間章
今回は説明回です。
明け方。娘エディットを見送ったスティナは目を細めた。自分の娘とは思えないほど素直な子だ。おそらく、父親であるイデオンに似たのだろう。
スティナは今、その夫も、子も、置いて行こうとしている。それに負い目がないわけではないが、彼女は母であり、妻である前に、討伐師だったと言うことだ。
不意に、夫と結婚する前のことを思い出す。討伐師である自分は、結婚しても夫より先に死ぬだろうと思った。その後、夫がほかの人に取られるかもしれない、と思ったら結婚に踏み切れなかったのだ。
だが、結局スティナは押し負けた。そして、その時負けてよかったと今では思っている。
自分が子供を産むとは思わなかった。生める体だとは、思わなかったと言うのが正しいか。散々体を酷使してきた自覚はあった。エディットを生んだ時、本当に感動して涙がこぼれた。大切にしようと誓った。
なのに、スティナは愛しい娘を置いて行く。そして、その背を押したのは、皮肉にもその娘であった。
エクエスの力は遺伝しやすい。先に生まれた、リーヌスとヴィルギーニアの子もエクエスの力を持っていたし、エディットも例外ではない。彼女の場合は母スティナが規格外の力の持ち主であるのに対し、父イデオンは力皆無であったが、どうやらスティナの方の血が強く表れたらしい。母ほどではないが、すでにかなりのエクエスの力の持ち主である。
エクエスの力は、ヴァルプルギスを倒す浄化の力。だが、その力は同時に、強大な戦力ともなりうる。ここにきて、スティナが総帥になる前から会った話が蒸し返されてきた。すなわち、討伐師を国軍に組み込もうと言うのだ。
討伐師と言うのは、軍隊ではない。軍隊じみているところはあるが、徴兵されたのではなく義勇軍的な集まりである。断じて軍隊ではない。国に奉仕するつもりはない、とスティナはずっと突っぱねてきた。
もう一つ、断る理由としては、国軍が人工ヴァルプルギスの実験を行っていることである。ある意味、国軍と討伐師は敵対しているのである。
スティナは身をひるがえした。ロングコートをゆらし、官舎を出た。向かうのは軍務省本部。非公式の交渉だった。
明らかに、罠だ。討伐師に対して圧倒的な影響力を誇るスティナを排除しなければ、軍に討伐師を組み込むことは出来ない。討伐師からの支持率が高い彼女を引き摺り下ろすには、殺してしまうのが一番早い。
その時スティナは無抵抗でいようと思った。無抵抗の人間を殺したとなれば、絶対に残った討伐師たちは国軍の要求にうなずかないだろう。
そういうわけで、スティナは手ぶらだった。おそらく、彼女は素手でも軍務省を制圧できる。だが、そうするつもりはなかった。そんなことをすれば、言いがかりをつけられるのは目に見えていた。
軍務省本部は、スティナたちが住む官舎からそう離れていない。明け方の人通りの少ない街を一人で歩き、スティナは本部に入った。すでに三十代も半ばであるが、彼女の美貌は健在であり、酔っぱらいに絡まれたりはしたが彼女はことごとく無視してきた。
交渉は決裂した。そもそも、交渉が成立する可能性などなかったのだが。うなずけと銃を向けられても、スティナはうなずかなかった。その人生のほぼすべてを討伐師としてささげてきた彼女に、彼女自身の命をたてどった脅迫など、効きようがなかったのだ。
だが、ここで一つ、彼女の計画に狂いが生じた。彼女がかつて教えた討伐師、ケヴィンが彼らに加担していたのだ。彼の主張もわからないではない。スティナも、国軍に討伐師を組み込む利点がわからないではないのだ。だが、それ以上にデメリットの方が大きかった、と言う話なのである。
とっさに思案した彼女はすぐに行動に移した。彼女は判断から行動を起こすまでが短いのである。目の前にいた男の銃を素手ではねとばした。
そして、これに反応したのはケヴィンだった。さすがに彼もスティナの弟子だ。スティナは状況を見て、その時最初の判断がほとんど常に正しい、という妙な持論を持っていた。そして、それはケヴィンにも引き継がれたようである。
スティナの体は、ケヴィンの剣によって貫かれた。後ろから、まっすぐ。即死ではなかった。死後、彼女の死因は失血性ショックだったと言われているが、それは事実だった。
大量の血液が失われ、彼女はその場で死に至ったのである。
その後、自らの師を殺したケヴィンはその遺体を立体駐車場に遺棄した。仰向けに、まるで彼女の死を悼むように手を組み合わせ、髪を整えた。彼は後悔していたのだ。当時最強と言ってもよかったスティナを殺したことを。姉とも慕った彼女を、直感に従って殺したことを。
スティナの『判断力』は、彼女の経験と、その場を生き残るための最善方法で成り立っている。だから、ケヴィンの判断はその時、彼が生き残るためとその目的を果たすためには正しかった。
しかし、長い目で見れば間違っていたとしか言いようがないだろう。スティナを剣で刺してしまったと言うのは、ケヴィンの失敗だった。
剣、と聞くと、討伐師たちはまず自らの戦い方を思い出す。討伐師のほとんどは、剣を主な武器として使用する。たまに槍や弓を使うものもいるが、九割がたが剣士である。
なので、スティナの死因が剣だと聞くと、討伐師たちは自分たちの仲間が殺したのではないか、と勘繰るのである。まあ、それは正しいのであるが、そこから事実が露見することもあると言うことだ。
実際に最速で気づいたのは、討伐師ではなく監査官だった。スティナの夫イデオンである。最もスティナの近くにいたのだから、気づいても不思議ではない。ちなみに、彼も討伐師を国軍に組み込むことには反対していた。
娘エディットが言ったように、イデオンもスティナを殺すことができる人間はそう多くないと思っていた。なので、その時点でかなり容疑者が絞られる。
スティナは、夫にすら事実を伝えていなかった。これは夫を信用していなかったのではなく、巻き込まないように、と言う配慮である。
しかし、イデオンも官僚になれるくらいの頭脳がある人間である。本人は中の中くらい、と言っていたが、そこそこ優秀だったと言うことだ。
彼はスティナが死ぬ前に軍務省を訪れていたことを知った。そして、その時同じく、ケヴィンも軍務省を訪れていたことに気付き、確信を得た。
当然、ケヴィンと口論になる。口論の末、ケヴィンはイデオンの拳銃を奪い取り、射殺した。口封じのために。スティナの懸念は現実になった、と言うことだ。凶器に拳銃が選ばれた理由は単純で、その時、ケヴィンは剣を持っていなかったのである。なので、イデオンが携帯していた拳銃を奪い取ったのだ。
スティナの時とは違い、イデオンの殺害場所はホテルの一室だった。ケヴィンは逃げるようにホテルを出た。銃声に気付かれたかもしれないし、ホテル内なら犯人を絞り込みにくいと考えたのである。
凶器の拳銃もイデオンの側に落ちていた。指紋もついておらず、何の手がかりにもならなかったが。
さらに時は進んで、ニルスの一件である。ニルスも、イデオンと同じく長い時をかけて真実に気づいた。彼が気づけたのは、討伐師の中でも権力に近しい校長となったからだ。
こちらでも口論となる。ニルスはスティナの教えを受けたわけではなかったが、彼女とは兄弟弟子である。そして、スティナもそうだが、彼らがまだ候補生だったときのアカデミーの校長ミカル・ブロームと、彼らの師であったエイラ・セイデリアの影響を大きく受けていた。
そのため、ニルスも、そしてアニタも国軍編入には反対の立場だった。ニルスは秤にかけた。
ここでニルスが殺されれば、アニタはさらなるショックを受けるだろう。しかし、スティナと同じように殺されれば、今回の場合は真実に気づく者が出てくるかもしれない。ケヴィンを止められるかもしれない。少なくとも、彼は仲間を手にかけたと言うことで、討伐師たちの信用を失い、総帥から降ろされる。
ニルスは後者を選び、ケヴィンに殺されたのだ。彼の腕であれば、ケヴィンを返り討ちに出来ただろうに。討伐師の未来の為、彼もまた、自分の命を投げ出した。
彼のもくろみ通り、ケヴィンは総帥を解任され、全権はアニタの双肩にかかっている。ニルスも彼女がスティナやイデオンたちの死を経て心に深い傷を負っていることを知っていたが、それが一番良い、と判断したのである。
とにかく、八年の時を経て、エディットの両親の死の謎は解明された。ほっとするとともにそれくらいで、という思いもある。スティナも、ケヴィンも、どっちもどっちだ。二人ともちゃんと交渉の場に立つべきだった。一方は死に、一方は武力で自分の主張を訴えるなど、本来はあってはならないことだ。
だが、スティナやニルスの訴えは、討伐師たちに受け入れられるだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちなみに、次で最終話であります。