迷いの森【4】
ヴァルプルギスの共食い現場を見つけてから約二時間。応援の監査官が到着して一気に森の中は騒がしくなった。調査員でもある監査官がたどりつくまでに、エディットが一通り検死したが。
「といっても、お前にはよくわからなかったんだろ」
「やっぱり生態学とかは専門じゃないし」
ウルリクに言われて思わず言い返したエディットだが、彼女はまだ高等学校三年生だったりする。専門も何もない。
「……なんで二人ともそんなに平然としていられるの……」
胃の中のものを吐ききって青い顔をしているヨーランがこちらに背を向けて言った。ウルリクやエディットと同じ方向を見ると、ヴァルプルギスの大量の遺体が眼に入るのである。現在、そこには多くの調査員が群がっているけど。
「慣れ、だろうな」
「だろうねぇ」
ウルリクはともかく、エディットは訓練期間を終えて正式な討伐師になってからまだ一年ほどだ。それでも慣れるほど、彼女はこういった現場を目撃してきたのだ。むしろ作る側なのかもしれないけど。
討伐師である彼らは、もうここにいても仕方がない。なので、すでに帰還許可が下りている。そろそろ本部に戻るつもりだ。
「まあ、明日か明後日には結果が出るだろうな」
ウルリクがそう言ってヨーランを連れて森を出にかかるので、エディットもそれに続いた。
その次の日。本当に結果は出た。
「調査の結果、あの場にいたすべてのヴァルプルギスが人間が変化したものであると判明しました」
「……そうか」
調査員の報告を聞くのは特別監査室長リーヌス・ハンメルトだ。褐色の髪に緑の瞳をしたなかなか顔立ちの整ったおじ様だ。かつて討伐師の訓練を受けたこともあるらしく、理解のある人である。エディットの母の兄貴分でもあり、両親を失った彼女のことを気にかけてくれる一人だ。
「DNA鑑定を行った結果、いなくなった二十三名のDNA型と一致しています」
と言うことは、あの場で共食いで倒れていたヴァルプルギスとエディット・ウルリクが倒したヴァルプルギス二体、さらに最初に見つけた遺体も含め、全て人間からヴァルプルギスに無理やり変化させられたと考えるべきなのだろうか。
「って、ちょっと待ってよ。森の中でいなくなったのは二十三人かもしれないけど、街中で消えたっていう八人は?」
エディットが口をはさむと、一緒に報告を聞いていたイェルドが手を当てた。
「それに関して。警察のその後の調査で分かったんだけど、その八人は消えたわけではないんだ。男子学生六人が女子学生二人を監禁して暴力に及ぼうとしていたところを検挙されたと言う話だ」
「何それ。その六人ぶん殴ってくる」
「お前がやると死ぬからやめろ」
ウルリクに止めに入られた。もちろん、エディットもウルリクも冗談である。周囲はちょっと引いていたので本気だと思ったのかもしれない。
まあ、それはどうでもいい。いや、よくないのかもしれないが、監査室には関係ない。
「人間をヴァルプルギスに変える薬品か……昔よりも完成度が上がっている気がするな」
報告書を読み、リーヌスが言った。彼は住人がヴァルプルギスに変化して暴れまわったと言う『ヴァルプルギスの宴』事件を経験している。
人間をヴァルプルギスに変える薬品に、ヴァルプルギスを操る能力も存在することがわかっている。後者は、能力の度合いによっては薬品を使わなくとも人間をヴァルプルギスに変えることができるとわかっている。
「取り締まろうにも難しいですからね。薬品自体は見つけ次第没収すればいいですが、そもそも精神感応系の能力にその手の力があるんですから、薬を没収しても意味がありません」
イェルドがリーヌスに意見した。リーヌスも「そうだな」とうなずく。
「大本を何とかする必要があるわけだが……四半世紀そう言い続けて、何も進んでいないからな」
「そのせいで責められてますしね」
イェルドが痛いところをついてくる。つくと言うより、えぐった。
「お前なぁ。そう言うことを言うなよ」
丸めた資料を振りながらリーヌスが言った。先ほどまでのまじめさはどこに行った。これだから母の知り合いは変人ばっかりとか言われるんだよ、天国の母上よ。
というか、母で思い出した。
「はいっ。質問!」
「元気がいいな、エディ。よし、何だ?」
元気に手をあげたエディットに、リーヌスが機嫌よく答えた。エディットに遠慮など存在しないので、彼女はそのままのノリで尋ねた。
「これって私の母さんが死んだことと何か関係ある?」
「……」
この場どころか執務室中がしーんとした。戸惑っているのはここ数年の間に入ってきた監査官だけだ。リーヌスも笑顔のまま固まっていた。
初めに沈黙を破ったのはウルリクだった。彼はエディットと肩を組むように頭を寄せ、視線は合わせずに頭を合わせた。エディットがシークレットブーツを履いているので、二人の身長は同じくらいになっている。
「お前、あとで食事おごってやるからそういうことを元気に聞くな」
「おおっ! やったぁ! 約束だからね! でも聞くのはやめない!」
やはり元気に言うと、頭突きを食らった。エディットも痛かったがウルリクも痛かったらしく、「この石頭」と言われた。その言葉、そのままそっくり返してやる。
「そこのバカップル。ちょっと落ち着け」
ひどい。バカップル扱いされた。カップルじゃないのに。というか、エディットの性別を勘違いしている監査官がリーヌスの発言に引き気味だけど。
そのリーヌスはため息をつきエディットを見上げた。
「それに関しては調査中だ。わかったら教えてやろう」
「わかった。待ってる」
殊勝にうなずいたエディットに、リーヌスは苦笑を浮かべた。
「まったく。お前は誰に似たんだろうな」
確かに、よく父親にも母親にも似ていない、と言われる。顔立ちはどちらかと言うと母親似であるし、髪の色などは父親似か。愛想の良さも父親譲り。でも、性格はあまり似ていない、と言われる。
「でも、母さん曰く、人間の性格は育った環境に左右されるから親に似てなくても問題ないって」
「子供に何言ってるんだ、あいつは」
「それに、叔父さんが私は母方のおじいちゃんに似てるって言ってた!」
「それは胸を張って言うことなのか?」
リーヌスとウルリクにそれぞれツッコまれながらエディットは言いたいことを言い切った。まあ、誰に似ているかなどはどうでもいい雑談だ。
「あの~。報告の続き、いいですか?」
「あ、ごめん。どうぞ」
申し訳なさそうに口を挟んでくる調査官に、話をそらしてしまったエディットが勝手に許可を出す。
「それで、何ですけど。どうやら実験をしていたみたいなんですよ」
「実験?」
「ええ。実験です」
隣にいたイェルドに尋ねられたので、調査官は彼の方を向いてうなずいた。それからリーヌスに向き直る。
「そもそも、遺体の数と行方不明者の数が一致すると言う時点で奇妙なんです。遺体は、全てヴァルプルギスに変化していたんですよ。なら、ヴァルプルギスに変化させたのは誰なのか?」
「!」
全員がはっとした表情になった。普通、元に戻れないかもしれない実験に自分を使わない。なのに、あそこに生者はいなかった。
ならば、誰が遺体で発見された彼ら全員をヴァルプルギスに変えたのか?
必ず、いるはずだ。あと一人以上。あの場にいたものが。そして、そいつが今回の事件の黒幕である。もしかしたら、その人が。
エディットの母の死の真相を知っているかもしれない。エディットの眉間にしわが刻まれる。
「……ウルリク」
「なんだ」
エディットは空気を読まずに遠慮のないことを言った。
「おいしいステーキが食べたい」
「……本当にお前の中に遠慮と言う文字はないんだな……」
そう言って、ウルリクはため息をついた。
△
基本的に、討伐師は大食漢である。おそらく、エクエスの力、もしくは浄化の力と言われることもあるが、その力を使うのにエネルギーを消費するからだ。そのため、細身の女性に見える討伐師でも、ゆうに二人前は食べるのである。エンゲル係数が恐ろしい。
そんなわけでウルリクに連れられてステーキを食べに来たエディットだが、彼女は体格に似合わず一キロ近いステーキをぺろりと平らげた。しかし、同席者が同じく討伐師のウルリクとヨーランであるため、二人とも平然と彼女の食べっぷりを見ていた。
「やっぱり僕はダメだね……エディやウルリクのようにいかない」
ヨーランがアイスをつつきながらしょげたように言った。いつの間にか、場はヨーランのお悩み相談のような状態になっていた。
「や、私みたいになっちゃ駄目だろ」
「自覚があるならやめろ」
「無理」
以前と似たような会話を繰り返し、話を戻す。
「別に感性的には普通だろ。別に俺達だって怖いと思わないわけじゃねーし」
「え?」
「は?」
エディットが目を見開いてウルリクを見た。怖いと、思うのか。いや、エディットも思うが、ウルリクもそうなのか。
「いや、なんでもないよ」
エディットがそう言って首を左右に振ったので、ウルリクはヨーランに向き直る。
「だが、もうお前は討伐師だ。逃げることはできないぞ」
「わかってる……それに、力のある僕が逃げるわけにはいかないって、思うんだ……」
義務感と恐怖の中でヨーランは揺れている。戦うのは怖いが、自分にはできるだけの力があるのに、やらないのは卑怯だと思っているのだろう。
「ヨーラン。自分で決めたんだ。最後までやり遂げろ。迷っていると、いつか足元をすくわれるぞ」
「うん。わかってる」
ウルリクの厳しい言葉に、ヨーランは神妙にうなずいた。エディットはミルクティーをすすって、今の言葉、ウルリクの師でもあった母の言葉に似ているな、とかつて最強とも言われた討伐師であった母のことを思い出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1章終了です~。
にしても、名前でけっこうネタバレしてる。