長崎
長崎、長崎は今日も雨だった、と歌うが、長崎に行って雨に降られた事がない。
長崎は東京から遠いい、なかなか行けない、なぜか、交通費が高いからだ.。
50才をすぎても1回も行ってない、と言うよりも、行けなかったのだ。
ある日、息子が彼女を連れてきた。
初めまして、私、長崎出身なのです、美女で素晴らしい女性だ。
息子には、家に来るたびに、長崎に帰ったら、長崎には彼女を待っているお母さんお父さんがいるのだから、といつも言ってました。
息子も長崎に帰るのだと言っていました。
帰るなら早くしたほうがいい、移住するのなら、1日も早く行ったほうがいいとつねずね言っていました。
同居して4~5年して、長崎に行くと、言い出した、結婚する、長崎で、おめでとう。
と言うわけで、初めて長崎に行く事になった。
それから、九州詣でが始りました。
長崎の町、特異な町だ、昔テレビで見たことがある。
家を新築するのに、資材運搬に馬を使うそうだ、細い長い階段を資機材を運ぶのに馬での小運搬をする、車が使えないので運搬方法が無いのだ、彼女の実家に挨拶に行った時に、しみじみ感じました。
この長い坂道を毎日登り降りしてたら、足腰が強くなる。
ながめは絶景である、長崎市内が良く見渡せる。
長崎には色々お祭りがある様だ。
長崎くんち、長崎の氏神、諏訪神社の大祭、江戸の時代からのお祭りで1634年に、丸山町、寄合町の2人の遊女が諏訪神社前で小舞を奉納したのが始りと言う。
坂本竜馬も見た事だろう。
豪華絢爛なお祭りだ。
又、芸子と長崎の造り酒屋のおやじと(長崎文学者)、長崎の民謡を求め歩く、なんと造り酒屋を潰すまで、芸子遊びに興じると言うロマンにびっくり、その芸子は、芸子の間に、保険組織を組むという大仕事をなすまでになり、また東京まで出て長崎民謡の歌をレコード発売するにまで至ったと言う。
長崎から三味線をかかえ、一人東京に出てきてレコーデングをしたそうだ。
江戸の昔から海外への窓口として、日本を世界に進出する窓口となった所である。
坂本竜馬以下、明治維新の改革派の本拠地となされた場所でもある。
ここにグラバー亭がある。幕末にここで、武器輸入をしていた人物トーマス・ブレーク・グラバーも近代日本を作り上げた一人と言えるのではないか。
グラバー卿により、此処を拠点に、海外からの武器輸入をしたところでもあると思われる。
又、軍艦島、日本の石炭産業の基礎となった島、明治よりの海底炭坑として栄、居住地は鉄筋コンクリートであり、当時草ぶき屋根の民家を考えると驚くべき空間であったに違いない。
長崎の島々にも思い入れがある、キリスト教の教会も林立する、古い教会がたくさんある。
隠れキリシタンの島々である。
長崎の五島うどん、これも大変に旨い、トビだしのたれで、さっぱりしてるが、だしのよくきいたうどんである、一度は食べたいうどんである。
あとは言わずと知れた、長崎カステラ、ただただ旨い。
あと忘れてならないのが、原爆の被災地であること、此処長崎と広島から全世界に向かって原爆の禁止を訴えつづけなければならない。
この被災地を見ればそう思わずにはいられない。