表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無神論者の聖女紀行  作者: はっぴーせっと
第1幕 無神論者の転職紀行
1/59

プロローグ


 夜の22時過ぎ。データを参照しつつ会議資料を作成していると、机上のスマホがバイブ音を立てた。


 『I'm gonna back home,honey』


 ロック画面に表示されるメッセージに、思わず溜息をつく。残念、今日はそちらがお先というわけだ。


 『ah-oh let you go first darling 』


 ぱぱっと返事を打てば、すぐにつく既読の文字。お先!というスタンプと共に、『take care and never work too hard...I’ll wait with our angel honey xx』と返事が返ってくる。


 私もそうしたいところではあったが、如何せん本案件は今期一番の大口顧客向けだ。何度内容を見直しても損はない。勿論処処諸々についての上へのネゴりは対処済みであるし、事前に条件をそれと無く先方ともすり合わせた反応は割と上々。とある漫画の台詞で、“合戦そのものはそれまで積んだことの帰結だ”というのがあったが、正にその通り、合戦プレゼンというのはそれまで積んだことの帰結(いかに事前準備するか)であり、勝敗(数字になるか)とは戦略起案(取引相手の発掘)の時点から、既にその如何が問われているのである。


 そして私はその理論に基づき、常に用意周到に準備をしている。今回だって市場分析から始まり、取引先の業績・経営方針等のデータ分析に抜かりはない。考えつつ行動、これが仕事では重要である。考えているばかりでも駄目だが、ただがむしゃらに行動すればいいというものでもない。思考と行動を一体化させること、これが効率の良い仕事の仕方である。


 そうしている間にも、眼は資料の上を舐めるように動いていき、データの漏れ・ミスがないか、論理性に歪みはないかを淡々とチェックしていってる。何といっても今回の案件、取ることができれば数十億の数字が積み上がる。今も自分のチームは部内でほぼトップと言って良いが、これを取れば今期どころか半期、いや全期通してのトップに躍り出ることも可能たらしめる。それ即ち、今年の成績考査に抜群に貢献すること間違いなし。まず評定でA+は堅いだろう。そしてここ数年A+を取り続けてきた自分にとって、今期決めれば確実にキャリアのステップアップが待っている。来年度には確実な年棒アップが見込まれるというわけだ。


 「よし、この勝負もらった」


 私の眼が爛々と輝くのも、止めようがないではないか。





 さて、随分と時間が経ってしまった。

 気が付けば手元の腕時計が、日付がとうに変わっていることを示している。全くピッチのチェックには、毎回のように凄まじく労力がかかるのだ。パワポには自信がある!というAnたちも真っ赤っ赤になって帰ってくるそれに、毎度の様に泣きそうになっているのだから。ワーディングチェックの細かいことといったら。しかも私の当日の役割はAnのようなメモ取りではなく、主幹のプレゼン担当。殊更気を抜くことなどできまい。まあ正当な労働対価が与えられるのであれば特に文句はないし、案件の纏まった際の達成感を思うと意外と止められないものなのである。

 

 このまま徹夜コースというのもありだが、そういえば明日の家事担当は自分だったということを思い出し、さっさと帰宅の途に着くことにする。明日こそ徹夜かなあと考えながら、まだ仕事をしている後輩に軽く声を掛けて退社した。


 家はオフィスのすぐ近く。夫も私も所謂金融街勤務だから、会社が違えども居住地の問題は特になしだ。まあ地価がべらぼうに高いため、そこそこの広さで目が飛び出るような価格ではあったものの、お互い高給取りだ。そこは必要経費として、惜しみなく出すべきところである。


 しかしそう考えると私はエンプロイーとしては上澄みではあるが、土地持ちというのは不労収入という意味で勝ち組。労働とは、年齢と比例して効率が悪くなるものである。今も不動産投資はしているが、昇進して更に給与が上がった時には不動産経営に本腰を入れなければ。


 そんなことを考えながら歩くいつもの道。


 そう、いつもの道であったはずだった。



 2ブロック先の角を曲がった瞬間、曲がったのは私だけでなく空間もだった。

 ぐにゃりと歪曲する視界。

 瞬間的に私の脳は、自分の体幹でもって態勢を立て直そうと努力する。…が、視界は更に歪む一方。


 これは眩暈としては、かなり重度のものだととっさに判断する。脳神経系に異常が発生?いやしかし、思考回路はこうして正常に機能している。ということは筋組織の異常?それとも視界が定まらないことから、視神経系に問題が?


 そうこう考えるうちに、視界がブラックアウト。


 だめだ、完全に身体の感覚が把握できない。これは脊髄か何かをやられたのか。だとするとまずい、半身不随悪ければ全身不随なぞ大変御免被る。しかも視野まで喪失?これでは現状把握もままならないではないか。



 こんな中途半端なところで擦り切れる程、私の身体も精神も脆弱ではないはずなのに!



 意識が混濁する中、憤懣やるせない思いが私の頭を駆け巡ったのであった。




◆◆◆




 改めまして皆様、先程は取り乱したところをお見せしてしまいまして、お恥ずかしいかぎりです。

 私はあれから暫くもないうちに無事、視野と四肢の機能正常性を確保いたしまして、現在は脳神経系の異常がないか注意深く確認しているところでございます。


 こちらも間もなく異常無しと確認が取れ――れば幸いなのですが、少々お時間をいただきたく。


 何せ視神経及び視覚情報の認識に、重大な欠陥がある可能性がございまして。


 

 今私の網膜が映し出しているのは、ブロックを曲がった先にある舗装された道路…ではなく、かといって救急車に運ばれたことを示す病院特有の白い蛍光灯の付いた天井…でもない。


 まず自らの脚で直立していることは、認識できている。しかし問題は立っている場所。何やら丸く光る紋様の上に立っている。そして周囲を囲むのは、小洒落たレンガの建物でもなく医療機器等の設備でもない。

 欧州の歴史的建造物のような内観だ。私が立つ場所を中心に、半円状の広間の様になっている。赤い絨毯に、金の装飾の施された支柱。そして、何やら司祭のような恰好をした時代錯誤に着飾った人間たち。


 「〜〜…〜〜……〜…!」


 その人間たちが、何やらざわざわと感嘆の声を上げている。だがその言葉は、私の習得している言語のどれとも一線を画していた。

 司祭の様な格好から某市国かとも考えたが、ラテン語には多少知見がある。この場の人間たちから発せられる言語らしきものは、私のラテン語の知識とは一切合致しないから、残念ながら宗教違いか。


 「え、え、なにこれ」


 うん、そう言いたくなる気持ちはよく分かるよ…と思いかけ、ふと日本語を喋る存在が至近距離にいることを認知した。


 思わず、視覚情報処理能力に重大な異常が発生したのでは、という焦りもあったのだろう。前方にのみ視線を固定していた私は、声の聞こえてきたすぐ隣に目をやる。

 そこには、日本の高校制服らしきものを身にまとった少女がぺたりとへたり込んでいた。


 「ここ、どこ…?なんなのこれ…?」


 半分泣きそうな声で少女が呟いている。ふむ、私も似たような心境だ。最も私は目の前の光景が、所謂幻覚の類でないかと疑ってはいたのだが。しかし四肢の感覚も正常ではあるし、聴覚にも今のところ異常は見られない。例えこれが何某かの脳機能の損傷によって、現実世界で意識の無い私が見ている夢のようなものなのだとしたら、些か諸感覚が明確すぎるという気もする。


 取り敢えずこの場合、眼前に映る光景は現実のものと仮定しよう。その上で、何故、どのように、どの程度の時間経過を経た上で、この状況に至ったのかを把握せねばなるまい。


 この数点の事項を確認する方法として、紋様の外側で慌ただしく動き囀っている人間らしきものたちに直接聴取を試みるというのも一手だ。しかし折角すぐ隣に日本人と断定できる人物がいるのだ。まずはそちらにヒアリングし、お互いの状況を擦り合わせてみる方が早いだろう。


 ――と、考えた私の思考パターンに、何か重大な欠陥があったのだろうか?


 「失礼、貴女――」


 「ひっ!!」


 「――日本人ですよね?何故ここにいらっしゃったか――」


 「分かりません分かりません!もう何も分からないんです!なんで私ここにいるんですか!ここどこなんですか!ていうかあなた誰ですか?!」


 この類の遣り取りを、先程から数回は往復させている。数回も。

 いくらパニックに陥る状況とはいえ、せめてまともな会話くらいできないのか?ちなみに、私も全く同じ質問を貴女にしたいのですが。子供相手なんだから、精神的に労わって話しかけてやれ?いや、だから先程から私は十分気を遣って、丁寧に話しかけているつもりなのですが。これ以上どうしろと?


 しかし把握できたこともある。まずこの女子高生らしき人物は、ほぼパニック状態とはいえ私の日本語の問いかけにある程度意味を理解した上で、反応を示している。つまりこの人物は日本人で確定。かつパニック状態に陥る程突然、この場所に連れてこられたこと。彼女も私と同様、ここが何所だか全く理解していないこと。…まあそれくらいだ。


 さてどうしたものかと考えあぐねていると、ずっと忙しなく何かを確認したり此方の様子をそれとなく窺っていた例の人間たちの中から、1人の人物が輪を抜けてこちらに歩み寄ってくる。


 仕方ない、取り敢えずここは相手の出方を探るしかない。


 こちらに歩いてくる人物は、司祭のような恰好をしている者たちとは少し外見が異なる。

 服装からすれば、近世西欧貴族のそれと類似していた。恐らく至る所に散りばめられた装飾品とマントや服の生地からいって、かなり高位の地位を得ているものではないだろうか。あれに王杓と宝珠を持たせれば、学生時代に歴史の資料で見たことのある欧州王族の出来上がりだ。


 しかし髪型は特段現代人と変わらないと言って良い。少し濃いめの金髪に、青い目。彫りの深い顔立ちはしているが、年はそれなりに若そうだ。それに背が高い。とても貴族的な雰囲気のする青年なのに、髪型だけ現代的なのがなんだか不思議だなあと呑気に考えてみる。



 彼は私たちの目の前で立ち止まると、片膝をつき――私を更なる混乱へと導く言葉を発した。


 「聖女様、この度は主の御遣いとして、我がロベール王国の呼びかけに応じていただきましたこと、心より感謝申し上げます」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ