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第一話三章 恋のキャンプはバトル気分

第三章

                 恋のキャンプはバトル気分


 川西さんの事件から数日。警察は、犯人である光崎レイを指名手配した。上層部では、犯人が未だに国内に潜伏していると見て全国に捜査網を広げ始めてはいるけど、正直、例え国内にいたとしても発見は難しいと思う。相手は、平牧が持っている情報を使って世界掌握を目論むような組織。日本警察単体でどうこうなるもんじゃないような気がする。けれど、俺自身としては、現在、全く別のことで頭を占領されてしまっている状態だ。


「これより、一年生の学級委員会を開催いたします。」

 二階の端に存在する物理講義室。四月の末の昼下がり。太陽が気持ちいい昼寝時に、なんだかメンドクサイ会議が始まっていた。一年学級委員長、言うなれば一年の頂点に立つ女子が、前で何やらプリント片手に説明をしている。俺は当然聞く耳持たず。なぜなら、横で書記と化している平牧から、後で説明を受ければすむ話だし。

 会議が終わってその廊下。俺はプリントをなんとなしに見た。

『春のキャンプ!一年恒例の校外学習!』

 デカデカとそんな文字が躍るプリント。春の遠足の通知書みたいだ。高校生にもなって春の遠足か。小学校時代は、やれ緑地公園だ動物園だと、何の楽しみがあるかよく分からない時間だった。

「楽しみですね、これ。」

 平牧は妙に機嫌がいいけど・・・

「そう?」

「あれ?嫌いですか?キャンプとか。」

 いや、キャンプ自体は嫌いじゃないんだけど。

「高校生の春の行事にするほどのことかなって、そう思っただけ。」

「きっと楽しいですよ。」

 あぁ、平牧の笑顔は実に楽しそうだね。少しほしいくらいだ、その無邪気を。


 その日の放課後。春の遠足の説明を始めた俺と平牧。もっとも、喋っているのはもっぱら平牧なんだけど。

「え~っと・・・来週の火曜日に、春の校外学習としてキャンプを行います。場所は、バスで一時間ほど行った所のキャンプ場です。」

「ついに来たわね~、この時期が。」

 豊綱先生がそう言った。

「そっか、先生ここの卒業生だから行ったんだ?」

「そうよ。一年春のキャンプ。この学校の創立当初からある目玉企画。」

「目玉企画?たかだかキャンプでしょ、日帰りの?」

「え?」

 平牧が驚いたように聞き返す。

「なに?」

「あ、その・・・この校外学習、一泊二日ですけど?・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?一泊二日って・・・泊り?」

「はい。もう、委員会の時にちゃんと聞いてなかったんですか?」

「うん、ちゃんと聞いてなかった。」

「もう・・・」

 平牧が呆れているその横で、俺は頭の中で事態収拾を図った。一泊二日のキャンプってことは、単純、キャンプ場に宿泊するってことだ。ただ、それ以外のことが、よくよく見てみるとこのプリントにはほとんど書いていない。

「じゃ、ここから先は私が説明するわね。」

 俺と平牧がプリントを見つめていると、そう言って先生がおもむろに立ち上がった。

「私、さっき言ったでしょ?目玉企画って。目玉その一は、ただの校外学習なのに一泊二日だということ。二つ目は、その際の準備の半分以上がクラス一つ一つに委ねられていることなの。」

「クラス一つ一つに?どういうことですか?ある程度はクラス毎に決めなきゃいけないこともあるでしょうけど、全部が全部、そうじゃないですよね?」

「普通はね。でも、この学校の場合はそうもいかないのよ。まず・・・そのプリントには、キャンプ場の情報以外は書いてないわよね、衆?」

「あぁ、そうっすけど?」

「実は、校外学習の詳しい内容は、担任の教師が放課後に詳しく説明する仕組みになっているのよ、昔から。私の時もそうだったもの。あなた達が持っている情報は、必要最低限の情報。それだけじゃ、ほとんどなーんにも出来ないの。」

 そう言って、先生はイタズラが成功した子供のようにクスクス笑った。なるほど、先生が情報を握っているわけね。

「なら、さっさと教えてくれます?とっとと終わらせて、クラブに行きたいんで。」

「分かったわよ、もう。せっかちなんだから、衆は。」

 そう言って、先生は俺の頭をひとしきり撫でた後、説明を始めた。

「それじゃ、今から詳しい説明をするから、よ~く聞いてよ。まず、この校外学習の趣旨について説明するわ。どんな学校でもだいたいそうだけど、目的は生徒の自主性の向上にあるわ。ただ、その自主性のレベルが少々半端じゃないのよ。」

 なんだか、ものすごく中途半端にレベルが設定されているようだ。

「まず、宿泊方法はクラス毎に確保。」

「クラス毎に確保?どういうこと?」

「学校側が用意するのは、キャンプ場と移動手段であるバスのみ。他は生徒が全て用意する。それが決まりなのよ。」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 先生の言った事が浸透した教室内は、あっという間にカラスの鳴き声と静寂に包まれて、誰も言葉を発しようとはしなかった。普段なら、こういった場面を打開するのは犬飼や智の仕事だ。だけど、今日はその二人でさえなにも言わなかった。なんで、俺が状況の打破を試みた。

「それってさ・・・現地での食料とか泊まる先とか、そういった物を全て俺達で確保しろってこと?」

「ご名答。あ、お金は出るから心配しないで。」

 いや、そこまで出させたら犯罪でしょ。ていうか、それって相当厳しくない?宿泊先の確保って言ったって、誰もテントを持っていなきゃ買わなきゃいけないし、量だって相当だ。食料は持っていけるとして・・・

「あ、そういえば他にも条件があるんだった。宿泊方法はテントに限られているわよ。あとは、必ずキャンプファイヤーをする。この二つは最低条件。あとは、お好きにしてくれて構わないわ。」

 お好きにって・・・テントとキャンプファイヤーが最低条件・・・それじゃ、飯はなくてもいいって事になっちゃうけど・・・まぁ、そこらへんは暗黙の了解ってやつだね。さて・・・

「テントか・・・どうしようっかな~・・・どうする?平牧。」

「えぇ!?」

「・・・いや、驚かれても困るんだけど・・・」

「え、あ、あ、あえ・・・?テント・・・ですか?」

「そ、テント。持ってる?」

「いえ・・・」

 平牧は持っていないと・・・なら・・・

「誰か持ってる?テント。」

 俺はクラスの奴にそう言った。すると、

「僕、一つならあるよ。」

 そう言って、伊吹が手を挙げた。その横で、

「おいらもあるぞ。」

 義政も手を挙げる。けどまだ二つ・・・明らかに不足。男女の人数を考えて、一つのテントに四人入れたとして・・・最低十個ぐらい。詰めても六、七個・・・

「他にいない?」

「はい。」

 教室の後ろから手が挙がる。そいつは、朗々とこう言った。

「私の方で、残りのテントはご用意させていただきますわ。おそらく、家の中を探せばそれなりの数があると思いますので。」

 鳳凰姫(ほうおうひめ)・・・イラスト部所属の・・・言ってしまえばお嬢様。なんでも、世界経済の一翼を担う、日本経済界の頂点と言っても過言ではないと噂される、鳳凰財閥のご令嬢。智の話によると、俺達の部隊のスポンサーらしい。自身も武術に長けているという話だ。これは俺の勝手な想像だけど、基本的にお嬢様には三通りのタイプがあると思う。

 一つは、傲慢で鼻につくような態度が特徴的な高飛車タイプ。もう一つはその真逆。礼儀正しくて人望に厚く、才色兼備文武両道。趣味は華道か日本舞踊か。決して金持ちな所を前面に出しすぎない、遠慮深くておっとりしていて、どっか抜けている深窓タイプ。最後は、全然金持ちのお嬢様とは感じさせない、元気で明るく、親に会社を継げと言われてそれを断り、スポーツの道や芸能界の茨道を爆走しているような反抗タイプだ。

 鳳凰がどれかと言えば、紛れもなく二番目のタイプだ。違う所を挙げるとすれば、おっとりした感じがあまりなく、全然抜け目がなくしっかりした性格だという所。髪の色こそ派手に染めてポニーテールだけど、授業態度はまさに模範。欠席遅刻なんかは当然なし。しかも、それを小学校の頃から続けているらしい。鳳凰に真実かどうか確かめると、

「当然の事ですわ。」

 と返された。その時、鳳凰の笑顔に俺は後光を見た。さて・・・

「じゃあ、テントは三人に任せていいかな?平牧。」

「えぇ、そうですね。」

 となった。となると、問題は食料面的なことになる。作らなきゃいけない飯は・・・

「当日の昼と夜、翌日の朝と昼・・・ってところか・・・」

 まさか、二日目の晩飯まで用意しろとは言わないだろう。二日目の夕方には帰宅予定になっているしね、プリントのタイムスケジュールも。となると、その食材をどこで調達するか・・・・

「近くにコンビニとかスーパーってあるのかしら?」

 近松が窓の外を見ながらそう言った。興味がないようで実は興味津々ってタイプだ。

「あるわけないだろ。俺達はキャンプに行くんだぞ?人里近くの裏山でやるんならまだしも、バスで一時間先のキャンプ場じゃ、そんなもんなんかただでさえ少ないような山の中だ。それにそんなもん、あったら楽しみ半減だ。」

 うん、恭一の指摘はもっともだ。あるわけがない。

「となると、持って行くしかないか・・・」

「腐りますよ?」

 平牧の一言であえなく玉砕。確かにそうだ。保存剤を入れておいてもそんなに持つかどうか。となると・・・

「現地調達だな。」

 智がそう言った。そう、最終的にはそうなる。キャンプ場なら、近くに川なり山なりあって、食材くらいは探せばあるんだろう。しかしそうなると、その二日間の俺達の食事は、かなりヘルシーで健康的なものになる。和食系といった感じかな・・・でもそうなると・・・

「なぁ、白飯はどないする?」

 犬飼が、今まさに俺が考えていた疑問を口にする。そう、和食に欠かせない白いご飯。そんなもの、ただの山に繁殖している筈がないし、だいいちまだ季節じゃない。となると・・・

「それは、持って行くしかないだろうね。」

 と、一義が結論を口にする。そうなるね。しかし、この人数の米を二日分となると、かなりの量になるんじゃない?大食漢そうな奴もけっこういるし。

「あ、そうだね。」

 一義も気付いたらしい。さらに、杉山がこんな指摘をしてきた。

「それに、料理をする道具はどうする?少なくとも、食材を煮込むための鍋とか、切るための包丁ぐらいは必要だ。しかも、これだけの人数の料理を一度に作る鍋だぞ。大きさだって半端じゃないだろうし。」

 料理道具ね・・・確かに、重要な道具だ。

「あら、それなら簡単じゃない。」

 横から先生が口を挟む。

「役割分担すればいいんじゃない?例えば、男子のみんなが食材を取りに行っている間に、女子のみんなが料理をするとか。その時、鍋を三つか四つぐらいにして、ある程度のグループで準備をする。合理的かつ効果的じゃない?」

 グループに分けてそこで更に役割を分けるか・・・

「となると、道具を持ってくる人間も自然と限られてくる・・・後は、その役割の個人個人に責任を持たせるってわけっすか?」

「そ。どう?それで手を打たない?」

「だってさ。どうする、平牧?」

「え?」

「俺はどっちでもいいから、あんたが決めなよ。」

 班を分けようがそうしなかろうが、俺としてはどっちでもいい。だから、あえて意思決定を平牧に委ねてみた。

「じゃあ、それでいきましょう・・・」

 と、平牧が遠慮がちに決定を下し、その日は解散となった。気が付けば、クラブの活動時間は過ぎていた。


 それから一週間後。あっという間に過ぎた一週間。何かあったような気もするけど、あまり、気にしない方がいいような一週間が過ぎて、本日火曜日、塩桐生高校一年生春季校外学習当日になった。学校にはバスが来ていた。珍しく、俺は早い方の到着だったみたいだ。俺より前には、

「あ、おはようございます。」

「よ。」

「おはよう!」

 平牧・智・歩の三人だけだった。

「他は?」

「見てないな。大方、準備に手間取っているんだろうな。」

「まぁ、男子のほとんどがそうだろうね。じゃあ・・・女子はなんで?荷物が多いのは、せいぜいテントを持ってくる鳳凰ぐらいのもんじゃない?」

「化粧に時間掛けてんだろ、どうせ。歩だってそうさ。朝六時に起きて、弁当作る時間より化粧の方が長いからな。」

「ふ~ん・・・」

 化粧、ね。

「あ、衆君。なんでそんな目で見るの?」

 歩は、どうやら俺の視線が気にくわなかったらしい。俺は反論した。

「べつに。ただ、化粧なんて所詮上辺かな~って思って。」

「そんなことないですよ。」

 歩より先に平牧が反論してきた。前かがみになって目に力を込めているのが分かる。けど、怒られているという感情はいっさい起こらない姿勢だ。

「あなたも、女性になれば分かりますよ。」

 言われた側にしてみれば、それを言われるとなにも言えなくなる言葉を平牧は発した。それはそうだろうけど・・・

「だけど、たかだかキャンプ場で一泊二日。プリントを見る限りじゃ、他のクラスとは最低でもキロメートルの単位でベースが離れているし。見慣れたクラスメイトなんだから、もう少し素を見せてもいいんじゃない?汗かいたりしたら、どのみち化粧は崩れるんだし。それとも歩、キャンプに行って汗をかかないつもり?」

「崩れるって分かっていても、お化粧したくなるのが女ってものよ、衆。」

 後ろから声がしたので振り返った。やっぱり、豊綱先生か。

「付いてくんすか、やっぱ?」

「当然でしょ、担任なんだから。空手部だって、先生だけが顧問じゃないわよ。部長の子も、けっこう強いしね。ウチは、将来有望よ。あなた達が卒業するまでには、絶対に全国制覇をやってのけてやるんだから。」

「無論、それはウチラソフト部も同じやけどな。」

 後ろから伊野川先生が顔を出す。

「歩ってうまいんすか、先生?」

「う~ん・・・正直、才能あると思うけど、一年の秋からバンバン実力出てくるっていうタイプと違うわ。芽が出て来るんは来年の夏や。その頃には、エース張っとってもおかしない。」

「やった~!」

 先生の褒め言葉に、歩はその場で大手を振って喜んでいる。

「でも、歩って褒められると調子に乗って失敗するよね、けっこう。」

「ギクッ!」

「智が関係ないと殊更に。」

「ギクギクッ!・・・って、も~、違うよ~!大丈夫。今回は、お兄ちゃんにカッコイイとこ見せるために頑張っているから。絶対、失敗なんかしないもん。」

 歩は自信たっぷりに胸を張った。智に視線を向けると、

「ま、期待しないでくれ。」

 そう言って笑った。歩は不服そうに智とじゃれていた。

「よ。朝から楽しそうだな。」

 間の抜けた声の方を向くと、そこには義政がいた。

「後ろの大荷物がテント?

「あぁ。先生。これ、どうすりゃいいんだ?」

「バスのトランクにお願い。」

「おう。」

 義政がテントを持ってバスに向かう。ほぼ同時に、緑山が姿を現した。

「随分と少ないわね。」

「そだね・・・」

 俺に話し掛けたのかどうか知らないけど、俺は一応応答した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このキャンプ中に、敵が攻め込んでくる可能性は決してゼロじゃないわ。」

「いきなりなに言い出すんだよ。平牧に聞こえたらどうすんの?」

「大丈夫よ。歩が気を逸らしてくれているから。」

 なるほど。絡む相手がいつの間にか変わっていたのはそのためか。

「・・・最初から仕組んでいたってわけね。」

「そうよ。話を戻すわ。敵が攻め込む可能性はゼロじゃないわ。」

「根拠は?」

「今回用意された舞台の問題よ。今回、もし敵が攻め込んできた場合、あまり派手に戦闘は行えないわ。」

「どうして?」

「陽がいるからよ。あの子には、まだ、私達の正体をそうアッサリと教えるわけにはいかないのよ。陽を守るための手段はただ一つ。返り討ちにするだけの話。だけど・・・」

「平牧に正体を知られるわけにはいかない。そうなると、あまり特殊な技は見せられない・・・そういうこと?」

「えぇ。せいぜい、歩の少林寺とか智のカポエラといった、いわゆる、世界各地に普通に存在している武術以外の防衛手段は行使できない。武器を使うタイプもいるけど、いざ出して返り討ちにした時、どうしてそれを持っているのかっていう疑問は、当然彼女の中に浮かんでくる。どう説明する、その時?」

 う~ん、そう言われるとなんともって感じなんだけど・・・

「備えあれば憂いなしっていう便利な言葉があるじゃん、日本には。それに、ある程度の武器なら、山の中なんだからそこら辺の木の幹なりなんなりで応用できるっていうもんじゃない?」

「応用できる武術なんて、高が知れているわよ。それに・・・」

「それに?」

「この前の光崎レイの言葉が本当だったら、本気で警戒しないとまずいのよ。」

 まぁ、それはそうか。でも、さすがに早すぎると思う。敵だって、もうしばらくは様子見をしてくる筈だ。へたに攻めて、平牧に警察へ駆け込まれたりなんかしたりしたら、相手にとって不利益この上ない。そこまでのリスクを冒すか?いくら、平牧の持っているあれを使って世界を掌握しようとしているとしても。いや、そういうことを目論んでいる集団なら、むしろ、慎重に行動を進めるんじゃない?

「さすがに、向こうも無茶はしないと思うけど?」

「そこまで思慮深い連中だったらね。」

 そう言って、緑山はバスに消えた。


「遅いわね~。」

 近松が不満を漏らした。だからといって、恭一が遅刻してきているわけじゃない。遅刻ギリギリなのは鳳凰だった。今回、テントの半分以上を担当している鳳凰が、発車十分前になっても姿を見せていない。今日に限って、鳳凰として人生の中で絶対にしたくないであろう遅刻を、よりにもよってするのではないだろうか。そんな雰囲気がクラスを包んでいた。特にオロオロしているのは平牧だった。さっきから、バスの乗り場付近をウロウロしている。

「そんなに慌てなくたって、鳳凰は遅刻なんかしないと思うけど?」

 俺はバスの窓を開け、平牧に声をかける。

「でも・・・万が一ということもありますし・・・」

 そう言って、心配そうに校門の方を見つめる。悪い方へ考えすぎだよ。

「それにしても、鳳凰は大量のテントをどうやって運んでくるつもりなんだろうね。」

「そうですね。どう頑張っても、自転車で運び込める量じゃありませんし。」

 だよね・・・ホント、どうやって持ってくるつもりなんだろう?そう思って、俺が窓の外を見た時だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え??・・・・」

 さすがにクェスチョンマークは二個必要だった。俺の目に映ったのは、間違いなく鳳凰の姿。けど、遠目に見て何か違う。


 後ろに何かある。


 俺の視覚情報を認識した脳は、俺の意識にそう訴えかけた。けど、遠目と中途半端な逆光で、何が後ろにあるのかは、しばらくの時間判断できなかった。


「おはようございます。」

 やや肩で息をしながら、鳳凰は俺達に挨拶をした。後ろにあったのは、年季の入ったリヤカーだった。そこには、なにやら袋状の物が置いてある。おそらくは、

「お察しの通り、テントですわ。」

 だった。にしてもこの状況・・・

「家からリヤカーで持ってきたわけ?」

「えぇ、そうですわ。」

 その笑顔から嘘や見栄は見受けられない。

「この量をたった一人で?家の人に言って、車で持って来るなりなんなり出来た筈じゃない?」

「確かに、そうすることは出来ました。ですが、それは私が許しません。それに、この近隣の道路は、朝の時間帯は混み合いますので。こちらの方でも車でも、時間はそれほど変わりませんしね。」

 その笑顔を見て、俺は思った。鳳凰は、とにかく一生懸命なんだろう。口でこそこう言っているけど、その内側が俺にはなんとなく分かる。少しでも、俺達に対する迷惑を掛けないようにと思って、リヤカーで長い道程を歩いて来た。そこに、自分がどれだけ疲れるとか、雨だったらめんどくさいんじゃないかっていう考えは、考え付いた時、鳳凰の頭にはなかったに違いないと思う。一生懸命真面目に頑張る。その結果がこれだったんだ。俺達がするべきことは、

「お疲れさん。」

 労いの言葉を送ることだろう。


 さて、予定通りバスは出発。学校から車で一時間の所にある、キャンプ場へと向かって走り出した。そのバスの中、俺の斜め前の席で、鳳凰は眠っていた。満足そうで、でもやっぱり疲れきった寝顔だった。鳳凰の横の席は高村が座っている筈だから、きっと、高村の肩枕で眠っているんだろう・・・いや、身長差から考えて、この場合は頭枕と言った方がいいかもね。言葉としては言いにくいけど。

 さて、俺はカバンからパンフレットを取り出した。表紙はイラスト部が作ったもので、イラスト部の活動が、こういった行事関係では重要な役割を果たしているらしい。とは言っても、ここ以外ではコンクールぐらいしかないらしいけど。そもそも、イラスト部と美術部はなにが違うわけ?平牧にその質問をぶつけてみると、

「イラスト部の方が、コミカルな絵が多いんです。全国にあるイラスト部全部が、そうなのかどうかまでは知りませんけど。」

 と言った。つまり、イラスト部は漫画的な絵を描く方が多いということになると考えていいんだと思う。で、その表紙を捲って文章を読む。今回の校外学習の目的は、自然に触れて感受性を高め、自然の中での一泊二日でクラス内における友情関係並びに、信頼関係をより一層深めて、自主性を高めて自然の大切さを知り学ぶ、となっている。考えたのは学級委員長のあの女子だった。真意を確かめると、

「こういうのは、決まり文句と純粋性なの。」

 と言われた。確かに、お決まりの言葉で当たり前すぎるけど、ここに純粋性を感じるかと言われると、正直、どっちとも言いがたい。

 キャンプ場自体はかなり広い。歴史も古く、俺が子供の頃から存在しているのを、俺の頭が薄ぼんやりと覚えている。小さい頃、智達と一緒に行った写真もあったけど、逆算上それは幼稚園の頃だった。記憶の片隅を捜しても、俺はなにも思い出せない。

 けれど、それは時が経って勝手に忘れたもの。平牧は違う。事故で記憶を失ってから、平牧は、ついさっき俺が感じた『思い出せない』を、ずっと続けている。絵を描いているのも、その時は、自分の記憶を思い出しそうになるからかも知れない。記憶の部分はデリケートで、俺と平牧の現在の関係では聞くのは躊躇うことだった。それに、平牧だって、やっぱり話すのは辛いというか・・・そんな気がする。まだ、俺が踏み込んじゃいけない気がする。でも、いつか見ることにはなるんだろう。平牧と話していると、そんな感じの話に踏み込んでしまうってこと。その時は、俺なりのフォローをしてやろうと思う。

「考え事ですか?藤越君。」

 隣の席の奴が俺を呼んだ。次山真(つぎやままこと)・・・卓球部に所属するチビ助。アニメに出てくる老婦人がかけているような・・・いわゆる、鼻の上にちょこんと乗っている小さな眼鏡が特徴的な男子生徒。あ、藤越っていうのは俺の名字。『フジコシ』って読む。

「ま、ちょっとね。」

 次山に話すことじゃない。俺は窓の外を向いた。

「そうですか。ちょっと、意外だな。」

「え?」

「藤越君って、後先考えずに行動している感じがしたから。」

「・・・俺のどんな言動を見てそう感じたのか、聞きたいね?」

「普段からです。あ、気に障りましたか?」

「気にしなくていいよ。」

「よかった。それにしても、今回の校外学習は楽しみな反面、不安もありますよね。」

 不安?

「あんたも、緑山と一緒なわけ?」

「え?緑山さんがどうかしたんですか?」

「出発前に、あいつが言っていたんだけど・・・この校外学習の間に、敵が攻め込んでくる可能性はゼロじゃないって。あんたも、それが言いたいわけ?」

「そうですか。緑山さんがそんなことを・・・確かに、その可能性はゼロじゃないと思います。あの事件以来、敵に目立った行動は見受けられません。けれど、確かにこの機会を狙う可能性は十二分にあります。警戒は必要でしょう。けれど、僕の不安はそこだけじゃありません。」

「他にもあるの、次山?」

 俺としては、之以上の不安要素を頭にため込みたくないんだけど・・・

「えぇ。今回行くキャンプ場について、予め調べておいたんです。その結果、僕らのベースとなる場所に、奇妙なデータが残っているんです。」

「奇妙なデータ?」

 俺、さっきから疑問系のセリフばっかなんだけど。

「それは、UFOの目撃例です。それも、ここ数年は頻繁に。もっとも、時期が違うんですけど。」

「時期?」

「そう、時期です。目撃されているのは、いずれも冬場。それも、現場の気温がマイナス五度以下の時に限られているんです。それ以外での目撃例はなし。この時期では、見ることは出来ないというわけです。」

 なるほど、別に見たくもないけどね。それにしても・・・

「次山って、オカルトの趣味があったんだ。それは少し意外。」

「あ、いえ、僕が詳しいわけじゃないんです。同じクラブでB組の友達がいるんですけど、彼がとても詳しいんです。」

 へぇ~、誰にでも詳しいことはあるもんだね。

「あ、ちょっと聞いてもいい?」

「はい、なんでしょう?」

「次山は、どんな力が使えるわけ?」

「え?ぼ、僕の力ですか?そうですね・・・掻い摘んで説明すると、僕の力は魔法です。それ以外、あまり説明できる言葉がないんですけど・・・」

 次山は困った顔をして下を向いた。

「いいよ、別に。実物を見れば納得すると思うし。だけど、今回敵が攻め込んできても、平牧の前じゃ出せないような力じゃない?」

「えぇ、それは確実です。念のため、必要な道具は身に着けてはいますけど。」

「身に着けている?どこに?まさかその眼鏡?」

 装身具なんてたいそうな言葉が付きそうなのは、次山の全身を見ても眼鏡くらいしかない。それとも、服を脱いだら魔法陣とか書かいてあるのか?

「あ、これじゃないです。こっちのベルトです。」

 そう言って、次山は服を少し上げて、俺にベルトを見せてくれた。茶色い革製の、どこにでもあるようなベルトだ。

「普通のベルトにしか見えないけど?」

「このベルトは、僕の力を送り込んで、初めて効力を発揮する武器になります。今は、誰がどう見てもただのベルトですよ。後は呪文とかですね。幸い、大抵の呪文は覚えちゃいましたから、魔術書はいらないんですけどね。」

「そんな物まであるんだ?」

「魔法使いですから。」

 あ、そ・・・


 一時間後。バスはキャンプ場に到着した。だだっ広いキャンプ場。その中で、クラス毎のベースは一定の距離を置いて設置されている。その中、俺達E組は一番上流に近い所になっている。当然、そこまでテントやらなんやらを運ばないといけない。

 ところが、バスはどういうわけかそこまで行けないらしい。よって、キャンプ場の入り口からそこまで、それなりの道程を数多の道具と共にハイキングというわけになる。俺と平牧は、学級委員としてクラスを先導する役目を任されているから、荷物持ちの労働は免除された。テントに関しては、

「本当に、申し訳ありません。」

 と、鳳凰が頭を下げていることからも分かるように、男子が一人一個ずつ分担している。というより、荷物持ちは俺以外の男子ほぼ全員によって賄われている。俺以外でその労働に従事していないのは、

「もう少し、上流みたいですね。」

 横で俺や平牧と一緒に地図を眺めている次山だけだった。なんで免除されたかといえば、実に単純な話だけど、ジャンケンに勝ったからということになる。もっとも、見た感じ非力なんだけど。

 歩くこと三十分ほど。ようやくベースに着いた俺達は、早速テントの設置を始めた。義政や鳳凰が指導する中、それぞれの班毎にテントを設置していく。俺の班には、伊吹・次山・義政の他にもう一人。日高庄三郎(ひだかしょうざぶろう)・・・剣道部に所属する、ちょっと小生意気なチビ助。どういうわけか、この班には背の小さい人間しかいない。完全に仕組まれたような気がしなくもない。

「おい、義政。」

 日高が義政を呼ぶ。

「どうした?」

「こんなもんでいいか、テント?」

「おう、バッチリだ。終わったら、女子の手伝いに行ってやってくれ。ち~っと、辛そうだからな。」

 というわけで、俺達は高村の所へ手伝いに向かった。

「ごめんな、衆君。手伝わせてしもて。」

「いや、別にいいよ、気にしなくて。女子だけじゃ、テント一個建てんのも大変だろうし。特に高村の班は、非力な奴が多そうだしね。」

「ホンマにゴメンな。」

 高村はひとしきり頭を下げた後、ずっと俺の作業を見ていた。ねぇ・・・

「なん?」

「ジッと見られると、ちょっとやりにくいんだけど・・・あんまり、慣れていないから、俺も。」

「あ、うん。ほな、頑張ってな。」

 そう言い残し、高村の足音が徐々に遠ざかっていく。視線を移すと、高村は智の所に向かっていた。智は智で、歩の班のテント作りを手伝っている。結果論から言うと、全部のテントは男子が建ててしまった。


「それじゃ、行ってきま~す!」

「はいはい、行ってらっしゃい。」

 さて、現在の状況を説明しよう。テント作りに精を出していた男子陣。本来へばっている場合じゃないんだけど、困った事に、テント作りというのはどうにも体力のいる仕事だった。そのせいか、全部のテントが立つ頃には、男子全体の体力が半分ほどに減っていた。とは言ってもこれから昼食。そのための食材やら薪やらを集めに行かないといけない。重い足を引きずって行くことは吝かじゃない。吝かじゃないけど・・・

「そこまで頑張らせては、申し訳がありませんわ。」

 という鳳凰の主張で、食材と薪は女子が取りに行く事になった。そして今し方、元気に手を振って山へと向かう歩達を、俺達が見送ったところだ。

「ところで衆。これからどうするんだ?」

 日高が尋ねてくる。

「どうって?」

「食材と薪を女子が集めに行った。そして、戻ってきたら調理も女子がするという話だ。じゃあ俺達は、ここでずっと座ってりゃいいのか?」

「あ~・・・それは男として少々不甲斐無いね。じゃあ俺達は、女子が戻ってきたらすぐに料理が始められるように、鍋と調理道具を洗って、即席の炊事場でも作ろう。それぐらいの体力、あるよね、日高?」

「あぁ、もちろんだ。」

 というわけで、二手に分かれて開始した。俺は、炊事場を作る方に回った。

「とりあえず、手ごろな大きさの石を集めよう。」

 義政の指示で、俺達は河原から大きな石を集める。上流の方というのが幸いして、あたりにはちょうどいい大きさの石が転がっていて、即席の鍋置き場はすぐに作れた。洗った鍋を置いてみると、

「微妙に傾くね。」

 と伊吹が言うように、ちょっと傾いた。その傾きを修正するために石の配置をコロコロと変えて、ようやくピッタリ来る鍋置き場が作れた。それなりの時間を掛けたはずの労働だったのに、どういうわけか女子はまだ帰ってこない。それどころか、気がつけば先生もいなかった。どうせ、女子にくっ付いて森の中なんだろうけど。

「衆、包丁とかの準備もいいぞ。」

 恭一が後ろから声を掛ける。了解。そんじゃ、さすがにする事も無くなったし、気長に女子の帰りを待とうか・・・


 女子が帰ってきたのはそれから数分後だった。各々、草やらキノコやらを大量に持っていた。

「歩、食えるの採って来たよね、もちろん?」

 歩の事だから、一応確認しておかないとね。

「大丈夫。図鑑で確認しながら採ったから。これで、今日の分は大丈夫だよ。明日の朝の分は、お昼ご飯食べてから採りに行こうって思うんだけど。」

「それでいいんじゃない?じゃ、器具の準備は整っているから、料理は任せた。」

「うん、任せて!」

 こうして、昼食の準備が始まった。女子が鍋で煮込んだり野菜を切ったりしている間、俺達男子は皿を用意したり水を汲んだりしていた。

「頑張って~、みんな~。」

 いや、先生も手伝ってよ・・・


 先生が傍観している間に、俺達の頑張りによってどうにか昼食は様になった。メニューを簡単に説明すると、山菜の煮込み汁にキノコの焼き物という、シンプルかつヘルシーなメニューだった。あまりのヘルシーさに肉を求めたくなったくらいだ。

「おいしいですわね、藤越さん。」

 横から、鳳凰が話し掛けてきた。

「そだね。」

 なんともそっけない返事だと自分でも思うけど、腹が減ってそれどころじゃないから、少し勘弁してほしい。

「この辺りの地質がいいんでしょう。山菜の味が深い。」

「味だけで分かるものなの、次山?」

「それなりのことは、分かりますよ。修行で山にこもった時がありましたから。自然を相手にする魔法を教わる時は、必ずそうしているんです。」

「ていうか、魔法って自然を相手にするものなんじゃないの?」

「それだけじゃありません。人を相手にするものもあるんです。」

「ふ~ん・・・あ、魔法っていえばさ、杉山も使えるらしいけど?」

 まぁ、魔法の分類に入るのか知らないけど。事実、杉山はその能力を見せてくれた時、魔法という言葉は使わなかった。

「あぁ、異世界のモンスター・・・っと、そう呼ぶとローサさんに怒られますね、杉山君。」

「だな。」

 横で杉山が苦笑した。ローサ・・・ローサ・・・

「あぁ、あんたが呼び出した、あの生意気な人?」

「生意気って・・・まぁ、否定もしにくいけどな。」

「藤越君。杉山君が使っているのは、確かに『魔法』の一種です。だけど、僕は使えません。」

 あぁ、魔法の一種ではあるのか。

「使えない?同じ魔法なんでしょ?」

「確かに、枠で括るとすれば、僕の能力も杉山君の能力も『魔法』です。でも、僕と彼の『魔法』では・・・遺伝子レベルでの違い、言うなれば、似て非なるものなんです。そうですね・・・・もっと分かりやすく言えば、竜堂さんが言っていたように、流派が違うんです、僕と彼では。」

 流派の違い・・・あぁ、そういえばあの日、竜堂もそんなこと言っていたような・・・・

「流派の違う技を習得する事は、武術のレベルならそう難しいことじゃないかも知れません。ですが、僕らのような能力はそうもいかない。遺伝的に、その流派の技しか受け付けなくなっているんです。」

「不便じゃない?」

「そうでもありません。僕の魔法でも、杉山君と近い事は出来ます。杉山君の場合は、異世界との連絡路を作り出し、そこを通じて、彼と契約を結んだ者を召喚する。それに対し、僕は、今この場にいる人間に能力を与えます。時間制限付ですけどね。」

「その場にいる人間に能力を与える?」

「えぇ。契約を結んだ人間の、ありとあらゆるデータを分析し、もっとも効果的な能力を、僕の力によって一時的に発動。それが、僕が最も得意とする魔法です。」

 なるほど・・・

「じゃあ、その契約は、もう誰かと結んでいるわけ?」

「えぇ。既に、クラス全員。もちろん、平牧さんを除いてですけど。」

「え?じゃあ、俺も?そんな覚えないんだけど・・・」

「大丈夫。藤越君とも、ちゃんと契約済みです。」

「そう・・・」

 本気で覚えがない・・・まぁ、次山がそう言うんならそうなんだろうけど・・・

「だけど、なんだって俺にそんなことを?」

「・・・君の意志を尊重したまでです。」

「え・・・?」

「本村君達から話を聞いた時、藤越君は、自分には力がないって、そう言ったと聞いたんです。だから、勝手ながら契約を結びました。君が望む『力』なのかどうかは分かりませんけど・・・すみません、勝手な事しちゃって・・・」

 次山は、そう言ってぺこりと頭を下げる。

「いや・・・謝らなくていいよ・・・どういう形であれ経緯であれ、俺は、少なくとも何かしらの『力』を手に入れた。それで充分さ。期待してるよ、俺の力。」

「はい、その時はぜひ。」

 そう言って次山は笑った。魔法によって備わった俺の力。得体の知れないものではある。だけど、ないよりはマシだ。これで俺も、こんな事にしてしまった原因の張本人として、みんなと、平牧を助ける事が出来る。俺は、黙って拳を強く握った。


 さて、いざ昼飯を食べ終えると暇なものだね。もっとも、ここは大自然の中。暇つぶしの方法なんていくらでもある。例えば、

「キャハハ、冷た~い!」

 歩のように川で走り回ってもいいし・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 次山のように無言で本を読んでもいいし・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 これまた無言で、高村達のように写生に励んだって構いやしない。そ、これがいわゆる余暇の自由ってやつ。だから俺みたいに、のんびり空を眺めていてもいいわけだ。

「気持ちいいよな、空を眺めるの・・・」

 俺の横で、義政がそう呟いた。大の男・・・同年代から比べればお子様のような小ささだけどそれはもうどうでもいい・・・が、平日に空を眺めてボケーッとしている。思えば、今の俺達は相当優遇されている生活だろう。全てがそうだというわけじゃないけど、学校で嫌いな授業が続く曜日にダルダルで登校して授業に身が入らないより、肉体労働付きとはいえ自然の中でリラックスできる今日は幸せだ。

「ところで、緑山は?」

 思えば、二人がこういったタイミングで一緒にいないのも珍しい。

「安奈なら、どっかで昼寝でもしてんじゃねーか?」

「昼寝か・・・俺もしたいけど、ここで寝るとなんだか勿体ない気がする。」

「おいらもそう思う。」

「だったら、体を動かすか?」

 後ろから声がした。振り返って見ると、そこには日高が立っていた。

「なんか用?一緒に、日向ぼっこでもしに来たの?」

「んなわけねーだろ。それより、近松が呼んで来いとよ、お前達を。」

「おいら達を?」

「あぁ。なんでも、面白い遊びを思いついたらしい。」

 面白い遊びね。OK、やってやろうじゃん。


 というわけで、近松の待つ場所へと向かった俺達三人。着くなり近松は、

「遅い!」

 と一喝した。のんびり歩いてきたから否定はしないけど。

「それで?面白い遊びってなんなんよ?」

「これ見て分からない?」

 と言う近松の右手には、どこから持ってきたのかボールがある。バレーボールほどの大きさ。そして、現在近松がいるのは川の真ん中・・・

「こんな浅い川で、水球でもする気?」

「近いけど外れよ、衆。これから行うのは、ドッチボールインリバーよ!」

 近松は高らかに宣言した。どうやら、川でドッチボールをやるつもりらしい。って・・・・・

「陸でやればいいじゃん。」

「陸は石が転がってて危ないでしょうが。」

「おいおい、川にだって転がっているだろが。」

 横から恭一が反論した。すると近松は、

「水中の石は川の流れで角が取れているから平気よ。」

 と反論した。いやまぁ・・・それはそうだけど。

「もち、負けたチームは罰ゲーム!さぁ、とっとと始めるわよ!」

 こうなると、近松は止められない。それが分かっていた俺達は、全員が川に入っていった。

 チーム分けは、これまた近松の勝手な都合で男子と女子になった。戦力的問題はどうか危惧しないでほしい。なにせ、実質的には男子が不利となりかねないからだ。その理由として、女子はサイド攻撃、つまり横の外野の設置他、先生二人が向こうに加わるという人数的不利・・・そうでなくても、女子の方が多いのに・・・その二つに加え、平牧以外が全て特殊能力者であることを忘れないでほしい。戦力差なんて、ハッキリ言って塵ほどにも存在しない。だから平牧、そんなにうろたえないように。

 さて、というわけで、まずは各チーム五分の作戦タイム。今回、チームの敗北が決する条件は二つ。一つは無論全滅。もう一つは親玉の撃破だった。親玉が撃破されてしまった場合、無条件で負けとなる。ただし、一回勝負で勝敗を決めるのもなんだからという理由で、三回勝負という事になった。時間制限がないため、全滅よりも親玉を狙う作戦の方が遥かに効果的だ。男子の意見は大方それでまとまっていた。問題は・・・

「誰がリーダーをするかだ。」

 そう、智の言う通り、それが問題だった。ルールによると、相手のリーダーが誰なのかは、どういうわけかシークレット。知っているのは、双方のリーダーだけであり、口で教えることは許されない。つまり、それ以外のメンバーは全員、相手のリーダーが誰か分からないまま攻撃を開始する事になる。それはまずい。ハッキリ言って場当たりすぎる。こちら側のリーダーが、それとなく相手のリーダーを知らせる格好を取ってくれないと困る。

「やっぱりここは、智でいいんじゃない?」

 俺は智を推薦した。ま、俺じゃなきゃ誰でもいいんだけどね、実際問題。

「いや、俺は遠慮しておく。」

 ところが、智が俺の頼みを断った。

「ありゃ?どうしたわけ?」

「いや・・・俺がリーダーになるってことは、女子の方でも大方予想してくることだろうしな。」

「じゃあ、代わりに誰が行くんよ?」

 義政がそう言うと、

「いや、裏をかいて智ってのもアリかも知んないぜ。」

 入沢がそう言った。でも間髪入れず、

「その程度の裏が通用するような奴らか?」

 日高の反論が飛んだ。

「向こうには高村がいる。俺達がその程度の裏をかくことぐらい、高村なら予想してくる。そして高村はまた予想する。こっち側の誰か一人は、その事に勘付いて、智以外の誰かをリーダーにする。すると、高村はそのリーダーを予想する。問題は、高村が誰をリーダーと想定してくるかだ。」

 そこまでくると、完全に読み合いだ。あの高村相手に読み合いか・・・やりたくない。

「んじゃ、めんどくせーから、智に決めてもらおうぜ。」

 杉山の提案に、皆が一様に頷き、智もアッサリと答えた。同時に、

「作戦タイム終了!」

 近松の声が聞こえてきた。どうやら、リーダーは決定らしい・・・・・・・俺に。


 川の真ん中。対峙する男子と女子。これより、第一回一年E組リバードッチボール男子対女子の戦いが始まる。困った事に、男子のリーダーは俺だ。まったく・・・なんだって智は俺に投票したんだろうか。俺じゃなくても良かったような気がする。理由を聞く間もなく試合が始まろうとしているので、理由は後で聞くとしよう。

 さて、問題は向こう側のリーダーだ。結論から言うと、女子のリーダーは鳳凰だった。だけど、そのリーダーは現在、俺達の後ろに立っているんだよね~。ドッチボールのルール上、最初に外野が配置されているのは知っていると思う。そんでもって、鳳凰はその外野の位置にいる。残りの二人は、平牧と犬飼だ。もっとも、平牧と犬飼はサイドに散っているんだけど・・・

 俺達の外野は、一人は恭一。ジャンケンで負けた結果。もう一人の奴の名前は、正倉等(ただくらひとし)・・・野球部所属のピッチャー。同じ中学だった次山の話によると、当時からエースを張っていたという剛球右腕らしい。そして、クラスに散る忍者流派の一つである『砂』の流派の忍者らしい。実家は、町じゃ有名なパン屋で、俺も何度かお使いを頼まれた。もち、姉ちゃんにだけど・・・なので、俺とあいつはどっかで顔を合わせたことがあるに違いない。あまり話した事はないけど。背が高くて中肉、ほぼ黒の茶髪にカチューシャ。

 とまぁ、現状そのような状態。リーダーを撃破して勝利を得るためには、まずは鳳凰を内野に戻す必要がある。そのためには、最高で三人、内野にいる奴を外野に出せばいい。相手だって、鳳凰をなるべく後に戻させようとするに違いないからだ。

 そんな感じで試合は始まった。先攻は男子から。どうやら、今日の俺はジャンケン運だけは強いらしい。ジャンケンで勝ったチームの外野から試合はスタートする。ボールを持っているのは正倉だ。女子がなんとなく身構えているのが分かる。そりゃそうだ。次山情報によると、現時点で、正倉の投げるストレートのMAXは百四十を超える。おまけに体重を乗せて重い球を投げ込んでくるらしい。俺達男子にとっても殺人球だ。まぁ、女子相手のドッチボールでそこまで本気になるとも・・・いや、その発言は撤回。正倉は、よりにもよって振りかぶっていた。体を伸ばして片足を上げ、ゆっくりと捻りながら・・・あれは、トルネード投法って奴じゃないの?あの体格であのフォーム。そりゃ体重も乗る・・・って、

「超本気じゃん・・・」

 そう呟くしかなかった。女子相手に本気球を投げ込もうという気らしい。男子のみんな、死ぬ覚悟をした方がいいかもね。

「いっくぞーい!」

 そう叫んだと同時に、正倉は捻りを乗せてボールを投げ込んだ。一目で分かる。ドッチボールで投げていいスピードじゃない。誰も捕れないに決まっている。実際、女子だってみんなが避けまくって・・・

『ズゴン!』

 とか思っている内に、ドッチをしている時にはまず聞けないような音が響いた。

「あ~・・・・誰も死んでないよね?」

「死ぬなんてレベルじゃないぜ、衆。」

 杉山がそう言った。驚愕の表情の中に、少しだけ笑みが残っている。

「じゃあどういうレベル?」

「ああいうレベル。」

 俺は、杉山が示した方向を注視してみた。そこには、一人の女子が立っている。一瞬誰か分かんなかったけど、

「楽勝やで!等!」

 ビッグボイスの関西弁で誰かハッキリ分かった。国風一葉(くにかぜかずは)・・・ソフトボール部所属の、関西三人娘の姉御肌的存在の女子だ。明るい色のロングヘアーが印象的な、天真爛漫より明朗活発の方が似合っている感じの行動力の持ち主だ。背も女子の中では高い方。もち、俺の目線は見上げる状態になる・・・本気で次から外していい?この説明だけ・・・

 同じ中学だった歩の話によると、当時から、強肩強打俊足巧打、クリーンアップもリードオフマンもチャンスメーカーも、もちろんムードメーカーもこなせる万能プレーヤーであり、そのキャッチャーとしての存在感は絶大で、既に頭角を現し始めているらしい。確かに、存在感だけならクラスでも相当な物を誇っている。寝ていようが起きていようがね。そして現在、国風はなんとも信じられない事に、正倉の投げた殺人球を、事もあろうに両腕でがっしりキャッチしていた・・・いやいや、いくら万能でもあれを捕るって・・・

「お、やっぱり捕っちまうか、国風は。俺も、最初はどうかなって思ったんじゃけど・・・」

「これくらい楽勝やで。それに、あんたまだ本気やあらへんやろうし。」

 あれで本気じゃないって・・・どんなスピードなの?本気は。

 と、俺がそんなことを気に掛けていられたのもものの数秒だった。それ以降、とにかくドッチボールはすごい事になっていた。

 特に問題なのは、川の中という事もあってとにかく滑る事だ。そりゃもうツルンとね。お陰で足に体重が掛けにくい。片足なんて至難の業の領域だ。なのに・・・野球部組とソフトボール部組は、堂々と片足で投げ込んでくる。お陰でスピードが速い。

 だけど、滑って困るのは投げる時だけじゃないのは当然だ。そう、回避行動の時だ。へたに身動きできないんだけど・・・おかしい・・・平牧に悟られないようにと言っていた筈の緑山を筆頭に、各々身体能力を駆使して避けすぎだ。歩は、智の説明曰く酔拳だかカンフーだかでよけているらしい。確かに、変な動きはしている。でも・・・酔拳だったら酒を飲まなきゃいけないんじゃ・・・

 とにかく、実際に歩は避けている。縦横無尽に走り回って避けている。どう考えても、水の上を走る人間のスピードじゃない。水面と靴履きで走るコンクリートの違いが寸分も分からないほどの動きだ。歩の身体能力の高さは、正直、俺がアメリカに行く前と今では全然違っていた。あまりにも進化しすぎている。歩だけ、足の裏に魚みたいに鰭とかあるんじゃないだろうか。あるいは・・・スクリューみたいな、水中用のエンジンが。

 もっとも、そんな動きをしているのは歩だけじゃない。いい例が緑山だ。あいつがダンス部である事は知っている。知っているけど・・・そう器用にボールをブレイクダンスで避けるなって言いたい。あんたでしょうが、危険性を示唆した張本人は。

 とまぁ、そんなことがありながら行われた水上ドッチボールは、

「きゃ!」

「あ、あ、す、すみません、鳳凰さん。」

 次山の殊勲打・・・いや、投げたから殊勲投だね・・・で、一回戦は俺達の勝利。そして、俺が男子側のリーダーだった事を教えると、

「えぇ!?衆君だったの~!?」

 と、歩が不思議がっていた。ちょっと複雑だね、そこまで驚かれると。

「誰って予想だったわけ?」

「やっぱり、お兄ちゃんかなって。」

 やっぱり、智か・・・

「そっちがそう思ってくると踏んだ日高の判断、正しかったじゃん。」

「いや、ただのラッキーかも知れん。あるいは高村が、意表をついて真っ向勝負を挑んだか、そのどちらかだろう。」

 と、あくまで日高は冷静だった。


 さて、というわけで二回戦開始前の作戦タイム。

「どうする、日高?」

「普通なら、リーダーは変更だ。裏をかいて同じでもいいが。高村が、二回連続でお前がリーダーになるって、踏んでこなきゃな。」

「女子側は、またさっきと同じ戦法を取るんじゃないかな?キャプテンを予め、外野に配置する作戦。正直、それでけっこう苦労したしね。」

「あぁ、女子がけっこう避けてくれちゃうもんだからね。こっちはこっちで、誰もが変に遠慮していたみたいだし。特に次山とか。」

「あ、すみません・・・なんだか、緊張しちゃって。」

 緊張って・・・

「なに緊張するの?」

「いえ、その・・・どうしても、変に躊躇ってしまうんです・・・ダメですよね、それじゃ。」

「いや、次山の気持ちは分からんでもない。」

 次山の意見に、義政がそう言って賛同する。

「おいらも、なんだか変に遠慮しちまうんよ。安奈には特にな・・・」

「それは、義政が緑山を怖がっているだけなんじゃないの?勝負なんだから、あんまりそういう事を気にしない方が・・・」

「衆、おいらにそれは無理だ・・・」

「なんで?緑山が好きだから?」

「いや・・・当てた後、家に帰ってからの仕返しが怖いだけだ・・・」

 そう言った義政の表情は、本気でそれに怯えていた。なるほど、そういう事なら仕方ない。

「ところで、誰をリーダーにする、今回?」

「ここは、さっきのヒーローである次山に任せてみるか?」

 恭一がそう言うと、その場の空気は次山で決まりそうになっていた。

「え、ぼ、僕ですか?」

 当の次山は困っていた。しかしそこに、

「それでいいんじゃないか?まさかあいつらが、そんな単純な理由でリーダーを決めるなんて、考えてもいないだろうし・・・」

 智が追い討ちをかけた。こうして場の空気は決定され、俺は最後に、

「じゃ、後は宜しく。」

 リーダーの役目を引き渡した。次山は、

「そ、そんな~・・・・」

 川西さんに取り付かれた時の伊吹のように困っていた。


 さて、そんなこんなで、いよいよ第二回戦の開始・・・の筈なんだけど・・・

「ちょっと待った!」

 という歩のひと言で、俺達男子は停止せざるを得なかった。

「なに?」

「ちょっと、気合を入れるための儀式があるから待って。」

 まぁ、少しは待つけど・・・

「あんまり長引かせないでよ。どうせ、高々円陣を組むだけだろうし。」

「ところがどっこい、ちょっと違うんだよ。ちょっと、後ろを向いていてくれない?」

「え?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで?」

「いいからとっとと後ろを向け!」

『はい・・・』

 近松に叫ばれた俺達は、しぶしぶ後ろを向いた。その時、次山はハンドシグナルでリーダーを教えていた・・・いや、ごめん・・・俺には理解できない。すると、横から智がこう耳打ちした。

「平牧だよ。」

「サンキュ・・・」

 なんだって、平牧なんだ?いやまぁ、内野にいてくれれば当てやすい事この上ない事はないけど・・・なんだろう、とてつもなく狙って当てにくい。ボーっとしている分、どうにもその小さい顔面に当てそうで・・・平牧の顔面にボールを当てようものなら、次の試合で女子から総攻撃にあいそうな予感だ。と、俺がそんな不安を抱えているのに・・・なぜだろう、女子からは楽しそうな声が聞こえてくる。時々、歩が『かわい~』と絶叫しているのも聞こえるんだけど・・・ていうか、可愛い?あの、気合を入れるための儀式で可愛いとはこれいかに?

と、俺が疑問を感じた瞬間だった。

「もういいわよ!」

 豊綱先生がそう叫んだので、俺達は一斉に後ろを向いて、

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 男子全員、絶句の嵐だった。その理由はただ一つ。女子が、よりにもよって、全員水着姿だった・・・っておいおい!

「なんでこう都合よく、みんながみんな水着なんか着込んでいるわけ?」

「持ってきちゃいけないとでも、書いてあったのかしら?」

 そう言って、不敵に近松が笑う。そりゃまぁ・・・書いてないけど・・・

「じゃあ、なんでみんな着込んでいるわけ?」

「決まってんじゃない。この遊びのために、この戦いに勝利するために!予め女子のみんなで、今回の計画を練り合わせただけの事よ。」

 どうよと言わんばかりに、近松が俺達を見下していた。勝利って・・・

「負けたところで、大した事ない罰ゲームが待っているだけでしょ?なんだってそんなに本気になって・・・」

「あれ・・・?」

 恭一が何かに気付いたみたいだ。

「どうしたの?」

「そういや・・・瑠璃、罰ゲームの内容を聞いた覚えがないんだが・・・」

「そりゃそうでしょ。言ったら面白くないじゃない。」

「言わなきゃ言わないで、後で何かと面倒だろうが。それに、罰ゲームの発案者がお前だと、自分が勝った時と負けた時で、その内容の改ざんすらしかねん。」

 あぁ、確かに近松ならありえる事態だね。

「というわけで、罰ゲームの内容を教えてくれ。このままじゃ、全てを知って本気のお前達と、なにも知らないで本気の俺達で差が生じる。そんなのフェアじゃないだろ?」

「・・・・・・・・・・・」

 近松は、しばらく恭一を睨みながら悩んでいた。そして後ろを向いて、

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何やら相談し始めた。それにしても・・・女子の水着姿というのは、この歳になるとレジャー以外ではあまりお目にかかれない。ウチの学校は、体育の授業で男女別々に水泳しているから、女子の水着姿なんて、普通は見られない。覗き魔防止のためにネットが張ってあるくらいだ。いや、ネットぐらいは普通かも知れない。しかし、その上に有刺鉄線を張り巡らせる意味はなんだろうか?いくらなんでも、そこまでしてプールに忍び込みたい人もそうはいないと思うんだけどね・・・

 また、今回はレジャーという事もあってか、女子の水着はいわゆる自分のってやつだ。学校指定の物じゃない。特に、ここ最近の日本における水着ファッションは、どうにもビキニの方に分があるらしい。そのせいか、歩のフリル付きホワイトワンピースが妙に目立っている。

「智、実の妹に見惚れるなよ。」

 冗談でそんな釘を刺してみた。すると智は、

「見惚れる前に、妙にこっ恥ずかしくって見れねーよ。」

 と言った。よく見れば、智に限らず、半分ほどの男子が目を逸らしているというか、どことなく顔が紅い。さてそうなると・・・直視が普通に出来る俺は、やらしいのかな・・・

「しょうがないわ。そこまで知りたいのなら教えてあげる。」

 どうやら相談が纏まったらしく、近松は罰ゲームの内容を高らかに宣言した。

「負けたチームの人全員が、キャンプファイヤーで好きな人を暴露!」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 訪れたのは静寂だった。なんか・・・レベル的に子供っぽ過ぎない?負けたら好きな人を教える・・・そんな罰ゲームを吹っかけられても、俺は、内心ではこう思っていた。好きな人はいないからうろたえる必要はないし、こっちが勝てば罰ゲームは向こうのものだ。勝てばなにも問題はない。事実、既に俺達は先勝している。次山のハンドシグナルによって、平牧が向こうのキャプテンだという事は分かっている。なら・・・

「平牧に当てて、ジ・エンドといこうじゃん、次山?」

「話は、そんなに簡単なことではありません。」

 次山は妙に表情が暗かった。いや、次山だけじゃない。男子のほとんどがそうだった。

「どうしたってのさ?」

「確かに、向こうのキャプテンは平牧さんです。だから、平牧さんに当てれば、この試合も勝って二戦先勝。罰ゲームは向こうのものとなる。ある意味、万事解決したように見えます。ですが同時に、僕らにとってもダメージを与えるものとなります。」

「ダメージ?」

「呼ばれなかったら、どうしますか?仮に、僕の好きな人が僕以外の名前を出したら、その時、僕の恋は終わりを告げたも同然です。それが、怖くはありませんか?」

 次山・・・

「・・・もっとも、藤越君は、そうでもなさそうですね。芯が強そうですから。でも、僕はダメかも知れません。あまり、過去を引きずるのは好きじゃないんですが・・・綺麗事ですよね、そういうの・・・・人間は、過去を引きずらなければいけませんから。」

 これまた、ずいぶんと意味深なことを言ってくれる。

「過去を引きずることは義務なわけ?」

「いえ、そうじゃないんです・・・でも、人間は、そう宿命付けられているんじゃないかって、そう思うんです・・・僕だけでしょうか?やっぱり・・・」

「さぁ、どうだろうね。少なくとも、俺は多少賛同する。過去を引きずらないでポジティブに生きられるほど、誰も強くないってこと。それより今は、試合に集中した方がいいんじゃない?あんたはキャプテンなんだし。」

「・・・ですね。」

 次山は笑っていた。そんな、過去なんか感じさせないほどに・・・


 さて、結論から言ってしまおう。第一回にしておそらく最後であろうリバードッチボールは、女子の色仕掛け作戦その他もなんのそので、俺達男子が勝利した。とりあえず、罰ゲームを回避できたので喜ぶべきなんだろうけど・・・どうにも素直に喜べない。なにせ、さっき次山が言っていた、『女子に名前を呼ばれなかったらどうしよう』の雰囲気があったからだ。しかも、負けた女子にしてみれば、事実上公衆の面前で告白するにほぼ等しい行為。当の罰ゲームの考案者である近松も、

「恭一・・・今回だけ、前言撤回・・・していいかな?」

 と、ものすごく不安そうに頼んできた。恭一は、どっちでも良さそうな顔をしていたけど、やがてゆっくりと笑って、

「瑠璃の考え付いた罰ゲームなんか、のっけから本気にしてないってーの。」

 と言った。瞬間、近松は本気で安心したように、

「ありがと・・・」

 と言って笑っていた。結果、負けた女子の方に罰ゲームは加算されない事になった。やっぱ、そうだよね。罰ゲームなんか設定したところで、あんまりいい事なんてありゃしない。

 さて、ドッチボール大会が終わった現在、俺達男子は山の中にいる。理由は、翌日の朝食用の食材及びキャンプファイヤー用の薪拾いだ。食材の選別は、伊吹や次山の指導の下で行われている。二人の知識によって食べられる物を選別していき、それをやれカゴやらなんやらに入れる。

「大猟だね、伊吹。」

「うん、今年は豊作だね。助かるよ。」

 俺達は二手に別れている。俺は食材調達側で、もう一グループは薪を集めている。キャンプファイヤーとなるとそれなりの量が必要だから、向こう側にやや人員が多く割かれている。

「よし、こんだけあれば充分だろ。」

 智が打ち切りを告げ、俺達は森から抜け出す事にした。コンパスを片手に持った一義を先頭にして、俺達は森の中を進む。木が密集し、日光が入ってこないせいか妙に涼しい。

「あ、日高。」

 途中、薪集めを担当していた奴らと合流した。

「藤越か。食材はどうだった?」

「ご覧の通り、」

 俺は、籠にゴッソリ入ったキノコや山菜を見せる。薪集め側の男子から、『おお~・・・』っと感嘆の言葉が漏れた。

「そっちは?」

「薪は集まった。キャンプファイヤーには充分だ。」

 準備万端整った俺達は、一緒になって森を抜ける・・・筈だったんだけど・・・・・・・・・

「あれ?おかしいな?」

 先頭を歩いている一義が声を上げた。見てみると、コンパスが全然機能していない。右へ左へと、針が激しく動いていた。

「コンパスが、どうやら狂ったみたいだ。妙だな・・・森に入る時にここを通った時には、こんなことにはならなかったのに・・・」

「なんでここから入ったって分かるわけ?ちょっとずれてっかも知んないじゃん。」

「あの木の根元にある石を目印にしておいたんだ。ここを通ったって事が分かるようにね。」

 そう言って、一義は木の根元にある、少し青みがかっている大岩を指した。なるほど、あの岩なら、よく目立ちそうだ。

「それにしても、なんでコンパスが急に・・・」

「おいおい。こんな森、コンパスが無くたって抜けられる筈だぜ?高々、キャンプ場の敷地内にある森だろ?」

 恭一がそう言った。

「俺もそう思う。コンパスなしでも、真っ直ぐ行けばベースの筈なんだし、楽勝じゃない?」

「うん、多分ね・・・」

 一義はどうにも心配そうだったけど、とりあえず、俺達はそこから真っ直ぐに歩いてみた。


 十分後・・・


「お~い・・・森が終わんねーぞ~。」

 恭一が文句を言った。そう、どういうわけか森は途切れなかった。

「あの・・・これって遭難?」

「そこまで重傷なレベルと思いたくもねぇ・・・」

 日高が愚痴る。言っといてなんだけど、俺も思いたくない。なんだって、なにを好き好んで、キャンプ場の森で遭難なんかしなくちゃなんないんだか・・・

「携帯は?」

 杉山の問いに、

「コンパスが狂うほどの磁気が発生している状態じゃ、んなもん役に立つかよ。海外で通じて森で通じないとは・・・」

 日高が会社側に愚痴をこぼしながら答えた。あぁ、まったくだね。森や海でも通じるように努力してほしいよ。

「まぁまぁ、みんな。もう少し気楽に行こうぜ。」

 正倉はこんな時でも明るい。マウンドでも、あんな感じなんだろうか?

「なんせ、まだ時間は三時前じゃ。晩飯には絶対間に合うって。」

 あ、まだ三時なんだ。なら、どんだけ迷ってもなんとかなるか・・・・・・「え、正倉?」

「なんじゃ?藤越。」

「その時計、止まっているんじゃない?俺の、もうすぐ四時を指しそうなんだけど。」

 俺は腕時計を見せてそう言った。朝合わせてきたから、この時間にあんまり狂いはない筈なんだけど。

「あっれ~?妙じゃな・・・俺の時計、確かにもうすぐ午後三時じゃよ。秒針も動いとるし。」

「おいおい、俺の時計はもう五時だぞ。」

 恭一が、横で腕時計を見ながらそんなことを言っていた。まさか・・・

「智は?」

「三時半だ・・・一義は?」

「僕のは二時半。杉山君は?」

「四時十分。」

「おいおい・・・・どうなってんの?時間が全部バラバラって・・・これも磁気の影響?」

「・・・いや、そんな簡単なもんじゃないかもな。」

 日高がそう呟いた。気が付くと、全員が足を止め、荷物も降ろしていた。

「まさか、敵?」

「かも知れん。コンパスが狂い、携帯が通じなくなり、時計も狂いだす・・・この短時間にこれほどの現象が連続して起こると、俺達の感覚じゃ敵とみなしたくなるさ。無論、自然の驚異であるかも知れない。いずれにせよ、警戒を強めた方がいいだろう。」

 日高はそう言うと、再び荷物を持って歩き出した。

 それから、俺達は日高を先頭に歩いている。にしても、実際の時間は何時なんだろう?少なくとも、日はまだ高い位置にある。夕方というには少々早い時間帯であることに間違いはない?

 いや、時間の感覚なんて正確にはない。なにせ、時計がまったく役に立たないからだ。俺が最初に時計を見た時、時間は午後四時前だった。それがどうだ?さっき見た時間は、午後四時半。そんなに歩いたかと思って時計を見ると、

「・・・・・・・・」

 絶句するしかなかったね。すぐにもう一度見た時計は、三時を指していた。そう、時計は全然機能しない。太陽は相変わらず横から照り付けてくる。木がなければ蒸し暑いことこの上なかったに違いない。それにしても、日高は方向を分かって歩いているんだろうか?

「日高。」

「なんだ?」

「道、合ってんだよね?」

「俺の記憶が確かならな。いいか。今が何時であれ、太陽の進んでいく方向は確実に一つだ。なら、今太陽のある方向はおおよそ南西、。そして俺の記憶では、俺達が森に入った時、太陽は俺達のほぼ後ろだった。時間は昼過ぎ。太陽の方向はほぼ南。となれば、俺達の進んだ方向は?」

「太陽を背にしたんなら・・・北じゃない?」

「その通り。なら、後は簡単だ。南に向かって歩けば、おおよそで俺達のベースに着く筈。例えずれたとしても、森さえ抜ければ携帯の電波も復活する筈だしな。なんとかなるだろ。」

 なるほど、日高のいう事も一理ある。だけど・・・

「言い換えれば、森を抜けられなきゃ終わりって事?」

「そうだ。まぁ、俺達が遅けりゃ女子が捜しに来るだろう。幸い、女子は一回この森に入っている。あいつらが抜け出せたんなら、俺達にだって抜けられる筈だ。」

「わっ!」

『ベシャッ!』

 瞬間、俺の後ろで大きな声と音がした。何事かと思って振り返ってみたら、地面に顔からダイブしている伊吹がいた。

「ダイジョウブ?」

「うん、なんとか・・・木の根っこにでも引っ掛かったのかな?」

 そう言って、伊吹が後ろを振り返った時だった。

「あれ?なんだろ?」

 伊吹が何やら見つけた。俺も視線を移すと、そこにはなにやら箱のような物が・・・怪しい、あからさまに怪しい・・・

「なんだろう・・・?」

 伊吹が持ち上げた箱は、そんなに大きい物じゃなかった。土色にしっかり染まっているから、ここに埋まってから相当の年月が経っていると思う。

「年季入ってんな~。」

 恭一が興味深げに箱を眺めている。

「開けてみる?」

「やってみるか。伊吹、貸してくれ。」

「うん。」

 伊吹から手渡されたそれを、恭一は力を込めて開けようとした。しかし・・・

「ちっ・・・ビクともしやがらねー。」

 箱は開く気配を見せなかった。

「鍵でも掛かってんじゃない?」

「いや、んなもんは・・・あ・・・」

 見てみると、横面に鍵穴があった。南京錠タイプじゃない。辺りを見渡してみたけど、鍵らしい物はない。まぁ、鍵はどっかに行ったんだろう。

「とりあえず、箱だけでも持ち帰る?」

「あぁ。持ち帰ったら、瑠璃にでも渡してやるさ。あいつ、こういう不思議な物が好きだから。」

「へぇ~、近松がね。」

「あぁ。実を言うと、あいつ、ここに来る時にやたらテンションが高くてな。どうしたもんかと俺が聞いたら、ここら辺でUFOの目撃例が絶えないから、自分も見つけるつもりらしい。ま、徹夜されそうだから俺は辞退したけどな。」

 あぁ、そういえばすっかり忘れていた。次山の友達の話じゃ、ここら辺ではUFOが見られるらしいんだっけ。

「だけど、時季が違うんじゃなかったっけ、次山?」

「はい。基本的には、冬場の夜中です。」

「ほう、冬場か・・・ま、瑠璃には言わないでおくか。なにも、あいつの無邪気な楽しみを奪うつもりはないしな。」

 UFO発見のための徹夜が無邪気な楽しみね・・・

「そういうもん?」

「あいつの理論では、だけどな。」

 なるほど。近松らしい。

「とりあえず、箱は持って帰ろう。じゃ、見つけた人が責任持って管理ってことで・・・」

「え?ちょ・・・」

「よーし、先へ進もう。」

「待ってよ~。」

 ホント、伊吹って平牧並みにおちょくり易い。


 俺達が森を抜けたのは、それからそれなりの時間が経った頃だった。時計は、どれもこれもが同じ時間、午後四時三十分を示していた。原因究明はとりあえず置いておき、俺達は荷物を持ってベースへと戻ることにした。

「あ、おっかえり~!」

 歩が、戻ってきた俺達に手を振る。はいはい、分かったから。

「あ、近松さん。」

 伊吹が近松を呼び、さっき森の中で拾った木箱を渡す。

「なにこれ?」

「森の中で拾ったんだ。どうにも開かないけど。」

「ふ~ん・・・確かに怪しいわね。」

 と、近松が箱をまじまじと見ているだけで、誰も鍵を持っているとは言い出さない。誰も持っていないみたいだね、どうやら。

 それから俺達は夕食を食べ、女子が皿の片付けなんかをしている間に、俺達男子はキャンプファイヤーの用意をした。ここでも、伊吹や義政が活躍する。俺達は言われた通りに薪を組み立てて、後は夜を待つだけとなった。

 そして、午後八時。

『シュボッ』

 薪に火が灯り、キャンプファイヤーが始まった。とはいっても、誰もがボーっと火を見つめるだけ。緩やかな空気が、俺達を包み込んでいた。薪が音を立てて燃える。ただ、俺達はそれだけを見つめている。何か意味があるのかといえば、俺は・・・あえて意味を見出す必要はない気がする。今、この時間の流れが全て。そこに意味は必要ない。しばらく、火の燃える音だけが辺りに響いた。

 開始から三十分ほど後かな・・・俺の横に座っていた歩が、更にその横に座っていた智に、こう言った。

「お兄ちゃん・・・」

「なんだ?」

「あの火の向こうに、私とお兄ちゃんの結婚式の姿が見えるよ・・・」

 そりゃまた・・・随分とすごい物の向こうに見えているね。

「そうか・・・」

「うん・・・お兄ちゃんがね、私の薬指に指輪を通すの・・・そっと手を包んで・・・」

 ん?・・・・・・・・・・お兄ちゃんが?・・・・・・・つまり智が?・・・・・・・・・まさか・・・

「その後、お兄ちゃんは私を抱きしめながら、ゆっくり顔を近付かせて・・・あ~!そこから先は恥ずかしい~!」

 あ~・・・・・・・・・・・なんとなく歩の妄想が分かった。どうやら火の向こうに、自分と智が結婚する映像を見たってわけだ。なんだってそんなもんが見えるんだか・・・しかも、自分で言っておきながら恥ずかしいって・・・歩らしいと言えばそうなんだけど・・・だったらせめて、それを話すこと自体恥ずかしいって思ってくれないかな・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハァ・・・」

 智は、歩に聞こえないくらいの小さなため息をついた。ご苦労さんだね、相変わらず。それにしても、結果的に歩のこの言動が引き金となったんだろう・・・事態は妙な展開を見せていく。

「それって要するに・・・歩と智が結婚するってこと?」

 まず、話に入ってきたのは豊綱先生だった。

「そうだよ。」

 歩は、さも当然のように答えた。

「そんなに好きなんだ、智のこと。」

 先生は、とても嬉しそうに微笑んでいた。いや・・・笑っている場合なの?これ・・・

「うん、ずっと前から大好きだもん!」

 歩は夜空の下で大々的に宣言した。いや、断言した、かな?この際は・・・まぁ、どっちだっていい。歩の智に対するこういった発言は今に始まったことじゃないから、別段驚くことでもない。高校になってからも変わってなかったしね、昔と。いや、ますます磨きがかかっていたかも知れない。

「フフ。それにしても、このクラスの双子はどっちもお兄ちゃん子ね。」

 どっちも・・・あぁ、そうか。言い忘れていた。このクラスにはもう一組の双子が存在する。歩と同じソフトボール部に所属する有地胡桃(ゆうちくるみ)と、その兄貴でバスケ部の有地守(ゆうちまもる)・・・男と女の違いこそあって、傍から見るとあまり似ていないような気がする。しかし、よく見るとなんのことはない。目なんかはさすが双子といわんばかりにそっくりだ。測ってみれば、身長と体重も同じ。二人揃って小柄だ。あの小柄でソフトとバスケ。揃いも揃ってスポーツを間違えたような気がしなくもないけど、これでいてなかなかどうして、二人ともそれぞれの種目において、中学時代は輝かしい実績を残している。

 有地・・・名字の場合は女子の方・・・は、中学時代は県の選抜選手の一員に選ばれ全国大会に出場。チームは見事優勝し、有地自身、打点王に輝いている。兄の守の方は、ポイントゲッターとしてもチャンスメーカーとしてもフル活躍し、中二の時に県のMVPに選ばれている。言ってしまえば、スポーツ出来まくりの双子というわけだ。

 その一方、勉強の方はどうかといえば、有地に関しては勉学も優秀。同じ中学だった鳳凰から聞いた話では、理系文系両方で活躍できる頭脳を持っているらしい。確かに、授業中に有地が指名されて答えに詰まった事はないような気がする。兄貴である守の方はというと、勉学よりは知識の方があるタイプだ。そして、さっき先生が言っていた話、どっちもお兄ちゃん子という意味については、まぁ、言葉通り受け取ってもらっていい。というか、その二人は二人で近くにいるんだけど・・・

「胡桃も、守のこと好きでしょ?」

「はい、それはもちろん。」

 と、有地もこれまた笑顔で返答する。横の守はどうでもよさそうだけど・・・ていうか、有地の喋り方は鳳凰と似ている。というかほとんど同じ、どっちも敬語口調だ。有地の場合、兄である守との会話もその状態だ。徹底した敬語口調。いったい親はどういう教育をしたんだろうか。そしてそれを考えれば、同じ環境下で育った筈の守はなぜそうじゃないのかという疑問もある。まぁ、女の子はおしとやかに的なものかな・・・俺の想像では。

「守はどうなの?」

「どうって?」

「胡桃のこと。お兄ちゃんとして。」

「まぁ、なんだかんだ言っても妹だから。基本、胡桃のことは兄貴としての責任全てを持って、まぁ、『守る』って言やいいのかな。俺は、自分の名前の意味をそうだと思っている。胡桃が俺を信じてくれるなら、俺はそれに誠意を持って応えるつもりだし、兄貴として、妹の手本になろうとは思っちゃいるけど。」

 口調こそ生意気に、しかして、その本心は熱く優しい。俺の素直な感想だ。

「兄さん・・・じゃあ私、兄さんの背中を見て勉強させてもらいます。」

「俺から吸収できるんなら、いくらでもくれてやる。」

 守は口調こそぶっきらぼうだった。でも、その表情はテレまくっていた。

「ふ~ん・・・でもさ、妹ってそんなもんじゃない?」

 そう言い出したのは近松だった。そして身近な例を挙げた。

「恭一んとこの妹さんだって、まだあんたにベッタリだもんね。」

「あぁ、(いずみ)のことか。でも、あいつの場合はいささかしょうがないんじゃないか?なんせ、まだ小五だし。」

 小学生か・・・なら、確かに兄貴にベッタリなのは仕方ないかもしれないね。

「なに言ってんのよ、衆。小五って言ったら、そろそろ親兄弟への反抗期の兆候が見え隠れし始める時よ。最近の子は、そうでなくったって何かと早いんだから。」

 なにやら妙に怒っている近松。

「まぁ、泉ちゃんの場合は、恭一に対する純粋すぎるほどの憧れと信頼ね。私があんたの妹なら、小学校に上がると同時に立場を逆転させてやるわよ。」

 兄妹の関係に立場の逆転なんてあるんだろうか。あるとすれば、それはお互いの関係におけるプライオリティーの変動だろう。守と有地の場合、それがお互いに相手を上にしている。というか、兄弟というのは本来そうなんじゃない?違うと言われるとケースバイケースだから、反論できないんだけど・・・

「エエな、兄弟って。」

「あれ?伊野川先生には兄弟いないの?」

「うん、ウチは一人っ子やねん。せやから羨ましいわ、兄弟のおるみんなが。衆も、確かお姉ちゃんおったっけ?」

「・・・いるけど?」

「けっこう美人よね、あなたのお姉さん。」

 まぁ、美人といえば美人だけど・・・って・・・

「なんでんなこと知ってんの、豊綱先生?」

「だって、会ったことあるもの。」

「あの~・・・いつ、どこで?」

「ちょっと前にスーパーで。衆、見せたんでしょ?入学式の翌日に撮った集合写真。」

 あぁ、姉ちゃんが見せろってうるさかったから渡したあれね。

「それで、私の顔を覚えていてくれたのよ。私がスーパーで買い物していたら、『すみません、豊綱由子さんですか?』って。私がそうですよって答えたら、『衆の姉です。いつも弟がお世話になっております』って、深々と頭下げられちゃって。ホント、礼儀正しい素敵なお姉さんじゃない。」

 社交モードの姉ちゃんだ。ホント、その時は信じられないくらいおしとやかで上品だ。普段の破天荒なんてどこ吹く風だ。

「ちょっとは見習って、もう少し生意気さを直したら?衆。」

 大きなお世話だね。ま、姉ちゃんの本性知ったら、先生だってそんな口叩けないと思うけど。

 それからしばらく、みんなの兄弟姉妹談議が続いた。やれ愚痴をこぼしたり自慢したり苦労を分かち合ったり・・・妙な所で一体感が生まれている時だった。

「ねぇねぇ、歩。」

 豊綱先生が歩を呼んだ。歩が先生の方を向くと、先生は何を思ったかこんな事を聞いてきた。

「歩にとって、智への気持ちってどこまで本気?」

 俺の印象として、先生の口調は妙に真剣みを帯びていた。表情こそいつもと変わらず優しい。だけど・・・目だけは無性に真剣そうだった。俺の気のせいかと一瞬思ったけど、

「どうなの?」

 この言葉の口調で俺は・・・いや、その場にいる人間全員が判断した。先生は本気だと。マジで、歩の智に対する気持ちを確かめていると。

「えっとね・・・」

 歩も、先生の本気に気付いたらしい。少し困ったように智を見た。すると智は、

「正直・・・俺も知りたい・・・」

 そう言った。歩は驚いている感じだった。

「私は・・・その・・・お兄ちゃんがどこまで好きって聞かれたら、あんまりうまく言えない。昔から・・・ずっとお兄ちゃんが好きだったから。憧れの対象っていうか・・・ずっと、背中を見つめていた気分・・・お兄ちゃんが泣くと悲しくて、笑うと嬉しくて・・・小さい頃はそれで良かったんだと思う。でも・・・正直言うと・・・今はそれじゃちょっと物足りないの。お父さんとお母さんが死んじゃって、五弓ちゃんがいるけど、兄と妹二人っきり。多分・・・憧れはもう、愛になっていると思う。きっと、心の底からお兄ちゃんが好きだと思う。」

 歩は途切れ途切れに・・・でもしっかりと今、智への想いを打ち明けた。そう・・・ここまでは感動的だった。事が混乱し始めたのは、その次からだった。

 歩が、智に抱きつきながらこう言った。

「お兄ちゃん・・・大好き。」

「歩・・・」

 いい雰囲気の二人に、俺達が妙にこっ恥ずかしくなった時。

「歩ちゃん・・・」

 いつの間にか、二人の横に高村が立っていた。炎に照らされた顔には、なにやら確かなものを感じた。俺だけかも知れないけど・・・しかし実際、それは現実となった。

「あ、光ちゃん。なに?」

 歩は智から離れ、高村を見上げた。高村は意を決したかのように目を一回閉じてこう言った。

「智君を好きなんは・・・歩ちゃんだけやあらへん。ウチも、ウチも智君が大好きや!」

 ・・・あ~・・・高村の今の言葉は・・・俺としては宣戦布告とみなされるんだけど・・・そして、それに触発されたのかなんなのか、

「あ、あの・・・」

 竜堂が駆け寄ってきた。そして・・・

「私もね・・・智君が好きなの・・・」

 随分と遠慮がちに告白した。さて、妙な雰囲気が流れる三者の間。その真ん中にいる智は、

『・・・・・・・』

 どうしたもんかと考える間もないように、ただ三人を見て呆けていた。

「そうなんだ・・・」

 歩は、それだけを呟いて立ち上がった。俺は内心ワクワクしていた。

「二人とも、お兄ちゃんが好きなんだ。」

「せや。」

「うん・・・」

「そう・・・別にいいよ、お兄ちゃんが好きでも。」

 あれ?歩にしては珍しい展開だ・・・そう思った俺は、次の瞬間にそれを後悔した。

「でも!お兄ちゃんを一番好きなのは私!それだけは譲れない。」

 実に歩らしいひと言だ。やっぱ、歩は昔から変わってない。

「譲ってもらおうやなんて思ってへん。ウチが、その歩ちゃんの想いを超えるだけや。」

 高村は、既にその視線から本気が垣間見える。意外と熱いんだね、高村って。それに対し、

「蘭花ちゃんは、どうなの?」

「わ、私は・・・さ、智君が好き・・・と、取られるって言ったら変だけど・・・そんなのはイヤ・・・私も歩ちゃんと一緒・・・こ、この気持ちだけは、譲りたくない。」

 どうにも竜堂は腰が引いている感じがする。まぁ、それがいい所だといえばそうだけど・・・とにもかくにも、三人の意地は一致している。少なくとも、自分が一番智を想っているという自信に揺らぎはないらしい。それを証明するかのように、高村と歩は妙に睨み合っている。それに対し、竜堂は相変わらず、どうにも二人と目線が合わせにくいようだった。少し俯いている。

 さて・・・問題となるべきこの先の事柄は、もちろん、智の返答だ。智が誰を選ぶのか・・・その答えによって、自ずとこの先の展開は変わってくる。

「なぁ、三人とも・・・」

 智が、ようやく重い腰と口を動かした。

「俺の答え・・・待ってくれる事ってできるかな?・・・今この場で・・・答えを出せる自信がない。」

 だろうと思った。智は、こういうことに安易に答えを出す奴じゃないし、出せる奴でもない。思慮深いというか優柔不断というか・・・どっちが正しいのかは俺にも分からない。

 しかしどっち側にしても、今の智には考える時間が必要だと思う。三人の女子の気持ちを知って、自分が取るべき最良の道を考える。言い換えれば、誰が一番好きなのかを、自分の心と対話して考え直して決断する時間。それくらい、智にはあって当然といえば当然。だけど、その時間は同時に、歩達による智の気持ちを動かすための時間にもなる。この時間を最も有効的に活用した誰かが、智に一番強烈な印象を与えることが出来る。それだけで、智の気持ちが動くかどうかは断言出来ない。だけど、それがあるのとないのとではまた意味合いが違ってくる。あっても損はない材料だろう。かと言って、ないと損をするかどうかもケースバイケース。確率は高いけど・・・

「分かってる・・・私は、お兄ちゃんを待つから。」

 歩がそう言った。なんとなくだけど・・・既に幕は上がっているのかも知れない。

「ウチも待つ。智君、ちゃんと待ってる。」

「私も・・・じっくり考えて、智君。」

 さて・・・この三人の言葉の中で、智が一番気に入ったのはどの言葉か・・・俺が智なら、なんとなしに竜堂を選んだりする。なぜかは分からない。なんとなく・・・そう思った。

「ごめん・・・」

 智が、小さくそう呟いたように聞こえた。


 智への告白騒動から数分後。微妙ながら、座っている場所に変更がある。智の横に歩がいるのは変わりなし。その反対側の隣には、本来であれば俺が座っている。だけど、現在そのポジションは高村へと移行していた。竜堂は、真横にベッタリという感じじゃなく、少し離れて恥ずかしそうに智を見ている。やっぱり、竜堂はどこか遠慮がちだ。まぁ、普段の行動から考えれば、竜堂はあまり積極的な方じゃない。もっとも、それがテニス部マネージャーの時には微塵もなく、テキパキと率先して働く立派な働き者なんだけど・・・その時だけ、なにかスイッチでも入るんだろうか・・・

 それはともかく・・・そういった配置になっているんだけど、やっぱりなにか気まずいのか、この四人の内誰も話し出そうとしない。周りはというと、そんな空気が広がったのかなんなのか、同じように無言で炎を見つめる。ハイテンションの国風や犬飼、さらには近松までもが押し黙っている。こんな時、ひと言で場を明るく出来るボキャブラリーを持った奴はいないの?と、俺は思って考え直した。いればとっくに元に戻っている筈だと。

『ジャリ・・・』

 石音がした。見ると、智が立ち上がっていた。

「どうしたの?お兄ちゃん。」

 歩が尋ねると、

「悪い・・・ちょっと、一人にさせてくれ・・・」

 そう言って、自分のテントに入っていった。相当思いつめているというか・・・まぁ、いつもの智らしくないのは確かだね。

「お兄ちゃん・・・」

 テントに消えた智を、歩はずっと見ていた。名残惜しいというよりは、なんだか、後悔とも取れるような表情だ。高村も智の消えたテントを見つめ続けているし・・・逆に竜堂は、そっちを見ようとはしないで、ただ俯きがちに燃える炎を見ている。その目は、なんだか泣いているようにも思えた。その後、三人とも気まずくなったのかなんなのか、それぞれのテントに戻っていった。ほぼ同時に、鳳凰が高村のテントに入っていった。

「行ってやれ。」

「あ、はい・・・」

 守に促された有地は、歩の入ったテントへ。竜堂のテントには、近松が向かった。友達想いだね、みんな。

 さて、残った俺達に会話はしばらくなかった。それを打ち破ったのは、豊綱先生だった。

「私のせいだわ・・・」

 そう呟いた。その声は、小さいけれど俺達にはっきり聞こえた。

「こんなことになっちゃったのは・・・私のせい・・・なんで歩に、あんな事聞いたんだろ?」

 ドンドン自己嫌悪に陥っていっているようだ。

「理由、なかったん?」

 伊野川先生が、豊綱先生の顔をのぞきこむように聞いた。

「あるにはあったわ・・・歩が、智の事をあまりにも慕っていたから・・・ご両親を事故で亡くして、頼りにしちゃうのは分かるんだけど・・・なんだか、歩はそれ以上のことを望んでいる気がしたの。」

 まぁ、その予想は正解だったわけだけど・・・

「でも、漠然とした感じだったから・・・胸の中で眠らせておけばよかったのに・・・なんで、なんで聞いちゃったんだろう・・・私・・・」

 先生は、涙をこぼし始めていた。

「ちょ・・・ちょいちょい、由子!」

 突然泣き出した豊綱先生に、伊野川先生も驚いていた。

「なんも、あんたがそこまで思いつめる事もないんちゃう?遅かれ早かれ、あの三人ん中の誰か一人でも行動起こしたら、こないなことにはなる。いつかは、いつかは来てしまうことや。今はたまたま、あんたがきっかけになってしもただけの話や。そこまで、気にすることもあらへんがな。」

「私はあの子達の担任よ!楽しい高校生活を送るための、大事な橋渡し役なのよ!なのに・・・気まずくさせちゃった・・・光や蘭花は、智と顔を合わせるのはまだ学校だけ・・・でも、歩は智とずっと一緒に暮らしていくのよ?毎日毎日朝から晩まで、お互いを異性として見て一つ屋根の下なのよ?・・・気まずい雰囲気の中で・・・それって、残酷すぎると思わない?」

「由子・・・」

「初めて受け持ったクラスだから・・・卒業まで三年間・・・見守っていこうって・・・・・・卒業式の日に、みんなと、記念写真を撮ろうって思っていたのに・・・」

 いや、さすがにその頃にはこの問題には決着がついていると思うんだけど・・・他は別としてね。

「智が答えを出せば、万事解決だろ?」

 恭一がそう言った。すると、横で一義がこう言った。

「そう、うまくいけばいいけどね・・・」

「あん?」

「中学時代、智と同じ学校だった佐藤君も気付いているとは思うけど、智って・・・こういう問題、一人で解決する事に慣れていなさそうな感じがするんだ。」

「そうか?まぁ、確かに・・・あんだけモテタ割には、あんまり女子の噂は聞かなかったがな。」

 いやまぁ・・・それはそうだけど・・・でも、一義の言わんとしている事は違うような・・・

「じゃあ、それはどうしてだと思う?」

「え?」

 どうして・・・言われてみれば、確かにどうしてなんだろう・・・智と仲の良さそうな女子はたくさんいた。あ、もち、小学校の時の話。前にも言ったけど、中学時代は全然知らない。

「それは、智があまりにも優しいから。」

「優しいから?」

「そう。智は、歩にとっては頼れるお兄ちゃん。その役目を維持するために、智は必然と、正義感と紳士感を持ち合わせることになった。その正義感も、気がつけば周りのみんなに対して向けられるようになった。自分が信じた正義の前で、自分が悪と認識したものを・・・まぁ、排除するって言えばいいのかな?そういう行動を取るようになった。当然、それで助けた女性は少なくない。智ほどの男に助けられた女性は、それが忘れられなくなって、その多くが恋心へと変化した。だから、智はモテタ。ところが、智は類まれなる鈍感でお人好し。自分に好意を持つ女性が近付いてきても、普段から歩が傍にいるから、抵抗なく受け入れてしまう。友達としてね。そして、友達は守らなきゃ、友達が困っていたら助けなきゃ・・・そう考えた智は、どんどんいろんな人を助けていく。助けた人達の数だけ、智の仲間は増えていった。当然、その中に女性はたくさんいた。そして智は、誰かを贔屓にしたりせずに、全員と平等に接した。傍目から見れば、誰と智が一番仲良しのか分からないほどに。そうなると、智は良いお友達の関係を崩そうとはしない。元々、恋愛にも無頓着そうだし。」

「なるほど。つまり智は、その平等心が故に恋人を作らなかった・・・そういうわけか?」

「僕の考えではね。」

 まぁ、一義の考え方にも一理ある。普段から恋愛に無頓着な智は、恋人を作ろうとはしない。そんな人生の中で、突如、三人の女性からの同時告白。しかも、その内の一人は妹ときて、他の二人は頼りなくて危なっかしい。一義の理論から行けば、三人とも智にとっては守るべき存在。俺達の現在の状況から見れば、それはさらに濃厚で。『恋人』だ『友達』だと言う前に、平牧を守りながら世界を救う役目を共に担った『仲間』。智の認識は、一番手としてこれだった筈だ。いきなり、その認識を『恋人』にと言われても、智じゃなくたって困るだろう。

「あの・・・藤越君。こんな時になんなんですが・・・」

「なに?次山。」

 まぁ、『こんな時に』なんて前置きするぐらいで、なおかつ、こっそり耳打ちするぐらいだ。相当、厄介な事に違いない。

「実は・・・前もって、センサーを仕掛けておいたんですが・・・どうやら、そこを何かが通ったみたいなんです。それも、ついさっき。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 ゴメン・・・いろいろと妙なワードが多かったんだけど・・・

「分かりやすく説明してくれる?」

「あ、はい。ここへ来る途中、一度、トイレ休憩で立ち寄った所がありますよね。そこで、緑山さんにお願いされたんです。ベースに着いたら、自分達以外の人間がそこへ近付いてきた事が分かるような魔法を発動できないかって。」

「え?・・・なんだって、緑山はまたそんなことを?」

「きっと、敵の行動を警戒しての事だと思います。僕は頼まれた通り、魔法を使ってセンサーを設置しました。そしてついさっき、誰かがそのセンサーの範囲内に侵入してきたんです。」

「それって、敵なの?」

「断言は出来ません。ですが、他のクラスの人が引っ掛かったりするとややこしいですから、センサーの範囲は平牧さんを中心に一キロです。」

 半径一キロって事は・・・

「なんか、それなりに近い気がするんだけど?」

「すみません・・・でも、上限はそれが限度だったんです。」

「・・・とにかく、何かがこっちへ近付いてきている事は事実なわけだ。」

「はい・・・センサーはまだ反応していますから、おそらく・・・それも、どうやら、少しずつこっち側に近付いてきているようなんです。」

「おいおい、マジ?今襲われたらどうすんの?」

「ど、どうしましょう~・・・」

 いや・・・あんたが困んないでよ。

「とにかく、その人物は今どこ?」

「ちょっと待ってください・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・南西、およそ六百メートルです。確実に、こっちへ近付いてきています。」

「目標はロックオン済みってわけだ。」

 さて・・・南西の方角となると、川の上流の方からだね。困った事に闇夜だから、なんにも見えやしない。

「距離、五百。」

 ちょ・・・もっと近付いてきてんじゃん?

「なんとかしてよ、次山。」

「そ、そんなこと言われても・・・平牧さんがそこにいる状況じゃ、こっちもへたには動けません。それに、敵かどうかも分かりませんし。」

 確かに、不確定要素ではあるけどさ・・・

「例えば、近付いてきているのが敵で、暗闇で目が利き、遠距離攻撃が得意とかだったらどうすんの?」

「それは・・・最悪の状況にしかなりません・・・それと、これは僕の見解なんですが、今回の校外学習中、敵に遭遇するって考えているのは、もしかすると、緑山さんだけかも知れません。」

「え?」

「僕自身、バスの中で君に言われたり、緑山さんに頼まれたりしなければ、魔法を使ってトラップを仕掛ける事なんてしなかったでしょう。以前の事件で、僕達は敵の組織の一つ、『ゼロ』と接触。ですが、その割には妙に楽観的だとは思っていたんです。誰も、あの時の光崎レイの言葉を、それほど深くは受け止めていないような気がして・・・!」

 話の途中、次山の表情がいっそう険しくなる。

「どうしたの?」

「相手との距離・・・いつの間にか、三百メートルに縮まっています。スピードが上がっている感じです。走っているのかも・・・」

「は、走ってこっちに近付いてきている?ねぇ、本気でロックオンされてんじゃないの?」

「・・・その可能性が、否定できなくなってきてしまいましたね・・・」

「真剣な表情なのはいいけど、どうすんの?」

「・・・どうしましょう・・・」

 お~い!それはなし!と、俺がつっこもうと思った時・・・

『バシャバシャバシャバシャバシャバシャ・・・』

 水音が聞こえてきた。それは、徐々に大きくなってきて・・・やがて止まった。

「・・・止まったよね、次山。」

「止まりましたね・・・」

 俺は川の方を振り返った・・・そこには、なにやら緑色の・・・コートのような物を身に纏った、スキンヘッドが立っていた。キャンプファイヤーの炎と月明かりが照らし出したその顔は、どう見てもアジア系の顔じゃなかった。いわゆる、白人の分類だ。誰もがそいつに気付いた。

「智!」

 恭一が智を呼んだ。智だけでなく歩達も出てくる。一様に、表情が険しくなった。

「これで全部か?」

 白人と思われるそいつは、流暢な日本語で目を細めた。武器をどこかに持っている感じがしまくっている。

「え?え?」

 俺のすぐ横で、平牧が慌てふためいている。とりあえず、俺は平牧を庇う体勢をとった。

「え?・・・」

「大丈夫。なんとかなるって・・・」

 ハッハ~・・・大嘘かましたね、俺。何がどう大丈夫なんだか。しかしまぁ、とりあえず敵は一人だし・・・どうにかなるんじゃな・・・

「出てこい!」

 いかと思っていたけど・・・そんなのは楽観論だった。周りの林から次々と湧いて出てくる武装集団。御丁寧にも、最初っから危険度を示してくれるかのように武装済み。数は二十人ほどかな。あぁ、現実逃避したい状況。

「てめぇ、誰だ?」

 晴一が相手を睨みながら聞いた。相手は、またも流暢な日本語で答えた。

「俺の名か?これから死ぬお前達が聞いてどうする?」

「やってみなくちゃ、分かんないぜ。」

 守がポケットに手を突っ込んだまま返す。どうにも余裕を醸し出している感じだ。

「・・・まぁいい・・・俺の名はアイバーン。例の物を貰いに来た。」

 アイバーンね・・・名前聞いた限りじゃ、米とも欧州とも言いがたいけど・・・狙いが平牧って事は確定だね。まぁ、それ以外にないだろうけど。

「誰があんたなんかに渡すかい!」

 犬飼がキッパリと拒否した。

「あなたも、『ゼロ』の者ですか?」

 鳳凰は、敵と接する時でも敬語は欠かさないらしい。厳しい口調にはなるけど。

「『ゼロ』?・・・あぁ、あいつらか。」

 あれ?・・・あいつ、『ゼロ』の名前を聞いて、なんだかほくそえんでいる。

「なるほど、既にあいつらも動き出したってわけか・・・」

「なんか知ってんの?『ゼロ』のこと。」

 俺は聞いてみた。

「教える義理はないな。まぁ、残念だが俺は『ゼロ』の人間じゃない。それだけは確かだ。」

 おいおい・・・『ゼロ』じゃないって・・・ったく、平牧はいったいどれだけの人間に狙われているんだか・・・俺は、俺の後ろで小さくなっている平牧を見ながら少し呆れた。

「話が逸れたな・・・さっさとデータを渡せ!」

 そいつは声を荒げて、

『カチャッ』

 腰から拳銃を取り出した。銃社会アメリカにいたせいか、拳銃の種類はなんとなく分かる。ありふれたオートマチックタイプだ。特徴を挙げるとすれば、鈍い黒色じゃなく、月明かりによく映るシルバーカラーの銃身。サイレンサーはない。

「いいの?銃声が響くよ。」

「それを気にして銃は使えんな。」

 あっそ・・・まぁ、人里離れたキャンプ場だし、おまけに夜で、近くに俺達以外人影はなし。見つかるのは、早くて明日の帰りの集合時間・・・助かりそうな奴も助からないね。

「おい、衆。」

「なに?智。」

「こっちを向くな。敵を見ながら聞いてくれ。」

 智が後ろから小声で話し掛けてくる。

「俺に頼みごと?」

「少し準備がある。それが終わるまで、敵と会話を続けてくれ。」

「・・・その準備、時間はどれくらい?」

「安心しろ。三分もあれば済む。」

 三分、俺にあいつの話し相手をしろってわけね・・・

「OK、引き受けようじゃん。でも、なるべく急いでよ」。

「分かった。じゃ、後は任せる。」

 とは言われたものの・・・そして俺も調子のいいこと言ったものの、内心、どうしたもんかと混乱している。普段使っていない感じの脳は回転に追いついていない感じ。とりあえず三分、俺なりに頑張ってみよう。

「あんた、あれを使ってどうするの?」

「知れたことだ。世界を頂く。」

 まぁ、予想できた答えだ。

「頂いてどうすんのさ?だってそう思わない?世界を握れたとするじゃん、例えば。でも、その後ってどうするの?世界の頂点の君臨は、正直、スポーツとかそういうもんで競わない?その方が平和的だと思うけど?」

「世界を頂けば、この世界は俺の思うがまま。俺はそれでいい。俺の思い通りにならないことなど、存在する事すら許されない。」

 こいつは、おっそろしいくらい自己中心的だ。なんつーか、呆れるね、マジで。自分の思い通りになる世界の何が楽しいんだか。張り合いないんじゃないの?そんな世界なんか。

「そんなくだらない事に、こいつは使わせない。いや、例えその理由がなんであっても、これを使っちゃいけない。消し去るべき物だ。あんたに渡す事は出来ない。」

「くだらないとは酷い言い種だな。貴様にはないのか?人を上から見下したいと思うことが。人を手の平で踊らせる快感・・・味わってみたいとは思わんか?」

「おあいにくさま・・・そこまで俺、サディスティックなバッドテイストは持ち合わせちゃいないんでね。けど、あんたみたいな奴の手の平で踊るのも、まっぴらゴメンだけどね。」

 あ、本音出た。じゃ、ついでにもう一つ本音。

「実際あんたも、誰かの手の平で踊らされている方なんじゃないの?あんたの組織がどんぐらいの規模か知らないけど、あんたがボスじゃない。それくらいは分かる。あんたは結局、自分より上のそいつに踊らされているだけ。死ぬまでそうなんだよ。」

「黙れ!俺に上なんかいやしない!俺がボスだ。『ビッグ・コルドリアス』のボスはこの俺、アイバーン様だ!」

 あ~あ、滑らせちゃった。どういうわけか俺は、あいつの組織の名前を聞き出すことに成功した。まさしく、棚からぼた餅。一石二鳥って感じだね。ところで、俺の腹時計的にはそろそろ三分なんだけど、智はまだかな?

「衆。」

「準備OK?」

「あぁ、ご苦労さん。」

 どうやら、俺の役目は終えれそうだ

「で、どうするの?」

「ちょっくら、面白いものが見られるぜ。とりあえず、道を開けてくれ。」

 俺は智にそう言われて、ゆっくりと左に寄る。俺はその時、後ろを見た。そこには、恭一と近松がいた。二人揃ってくっ付いちゃって。

「いちゃついている場合でもないだろ、智?」

「黙って見てな。あれが、あの二人の戦闘体勢だ。」

 あれが?・・・恭一が、近松の後ろから肩に手を置いているだけにしか見えないけど・・・・

「あん?」

 あいつも、どうやら二人に気が付いたらしい。銃口を向ける。

「おい、そこの二人。」

「気安く話しかけんじゃないわよ、デブ。」

「デ、デブ!」

 近松の言葉に、アイバーンは一気に顔を紅潮させる。あ~あ、後で言おうと思って取っといたのに・・・

「恭一、分かっている?」

「おう、任しとけ。思いっきりやっちまえ!瑠璃!」

「了解!思念弾具現化!リミットレスシャープベイン!」

 え~っと・・・前半は聞き取りにくかったから割愛して、後半は分かる。リミットレスシャープベイン。限りなき鋭い羽根・・・いやまぁ、名は体を表すとよく言ったもんだね。近松の周りに、それはそれは綺麗な羽根が、無数に散っているのが分かる。まぁ、鋭いかどうかはおいといて。さて、これが近松の能力なんだろうか。ていうか、見せちゃっていいわけ?

「よし!やれ!瑠璃!」

「言われなくてもやってやるわ!ブレットアタック!」

 羽根は生きているようだった。あいつらは反撃の機会さえなく、次々と羽根が刺さったり皮膚を掠めたりする。俺達に危害がないのは、おそらく、近松の力と同調するなりなんなりして、恭一が押さえ込んでいるからだろう。それにしても・・・なんというか壮観だ。

 数分後。近松と恭一による共同作業は終わり、敵は姿を消していた。死人は出ていない。

「んなもん、出しちまったら後々面倒だからな。」

 と恭一。さて、全てを見ていた平牧。ご都合主義の利く世界なら、途中で気絶していて目覚めるとテントの中。あれは夢だったんだと思い込んでくれればこれ幸いなんだけど・・・困った事に、パッチリと目を開けて一部始終を見届け、挙句の果てに問い詰めてきた。

「いったい、これはどういうことなんですか!?」

 いつもと違って声が大きい。しかも、よりによって俺の襟首をひっ掴まえて問い詰めてくる。いやまぁ、俺でも説明できるんだけど・・・

「例の物って何ですか!?どうして・・・私だけ知らないんですか!?皆さんは・・・全て分かっている表情でした。ねぇ、藤越君・・・どうして?どうして私だけ知らないんですか!?」

「それは・・・」

 さて、なんと言ったらいいものか・・・素直に言うべきなのか、はぐらかすべきか・・・いずれにしても、俺一人の独断で決めて話していい事なんだろうか。

「私が知ってはいけないことなんですか?日本国民には知る権利があるんじゃないんですか?」

 俺達は公的機関じゃない・・・と言おうと思って考えた。ホントに俺達、公的機関じゃないのかって。平牧を守って世界を救う。そんな役目を、俺達はイギリス政府から依頼されている。日本政府が知らないとも思えない。俺達は、俺があんまりはっきりと知らないだけで、立派な公的機関なんじゃないだろうか。そう考えると、

「じゃ、教えなくちゃいけないね。」

 という結論に達する。俺のその言葉を聞いた智は、

「そうだな。こうなったら、隠していたって得はない。言ってやりな、衆。平牧さんは、お前の口から答えを求めているみたいだし。」

 OK、その依頼、引き受ける。

「分かったよ、平牧。ちゃんと説明する。」

「え?」

「だから、ちゃんと聞いてよね。」

「あ、はい。」

 俺はそれから、平牧に詳しく説明した。平牧が持っている世界機密。それを狙う様々な組織。俺達の素性。そして、そうなってしまった原因。

「じゃあ・・・」

「そ。あんたが記憶喪失になる前、俺は一度、あんたに会った事になる。あんたが今も持っている、その紅いお守りを拾った時にね。」

「そ、そうなんですか・・・じゃあ、さっきの人は・・・」

「あんたを狙っている敵。まぁ、なんとかなったけどね。ね?恭一。」

「ま、どうにかな。」

「当然じゃない!なんたって、この私が本気を出したんだから。」

 近松に遠慮とか謙遜は無縁なんだろうか・・・

「そうなんですか・・・私、そんな秘密を。」

「そ。俺達は、それを悪用されないために、平牧とそれを守り抜くボディーガードってわけ。でも、俺にはこれといった力はないんだけど。」

「え?」

「さっき説明したじゃん。みんなは、すっごい力を何かしら持っているって。だけど、俺はそんなものは一切ない、言ってしまえば、手違いと思い違いで編入された、あんたにこんな怖い思いをさせる事になった張本人。」

「藤越君・・・」

「だから、ゴメン・・・」

 正直、謝りたかった。俺のせいで、平牧をまき込んだんだ。平牧の人生を狂わせたんだ。ひと言、謝って済むのなら謝りたかった。それを俺は今、実行している。

「そ、そんな・・・頭を上げてください・・・」

 と言われたので、俺は頭を上げた。そこには、いつもの平牧の笑顔があって。

「許して、くれるわけ?」

「許すもなにも、最初から怒ってなんかいませんよ、私。」

「え?マジ?」

「はい、マジです。」

 平牧はそう言って少し笑い、話を続けた。

「理由がどうあれきっかけがどうあれ、私は、今の生活がとても楽しいんです。私だって学級委員。クラス全員の人となりを知ろうと私なりに努力しました。そしたら、なんだか他と違う気はしていたんです。他となにか違う・・・でも、それが個性だって思ったんです。個性が溶け合って、このクラスはきっとすごくいいクラスになる。私はそう思いました。もちろん、藤越君から話を聞いて驚いてはいます。でも・・・」

「でも?」

「それで・・・いいんじゃないのかなって思います。このクラスはこのクラス。私にとって、誇れるクラスメイトの皆さんです。」

 平牧が眩しい。いつか、鳳凰に感じたあの後光に似ている。

「でも、守られているだけだと、私、なんだか・・・恥ずかしいというか照れるというか・・・なんだか、落ち着きません・・・」

「落ち着かない?」

「あ、はい・・・人から親切にされると、嬉しいんですけど・・・なんだか、私のせいで迷惑かけちゃっている気がしてならないんです・・・」

 そう言って、今度は平牧が俯いてしまった。

「・・・俯くなよ。」

『ポコ』

「あてっ・・・」

 俺は平牧を軽く小突いた。平牧は額をさすりながら俺を見る。

「なんですか~?」

「あんたが迷惑かけているって思い込むのは勝手。だけど、俺はそうは思わない。」

「え?」

「俺は、あんたが断っても守るよ。世界を救うにはそれしかないし、それに・・・あんたをまき込んじゃった償い、俺はこうする事でしか返せないから。」

「藤越君・・・」

「あんたは、いっつも人の親切を気にしすぎて、なんだかんだと自分でやる癖がある。」

 俺だって、それくらいは分かっている。一応、学級委員だし。

「でもさ、自分で出来ない事は、素直に人に頼ればいいんじゃない?俺達は、あんたに頼られるために集められた、あんたの言葉を借りれば、誇れるクラスメイトさ。」

 俺は言うだけ言うとなんだか恥ずかしくなった。面と向かって言う言葉かな、この俺が。

「そうだぜ、平牧。」

「入沢君?」

「俺達は、お前が頼ってくれりゃそれに応える準備は万端だ。何があっても守り抜いてやるさ。」

「私も同感ですわ、平牧さん。この鳳凰姫、全力であなたを守り抜きます。」

「姫・・・でも・・・」

 平牧は、少しまだ戸惑っているというか、躊躇っているというか・・・遠慮が見え隠れしている。じれったいというかなんというか・・・

「じゃあさ、あんたは俺達にどうしてほしいわけ?」

「え?」

「守る守られるの関係が嫌なら、どういう関係でいたいわけ?それくらい、言えない年じゃないでしょ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと・・・」

 平牧は、一分弱ぐらい悩んでからこう言った。

「ずっと・・・ずっと皆さんと一緒に・・・いたい・・・です。」

 途切れ途切れだった。だけど、俺達は平牧の気持ちを確かに聞いた。聞いたとあっちゃ、それに応えるしかないね。

「OK。一緒にいようじゃん。」

「藤越君・・・」

「陽らしい答えね。」(緑山)

「それがお望みなら、私もそうですわ。」(鳳凰)

「ウチラは親友やな、陽ちゃん。」(高村)

「ずっとこのメンバーか。悪くないな。」(杉山)

「あぁ。楽しいことになりそうだ。」(入沢)

「これからも宜しくお願いします、平牧さん。」(次山)

「固いってーの。」(恭一)

「そうと決まれば、今夜はオールナイトで陽との親睦会よ!」(近松)

「ほなウチラも、ずっと担任と副担任でいよか、由子。」

「そうね。陽がそう言うんじゃ、最低でも卒業までは、そうありたいわね。」

 口々に、平牧との友情を約束しだし始めた俺達。どう?平牧。率直な感想は?

「ありがとう・・・ございます。」

 平牧の頬に、一筋の涙の痕が光っていた。


 その夜。近松が提案した徹夜の親睦会は、よりにもよって堂々と敢行された・・・冗談だと思って安心していた俺はバカだったみたい・・・ともあれ、それは敢行されている。だけど・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 辺りは静寂の一途を辿っていた。発案者である近松が寝入ってしまったから、その時点で次々と眠り始めた。今、起きているのは数人だ。正確には、俺のテントのメンバー全員が起きている。理由は簡単。見張りだ。用心に越した事はないからね。

「良かったですね、藤越君。」

「なにが?次山。」

「平牧さんのことですよ。全て丸く収まりました。」

「いや、まだ全てじゃない。」

 日高が真剣な口調で言った。

「俺達の最終目標は、平牧が持っているデータ媒体の削除。それで、ほとんどの任務は完了だ。」

「ほとんど?全てじゃないの?俺達の目的はデータデリート。それが終われば万事OKじゃん。」

「それは、平牧の持っているデータがこの世に唯一無二の存在だった時だ。データを作った張本人が、コピーや資料を手元に残している可能性は大いにある。大本を締めないと、世界から脅威は取り除かれない。平牧の身が危険にさらされる事も同義だ。データに関係する物が残っている限り、敵はそれを狙ってくる。俺達が、そこに関係しないとは言い切れない。」

「確かに、日高の言うことも一理ある。」

 義政も、そう言って日高の意見に賛同する。

「だけど、だったら守り抜けばいいだけだ。平牧も、みんなも、この世界もな。おいら達が望むのは世界の平和だ。世界の掌握じゃない。」

「分かっているさ、そんなこと・・・」

 分かってなくちゃ、やってらんない。

「だいいち、俺達が世界を掌握したところで世界は変わらない。何十億という人間がひしめく空間を、たかだか数十人でまとめようって方がそもそも無理だ。」

「だが、敵はそう思っちゃいない。だから狙ってくる。」

 日高はそう言って、少し唇をかみしめる。

「自分の持っていない物を持っている人を羨んで、それをほしがる人間なんか散らばっている。生きる上で物欲は外せない。だけど、その物欲にだって限度はある。世界掌握は、人間が欲しがる物欲の度を超えた存在。踏み入れたり、手に入れようとしたりしちゃいけない。」

「そうだ・・・俺達は、世界を脅かすバカどもを駆逐する力がある。使ってやらなきゃ、ただでさえ腐った世界はもはや使い物にならなくなる。腐りきったらお終いだ。腐りきる前に、俺達が最適まで持っていかなくちゃいけねーんだ。」

「言うね、日高。痛烈だ。」

「・・・俺は、正直言ってこの国が嫌いだ。」

 日高は、少し間を置くと唐突にそんなことを言った。

「正確には、政府が、かも知れん。絶え間ない不祥事、税金で甘い蜜を吸う政治家、弱腰にしか見えない外交・・・国民の苦労を持ち出した奴らのマニフェストなんか、所詮、口先だけの詭弁だ。あいつらは、国民が想像以上に苦労している現状を知らない。無論、俺達が直面しているこの問題に関してもだ。」

「え?どういうこと?」

「日本政府は、俺達の行動についてはなにも知らない。イギリス側からの正式な要望は、基本的に拒否の方向で動いたからな。」

「マジ?」

 初耳なんだけど。

「じゃあ、なんで俺達は、平然と活動できているわけ?」

「イギリス側からの極秘行動ってことだ。日本政府には感づかれちゃいない。政府は、今回の問題に日本が積極的に関わる事によって、見えない敵対国からの攻撃対象に選定されることを恐れた。近年、国家予算における自衛隊などの軍事に当てる割合が少なくなってきているからな。そんな時に、強大な敵軍に攻められれば、今度は本土全体が、第二次大戦における沖縄の運命を辿る。それも、あの時とは比べ物にならない、戦力と装備と犠牲でな。」

「あの~・・・その話はどこまで信じていいわけ?」

「お前の勝手だ。ほとんど、俺の推論だからな。だが、そうならない可能性が無いとは言いきれない。今の世界情勢を見れば、今回の問題がなくても、いつ世界大戦で地球が滅んでもおかしくない。」

 あぁ、懸念されているよね、それ。でも・・・

「俺、日高の言うことなんとなく賛同。」

「藤越・・・」

「正直言って俺もさ、アメリカも日本も、政府を見ると嫌いなんだよね。利権まみれというか、そんな感じに思っちゃってさ。政治に興味もないのに政治批判するなって、さんざんおふくろから怒られた。でもさ・・・俺がそう思ったら、それでいいんだよね?」

「・・・いいんじゃねーのか。」

 答えたのは義政だった。

「おいらも、なんとなく分かる・・・正直おいらは、この国を守りたいとは思っても、それを、そっくりそのまま、政府の人間を守ることとイコールにできねぇ・・・国を守ることと、その国の政府を守ることはわけが違う。おいらはそう思う。」

「僕もです。」

 次山も賛同してきた。

「不思議な感覚ですけど・・・あんまり、政府を守ることを考えたことはありません。だって、僕らの税金をああも無駄に使われるとさすがに・・・ホント、不公平な気分です。」

「僕も。」

 伊吹も賛同した。

「時々、日本の政府が何を考えているのか分からなくなる時がある。選挙一つにしたって、なんだかんだと利権が絡んで・・・気が付くと自治体レベルで癒着のオンパレード・・・なにを信じればいいのか、時としてホントに分からない。政府は、もっと僕達に説明をするべきだよ、いろいろと。何の説明もないまま、メディアで報じられて国民は全て分かっているかのような政治家の認識。そんなんじゃ甘いよ。憲法九条の改正問題の時だって、国民の、特に若い世代は、九条がなんなのかよく分かっていない人さえいたらしいから。」

「九条の改正問題?なにそれ?」

「そうか・・・お前はアメリカに行っていたから知らないんだろう。一昨年の事だ。憲法九条、つまり、戦争放棄の条文が載っている所だが、そこを改正しようという動きが政府に出た。」

 日高の説明に、俺は目を丸くした。俺がアメリカに行った間に、そんなことになっていたなんて

「え?マジで?あれは、世界にただ一つしかない、戦争放棄を謳った条文でしょ?改正問題の議論が出る時点でおかしくない?」

「俺もそう思ったさ。憲法の一文が誇れる国なんて、そうないと思っていたからな。しかし、なにはともあれ、そういう議論が勃発した。結果的に見ればそれは失敗に終わったわけだが、それは当然の結果だと思っている。改正案では、取りようによっては自衛隊が軍隊になるからな。俺には、時の内閣が戦争を容認していってしまうんじゃないかとさえ思った。そうなれば、俺達は昭和の世界大戦時代の日本を復活させちまう。大日本帝国と名乗り、戦争と軍事で自滅したあの時代に・・・過去は反省点として活かすものであって、掘り返し、蒸し返し、繰り返すためにあるものじゃない。そこから俺達は教訓を得て、その愚かな行為を繰り返さないことが絶対条件なんだ。ましてや、広島と長崎で原爆を体験した、この国に住む人間なら尚更な。」

「だけど、前の政権はそれを繰り返そうとした?」

「いや、そこまで頭が回っていたかどうかも怪しい。もしかすると、そこまでは考えていなかったのかも知れん。確かに、改正したところですぐに戦争が始まるわけじゃない。だが、そんなのは楽観論だ。改正すれば、いずれ、日本は再びその道を歩む。国民は、心の片隅でそれが訴えてきたんだろうな・・・国民投票の蓋を開けてみれば、改正反対が実に九割だ。当然の結果だろうと俺は思ったさ。」

 事の顛末を聞いて、少しホッとできる自分がいる。

「まぁ誰だって、世界大戦の再現は嫌だろうからね。」

「だが、俺達が平牧を守れなければ、どの道、日本の意向は関係なしに列強が動き出す。そうなれば・・・」

「その先は言わずもがなですよ、日高君。防ぎましょう、僕達の手で。」

 そう言った次山に、日高は珍しく微笑んだ。


 夜が明けた。朝食を何の変哲もなく終わらせた俺達は、片付けの後会議を開いていた。議題はもちろん、平牧のことだった。中心となって話を進めているのは、もちろん智だ。

「平牧さんが現状を認識してくれた今、俺達がやるべきことは一つ。そのお守りに入っているデータの削除。デリートの方法として、そのマイクロチップに触れた百人目である平牧さんのパソコンを使う。平牧さん、パソコンは?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ?平牧が黙ったまんまだ。

「お~い、平牧?」

「・・・ほえっ!?」

「・・・妙な声で反応しないでよ。」

「すみません・・・ちょっと、寝惚けているんです・・・昨夜の事が気になって、全然寝つけなかったものですから。」

 あぁ、まぁそういうことなら、仕方ないか・・・

「そ。それで、平牧の家にパソコンはあるの?」

「パソコン、ですか?ありますよ、ここに・・・」

「ふ~ん・・・ってここ!?」

 ナイスツッコミ、国風。

「はい。ちょっと、持ってきますね。」

 そう言って、平牧はテントの中に消えた。あいつはノートパソコンを常に持ち歩きでもしているんだろうか。

「これです。」

 しばらくして平牧が持ってきたのは、ありふれた、本当にありふれた普通の黒いノートパソコンだった。いや、別に変わった物を期待していたわけじゃないけど。

「じゃあ、起動させますね。」

 平牧はパソコンのスイッチを入れ、自分のログインから最初のページに入った。

「それで、ここからどうすれば?」

「平牧さんのお守りに入っているデータを出して。」

 平牧は智の指示に従い、首から提げていたお守りの袋を開ける。すると、確かにマイクロチップのような物が出てきた。え~っと・・・メモリースティックだっけ?正式には。

「これ・・・ですか?」

「間違いない。それをパソコンにセットして。表示されたパスワードを入力すれば、データは消える筈。」

 楽勝なんだね、案外。平牧がデータを差し込むと、パソコンはすぐにそれを読み取った。そしてパスワードが表示され、平牧はそれを入力した。念のためなのか、入力した後すぐに実行しないで、何度か見直していた。平牧みたいな注意深い人間は、テストの時でも見直しは欠かさないに違いないね。

「それじゃ、いきます・・・」

 平牧は覚悟を決した玉砕直前の兵士のように、しっかりとエンターキーを押した。

『カー・・・・カリカリ・・・・』

 パソコンは、しばらく動きを見せなかった。デリートにはそれ相応の時間が必要だろうと思っている俺達は、しばらく、無言のまま画面を見ていた。


 けれど、事態はその直後に暗転した。


『ガリガリガリガリガリガリガリ!』

 パソコンが突然妙な音を立て始めた。同時に、パソコンの画面がみるみる暗くなっていく。

「え?えぇ?」

 平牧は、目を思いっきり開いてその画面を見つめた。すると突然後ろから、

「どいて!」

 平牧のすぐ横に誰か座った。金髪のウェーブの下にある顔を見る。東山弥生(ひがしやまやよい)・・・校内において数少ない、放送部に所属する女子だ。頭脳明晰そうな雰囲気を醸し出し、事実、今回の入試で一番いい成績を取ったという噂だ。東山なら、本気でその程度はやりかねそうな気がする。それはともかく、東山が平牧の横に座ってパソコンのキーをやたら速く叩いている。勢いよすぎ・・・壊れるよ、パソコン。

「・・・やられたわね・・・」

 キーを叩くのを止めた東山は、こっちに向き直ってこう言った。

「このデータは偽物よ。表示されたパスワードを入力すると、データがデリートされる仕組みに間違いはないわ。もっとも・・・消されるデータが、本来消すべき脅威の新兵器の物じゃなく、陽のパソコンのデータだったけど。」

「つまり・・・どういうこと?」

「元々、偽物だったってことよ。どこでどうすり替えたのかは分からないけど・・・はぁ・・・」

 東山は、申し訳無さそうにため息をついた。まぁ、落胆する気持ちは分からなくもない。

「ほな・・・本物はどこにあるん、弥生?」

 犬飼が尋ねた。

「そうだね。これが偽物だったとしたら、本物は誰が?」

「それは私にも分からないわ・・・ただ一つ言えるのは、陽じゃない別の誰かがデータを持っているという事が、たった今その事実を知った私達と、データを持っているその張本人にしか分からないってこと。他の組織がこの情報を仕入れていたのなら、昨夜のような事は起こらない筈だもの・・・とりあえず、当面、この情報が漏れない限りは、敵はまた陽を狙ってくる。それだけは確実ね。もっとも、この事を言ったところで素直に聞くとも思えないし。」

「だろうな。」

 東山の意見に、晴一が賛同した。

「そんなことぐらいで諦めるような奴らなら、ハナっから平牧を狙いはしねーだろ。ともかく、しばらくの間、このことについては敵の耳に入れないようにした方がいいな。敵より先に、データを持っている誰かを見つけだす。」

 OK、上等じゃん。

「あの、入沢君。」

「あん?どうした?伊吹。」

「このこと、イギリス側には説明した方がいいのかな?」

「説明?なんだってまたそんなことを?」

「いや・・・だって、本来平牧さんが持っていた筈のデータが、偽物にすり替えられていたんだよ?大問題だと思うけど。」

 あぁ、そう言われればそうだけど・・・

「それは逆にまずいんとちゃう?伊吹。」

「国風さん?」

「確かに、今回のことはエライ大問題や。せやけど、そやからいうてイギリス側に報告するために連絡とってみ?逆にそのルートから情報漏れ出す可能性あるで。そないなるんやったら、いっそのこと、ウチラだけでひた隠しにしとった方がエエ。データは陽が持ってる。ウチラはそれを守るために日々東奔西走や。しばらくは、そないして敵の目を欺く以外にあらへん。ほんで、その真の目的は別にあり。陽を守るために、ウチラが敵の情報を集めるフリしながら、本物を持ってる誰かさんを捜す。なんとかしてな。」

 確かに、国風の論には一理ある。敵だってバカじゃない。俺達とイギリス当局を結ぶ連絡網。そこに網を張って待ち伏せしていたって不思議じゃない。無闇にそこへ突っ込んで行くよりは、俺達が情報を隠蔽しておいた方がまだ漏洩は防げる。まだ安全だ。

「よし。当面の方向性はそれで決まりだ。」

 智のひと言で場は収まった。


 その日の夕方。俺達は学校へと戻った。そのまま家まで送ってくれればいいのに。俺は、走り去っていくバスを見ながらそう思った。

「平牧一人じゃ物騒だ。警護もかねて、一緒の方向の奴で固まろうぜ。」

 という晴一の提案で、俺達は大体半分になった。学校の門を出てすぐ、クラスの半分が二方向に散る。まぁ、右か左かの違いなだけなんだけど。そこからも、徐々に一人、また一人と脇道に消えていく。そして誰もいなくなった・・・なんて事になると面白いんだけど、現実主義とはよくできている。平牧の家は、俺の帰り道の途中に存在した。普通の庭付き二階建て一軒家。平牧は、ここに両親と妹の計四人暮らし。まさに中流だ。

「じゃあ、今日はこれで。」

 平牧は俺達に頭を下げると、俺から自分のカバンを受け取って家の中に消えた。言い忘れていたけど、ジャンケンに負けて、俺は平牧のカバンを持っていた。意外と重かった・・・

 平牧の家に寄ると、実は、俺のいつもの帰り道からは若干遠回りになる。途中まで、俺は智と歩の二人と一緒だった。俺と智がテニスの話で盛り上がる中、歩はあまり話に乗ってきた感じがなかった。

「テニスの話だと、やっぱり歩は無理?」

「うん・・・ちょっとね・・・」

 妙にはぐらかされた。まぁ、あんな問題の後じゃ、さすがに俺がいても気まずくなるんだろうか?挙句に俺まで暗い雰囲気に惑わされ、その後、俺が家に帰るまで会話はなかった。



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