通り魔【2】
討伐師総括責任者スティナ・トゥーレソン。旧姓・オークランス。それが、エディットの母親の名だった。
三歳でその能力を見いだされ、十二歳ですべての訓練を終えて討伐師となり、三年間先輩討伐師に師事した。十代後半になるころには当代五指には入る実力者として数えられ、二十二歳で大学を卒業したと同時に討伐師の最高責任者である討伐師統括責任者、通称・総帥となった。
当時は当代五指、であったが、今では歴代五指に入る実力だった、と言われている。まあ、確かに母スティナは強かった。愛想はないし口は悪いしデレよりツンの方が多い人だったが、父とはうまくやっていたようである。単純に父が温厚だっただけかもしれないけど。
父イデオン・トゥーレソンは司法省に公務員として採用された、特別監査室の監査官だった。母より三つ年上だったが、正直、子供のエディットから見ても母の方がしっかりしていたと思う。
軍の訓練も受けたことがあると言うよくわからない人物で、ライフル射撃、狙撃が得意だった。射撃に関しては監査室内でかなりの信頼を得ていた。
こう聞くと冷徹なスナイパーみたいな印象であるが、実際にはへらっとした印象の男性だった。いつもにこにこしていて、何をしても怒らない。もっぱら怒るのは母だったが、母は怒り方も不器用だった。本気で怒った時はめちゃくちゃ怖かったけど。
基本的にのほほんとした印象の父だった。エディットは、『顔は母親だけど、中身は父親だね』と言われることが多い。エディットがのほほんとしているかはともかく、人懐っこいところは父親に似ているのだと、エディットも思う。
二人とも、八年前、エディットがまだ九歳の時に亡くなった。二人とも明らかに他殺で、犯人はまだ捕まっていない。
二人とも、討伐師と監査官で表だって捜査できない、という事情もある。二人の死について詳しく調べようと思ったら、どうしても特別監査室の任務内容にまで足を踏み入れることになるからだ。
だから、調べるなら自分で調べたほうがいい。エディットは、初めからそれがわかっていた。だが、今まであまり調べようとは思っていなかった。父はともかく、母はどこで恨みを買っていても不思議ではないような人だったし、何かのきっかけで分かればラッキーだな、それくらいの印象だった。
だが、この夢のおかげで意識が変わった。母の死の真相を知りたいと思った。母よりひと月ほど後に亡くなった父だが、彼の死は母の死に関係しているはず。
つまり、母の死の真相がわかれば父が死んだ理由もわかるのではないかと思ったのだ。
「ま、確かによくわかんない事件ではあるよね。私も小さかったからよく覚えてないけどさぁ」
寮の部屋で向かい合うようにしてそれぞれの課題をしながら、アンドレアが言った。エディットも高等学校の宿題を机に広げている。
「父さんも何も言わないもんね」
「リーヌスさん、うちの母のことかわいがってたらしいもんね」
エディットも同意を示すように言った。現在の監査室長リーヌスは、エディットの母スティナを妹の如く可愛がっていたそうだ。と言うか、母スティナはいろんな人から可愛がられていたらしい。ニルスの二代前のアカデミー校長は、スティナを娘のようにかわいがっていたと言うし。エディットは、彼のことを本気で祖父だと思っていた。顔も似ていたし。
それはともかく。
「不意を突かれたとしてもさ。母さんがそう簡単に死ぬとは思えないんだよね。白兵戦では歴代討伐師の中でも五指には入るって言われてたし」
「そうだよねー。ウルリクも最後まで勝てなかったって言ってたし」
アンドレアも補足する。スティナ・トゥーレソン最強伝説がここに。
まあ、当人が死んでいるので、脚色されている可能性は高いが。
「そう言えば、スティナさんって背中から串刺しにされてたんだっけ」
「そ。凶器はなかったけど、背中から心臓に向けて一刺しだって。ほぼ即死だったんじゃないかって言われた」
「確かに、少しでも息があったらスティナさん、普通に本部まで帰ってきそうだね」
「ははっ。否定できない」
母親が死んだ時のことを語っているのに、なぜか笑うエディットだ。こういうところが『狂ってる』と言われる原因なのだろう。母が相当の変人であったと言うのもあるだろうが。
何より、もう亡くなってから八年もたつのに、まだ死んだ気がしない、と言うのが大きい。父はともかく、母なら「久しぶり」とか言って普通に現れそうな気さえする。
「っていうことは、顔見知りの犯行の可能性が高い?」
「でも、どうだろ。背中から刺されてたなら、母さん顔見てないのかも」
「確かにそうだね」
考えてもわからない。考えながらでは、宿題が終わらない。
「とりあえず……宿題が終わってから考えようか」
「賛成」
アンドレアの提案に賛成し、その日、エディットたちは宿題に集中することにした。
△
エディットの通う学校はフェルダーレン大学附属高校である。制服は特になく、みんな私服姿だ。私服になると、みんなの趣味が何となくわかってくるものだ。ちなみにエディットはユニセックスな服を好むので、ここでもやはり性別を間違われることが多い。
登校したエディットは、仲の良い女子生徒たちがなにやら集まって話をしているのを見た。
「おはよー」
「あ、おはようエディ。今日もハンサムね」
返事をした女子生徒が茶目っ気を出してそんな返事をした。ちなみに、『ハンサムね』とはよく言われる。
「どうかしたの?」
鞄を自分の机に置きながらエディットは尋ねた。すると、中心にいた女子生徒を周囲が見つめる。
「え、バーバラがどうしたの?」
人垣の中心にいた少女バーバラがぐっと顔をしかめた。すると、他の女子生徒が言った。
「エディは最近の通り魔のこと、知ってる?」
「通り魔? ニュースでやってる?」
「そうそう」
エディットは自分が浮世離れしている自覚はあるが、一応、一般のニュースなども確認している。監査官も一般事件を確認するので、新聞や情報誌が監査室本部に大量に置かれているのだ。それに、テレビの報道番組もそれなりに見る。そこに、ヴァルプルギスを発見するヒントがある可能性もあるので。
「まさか、バーバラが襲われたの?」
「そのまさかよ」
エディットの隣にいた女子生徒が神妙にうなずく。
「昨日の夜、道路を歩いてたらいきなり襲われて髪を切られたんだって」
「うっわ、きもっ」
その髪をどうする気なのだろうか。そして、だからバーバラは髪が短くなっていたのか。いろいろ納得である。
「髪を切るとか、ひどい」
「服を切られたって子もいなかった?」
「液体をかけられた子もいたよね」
「やだぁ。早く捕まってくれないかな」
女子生徒たちが口々に言う。それは確かに早く捕まってほしい。少年めいた格好をしているエディットはそう言った標的になったことはないが、それでも変態は気色悪いと思う。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。担当教師の話を聞きながら、エディットは果たしてその通り魔は同一犯なのだろうか、と考えていた。
△
通り魔の話を聞いたその日、エディットは遅くに人の通らないような道を通って帰ってみたが、何もなかった。ちなみに、友人たちと遊んで夕食に行った後の話だ。結構いい時間になったので、ちょっと試してみたのだ。まあ、ショートカットでパンツスタイルでさらに長身のエディットを女性だと思うのはちょっと難しいか。
「ただいま」
「お帰りー。遅かったね」
部屋で迎えてくれたのは同室のアンドレアだ。先に帰ってきていたらしい。
「あんた、夕食は取ってきた?」
「うん。友達と済ませてきたよ」
エディットがそう言いながら鞄をおろし、着替えを手に取る。その前に部屋に置いてある等身大の姿見を見た。
「ねえ、アニー」
「ん?」
大学の課題をこなしているアンドレアは顔を上げずに先を促した。エディットもよくやることなので特に気にせず尋ねる。
「私って、男に見えるかな?」
「……」
顔をあげたアンドレアは、一瞬「何言ってんだこいつ」みたいな表情になったが、すぐに答えた。
「そうだね。髪も短いし、顔立ちもどっちにも取れるよね。まあ、私も人のことは言えないけど」
「母さんは結構女顔だったんだけどなぁ」
「それは私もだね」
エディットもアンドレアもどちらかと言うと母親似なのだが、二人ともどこか中性的な印象が入る。まあ、髪が短いのもあるだろうが、母は髪が短くてもちゃんと女性に見えたのに。言動の問題か? いや、だが、母はかなり口が悪かった、と思い出す。
後学のために言っておくが、アンドレアの母親は健在だ。くれぐれもお悔みなど申し上げないように。
「突然どうしたの。今まで気にしたこともなかったのに」
アンドレアが頬杖をついて尋ねた。風呂に行こうとしていたエディットは立ったまま振り返って言った。
「いや、ちょっと変態の話を聞いてさぁ」
「ああ、通り魔のやつ? 確かに気持ち悪いよね」
アンドレアも同意見だったようだ。というか、通り魔と言わなかったのにここまで通じる二人もすごい。
「うん。同級生に襲われた子がいてさ。ちょっと顔を拝んでやろうと思って人気のない通りを通ってきたんだけど」
「釣れなかったってわけか」
「そういうこと」
まあ、一発で釣れるとは思っていないが、それでも、そもそも女性に見えるか、という問題もある。何しろ、同級生に「ハンサムね」と言われるようなエディットだ。
「っていうか、ヴァルプルギスは関係ないんだし、放っておけばいいじゃん。あんた、スティナさんと同じで引き強いし、しばらくしたら事件の方から寄ってくるって」
「否定できないけどひどいよね、それ」
アンドレアの発言に抗議するが、意義は唱えられないエディットであった。事実なので。母も事件の方から寄ってくる引きの強い体質だったが、それがしっかりエディットにも受け継がれているのである。
「でも、統計学的にエクエスの力を持つ人間は勘がいいって言うじゃん? あんたが気になるってことは、ヴァルプルギスが関わってる可能性もあるんじゃない?」
「そんな勘はいらない」
両親が二人ともエクエスの力を持っているアンドレアとは違い、エディットの父はエクエスの力が皆無だった。なのに、その娘であるアンドレアとエディットでは、エディットの方が力が強かった。
アンドレアの両親は、エクエスの力があるとはいえ討伐師になるほど力が強くない。しかし、彼女の祖父は討伐師だったらしい。
やはりあれか。隔世遺伝とか、弱いけど両親ともにエクエスの力があるよりは、片親とはいえ強力な力を持っていた人間の子供の方が力が強いのか。解せぬ。
「まあ、勘云々はともかく、ヴァルプルギスって人を食らうために殺すって言われてるけど、別に食うためには殺さなくてもいいわけでしょ。ってことは、頭のいいヴァルプルギスが人体の一部を奪って逃げているのかも」
「それって頭いいんだろうか」
思わず素でアンドレアにつっこんでしまったが、最近のヴァルプルギスは頭がいい奴が多発しているのでありえなくはないかもしれない。
「どっちにしろ、私らでは女装してもひっかけるのは難しいかもね」
アンドレアがそう結論を下した。確かに、アンドレアもエディットも中性的な顔立ちだけど!
「……かつらをつけたら、アニーなら、行ける……!」
「かつらまで用意すんならあんたがやりなさい」
アンドレアを睨むようにして言ったら、そう言い返されてしまった。確かに、顔は母親に似ていると言われているし、女装すれば行ける、か?
「監査官たちに任せた方がいいとは思うけど」
「……そうだね。そうする」
監査官は基本的に調査が本分。彼らに……今回の通り魔事件なら女性監査官に任せておいた方が無難かもしれない。
「じゃあ、私、シャワー浴びてくる」
「はいはい。ごゆっくり」
話にひと段落ついたエディットは当初の目的を思い出してバスルームに向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
女装女装言ってますが、エディットは性別:女です。