向こうでどうしている?」
すると少しほっとしたのか、表情を緩めながら彼が答えた。
「マリア様は教会府にてしっかりとその御身を保護されておりますよ。現在は主に癒しの力の発現をコントロールできるように訓練なさっているはずです」
「そうか、彼女は盾の聖女だからな。防御魔術を使えるようになるのも理想だが、目下の課題は国民を癒すことにあるだろう。彼女は既に十分な魔力を持っているはずだから、あとは使い方をちゃんと覚えればしっかりその役目を果たせるに違いない」
「ええそうですね、彼女には頑張ってもらいたいところです」
「そういえばマリアは教会府の崇め奉るような雰囲気に少々息が詰まり気味だった気がするが、あれは改善されたのか?」
「はい、マリア様の鶴の一声で、大司教はじめ教会府の人間は下々まで広く交流なされるようになりました。お陰で今では下の位の者も、彼女に親しみを抱いてお声がけしているようですよ」
「そうか。それは彼女にとって良かったに違いない。司教や僧侶たちも、盾の聖女がああいう慈悲深い心を持っていると知れてますます信仰心が増しただろうな」
「ええまさに。特に大司教とマリア様は年が近いので、お互い敬語なしで友人のようにお喋りされている姿が見受けられましたね。それを見た司教や司祭、下の位の僧侶たちも、なんと穏やかな光景だろうと心を和ませているとか」
「ああ、そういえばレオだったか?彼も相当年が若かった気がするな」
「そうですね、彼はまだ18ですので。しかしそれを言ったらマーガレット様だって、そんなに年は離れていないじゃないですか」
ん?
彼は私を幾つだと思っているのだろう。ハイティーンなどとっくに過ぎている年なんだが。
「いやいや、そこまで若くないよ私は」
すると彼は笑いながら私の言葉に反応した。
「何をおっしゃいます!マーガレット様、失礼ですが、貴女は落ち着いた態度や冷静な思考能力をお持ちでいらっしゃるが、恐らく私より少し下くらいの年齢でしょう?確かに私は彼とは年齢が少々離れていますが、マーガレット様はまだ近い方ですよ!」
「…ええと、ちなみに貴方はいくつになる?」
「今年で25になります」
…うん、私より少し上どころか、私より年下だ。
これは若く見られたと喜ぶべきか、それとも年下だと侮られる可能性があると危惧するべきか?一女性の感覚としては若々しさは歓迎すべきことなのだろう。しかし私がこの世界で欲するのは、唯一神に対する信仰心に一泡吹かせてやるだけの権力であって若さではない。
まあ世界史を紐解けばその美貌によって権力者に取り入り、力を欲しいままにした女性も複数いるが…残念ながら私には傾国の美女は務まらないだろう。男を知らない初心な女でもないが、そういった類のプロかと言われるとイエスとは答えられない。まあそれ以外手段がなくなれば死ぬ気でやるが?そんな状況にならないことを切に願おうではないか。
「そうか。うん、男性にとってはこれからが上り坂、といった年齢だな」
「はは、マーガレット様は年の割になかなか大人な見解をしていらっしゃる!そうですね、王子たるものとしても一男性としても、これからが勝負といったところです」
ははは、と乾いた笑いで返しながら、そういえば彼は王子でもあるものなあと今更ながら思い出したりする。
「そうか、王子か。貴方は既に貴族院から多くの支持を得ていると聞くよ。優秀なのだろうね」
「そんな、もったいないお言葉です。私など政治の世界ではまだまだ若輩者。いずれ父の跡を継ぐとはいえ、むしろそれまでに為さねばならないことがたくさんあります」
「父上は御年おいくつに?」
「45になります。王位に就いてから10年程経つでしょうか」
10年といえば、元いた世界でいうと民主主義国家のトップが任期約4~8年といったところだから、執政権力としては長いといえる。まあこの国の政治を見ると実質貴族院の大臣たちが動かしているように感じるから、そういう意味では某国王室と似たようなものか。
ちなみに貴族院の権力が強そうだと感じたのは、私の行動規制緩和許可を取るのに国王ではなく、貴族院へネゴっておいた方が申請許可が下りるのが早いと実感済みだからだ。
「10年か、中長期政策の効果が見え始める時期だね」
「マーガレット様は政治にもお詳しいのですか」
いや、別に詳しくはない。多少の知見はあるが。まあただこの国では女性が政治に参入するという概念がないから、ちょっと知ったような口を利くだけで「お詳しい」と言われるのだろう。寧ろ皮肉とも捉えられるかもしれない。
「詳しくはないよ。ただ教養程度には話せるつもりだ」
言外に「王子様などには小娘の戯言程度だけれどね」という意味を含ませて言ってやると、寧ろフィリップは感心したように目を輝かせた。
「いえ、そういったものを教養としてお持ちだということが素晴らしい!そうなのですよ、我が国では以前から生活魔法の運用率向上による農耕の発展を目指しておりまして。何しろ北方蛮族の度々の侵入によって、北の大地が荒らされておりましてね。蛮族対策とともにそもそも他地域での税収増強を図れないかと長期的政策を施行していたのですが…」
「しかし北の大地といえば、毎年の石高を見ても大した減収には…ああいや、交通網の打撃による一部農産物の流通麻痺か」
「ええ、その通りです!ですから私どもは、他地域において生活魔法の高度運用による代用生産を促進しようとしておりまして」
「となると施行結果がでてそろそろ安定した運用へと移行すべき時期だろうな」
「そうです。ただ、生活魔法の高度運用というのがなかなか曲者なのです」
「というと?」
「術式の均質な発現というのがなかなか上手くいかないのですよ。研究機関であげられたレポートによれば、理論上は可能なはずなのですが…試験的に運用している地域では、それぞれ結果にばらつきが生まれております」
「ふうん、術式の術者固有魔力量に依存しない均質な発現、ということか。確かに今現在の魔法式では、変数が多すぎて魔法の行使が個人の魔力量や技術力に依存しがちではあるな」
「マーガレット様は、術式に関してのレポートをご覧になったのですか?!」
「ああ、ソフボン大学へ寄らせてもらったついでにちょっと資料館を覗かせてもらってね。研究内容については順次目を通させてもらっているところだ」
「なんと…」
なんだか感心したような顔をされてしまったが、私もここに来てからまだ2週間程だ。ほぼ毎日大学には通い詰めているとはいえ、そんな一気に全部には目を通すことなどできない。
ただ、魔術の構成式やその運用方法については、歴史から技術論文にいたるまでざっとは内容を確認していっている。生活魔法については特段興味もなかったのだが、この国の財政基盤を知るついでということでちらりと手に取ってみたりしたのだ。
「女如きが、と鼻についたかな?」
周囲の反応を見ている限り、聖女というものはこの国の一般女性の枠では捉えられないのだろう。そうは感じていても、あまりにも枠から外れ過ぎても出る杭は打たれる的なこともあるのではないか?そんなことを思って少し皮肉ってやると、フィリップはぶんぶんと頭を振って否定した。
「まさか、とんでもない!むしろマーガレット様はそこまで見識をお持ちになっているのか、と感動していたところです。聖女様のお力とは、ただ魔力だけではないということでしょう。つくづく規格外のお力を有していらっしゃる…」
「はは、王子様を驚かせることができたのなら話してみた甲斐があったかな」
すると、急に彼はもじもじとして「あの…」と呟いた。
「ん?なんだ?」
「その、『王子様』というのはやめませんか」
「いやいや、貴方は正真正銘生粋の『王子様』だろう。何を今更、恥ずかしがることもあるまい?」
笑って答えると、そうではなく、と彼が少し言いにくそうにしている。
なんだろう、心なしか上目遣い?
「ええと、その。できれば『フィリップ』と、そのまま名前で呼んでいただきたくて」
いつも割と堂々としているからか、はにかんで笑っている姿はいつもより年下らしく見える。いや、彼にとっては私は年上ではないようだが、まあそれは置いておいて。
というか、わざわざ照れながら言うような内容だろうか?王族の名前呼びは聖女でも何かしらの意味を持つ?いやしかし、マリアは割とすぐに王子のことも大司教のことも「フィリップさん、レオさん」と呼んでいたはず。別段問題はなさそうだが…
うん、特にデメリットがあるようには思えない。王都にいる限り、何かあれば私は貴族院との繋がりが強いこの王子に頼み事をすることになるのだから、多少の友好関係は築くべきだろう。
「ああ、失礼。名前はしっかり覚えているよ、フィリップ王子」
「あの、王子というのも取っていただいてかまいません!」
何やら固く拳を握っているが、君、何か問題があるのであれば余計な気回しはしなくてもいいのだが。
どうにもよくわからないが、聖女はこの国の身分制度を超越した存在。敬称ごとき付けなくても問題ないだろう。
「ではこれからは呼び捨てさせてもらうよ、フィリップ」
「はい!よろしくお願いします、マーガレット様!」
なんだろう、勢いで「ステイ!」と掛け声をかけたくなったのは気のせいだろうか?思わずこちらの世界にも愛玩動物なるものはいるのだろうか、と場違いなことを考えた。できれば大型犬がいると嬉しいのだが。
「しかし急にどうしたのだ?」
「あ、いえ、その…マリア様にも名前で呼ばれているので、マーガレット様にも是非にと思いまして。それに、聖都にいるマリア様は大司教はじめとした教会府がついていますが、王都にいらっしゃるマーガレット様は護衛がついているとはいえ、身近に大勢の者が付いているわけではありません。良ければ王都にいる間でも私が近しい話相手にでもなれればと…」
ああなるほど、マリアには大司教、私には王子を付けておこうという枢機卿と大臣たちの魂胆か。
「ああ、それは有難い。ではフィリップ、是非ともこれから宜しく」
「ええ、もちろんでございます!」
おや良い御返事。
そこで私はにっこり微笑む。
「では友好を深めるについて、早速フィリップにはお願いがあるのだけれど」
「はい、なんでしょう!」
折角仲良くしましょうと言ってもらったのだ、この機会を逃すにはいくまい?
精々年下らしくおねだりをしてみようではないか。
「私の東方視察の許可を、是非とも取り付けて欲しい」




