通り魔【1】
第2章です。
かーなーりー、ネタバレです。
エディットは母の姿を見つけて駆け寄った。
「お母さん」
振り返ったのはニ十代半ばほどに見える銀髪の女性だ。実年齢はもう少し上だけれども。絶世の美女と言っても差し支えない母に、エディットは似ているとよく言われる。
「エディ。まだ早い。寝ていていいんだぞ」
美しい顔立ちに似合わぬ少し乱暴な口調で母は言った。しかし、エディットはそう言いながら頭を撫でてくれる優しい母が大好きだった。
「お母さん、どこかに行くの?」
黒いコートを着た母に尋ねた。母はエディットの頭を撫でる手をとめると、彼女の前にしゃがみ「エディ」と声をかけた。
「お前はしっかりしているな」
「うん……うん?」
エディットは小首をかしげた。そんな娘を見て、母は笑みを浮かべた。めったに笑わない母だったので、エディットは目をしばたたかせた。
「大丈夫だ。お前は一人じゃない。助けてくれる仲間もたくさんいる。それに、どこにいても、私はお前のことをちゃんと見ているから」
そう言って母は立ち上がり、右手の人差し指と中指をエディットの額に当てた。
「部屋に戻ってお眠り。よく眠って、私に会ったことは忘れるんだ」
△
そこで、エディットははっと目を覚まし、がバッと起き上がった。小さい時の夢を見ていた。
「どうしたの? 大丈夫? 寝汗すごいけど」
ベッドを仕切っているカーテンを開けて覗き込んでくるのは同室のアンドレア・ハンメルトである。明るい金髪に淡い青色の瞳をした美人で、名前からわかるとおり監査室長リーヌスの娘である。言われてみれば似ているな、と思うくらいには似ている。ちなみに、エディットより年上の十九歳だ。
「……うん。変な夢見た」
「変な夢? 悪夢?」
「ううん。変な夢」
悪夢ではない。幼い時に死に別れた母に会えたことを考えれば、むしろいい夢と言ってもいいかもしれない。だが――。
夢にしては変だった。リアリティがあった。あんな記憶、一つもないが……。
私の記憶何だろうか。と言うのがエディットの感想である。黙り込んだエディットを見て不思議そうにしたアンドレアだが、すぐに言った。
「まあ、問題がないならいいけど。とっとと着替えて朝食に行こ」
アンドレアはそう言って微笑んだ。ここは討伐師養成学校の寮だ。エディットもアンドレアもここで訓練を受けた。
通常、この寮は十八歳以下の討伐師、および候補生が暮らしている。しかし、現在、特別監査室の官舎に空きがあまりないので、十九歳のアンドレアはこうしてエディットと同室の相方を続けている。
討伐師……というか、エクエスの力と呼ばれる浄化能力を持つ者には多いのだが、アンドレアも整った顔立ちをしている。パーツとしては、歌姫である母親に似ているのだが、全体的な印象は父親のリーヌスに似ている。よって、中性的な雰囲気に仕上がっている。現在はショートカットなので、エディットと同じく性別が外見からいまいち判断できない。
今日は学校も休みなので、ラフなシャツの上にパーカーを羽織り、部屋を出る。アンドレアと話しながらも、夢のことが気にかかっていた。誰か、母のことを知っている人に話を聞きたい。
噂をすれば影、ではないが、母と同じ人に師事していた人物を発見した。ヨーランの父である、ニルス・ダールグレンだ。このアカデミーの校長でもあり、たいていの人は『教官』と呼んでいる。
「きょうかーん!」
エディットは朝から高いテンションでニルスを呼び止めた。四十歳を越えてもどこかかわいらしい印象のあるアカデミー校長はエディットとアンドレアを見て「おはよう」と微笑んだ。ちなみに、討伐師……というか、エクエスの力があるものは、姿から年齢を予測することは難しい。みんな若作りだから。
金髪碧眼のハンサムである校長に、エディットは尋ねた。
「ねえ教官。私、ちょっと気になる夢を見たんだけど」
「うん。その話は朝ごはんを食べながら聞いてもいいかな」
食堂に向かっている途中だったらしいニルスは、そう言ってエディットの話をぶった切った。これが慣れていないものだとそのままエディットの勢いに飲まれてしまうのだが、さすがは生まれた時からエディットを知っているニルスである。すぐさま遮ってきた。
「エディ、教官の言うとおりだよ。私もおなかすいたし」
とアンドレアも主張したので、とりあえず食堂に向かうことになった。まあ、エディットも話を聞いてくれるのなら何でもいい。
ちょうど朝食の頃合いなので、アカデミーの食堂は混んでいた。すでに食事をとっていた討伐師やその候補生たちが校長であるニルスを見て「おはようございまーす」と元気にあいさつしている。
「それで、聞いてほしいんだけど」
朝食を前に、エディットは早速口を開いた。ニルスは「どうぞ」と言いながらもパンをちぎって食べ始めた。エディットの奇行を見慣れてくると、だんだんみんなこうなってくる。エディットの隣でアンドレアもサラダを食している。
「母さんの夢を見た」
エディットはそう言って簡単に夢の内容を話した。夜が明ける前、監査室の家族用の宿舎内で交わした母との会話。
最後に、母がどこかに出かけて行ったこと。
「たぶん、母さんが死ぬ直前のことだと思うんだよね」
エディットはそう言ってオニオンスープをすすった。母はあまり料理が得意ではなかったが、父は料理上手で、彼の作るオニオンスープが一番おいしかったな、と思った。
母の遺体が見つかったのは、朝方だったと記憶している。いや、当時のエディットは幼くて詳しいことまでは知らないのだが、報告書を読む限りではそうなっていた。だから、これが明け方の話だとしたら、エディットは最後に母に会った人物である可能性がある。
「……でも、どうして忘れてたんだろ。夢だと思って忘れたにしてもちょっとおかしい感じだしさぁ」
そう疑問を口にして、エディットはパンにかぶりついた。大食漢が多い討伐師たちは、朝から食べる量が半端ではない。
すでにかなりの量を腹に収めているニルスが、ゆっくりと口を開いた。
「君のお母さん……スティナと言えば、その高い戦闘力に目が行きがちだけど、彼女、軽い精神感応能力も持っていたんだよね」
「そうなんだ?」
エディットが身を乗り出してニルスに言った。彼はスープをすすり、言う。
「そうなんだ。君のご両親が結婚する前のことだけど、一度、二人の精神が入れ替わったことがあってね」
「はあ?」
首をかしげたのはアンドレアも同じだった。精神が入れ替わるってあれか。中身が入れ替わるということか。ドラマや映画じゃないんだから。
だが、本当らしい。
「事実だ。何ならアニタやリーヌスにも聞いてみなよ。特にアニタは現場にいたからな」
「……やめとく」
そう答えたのはアンドレアだった。彼女は、アニタ……討伐師と監査官の調整役である室長補佐官の彼女が苦手なのだ。彼女の中に、父親に聞くと言う選択肢は最初からないらしい。
「まあ、気が向いたら。で、それがどう関係あるの。あ、中身が入れ替わったってことは、どっちかが精神感応系能力がある可能性が高いもんね」
「そう言うこと。当時は原因不明だったけどな。あとからわかったことだから」
とニルスは食後のコーヒーをすすった。エディットの父に能力的な素養は何一つなかったので、母に精神感応能力があったと言われる方が納得できる。比較的、だけど。
「彼女は亡くなってしまったし、そうでなくても、精神感応能力は自覚できないほど軽微なものだったから、確認しようがないけど、エディが忘れていたのも、彼女に『そう言われたから』かもしれないな」
「意識を『指示の方向に向ける』のが母さんの能力だったってこと?」
「と言うより、『強く認識している方に向ける』かな。そうだとすれば、君のご両親が入れ替わった説明がつくだろう」
説明がつくかはわからないが、ちょっと納得できる。母の言葉は、それだけで力だった。彼女の存在はカリスマだった。そこに存在するだけで、謎の安心感がある。そんな人。
「でも、うん。そうか……スティナの死も、まだなぞに包まれたままだからな。アニタやリーヌスにも伝えておこうか。何か分かるかもしれない」
「わかったら教えてほしいんだけど」
ずうずうしくエディットはニルスに頼んだが、彼は微笑んで「わかったよ」とうなずいた。
「君にはその権利があるからね。エディット・トゥーレソン」
子であるエディットには、知る権利がある。エディットが小さいころに亡くなった母のことであるが、それでも大切な思い出がある。
それに何より、真相がわからなければすっきりしない、と言う思いもあった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
やっと出てきたエディット母。大いなるネタバレですね(笑)