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第一話四章 夏になって・・・

第四章

                 夏になって・・・


 清々しく過ごせる時季ランキングで、俺の中ではダントツ一位の五月が終わって、現在六月。久しぶりのテストが終わり、今日からその返却が始まる。俺は・・・英語以外に関しては自信なんて皆無。で、最初の授業で帰ってくるのが英語。俺の結果は・・・まーまーだった。予想通りくらいの点数にさして感動もない。

「どうだった?」

 智が話し掛けてきた。

「そっちは?」

「赤点ギリギリセーフだな。」

 そう言って、智は手に持っていた答案用紙を見せてくる。

「ホントだ・・・マジ危ないじゃん。」

「そっちは?」

 智に促され、俺は点数を見せた。途端・・・

「ハァ~~~・・・」

 智はため息をついた。

「どしたの?」

「やっぱ、本場の英語力は違うな。」

 そう言って、智は俺に答案を返した。そして自分の分を持って、心なしか肩を落として席へ戻る。悪いことしたかな?

 にしても、どうやら智は英語が苦手科目らしい。あの様子からして、中学の頃からそれほど得意とは思えない。かくいう俺は俺で、英語以外の教科は自信皆無・・・前述したけど繰り返したくなるほど自信皆無・・・憂鬱。


 それから数日は、テスト返しに費やされる日々が続いた。


 六月が始まって二週間。中間テストという難関を乗り越えた(?)俺達一年E組。ここ最近は敵勢力も大人しくて、拍子抜けというか・・・いずれにせよ平和だった。だけど、問題というのは非日常に関係したことばかりじゃなく、いたって日常的な、些細でありきたりなトラブルも起こる。今回のトラブルは、どちらかといえば後者に属する事だと思う。そう、終わってみればただのヤキモチが原因のワガママ。だけど、妙にスケールは大きかった。


 事の発端はいつもの昼休み。なんの変哲もない梅雨時の昼休み。雨の音がやや憂鬱な湿気を運んできてはいた。ただ、それに触発されたのかどうか分からない。いずれにせよ、この時既に問題は動いていた。

「この雨じゃ、今日のクラブは中止だな。」

 恭一が、窓の外を見ながらそう言った。ここは恭一の席。E組男子テニス部の俺達は、なにもする事がないのでここで暇つぶしをしていた。

「昨日に続いて今日もか・・・今年の梅雨は本格的だね。」

 伊吹が感心するように言った。そう、今年は例年よりも梅雨前線が発達して日本に乗っかっていた。お陰で、去年より降雨量は増えるらしい。三年間アメリカにいると、どうにも梅雨という感覚がなくなるから、俺としては新鮮で懐かしかったけど。

「体が鈍っちまうな、まったく・・・」

 智は体を伸ばしながらそう言った。まぁ、気持ちは分からなくもない。

「だね。おまけに、雨はどこか憂鬱になる。」

 そう言って、一義の表情が一瞬曇る。

「だな。もっとも、俺の妹に限っては例外のようだが。」

 そう言って、恭一は嘆息した。妹って・・・

「泉ちゃんだっけ?」

「あぁ。あいつは、年がら年中元気だからな。雨の日雪の日お構いなしだ。」

「雪の日は分からなくもないけど、雨の日まで?」

「あぁ。あのテンションがどこから沸く物なのやら、俺には見当もつかない。」

 恭一は、そう言って呆れたように笑った。まぁ、子供は風の子って言うからね・・・関係ないかな?ともあれ、しばし、俺達は恭一の妹である泉ちゃんの話を聞いていた。すると突然、

「なんの話?」

 近松が輪に入ってきた。

「泉の話をしていただけだ。」

 恭一が即答した。

「泉ちゃんの?あらあら、相変わらずのシスコンね。春の校外学習の夜だって、さんざん話していたくせに。」

「誰がシスコンだ、コラ。」

「いや・・・泉ちゃんのことを話していた時の恭一の表情や口調から察するに、あながち間違いでもない気がするけど?」

「大間違いだ。俺は、断じてシスコンなどではない。」

 恭一はキッパリと断言した。ったく、どの口がそんなこと言えるんだか。

「にしても、妹ってそんなに可愛いもんなの、恭一?」

「・・・俺にふるな・・・まぁ、可愛くないとか大切じゃないといえば嘘だが・・・」

「ふ~ん・・・一義は?」

「・・・可愛いといえばそうなるね。彼女の場合は、あんまり素直じゃないけど。」

 そう言って、一義は苦笑を浮かべる。

「素直じゃない?」

「うん。照れ隠し・・・とでも言うのかな?それが多い気がするんだ。」

 照れ隠し・・・妹が兄貴に対してすることなんだろうか・・・まぁ、する時はするんだろうけど。

 とは言っても、俺には妹の気持ちなんて分からないし、妹を持つ兄貴という存在の苦労も分からない。なんせ、俺はどっちでもないからだ。俺は、その点でいえば伊吹と気が合う。伊吹の姉ちゃんは、最近は相当伊吹にご執心のようで、その事を伊吹はメールに泣き顔だらけで相談してくる。ホント、苦労の絶えない奴だよ、伊吹は。俺はというと、相変わらず姉ちゃんとはいつも通りだ。いや、むしろなにかあれば、こうしてノンビリもしていられないんだけど。


 ところが、現実に何かあってしまうあたり始末が悪い。それは、その週の土曜日の事だった。


 今日は、梅雨前線は一時的に北上してくれたらしい。この辺りは高気圧に覆われて、久々に、すごく久々に青空が一面に広がっていた。しかもこれまたラッキーな事に、その日、男子テニス部の練習はないときた。なんでも、女テニが試合をするから男子は免除らしい。うんうん、女テニに感謝。

 とはいえ、おかげで土曜日は暇になったわけ。することもなく、俺が家でノンビリしている時だった。

『ピピピピッリリリ』

 携帯が鳴った。この音は智からのメールだ。俺はメールを読んだ。そこには、

『今すぐに姫の家集合。』

 とだけ書かれていた。姫・・・あぁ、鳳凰のお邸ね。ホント、同じ名を冠する歴史的建築物なんて目じゃないような豪華絢爛な邸宅だった。鳳凰財閥の底力を俺は恐れたね、正直に。それはともかく、鳳凰の家に集合ということは、これから遊ぶつもりなんだろう。俺は気楽に自転車で走った。

 十数分で、俺は鳳凰の家に到着した。すると、

「あれ?高村。」

 玄関には高村がいた。なにしてんの?

「あ、藤越君!遅いで!早く中に!」

 高村は随分と慌てていた。

「なになに?ちゃんと説明し・・・」

「急がへんと、また陽ちゃんが危ないねん!」

 急ごう!俺は自転車を鳳凰の家の庭に置き去りにして、随分な早足を使って家の中に入った。


 高村に案内されたのは、鳳凰の自室だった。既に全員がそこにいた・・・いや・・・・違う。俺は室内を見た時、物足りなさと違和感を覚えた。第六感の誤作動かと思ったけど、どうやら違うみたいだ。

「衆。」

「智、平牧がどうしたって?」

 俺は単刀直入に聞いた。智は一瞬躊躇したけど、

「すまん・・・」

 俺にひと言謝った。

「なんの謝罪?」

「実は・・・平牧達が、何者かに誘拐された。ここに俺達を集めるように指示した事から、おそらくは敵・・・」

「平牧達?他に誰が誘拐されたっての?」

「・・・五弓だ・・・」

 名前を口にした途端、智が唇をキュッと噛み締める。

「え?マジ?なんだって五弓ちゃんが?」

「衆君・・・さらわれたのは、その二人だけじゃないの。」

 歩がそう言った。

「他にいるの?」

「うん・・・佐藤君の妹さん。それから、胡桃ちゃん・・・」

「え?、泉ちゃんに、有地が?マジ、守?あんた、妹は俺の手で守るって・・・それが俺の役目だって言っていたじゃん。」

「あぁ、言ったさ・・・だから無性に不甲斐ないぜ・・・」

 そう言って、守は頭を抱えた。まぁ、ここで守を攻めたってしょうがないか・・・

「さらわれたのは、その四人だけ?」

「うん・・・でも、どうして五弓ちゃんや胡桃ちゃんまで?」

「大方、狙いは取引材料だ。要求する物は分かっているしな。」

 晴一が、珍しく冷静に説明した。

「データのこと?」

「それ以外にあるか?」

 俺は首を振った。だけど、そうなると弱ったね・・・

「でも、それが目的だったとして、いったいどうするの?俺達、データの本物なんて、持っちゃいないよ。」

「そこなんだよ・・・俺達が持っていないって言ったところで、敵がそれを信じるのはまずありえない。けど、持っていないのも事実だしな~・・・それに、気になることはもう一つある。」

「もう一つ?」

「敵が、なぜここに俺達を集めたのかって事だ。集める必要なんか、俺には思いつかねぇ。」

 そういえばそうだけど・・・確かに、敵は俺達をここに集めてどうしようっていうんだろう?

「あ、藤越さん。」

「鳳凰・・・」

 鳳凰が部屋に入ってきた。俺の感じた違和感の一部は、この部屋の主である鳳凰が見当たらなかったからかも知れない。

「事情の方は・・・」

「今、智や歩から聞いたよ。で?犯人からの要求は?」

「それは、これからお聞きいたします。」

「これから?」

「えぇ。今回の事件、犯人との交渉役は私に任されておりますから。」

「犯人側からの指示で?」

「はい。」

 妙に鳳凰の目には自信と力があった。いや・・・力なら普段からそれなりに入っている。

「部隊の人間が全員揃ったら、平牧さんの携帯へ電話する事に。今からかけます。」

「了解。」

 鳳凰はボタンを押し、平牧の携帯を持っている犯人へと電話する。

「もしもし。」

 犯人はすぐに電話に出たみたいだ。何とか会話を聞き取ろうと思ったけど・・・

「はい・・・はい・・・・・」

 犯人の声は聞こえず、鳳凰の応答する声だけが聞こえる。

「はい?」

 疑問系が挟まった。聞き取りにくかったんだろうか?

「・・・分かりました。」

 そう言って、鳳凰はボタンを押した。電話が終わったのかと思いきや、

『初めまして、諸君。』

 ワイドショーで証言している男性のような声が聞こえてきた。

「あんたが、平牧達を誘拐した犯人?」

『いかにも・・・さて・・・』

「おいこらてめぇ!」

 犯人が何か言おうとする前に、恭一が電話に向かって叫んだ。いつもの恭一なら絶対に見せないような、相当怒った顔だった。

「泉は生きてんだろうな!泉の顔に傷一つ残してみやがれ・・・てめぇなんざ・・・その場で俺が死刑にしてやる!」

『・・・安心したまえ・・・まだ、何も手出しはしていないさ。もちろん、他の五人にもね。』

「他の五人?どういうこと?誘拐されたのは、平牧と有地、それに泉ちゃんと五弓ちゃんだけの筈じゃ・・・」

『そちらが既に承知している人質以外の二人は・・・伊吹涼の姉と・・・』

「お、お姉ちゃん!」

『藤越衆・・・君のお姉さんだ・・・』

「な・・・!?ね、姉ちゃんを・・・!?」

 姉ちゃんまで・・・敵に?

『いやはや・・・これだけ美しい女性が並ぶと壮観だ。見せてあげたいよ。』

 電話の向こうからは、男の笑い声が響いていた。

「恭一、電話貸して。」

「あぁ・・・」

 俺は恭一から電話を受け取って、思いっきりこう叫んでやった。

「姉ちゃんに手出ししたら、あんたはその場で俺が殺す!」

『・・・まぁ、理性で抑えるように努力しよう・・・』

 電話の向こうにいる犯人は、さも余裕そうにそう言った。むかつく奴だね、まったく。

『さて、話の続きといこう。我々の目的は、もちろん、君達が持っている例のデータだ。大人しく渡してくれれば、人質の解放を約束しよう。』

 まぁ、予想できた交換条件だ。

「そのお言葉、信用しても宜しいのですね?」

 鳳凰が応対する。信用したいのは山々だね、俺としても。姉ちゃんを傷物にされたらたまったもんじゃない。

『無論だ。我々が欲するのはデータのみ。人の命ではない。無益な殺生は、お互い好まないだろう?』

 そりゃ当然でしょ。人の屍超えてまで、どうこうしなきゃいけない目的でもない。だけど、これから先も平牧を守っていく上で、そんな場面をずっとやり過ごせることなんて出来るんだろうか?俺としては・・・そんな自信はない。この手で、他人を殺す・・・この手を、人の血で染める・・・俺に、そんな度胸や底力があるとは思えないし、そんなことにしか使えない度胸や底力なら、逆にいらない。

「分かりました。あなたのお言葉、信用させていただきます。」

 鳳凰がそう言った。すると、電話の向こうにいる犯人はこう要求してきた。

『では、早速だがデータを持ってきてもらおう。場所は、今から画像で転送する。一時間後、そこでまた。』

 電話はそこで切れた。画像を転送?なんだってまた、そんな回りくどい事をするんだか・・・普通に口で伝えればいいものを。

『ピロロロン』

 電話が鳴った。鳳凰が、急いで画像を確認した。

「・・・・・ここは・・・」

 画像を見た鳳凰は、見張っていたその目を疑問へと変える。

「どうかした?」

「あの・・・あまり見覚えのない所で・・・」

 そう言って、鳳凰は俺に携帯を渡した。俺は、犯人から送られてきた画像を見た。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 しばらく記憶を巡回してみた結果、俺は画像の場所に見覚えがなかった。俺は東山に頼んで、画像を大きなモニターに映し出してもらった。東山は、いつも持ち歩いているというノートパソコンと携帯を繋ぎ、取り込んだ画像を鳳凰の部屋に備え付けられているスクリーンに投影した。常日頃ノートパソコンを持ち歩くのは分からなくもない。だけど・・・なんだって部屋にこんなスクリーンが必要なんだか。まぁ、そんな疑問は事件解決後に聞こう。

「準備完了。映すわよ。」

 そう言って東山が映し出した画像には、犯人が撮影した、平牧達の監禁場所であろう建物が映っていた。今日の天気である快晴の空の下、その建物は、一見するとただの倉庫みたいだ。

「倉庫・・・みたいね。」

 近松が最初に口を開いた。

「せやな・・・見た感じ、どこにでもありそうな倉庫やけど・・・」

 次に感想を述べたのは犬飼だ。確かに、倉庫らしき建物の外観は、ふと見れば普通の工場の一部にある倉庫にしか見えない。茶色い塗装に鉄製の扉。一見して、すぐにこれと分かる目印はない。周りもなんとなくだだっ広いし。平凡ここに極まれりって感じかな。どこかに非凡さがほしいご時世だよ、まったく・・・こんな、特徴のかけらもない画像から場所を見つけて、一時間以内にデータを持って来いって?

「どうすんの?智。」

「・・・なんとかして、この場所の見当をつけるしかない。幸い、犯人の指定した時間は一時間以内。つまり、ここから一時間以内に確実に到着できる場所にあるってことだ。それに、この町にある工場なんて、高々数は知れているさ。とりあえず、鳳凰はこの辺り一帯の地図を用意してくれ。東山は画像の解析。映像を出来るだけ鮮明にしてくれ。」

「分かりましたわ。」

「了解。」

「俺達は準備が整うまで、この画像を睨んで場所を思い出す努力をする。ここからどの方角へ一時間走っても、この町の中だ。一度も見たことないなんて、ありえないと思うしな。」

 というわけで、俺達は目を見開いてその画像に釘付けになる事を余儀なくされた。

『カタカタカタカタカタ』

 東山は、パソコンのキーボードを親の仇のように激しく叩く。すると、徐々に画像が鮮明になっていく。

「さすがだね、東山?」

「これくらい、造作もないわよ。」

 こっちに顔を向けても、東山のキーボードを叩く速度は変わらない。指先とキーボードが別の力で動いているかのように正確だった。

「持ってきましたわ。」

 鳳凰が地図を持ってくるのと、東山のキーボードを叩く音が止まるのは完全に同じだった。画像は、さっきとは比べ物にならないほど鮮明だった。

 鮮明になった画像に映っていた建物は、印象としては倉庫でしかなかった。丸い屋根、大きな扉・・・倉庫にありそうな物がなかった。その倉庫を所有している会社の名前だった。それさえ分かれば、鳳凰が持ってきてくれたこの地図で場所が一発で分かるのに。智は、鳳凰が持ってきた地図に円を描いた。一時間以内の範囲だろう。鳳凰の地図に書かれている工場の全てに倉庫があると考えると・・・

「けっこうな数だね・・・」

 歩が呆気に取られながらそう言った。確かに、俺の予想を遥かに上回る数だった。俺の予想だと、多くても十件ぐらいだった。ところが、智が囲った円の中には、ざっと見た感じ軽く三十はある。この中のどれかに姉ちゃん達が捕えられている・・・っていっても、だ。

「この数から、どうやって一つに絞り込むわけ、智?」

「写真だ。写真から取れるだけの情報取って、少しでも絞り込む。」

 取れるだけの情報って・・・

「この画像から分かるのは外観だけ。だけど、地図じゃ外観は分からないんじゃ・・・?」

「・・・いや、そうでもなさそうだ。」

 日高が呟いた。なんか見

「なにか見つけたのか?日高。」

 恭一の方が速かった。テニスの時でも見せないレスポンスだった。必死だね、やっぱり。

「ここだ。」

 日高が示したのは、倉庫の壁の一部だった。目を凝らすと、文字みたいな物が見える。文字がそんなに大きくないのか、解析された画像でも少しぼやけている。

「東山、ここだけアップにして鮮明にしてくれ。」

「分かったわ。」

 東山は、日高が示した部分を囲むと、そこをアップにしてさらにキーを叩く。すると、画像が徐々に鮮明になっていく。そして、文字が読み取れるまでに鮮明になった。そこには・・・

「『業』・・・?」

 竜堂が疑問系で見たその漢字は、確かに『業』という漢字みたいだった。

「これ、会社の名前の一部じゃねーのか?」

 晴一がそう言って、地図に目を落とす。俺達も地図を見た。この中で、会社名の最後があの漢字になっている場所は・・・

「十三個か・・・」

 智が数え終わって数を口にする。確かに、数えてみると十三件ある。次なる問題は、この十三件からの絞り込みだ。

「これから十三件、しらみつぶしに探す?」

「んなことしてる間にタイムアウトやな。」

 国風にあっさり却下された。まぁ、分かってたけどね。

「だけど、これ以上絞り込む要素はないんじゃない?地図を睨んだって、外観が浮かんでくるわけじゃないし。」

「そらそやけど・・・せやけど、ほなどうしろって言うん?」

「俺が知りたいよ。」

「せめて、有限か株式か分かれば宜しいんですけど・・・」

「有限?なんのこと、鳳凰?」

「これですわ。」

 鳳凰が指差した先には、(有)の記号があった。

「・・・なにこれ?」

「これが、有限会社という意味の記号です。それに対し、こちらの(株)の記号が、株式会社であるという証し。この倉庫のある会社が、有限か株式かさえ分かれば、もう少し絞り込めるかと思いまして・・・」

 なるほど、鳳凰らしい着眼点だ。

「だけど、この写真にはどっちの記号もないけど?」

「えぇ。まぁ、社名の最初と最後、どちらにこの記号を記載しても問題はありませんから。おそらく、この会社は最初の方に・・・そうですわ!」

 自らの言葉を遮って、何か思い出したように笑顔で俺を見た。

「どうしたっての?」

「この地図に書かれている会社名は、全て、外観の表記と同じになっている筈です。つまり、この中から、最後に記号のある会社を除けば・・・」

 そう言うと、鳳凰はポンと赤ペンの蓋を抜き、次々と×印を打つ。すると、残ったのは株式会社と有限会社が一件ずつの、僅かに二件だった。

「このどっちかやな・・・何とかして一個に絞り込めへんかな~・・・」

 そう言って、犬飼が地図を睨む。地図を見ると、残った二件は、あの光崎レイの事件の時に、お札が貼ってあった川が流れ込んでいる、この町で一番大きな川の中流に向かい合わせて建っていた。すぐ近くには橋がある・・・橋?

「ねぇ・・・智。」

「なんだ?」

「その写真、橋は写っている?」

「橋?・・・あぁ、この橋か。」

 智は地図上の橋の位置を確認すると、写真に目を凝らす。そしてこう言った。

「いや、橋は見えない。」

 見えない・・・チェ・・・見えたら、その方角からどっちの工場か分かるのに・・・

「なぁ・・・弥生ちゃん。」

 すると、俺達が地図を見ている間も写真から目を離さなかった高村が、ゆっくり東山を呼んだ。

「なに?」

「あんな・・・影の形、見える?」

「影・・・やってみるわ。」

 東山が、再びパソコンの前に座り、勢いよくキーを叩き始める。

「高村、影がどうしたの?」

「うん、ちょっと考えたんやけど・・・」

 高村は、俺には視線を向けず、まだ写真を見つめている。

「出たわよ、光。これでどうしようっていうの?」

 程なくして、東山はキータッチを止め、高村を呼ぶ。写真には、影が確かに伸びていた。

「で?この影がなんのきっかけになるってわけ?」

「・・・こっちか・・・」

 高村は影を見ながらなにやら頷いて、そして地図を見た。そしておもむろに、

「多分・・・こっちやと思う。」

 有限会社の方を指差した。

「だから、そこだと位置づける根拠はなんなわけ?」

「影や。」

「影?」

「せや。犯人が写真を送ってきたんは・・・いつやっけ?姫ちゃん。」

「十時八分ですわ。」

「ありがと。犯人が姫ちゃんとの電話を切って、写真を送ってくるまでほんの一分ほど。予め撮ったにせよその時撮ったにせよ、今日太陽が昇ってから撮影されたと仮定するんや。すると、太陽の位置が東側の時に撮った事になる。そうなると・・・影の伸び方から、こっち側の方が怪しい。」

「影・・・そうか・・・逆光か。」

 高村の説明から、守は何かに気付いたみたいだ。

「逆光?」

「あぁ。いいか?この地図で東はこっちだ。すると、影はこの方向にこう伸びる。」

 守は、鉛筆でシャーっと地図に影を描いた。

「姫が言っていたよな。この地図は、会社名の表記の仕方が、外観と同じになっているって。つまり、この会社名の文字。これが、俺達が実際にこの目で見た時、同じように並んで表記されていたとしたら・・・株式会社の方は、ちょうど逆光になって文字が見えにくくなる。ところがだ。写真の文字は、携帯のせいかなんなのか荒かったが、解析すればすんなり読めた。つまり、逆光じゃない。となると・・・地図では左側に存在する筈の東方向が、この写真では右になっている。それはなぜか。川を挟んで反対側にあるからだ。そうなれば、太陽光は逆光じゃなくなって、あの文字が見えるってわけだ。そういうことだろ、高村?」

「うん、さすが有地君や。」

「よし。高村と守の仮説を信じて、俺達はこの工場へ向かおう。」

 こうして俺達は、そう言って立ち上がった智を先頭に、チャリの限界速度でその工場を目指した。


 犯人が指定した時間十五分前。俺達は、目的地である工場に到着した。既に工場は潰れているみたいで、異様なくらい人気がない。

「人気がなさすぎるけど、高村?」

「そら、犯人かてオーラ出して待ち構えているわけないやん。息を潜めて、草むらからウチラを監視し、油断した所をズドンと・・・」

 草むらね・・・

「どこにあんの?」

「え・・・?」

 見渡した範囲に草むらがないことに気付いた高村は、慌てて弁明した。

「い、いややわ、藤越君。も、ものの例えやん。」

 アハハハハと、わざとらしい笑い声を上げる高村。とりあえず、中へ入ろっか。ここで話し込んだって、平牧達には辿り着けないし。

「よし、二手で追い込む。出席番号の二十番までが、表の左側へ回る。俺達は反対側だ。」

 智の指示に、

「どうせなら、あの窓から華麗に登場したいわね。」

 近松がそんなことをブツクサと言っていた。

「人質が怪我しかねないぜ。」

 当然、智に怒られた。

 俺達は、智の指示に従って、表の両サイドを徐々に進む。そして、少し開いている鉄の扉を前にして、近松と犬飼がライトを点灯させ、俺達は、突入のために息を合わせて・・・

「行くわよ、真由美。」

「任しとき。」

「・・・せーの!」

 近松の掛け声で一斉に工場内に侵入した。ところが、中はライトで照らすほど暗くなかった。近松が華麗に登場する予定に不可欠だった工場の窓から光が入ってきていたからだ。

 埃っぽい工場の中を、俺達はいくつかのグループに自然と分かれ、物陰を慎重に進む。先頭を進むのは、智と歩のコンビに、国風と晴一が加わったフォーメーション。俺はその少し後ろを、伊吹や次山と一緒に進む。俺の所はすごく弱いんじゃない、ひょっとして?武器なんてないし・・・

「おい!時間には間に合った筈だぞ!どこにいやがる!」

 しびれを切らしたかのような晴一の声が、静かな工場に大きく響いた。確かに、敵の気配をまるで感じない。

「伊吹、なんか霊力感じないの?」

「なにも・・・捜してはいるんだけど・・・」

「次山は?」

「すみません・・・僕の方でもまだ何も・・・」

 二人がなんの気配も掴んでいない・・・最悪の場合、ここじゃないかも知れない。高村は確かにIQ百六十だし、守だって頭はキレる。二人の推理を疑いたくはない。だけど、藁に縋っているような感触が体を纏っている感じだった。もしここじゃなかったら・・・そんな考えが頭をよぎった時だった。

「あれ・・・?ちょっと待って、みんな。」

 伊吹が俺達の進行を止める。

「どうかした?」

「感じる・・・お姉ちゃんの波動を、確かに感じる。こっちだ。」

 俺達は伊吹の後に続いた。すると、工場の奥に繋がる扉を見つけた。俺達は扉の近くに集まって、少し間を置いてから・・・

『バン!』

 扉を勢いよく開けて、中に突入した。そこには・・・

「あら、衆。ようやくご到着ね。」

 実にノンビリしている姉ちゃん達がいた。

「ね、姉ちゃん?」

「ん?なに?」

「いや、なにって・・・あの・・・」

 ケロッとしている姉ちゃんに、少し拍子抜けする。とりあえず、無事みたいだけど・・・

「あ、智兄、歩姉。」

「五弓・・・」

「兄さん・・・」

「胡桃?」

「涼おそ~い~!」

「お、お姉ちゃん?」

「お兄ちゃん!」

「泉!大丈夫か?怪我ないか?」

「大丈夫!」

 泉ちゃんの無事を確認した恭一は、

「・・・泉・・・」

 泉ちゃんを抱きしめた。泉ちゃんは、心底嬉しそうに笑っていた。

「五弓ちゃん、陽ちゃんは?」

 歩が五弓ちゃんに聞いた時だった。

「ここですよ。」

 平牧は、五弓ちゃんの後ろでケロッと笑っていた。

「平牧、敵は?」

「・・・あの・・・実はすごく言いにくいんですが・・・」

「言いにくい?」

「はい・・・実は、今回の騒動は、お芝居なんです。」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 平牧の衝撃的な告白に、俺達は毎度の事ながら絶句を余儀なくされた。

「お芝居やて?どういうこっちゃ!陽!」

 国風がすごい剣幕で詰め寄る。だけど、

「待って。」

 姉ちゃんが国風を制した。なるほど、知ってるわけだね。

「説明してもらおうじゃん、姉ちゃん?」

「分かったわ・・・この前、ちょっと、泉ちゃんに相談を持ちかけられたのよ。」

「相談?」

 泉ちゃんは、なんだってまた姉ちゃんに・・・

「なんで泉ちゃんと姉ちゃんが、密に連絡とりあえるわけ?」

「お互いのメルアドを知っているから。」

 姉ちゃんは、それ以外の理由が必要なのかとでも言いたげに聞き返してきた。「いや、それはそうだけど・・・いつ知ったの?」

「偶然よ。恭一君と泉ちゃんが二人で買い物に行っていた時に、バッタリ私が出くわしただけ。」

「あ、あの時にですか?」

 恭一は身に覚えがあるらしい。

「そうよ。最初は、普通の世間話しかしなかったわ。だけど、この前は違った。相談があるから公園に来てほしい・・・普段は笑い顔しかない泉ちゃんのメールにしては、やけにしんみりしていたから、気になって相談に乗ったのよ。で、今回のお芝居をうつことになったのよ。もっとも、私一人じゃどうしようもないから、胡桃ちゃんに陽ちゃん、五弓ちゃんとめぐみにも協力してもらったけど。」

 めぐみ?・・・あぁ、伊吹の姉ちゃんね・・・

「その相談からこのお芝居までの経緯が吹っ飛んでるんだけど?」

「あら、気になるの?でも、私の口から言うべきことじゃないわ。ちゃんと、泉ちゃんが言わなきゃ。」

「え・・・?」

「泉・・・?」

 言いにくそうな泉ちゃんに、恭一が顔を近づけた。

「俺にも、相談できなかったのか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 泉ちゃんは俯いたまま黙っている。重苦しい雰囲気が、二人の間を流れる。

「どうなんだ?」

「・・・・」

「泉ちゃん。」

 黙っている泉ちゃんに、五弓ちゃんが声をかけた。

「五弓ちゃん?」

「言わなきゃ、ダメだよ?」

 なぜだが、五弓ちゃんは今にも泣きそうだった。そして、

「・・・怒らない?」

 意を決した泉ちゃんの問いに、

「・・・あぁ。」

 恭一は笑顔で返した。

「・・・怖かったの・・・」

 怖かった・・・泉ちゃんの告白は、唐突にそんな言葉から始まった。

「怖かった?なにがだ?」

「・・・お兄ちゃんが、どっか行っちゃいそうで・・・」

「俺が?・・・どういうことだ?」

「・・・お兄ちゃん・・・泉の中から消えそうだったの。」

「え?」

 泉ちゃんの告白に、恭一は声を半音上ずらせて驚いた。泉ちゃんの中から恭一が消える・・・どういう状況なんだろ?

「お兄ちゃんは・・・泉をすっごく可愛がってくれた。それが嬉しかった。でも・・・・最近のお兄ちゃんは変わっちゃった。お休みでも家にいないし、いつも遅いし・・・」

 恭一のクラブ活動のことだろうね、おそらく。テニス部は練習時間が長いから。

「家に帰ってきても、ご飯食べたらすぐお部屋に行って、遊んでくれないんだもん・・・・泉、すっごく寂しい・・・」

「構ってやれなかったの、恭一?」

「あ、あぁ・・・クラブ疲れやら宿題やらでてんてこ舞いだったからな・・・確かに、泉に最近は構ってやれていたとは言えないな。ごめんな、泉。」

「それだけじゃないわよ、恭一君。」

「え・・・?」

 めぐみさんは、どうやら泉ちゃんの悩みをさらに奥深く知っているようだ。

「どういうことだ、泉?」

「・・・あのね・・・泉、瑠璃ちゃんにお兄ちゃんを持っていかれるって思ったの・・・」

「わ、私に持っていかれる?」

 おーおー・・・こりゃまた大層なお悩みだね。ヤキモチってやつ?

「泉・・・お兄ちゃんに傍にいてほしいよ・・・どこにも行ってほしくないよ・・・」

 恭一を抱きしめる泉ちゃんの力が、強くなったのが分かるように服をギュッと握る。小学五年生ね・・・この前、近松の言っていたことは間違いじゃなかった。確かに泉ちゃんは、大人の女性に近付いている。ただ、すっごく中途半端な心の成長なんだ。その過程で、捨てきれない恭一への甘えが、近松に対するジェラシーへと変貌したってところか・・・

 高校生になった恭一が、家に帰ってから遊んでくれなくなった。恭一に聞いた話だと、中学時代は帰宅部だったらしいから、家に帰ったら泉ちゃんと毎日、かなりの時間遊んでいたんだろう。中学からバレー一色だった近松は、自然と二人と遊ぶ時間が少なくなって、泉ちゃんは、大好きな恭一を独り占めできて幸せだった。

 だけど、恭一は高校に入ってからテニスを初め、帰りが遅くなった。それどころか、近松とは帰る時間が一緒になるし、休日もクラブや平牧関係で家にいない。疲れが溜まって、泉ちゃんの相手も億劫になる。泉ちゃんにしてみれば、それは恭一が自分に愛想を尽かした、あるいは、自分が恭一を怒らせたとでも思った。恭一の本心を確かめようにも、言いだせる機会がなかった。そんな折、偶然姉ちゃんという相談相手を見つけた。そして、俺の姉ちゃん他数名と共に、この度の作戦を実行に移した。こんなところかな?

「泉・・・バカやろう!」

 恭一は、泉ちゃんを抱き返すと同時にそう叫んだ。

「お兄ちゃん?・・・」

「どんだけ心配したと思っていやがる!お前が人質に取られたって知った時、俺な・・・ただ、無性に心配で悔しかった。お前が殺されるかもって心配して・・・お前守ってやれなかった俺が情けなくて・・・なのに、こんだけ俺に心配させといて芝居だと?」

「・・・ゴメ・・・ン・・・なさい・・・」

「おい、恭一。」

 杉山が置いた手を、恭一は振り払って続けた。

「俺にどこにも行ってほしくないだと?・・・しょうがねーだろ・・・兄ちゃんは、休日だってクラブがあるし・・・用事が色々と増えるんだよ、高校生ってのは。でも、安心しろよ。俺だって、もうしわけなかったさ・・・最近、お前が寂しそうだったのは分かっていた・・・だってのに、俺は構いもしないで・・・ゴメンな、泉。これからは兄ちゃん、遊べる時にちゃんと遊んでやる。だから・・・もうこんなことすんじゃねーぞ。」

「うん・・・」

「次やったら、兄ちゃん、本気で泉を嫌いになるからな。」

 笑顔で釘を刺した恭一に、

「分かった・・・泉、もうこんなことしない・・・」

 泉ちゃんは、固く決心するように頷いた。そして、

「だから・・・どこに行かないで~!」

 恭一にもう一度思いっきり抱きついて、ひとしきり号泣していた。


 泉ちゃんが泣き止んだのを見て、俺達は場所を河川敷の土手に移した。こんなことに手を貸した姉ちゃん達に、お灸を据えるのが目的だ。

「まず、この人選は褒めるよ。」

 俺はそう切り出した。

「五弓ちゃんは、智と歩の動揺を誘うのが目的。智は、俺達のリーダー的存在。そこを動かされると、俺達にもそれが伝わってきて、僅かだけど冷静じゃいられなくなる。そして、それを決定的にするために、有地と平牧を選んだ。五弓ちゃんと泉ちゃんだけじゃ、俺達は身代金目的の誘拐と見るかも知れない。そして場合によっては警察へ通報。事が大きくなって引っ込みがつかなくなる。だけど、その二人を加えることによって、俺達を本気にさせる。平牧や有地まで敵の手に落ちたとあっちゃ、完璧、その方向で動かなきゃいけない。要求する物までそうだったし。ほんと、念入りなことで。そして、姉ちゃんとめぐみさんを加えたのは、そもそも、計画を立てた張本人だったから。当事者がそこにいないんじゃ、なにかと危険だからね。そんでもって、俺達はまんまと姉ちゃん達の罠にはまった。計画の目的自体は、まぁ、納得できる部分が大多数。だけどさ、手が込みすぎている上に悪趣味すぎる。ここまで、俺達を本気にさせる事もなかったんじゃない?」

「だって・・・ショック療法って言うじゃない。」

「ショックが大きすぎるよ!お姉ちゃん。」

 めぐみさんの何気ない発言に、伊吹がやったらと怒った。珍しいことで。

「だいたい、保護者は藤越君のお姉さんで充分な筈だよ。なんだって、お姉ちゃんが参加したのさ?」

「決まっているじゃない!楽しそうだったからよ!」

 開き直ったというか、元から罪悪感はないんだろう。ここまであっけらかんとしている所を見るとね。

「そんなことで・・・いいかげんにしてよ!」

 伊吹が珍しく大声を上げた。めぐみさんが絡んで、少し感情的になっているわけ?

「涼?そんなに怒らなくたっていいじゃな~い。ね?」

 そう言って、抱きついてきためぐみさんを、

「いいかげんにしてってば!」

 伊吹は勢いよく振りほどいた。

「涼・・・」

 さすがに驚いたのか、めぐみさんも目を丸くする。

「・・・ホント、自分勝手だよね。楽しそうだったから?冗談じゃないよ!そんな理由で、今までどれだけ僕が振り回されたと思っているわけ?その度に、僕が苦労して・・・でも、たった一人のお姉ちゃんだから、それに、昔は一緒に楽しんでいた節もあるからいいけど・・・だけど、今回は度が過ぎてる!お父さんもお母さんも、仕事が忙しくて普段からほとんど家にいないから・・・お姉ちゃんが親代わりだった。大好きなお姉ちゃんだから許してきたけど、ここまで心配した僕がバカみたいじゃないか!」

「涼・・・あなた・・・」

「・・・ホント、僕はお姉ちゃんに甘すぎるよね・・・思い切って、強く言ってみたけど・・・やっぱり、お姉ちゃんが無事だって分かってホッとした・・・お芝居だって言われて・・・許しちゃいけないのに・・・やっぱり、お姉ちゃんを許しちゃう。ホント・・・甘いよね。」

 伊吹・・・

「いいんじゃない?甘くてさ。」

「藤越君?」

「俺だって正直、今回ばかりは呆れたさ。だけど、姉ちゃんならやりかねない。半ば、諦めているっていうか・・・どうだっていいや。姉ちゃんの行動力と機転を考えたら、今回の騒動は想像の範疇にあるし。」

「衆・・・じゃ、許してくれる?」

 姉ちゃんたちの顔に、明らかに安堵の色が浮かんでくる。

「いいよ。伊吹は?」

「・・・藤越君がそう言うなら、僕も。」

 俺達二人の許しを貰って、姉ちゃんとめぐみさんは手を取り合って喜んでいた。

「おっと、喜ぶのは早いんじゃない?」

『え?』

 俺の言葉に、二人はその動きをピタリと止めてこっちを見る。

「お咎め無しなわけないじゃん。罰として、今日から一週間、ここ最近毎晩のように続いている風呂と布団への乱入禁止。伊吹はどうする?」

「そうだな~・・・じゃあ、お姉ちゃんが楽しみしている食後のデザートはしばらくお預けってことで。」

「お、期間をあえて限定しないときたね・・・俺もそうしよっかな~・・・」

 俺としてはそっちでもいいんだけど・・・

「ちょ・・・ちょっと衆。」

「涼~・・・それは許して~・・・」

 明らかに動揺した二人に、

「んじゃ、一番悪い奴に釘刺そっか、伊吹。」

「了解。」

 俺達は無常にも背を向けたりした。


 さて、というわけで俺は、今、最後の一人を目前にしている。そう、平牧だ。有地の方は守に任せておいた。双子の兄貴からの強烈なお叱りで、妹が失神してなきゃいいんだけど・・・あ、智には五弓ちゃんをお願いしといた。でも、何かと智も甘そうだけどね。

「あの・・・な、なんでしょうか?」

 平牧は平然を装っているけど、内心は不安でオロオロとしているに違いない。なにせ、俺がいつもより眼光を鋭くしているつもりで平牧を見ているから。

「とりあえず、謝ってもらおうじゃん。」

「・・・はい・・・すみません。」

 やっぱりというか・・・平牧らしい。あっさりと謝ってくれた。

「頼んだのは、姉ちゃん?」

「いえ・・・志願しました。」

「志願した?なんだってまた?」

「泉さんが、放っておけなくて・・・」

 そう言って、平牧は目に力を込めた。そしてこう続けた。

「年下の女の子が愛で悩んでいたんですよ。放ってはおけませんでした。」

 俺に力説する平牧。ホント、実にあんたらしい。

「だけど、分かってんの?あんたが勝手に行動したらどうなるか。」

「はい・・・でも、今回は問題ありませんでしたし。」

「今回問題が無いからなに?次も大丈夫とか過信しているわけ?」

「え?だ、大丈夫じゃないんですか?」

 ハァ・・・まったく、なにを期待しているんだか・・・

「あんたを守るのは、確かに俺達の役目だし、そのためには全力を尽くすと思う。だけど、それは、こっちがある程度あんたに襲い掛かりそうな危機を察知して、事前に対策を講じた時だけ。今回みたいなあんたの突拍子もない行動は、当然、こっちとしては把握も予測もしていないし。そんな時に緊急事態になられても困るし。だから、あんたはへたに勝手な行動しないことだね。分かった?」

「・・・はい・・・すみません・・・」

 俺の言葉に、さすがの平牧もシュンと俯いた。まぁ、今回ばかりは、これくらい釘を刺しとかないといけない。

「分かれば宜しい。それにしても、あんたも人がいいよね。好きなの、こういうこと?」

「好きというか・・・さっきも言った通り、放っておけなかったんです。私は妹しかいませんから、お兄ちゃんが好きだとか・・・そういう気持ちはよく分かりませんが・・・好きという気持ちは大事だと思うんです。泉ちゃんは微妙なお年頃ですし・・・なにかお手伝いできればと思って。でも・・・他の皆さんには多大なご心配をおかけしたみたいで・・・」

「ホント、多大だったね。反省してんなら、もう勝手な事、しないでよね?」

「はい・・・」

「よし。んじゃ、他のみんなにも謝ってきなよ。」

「はい。」

 平牧は顔を上げると、俺の横を通り過ぎて他の奴らの所へ駆け寄って頭を下げていた。片っ端から頭を下げる平牧を笑顔で許すみんなを見て、俺は、なんだか嬉しかった。


 ところが、この夏はこれで終わってくれなかった。


 夏休みも間近な七月十日。期末テストの返却もそこそこに、俺達一年E組は、夏休みの真ん中に存在する、お盆によるクラブ全休の間をどう過ごすかで持ちきりだった。クラスの意見としては、『クラス全体でどこかへ遊びに行こう』となっていた。そう、それが当初の意見だった。だけど、その意見はこいつのひと言で規制緩和が始まった。それは昨日の事。


「はいみんな~。テストお疲れ様。」

 ふぃ~・・・テストってのは相変わらず疲れるね。俺は椅子に背中を預けてそう思った。一学期の期末テストは、その教科数に反して三日間という強行スケジュールで行われた。だけど、俺達一年は、それでもまだ楽な方だ。先輩達の時間割を見ると、三年生に関してはこの後午後からも試験はある。ま、あと二年は先の話だし。今は気にしないでおこう。

「さて・・・テストも終わったし、次は夏休みね。もちろん、宿題はたっぷり出してあげるから期待してね。」

 そう言ってウインクした豊綱先生に、

「え~!たっぷりは勘弁して~や~。」

 国風はありったけの不満を口にした。

「だいたい、現代国語でどうやってたっぷり宿題出すわけ?」

 近松がそんなことを聞いた。すると、先生は微笑んでこう言った。

「どうって・・・漢字の書き取りを普段より遥かに多くすればいいのよ。」

 ゲッ!マジ!あの単調作業を普段より遥かに多く・・・考えただけで気が滅入る。いざそれを目の当たりにしたら、何もする気が起こらなくなりそう・・・

「あと、晴一。」

「あん?」

「夏休みには、空手部恒例の夏の合宿があるから。その分、スケジュール開けときなさいよ。」

「へぇ~。合宿あるんだ~。いいな~。」

 なぜだか歩が羨ましがっていた。

「ソフト部は無いの、合宿?」

「うん・・・いいな~、合宿・・・楽しそうだな~。」

 歩は虚空を眺めながらそう言った。きっかけはここからだった。そう・・・全ての元凶は。

「合宿ないだけまだマシよ。」

 そう愚痴ったのは近松だった。

「バレー部のスケジュール、ハードなんかじゃ済まされないわよ。休みがお盆だけっていうのも寂しいし・・・夏休みって気がしないわ。そんなとこに合宿なんてあった日には・・・クラブ地獄ね。」

「おいおい。こっちはその合宿があるんだぞ。」

 そう言ったのは恭一だった。そう。俺達男子テニス部は、夏休みの早々に四泊五日の合宿がある。最近、俺達一年の話題は専らそれだ。

「テニス部は弱いからでしょ。」

「聞き捨てならないな。」

「ていうか、テニス部の合宿ってことは、蘭花も連れて行くわけ?」

「そりゃ、竜堂さんはマネージャーだからな。」

 杉山が答える。すると、近松はこう言った。

「分かっているでしょうけど、蘭花に手出し無用だからね。もち、智は別。」

 瞬間、クラスの空気が一瞬凍りつき、竜堂が俯いた。いや、竜堂に手を出すつもりは毛頭ないけど。ていうか智は別って・・・いまさら明言されるほどのことでもない。

「あ、でも・・・顧問がいるから下手に事には及べないか・・・」

 なんの心配をしているんだか・・・だけど、近松の懸念は事実だ。万が一智にその気があったとしても、顧問のオジサン二人が目を光らせている。あの壁はそうそう破れたもんじゃない。

「お前はなにいらん心配をしとるんだ?」

 恭一が釘を刺した。

「智に限って・・・それはないと思うけど?」

 一義も珍しく反論した。そうそう。智は節度ある奴だしね。

「・・・ま、智にそんな度胸があるとも思えないけどね。」

 そう言って、近松は智に視線を向けた。智は、

「ちげーねー・・・」

 そう言ってほくそえんでいた。

「それにしても、ホント、盆休みだけの夏休みなんて最悪。」

 近松は自分で話題の方向変換をした。いや、元に戻しただけかも知れないけど。

「週一で休みぐらいあるんやろ?」

 犬飼がそう言った。

「その休みは、練習がないだけ。試合や大会があるし、たまのオフだって宿題の山よ。夏休みの意味ないじゃない。」

 そして、近松はこう叫んだ。

「あ~!遊びに行く暇もありゃしないわ!」

「そのためのお盆休みなんじゃないの?」

 歩が、『違うの?』と動作で訴えながら聞いた。

「それは・・・人それぞれとちゃうか?」

 国風が確認するように呟いた。

「せやけどまぁ・・・お盆ぐらいは確かに羽伸ばしたいわ。」

 そう言って、国風は大きく伸びをした。確かにね。休みは有効に使わなきゃ損でしょ。

「だったら、またみんなで遊ぼうよ!」

 何かを思いついたように、歩は立ち上がってそう叫んだ。

「春の遠足みたいにさ、またみんなで遊びに行けばいいんだよ。遠足は山だったから、夏は海に行こうよ!うん!」

 歩は一人はしゃいでいた。海ね・・・

「一人はしゃぐな、歩。」

 智が歩を制した。

「え~?楽しそうだよ?お兄ちゃん。」

 どうやら歩は本気で海に行きたいらしい。駄々をこねている。

「楽しそうかも知れないけど、みんなで行くって言ったって、みんなにだって都合ってもんがあるんだ。」

 智は正論で反論した。ところが、その反論は泡に帰した。

「海か・・・面白そうね。」

 不敵に笑ったのは近松だった。

「でしょでしょ?」

 歩は、反論する智をすり抜けて近松に詰め寄った。

「歩・・・やる?」

「もちろん。」

 どうやら二人は合意したらしい。その後、ハイテンションな二人のせいで、俺達の盆休みはクラス総出で海ということになった。そう、最初はクラスの奴だけだった。けど、歩がこんなことを言い出した。

「五弓ちゃんも連れて行こうかな~・・・」

 すると、その言葉に恭一が反応した。

「そうだな・・・その方がいいかも知れん。どうせ、海へ行くなんて言ったら泉は行きたがるだろうし。俺としても、五弓ちゃんを連れて来てくれると助かる。この前の一件以来、二人は仲がいいからな。」

 と、恭一も賛同した。それが波及し、クラスの半分ぐらいの奴が、自分の兄弟姉妹を連れてくる予定を立てることになった。だけど、そこに更なる難題を突きつけたのは近松だった。

「そこまでの大所帯だと、どこに泊まればいいのかしら?シーズンは、近くのリゾートホテルはほとんど満室だろうし。」

「泊りだと!?本気で言ってるのか、瑠璃!?」

 近松の発言に、恭一が一割増でツッコんだ。

「当たり前じゃない。泊りがけじゃなきゃ夏休みに失礼よ!」

 そう言って、高らかに拳を突き上げる近松。どういった点が夏に失礼なんだろ?

「でしたら、ちょうどいい場所を知っていますわ。」

 提案してきたのは鳳凰だった。

「だいたいの予想は出来るよ。あんたの別荘とかでしょ?」

「ご明察ですわ、藤越さん。海沿いでしたら、ここから車で一時間ほどの所にある海岸から、さらに船で三十分ほどの所にある小島の別荘ですわね。」

「小島の別荘ってことは・・・まさか、その島ごと鳳凰さんの持ち物?」

 歩は驚きを隠せないような表情で聞いた。そして、

「えぇ、そうですわ。正確には、父の名義になっていますけど。」

 鳳凰のこの答えを聞いて、

「えぇ~~~~~~!!!!!」

 教室の窓ガラスをぶち破るような大声でリアクションをとった。いや・・・そこまで驚くことでもないんじゃない?鳳凰財閥なら、それくらいは朝飯前って感じだし。

「でも、鳳凰の親父さんの名義なんでしょ?俺達が行っちゃっていいわけ?」

「問題ありませんわ。今年は、父が夏の間北欧で仕事をしておりますから、そこには行かないつもりだったのですが。」

 ちょうど良かったですわと、鳳凰は喜んでいた。こうして、俺達は盆休みに鳳凰の別荘に行くことになった。


 そして、あっという間に夏休みの半分が終わり、今日は盆休みの前日だった。男子テニス部の練習は午前中からだった。俺はまだ涼しいと若干思える朝から、今日もひたすらにテニスと向き合っていた。その休憩中のこと。

「お、衆。」

「あ、晴一。」

 体育館裏の水飲み場で晴一と遭遇した。

「そういえば、晴一の妹も来るんだっけ、明日?」

「あぁ、まーな。」

 晴一には二人の妹がいる。その二人は双子らしい。五弓ちゃんや泉ちゃんより一つ年上の小学六年生。

「ま、騒がしくしねーよーに、釘は刺しといたけどな。」

「やんちゃなわけ?」

「片方はな。もう片方は気難しい性格してるが、ま、一つ頼むわ。それよか、衆の姉さん、来るんだろ?」

「一応ね。めぐみさんと共に、保護者代わりだってさ。ま、大義名分ってやつなんじゃない?わざわざ新しい水着を買ったところから見てもね。」

「新しい水着だ?えらく気合入ってんな。」

 晴一は水を飲んだ後、隣の水道場で水をかぶりながらそう言った。

「まったくだよね。クラスの奴と、その兄弟姉妹ぐらいしか来ないっていうのに・・・」

「あ、その話なんだがよ。」

「ん?」

「鳳凰の話じゃ、別荘には使用人さんがいるらしいぜ。今回の旅行にあわせて、派遣で何人か雇ったらしい。」

「使用人?なんだってまた?」

 なんか、知らない間に大事になってる気が・・・

「大方、俺達にリゾートを満喫してもらうためだろうぜ。鳳凰の性格なら、十二分にありうる。」

「あぁ、確かにね。だけど、そこまで気を回さなくてもいいのにね・・・」

「いいじゃねーの。鳳凰のご厚意に、感謝するとしようや。」

「んじゃ、あたしのご厚意にも感謝してもらおうかしら?」

 俺達の後ろから声がした。まぁ、声の主は分かっている。

「一人称を変えても、声変えなきゃ意味ないんじゃない?豊綱先生?」

「あ、やっぱり?」

 舌を出して頭をかく先生。空手着姿が心なしか新鮮だ。

「晴一、いつまで休憩しているつもり?」

「え?あ、いや・・・もうちょっと・・・」

 晴一の腰が引いている。心なしか顔も引きつっている。

『ビュッ!』

「分かっているわよね?」

「は、はいい!」

 晴一は、先生に拳を寸止めされると、全力ダッシュぐらいの勢いで空手室に戻っていった。

「怖いんだね、先生って。」

「あら?そんなことないわよ?」

 さっきの晴一の怯えようを見る限りじゃ、その笑顔も怖く見える。

「ところで、先生は来んの?明日。」

 歩達が、夏休みに入る前に先生達も誘ったらしい。その場で返事は聞けなかったみたいだけど。

「どうにも無理みたい。個人で参加する空手の市大会と重なっちゃって。あと、伊野川先生も無理だって。お盆の間は、実家の大阪に帰るみたい。」

「大阪ね・・・」

 なるほど。先生二人は揃って無理か。

「でも、大丈夫だと思うわ。だって、衆のお姉さんと伊吹君のお姉さんが同伴してくれるって言うんだし。」

 それだけ言って、先生は去り際、

「じゃ、旅行楽しんできてね。」

 そう言い残して空手室に消えた。はたして、俺の姉ちゃんとめぐみさんだけで大丈夫なんだろうか・・・不安だ。


 で、あっというまに翌日。時刻は午前九時半。鳳凰の家に集合した俺達は、久しぶりの奴らと挨拶を交わしていた。

「楽しみね、衆。」

「まーね。」

 大きな旅行カバンを持った姉ちゃんは、妙にウキウキしているみたいだ。鳳凰の別荘へ二泊三日。正直、俺も楽しみだった。

「お、衆。」

「あ、晴一。」

 晴一と会った。自分用と思われる黒いカバンの他に、二つの大きな青と赤のカバン。

「誰の?」

「決まってんだろ。妹の分だよ。おら、二人とも挨拶しろ。」

 晴一がそう言うと、後ろから二人の女の子が姿を現した。まずは、向かって右側の女の子が挨拶してきた。

「初めまして。千紗(ちさ)です。」

 千紗と名乗ったその女の子は、小学六年生らしく五弓ちゃんや泉ちゃんより少し大きかった。妙に大人っぽい目元をしているけど、ハートのヘアピンを見る限りはまだ子供っぽい。

理沙(りさ)。」

 対する左側の女の子は理沙と名乗った。千紗ちゃんとは違い、ややボーイッシュな感じ。晴一の言っていた気難しい性格なのは彼女の方だろうね。

「俺、藤越衆。こっち、俺の姉ちゃん。」

「初めまして。そしてお久しぶり、晴一君。」

「どうも。あ、こいつら悪さしたら、容赦なく叱ってやってください。理沙はそうでもないんっすけど、千紗は何かと悪さをやらかしますから。」

「そう。でも、そういうのは本来、お兄ちゃんの仕事じゃなくて?」

「いや、それはそうなんっすけど・・・どうにも思いっきり怒れなくて。へたに怒鳴りつけると泣き出すもんだから・・・」

 そう言って、晴一は千紗ちゃんの頭を撫でた。

「くすぐったいよぉ。」

 そう言いながらも、千紗ちゃんの顔はどこか嬉しそうだ。

「仲良しじゃん。晴一のことだから、妹のことなんかつっけんどんに扱ってそうな感じだったけど?」

「理沙も千紗も俺の妹なんだ。ぞんざいになんか、接せれねーよ。お前だって、分かっている筈だぜ?」

「・・・まぁ、それなりにね。それより、晴一?」

「あん?」

「理沙ちゃんも、髪をグシグシやられたいみたいだよ?」

「ほう。」

 晴一は軽く理沙ちゃんを見た後、

「おらっ!」

「お、おい!?」

 理沙ちゃんの頭を思いっきり触っていた。理沙ちゃんの嫌がり方が心底って感じに見えなかったのは、俺と姉ちゃんだけのエフェクトじゃなかったと思う。


「みなさん、全員揃っているようですわね。では、これより出発いたします。」

 どこぞの大手旅行会社のバスガイドのような口調の主は鳳凰だ。俺達の眼前には二台のバスが止まっている。俺達は鳳凰の指示に従ってバスに乗り、俺達を乗せるクルーザーが待っている港へ向かうことになった。

 港へは一時間ほどの道程らしい。高速を順調に飛ばしていくバスの中は、鳳凰の別荘に対する尽きない想像に満たされていた。俺の横に座っている姉ちゃんも、前の席にいるめぐみさんと、さっきからその話に花が咲いている感じだ。俺としては、想像であれこれ語り合うのもなんだかめんどくさかったから、

「話しにくそうだから、席替わるっすよ?めぐみさん?」

 めぐみさんと席を替え、伊吹の横でノンビリ外を眺めていた。外の連中から見れば、このバスはただの観光バスにしか見えないだろう。で、事実そうでもある。もっとも、ツアー内容に関してはやや突飛している感があるけど。

「衆君、楽しくないの?」

 伊吹が声を掛けてきた。そっちを向くと、

「・・・・・・近い・・・」

 思ったより伊吹の顔が近くにあった。

「そんなキラッとした瞳、あんまり近づけないでくれる?」

「あ・・・うん・・・で、楽しくない?」

「べつに・・・」

 楽しくないわけじゃない。内心は楽しみで仕方ない。

「表立って騒ぐのが好きじゃないだけ。だから安心しなよ。充分、楽しんでいるから。」

「良かった・・・」

 俺の言葉に、ホッと胸を撫で下ろす伊吹。

「あんたが気にすることでもないんじゃない?」

「気にするよ。君は普段から無愛想だから尚更ね。君の表情を見て気分が分かるのは、テニスをやっている時だけさ。」

「それって、言い換えりゃ表情で動きがバレバレってことか?」

 前の席から杉山が顔を見せた。

「そうなの、伊吹?」

「そうとも取れるね。でも、君と対峙すると少し分からない。君とダブルスをしている時は、これでもかってくらい自己主張するのにね。」

 厄介だよ。そう言って伊吹は苦笑いをした。あんたが俺の表情に惑わされてどうすんの・・・しかも試合中に。

「もしかして、この前のダブルスの敗因もそれ?」

「それだけじゃないとは思うんだけど・・・」

 俺の質問に、伊吹はそれは認めたくないな~という表情を浮かべる。

「確かにね。俺もそれだけじゃないと思う。むしろ、よくやった方だよね?」

「そうだね。初めての大会で三回戦まで進んで、しかも強豪校の強いペア相手にタイブレークで競り負けることができた。あれは、経験差からくる絶対的な精神的余裕の違いだよね?」

「だからって、楽観視していいわけでじゃない。次は勝つよ、伊吹。OK?」

「了解。次、あの人達と当たったらね。」

「へぇ~。そんなに強かったの?」

 歩が身を乗り出してきた。補助席をわざわざ倒してまで聞きに来るわけ?おまけに・・・

「い、痛いよ~、本村さん~!」

 伊吹が夏場から少し痛めている膝に全体重乗せて・・・とりあえず、補助席に落ち着いて腰を据えられないの?椅子は、足を乗っけるためにあるんじゃないって、俺によく言っていたのはどこの誰だっけ?

「あ、伊吹君、ごめん!大丈夫?」

「そう信じたい・・・」

 伊吹は左膝をさすりながらそう言った。夏休みに入ってからというもの、テニス部は連日の長時間練習が続いていた。真夏の暑さ、加えてハードな練習内容に、体にダメージを蓄積させていく一年生は少なくない。というか全員そういう状態だ。俺も最近は腰が痛いし。伊吹は膝を痛めたし、杉山も手首に違和感。一義も、練習中の打撲が原因でフットワークが未だに芳しくない。恭一に至っては、力を入れると神経に痛みが走るらしい。あの智でさえ、最近は肩の調子を気にしていた。

さらに、三日ほど前には、竜堂が練習中に熱中症で倒れた。幸い、智がすぐに保健室に運んだから大事には至らなかったけど。それでまた、竜堂の中で智のポイントが上がったわけだけど。まぁ、そのシーンを歩や高村に見られなかったのも幸いだろう。高村がまねをするとは思えないけど、歩ならそれぐらいは平気でやりかねない。まぁ、智がそれを嘘だと見抜けないとも思えないけど。

 にしても、あのキャンプでの告白以来、どうにもこうにも智と歩の会話がぎこちなく感じる。というより、二人が話をしているのをそれからは少し見なくなった。今だってそうだ。歩は、伊吹に俺達の試合の話を熱心に聞いている。あの日の帰り道では、歩はテニスの話題にはさほど興味がなさそうだったのに、それから勉強でもしたのか、今は伊吹と話がかなり合っている。となると、ここに智が加わってきてもなんにもおかしくない。むしろ自然なことだ。

 ところが・・・智はこっちを見ようともしなかった。いつの間にか横に座っていた正倉と、なにやら野球の話で盛り上がっていた。まぁ、智はスポーツ全般にそれなりと詳しいから、野球の話でもサッカーの話でも話題を広げることは出来る。けど、いっつも歩とだった。いつも、歩の興味を引きそうな話をしていたし、それで歩の機嫌をとったりしたりしていた。

 それがどうだろう。夏休みに入ってからは、そりゃ家では色々と話しているんだろうけど、その前、少なくとも学校で話す回数は目に見えて減っていたのは確実だ。やっぱり、あの告白で?

 いや、それは智と歩では考えにくい。智にしたって歩にしたって、自分達が兄妹である以上、お互いをどれだけ強く『愛』で結んだとしても、結局それは『兄妹愛』。男女間における恋愛感情的愛情とは違う。兄妹という形で絆の結びつきがある以上、それ以上を望んでもどうにもならないことは、少なくとも智なら分かっている筈だ。で、歩もそれが分かっていたら・・・いや、分かっていればあんなことは言わないだろう。ということは分かっていない・・・いや・・・そう結論づけていいものなのかな?分かっていても抑えられない。そう考えた方が妥当かも知れないね。歩の性格なら、その考えの方がむしろしっくりくる。


「僕も、その意見には同意だね。」

 途中の休憩で立ち寄ったSAで、俺は一義に前述したことを話した。すると、一義からさっきの返事が帰ってきた。

「確かに、あの一件以来、智はその三人と妙に接しにくそうだった。竜堂さんや高村さんも、その智に影響されたのか、智と変に距離を置いているっていうか。正直、このままの状態はまずいね。」

「まずい?」

「例えば、その三人が敵に捕まってしまったとする。智はある交換条件で、その内の一人を取り返すことが出来る状態。さぁ、智は誰を選ぶと思う?」

「ある交換条件?」

「それはなんだっていいさ。問題は、智が誰を選ぶか。いや、誰かをはっきりと選べるのか、かな?」

「どういうこと?」

 中々本論に入ってくれない一義に、少しイライラする。

「智の気持ちがまとまっていない状態でそんな状況になったら、智が選ぶのは・・・」

「自分の命と引き換えに、三人を助けてくれと懇願する。」

 後ろから口を挟んできたのは緑山だった。

「そして、仮にその願いが受け入れられた時、その三人の未来に智はいない。そうなれば、光達が責任を感じるのは必然。そして、智の後を追いかねない。それぐらい、三人にとって智はかけがえのない存在。自分の生死ですら、智に預けかねない絶対的な信頼・・・」

「それを、信頼と呼んでいいものなのかしら?」

「弥生?」

 東山が加わってきた。

「そこまでいったら、信頼ではなくて依存・・・最悪、ちょっとした洗脳状態よ。」

「恋愛なんてそんなものよ。恋愛感情は、所詮は強迫観念。洗脳と大差ないわ。川西さんの事例を思い出せば分かるでしょ?」

 川西さんね・・・

「そういえば緑山。川西さんはどうしているわけ?」

「寺で巫女さんしてもらっているわ。」

「川西さんが巫女さんを?」

 一義が不思議そうに聞き返す。俺も同感。

「えぇ。なんか、昔から憧れていたとか言っていたから、それならと思って、私が学校にいる間の巫女を頼んでおいたの。」

「・・・つまり、緑山は巫女だったの?」

 俺のその問いに、緑山は少し目を険しくした。

「俺はてっきり、寺の主かと。」

「誰が寺の主よ。」

 口調も少し棘が出た。

「ヘヘヘ・・・安奈はずっと巫女のまんまだ。」

 義政がヘラヘラ笑いながらそう言った。

「もっとも・・・おいらとの子供が出来たら引退だけどな。」

 間髪いれず、とんでもない爆弾発言をかましたけど。

「あ、あんた!」

「ん?どうした?安奈。」

 爆弾発言をかまされて紅潮しまくりの緑山は、平然としている義政を睨んだ。睨まれてなお、義政はその平然さを崩さない。

「・・・バカ!」

 緑山はそれだけ言って、バスへと大股早足で戻っていった。

「怒らしちゃったね、義政?」

「だな・・・おいらもまだまだだ。」

 義政は、そう言うと緑山を追っていった。その後、バスに乗った俺が見たのは、

「・・・ゴチソウサマ・・・」

 小声でそう言いたくなるぐらい、そして、なにがどうなってああなったのか分からないほど、仲良くなっていた二人だった。どんな話術を使ったんだろうね、義政は。


「では、ここからは船での移動になります。」

 大きな船を前にして、鳳凰は俺達にそう言った。ここから船で三十分ほど行った先に浮かぶ小島。そこに、鳳凰の親父さんが所有している別荘がある。俺達は期待に胸を躍らせながら、荷物と共に船に乗った。

「きれーい!」

 横で泉ちゃんがそう叫んだ。確かに、そう叫びたくなるほど空と海の青さが眩しかった。イルカが跳ねるわけでもなく、カモメが近寄ってくるわけでもない、普通の船での移動なのに、それを補って余りある絶景と爽快感だ。特に船酔いしてダウンしている人間もいない。誰もが、甲板に出て海風に当たっている。

「風が気持ちいいですね。」

 横に次山がやってきてそう言った。

「同感だね。」

「鳳凰さんには感謝しないと。初めてですよ、こんな優雅な夏休みは。」

「左に同じだな。」

 守も、甲板に出てきたみたいだ。

「妹と一緒にいてやらないんだ?」

「うっせぇ・・・なんだって、俺が四六時中あいつとベッタリくっ付いとく必要があんだよ?」

「ないんですか?」

「ねーよ。あいつだって、自分の身を守る術ぐらいは持ってんだからな。」

「でも、さすがにいざっていう時には、やっぱり、有地君が傍にいるんですよね?」

 次山の問いに、守は少し海を見た。

「図星だね。」

「・・・悪いかよ?」

「いいんじゃない?大事な妹でしょ?守ってやればいいじゃん。」

「じゃあ、お前も守るんだな?大事な姉さんを?」

 姉ちゃんを?ま、状況次第かな?姉ちゃんを守る時なんて、よっぽどのことだろうけど。

「で、次山も妹、守ってやるんだろ?」

「もちろんです。」

「妹?いたっけ?」

「あ、そっか。藤越君には紹介していませんでしたね。連れてきます。」

 そう言って、次山は船の反対側に向かっていった。

「いたんだ、妹。」

「バス、一緒じゃなかったのか?」

「うん、まぁ・・・」

 そういえば、次山とは違うバスに乗ったっけ。

「鳳凰の家に集合した時、一応次山を捜しては見たんだけど見つからなかったし。」

「そりゃそうだろ。次山はお前達より十分近く早く着いて、さっさとバスに乗り込んでいたからな。見てなくて当然さ。」

 相変わらず、行動が早いね。

「ていうか、それを確認しているってことは・・・」

「守は、いつからあそこにいたわけ?」

「それからさらに十分くらい前・・・かな?胡桃の気が早すぎるんだよ。」

 あぁ、やっぱろ有地に引っ張られたのか。

「だろうと思った。いつも遅刻ギリギリの守が、そんな早く行動するとは思えない。」

「言ってくれるじゃねーか。」

「お待たせしました。」

 キリのいい所で次山が戻ってきた。その横には、次山と同じくらいの体格をしている女の子がいた。

「初めまして。妹の星奈(ほしな)であります。」

 そう言って、星奈ちゃんは満面の笑みで俺達に敬礼した。

「守も、会うのは初めてなわけ?」

「いや、俺は顔見知りさ。久しぶりだね、星奈ちゃん。」

「どうもです。」

 星奈ちゃんは、今度は守に敬礼を返す。海風になびく白のワンピースと、そのポーズはミスマッチなはずなのに、なぜか絵になっている。

「星奈。彼は、同じクラスの藤越衆君。」

「よろしく。」

「はい、こちらこそ!」

「・・・あんたと違って、天真爛漫で遠慮知らずって感じかな?口調なんか全然似てないじゃん。」

「失礼な。私だって、敬語くらい使えるでありますよ。」

 少し気を悪くしたらしい星奈ちゃんは、そのツインテールを揺らしながら俺を軽く睨んだ。妙な敬語口調だね。

「敬語というか・・・もはや、星奈の口癖みたいなものです。気が付いたらこんな感じで。」

「もうお兄ちゃん。何度も言っているじゃない。これは、私の個性だよ。癖じゃないの!」

「個性ね。その割には、次山に対しては普通の口調だね。」

「当然であります。お兄ちゃんに気を使う必要はないです。」

 そう言うと、星奈ちゃんは少しだけ次山に背を向ける。

「いや、少しは使ってあげれば?もしかして、嫌いなわけ?次山のこと。」

「そ、そんなこてゃないであります!」

 よほど動揺したのか、妙な発音が混じった星奈ちゃん。

「お兄ちゃんは大好きです。だからこそ、気兼ねなく接することができるのでありますよ、藤越さん。」

 好きな相手に気を使う必要はない・・・か・・・

「普通、逆だと思うんだけど?好きな相手には嫌われたくないから、何かと気を使ったりするんじゃないの?」

「もちろん、ケースバイケースです。しかし、そう固っ苦しく考える必要もないと思うであります。基本は、好きな気持ちを前面に出しながら接することだと思います。とにかく押しです。攻撃は最大の防御です。」

 俺に恋のなんたるかを力説する星奈ちゃん。星奈ちゃんの説によれば、恋というのは、一撃突貫突撃が基本となり、好意を前面に出すことが攻撃と同じらしい。確かに、好意を寄せる異性に積極的になることを、昔から日本ではアタックと呼ぶけど・・・あれの意訳は攻撃じゃないような気がする。だけど、攻撃と言い切られるとそうかも知れないと納得も出来るし・・・つまり、どっちとも取れるわけだ。

「そうか・・・攻撃は最大の防御・・・」

 横でなにやらボソボソと呟いている奴がいた。そっちを見ると・・・

「竜堂?」

 なにやらボソボソ言っていたのは竜堂だった。真剣な表情でボソボソ・・・傍から見れば、なにか考えごとをしているんだろうぐらいで済む。だけど・・・

「攻撃・・・前面に・・・」

 時々聞こえてくるワードを拾っていくと、どうやら、星奈ちゃん理論を復唱しているような感じだ。とりあえず、声を掛けてみることにした。

「ブツクサ一人でなに考えてんの?竜堂。」

「え?・・・あ、藤越君!?いつからそこに!?」

 いつからって・・・ずっと前からここにいたんだけど、それさえ見えてなかったか・・・

「星奈ちゃん理論を復唱なんかして、いったいどうしようっていうわけ?」

「星奈ちゃん?」

「あ、紹介します、竜堂さん。僕の妹の星奈です。」

「初めまして。次山星奈であります!」

 ビシッと敬礼をする星奈ちゃんに、

「あ、りゅ、竜堂蘭花です。」

 竜堂はつられて敬礼を返した。

「それで?なんだって星奈ちゃん理論の復唱なんか?」

「えっとね・・・立ち聞きするつもりはなかったんだけどね・・・私、なんだか、すっごく感心しちゃったんだ。そうだよね。やっぱり、時には押さなくちゃいけないよね。」

 智とのことだろう。それ以外にあったらなにかとややこしい。

「智って誰?お兄ちゃん。」

「僕の友達。会いにいってみるかい?」

「うん!それじゃ、みなさん。失礼するであります!」

 星奈ちゃんは、俺達に再度敬礼すると、次山と一緒に智の所へ向かっていった。

「竜堂も行ったら?」

「あ、うん。それじゃ、また後でね。」

 俺の言葉に頷くと、竜堂は二人に付いていった。

 さて、星奈ちゃん理論から竜堂はなにを学んだんだろう?まぁ、積極性を学べたんなら正解だ。歩と違って、高村や竜堂には積極性が見えない。遠慮しているというか、躊躇っているというか・・・

「智も大変だな。」

 守が、遠ざかっていく竜堂を見ながらそう呟いた。

「確かにね。でも、俺達がああだこうだ言ったってお節介じゃない?智次第だよ、この問題ばっかりは。」

「確かに、俺達外野が出来る事なんて高が知れているし、なにもしない方がいいかも知れない。だけど、予想くらいはしたっていいんじゃねーか?」

「予想?智が誰を選ぶかって?じゃあ、守の意見を聞こうじゃん。」

 お得意の推理力に、期待したいところだね。

「・・・俺の予想では竜堂だ。理由その一としては、智が歩を選ぶ可能性はありえない。なぜなら、二人は兄妹だからだ。つまり、その関係である以上、歩に勝利の可能性はない。」

「歩は予め除外できるってわけ?」

「そういうこった。となると、残るは竜堂と高村だ。こうなると、後は当事者二人の頑張り次第だ、とも言えるが、竜堂の方が、立場上は智といる時間が長い。そうなれば、必然と答えは決まってくるってわけさ。」

 竜堂がテニス部のマネージャーだから、そっちの方に分があるか・・・

「確かに、その意見には合点がいく。正直、俺も竜堂だと思うし。」

「お前もか?」

「まーね。ま、智の好みの問題かも知れないけど。ショートとロングなら、智視点じゃロングの勝ちだし。」

「さっすが幼馴染。よく分かっているじゃねーの。」

「そりゃどーも。もっとも、俺がアメリカにいる三年間に、智の好みが変わっていなければの話だけどね。」

「人の好みなんて、そうそう変わるもんじゃないさ。」

「守が言うと説得力あるね。」

「どういう意味だ?」

 俺の言葉がひっかかったのか、守が少しジト目で聞き返してくる。

「有地とあんだけ仲がいいのは、守の好みが有地だからでしょ?ああいう従順そうでおしとやかな子が好きなんだ?」

「バ、バカヤロウ!んなんじゃねーよ。前にも言ったろ?俺はあいつの兄貴だ。兄貴が妹を大切に思って、なにが悪いってんだ?」

 俺の意見は、どうやら当たりらしい。口じゃどうとでも言えるけど、表情が分かりやすいからね、守は。

「誰も悪いとは言ってない。けど、あんだけ可愛いとさ・・・それ以上のこととか、考えたりしちゃったりするんじゃないの?」

「んなことねーよ。それはお前だろ?」

「俺?」

「そう、お前と姉さんとのことだよ。お前、あの人のこと好きだから、風呂に乱入されても文句とか、注意とかしねーんだろ?」

 反撃と言わんばかりに、守が聞き返してくる。

「痛いとこつくね・・・と言いたいところだけど、お生憎さま、そういうんじゃないよ。それがいつもの姉ちゃんなんだ。俺達姉弟の、ただのスキンシップだよ。守は、有地とそういうことしないわけ?」

「バカ。いい年こいてんなことできるか。」

「あら、兄さん。少し前にもしたと思いますけど?」

 ・・・一瞬心臓が止まったかのように、守はその場で表情を凍らせた。そこには、

「?」

 守のリアクションの真意が分からない有地が、星奈ちゃんと同じく、白いワンピース姿で立っていた。

「少し前にしたって・・・なにしたの?有地。」

「あ、いえ・・・ただ、一緒にお湯を頂いて、そのまま同じベッドで眠っただけですが?・・・それが、なにか変でしょうか?だって、藤越さんもいつもおやりになっていることなのでしょう?」

「まぁ、それはそうだけど・・・なんか、守はその事実を隠そうとしていたみたいだけど?」

「兄さんは、昔から見栄っ張りで恥ずかしがり屋ですから。」

 クスクスと笑う有地の横で、守はまだ固まっていた。


 そんなこんなの中、船は無事に、鳳凰の別荘がある小島に到着した。鳳凰の別荘は、別荘と言うだけあって、確かに本宅とは比べ物にならない小ささだ。だけど、これだけの人数に割り振る部屋数がある点から見ても、そこらの安ホテルより部屋数はあるに違いない。白塗りの壁は、太陽の光を反射して、まるで白銀のゲレンデの如く輝いていた。ホント、比べ物にならない小ささなのに、絢爛も豪華も抜けた感じがしなかった。

「ようこそいらっしゃいました。私、執事代表の長谷川と申します。何か問題が御座いました時には、私達に何なりとお申し付けください。」

 長谷川と名乗った初老の男性は、俺達に深々と頭を下げた。ズラリと並んだ執事やメイドさんは、ざっと見た感じ二十人くらい。これだけの人数をよく雇えたもんだ。途中で鳳凰から聞いた話だと、六人ほどがコックらしいけど・・・これだけの人数相手の食事となると、その人数でもてんてこ舞いに違いない・・・と思える。さらに、俺はこの光景を見て漠然と疑問に思った。執事とメイドの違いってなんなんだろう?単に、男性女性の違いだけなんだろうか・・・


「こちらが、藤越様のお部屋に御座います。」

 長谷川さんが扉を開けてくれた先には、普通に豪華な部屋があった。そこいらのホテルの二人用となんら変わらない、海の絶景が広がる部屋だった。絨毯敷きの部屋は、アメリカに住んでいた頃の家となんら変わらない。しかも、ベッドが二つあるから、姉ちゃんが俺の寝床に侵入することもない。快適なバカンスが約束された部屋に、俺も姉ちゃんも満足だった。

「こちらが、この部屋のキーに御座います。オートロックではありませんので、キーを部屋に忘れても入れない事は御座いませんが、出来るだけ、お出かけの際には鍵をおかけ下さい。では、荷物の整理が済みましたら食堂へお越し下さい。お嬢様のタイムスケジュールでは、まずご昼食となっておりますので。」

「食堂はどちらに?」

「ロビーの左隣に御座います。では。」

 長谷川さんは俺達への説明を終えると、部屋から出て行った。執事代表というだけあって、さすがに様になっている。派遣の執事とは思えない。

「なにしているの?行くわよ。」

 俺は姉ちゃんの後に続いて、食堂へと向かった。部屋に鍵を掛けて。


 食堂は、どこぞの結婚式場と思わせるかのような広さだった。テーブルは幾つかの円テーブルに分かれていて、御丁寧にも小さなステージまである。昼飯はどうやらバイキング形式らしい。肉や魚、ピラフに炒飯、フランスパンやドイツパンの姿も見える。たった数人のシェフでこの量とこの質。帽子は無いけど脱帽したい。

 昼飯が始まると、さながら戦場だった。ちびっ子どもは、大好物のハンバーグや麺類をここぞと言わんばかりに持ち去っていく。俺は特にこだわりなんかないから、被害は大して受けちゃいない。被害が大きいのは、おそらく女子の方だろう。どうやらスイーツが相当美味しかったらしく、いわゆる別腹に消えていった。そのせいか、大人気のチーズケーキやモンブランはすぐに姿を消し、それ以外のスイーツも知らない間に消えた。よって、スイーツのテーブルは一時期騒然となり、俺達男子は隙間に入り込むことさえ出来なかった。その中で、やっぱり勝者と敗者は生まれるわけで。

「あ~!イチゴがない~!」

 絶叫しているのは歩だ。どうやら、お気に入りのイチゴのショートケーキが姿を消したらしい。

 だけど、それに関してはご愁傷様としか言いようがない。なんでも、一回の食事で使える食材の量が決まっているから、なくなった場合は売り切れゴメンらしい。つまり、メインディッシュを取るかスイーツを取るかの、二者択一が迫られるわけだ。もちろん、食欲としてはどっちもほしいのが本音だろうし望みだ。けど、二兎を追う者は一兎をも得ず。時には妥協も必要だ。もっとも、例外だって存在するんだけど・・・

「ん?どうしたの?衆。」

「いや、別に・・・」

 そう、姉ちゃんは紛れもない勝者だった。


 昼飯を終えた俺達は、一目散に海へと向かった。小学生組の盛り上がり具合は激しい。それに混じって、歩や近松も盛り上がりが激しい。

「元気だね、みんな。」

 俺は半ば感心していた。残り半分は・・・よく分からなかった。

「衆も混じってきたら?」

 準備体操中の姉ちゃんがそう言った。

「どうでもいいことかも知れないけど、そのビキニ、純情な少年の目には毒じゃない?」

 姉ちゃんが、今日の為にと新調したビキニは、赤を基調とした、なんとも派手な奴だった。

「誘惑する気なんてないわよ。それとも、あなたはもう虜?」

「誰が姉ちゃんの虜になんかなるってのさ?」

「そうね~・・・伊吹君とか?」

「え~?涼取らないでよ~。」

 横からめぐみさんが懇願してきた。これまた、姉ちゃんと同じくらい際どいデザイン。色は青だけど。

「だめ?」

「ダメ~!そんなことしたら、私が衆君貰ってやる~!」

 そう言って抱きついてくるめぐみさん。俺が反論しようと口を開けた時だった。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」

 伊吹が慌てて俺とめぐみさんを引き離す。

「サンキュ、伊吹。」

「もう、恥ずかしいからやめてよ~。」

「い~や・・・それ!」

「のわわっ!?」

 少し間があったので、俺はてっきり、めぐみさんが伊吹に抱きつくと思っていた。ところが、めぐみさんは想定外にも次山に抱きついた。次山は後ろから突然体重をかけられたせいか、砂浜に顔からダイブした。

「だからやめてってば!」

 伊吹は、大急ぎで次山の救出を敢行。数秒の格闘の末、見事に成功した。

「な・・・なんなんですか~?」

 次山は不測の事態に混乱しているらしい。状況が把握出来ていなかった。

「どうだった、真君?お姉ちゃんと密着した感想は?」

 めぐみさんは、そう言いながら次山に迫っていく。妙に胸を強調しながらなのは、おそらく俺の見間違いじゃないだろう。

「え!!?そ、そんなこと言われても・・・」

 真はしどろもどろで、どうしようもないくらい動揺していた。だけど・・・

「はいはい・・・とっとと海行くよ!」

「あ~ん・・・涼~・・・」

 めぐみさんは、伊吹に引きずられて海へと消えた。

「大変だったね?」

 俺は、砂まみれになった眼鏡を拭く次山に声をかけた。

「藤越君こそ。それにしても、君のお姉さんと違って、めぐみさんは随分と子供っぽい感じがします・・・」

 次山は、海ではしゃいでいる姉ちゃんとめぐみさんを見ながらそう言った。

「俺の姉ちゃんも、子供だと思うけどね。それにそれを言えば、星奈ちゃんだって子供じゃん?」

「星奈は仕方ありませんよ。まだ、中学三年生なんですから。僕達高校生だって、大人とは言えない。だったら、それより年下の人間もまた然り。」

「どうだかな。」

 横から恭一が現れた。

「確かに、俺達はまだまだガキの部類の奴が多い。しかしな、例外だってあるんじゃないか?」

「例外ですか?」

「あぁ。いい例が鳳凰だ。社会的地位がどうのこうのとかいうわけじゃなく、あいつは、マジにワンランク上の目線を持っている。もちろん、育った環境が環境だしな。ある意味で必然的なことかも知れん。」

「いわゆる、英才教育?」

「あぁ。だが、俺にはそれだけとも思えない。あいつ自身が生まれつき持っている、先天的な才能。俺があいつを大人と感じる・・・いや、あいつの周りの人間にそう認識させるオーラのような物があるのかも知れん。もっとも、根拠はないけどな。いずれにしろ、俺達はまだ大人とは言えやしない。だが、鳳凰のような大人もいる。親や教師とはまた一線を画す、同年代的大人がな。」

 同年代的大人ね・・・確かに、俺達の年齢じゃ大人というには程遠い。メンタルを見てもそれは同じことで・・・だけど、メンタル面なら鳳凰は俺達より一歩上だ。それは確かだ。だけど、そんな鳳凰でも、やっぱり子供だって思う時もある。例えば、海ではしゃいでいる時とかね・・・


 和やかに進んだ時間は、太陽の移動と共に終わりを告げた。遊び倒した俺達は、別荘に戻って晩飯にありついていた。シーフードがメインの創作和食といった感じ。料理名なんかは長ったらしいからいちいち覚えられない。だけど、この味は舌が本能的に覚えてくれた。姉ちゃんの腕をもってしても再現は難しいだろう。将来、プロテニスプレイヤーなったら、再び一流レストランでありつくかも知れない味に、俺は柄にもなく酔っていた。ホント、美食家なんて柄じゃないんだけどね、俺には。

 晩飯の後は、地下にある遊技場で、各々カードやビリヤードに興じていた。俺は、アメリカ時代に覚えたビリヤードをしていた。しばらくやってなかったけど、あんまりブランクはないって感じだね。

『カコン・・・』

 俺は、七番をコーナーポケットに沈めた。

「ほえ~・・・すげーな、藤越。」

 横で正倉が感心していた。

「これくらい、楽勝でしょ。」

 アメリカ時代、友達の家で飽きるほどやったからね。

「いえいえ、今のは中々の腕前に御座います。」

 なぜか長谷川さんまで褒めてきた。

「あんたも上手そうだけどね。経験は?」

「若い頃は嗜んでおりましたが・・・ここ最近はあまり・・・」

 謙遜、だろうね。

「でも、経験はあるんでしょ?少し、あんたの腕前も見たいんだけど。ちょうど、シチュエーションも悪くない位置だしね。」

「残った八と九に御座いますか?」

 台の上には、コーナー近くに二つのボールがいい感じの距離を開けて、番号を俺に向けていた。

「そ。沈められる?」

「やってみましょう。」

 そう言うと、長谷川さんはおもむろにキューを手に取り前傾姿勢を取る。そして・・・

『カン』

 なんの躊躇いもなく放たれた白球は、

『カコン・・・カコン・・・』

 余韻を残して二つのボールを落とした。

「ほえぇ~~・・・」

「へぇ~、けっこうやるじゃん。ブランクがあるようには見えないけど。」

「恐縮で御座います。」

 長谷川さんは軽く一礼をすると、そそくさとキューを置いて立ち去った。

「ただもんじゃねーな、あのおっちゃん。」

 正倉は、長谷川さんの出て行った扉を見ながらそう言った。

「同感だね。ボールはおろか、自分の去り際そのものに余韻を残すなんて、派遣の執事に出来る芸当じゃない。」

「あぁ。あの二つを落とすんじゃもんな。」

「でも、あの二つを落とすこと自体はそんなに難しいことじゃない。俺が驚いたのは、その後。」

「その後?」

「最後に白球をど真ん中に残すなんて・・・ちょっとやそっとの芸当じゃない。」

 まったく・・・底知れないね。初めて勝てないって思えた他人だったよ、長谷川さん。こうして、俺達のバカンス初日の夜は更けていった。


そして平穏は、この日だけだった。


「・・・ぅ・・・ゅう・・・しゅう・・・衆!」

「のわっ!?」

 姉ちゃんの声で、思わず飛び起きる。そこには、上だけ下着姿の姉ちゃんが、少し細目で、俺に圧し掛かるような体勢で目の前にいた。

「起きたわね。早く着替えなさい。もうすぐ朝食が出来るから。」

 そう言いながら、姉ちゃんが俺に着替えを投げつけてくる。

「・・・パジャマから普段着に着替えるだけだよね、姉ちゃん?」

「そうよ?」

「だったら、パンツはいらないから。」

 どうやら、姉ちゃんもまだ寝惚けているらしい。


「あ、おはよう。」

 食堂に入ると、既に朝飯は始まっていたみたいだ。玉子焼きを大量に皿に盛っていた歩が、俺達を見つけて声を掛けてきた。

「おはよう、歩、智君。」

「おはようっす。衆、美味そうな納豆があったぜ。」

「マジ?」

 俺は納豆が大好物。アメリカ時代も、何軒もスーパーを周った記憶がある。

「どこ、智?」

「付いてきな。」

 俺は智の後に付いていった。そこには、確かに美味そうな納豆があった。そして、食ってみるとマジに美味い。ダイエット効果のありなしなんかどうでもよくなるくらいの美味さだった。

「ホント、美味そうに納豆食うよな、お前。アメリカじゃどうしていたわけ?」

「いつも通りさ。向こうでも、納豆は売っていたから。向こうじゃ、日本食の定番って感じの人気だったね。」

「おーおー。ありがたいこったぜ。」

 そう言いながら、智は味噌汁を啜っていた。こうして、和やかな朝食の時間が過ぎていた時だった。

『バン!』

 一際大きな音が、食堂内に響いた。見ると、肩で息をしている泉ちゃんの姿があった。

「どうしたの、泉ちゃん?」

 真っ先に駆け寄ったのは近松だった。俺は、智と一緒に少し遠くから見ていた。泉ちゃんは、歩の持ってきた林檎ジュースを一気に飲み干すと、俺達にこう訴えた。

「お兄ちゃんが消えちゃったの!どこにもいないよ!」

 瞬間、空気があっという間に凍りついた。

「泉ちゃん、それどういうこと?恭一がいなくなったの?」

 近松は、泉ちゃんの肩を掴んで問い詰める。だけど、

「お兄ちゃんが・・・お兄ちゃんが・・・」

 泉ちゃんはしっかりと受け答えが出来なかった。少し混乱しているんだろう。

「トイレとかじゃないか?」

 日高がもっともな可能性を口にした。だけど、

「いなかった・・・」

 泉ちゃんは消えそうな声でそう言った。

「携帯には連絡したの?」

 今度は歩が聞いた。すると、

「お部屋にあった・・・」

 泉ちゃんが、ポケットから恭一の赤い携帯を取り出した。

「・・・捜すか。」

 智がそう言った。そして、おもむろにマイクを取ってこう言った。

『みんな、手分けして恭一を捜してくれ。一時間経ったらここに集合だ。無論、特異事項は速報してくれ。』

 こうして、俺達は恭一を捜しに行く事になった。しかし、

「ちょっと待ってくれ、智。」

 守がそれを制した。

「まずは、泉ちゃんから詳しい状況を聞きたい。それからでもいいだろ?」

「・・・それもそうだな。じゃ、任せるぜ、守。」

「OK。」

 守は泉ちゃんの傍に歩み寄ると、優しい口調で語りかけた。

「泉ちゃん、ちょっといいかい?」

「うん・・・」

 泉ちゃんの目は、ウサギのように真っ赤だった。涙を堪えているのが分かる。

「泉ちゃんが起きたのは何時ごろだい?」

「泉は・・・七時ぐらいに目が覚めたの。」

 七時・・・今から三十分くらい前か。

「その時、恭一は?」

「いなかった・・・パジャマが畳んであったから、もう行ったのかなって思ったの。でも、おトイレかもって思って、ちょっと待っていたの・・・でも、戻ってこなくて・・・捜しに行ったけど・・・どこにもいなくて・・・」

 声が震え始めた。

「もういいんじゃない、守?」

「あぁ。ありがとう、泉ちゃん。大丈夫、恭一は見つかるって。」

 泉ちゃんを慰めるためなのか、何か自信があるのか・・・いずれにせよ、今、泉ちゃんに掛けられる言葉はそれだけだと思う。

「よし、恭一を捜しに行こう。適当に分かれて別荘内を捜索。一時間後の八時四十分、この食堂に再び集合。泉ちゃんは、どうする?一緒に行くかい?」

「うん・・・」

 泉ちゃんは涙を拭って、

「お兄ちゃん、捜しに行く!」

 はっきりとそう言った。強いじゃん。


 ところが、あんまり結果は芳しくなかった。一時間かけた捜索に実りはなく、食堂に戻った俺達はガックリ肩を落としていた。

「どうなっていやがる?」

 そう言ったのは日高だった。まぁ、そう言いたくもなる。この人数で一時間、別荘内をくまなく捜して見つからない。ホント、どうなっているんだろうね・・・

「まさか、この人数で捜しても捜し足りないほど広いってのか?」

「それはないやろ、晴一。ウチは、真由美や光と一緒に捜したけど、一時間で大体回れたで。」

「となると・・・残るは別荘の外だな。」

 杉山が、窓の外を見ながらそう言った。外ね・・・よく考えれば、俺はその時、その日の空を初めて見た。空いっぱいに白い雲が広がり、波のうねりも昨日より高い感じだ。一雨来るんだろうか?そう思った時だった。

『ゴロゴロ!』

 軽く雷が鳴った。軽く鳴っただけなのに、

「きゃっ!」

 竜堂は腰を抜かして智に倒れ込んでいた。演技にせよ本気にせよ、智と密着している竜堂に、歩はあからさまに敵意を表し、高村は少し羨ましそうに見ていた。

「外は危険かと思われます。」

 いつから部屋にいたのか、長谷川さんが進言してきた。

「危険?」

「はい。天気予報によりますれば、発達しながら台風が向かっているとのことです。足はそれほど速くは御座いませんので、明日の朝までは荒れるかと。」

 台風ね。風だけのアメリカ名物ハリケーンと違って、こっちのは雨のおまけつき。ここは島だから波とかも警戒が必要だろうし。

「じゃ、これから天気は荒れるってわけ?」

「はい。それに、佐藤様もお出かけになられた様子は御座いませんので。」

「出かけた様子がない?根拠はなんですか、長谷川さん?」

 守は、なにやら少し真剣に長谷川さんに詰め寄った。

「と言いますのも、昨晩の事に御座いますが、佐藤様にモーニングコールを頼まれまして。」

「モーニングコール・・・何時にですか?」

「六時半に御座います。その時、佐藤様はお出になられました。」

「六時半に・・・続けてください。」

「そのモーニングコールを頼まれました時に、翌日、つまり本日の天気を知りたいと仰いまして・・・私が、先ほどと同じように説明いたしましたところ、『分かりました。じゃあ、朝の散歩は止めにしておきます。』と仰られましたので。」

「あぁ、恭一が、夏休みの間日課にしているやつね。」

 朝の散歩というワードに、近松が補足説明する。

「へぇ~、あの恭一がね?」

「ホント、どういう風の吹き回しかしら。本人は、健康のためだとかぬかしていたけど。あいつはバカだから、そんなことしなくても風邪なんかひかないっていうのに・・・」

 近松の恭一に対する嫌味はいつものことだ。だけど、今はなんだか声に覇気がなかった。

「すみません、遅れました。」

 息を切らしながら戻ってきたのは平牧だ。一緒に捜しに行っていたのは、

「もう・・・お姉ちゃんが道に迷うから遅れちゃったじゃない。」

 そう言って平牧を叱る彼女、妹の盛夏(せいか)ちゃんだ。平牧と違ってしっかり者である。結局、道に迷ったんだ、平牧。

「お姉ちゃんに道案内を頼んだ私がバカだったわ。」

 そう言って、盛夏ちゃんは頭を抱えた。それもそうだね。

「それで?」

「どこにも。一つだけ、鍵が掛かっていて開かない部屋がありましたけど。」

「鍵?誰かの寝室じゃないの?」

「いえ、他の部屋と違って、扉が一回り大きかったので。」

「あぁ、それは父と母の部屋ですわ。」

 平牧の報告に補足説明を加えたのは鳳凰だ。

「親父さん達の部屋?」

「はい。あの部屋は、父と母専用ですので、鍵は予め掛けておきました。そこに、恭一さんはいらっしゃらないと思いますけど?」

「いや、可能性はゼロじゃない。鳳凰、その部屋の鍵は?」

「一応、私が持っておりますわ。では、確かめに参りましょう。」

 というわけで、念のため確かめに行く事になった。


 その扉は、五階建ての別荘の五階中央廊下先にあった。これこそ玉座、とでも言わせたそうな重厚な扉は、そりゃ周りの部屋とは一線を画す雰囲気があるわけで。

『ガチャガチャ・・・』

「やっぱり、鍵は掛かっていますわね。」

 鳳凰が試しにと回してみたノブは、ものの見事に鍵の存在を示した。

「では、開けますわね。」

 鳳凰は、ポケットから取り出した鍵で扉を開けた。開けると同時に、

『ビュオッ!』

 風が室内に押し寄せた。見ると、窓が開いていた。そしてその窓のすぐ傍に・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 俺達の空気を凍りつかせるには充分なほどのインパクトを持つ、恭一の死体が転がっていた。白い絨毯に染みた血痕。心臓を貫いているであろう鋭利なナイフ。

「恭一!」

「お兄ちゃん!」

 同時に叫んだ近松と泉ちゃんが、恭一に駆け寄ろうとした瞬間だった。

「入るな!」

 義政が二人を制した。

「勝手に入っちゃいけねぇ。衆、二人を頼む。」

「え?」

「おいらが、恭一の生死を確認する。」

「いや・・・それならもう・・・晴一がやっているみたいだけど?」

俺はそう言って、恭一の首筋に手を当てている晴一を指さす。

「晴一・・・お前・・・」

「知らないのか?俺の親父は、本庁で検死担当してんだぜ。俺だって、知識ぐらい持っちゃいるさ。」

「そうか・・・で、どうだ?」

「・・・もう息はねぇ・・・何時だ、義政?」

「午前九時二分、佐藤恭一の死亡確認・・・そんなところか?」

「あぁ・・・」

 どうやら、既に恭一は死んでいるらしい。

「う・・・」

『ドサッ・・・』

 小さく呻き声を上げて、泉ちゃんはその場に倒れ込んだ。さらには、

「う・・・嘘でしょ?きょ、恭一が死んだなんて。」

「ちかま」

「嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ!!!」

「近松!」

 義政の制止を振りほどき、近松は一目散に駆け出した。

「瑠璃ちゃん!」

 高村が必死で後を追う。だけど・・・近松の足は想像以上に速く、高村は途中で追うのを諦めた。まぁ、自分の部屋にでも行ったんだろう。今は、へたに追わない方が賢明かも知れない。

「とりあえず、現場検証と検死をやってみる。検死は俺がやっから、義政、現場検証頼む。」

「分かった。そうなると、カメラが必要だな。」

「なら、俺のデジカメを持ってくる。ついでに手伝うぜ、義政。」

「おう、頼む。お前がいてくれりゃ百人力だぜ、守。」

「みんなは、食堂にでも待機していてくれ。長谷川さんは警察に連絡を。もっとも、この雨じゃすぐには・・・」

「大丈夫です、晴一君。警察には今、僕が通報しました。」

「・・・手際が良くて助かるぜ、次山。」

「お察しの通り、嵐が収まるまでは身動きが取れないらしいですけど。」

「だろうな。あ、それと竜堂。」

「な、なに?」

「確か保健委員だったろ?泉ちゃんの看病をしてやってくれ。」

「うん・・・」

 こうして俺達は、守・晴一・義政の三人を残して食堂に戻った。途中、近松の部屋を通ったけど、誰も近松に声を掛けようとはしなかった。


「待たせたな。」

 一時間ほどしてから、晴一達は戻ってきた。今、この食堂にいないのは竜堂と泉ちゃんと近松だけだ。

「まずは、恭一の検死結果だ・・・筋肉の硬直具合、網膜の混濁状況、瞳孔の開き具合や死斑から、死亡推定時刻は夜中の三時前後と推測される。死因は、心臓に突き刺さったナイフが原因の失血死。まぁ、ほぼ即死だったんだろうがな。遺体に争った形跡はない。正面からナイフを刺されているのにそれがないってことは、顔見知りの犯行、つまり、この屋敷内にいる俺達の中の誰かが犯人である可能性が高い。」

 晴一の一言に衝撃が走った。この中に恭一を殺した犯人がいる。この場に近松がいなくてよかったと思う。いたら、さっきみたいに暴れだす可能性がある。

「次は現場検証の結果報告だ。俺と義政が調べた結果、鍵をこじ開けた形跡はなかった。窓が開いているにはいたが、あそこは五階だし、下は崖だった。あの窓からの脱出は不可能。つまり、部屋は実質上密室だったってわけだ。これを殺人だと仮定すれば、知恵を絞って行われた密室殺人だ。凶器のナイフに関しては、俺達の見解では予めこの別荘内にあった物。後で台所でも調べてみるよ。」

 三人からの報告があらかた終わった後、

「聞いてもいい?」

 部屋の隅からそんな声が上がった。発言者は秋山陣(あきやまじん)・・・水泳部に所属する背の高い男だ。

「どうした、秋山?」

「入沢。佐藤の死亡推定時刻は、夜中の三時頃なんだろ?」

「あぁ。」

「だったら・・・六時半に佐藤の部屋のモーニングコールに出たのは?長谷川さんの話じゃ、佐藤が出たって。そうでしたよね、長谷川さん?」

「はい。確かに、佐藤様のお声でした。」

「なるほど、確かに妙だな。本来なら、その時間に恭一が部屋にいるわけがない。しかし現実、恭一の声がした。いる筈のない人間の声・・・その謎さえ分かれば、この事件の糸口も見えそうなもんだがな。」

 晴一は、頭をかきながらそう言った。恭一が死体となって、あの部屋に横たわっていた筈の時間に、恭一の声で電話が通じた・・・密室のトリックと並ぶくらいの謎だ・・・俺は、思いついたことをとりあえず口にした。

「ねぇ、晴一。」

「あん?」

「恭一の死亡推定時刻は夜中の三時。でも、六時半には恭一が電話に出た。」

「そうだ。矛盾しまくっちゃいるがな。」

「それが本当だとするならば、朝の六時半、恭一の部屋に恭一以外の誰かがいた計算になるんだけど?」

「・・・なるほど、確かにな。」

「そうなると、犯人は恭一と声が似ている人物ってことになる。ま、こうやって直に話す分には似ていなくても、電話越しだし、相手は昨日会ったばかりの長谷川さん。おまけにモーニングコールだから、多少呂律が回っていなくても、寝惚けていると思ってしまう。」

「確かに、それなら恭一が生きていると偽装する事は可能だ。」

 守が俺の推理に賛同してくれた。だけど、

「恭一の部屋に入ることが出来たらな。」

 すぐに反論された。

「どういうこと?」

「恭一の部屋も、泉ちゃんが起きるまでは密室だった筈だ。なにせ、恭一のポケットに部屋の鍵が入っていたからな。あ、そうだ。鍵のことで聞きたいことがあるんですよ、長谷川さん。」

「なんでございましょう?」

「部屋のスペアキーって、誰が管理しています?」

「私共使用人が、それぞれブロック毎に管理しております。私は、主人の部屋がある五階の鍵を持っております。恭一様のお部屋の鍵は・・・」

「私が持っております。」

 そう言って、一人のメイドさんが鍵束を見せてくれた。確か恭一の部屋は三階。三階の鍵は、全てあの人が持っていることになる。

「普段は持ち歩いているんですか?」

「勿論で御座います。」

「寝る時も?」

「いえ・・・その時はロビーに置いてあります。」

「ロビーに?え?じゃあ・・・」

「夜なら、部屋の鍵を持ち出すことは可能ってわけね。」

 姉ちゃんに先を越された。

「鍵を持ち出せるという状況があったってことは、密室はさほど気にしなくていいって事だ。」

 日高がさらに付け加える。

「そうなると・・・今一番重要なのは、どこから凶器が持ち出されたかってことだ。ま、こんな別荘で刃物がありそうな所は、台所ぐらいだろうけどな。」

 というわけで、晴一と守が凶器を捜しに台所へ向かった。それからほんの数秒後、竜堂が戻ってきた。少し疲れているようだ。

「竜堂、泉ちゃんは?」

「大丈夫。落ち着いて寝てる。でも、近松さんは・・・」

「近松がどうした?」

「智君、私ね・・・気になって、近松さんの部屋に行ったの。でも、『会いたくない』って言われて・・・」

 そう言った竜堂の表情は、近松への同情とその言葉のショックが混ざり合って、なんだか複雑そうだった。あんなことがあった後だから、そう言われても当然と言えば当然。だけど、普段の二人の仲を見ていると、竜堂とぐらいなら会いそうな気もする。だけど会わない。会いたくない・・・誰も受け入れられないくらいのショックなんだろうか・・・

 いや、それはそうだろう。俺と恭一はただの友達。だけど、恭一と近松はパートナークラスの信頼関係と時間がある。失った人間は同じでも、その度合が違いすぎる。こうして冷静に頭を回している俺と、おそらく抜け殻も同然な状態にある近松。その違いは歴然としたもの。そして、回っている頭は俺に警鐘を鳴らし始めた。だけど、俺はその警鐘を無視した。そんなこと、考え付いても信じたくなかったからだ。だけどそれは、戻ってきた晴一達の報告で現実味を増した。

「興味深い事実だが・・・なくなった刃物は全部で二本だ。一つは、恭一の胸に刺さっていた果物ナイフ。そしてもう一本は・・・三階西側廊下にある西洋甲冑が持っていた筈の真剣。」

「西洋甲冑の真剣?」

 日高が身を乗り出した。

「こりゃ・・・もう一人ぐらい、誰かが消えるのかも知れない。信じたくはないがな。」

「で・・・ちょっと頼みがあるんですよ、長谷川さん?」

 守が、なにやら長谷川さんに耳打ちした。すると長谷川さんは、

「かしこまりました。」

 そう言って、他の使用人と共に部屋を出た。

「人払いさせてどうしようっていうの、守?」

「ちょっと、他人に聞かれたくない話をしたくてな・・・」

 そう前置きして、守は喋り始めた。

「考えたくはないが、真剣を盗んだのはおそらく近松だ。」

「え?なんでなん?」

 犬飼が不思議そうに尋ねた。

「恭一を殺した犯人に復讐するためか、恭一の後を追うためか、あるいはその両方か・・・」

「・・・冗談じゃろ?」

 正倉は、信じたくないとでも言いたいような笑みで言った。

「私もです・・・近松さんがそんなことをするとは思えません・・・」

 平牧も同様だった。

「俺だって・・・俺だって信じたくはねぇ!」

 守は声を荒げた。有地が不安そうに守を見る。

「確かに・・・近松がそうするって確証も、そもそも、近松が真剣盗んだ犯人かどうかも分かっちゃいない。けどよ・・・近松ならやりかねないのは事実だ。」

「確かに、守がそれを懸念するのは分かる。」

 智はそう言って立ち上がり、守の肩にポンと手を置いてこう続けた。

「だけど、近松はすぐに行動を起こしたりはしない。お前の仮説通りなら、近松は犯人が分かった時行動を開始する。つまり、それまでは安心ってわけだ。そして、それまでに俺達が先に犯人を挙げ、その身柄を警察に渡せば、近松だってへたに手出しは出来ないだろうぜ。」

「楽観、しすぎじゃないのか?智。」

「俺は、お前より三年以上の時間、近松のことを近くで見た。あいつは、確かにそんなことはやりかねない。」

「じゃあ・・・」

「だが、その時は俺が止める。何も心配はいらない。」

 そう言って微笑んだ智だったけど、俺には分かった。智が近松を止めた後、代わりに犯人を殺す決意を固めていた事を。


 その後、俺達はそれぞれの部屋に戻った。食堂にいても何もすることがないからだ。といっても、部屋に戻ってもそれは同じことで・・・窓の外を見ても、昨日のオーシャンビューはどこへやら。どす黒い暗雲と大荒れの海しか見えない。この嵐は今日いっぱい続く。つまり、警察の到着は早くて明日の昼ぐらい。それまで、近松が真犯人に気付かなきゃいいんだけど・・・

 今のところ、近松と相部屋だった竜堂は泉ちゃんの傍にいる。そしてもう一人相部屋だった奴は、特に行く当てもないからと俺の部屋にいた。足利輝美(あしかがてるみ)・・・近松と同じバレー部所属の女子だ。いつもはハイテンションでファッションリーダー。んでもって、いざ戦闘となれば『水』を操る忍者一族の力を発揮。クラスの中心に必要不可欠な足利も、今はそれほど気丈に振舞ってはいられないらしい。

「ハァ~~~・・・」

 計上すること数回目のため息。テスト終わり以来の光景ではないだろうか。

「・・・ねぇ、衆。」

 足利が俺を呼んだ。足利の癖か何なのか、男子も女子も下の名前で呼ぶ。

「なに?」

「あんたは誰だと思う?恭一を殺した犯人。」

「見当違いな質問だね。俺には心当たりがない。」

「恭一ってさ、太助とダブルス組んでいたんでしょ?」

「それはそうだけど、杉山が恭一を殺すとは思えない。」

「じゃあ・・・やっぱり瑠璃かな?」

 俺の反論に、足利は次の可能性として近松の名前を挙げた。

「近松が犯人?」

「恋愛関係の縺れ、とでも言いたいの、輝美ちゃん?」

「だって、それが一番しっくり来ません?」

 姉ちゃんに詰め寄る足利。

「私には、そうは思えないわ。あの二人なら、ケンカをしたって仲直りできる筈よ。」

「それはそうですけど・・・」

 姉ちゃんの主張に反論できない足利は、俺のベッドにゴロンと横になった。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 しばらくの間、部屋の中を雨の音と、風の音と、波の音・・・自然だけが音を支配していた。俺は、さっきから必死で頭を回している。俺なりに推論を組み立てようと思ったからだ。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 五秒で諦めた。俺は頭で考えるということをしないわけじゃないけど、それはあくまで勉強の時の話だ。殺人事件の推論を組み立てるなんて慣れないことは、俺の頭が五秒で却下した。もちろん、却下の理由はそれだけじゃない。俺が推論を組み立てる必要は、そもそも必要ない。恭一が死んだってことは、恭一の魂が浮遊しているということだ。春先の川西さん殺害事件の時みたく、緑山が霊を呼び出して伊吹に憑依させれば済む話だ。そう思った俺は、

「どこ行くの?」

「義政の所。」

 それが出来る人物を説得できる奴の所へと向かった。


『コンコン』

「お?・・・誰だ?・・・」

「俺だよ、義政。」

「・・・鍵は開いてんぜ。」

 俺は義政の部屋に入った。

「あれ?シングルだっけ?」

「いや、もう一人は外出中だ。」

 義政と相部屋なのは秋山だ。事件の調査でもしているんだろうか。まぁ、あの食堂での口調からして、秋山も守とほぼ同等ぐらいの推理力や洞察力ぐらいはあるとは思う。いや、秋山の場合は好奇心かも知れない。

「それで、おいらに何の用なんよ、衆?」

「死んだ恭一の魂、呼び出せる?」

「・・・すまん・・・それは出来ん。」

 いい返事を期待していたけど、きっぱりと断られてしまった。

「なんで?また、緑山の機嫌でも悪いの?」

「いや・・・恭一の魂の居場所が分からん。少なくとも、この別荘内にはいないんよ。」

「魂が、この別荘にいない?」

「あぁ・・・」

 そう呟いて、義政は肩を落とした。

「それって、緑山も同じ状態なわけ?」

「あぁ・・・安奈も、あの時すぐに捜したらしい。でも、どういうわけか見つからんかった。」

「そう。じゃあ・・・」

「他を当たっても無駄だぜ?」

 くっ、先を読まれた。

「どうして?あんたや緑山に出来るんだから、晴一や伊吹にだってその能力はある筈じゃない?」

「いや、そういうわけにもいかんのよ。伊吹や晴一が感じ取れるのは、生きている人間の霊力だけ。死んだ魂の位置を感知するには、長い時間をかけての鍛錬が必要なんよ。おいらと安奈に分かんねぇってことは、マジに魂が消失したってことだ。おいらは最初、泉ちゃんの傍にでもいるんだって踏んどった。でもいなかった・・・近松の傍にもいなかったし・・・こりゃマジにどうなっちまったんだか・・・」

「魂の消失は、ありえないわけ?」

「いや、そうでもねぇ。その魂の持つ霊力を上回るだけの霊力があれば、その存在をかき消す事は容易だ。恭一自身の霊力はそんなに高くねぇ。目の前は海だ。海で死んだ人間の魂は、未だにその大海を埋め尽くす形で残っている。そこに紛れ込んだ。おいらと安奈の見解はそれでけりが付いた。」

 そう言って、義政は荒れ狂う海に目をやった。

「海に還ったんだ、恭一。なーんか、しっくりこないね。」

「お前はそうだろうな。だけど、おいらはある意味納得してる。あいつらしいじゃねーか・・・それより、問題は近松の方だ。」

「例の復讐騒動?」

「あるいは自殺か・・・いずれにしても、今んとこは、近松は頭が混乱しきっている状態だ。落ち着くまでにはもうしばらく時間がかかる。問題は、落ち着いた後だ。」

「確かにね。」

「秋山・・・」

 秋山がいつの間にか扉の所に立っていた。

「事件の調査は終わり?」

「調査と言うよりは、会議かな。次山君が、近松さんの様子を魔法で見ている。何かあったら、彼からテレパシーで呼んでもらう事になった。」

 便利なもんだね、次山は。

「それで陣。例の剣、近松が持っとったんか?」

「・・・うん・・・」

 秋山は力なく肯定した。近松が真剣を・・・どうやら、マジなようだね。

「次山君が見た近松さんの室内には、確かに甲冑の真剣が転がっていた。復讐のために持ち出したとすれば、それを持って移動する筈だから対処はしやすい。問題は、使用目的が自殺だった場合。その場で喉でも一突きにされたら、手の施しようがなくなっちゃう・・・佐藤君も、そんなことは嫌だろうし。」

「死ぬ間際に、恭一ならそう望むだろうね。ところで、泉ちゃんは?」

「あれからずっと、竜堂さんが泉ちゃんの部屋で看病している。あの子のためにも、近松さんの復讐や自殺は阻止しないと!」

 決意を固めるように、秋山は拳を握る。

「近松なら、死に場所を選びそうなもんだけどね。」

「どういう意味だ、衆?」

「近松の性格から考えて、死ぬ時は恭一の傍だよ、きっと。復讐を抜きにしようがしまいがね。そう思わない、義政?」

「・・・確かに、近松ならそうするだろうな。つまり、阻止は容易ってわけか?」

「そう楽観も出来ないだろうけど。近松には驚異的な特殊能力がある。普段、恭一の力で抑え込まれていてあれだしね。」

「あのキャンプの時?」

 俺の言葉に、秋山はあの時の様子でも思い出しているんだろう。あの力、マジでハンパなかった。俺も、鮮明に覚えている。

「そ。あの時であの威力。ブレーキのない状態ならどうなるか・・・へたすれば、この島ごと吹っ飛んだっておかしくないかも知れない。」

「考えすぎじゃ?」

「いや、近松の本気は未知数だ。衆の指摘したぐらいの力を持っていたっておかしくねぇ・・・いずれにしても、近松が行動を起こすまでは何も出来ん。真の報告を待とう。」

 そう言って義政は立ち上がり、カバンからスナック菓子を出して食べ始めた。

「こんな時でも、ホントマイペースだね、義政?」

「こんな時だからさ。この状況じゃ、昼飯や晩飯にうまいことありつけるかどうかも分からんし。今の内に、食えるだけ食っとかんとな。ところで衆。」

「なに?」

「ここにいていいのか?お前の姉ちゃん、一人じゃ?」

「足利が一緒だよ。何かあっても大丈夫だと思うけど?」

「足利さんが一緒なら安心だね。あ、そういえば。」

 何か思いついたのか、秋山がスッと立ち上がって俺達を見る。

「足利さんと近松さんって相部屋だったんだよね。足利さんなら、部屋に入れるんじゃないかな?」

「入ってどうすんの?」

「説得してもらうんだ。」

「復讐の?それとも自殺の?どっちも無意味だよ。」

「ど、どうしてさ?」

 俺の反論が納得いかないのか、秋山はツンツン頭が俺に刺さりそうなくらい近づいて睨んでくる。

「近松だからさ。足利と同じく相部屋で、しかも近松と一番仲のいい竜堂でさえ入れなかったんだ。足利が入れると思う?」

「それに、今の近松は誰の言うことも耳には入らん。恭一が死んだってショックが、あまりにもでかすぎるからな。」

「俺達は、今は真からの報告を待つしかない。それからしか行動は起こせない。もっとも、起こしそうな奴はいるけどね。」

「起こしそうな奴?誰のこと?」

 俺はその秋山の問いに、部屋から出る時に答えた。

「俺と同じ、学級委員さ。」


『コンコン』

「はい・・・」

 力ない返答の後、力なく扉が開いた。二階にある部屋の一つ。

「あ、藤越君・・・」

 平牧と高村の部屋だ。部屋には二人ともいた。応対してくれたのは高村の方だ。案の定というか、高村はまったく元気がなかった。平牧にいたっては、視点の定まらない顔で窓の外を見ている。

「黄昏るには、時間が早いんじゃない?」

「・・・あ、藤越君・・・」

 俺の声に、平牧は数秒の間を空けてこっちを見た。

「今気付いたの?」

「・・・藤越君は、いつもと変わりませんね。」

 精一杯の感じが溢れる笑顔で、平牧はそう言った。

「ねぇ?」

「はい?」

「あんた、近松の部屋に行った?」

 そんな気がして、俺はあえて直球で聞いてみた。

「・・・どうしてですか?」

「あんたなら、行きかねないだろうから。で?」

「・・・門前払いでした。」

 それだけ言って、平牧はまた窓の外に目を向けた。予想通りだね、行動も結果も。

「誰なんでしょう?・・・佐藤君を殺したのは・・・」

 ポツリと平牧がそう呟いた。ほとんど同じタイミングで、平牧の肩が震え始めた。

「平牧・・・!」

 俺が名前を呼んだら、平牧は肩を震わせながら俺に抱きついてきた。

「ちょ?・・・どうしたっての?」

「疑いたくないんです・・・佐藤君が殺されたのが事実だとしても、その犯人が・・・私達の中にいるなんて・・・そんなこと、考えたくなくて・・・でも・・・それが真実なんですよね?・・・」

「・・・だろうね。このクローズサークルの状況だと、犯人はそれ以外にありえない。」

「ホント・・・藤越君はいつもと変わりませんね。いつもと同じ・・・クールです・・・」

 そうでもないよ。内心、俺だって疲れきっているっていうか・・・色々考えすぎて、もうなにも考えたくないっていうか・・・とにかく、こんな状況で平牧に犯人の心当たりなんて聞けやしない。俺だって、そこまで酷じゃないつもりだ。

「落ち着くまで、こうしていていいからさ・・・」

「・・・いえ、もう大丈夫です。」

 そう言って、平牧は俺から離れた。人間、泣くことが一番のストレス解消法だって聞いたことがある。ストレスがなくなれば、それなりに心も落ち着くってもんでしょ。

「そ。じゃ、俺行く。高村と二人、大人しくしてなよ。次山から、何か連絡があるまでね。」

 そう言って、俺は部屋を出ようとした。すると、

「あれ?」

 いつの間にか、高村の姿が消えていた。どこにいったの?俺は気になって外へ出た。すると、

「あ、藤越君。」

「高村?なにしてんの、部屋の外で?」

「気ぃ遣ったんやん。スミにおけへんな~、二人とも。」

 そう言って、高村はニヤニヤしながら部屋に戻っていった。あいつ、勘違いが時々すごい。


 俺はその後、一人で事件の現場に向かった。五階の端の方だもんね。ちょっと遠・・・

『ドン!』

「あてっ!」

 てってて・・・誰かとぶつかったみたい。いったい誰と・・・

「あれ?」

 誰もいない。俺がぶつかったのは壁か何か?・・・いや、確かに人間だ。確証はないけど、壁みたいな無機質な感じがしなかった。でも、周りに人影は見当たらない。

「なにやってんだ?」

 後ろから声が聞こえた。そこには智がいた。

「あ、智。」

「なにやってんだ?廊下に座り込んで。」

「いや・・・別に。」

 俺は、何事もなかったように立ち上がる。

「智こそ、こんな所で一人?」

「やっぱ気になるだろ、近松のこと。次山が見ているって言ったって、俺達にはそれが見えない。だから、ちょっくらあいつの部屋まで行こうと思ってさ。行けば、見れそうな気がするんだ。」

「へぇ、面白そうじゃん。俺も行くよ。あてもなくブラブラしていただけだし。」

 さっきまでの考えとまったく矛盾しているけど、そんなことは気にしない。面白そうな方へ行きでもしないと楽しくない。というわけで、俺達は次山の部屋に向かった。

 次山の部屋は、俺が誰かとぶつかった四階の西側にある。

「ところで、歩は?」

「あいつなら、すっかり意気消沈しちまってな。今は、部屋で寝ている。」

「一人で?傍にいてやるのが、兄貴ってもんなんじゃないの?」

「一人じゃねーよ。杉山に頼んで、ローサさんに傍にいてもらっているからな。あの人が傍にいれば、ひとまずは安心だろ。」

 ローサさんね・・・俺は苦手だね、ああいう人。

「ローサさんって、なんなんだろーね?」

「人なんじゃねーの?見た目はほとんど変わらないし、杉山が呼び出すのは全て『人界』の住人だ。『人界』って言うぐらいなんだし、人間だろ?」

「なるほど、そういう定義ね・・・相変わらず、アバウトで分かりやすいよ、智。」

「褒め言葉として貰っとく。」

 そう言った智の表情に、少し笑みが戻る。

「そりゃどうも。ところで、次山の部屋はまだなわけ?」

「この角曲がってすぐだ。」

 そう言って、俺と智は角を曲がった。

「あれ?智さんと衆さん。」

 次山の部屋の前には、星奈ちゃんがいた。

「なにしてんの?」

「見張りであります!」

 そう言って、星奈ちゃんは敬礼した。見張りって・・・

「自分の部屋だろ?そこ。」

 そう言って、智は星奈ちゃんの後ろにある扉を指した。

「はい。ここが、私とお兄ちゃんの部屋であります!」

「じゃあ、次山は中?」

「はい。しかし入れません。」

「入れない?なんで?」

「近松さんの部屋を監視しているからであります。中々に集中力のいる魔法ですので、お兄ちゃんと会うことは出来ません。他の人達にもそう言っています。」

「他って・・・俺達の他に誰か?」

「はい、智さん。智さん達の前に、入沢さんや小野さんが来ました。あ、小野さんは妹さんの方ですけどね。」

 晴一や義政の妹は何の用だったんだろうか。

「晴一さんは、智さん達と同じ理由であります。小野さんは私にです。」

「星奈ちゃんに?」

「はい。女同士の話なのでコメントは差し控えていただくであります。」

 そう言って、星奈ちゃんは指で×印を作った。いや、そこまで聞くつもりはないけど。

「星奈ちゃんの目には、俺達がそれを聞く人間だって映っているってこと?」

「そ、そんなこてゃないであります。」

「動揺すると、必ずそこ噛むよね。」

「癖って奴だね。」

「個性でありますよ、智さん。」

 そう言って、星奈ちゃんは頬を膨らました。彼女にとっては、癖と個性は同じみたいだね。

「なにはともあれ、お兄ちゃんとは会えません。」

「しゃーねー。こっちとしても、次山の魔法の邪魔はしたくねーし・・・分かった、部屋に戻るよ。行くぜ、衆。」

「へいへい・・・」

 こうして、俺と智が引き返そうと踵を返した時だった。

『みなさん!聞こえますか?』

 頭の中にそんな声が響いた。

『この声は次山?』

『そうです、藤越君。今、近松さん以外の方とテレパシー中です。まずは、簡潔に状況を説明します。近松さんが行動を開始しました。盗んだ剣を持って、今、部屋を出た所です。』

 ついに近松が行動を開始したらしい。近松が階段を上れば、行き先は必然とあの玉座になる。ここからなら追いつけない事もない。

『次山、近松はどこに向かっている?』

 守の声が聞こえてきた。他の奴のテレパシーまで聞こえるらしい。あまり何も考えないことにしよう。

『近松さんは・・・今、階段を下りて行きます。』

 階段を下りる?

『先に、恭一を殺した犯人への復讐を果たすつもりだな。』

 恭一を殺した犯人って言ったって・・・

『近松はそれが誰か分かったって言うのか?晴一。』

『その通りだぜ、智。陣や守でさえ掴めていない犯人だってーのに。』

 頭の中で話が進んでいく。少し奇妙な感覚だね。それはともかく、近松は誰を犯人だと考えたんだろう?

『近松さんは現在二階です。二階・・・東側の廊下を歩いています。』

『二階の東側?ウチラ女子しかおらんで、そこには。』

 この声は犬飼だね。色々と例外はあるけど、二階には確かに女子しかいない。しかも全てダブルだ。つまり、近松が決めた犯人は女子ってわけ?

『近松さんの向かう先には・・・二〇七号室があります。』

 二〇七・・・

『って、平牧と高村の部屋じゃん。』

 気付いた俺はテレパシーを飛ばした。瞬間、高村の慌てた声が聞こえてきた。

『そ、そんな!?あの部屋には、今は陽ちゃんしかおれへん!』

『おいおい?それじゃ高村。お前はどこにいるんよ?』

『ウチは・・・ト、トイレ・・・』

『そ、そうか。すまん・・・』

『なに聞いてんのよ、義政!』

 義政の、故意も悪意もないとはいえ失礼な質問に、テレパシーで緑山が思いっきり怒った。

『平牧、聞こえる?』

 俺は二人の夫婦喧嘩を無視して、部屋に一人残っていると思われる平牧を呼んだ。

『ふ、藤越君?』

『とりあえず、逃げた方がいいんじゃない?』

『無理です、藤越君。もう、近松さんは部屋に入っています。』

 瞬間、次山から返答が来た。

『次山、状況は?』

『近松さんが平牧さんの部屋に押し入り・・・あれ?』

『どないしたん!?』

 国風はけっこう慌てているようだ。

『近松さんが、平牧さんを連れて階段を下りていきます。これは・・・食堂に向かっている?』

『食堂だと?』

 晴一が聞き返した瞬間、

『こちらは近松瑠璃。』

 別方向から、近松の声が聞こえてきた。これは館内放送?食堂のマイクから?

『使用人さん達以外は、すぐに食堂へ集合しなさい。こっちには、人質がいるわ。』

 人質は、おそらく平牧だね。とにもかくにも、俺と智は食堂を目指した。


 館内放送から一分も経っていないんじゃないだろうか。全員、食堂に集合していた。体育の時間でさえ、もうちょっと集合に時間が掛かるのに。

「全員、揃ったみたいね。迅速な行動、感謝するわ。」

 ある意味信じられない光景だった。重そうな真剣を右手に持った近松は、左腕で平牧をガッチリ拘束。その目には既に正気なんかない。

「み、皆さん・・・」

 平牧は足ガクガクで怯えまくっている。そりゃそうだ。あんな物に一突きにされちゃ、この場の人間がどんなすごい能力を持っていても蘇生は不可能だろう。あいつは今、本気で死と隣り合わせを体験している。本来、平牧がこうなるのを防ぐのが俺達の役目なんだけど、あいにくと、内部分裂には対処しきれなくてね。ていうか想定外だし。

「瑠璃さん・・・なんで?なんでお姉ちゃんを?今すぐ開放してください!」

 盛夏ちゃんが身を乗り出した。智がそれを制する。

「まさか瑠璃ちゃん・・・本気で、陽ちゃんを犯人やって思ってるん?」

 高村は今にも泣き出しそうだ。まぁ、そうじゃなきゃ、近松も平牧を拘束したりなんてしないと思うけど。だけど、なにをどうやったら平牧が犯人になるんだか。恭一はおろか、アリの行列さえ踏めない平牧が。俺には見当も付かない。

「私は・・・別に陽を犯人だとは思っていないわ。」

 唐突に、近松はそんなことを言った。

「陽は、私にとってはただの人質。事が終わればすぐに開放するわ。」

「その事っていうのは、恭一を殺した犯人への復讐か?」

「ご明察よ、守。私の要求は一つ。今すぐ、恭一を殺した犯人は名乗り出てちょうだい。そいつを殺した後、私は恭一と共に死ぬ。」

「早まりすぎよ、瑠璃!」

 足利が近松を説得しようと前に出る。

「なによ、輝美?」

「あんたバカ?佐藤君の後追って死んでどうすんのよ!?」

「私の命なんだから別にいいでしょ!?」

「良くないわよ!彼だって、こんな結末を望んだりしていないわ!」

「あいつの希望なんか知らないわよ!あいつはね・・・ただ、私の力を制御するブレーキなの。でももうあいつはいない!私はもう止まらない!事故ってスクラップになるのが果てなのよ!」

「佐藤君の分まで、生きようとは思わないの?」

「あいつのいない人生なんて生きる価値なしよ!それに・・・それにね・・・」

 近松の目からは、涙が溢れ始めていた。

「恭一が私を待っているのよ。あいつは・・・私がいないと何も出来ないから・・・今だって、私の近くにいるはずよ。」

 近松は虚ろな目をしながらそう言った。俺は義政を見た。義政は俺の視線に気付くと、首を静かに振った。緑山も、その表情から察するに、恭一の魂の居場所を掴めてはいない。近松の世迷い事かと思った時だ。

『バン!』

 そんな大きな音がして、同時に、台風の奏でる騒音が響いた。いつの間にか窓が開いたみたいだ。そしてそれを皮切りに、

『バン!』

『バン!』

『バン!』

 部屋の窓が次々と開いていった。ちょ・・・これってポルターガイストってやつじゃない!?

「なんなのよ!?」

 足利が叫んだ。

「恭一君の魂が、暴れまわっているとでもいうの?」

 姉ちゃんが、窓の一つを見ながらそう言った。

「義政!静めてよ!?」

 足利が再び叫ぶ。だけど義政は、

「そうは言ってもな・・・恭一の魂が感じ取れんのよ。」

「ていうか、マジに恭一の魂かよ?」

 晴一が、次々と開いた窓を見ながらそう言った。どうだかね。

「アハハハハ!そうよ恭一!もっと暴れてやりなさい!若くして命を落とした無念を晴らすのよ!あなたは自由よ!」

 壊れたラジオのような笑い声を発する近松。しかし、その声とは裏腹に、恭一の魂の仕業と思われる現象は収まっていった。そして、

『もういいだろ?瑠璃。』

 どこからともなく声がした。恭一の声だった。

「恭一?ホントに?ホントに、もういいの?」

『あぁ。さすがに、これ以上はな。そろそろ潮時だ。』

「恭一、成仏する気?」

 どこかから聞こえてくる恭一の声に、俺は思わず声をかけた。

『いや、未練タラタラだ。だから、もういいぜ。』

 ?もういい?なにがもういいんだろうか?未練があるなら、憂さ晴らしがもういいわけ・・・

「よ。」


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』


 え????????????????????????

「全部、ドッキリってやつだよ。」

 そこには、傷一つない恭一がいた。


「ドッキリ大成功!!!」

 窓の閉まった食堂。そこで、近松はさっきのセリフを口にした。御丁寧にも、セリフとまったく同じプラカードを掲げて。いまだ半分近く、いや、ほぼ全員が理解しえていない状況。殺された筈の恭一が、なぜだか申し訳無さそうに目の前に立っている。誰も言葉を発しようとしないので、

「どういうこと?」

 俺が先陣を切って質問する事にした。

「瑠璃が考え付いたんだよ。みんなを驚かそうとしてな。」

 そう前置きして、恭一は説明を始めた。要約すると、全てでっち上げのお芝居だったそうだ。

「お、お芝居?じゃあ、あの佐藤君の死体は?」

 竜堂がおずおずと尋ねる。普段丸い目がさらに丸い。

「当然偽物だよ。もちろん、晴一達の検死もな。」

「つまり、晴一・義政・守の三人は仕掛人側?」

「そういうこった。そしてもう一人。今回の一番の功労者が、次山だよ。先に誰かが警察に通報する前に、演技をしてもらったってわけだ。もちろん、人質役の平牧もな。」

「あんたもそっち側の人間だったんだ・・・確かに名演技だったね。あんたの普段を知っている分、余計に騙された。しかも、その直前が直前だったし。」

「直前?なんのことですか?」

 なにって・・・

「俺が、あんたと高村の部屋に行った時の演技。完全に騙された。」

「あぁ、あの時ですか。あれは、こっちとしてはけっこう想定外だったんですよ。まさか、藤越君が来るとは思いませんでしたから。」

 そう言って笑う平牧。あの涙が演技だったとは・・・意外と侮れないかも知れないね、平牧。

「ところで恭一。この計画、泉ちゃんは絡んでいたわけ?」

「一応な。さすがに、妹に黙ってこんな悪趣味な事はできねーよ。」

「で、でも・・・泉ちゃんは確かに気を失っていたけど?」

 看病していた竜堂が疑問の声を上げる。確かに、あれを演技とは言いきれないね。

「トリックのほとんどは、次山の魔法に頼らせてもらったよ。」

「次山の?」

「はい。佐藤君の死体、佐藤君自身の姿を消す、妹さんの意識喪失、クライマックスの演出。全て、僕がやりました。」

「やってくれんじゃん、次山・・・ムカつかないけど殴っていい?」

「えぇ!?」

「そんなに驚かない。」

「アハハハ・・・藤越君が言うと、本気っぽくて怖いんですよ。軽く説明しますね。佐藤君の死体は、僕の魔法で作り出した幻影です。実際にはありません。妹さんが倒れたのは、瞬時に睡眠魔法をかけたからで、佐藤君の姿を隠せたのは、彼の周りに結界を張ったからです。それで、少なくとも姿は見えなくなると思ったんですが、その人の霊魂の波動まで隠せるという事実は新発見です。結果オーライっていう感じですね。」

 次山は、成功したイタズラにかなり満足している感じ。ていうか、作戦のほとんどが次山の力じゃん。

「悔しいな~・・・」

 星奈ちゃんが唐突にそんなことを言った。

「なにが悔しいわけ?」

「お兄ちゃんがそんなに魔法を使っていたのに、私がそれを少しも察知できないとは・・・妹として情けないでありますよ。」

 そう言って頬を膨らませる星奈ちゃん。あぁ、それは悔しいだろうね。

「ところで、次山?」

「はい、なんでしょう?」

「恭一の姿はその魔法で見えなくなるとして、実体としてはそこにあるんだよね。」

「えぇ。幻覚を見せているだけですから。それがどうかしましたか?」

「ちょっとね。智、覚えている?」

「ん?なんのことだ?」

「あんたと二人で次山の部屋に行った時。俺、廊下に座り込んでいたじゃん?」

「あぁ、そういえば。」

 智は、その時の俺を思い出したのか、少し口角を上げる。

「おそらくあれは、姿の見えない恭一と偶然ぶつかった・・・違う、恭一?」

「その通りだ。さすがに焦ったぜ。」

「焦った?」

「あぁ。次山からの説明で、その結界の強度も知らされていたからな。あんまり強くすると、星奈ちゃんに気付かれるから、そんなに強い結界は張れないってな。だから、ぶつかった時は焦ったぜ。てっきり、姿を露呈しちまったもんだと。」

「そんなことになったら本気で死刑よ!」

 近松が釘を刺す。当の恭一は聞く耳持たずだけど。とにもかくにも、近松の仕掛けたドッキリはこれで幕切りとなった。もっとも、仕掛け人側の人間は、後でどういうわけか、俺の姉ちゃんにたっぷりとお説教されていたけどね。


 帰りの船がやって来た。この数日間遊びほうけた俺達は、名残惜しいながらも島を後にした。

使用人さん達は残るらしい。なんでも、別荘の後片付けがあるとのことだ。

「楽しかったですね。」

 出港から数分後。平牧がやってきてそう言った。無尽蔵のスタミナを誇る若い世代の俺達だけど、やっぱり遊んだツケは慢性疲労として残るわけで・・・何人かは船室で横になっている。だけど、平牧はそうでもないらしい。

「そりゃ、あんたは楽しかっただろうね。俺達を手の平で踊らしてさ。」

「もう、まだ怒っているんですか?」

 意外と根に持つんですね・・・そう言って、平牧はそっぽを向いた。

「思ったとおり、すぐ本気にするんだね。」

 俺がそう言うと、平牧はこっちを向いて、

「もう!」

 少し怒った。

「・・・あの、藤越君。」

「なに?」

 少しの沈黙の後、平牧はこう切り出した。

「私のこと、嫌いになりました?」

「・・・は?」

 俺は、質問の内容が理解できても真意が分からなかった。

「思えば酷いことですよね。私は、あなた達に命を預けている身なのに、面白がって騙す方向に回ってしまうなんて。いけない、ことですよね・・・」

「あんただけの責任でもないんじゃない?主犯は近松なんだし。」

「それは責任の問題です。罪状は同じです。私と近松さんは、言ってしまえば同じ殺人犯。同格なんです、罪の上では。」

 う~ん、そこまでの事でもないと思うんだけど・・・

「あんたは、殺人幇助で起訴だろうね。あんたは主犯じゃない。あくまで手助けの領域。」

「でも、結果的には、皆さんにご迷惑を・・・」

「ストップ。」

 俺は平牧の言葉を途中で遮った。

「え?」

「後からそんなに罪悪感に苛まれるなら、最初っからやらなきゃいいじゃん。あんたにドッキリの仕掛け人なんてさ、若手芸人のゴールデンの司会並みに務まらないよ。」

「そ、そんな・・・少なくとも、藤越君は騙せましたよ。」

 あぁ、俺に見せたあの涙のことか・・・

「そりゃ、あんたが仕掛け人側にいるとは思わなかったし。それに、少なくとも俺には、あんたの涙が本物に見えた、それだけのことだよ。」

 言って無性に恥ずかしい。

「ま、少なくともも何も、あの場には俺一人だけだったんだけど。」

 取り繕うようにそんなことを言った。そして、横目でチラッと平牧を見ると、

「・・・・・・・・・」

 俺の言っている事があまり理解出来ていないのか、呆けた目で俺を見ていた。

「とりあえず、安心しなよ。」

「え?」

「誰も、あんたを嫌いになんてなっちゃいないさ。嫌いな人間を守るなんて、頭の固い軍人さんしかやらないさ。俺達はそんなお役所人間じゃない。絆の深い、あんたの友達。」

「藤越君・・・ありがとうございます!」

 ようやく、平牧に笑顔が戻る。後ろで光り輝く海と相まって、すんげー輝いて見える。

「お礼なんて、照れくさいからやめてくれる?」

 眩し過ぎて、俺は少し平牧から視線を外しながらそう言った。

「さて・・・それじゃ、行こっか?」

「え?」

「あんたと話してばっかりも飽きたから、智達でも捜しにさ。」

「あ、はい。」

 俺と平牧は、オーシャンビューを背に船内に入っていった。俺は、なんとなく心に決めた。こいつのことは、目を離しちゃいけないってね。


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