通り魔【3】
エディットの学校での友人が通り魔に襲われてから数日たったが、通り魔事件は終息を見せていなかった。むしろ、被害が拡大している。
髪や服を切る、液体をかけられるにとどまらず、顔を傷つけられたと言う子もいる。体に障られたと言う子もいたが、それはただの痴漢である。そして、やっぱりエディットやアンドレアは引っかかることはなかったが、アカデミーにいる討伐師候補の女子で何人かが襲われたと言っていた。エディットやアンドレアほどの猛者なら反撃しているところだが、候補生の子たちでは難しかったらしく、やり逃げだったらしい。
「母さん直伝の痴漢撃退方法を試してみたいんだけどな」
「なんだその聞くからに恐ろしそうな方法は。しかも痴漢じゃねぇし」
監査室本部で並んで書類を書きながらエディットとウルリクが言った。母さん=スティナ。一定の年齢以下の討伐師たちは、彼女の名に恐怖を覚えるらしい。ウルリクもその一定の年齢以下の討伐師である。
「ちなみに、どんな方法だ?」
会話に割り込んできたのはリーヌスである。彼も『母さん直伝』が気になったらしい。
「普通に腕をひねりあげるとかじゃないの?」
やっぱり一緒にいるヨーランが言った。これからヴァルプルギスの討伐任務に行くのである。
「ううん。指をつかんで折れ、もしくは持っているボールペンでどこでもいいから思いっきり刺せ、って言ってた」
「さすがはスティナ。凶悪な方法だな」
すかさずリーヌスからツッコミが入った。母は手加減すれば舐められる、の心情の元これを言ったらしい。
「まあ、あの人、自衛のためなら過剰防衛くらい食らってやる、を素で行くような人だったものね」
落ち着いた口調で言ったのは討伐師であり室長補佐官のアニタ・カールステットである。今、四十くらいか。アカデミー校長のニルスと同じくらいの年齢のはずだ。
長い黒髪を束ね、黒い瞳をした美女。それがアニタだ。インテリ風眼鏡が理知的な印象を与えるが、よく見ると顔立ちは結構童顔である。
アンドレアが苦手、と言うだけあり、性格は冷淡だ。エディットの母スティナもさばさばした性格ではあったが、アニタはすでに冷淡としか言いようがない。
というか、エディットの両親が生きていたころはもうすこし明るい性格だったように思う。やはり、仲間の死が堪えたのだろうか……。
エディットの師であるウルリクは、母スティナの最後の弟子であるが、アニタはスティナの最初の弟子にあたる。母は割と面倒見がよかったので、年の近いものには姉と、子供たちには母と慕われていた。アニタも、母を姉と慕っていたようである。
討伐師になった以上、アニタも覚悟していただろうが、それでも親しいものの死と言うのは堪えるのだろう。討伐師の平均寿命は三十歳と言われている。三十歳までに、たいていの討伐師が戦死してしまう。当代五指には入る実力者、と言われた母スティナですら、三十六歳でその生涯を終えている。
アニタやニルスのように、四十歳まで生きれば、同じくらいの年代の者はほとんど生き残っていないのだ。
「母さんなら刑務所に入れられても普通に出てきそう……」
「それは脱獄だろ。つーか、お前、自分の母親をなんだと思ってるんだよ……」
ウルリクから冷静な指摘が入った。うむ。確かに。だが、うちの母ならできると思うんだ。基本的に筋道立てて考えるのが苦手な人だったようだが、直感と洞察力と判断力は父イデオンがどん引きするほどだったし、やる、と言ったら絶対にやる女だった。
何となく母の思い出に浸っていると、今回も同行する監査官であるイェルドから声がかかった。
「三人とも、行くぞ。……そのエディの母親はそんなにすごい人だったのか?」
二十代半ばであるイェルドが監査室に配属されてきたとき、母スティナはすでに他界していたので、彼はエディットの母を知らないのだ。
「いろいろと伝説が残っている人ではあるね」
エディットは適当にはぐらかした。エディットも又聞きなものが多いが、とりあえず、母が変な人であったのは確かだと思っている。
でも、エディットを精いっぱい愛してくれていた。エディットの母方の祖父母は健在であるが、母は幼いころに両親と引き離されたため、家族を良く知らなかったのだと言う。面倒見のいい性格ではあったが、自分の子にどう接していいのかわからないと言うこともあったのだそうだ。
それでも、たくさん愛してくれたのはわかる。だから、エディットは母のようにひねくれずに済んだのかもしれない。
だから、思う。何故、母は死んでしまったのだろうか。
△
イェルドと共に訪れたのは専門学校だった。おそらく、エディットとヨーランなら生徒として潜入もできただろうが、今回はイェルドとウルリクが一緒なので正面から堂々と入った。
と言っても、この夕刻を過ぎた時間に、専門学校生はほとんど残っていない。ちゃんと許可を取って校舎に入ったことは一応述べておく。
「ん。いるような気がする」
エディットがつぶやいた。ウルリクも「そうだな」と同意をしてくれるが、エクエスの力を持たないイェルド、さらにヨーランも首をかしげている。
「僕にはわかんないんだけど」
「戦っていれば、何となくわかるようになってくるさ」
一応、ヨーランの師匠にあたるウルリクが適当に言った。彼もエディットも感覚で戦うタイプなので、うまく説明できないのだ。ただ、古参の討伐師はだいたいの人間が近くにいるヴァルプルギスを何となく認識できるらしい。
「エディ。頼むから暴れるなよ」
「善処はするけど、確約はできない」
善処すると言ったのに、殴られた。ひどい。
きーん、と耳に痛いほどの静寂が訪れた。注意深く周囲を見渡す。見える景色は変わっていないが、雰囲気が暗くなった。ヴァルプルギスの領域に足を踏み入れたようだ。エディットは剣の柄に手をかける。
「っ!」
エディットは右手で剣を抜き、白刃を一閃させた。その剣先は何かをかすめたが、とらえきれなかった。
「ちっ」
「おい。暴れるなと言っただろ」
「今のは正当防衛だろ!」
「とか言いながら、すでに顔が笑っているぞ!?」
ウルリクだけでなくイェルドからもツッコミをいただいてしまった。だが、エディットは確かに笑っていた。
「あははははぁっ。楽しくなってきたねぇ!」
「……」
ウルリクが遠い目をした。もはや止める気もないらしい。狂人エディットは狂っているだけではなく、その実力も折り紙つきだ。そのため、止めるのは骨が折れるのだ。
だっ、とエディットは駆け出す。左手ももう一本の剣の柄をつかみ、鞘から引き抜いた。今のヴァルプルギス、影を操れるようだった。近くに本体はいないだろう。困ったことに、狂っていても彼女は頭がちゃんと働いていた。
「ったく、あのじゃじゃ馬娘が! ヨーラン、行くぞ」
「りょ、了解!」
背後からウルリクとヨーランがついてくるのがわかった。イェルドは放置されているが、まあ、彼も優秀な監査官であるし、大丈夫であろう。
感覚のまま突っ走り、エディットは角を曲がった。まったくと言っていいほど、専門学校生の姿も教職員の姿もなかった。
『みぃつけたぁ』
野太いが、子供のように舌足らずな声が聞こえ、エディットは進路と退路を塞がれた。大きな黒い腕のようなものが、先頭を走っていたエディットを捕らえたのである。急ブレーキをかける彼女だが、勢い余って前方の黒い影に飛び込んでしまった。
「……ってぇ!」
抱き込まれるように締め付けられ、さしものエディットも苦しみの声をあげた。だが、エディットは転んでもただで起きる女ではない。この辺母スティナとよく似ていると言われる。
エディットは床を強く踏む。手首をひねり、わずかに剣を動かす。そして。
「おらぁっ」
自分を締め付けている黒い腕のようなものを切り裂いた。もう一方の腕のようなものも二本の剣で切り捨てた。だが、やはりこれは一部であり本体ではない。しかも、再生する。
「きりがないな……でも、楽しいっ!」
たぶん、そのときのエディットの眼は狂気に光っていたことだろう。エディットは周囲を見渡す。
本体はどこだろう。気配をたどれば見つかるような気がしたのだが、まんべんなく充満していてよくわからない。
「奴は影を操るから……」
光があるところにしか、影はできない。つまり、陰っているところにいると襲われない、ということ。
影を操る、と言うことは、陰のあるところを通ってエディットたちを襲っているはず。ウルリクたちも襲われているかもしれないが、そちらは任せておこう。エディットはエディットで何とかする。
エディットは影に沿って走って行く。
『みぃつけたぁ』
先ほどと同じ声。エディットは振り返り、相手も見ずに両手の剣を振り下ろした。
「よし!」
手ごたえあり! 今度はエディットの反射速度についてこられなかった様子で、エディットは確実に『本体』を捕らえた。再び逃がしはしたが、ダメージは与えた。
「エディ!」
「おー! ヤッホー!」
ウルリクとヨーラン、さらにイェルドが駆けつけてくるのを見て、エディットは剣を持った右手をあげた。無駄にテンションの高い彼女にヨーランもイェルドもどん引きである。
「ばかやってないで倒すぞ!」
「了解了解」
なんだかんだ言いつつ、エディットとウルリクの二人がいれば確実にヴァルプルギスを倒し切れるだろう。
二人で連携してヴァルプルギスを追い詰める。あと少しでとどめを刺せる、と言う時、エディットは背後から羽交い絞めにされた。
「!? テメェ! 何しやがる!」
「黙ってろ! ヨーラン! お前がやれ!」
「ええっ!? 僕!?」
背後からエディットを羽交い絞めにしたウルリクがヨーランに向かって指示を出した。ヨーランがびくつき、エディットが暴れる。
「はーなーせぇぇえええっ!」
「てめーは落ち着け!」
ウルリクとしては、弟子であるヨーランに実践の訓練を積ませなければならない。しかし、エディットのお守りも頼まれているので、こんな状況になってしまっているのだ。
エディットもウルリクも実力は抜きんでているので、ヨーランが失敗しても尻拭いはできる。だから、普通にヨーランにやらせればいいのに、エディットは自分が前に出てしまう。
エディットがウルリクに拘束されている間に、ヨーランはうまくヴァルプルギスを倒した。彼は基礎がしっかりしているので、経験を積めばよい討伐師になれるだろう。
……理性ではそう思うのに、実際にヴァルプルギスを前にすると暴れたくなってしまう。というか、暴れる。
だが、目の前でヨーランがうまくヴァルプルギスを倒したので、エディットの出る幕はなくなった。これでいい。これでいいのだが。
「暴れ足りん!」
と、エディットは叫びながら剣を鞘にしまった。一応、目の前にヴァルプルギスがいなくなったので理性が衝動に勝っているのだ。
「はいはい。あとで稽古に付き合ってやるから今は落ち着け」
ウルリクに頭をぐりぐりとなでられ、エディットは憮然と腕を組み、仁王立ちした。
「お前、そう言うところホントにスティナさんそっくり」
「だまらっしゃい」
人当たりの良さは父親似と言われるエディットだが、根本的なところは母親によく似ていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
スティナは十にもならない娘に何を教えているのか(笑)
テーマが重いわりには軽い調子ですみません……。