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第三話プロローグ~第三話一章 文化祭準備・上

                 プロローグ

 時代と一義の騒動からかれこれ一週間。俺はいつものように、朝六時に姉ちゃんに起こされた。七時から始まる朝練に行こうと思うと、この時間でないと間に合わない。

「歩ちゃんから聞いたわよ?学園祭、テニス部で試合をするそうね。」

 姉ちゃんが、洗濯物を干しながら、ベランダからそう声をかけてくる。

「まーね・・・」

 歩の奴、余計なことを・・・

「どうせ、俺が試合に出ることも知っているんでしょ?」

「もちろん。応援に行くから。めぐみも連れて。」

「・・・どうぞ、ご自由に・・・」

 伊吹がこの事実を知っているのか・・・俺はそれだけ聞こうと思いながら、少し冷めたコーヒーを飲んだ。


                 第一章

                 文化祭準備・上


 その日の放課後。いつもならクラブに行く時間なんだけど・・・あいにく、俺達のクラスにそんな時間はあまりない。なぜなら・・・

「歩~、こっち押さえて~。」

「OK、今行くよ、幸美ちゃん。」

「恭一ー、ガムテー。」

「お前の足元にあるだろ、瑠璃。」

 こんな感じで、文化祭の準備に追われているからだ。どうして今になって、こんなに慌てているか・・・その原因は、今から四日ほど前に戻る。


 その日の放課後。授業も終わり、さてクラブにでも行こうかとテニスコートの方を眺めていた。他の奴は携帯いじったり、おしゃべりしたり、この束の間の自由時間を満喫している。そして、程なくして豊綱先生が入ってくる。今日は現代文の授業がなく、朝のHR以来の教室再来だ。

「お待たせ。さて、私の方からは特に連絡はないんだけど・・・そっちのお二人さんは、言いたいことがあるんじゃない?」

 そう言って豊綱先生が視線を向けたのは、一組の男女だった。一人は杉山で、もう一人はその隣に座る藤原麗子(ふじわられいこ)だった。

 藤原は水泳部所属で、身長は百七十後半とかなり高い。淡い色の髪に鋭い目つき。一年ながらその実力は折り紙つきで、県内じゃ『ブルーマーメイド』なんて呼ばれているらしい。実家は合気道の道場で、本人の腕前もかなりのもの。

 二人はスッと席から立ち上がると、教壇に立った。何が始まるのかと少し静まり返った俺達を見て、藤原が澄んだ声で喋りだした。

「実は今この場で、みんなに早急に決めてほしいことがあるの。それは、文化祭の出し物よ。」

 文化祭の出し物・・・藤原は、確かにそう言った。そういえば、二人は文化委員だったっけ。

「事前のアンケート調査で、俺達がすることは巨大制作物になっている。今日決めてほしいのは、その具体案だ。今日中に決めないと、俺達は制作物なし。文化祭不参加ってことになる。」

「不参加って・・・当日見て回ったりとかもできないってこと?」

「そういうことになるわ。」

 歩の不安そうな声に、藤原は表情一つ変えずにそう言った。

「そらまずいな・・・でも、巨大制作物って、基本的には何したらいいん?」

 国風の質問に、藤原はチラッと手元の資料に目を配ってから答えた。

「クラス単位で参加する巨大制作物は、この教室一個分のスペースでできることね。校庭に飾るモニュメント制作は、イラスト部の担当だから。そうよね、平牧さん?」

「え、そ、そうだけど・・・」

 急に話を振られたせいか、少しあたふたしながら答える平牧。

「つーわけなんだ。なんか、いい案ないか?」

 杉山はそう言うと、俺達をグルッと見渡した。少しの間、俺達は言葉を発さなかった。

「ここはやっぱ、阪神タイガースミュージアムしかないんちゃうか?」

 真っ先に沈黙を破ったのは、なんともらしい意見の犬飼だ。

「奇遇やな、真由美。ウチも、おんなじこと考えとった・・・」

「ウチもや・・・」

 国風、高村も犬飼に賛同したのかそう言った。でも、当然世の中そんなに阪神ファンばかりじゃなく・・・

「なんで阪神かな?やるなら巨人でしょ?」

 普段から巨人ファンを豪語する佐藤が、やっぱりというか当然というか、真っ先に反論した。

「視聴率低迷中のウサギなんかに、人が集まるかいな。」

「バク天しか能のないトラなんかより、よっぽど愛嬌あるっての。」

 この二人、普段は仲がいいけど、ことこの野球だけはまったく譲ろうとしない。しばらく二人のにらみ合いが続いた後、

「まーまー二人とも、巨人と阪神じゃ永遠に平行線だよ。」

 歩が間に割って入った。その後ろには有地もいる。

「だからここは、間を取って横浜にしよう!」

「いいえ、楽天です。」

 歩は歩で、有地は有地でひいきの球団があるようだ。

「守も楽天ファン?」

「まー、一応な。智は横浜か?」

「歩と一緒に野球を見たせいか、どうもな。が、横浜じゃ人は集まらんだろうな。」

「楽天だって同じさ。」

 と、兄貴二人は割と傍観者なのに、妹二人は中心で引っ掻き回しまくっている。

「とにかく、今年は巨人がリーグトップなんだから、譲りなさいよ。」

「アホ!CSで巨人ぶち倒して、日本一もらうんは阪神や!」

「いいえ、今年は楽天がいただきます。」

「横浜ったら横浜!動物がいくら騒いだって、夜空に輝く星には敵わないよ!」

 ソフト部の野球談義は白熱の一途を辿り、もはや学園祭の出し物なんて半ばどうでもよさそうな雰囲気だ。このままじゃ埒が明かないけど、それほど野球に詳しくない俺が突っ込んでいったって、返り討ちにあうのがオチだ。誰かが止めてくれるのを待とう・・・と、俺が傍観者を決め込んだ時だった。

「いい加減にしなさい、四人とも。」

 緑山の威圧感たっぷりの声が、重たく響いた。途端、四人は肩を震わせて押し黙る。

「まったく・・・そもそも野球ミュージアムなんかで、人が呼べるわけないでしょ。ここは男子校じゃないんだから。」

 そう言って、緑山の肩が軽く上下する。いや、男子校でもかなり微妙な企画だと思うけど。

「それより、歩の一言で、いいこと思いついたみたいよ・・・蘭花が。」

「え、わ、私!?」

 いきなりの指名に、竜堂は目を丸くして緑山を見た。まさか、あの緑山がそんな無茶ブリをするとも思えないけど。

「どんなアイディア、竜堂さん?」

 藤原が少し身を乗り出しながら、竜堂に詰め寄る。竜堂は少しだけ押し黙った後、一言一言区切るように話し始めた。

「あのね・・・プ、プラネタリウムとか、素敵かなって・・・」

「プラネタリウム?」

 竜堂の案に興味を示したのか、豊綱先生が面白そうに聞き返した。

「あれ?私そんなこと言ったっけ?」

「あれと違うか?夜空に輝く星にナントカ・・・」

 国風の言葉に、ハッとした表情を浮かべる歩。

「でも、なんだってプラネタリウム?」

「昔ね・・・お母さんと見に行ったプラネタリウム、すっごく綺麗だったの。この町で、満天の星空を眺めようって思っても、どこかにはビルとか電線とかあって、しかも町の灯りで、小さな星の輝きは見えなかったりする。でも、星はそこにある。限りなく広がった宇宙を、身近で体験できるのがプラネタリウムなんだよ。」

 俺の質問に、竜堂は珍しいまでに熱弁をふるった。

「・・・分かります。すごく分かりますよ、竜堂さん!」

 さらに珍しいことに、真っ先に賛同の意を示したのは次山だった。

「こいつは珍しい。普段、自己主張しねー二人がヤル気満々だ。」

 竜堂と次山の姿を見て、智は微笑を浮かべながらそう言った。確かに、この二人が物事の中心を引き受けようなんて、平牧関係以外ではまずないだろう。

「ここまでヤル気になったんじゃ、水を差すのも悪いわね。」

 という東山の言葉が決め手になり、俺達E組は、次山と竜堂を中心にプラネタリウム制作に取り掛かった。


 で、今日でその制作も四日目。土日に作業ができないということもあってか、週末となる金曜日の午後は、ちょっとした戦場のようだった。特に出し物のない運動部組は、それぞれの決められた作業をこなしている。

 その中にあって、俺達男テニだけは少しだけ扱いがマシ。試合に出る俺と伊吹、それに智は四時から、残りの奴も四時半からクラブに行くことが許可されている。

『男テニには頑張ってもらわないとね。』

 という、豊綱先生の笑顔の一言のおかげなんだけど・・・その笑顔の裏には、武道の達人らしい気迫が見えた・・・勝たなかったら、俺達だけ現代文の採点が辛くなりそうだ。

 というわけで、俺達の負担はまだマシなんだけど・・・守とかに言わせると、やっぱり文化系がいないのは大変らしい。まぁ、押川のとこの演劇部は、文化祭の定番だからね。押川も福知山も役あるって言っていたし、それなりに大変なんだろう。

 東山と錦の放送部は、裏方の方で色々走り回っている。昨日、体育よりも走るとかって東山が愚痴をこぼしていた。

 そしてダンス部も練習熱心だ。緑山はもちろんのこと、ウチにはもう一人、加茂絵里(かもえり)というハイテンションツインテールの女子がいる。とにかくひたすら明るい奴だ。なんでもこの二人は、これからのダンス部を担っていく存在らしく、既にそれぞれが中心となって二つのグループを結成。今度の文化祭に向けて、放課後は猛練習中だとか。おかげで義政が、『最近安奈が遊んでくれんのよ』と元気がない。

 それに、何より大変なのはイラスト部だろう。文化祭のシンボルともなる大きなモニュメント制作に加え、平牧達一年生は展覧会用の作品作りに必死だ。なんでも、イラスト部のOGで有名な人が来るらしく、絵を気に入ってもらえれば、その人の個展で絵を飾ってもらえるとあって、イラスト部の熱の入り方は尋常じゃない。ウチのイラスト部組は温厚な奴ばっかりだけど、最近は少しピリッとした雰囲気になっている。

 まぁ、文化祭っていうのは文化系クラブの体育祭みたいなもんだから、熱が入るのは当然だろうけど。これが体育祭になれば、こっちと向こうでその勢いが反転するだけだ。

「どや?作業進んでる?」

 様子でも見に来たのか、伊野川先生が扉からひょっこりと顔を出した。

「あ、伊野川先生。お疲れ様です。」

 対応したのは次山だ。テニス部関連で抜けることの多い竜堂の代わりに、次山が現場主任として動いている。

「とりあえずは、上々の出だしといったところです。プラネタリウムの構造も、東山さんに計算してもらったもので、ほぼ問題なくいけるかと。」

「弥生の計算なら、間違いはあらへんね。見取り図見して。」

 伊野川先生は、次山が持っていた見取り図を受け取ると、数秒間見てからこう言った。

「なぁ・・・真にはこれで分かんの?」

「あ、はい。」

 不思議そうな表情を浮かべる真。

「どうかしたんすか、伊野川先生?」

「いや・・・なんや図面が難しゅうて、センセにはよう分からん。」

 そう言って、困ったような笑みを浮かべる伊野川先生。あぁ、次山が持ってるのはいわゆるプロトタイプだったっけ、そういえば。現場主任はちゃんとしたのを持ってなきゃって、東山が言っていたのを覚えてる。

「他の人は、それぞれの担当用の図面を渡してあります。僕のは、全体像が事細かに書いてありますから。」

「だとしても、それをちゃんと把握できているのは、次山の凄さだろ?」

 ダンボールをカッターでザックザク切りながら、晴一がそう言った。

「その図面を理解できるのは、真さんと兄さんぐらいですわ。」

 飾り付け担当の有地は、折り紙と格闘しながらも笑顔でそう言った。

「って、守も分かるん?」

「まぁ、無駄に色んな知識は入ってるんで。」

 そう言いながら、守は針金の長さを測っていた。

「秋山も分かるんじゃない?」

「いや、俺はこっちだけで手一杯だよ。」

 秋山はそう言って苦笑すると、なにやら針で紙に穴を開け始めた。

「それ、何に使うん?」

「これが、プラネタリウムの本体にかぶせる天体図です。本番当日は、時間帯によって映す場所を変えるらしくって。」

「ほえぇ~、由子から話には聞いとったけど、本格的やね~。」

「当ったり前じゃない!やるからには、トップを目指さないとね!」

 目を丸くする先生の後ろで、近松がそう言ってビシッと指を天井に向ける。

 そう。クラスの出し物がここまで本格的になってしまったのは、この近松がそんなことを言い始めたからだ。本来なら制止役に回るはずの竜堂や次山が発起人ということもあり、E組主催のプラネタリウムは、内容的には天文台でやるような本格的な物になってしまった。

「あれ?そういえば、一葉と真由美はどこ行ったん?」

「あぁ、あの二人はネタの打ち合わせ中なんよ。」

 二人を捜して周りを見渡した伊野川先生に、折り紙係の義政がそう言った。国風と犬飼は、文化祭で行われる漫才グランプリに出場するため、日々ネタ合わせでよく消えていく。

「漫才やったら、光もやったらエエやん・・・って、光もおらんの?」

「イラスト部はほぼいないのよ。みんな、部の出し物の方で必死みたい。」

 どっからかダンボールを持ってきた足利が、そう言って伊野川先生の後ろを通過する。

「ま、忙しいのはイラスト部だけじゃないですけど。文化系は、どこも軒並み忙しいらしいですよ。」

 佐藤は、どっからか持ってきたペンキの缶を数えながら、苦笑交じりにそう言った。

「ま、俺達も負けず劣らず忙しいだろうけどね。」

「まーな。で、そろそろその忙しい時間だぞ。」

 そう言って、智がスッと立ち上がった。時計を見ると、かれこれ四時になろうとしていた。あぁ、もうこんな時間か。

「んじゃ、そろそろ行こうか、伊吹?」

「OK。それじゃみんな、後よろしく。」

「あいよ。」

 義政の小気味いい返事を後に、俺達三人はコートに向かった。


「おーし、ちょいと集合してくれ。」

 練習も佳境にさしかかった頃、そんな紀藤の声がコートに響き渡った。

「どうかしたのか?」

 全員が集合したのを確認して、杏が声をかける。

「実は、二週間後に迫った親善試合のことなんだが・・・明日、残りの出場枠を決めるため、部内でトーナメントを行う。」

 紀藤の言葉を聞いて、俺達の間に緊張が走った。残りの出場枠・・・つまり、ダブルス一つにシングルス二人・・・この三枠を部内で争う。

「でも、時間あるか?」

「心配ない。明日は一日、コートを使えるようにしてある。おまけに、昼飯は料理部が用意してくれるそうだ。」

「料理部?そんな部あったっけ?」

 記憶の隅にも残ってない・・・

「あるぞ。なんでも、文化祭に向けて新メニューを作ったらしくてな。」

「なんだ、毒味役か。」

 紀藤の言葉から先方の意を想像したのか、不満そうに口を尖らす滝上。

「そう言うなよ。んで、具体的には午前中にシングルのメンバーを、午後にダブルスのメンバーを決める。」

「でも、一義はどうすんだ?智がシングルスって決まっている以上、智とは組めないぞ?」

 杉山はそう言って、一義の方を見た。

「う~ん・・・ダブルスは急造コンビでどうこうなるものじゃないから、ダブルスは出ないでおくよ。シングルスの方に、全力を尽くさしてもらおうかな。」

「一義の全力は怖いな・・・」

 そう言って、古本は少し苦笑した。

「おそらく、明日も本番も、時代さんの熱烈な応援があるんだろうな。ったく、羨ましい奴だぜ。」

 そう言って、杏は軽く一義をラケットで突っつく。一義は恥ずかしそうに笑いながらも、まったく否定しようとしなかった。

「だが、テニスはあんまりはしゃがれると迷惑だ。そこらへんは大丈夫なのか?」

 怪訝そうにそう言ったのは、俺達と同じくらい背の小さい村中黒輝(むらなかくろてる)だった。その名の通り、部活でしっかり焼けた黒い肌にモジャモジャ頭。加えて滝上ばりの筋肉質。筋トレをすると背が伸びないって聞いたことがあるけど、村中を見ると本当なんだろうなって思う。

 ま、村中が応援の心配をするのは分かる。一義はもちろんのこと、智の人気だって相当なものだ。応援に熱中した女子が、所構わずキャーキャー騒ぐ姿が目に浮かぶ。基本、テニスの応援はゴルフと同じ感じだ。プレーの切れ目切れ目には歓声が沸いたりするけど、プレーの最中はできるだけ静かでいてほしい。

「多分、好なら大丈夫だと思うけど。歩とかは大丈夫かな?」

「あ~・・・多分大丈夫だ。危ないのはめぐみさんとかだろ。」

「う・・・確かに・・・今日、さっそく言っておくよ。」

 まぁ、歩は智がなんとかするだろうし、五弓ちゃんは言わなくても大丈夫だろう。泉ちゃんは・・・恭一が試合に出なきゃ大丈夫かな。問題は、めぐみさんと姉ちゃんだ。まぁ、普段の姉ちゃんなら心配ない。でも、展開次第では応援より注意が飛んできそうだ。

「ま、応援の心配は今してもしょうがないだろう。俺達のために応援してくれるんだから、俺達はそれに応えるだけだ。」

 そう言って、紀藤は眼鏡をクイッと上げる。なんとも、紀藤らしい意見だ。

「それに、当日は放送部協力の下、体育館と視聴覚室で中継も行われる。さすがに、コートの周りだけじゃギャラリーは収めきれない。」

「中継?んなことできるわけ、放送部って?」

「まぁ、向こうには東山がいるんだ。あいつなら、割と何でもできそうだ。」

 そう言って、恭一は苦笑した。あぁ、確かに。東山がかんでいるんだとしたら、なんだか納得してしまう。

「以上のことからも分かるように、俺達の親善試合はかなり注目されている。これで負けたら、正直言って男が廃る。だからこそ、絶対に勝つ!明日のトーナメント、自分が親善試合の鍵を握る男だと、そのくらい気合入れて来いよ!」

『おう!』

 すっかり太陽が隠れてしまった空の下、俺達の声が重たく響いて、その日の練習は終わった。


 翌日。これでもかってくらいに晴れ渡った空の下、親善試合出場メンバーを決めるトーナメントが始まった。午前中はシングルスの二枠だ。シングルス二つは、正直どちらもが団体戦全体の勝利を決定する可能性がある以上、昨日の紀藤の言葉が重たく響く。既に出場が決まっている俺や伊吹、それに智は審判や他の雑用をしながら、試合展開を常に見守っていた。

 トーナメントの試合形式は、時間の都合上四ゲーム先取。スコアが三対三となった場合、タイブレークとなる。AコートとBコートの二グループに別れ、それぞれのグループトップがシングルスの二人に内定。その二人で決勝戦を行い、勝った方がシングルスツーとなる。なお、上位二人のダブルスパートナーは、午後のダブルス決定戦において緊急でペアを組む・・・という感じだ。

 そんな中、恭一と杉山は一回戦で敗退。まぁ、恭一の相手は杏だったから、しょうがないと言えばしょうがない。杉山の相手は、杉山と同じく体力自慢の阿部秀沖(あべひでおき)だった。ま、持久戦で向こうに一日の長があったってとこかな。そして今、Aコートでは村中と古本の試合が、Bコートでは一義と滝上の試合が行われていた。そしてその試合を、

「・・・」

 さっきからコートの横で、時代が真剣に見つめていた。練習を抜けてきたのか、弓道着姿のままだ。まぁ、別に見る分にはいいんだけど・・・

「なんで正座なんだ、時代?」

 一試合終えて、ぐったりと座り込んでいた恭一が、まったく正座の姿勢を崩さない時代に声をかけた。確かに、試合が始まってからというもの、時代はその姿勢のまま微動だにしない。

「あぁ、気にしないで。部活動中は正座してるか立っているかだから、この方が楽なの。」

 正座か立ちかだけって、意外と弓道部って厳しいんだね。重村さんを見る限り、自由気ままでのほほんとしていそうだけど。

「う~ん・・・確かに、重村部長は自由人だと思う。でもね、部長はいつもこう言うの。自由を支えているのは規律なんだって。つまり、規律を破ることが自由なんじゃなくて、規律を守れば何をしてもいい。そして、その中で善を積んでいけば、必ず自分に返ってくる。因果応報とは、何も悪にばかり当てはまるわけじゃないって。」

 いつも一義とかに向けている笑顔のまま、淡々と話す時代。正直な話、半分も理解できていないけど・・・とりあえず、重村さんは俺が思っているほど軽くはないと分かった。

「それに、ウチの副部長は厳しい人だからね。これが、部長と違って頭の固い人でさ。マジメで・・・バカ正直って言うのかな?まぁ、悪い先輩じゃないんだけどね。腕は確かだし。」

「ある意味、重村さんとベクトルの違う変人?」

「変人とまではいかないけど・・・まぁ、変わった人ではあるかな?」

 そう言って、時代が少し苦笑する。

「なるほど。つまり、弓道部は色の濃い面子で溢れていると。」

「まぁ、良くも悪くもね。」

 そう言って、時代が再び苦笑した時だった。

「ゲームセット!ウォンバイ朱崎!」

 の声が響いた。どうやら、一義が滝上に勝ったみたいだ。

「お疲れ様、一義君。」

 さっきまで俺の横で正座をしていた時代は、何事もなかったかのようにスッと立ち上がり、一義に駆け寄る。けっこう長い時間正座していたんだけど・・・足、痺れてないわけ?

「いや~、負けた負けた。」

 滝上が肩をグルグルと回しながら、その横を通過する。

「やっぱ、一義のストロークにはまると、抜け出せんな。」

「よく言うよ。滝上君のボレー、パワーも切れも増してたよ。」

 確かに、試合は一義優勢で進んでいた。でも、時々滝上が得意のパワーボレーを叩き込んでいたのも目に付いた。

「ホント、すごいボレーだったよ、滝上君。私、いつ一義君に当たるか、心配だったんだから。」

「おいおい、時代さん。いくら試合に出たいからって、さすがにそれはせんさ。それに、一義はフットワークが軽いからな。中途半端に正面狙ったって、回り込まれて返されるのがオチだ。」

 そう言って、滝上は手に持っていたコップの水を一気に飲み干す。確かに、一義の正面を狙うのは、けっこうなスピードで打たないと意味がない。一義のフットワークと反射神経は、俺達の中でも郡を抜いている。

「さて・・・それじゃ俺は、審判に回ってくるよ。次は・・・紀藤と荒野か・・・」

 滝上は対戦表を確認すると、そう呟いてコートに向かった。今日は、前の試合で敗退した人間が、次の試合の審判を務めることになっている。これがダブルスになると、一人が審判、一人がボーラーってことになる。まぁ、プロの試合だとプロ審判がいるんだけど。

 そして、紀藤と対戦するのは荒野武時(あらのたけとき)だ。シングルスの実力なら、かなり上のランクになる実力者。俺達の中で数少ない、中学の時からの経験者でもある。こいつは楽しみな試合だね。

「確かに、面白い試合になりそうだね。」

 ポカリを飲み干した一義は、試合を見る体勢に移った。俺達も自然と身構えた、その時だった。

「ここにいたのか、時代。」

 俺達の後ろから、男の声がした。振り返ると、時代と同じ弓道着を着た男が立っていた。端正な顔立ちに、まっすぐ、それでいて包み込むような目で俺達を見ている。背はそれほど高くはなさそうだ。

「あ、梶村さん。お久しぶりです。」

 声をかけられた時代より先に、一義が挨拶した。

「久しぶりだな、朱崎。試合はどうだった?」

「勝ちました。好が応援してくれたおかげです。」

「そうか。ならば時代・・・」

「はい、練習に戻ります。それじゃまた後でね、一義君。」

「うん、頑張って。」

 好は俺達に手を振ると、梶村って人と一緒に弓道場へ戻っていった。

「誰、梶村って?」

「弓道部副部長、梶村孝道(かじむらたかみち)さん。二年生だよ。」

「副部長?んじゃあの人が、さっき時代が話していた、頭の固いマジメな副部長?」

「うん。でも、ホントに優しくていい人だよ。後輩からの信頼も厚いって、好からもよく聞いているし。」

 まぁ、いい人そうなのはなんとなく感じたけど。

「それに、僕と好が同棲する時、一番相談に乗ってくれたのも梶村さんなんだ。だからこうして、好が練習を抜けて僕を応援するのも許してくれる。それに・・・兄さんの一番の親友でもあったから・・・」

「兄さん?」

「確か、一義に例の手袋を渡して、そのまま行方が分かんなくなってんだよな?」

 杉山の言葉に、一義は力なく首を縦に振った。そういや、前にそんな話を聞いたような・・・

「梶村さん・・・兄さんから僕のことを頼まれてる、とも言っていた。兄さんと梶村さん、よく一緒に遊んでいたから。」

 なるほど。一番、気心が知れている相手ってところか。その親友になら、あんたを任せられると。

「それ、いつ頃の話なの?」

 水の入ったポットに氷を足しながら、竜堂がオズオズと尋ねた。

「兄さんがいなくなったのは、今からちょうど一年位前、だったかな?あの日も、今日みたいによく晴れていた・・・」

 一義はその言葉を皮切りに、俺達に昔話を始めた。


「あ、一義君。」

 放課後。委員会の仕事で遅くなった僕を待っていてくれたのか、そこには好が立っていた。だいぶ傾いた西日を浴びて、好と僕の影は校舎に向かって長く伸びていた。

「ごめん、待っててくれたんだ。」

「気にしないで。一義君のためなら、ずっと待っててあげる。」

 何事もなかったように笑う好。付き合い始めてから数日。最近、好の笑顔を見たいがために、色々とやっている自分がいることに気づく。

「僕だって、君が来てくれるんなら、いくらでも待つよ。」

「やった。これで安心して、デートにも遅刻できる・・・って、遅刻したら、一義君と会う時間が少なくなっちゃうね?」

 テヘヘっと笑う好。こんな素敵な彼女が、つい数ヶ月前まで、凛々しい表情で弓を放ち、全国にその名を轟かせた弓の名手だと、はたして誰が想像できるだろう。

「さて、今日も買い物してから帰ろっか。リクエストは?」

「そういえば、兄さんがクリームシチューを食べたいって、言っていたっけ。」

「了解。じゃ、買い物付き合ってね。」

 そう言って、好は弾むように歩き出した。三日前から両親が海外出張でいないため、好が僕と兄さんの料理を作ってくれている。僕も兄さんも、料理はからっきしだからね。僕ら二人は、帰り道の途中にあるスーパーで、クリームシチューの材料を買うことにした。


 家に帰り、時間は夜七時。テーブルには、好が作ってくれたクリームシチューと野菜サラダが、整然と並べられている。

「いつもすまないな、好ちゃん。」

 そう言って、兄さんは好に優しい視線を向ける。兄さんは、僕より一つ年上。現在は、塩桐生高校の一年生だ。高校では、陸上部に所属している。

「いえいえ、気にしないでください。」

「まったく・・・こんないい子が一義の彼女とはな・・・お前は幸せ者だな。」

「うん、そう思うよ。」

 僕がそう言うと、兄さんは声を上げて笑った。

「もう、一義君ったら・・・」

 好は恥ずかしいのか、僕をツンツン突きながら照れている。

「さて、冷めない内に食べてしまおう。いただきます。」

『いただきます。』

 僕らはその合図を皮切りに、夕食を食べ始めた。いつもと同じ光景、普段と変わらない会話、愛情こもった好の料理・・・ここには、幸せが詰まっている。きっといつまでも、この時間は続く・・・


 僕はそう信じていた。


 食事を終えてしばらくした後、食器の片付けを終えた僕と好は、兄さんに呼ばれた。

「どうかしたの、兄さん?」

「あぁ、ちょっと話があってな・・・」

 そう言って、座るように促す兄さん。なんだか、さっきまでと雰囲気が違う。こんなにシリアスな感じの兄さんは、久々に見た。しばらくの沈黙の後、兄さんはある物を取り出した。

「これは・・・」

 好も僕も、目の前に置かれたものに注目した。それは、我が家に代々伝わるウェーブストリングだった。傍から見れば、合成繊維素材の普通の手袋だ。

「一義。今日からは、お前が受け継ぐんだ。」

「え!?」

 僕は手袋に向けていた視線を、兄さんの目に向けた。

「な、なんで?・・・だって、これは兄さんが・・・」

 そう、兄さんが受け継いだものだ。僕は次男坊だし、性格も向かないからって・・・だから、だから兄さんが受け継いだんじゃないの?

「ダメだ。これは、お前が持っていろ。」

 そう言って兄さんは、手袋を俺に突きつけた。でも、僕はそれを受け取ることができなかった。いきなりのことに驚きすぎて、体がまったく動かない。すると、兄さんは僕の前に手袋を置き、こう言った。

「お前なら、これを正しく使ってくれると、そう信じて俺はお前に託す。母さんと父さんにも、既に話はしてある。お前は、お前の信じたとおりに、その力を使え。お前になら、それができるはずだ・・・」

 それだけ言って、兄さんは立ち上がった。

「ちょ、ちょっとお兄さん?」

 好はあたふたし出して、僕と兄さんを交互に見ながら中腰で固まっている。僕は、手袋だけを見つめて、まったく動くことができなかった。そして絞るように、

「兄さんは・・・・これからどうするつもり?」

 そう言うのが精一杯だった。兄さんは足を止めると、こっちを振り向くこともなく、傍に置いてあったカバンを背負ってこう言った。

「俺は行く・・・」

 それだけ言い残し、兄さんは家を出て行った。そして、扉が閉まった音で我に返り、一目散に外へ飛び出した。

「兄さん!?」

 僕は、兄さんを精一杯に呼んだ。これでもかと目を見開いて、兄さんを捜した。でも、既にそこに兄さんはいなかった。部屋に戻った僕は、兄さんが置いていった手袋を握りしめ、ひたすら泣いていた。気が付くと好も泣いていて、僕らはその夜、泣くことしかできなかった。


 翌日。僕と好は梶村さんの家にいた。梶村さんは僕らの話を聞いた後、しばらく何も言わなかった。僕らも何も言えず、重たい空気が部屋に流れ始めた時だった。

「・・・あいつは、行ったんだな?」

「はい・・・ただ一言、俺は行くって・・・」

 僕がそう言うと、梶村さんは僕らをまっすぐに見ながらこう言った。

「実は一昨日、あいつから話は聞いていた。あいつは言っていたよ。二人はきっと、これからもっと大きな波に巻き込まれていくだろうって。だから、俺はあいつから、二人のことを頼まれた。勝手かも知れないが、二人の力になってほしいって。初めてだった・・・あいつが俺に頭を下げたのは・・・」

「兄さんが、梶村さんに?」

「あぁ・・・あいつとは、幼稚園からの腐れ縁。幾度となく、あいつに助けられた。だから俺は、あえて理由は聞かなかった。あいつの目は、覚悟を決めていたからな。だから俺は、理由は聞かず、ただ任せろと言った。だから二人は、困ったことがあったら俺に言ってくれ。」

「梶村さん・・・」

「それが、あいつとの約束だからな。」

 そう言って、梶村さんはいつものように笑ってくれた。


「それ以来、梶村さんは本当に、僕や好によくしてくれた。二人で同棲を始める時も、部隊結成の時も。」

 一義の、半分惚気話みたいな回想は、そろそろ正午になろうかという時まで続いた。

「それ以来、その兄さんから連絡は?」

「なにも。手紙も電話も、本当に音信不通。まぁ、便りがないのは無事な証拠って言うからね。どこかで元気にやっているんだって、言い聞かせるようにしている。」

 そう言って、一義はいつものように笑った。その笑顔の裏に、そんだけの重いものを抱えているなんて、誰が想像できるだろうね。

「にしても、意外だな。一義の兄貴、ここの生徒だったとは・・・」

 そう言って、恭一はなにやら考え込み始めた。

「じゃあ、今の二年生は一義の兄貴のこと?」

「うん、知っている人も多いよ。」

 なるほど・・・

「となると、重村さんや中田さんなんかも、何か情報を持っているかも知れないね。」

「どうかな?二人とも、僕や兄さんとはクラスが違うから・・・」

「一義、次、お前の試合だぜ。」

 俺達の話が途切れるのでも待っていたのか、荒野が後ろから声をかけた。あ、もうそんな時間か。

「さて、それじゃ行ってくるよ。よろしく、紀藤君。」

「お手柔らかにな。」

 一義と紀藤は、コートに入るまでは和やかに喋っていた。でも、コートに一歩足を踏み入れた時、その表情は一変して引き締まり、即座に空気が変わる。四角い眼鏡の奥にある紀藤の目も、あの優しかった一義の目も、一瞬で鋭いものに変わる。気が付けば、これがBコート組の決勝戦。Aコートの方は既に決勝が始まっていて、村中対杏だった。どうやら、こっちも拮抗しているようだ。

「こいつは、いい場面に出くわしたもんだね。」

「あ、中田さん?」

 俺の上の方から、いつか聞いた声が聞こえてきた。見上げると、カメラを首から提げ、右手にキティのメモ帳を持った中田さんが見えた。こんちは。

「こんちゃ、藤越君。このトーナメント、今度の親善試合に向けてかな?」

「そうっすよ。」

 俺の答えに、中田さんはメモ帳を開いて何か書き込み始めた。

「今んとこでいいから、内定しているメンバー教えて?来週のトップニュースで行くからさ。」

「今んとこっすか?俺と伊吹のダブルスワン、智のシングルスワンだけっすよ。」

「ふむふむ・・・」

 中田さんはメモ帳にペンを走らせると、コートをまっすぐに見つめながら聞いてきた。

「この試合は、シングルスのメンバーが決まるわけ?」

「そうっすよ。この四人の内二人が、シングルス出場確定。さらにその後の試合で、シングルスツーかスリーが決定。午後からはダブルス決定戦ってわけっす。」

「なるほどね。んじゃ、お邪魔にならん程度で取材させてもらおっかな。」

 中田さんはそう言うと、カメラ片手にどこかへ向かおうとした。が、足を止めてこっちを向き、こう言った。

「私ってさ、ギブアンドテイクが主義なわけ。そっちがいい情報くれたことだし、何か教えてほしいことがあれば、提供するよ?」

 そう言って、怪しげな笑みを浮かべる中田さん。教えてほしいことって言われても・・・

「敵の情報、持っているわけじゃないでしょ?」

「敵って、松栄高校のこと?それなら、私より竜堂さんの方が詳しいんじゃない?」

 恭一の問いに、中田さんは竜堂を見ながらそう答えた。確かに、松栄高校の情報は、毎日のように竜堂からもたらされている。その内偵力にはただ脱帽するしかない。

「ま、今日のことが終わったら聞くことにしますよ。それまで、お互い忙しい身でしょ?」

 智がそう言うと、中田さんはそれもそうだねと言って、再びカメラ片手にコートの周りをグルグルと回りだした。そして思い思いに、写真を撮っていく。どうやら、シャッター音は切ってあるようだ。四人も、特に写真を撮られているのは気にならないのか、動きに変化はない。

「これが当日は、かなりのギャラリーになるんだろうな。」

 休日の昼下がり。俺達男テニぐらいしかいないコートの周りを見渡しながら、杉山はそう言った。

「まぁ、学園祭の一大イベントだろうからね。」

「衆君って、そういうのって緊張したりするの?」

 そう言って、伊吹がどこか不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「いや、俺は別に・・・伊吹は?」

「大丈夫・・・とは言えないかな。なにせ、お姉ちゃんが見に来るからね。」

「あ~・・・ゴメン、俺もそれは大丈夫じゃない・・・」

 苦笑する伊吹の言葉に、俺も前言を撤回するしかなかった。そういや、姉ちゃん来るんだっけ。すっかり忘れてた。

「その情報、歩が流したらしいな。毎度のことながら、歩はそっちの姉ちゃんになんでも話すな。」

 そう言って、智は苦笑した。

「まぁ、昔から姉ちゃんっ子だったもんね、歩は。」

「智っていう、兄貴がいるのにか?」

 恭一の問いに、智は軽く首を横に振ってから答えた。

「俺は兄貴って言っても、歳は同じだからな。きっと友達感覚なんだろうぜ。衆の姉ちゃんは、近所のガキ大将みたいな立場だったからな。あの人の周りには、自然と人が集まったよ。」

「確かに、俺が子どもの頃、近所で姉ちゃんに逆らえるような子どもはいなかったね。力は強くて頭は良くて、男は誰も太刀打ちできなかったから、肩身が狭かったっけ?」

「よく言うぜ。お前が一番優遇されていたじゃねーか?」

 そう言ってやっかんできたのは、試合を終えたばかりの杏だった。表情は疲れきっていて、少し苛立ちも見えた。どうやら、Aコート組は村中の勝利となったみたいだ。ていうか・・・

「優遇されてた?俺が?」

「あぁ。お前は、なんだかんだ言って、姉ちゃんの一番のお気に入りだったからな。」

 俺がね・・・あれは、気に入っていたからこその扱いなのか?

「智は、そうでもなかったのか?」

「俺は・・・普通かな?歩はやったらと可愛がってもらっていたけどよ。」

 まぁ、姉ちゃんのお気に入りだったからね、歩は。

「なに?私がどうかした?」

 いつから俺達の話を聞いていたのか、歩が俺の横から顔をのぞかせた。後ろには佐藤に国風、そして有地といったソフト部の面々がいた。

「これから練習?」

「うん。私達も、文化祭の後は新人戦だからね。先輩達が残した栄光を絶やさないためにも、ひたすらに練習あるのみだよ。」

 そう言って、歩は拳を握った。

「そのこと、もう姉ちゃんには教えたわけ?」

「うん、もちろん。絶対応援に行くって、約束してくれたもん。」

 まぁ、姉ちゃんならそう言うだろう。

「守はなんか言ってた、有地?」

「兄さんも、その日は試合ですから。ですので、お互いの健闘を祈るだけですわ。」

 男バスも試合か・・・まぁ、新人戦やら秋季大会やら、名前は違えど大会が集中しやすい時期には違いない。

「ほな、ウチラもそろそろ行こか?遅れたら、キャプテンに怒られてまうしな。」

 国風がそう言ったのを最後に、歩達はグラウンドへと向かって走り出した。一義対紀藤の試合が、一義の勝利で決着がついたのは、それからほんの数分後のことだった。


「ゲームセット!ウォンバイ朱崎!」

 正午過ぎ。智のひと際大きな声が、コート全体を包んだ。シングルスツーかスリーか、団体戦の流れを左右する順番だ。勝った方がシングルスツー、という紀藤の提案の結果、シングルスのメンバーと順番は固まった。スリーが村中、ツーが一義、大トリは智だ。

「二人とも、お疲れさん。」

 激闘を繰り広げた二人を称える紀藤。俺達の間からも、自然と拍手が起こる。

「よし、それじゃ昼飯にしよう。既に、料理部の方に竜堂さんが向かってくれている。あと十分もすれば、料理が運ばれてくることだろう。」

 紀藤のその言葉を最後に、俺達からやっと重たい空気が抜けたような、そんな雰囲気が流れ込んだ。そして紀藤の言葉どおり、数分後、竜堂を先頭に料理が運ばれてきた。

「お待たせしました~。」

 竜堂のそんな間延びした言葉と一緒に、いい匂いを漂わせながら料理が運ばれてきた。

「そしてこの方が、料理部部長である町田望(まちだのぞみ)さんです。」

「初めまして。今日は、よろしくお願いします。」

 竜堂に紹介された町田というその女子は、『しおきりゅうCOOKINGクラブ』とプリントされたエプロン姿のまま、俺達に深々と頭を下げた。背丈は俺より少し高い程度で、少しポッチャリとした体格。シンプルなホワイトの髪留めで髪をツインテールにしている。

『よろしくお願いします!』

 俺達は町田さんの前に整列すると、声を揃えて頭を下げた。その後、町田さんから色々と料理について説明があったけど、正直一割も耳に入らなかった。空腹でそれどころじゃないっていうのもあったけど、なにより料理が美味かった。百聞は一見にしかずならぬ、百聞は一口にしかずって感じ。町田さんの料理講義を聞いていたのは、竜堂や伊吹くらい。

 だけど、町田さんの料理講義は楽しそうだった。知識をひけらかすというような、そんな上から目線の感じではなく、料理をおいしく食べてほしいとの一心だけ、というような感じだった。きっと、町田さんは根っこまでいい人に違いない。

 食事の時間は三十分ほどで終わり、誰もが賛辞を惜しまなかった。いや、マジに美味かった。これが文化祭で振舞われるわけか。好評を博すことは間違いないだろうね。少しの休憩を挟んで、午後の部開始となった。

 ダブルスの残り一枠を決める午後の部も、かなりの激戦だった。でも、その激戦の中でも、紀藤と杏のコンビはひと際強かった。三時半まで続いたダブルスのトーナメントの結果は、紀藤と杏ペアの勝利で終わり、これで親善試合の出場メンバーが決まった。

「それでは、親善試合のメンバーを発表する。」

 四時ごろ。俺達男テニを前にして、紀藤が話を始めた。

「ダブルスツーは、俺と杏。ダブルスワンは、予定通り藤越と伊吹。シングルススリーは村中。シングルスツーは朱崎。トリは智だ。なお、荒野は万が一の控え選手だ。」

「万が一の控え選手?」

「あぁ。滅多にないことだが、控え選手の試合が行われることがあるんだ。それに、当日まで何が起こるか分からないからな。用心に越したことはない。」

 なるほど。まぁ、荒野なら問題ないとは思うけど。

「よし、それじゃ今日はこれまで!お疲れっした!」

『お疲れっした!』

 俺達は終了の挨拶もそこそこに、部室へ引き上げようとした。すると、

「あー、試合に出る人だけ待ってくれる?」

 そう言って、中田さんが俺達を呼び止めた。

「まさか、取材の続きっすか?」

「ピンポーン!言ったでしょ?月曜のトップで行くって。というわけで、試合に出るみんなの意気込みを、簡単にでいいから伺っとこうと思ってね。」

 というわけで、俺達試合メンバーを含め、控えの荒野、さらには竜堂までもが取材を受け、全てが終わったころには五時近かった。


 着替えを終えて部室から出ると、そこにはスケッチブックを持って立っている平牧がいた。

「あんたも、クラブの帰り?」

「うん・・・まぁ・・・」

 言葉少なに、そう答える平牧。

「納得のいく作品、できないわけ?」

「え?」

 平牧は、ちょっと驚いたような表情でこっちを見た。まるで、なんで分かったのとでも言いたげな表情だ。

「顔に書いてある。」

「え・・・そうかな?アハハ・・・」

 苦笑する平牧。どうやら当たりだったらしい。まぁ、ウチのクラスのイラスト部員は、誰も彼もマジメだからね。とことんまでマジメに、今回の文化祭は取り組んでいるんだと思う。

「他の三人は、一緒じゃないわけ?」

「あ、うん・・・姫は家の用事で来てなくて、後の二人は一足先に・・・」

 鳳凰は欠席か・・・家の用事って、社交パーティでもあったのかな?鳳凰なら、あながちないとも言い切れない。

「なんか、すごい人来るらしいじゃん、今度の文化祭。」

「すごい人・・・草薙さんのこと?」

 あぁ、確かそんな名前だったような気がする。すごい人ってことしか覚えてないから、ハッキリしないけど。

「なんか、イラスト部のOGだって聞いてるけど?」

「うん、数年前の。今は独立されて、イラストレーターとしてバリバリ活躍中。ある意味、理想の人生かな。自分の好きなことを目一杯やって、楽しく生きれるって・・・」

 平牧は、夕焼け空を見上げながらそう言った。まぁ、自分の趣味がそのまま収入になれば、本人的にはかなり楽しいだろうけど、そんな生き方しているのはホントに一握りなんじゃないかって、時々思う。

「平牧も、やっぱ最終的にはそうなりたいわけ?」

「え?そ、それはその・・・」

 平牧は俺の質問に、モジモジボソボソと答えにくそうだった。まだ明確なビジョンがないのか、それとも単にそういう夢を語るのが恥ずかしいのか・・・

「ふ、藤越君は?藤越君は、どうなの?」

 結局、平牧は話題を逸らすことを選んだようだ。

「俺は・・・」

 そこまで言いかけて、俺は空を見上げて足を止めた。よく考えてみれば、俺にもこれといって明確なビジョンがあるわけじゃない。高校入るまでは、テニスで食っていこうとか考えていたけど、今は平牧のこととか世界のこととかあって、ハッキリ言ってビジョンはない。目の前のことに精一杯すぎて、長い、遠い未来のことまで考えられない。だから俺は、当たり障りのないことを言った。

「俺は、あんたとか智とか歩とか・・・周りと楽しくやっていければ、それでいい。」

「私達と・・・?」

 平牧は、俺の答えがそんなに意外だったのか、少し目を丸くしながら聞き返してきた。

「ま、そうなるためには、でっかい山を越えなきゃならないけどね。」

「うん・・・」

 平牧は力なく答えると、少し俯いた。俺が平牧に話した、何とも曖昧なビジョン。でも、そのビジョンを実現するためには、世界平和というとてつもない道のりを越えなきゃならない。その中心にいるのは平牧であり、平牧を中心に持ってきたのは俺だ。だからなんだろうか・・・俺がこいつを、絶対守らなきゃいけないって思うのは・・・その後、俺達二人はただ黙ったまま、別れ道まで歩いていた。


 週明けの月曜日。その日は雨で、俺達男テニの練習はない。ま、最近はやり過ぎっていうくらい熱入ってたし、むしろちょうどいい休みかも。そんなわけで、俺達E組の男テニは、プラネタリウム作りに躍起になっていた。

 作業開始から一時間ほど経った頃。

「藤越、いる~?」

 廊下から、俺を呼ぶ声がした。俺は針金を結ぶ手を止めると、声の主の方へ振り返る。そこには、見覚えのある赤いリボンが揺れていた。

「どうかした、楽島?」

 声をかけてきたのは、一年A組学級委員である楽島本絵らくしまもとえだった。ロングの金髪に赤いリボンがトレードマークで、歩とかと同じソフト部所属。強気だけど仲間想いで、一年学級委員長にして生徒会一年学年主任。つまり、一年の総大将を務める女子だ。

「あ、本絵ちゃんだ。どうしたの?」

 俺と楽島の間に割って入ってきたのは、入り口近くで折り紙に勤しんでいた歩だ。

「ちょっと、藤越を借りていい?学級委員業務で手伝ってほしいことがあるの。」

「いいの・・・かな?ちょっと聞いてみるね。真く~ん!」

 歩は椅子の上に素早く膝立ちになると、教室の対角線上で作業していた真を呼んだ。

「はい、なんですか?」

「本絵ちゃんが、衆君貸してほしいんだって~!」

「本絵ちゃん?・・・あぁ、楽島さんでしたか。」

 真は少し姿勢を傾け、扉の陰に隠れていた楽島の姿を確認してそう言った。

「ごめん、次山。ちょっと学級委員業務で、藤越の手を借りたいの。」

「分かりました。」

 真の笑顔の了承を受け、俺は楽島と学級委員業務に向かった。

「で、学級委員業務って、具体的に何すんの?」

 教室を出てすぐ、俺は楽島に聞いた。

「各クラスやクラブの進捗状況を視察に行くの。ま、半分生徒会業務ね。」

「なるほど。で、なんで俺?」

「なんでって・・・藤越は、一年学級委員副委員長なんだから、委員長の私とペアで動くのは自然じゃない。」

 副委員長・・・・・・・・・・・・・・・あれ?

「俺って、副委員長だったっけ?」

「忘れてたの!?」

 普通にビックリされてしまった。

「忘れていたというか・・・そんなメンドクサイことを、進んで引き受けた記憶がない。」

 副委員長なんて、仕事が増えるだけじゃん。そん時の俺、どんな精神状態だったんだ?

「なに言ってんのよ?私も藤越も、投票で今の役職に決まったじゃない・・・あぁ、そういえばあの時、藤越寝てたわね。」

 寝てた・・・ね~・・・

「委員会の会議中に寝てたことなんて、今度は記憶にありすぎるんだけど。」

「自覚はあったのね・・・」

 楽島は、俺の言葉に幾分か呆れ返っているみたいだ。

「まぁ、俺にも非があるし、今日は大人しく付き合うよ。」

「今日だけじゃないけどね・・・さて、まずは・・・」

 楽島は手帳を取り出し、パラパラとページをめくる。少し大きめのその黒革の手帳には、福岡ソフトバンクのロゴがきらりと光る。俺はそれを横目に見ながら、別の話題を振った。

「楽島って、真と知り合いなの?」

「あぁ、次山?中学の時のクラスメイト。同級生にも敬語で話す癖、変わらないみたいね。」

 楽島は、手帳から目を離すことなくそう答えた。

「でも、そういう奴ってクラスに一人くらいいない?」

「かも知れないけど・・・E組はちょっと多いんじゃない?次山だけじゃなくて、他にも胡桃とか、後は鳳凰さんとか。」

「あれ、鳳凰のことも知ってるんだ?」

「学内じゃ有名人よ。」

 ふ~ん、有名人ね。鳳凰ならありえない話じゃないか。

「・・・あ、まずはここね。」

 そう言って、楽島は一つの教室の前で足を止めた。表札は一年J組。校舎四階、一年の一番端にあるクラスだ。

「すいませーん、学級委員の楽島でーす。」

「ん~?あ~、本絵ちゃんと衆君だ~!」

 楽島の声に反応したのは、なんとも間延びした呑気な声だった。

「いらっしゃ~い!」

 俺達を出迎えたのは、J組女子学級委員の宮野祭(みやのまつり)だった。行動も喋り方ものんびりしていて、よく言えば癒し系、あるいは天然とか・・・と、学級委員らしからぬ形容詞が多く浮かぶ奴だけど、所属する水泳部では、藤原と並んで将来を嘱望されるルーキーだ。なんでも出身は沖縄らしく、放送部が付けたキャッチコピーは『沖縄が生んだブルーサンシャイン』。藤原と同じく水色に近い髪からそう名付けられ、藤原と二人で『塩桐生のブルースター』とも並び称されるとか。

「今日はデートの下見?」

「なんでそうなるのよ!?」

 ・・・正直、この天然宮野がオリンピックで金メダルを獲った時、インタビューでなんて答えるか純粋に興味がある。ポテンシャル的には、ありえない未来でもなさそうだし。

「一応、各クラスの進捗状況のチェックに来たの。祭の所は、水族館だっけ?」

「うん。この部屋にね、祭のふるさとの海を再現するんだ~。」

 そう言って、宮野は思いっきり腕を広げた。

「ふるさとってことは、沖縄の海を?」

「そうさー。祭の二番目のお兄ちゃんが、ふるさとで海の写真を撮ってるから、それをいっぱい貼って、水族館にするんだ~。」

 写真?

「宮野の兄ちゃんって、カメラマンか何か?」

「ううん、写真は趣味さー。お兄ちゃんの仕事は、スキューバダイビングのインストラクターさー。」

 なるほどね。

「海の中を再現ね・・・藤越のクラスのプラネタリウムと、いい勝負じゃない?」

「ま、体感度はこっちが断然上だろうけどね。」

 やばい、このことを近松あたりに漏らしたら、確実に作業が増えるだろうから、黙っておこう。

「衆君とこにも、遊びに行くね~。」

「待ってるよ。とりあえず、作業は順調そうだね。」

「うん、バッチリさ~!」

 宮野の笑顔を確認し、俺と楽島はJ組を後にした。さらにその後、隣のI組、さらにG組と回った後、

「さ、ラスト一つよ。」

「最後はどこ?」

 俺の問いに、楽島は手帳のページを一枚めくって答えた。

「最後は文芸部ね。当日は図書室を使うらしいけど、作業は部室でやってるらしいわ。」

 そう言うと、楽島は手帳を閉じ、部室棟の方へ足を向けた。

 

『トントン』

 部室棟の三階。その一番手前側にある木の扉。上の表札には『文芸部』の文字が、犬飼以上の綺麗な明朝体で書かれている。その扉を楽島がノックすると、中からの返答より先に扉が開いた。

「・・・・」

 扉を開けたのは、一人の女子だった。俺と目線がほぼ同じくらいの、いかにも真面目で読書が好きそうなショートヘアーの女子。彼女は俺と楽島を交互に見ると、

「?」

 疑問を投げかけるように首を傾げた。これで、まだ歩みたいに表情豊かなら、それなりの感想を持てる動作だったと思う。とことん無表情なせいか、可愛らしいとか、狙いすぎてあざといとかいう感想さえ出てこない。

「部長さんはいるかしら、梶沢さん?」

 どうやら、楽島は知り合いみたいだ。梶沢と呼ばれたその女子は、小さいながらもよく通る声で答えた。

「今は、出払っている。その内帰ってくると思う。」

「不在みたいだね。どうする、楽島?」

「その内帰ってくるって言ってるし、ちょっと待たせてもらいましょ?いいかしら、梶沢さん?」

「構わない、どうぞ。」

 梶沢に手招きされ、俺と楽島は文芸部室に足を踏み入れた。

 文芸部室は、なんとも簡素な部屋だった。部屋の真ん中には長机が二つ。少し脚の錆びたパイプ椅子が四つ。向かって左側の本棚には、ギッシリと本が詰まっている。そして、部員と思われる女子。さっき応対してくれた梶沢以外に、黒髪ロングヘアーの女子と、編み込みの複雑なやや金髪女子の二人。二人とも椅子に座り、何やら原稿用紙に向き合っている。これが、学園祭に向けての作業なのか・・・俺がそれを尋ねようとした時、

「帰ったぞ。」

 後ろから声がした。振り返ると、そこには別の女子の姿があった。手には分厚いハードカバーが二冊。大きい目は、どこかしら気の強そうな雰囲気を醸し出している。背は俺より低いけど、どことなく上級生を思わせた。

「部長、お客さん。」

 入り口付近で立っていた梶沢が、戻ってきた女子に俺達二人を簡潔に紹介する。俺と楽島は向き直り、楽島が先に口を開いて自己紹介を始める。

「生徒会一年学年主任、楽島本絵です。こちらは、一年学級委員副委員長の藤越衆君。」

「どもっす。」

 俺が軽く会釈すると、部長と呼ばれた女子も自己紹介を返してきた。

「文芸部部長、二年の今野由香(こんのゆか)だ。用件はなんだ?」

「私達、各出し物の進捗状況のチェックに回らせていただいていまして、文芸部の作業の様子を見に来たんです。」

「あぁ、そういうことか。分かった、気の済むまでチェックしてくれ。」

 今野さんはそう言うと、持ってきた本を机の上に置いた。

「文芸部は、文化祭でなにするんですか?」

「我々は、文化祭では文集を出すのが恒例なんだ。各自テーマを決めて、今は作品作りの真っ最中だ。本番二日前には製本を完了して、当日は図書室前で無料配布する。」

 文集か。なんか、いかにも文芸部って感じだ。

「テーマって、物語の方向性とかっすか?」

「それもある。が、全部短編小説では読者も飽きるからな。グルメコラムやエッセイ、詩とかもある。」

「なるほど。じゃあ、そこの二人も?」

 楽島の問いに、机に座っていた二人は作業を止めてこっちに視線を向ける。

「あぁ・・・そうだ、紹介しておこう。あっちの黒髪は、詩を担当している稲吉恵那(いなよしえな)。反対側に座っているのが、『冒険』担当の片岡央(かたおかひろ)。どちらも一年だ。」

 今野さんによる紹介が終わると、稲吉は席を立ってその黒髪を揺らしながらお辞儀をする。片岡はそんな稲吉を見て、慌てて席を立って頭を下げた。一年とは言っても、どちらとも面識はない。まぁ、一年だけで十クラスもあるんだし、顔も知らない同級生なんて、まだ山といるだろう。

「で、そこに立っているのが『童話』担当の梶沢深恵(かじさわみえ)。彼女も一年だ。」

 こっちは、全く動かず無表情のままだ。まぁ、ここを訪れた時に多少のコンタクトはあったから別にいいけど。

「梶沢は作業しないの?」

「私の原稿は上がっている。現在は、声がかかれば助っ人として動く状況。」

 へぇ~、もう終わってるんだ。

「今野部長は、なんの担当なんですか?」

「私は、全体の作業統括と編集の責任者なのでな。最初の部長挨拶と、最後の編集後記だけしか書くことはない。」

「なるほどね。じゃあ、その本は?」

「あぁ、これか?副部長の調べ物の手伝いだ。そうだ、梶沢も手伝ってくれ。」

 今野さんはそう言うと、分厚いハードカバーの下にあった、もう一冊の本を手渡した。傍から一瞬見ただけだと、小難しそうな小説にしか見えない。

「分かりました。どうやら、作業は概ね順調のようなので、今日はこれで失礼します。」

「そうか。では、当日をお楽しみに。早く来ないと、午前中で売り切れてしまうぞ。」

 今野さんは、そう言って不敵に口元を緩めたかと思うと、すぐにハードカバーに向き直って作業を始めた。俺と楽島は、その背中に会釈をして部室を後にした。

「さて、これでとりあえず終わりね。ありがと、藤越。」

「どういたしまして。んじゃ、俺は教室に・・・あ・・・」

 部室棟から校舎に繋がる渡り廊下。その途中、俺の視線の先には、何やら貼り紙を持ってウキウキしている中田さんの姿があった。

「お、藤越君じゃん。それに、ソフト部の楽島さん。これはこれは、珍しいコンビに珍しい所で会ったもんだね。」

「ちす。放送部の仕事っすか?」

 俺の問いに、中田さんは手に持っていた紙を見せながら答えた。

「この前はありがと。おかげ様で、いい記事になったよ。」

 そこには、今度の試合に出る俺達の写真が一面の真ん中にデカデカと載っていた。


「あぁ、それなら私も見たわよ。」

 楽島と別れて教室に戻り、俺は傍にいた近松にさっきの新聞のことを話した。すると、近松からこんな返答があったわけだ。

「あんな目立つ新聞、誰だって足止めるわよ。私はあれを、文化祭では絶対に活用すべきだと思うわ。教室の外側をバッチリ目立つようにしておけば、誰もが足を止めて中に入るってモンよ。」

 なるほど。そのせいで、外装担当の森達が色々やっているわけか。大方、次山や竜堂も賛同したんだろう。

「それにしても、あんたの扱いが大きすぎるんじゃない?普通、部長が目立つモンでしょ?」

「それだけ、中田部長から藤越さんに対する期待が大きいということですわ。」

 そう言って、錦が俺の横から顔をのぞかせる。

「中田さんが、俺に期待している?なんだって俺なわけ?普通そういう期待って、部全体にかけるもんじゃない?」

「もちろん、部長はテニス部全体に期待されておりますわ。ですが、胸の内は少し別。私も記事に目を通させていただきましたが、端々にE組に対する期待感が込められておりましたわ。もっとも、部長自身は、公平に書いたと仰られるでしょうが。」

 そう言って、錦はクスクス笑った。

「それにしても、なんだって中田さんが俺達にそこまで期待を?」

「かかって当然なんじゃない?」

 ダンス部の練習終わりだろうか、緑山がタオルで汗を拭きながら近付いてきた。

「あなたに伊吹、それに智に一義。あなた達四人が出る試合さえ勝利すれば、団体戦的には勝ちになるんだもの。」

 まぁ、理論上はそうなるだろうけど。

「だが、紀藤と杏のダブルスはチーム最強だ。それに、村中だって相当な実力者だぞ。中田さんは、それでも俺達を特別視するって言うのか?」

 恭一の反論に、緑山は横目で恭一を見ながらこう言った。

「それも込みで、よ。考えてもみなさいよ。あの実力者揃いのテニス部の団体戦メンバーにおいて、E組から四人も選出されるなんて、かなりの低確率よ。加えて、一義以外の三人は、部長である紀藤自身のお墨付きメンバー。その時点で、E組の実力は推して知るべし。きっと、中田さんはそう考えたんでしょうね。だから、自然とE組がピックアップされるような感じになってしまった。」

 緑山の言い分に、俺は少なからずハッとした。確かに、よくよく考えてみれば、トーナメントを勝ち上がってメンバーに入ったのは、俺達の中じゃ一義だけだ。俺と伊吹、それに智の出場は、松栄との対戦が決まった時点で既に固まっていた。

 つまりその時点で、紀藤の中では、俺達三人は別格とみなされていた。そしてそれに、誰も異論は唱えなかった。俺達ならしょうがないっていう、暗黙の了解みたいなものがあったから、そうなった。それを、中田さんは感じたってわけか・・・

「おそらくだけど、今後、そういった傾向は顕著になると思うわ。」

 そんな切り口で入ってきたのは、東山だった。放課後、東山を教室で見たのは久しぶりだ。それよりも、

「そういった傾向って?」

「E組の私達が、中田さんの興味の対象になっていくということ。」

「俺達が?」

 カッターを口にくわえたまま、晴一が聞き返す。

「そうよ。どのクラブもそうだけど、三年生が引退して、これからは一、二年生が部を引っぱっていく形になるわ。その中で、E組の能力が突出し始める可能性は高い。」

「俺達の能力?テニス部は一年しかいないから、大所帯の俺達が目立っているだけじゃない?」

「テニス部だけなら、そう見えなくもないわ。でも、忘れてないかしら?私達は、陽を守るために集められた部隊の人間であると同時に、表向きは一介の高校生であるということ。」

 そりゃ、普段はそこいらの高校生と似たような生活をしているとは思うけど。

「私達を、一介の高校生という視点から見た時、その能力の高さは超高校級。例えば好。」

「え?」

 不意に名前を呼ばれ、ガムテープをちぎる手を止めた時代。

「あなたは中学時代、弓道全国大会で二連覇。しかも、二年連続最高得点のおまけつきでね。」

「さっすが好ちゃん、すごいな~!」

 東山の言葉に、普通に感心する高田。いや、あんたは知ってるんじゃ・・・

「同じく中学時代、全国最優秀選手と打点王、加えてゴールデンクラブの胡桃に、バスケの県大会MVPの守。」

 あぁ、それは前に聞いたことがあるけど・・・改めて頭の中で文章にすると、二人っていろいろと規格外に思えてくる。

「水泳ではバタフライの中学記録を持つ麗子に、中学空手界不動の六十連勝を誇る入沢君。」

 藤原はなんとなく想像通りだけど、晴一もけっこうすごいんだね。

「浪速の大砲と恐れられた一葉に、走る鬼神と言われた小野君。」

 うん、国風はイメージ通り。でも・・・

「義政が走る鬼神?そんな顔して走るわけ、義政?」

「いや、おいらとしては普通のつもりなんだがな・・・」

 そう言って、義政は苦笑した。ま、体育が持久走の時にでも確認するか。

「他には瑠璃や智、それに朱崎君、正倉君もスポーツ特待生組よ。加えて、そうじゃないメンバーも成績上位だし、おまけに文化系組も地味にいい成績や頭角を現し始めつつある。これで目立たない方が変でしょ?」

「・・・確かに、そんなに実力のある人間が一堂に集まっていれば、あの勘のいい中田さんなら、何か思っても不思議じゃない。」

 東山の意見に、守が作業の手を止めてそう頷いた。

「それに、俺達が目立ちそうなのはクラブばっかりじゃない。目前に迫った文化祭はもちろんのこと、それに続く体育祭。それに、体育の成績に直結するっていう球技大会。この二学期は、もしかすると俺達の知名度を一気に引き上げちまうかも知れないな。」

 守はそう言葉を続けると、再び針金をペンチで切り始めた。

「別に構わないじゃない。私達の正体さえばれなきゃ、どんだけ目立ったって問題なし。」

 そう言って、近松は俺を見てきた。いや、それはそうかも知れないけど・・・

「でも、現実問題として、俺達は中田さんに目を付けられてる。身体能力っていう表面的なことなら、手加減とかセーブなりして、抑えることはできるんじゃない?」

「う~ん・・・球技大会ならそれも可能だとは思うけどにゃ~・・・」

 そう言って、杉内はポリポリと頭をかいた。そんな語尾だったっけ?それより・・・

「球技大会ならって、どういうこと?」

「球技大会は、クラス対抗でしょ?なら、程ほどの成績に抑えて、平均点の成績を取ることは出来る。でも、それをクラブの試合や体育祭でするのは、ちょっと無理かにゃって。だって、体育祭は団対抗だから、私達の成績はそのまま、団の成績に直結する。クラブの大会もそう。迷惑かけるのが、私達以外の人にまで及ぶのは、ちょっとまずくない?」

 確かに、それも一理ある。俺達テニス部なら、個人戦の大会なら加減のしようがあるけど、今回みたいな団体戦となればそうはいかない。となると、あまりセーブする余裕はない。つまり、俺達の全力を出すしかない。

「全力出して負けたんなら、私だって納得する。それしないで負けたら、きっと私は一生後悔する。後悔するのは、もうたくさんだからね。」

 後悔するのは、もうたくさん・・・そう言った時の杉内の表情は、少しだけマジで、思いつめたようだった。きっとその心の奥に、なにかあるんだろう。後悔することを嫌になる、何かが。

「ま、私達が全力出せば、負けることなんてないでしょうけどね。」

 近松は、そう言って胸を張った。最近、近松はこの手の自信満々発言が多い。この前、恭一にそのことを言ったら、『これでもまだ少ない方だ』と肩を竦められた。きっと、恭一は聞き飽きているんだろう。

「いや・・・そうでもねぇぞ・・・」

 近松の自信家発言に、少し青ざめた笑顔で反論したのは晴一だった。

「誰か、勝てない人間に心当たりでも?」

「あぁ。俺の空手の師匠だ。奴にだけは、未だに勝てる気がせん。」

 晴一の師匠か。きっと、ごつい人なんだろうね。

「藤越はいるの?勝てないって思う人。」

 近松の問いに、俺は即答した。

「姉ちゃん。」

「・・・あぁ、納得・・・」

 智が苦笑しながら同調する。

「やっぱ、智もそう感じる?」

「ま、いろいろあったからな。頼りにはなるけど、絶対敵に回したくないな。」

 あ、それはそうかも。姉ちゃんを敵に回すなんて、想像したくもないね。

「おっす!首尾はどないや?」

 漫才のネタ合わせが終わったのか、国風がいつもの大声で戻ってきた。後ろには、犬飼の姿も見える。

「そっちこそ、首尾はどうなの?」

「こっちはばっちりや!ウチラの優勝は決まりやって。な、真由美?」

「せやな。ウチラ、タイガーレディの優勝は、もうそこまで見えとるで。」

 そう言って、国風と犬飼はガッチリと肩を組んだ。

「名前からして、ネタも阪神系?」

「そこらへんは、申し訳ないけど秘密や。ネタバレしとったら、おもろないからな。」

「それもそうね。」

 犬飼の言葉に、放課後にしては珍しく教室に現れた押川が賛同した。

「劇の練習は?」

「私の出番の所は終わったから、一足先に戻ってきたの。空は、まだ先輩達と練習してる。」

 押川の声は、少しだけかすれているように感じた。ここんとこ、劇の練習でずっと体育館にいたらしいし、ある意味、それだけハードってことなんだろう。

「直江ちゃん、何役なの?」

「私は、空の親友役。舞台上にはけっこういるけど、そんなにセリフは多くないの。いわゆる、モブキャラって奴かな。空に比べれば、全然端役だよ。」

 歩の問いに、押川は少しはにかみながら答えた。

「それにしても直江ちゃん、少し痩せたんじゃない?」

 次山との打ち合わせが終わったのか、図面をポケットにしまい込みながら、竜堂が押川のウェストに目をやってそう言った。

「ちょっと、役作りでね。病弱って設定だから、細身の方がいいかなって思って。」

「役作りで?じゃあ、福知山とかもなんかやってんの?」

「空は、雑学の本を読み漁ってる。そういう役だからね。眼鏡もこだわってたし。」

 あぁ、それで福知山、最近やたらと眼鏡なのか。

「なんか、改めて二人をすごいと感じたよ・・・」

「・・・どうせ、私は地味ですよ・・・」

 少しすねたような口調で、俺から目を逸らす押川。いや、そういう意味で言ったんじゃないけど・・・

「そんなことないですよ、押川さん。むしろ、そこまで役に入り込めるって、素晴らしいことだと思います。」

 押川の努力にいたく賛同したのは、次山だった。

「そ、そうかな・・・」

「はい。お二人の努力の成果は、必ず見に行きますから。」

 次山の屈託のない笑顔に、急にしどろもどろになる押川。それを、杉内が少しだけ面白くなさそうに見ているように見えたのは、俺の気のせいなんだろうか・・・


 翌日。昨日とはうって変わって晴れ渡った空の下、男テニは昨日の遅れを取り戻そうと、いつもよりハイペースで練習が行われていた。ボール出しをする古本の表情も、いつもより真剣みが増している。あいつの目が笑っていないなんて、よほどのことだ。

「おーし、ラスト!」

 古本がそう言って放った山なりのボールを、

「せいやっ!」

 智がコート隅に立てられたコーンギリギリに決め、今日の練習は終了となった。

「うーっし、お疲れっした!」

『お疲れっした!』

 練習後のミーティングもつつがなく終了し、俺はそそくさと着替えて部室を後にした。するとそこには、

「あ、お疲れ。」

「お、お疲れ様です・・・」

 この前と同じく、スケッチブックを持って佇む平牧の姿があった。

「いつも、こんな時間まで残って、一人で夜道を帰るわけ?」

「・・・」

 あれ?珍しく無反応だ。いつもはだいたい何か返してくるのに。俺が不思議がっていると、

「藤越君・・・」

 決意を固めたような目をしながら、平牧が俺を呼んだ。

「あの・・・も、もし良かったらなんですけど・・・」

 平牧の、いつにも増して言いにくそうな仕草。俺は無言で平牧を見る。すると、平牧はスケッチブックを握っていた手に力を込め、いつもより少し大きな声でこう言った。

「モデルになってくれませんか!?」

「・・・・・・え?」

 俺は平牧の顔をジッと見ながら、そんな気の抜けた言葉を返すのが精一杯だった。



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