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第一話二章 違う日常の夜明け

 違う日常の夜明け


 さて・・・昨夜、智達から世界の破滅だの何だのを聞き、家に帰ってからその事ばかりを考えていたせいか、翌日、つまり今日の俺の寝不足は強烈だった。春真っ盛りのこの時期に、重度の寝不足は手厳しいものがある。歩いているだけで眠くなってくる。

「ふぁ~~~~~~~~~~~~~~~あ・・・あぁ・・・」

 本日既に何度目か分からない大欠伸を、人目憚らずに堂々としてしまう俺。これで制服でも着ていよう者なら、春の陽気に負けそうな学生に見てくれるだろう。ところが、俺の今は私服で、テニスバックを背負っている。傍から見れば、平日の朝っぱらからどこぞのコートで練習でも始めそうなアマチュアテニスプレイヤーだ。職業は、大半の人がフリーターだと思ってくれるだろう。私服や環境はこうまで人の印象を変えるものなのだろうか?

「おっはよう!」

 後ろから元気な声が聞こえた。振り返ると、白いスカートをなびかせながら、歩が駆け寄ってくるのが見えた。

「おはよう。相変わらず元気だね、歩。」

「衆君、眠そうだよ?」

 俺の横に並んだ歩が、そう言って心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「そりゃそうでしょ・・・智からとんでもない話を聞いちゃったんでね。気になって眠れやしなかった。」

「そう・・・私の事は聞いた?」

「あ・・・そう言えば聞いてない。歩は、いったいどんな特殊能力が?

「そんな大それたものじゃないよ。私は、中国拳法の使い手なの。特に少林寺の。」

 少林寺?聞いたことのある単語だけど、歩との会話で出てきた記憶はない。

「そんなのやってたっけ?」

「うん。中学に入ってからだけど。それだけだよ、本当に。」

 それだけね・・・ま、こんな非日常なことに巻き込まれるくらいだ。それだけで相当な実力があるに違いない。一般レベルの拳法娘じゃ、そんなものに巻き込まれる筈もないし・・・だと考えれば、歩の実力は余程のものになる。この、細くて小さい体のどこにそれだけの力は隠されているんだろうか。あぁ、世の中って分からない。


 朝の八時半少し前。俺と歩は、二人揃って教室に入った。既に近松がいるのが視界に入る。どうやら、今日は恭一の負けらしい。やたらに近松が勝ち誇った顔をしているから尚更だ。俺以外でテニス部としてここにいるのは、

「おはよう。」

 後ろの入り口から入るとすぐ傍にいる竜堂だ。それ以外は姿が見えない。律儀に朝練だろう。

「たまには、朝練に出た方がいいよ、衆君。」

 未だ朝練参加ゼロの俺に、竜堂は朝一番から苦言を呈してくる。マネージャーである竜堂は、部長の意向で朝練免除だ。

「昨日、あんたから聞かされた話のせいで寝不足なの。無茶言わないでくれる?」

「え?そ、そうなの?・・・ゴメン・・・」

 シュンと俯く竜堂。あ~、ちょっと言い方キツかったかな?

「いや、謝られても困るんだけど。俺が変に気にしすぎただけかも知れないし。」

「ううん、気にするのは普通だよ。誰だって、考え込んじゃうもん。」

 俺にそう言う歩。竜堂をフォローしているような気がしなくもない。

「あら?結局喋っちゃったんだ、智。」

 こっちの様子を気にしていた近松が、話に加わってきた。

「恭一から、近松の力のことも聞いた。自分じゃ制御できないんだって?」

「・・・ま~ね・・・私一人だと、全力は何が起きるか・・・分かっていることは、恭一だけが、私を制御できる。それだけ。」

 珍しく、近松が神妙な感じになった。いつものメランコリーとは違う沈み方だ。

「なるほどね。それなりに悩んでるんだ?」

「そりゃね・・・さすがの私も、自分に妙な力があったら悩むわよ。無意識にそれが使いこなせているのならまだいいわ。意識してもよく分からないから、逆に厄介よ。」

 そう言って、近松は顔を険しくした。憤っているんだろう。力がありながら、それをどうすることも出来ない自分に。

「ちーっす。」

 智達がやって来た。どうやら今日は、珍しく恭一も朝練に行ったようだ。

「よく行けたね?」

 一番最後に教室に入ってきた恭一に、俺は声をかけた。

「頑張ってみて、なんとかな。明日は無理だ。という訳で瑠璃。今日の試合はノーカウントだ。いいよな?」

「・・・まぁ、朝練なら仕方ないわね。明日は勝ってやるんだから!」

 そう言って、近松はしっかり恭一を睨んだ。恭一は、いつもの微笑み顔でそれを流す。

「ところで衆君。平牧さんはまだなの?」

 伊吹が、俺の顔を覗き込みながら聞いてくる。

「平牧に限って遅刻は無いと思うけどね?」

「だよね。」

 そう言って、伊吹は廊下に顔を出した。少し階段の方を見た後、俺にこう切り出した。

「それじゃ、昨日話したとおり、平牧さんは任せたよ。」

 そう言って、俺の右肩をポンと叩く。

「あぁ、期待しないで見守ってよ。」

「え?任せるって?」

 案の定、話について来れてない近松が問い詰めに来た。

「竜堂、説明しといて。なんか、自分で説明すんのがメンドクサイ。」

「そ、それくらい自分でしようよ、衆君!?」

「やだね。」

「そ、そんな~・・・が、学級委員でしょ?」

「関係ないね。」

「なにが関係ないんですか?」

「決まってんでしょ?俺が説明しても竜堂が説明しても同じなのに、学級委員だからって理由で俺が説明しなきゃならないわけ?」

「・・・なんの説明ですか?」

「決まってんでしょ?世界に関わる重要な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの・・・さっき、途中から俺とコミュニケーションしてたのは平牧?」

「そうですけど?・・・」

『それがどうかしたんですか?』平牧の目線はそう訴えてくる。いや、どうもこうもなく。簡潔に状況を説明すると、途中から俺のコミュニケーションの相手が竜堂から平牧に代わっていた。いつの間に?全然気付かなかったんだけど。

「え?・・・あの・・・あなたと竜堂さんだけの、すごく深いお話だったんですか?なんだか、雰囲気が全体的に微妙な感じがしますけど。」

 そりゃそうだろうさ。あんたに対しての最重要機密を、危うく俺が暴露しかけたんだから。

「いや、それは気のせいだと思うけど。」

「そうなんですか。良かった~。ケンカだったらどうしようって思って。」

 そう言って平牧は笑った。俺はすんごくヒヤヒヤした。


 その日の昼休み。担任、豊綱先生の現代文の授業を終わらせてくれる鐘が鳴り、大きく一伸びした俺は、カバンの中から弁当箱を取り出す。弁当箱の大きさに関しては何も文句は言わない。だけど・・・

「へぇ~・・・かわいらしいお弁当箱だね。」

 そう言って、横を通った一義が笑う。そう思われて無理のない絵柄だ。この歳になって、高校一年生男子のお弁当箱が、よりによってかわいらしい猫ってことはないだろう・・・以前使っていた弁当箱が、不覚にも不覚で使用不能になってしまい、姉ちゃんが買ってきて本日お披露目となったんだけど・・・

「ハァ~~~・・・・」

 ため息をつくことを納得してほしい。だってそうでしょ?なんだって・・・どういう意図があって、姉ちゃんは俺の弁当の白飯部分にハートを入れたんだ?愛妻弁当のつもり?相変わらず、わけの分かんない所でサプライズ精神を無駄に・・・いや、俺に対してやや迷惑な形で使うんだろうか。料理の腕前こそ最高だけど・・・

「あ~~~!衆君のお弁当、めっちゃかわいい~~~!」

 俺の横でそんなビックボイスを響かせるのは、クラスにいる関西三人娘の一人だ。その名も、高村光(たかむらひかり)・・・イラスト部所属のちびっ子。身長は、このクラスで唯一と言っていいだろう、俺より小さい。百五十と少しといった感じ。関西三人娘の中でも妹的存在で、既に学年内で話題沸騰という噂もある。僅かに茶色がかった髪と純粋を絵に描いたような瞳が印象的な、いわゆる正統派と言われる美人だ。関西は和歌山出身。中学二年の時、智の中学に越して来たらしい。歩と、智を巡って争っているとも噂されている。そして更に聞いた話では、そこに竜堂も加わっているらしい。まぁ、智はガキの頃から女子にたいへん人気があり、それが今も健在なだけだと思うけど。

「ハート入ってんやん。ま、まさかその年で・・・誰かと同棲してるん?」

 高村が、そう言って目を見張った。いやいや、自分で言って目を見張らないでくれる?

「作ったのは姉ちゃん。ハートを入れるのは、姉ちゃんの機嫌が良ければいつもの事だし。」

「お姉さんが作ってはるん?二人暮らし?」

 あぁ、そっか。そのことを知ってる奴、まだそんなにいないんだっけ。

「親父と母さんはまだアメリカ。俺が日本に戻るって言ったら、姉ちゃんが付いて来たってわけ。」

「そうなんや。せやけど、なんで日本に戻りたいて思たん?」

 なんで、なんで、か・・・

「なんとなく・・・アメリカも嫌いじゃなかったんだけど、日本の方が居心地いいんだよね、どうしても。鮭が、自分が生まれた川を覚えていてそこに卵を産みに来るのと同じ原理なんじゃない?帰巣本能ってやつかな。」

「そういうもんなんやろか?・・・」

 俺の説明に納得がいかないのか、高村は少し首を傾げる。

「じゃあ、高村にはないの?和歌山に戻りたくなる事とか。」

「ないこともあらへんけど・・・せやけど、ウチは今のこのクラスが好きや。この町が好きや。今は、あんま戻る気しーへん・・・」

 へぇ~・・・

「俺はてっきり、智と離れたくないからだって思ったけど。」

「!!!!!!!!」

 俺がそう言うと、高村は顔を紅くし始めた。分かりやすい。

「やっぱそうなんじゃん。顔に出ちゃうんじゃ、あんまり隠す意味もないんじゃない?」

「隠す?」

「智への気持ち。言ってないんでしょ?」

「・・・言わんくても、智君はきっと分かってると思う。ウチの気持ちなんか・・・きっともう気付いてる・・・せやけど、智君は優しいから。ウチがちゃんと言うまで、そのこと・・・・・意識、しーへんようにしてくれているんやって思う。」

 智がね~・・・俺は、智の方を見やった。一義と談笑しながら白飯を頬張っている。

 高村は、智が気付かないふりをしているんだって言った。だけど、本当にそうか?智とは長年の付き合いだけど、女性関係となると俺もあまり知らない。なにせ、智の周りには常に歩がいたからだ。それは、妹が優しくて強くてかっこいい兄貴に懐いているだけのように傍からは見える。

 しかし、それが周りの女子にとっては困った事だった。歩という最終防衛線を突破するためには、歩と仲良くなるしかなかった。無論、それを無視して智にダイレクトアタックを仕掛けた女子も知っている。でも、その度に歩がことごとく妨害する。歩の懐柔なくして智の攻略はありえなかった。

 ところが、歩を懐柔しても智はそう簡単に堕ちはしない。なにせ、あいつはとにかく優しい。おそらく、あいつの親父さんの影響だと思うけど、智は・・・少なくとも、非がない場合は女性の味方だった。まぁ、歩を守る内に自然に身についたのかも知れないけれど、親父さんの教育も少なからずあると思う。さらに智は、誰かを贔屓したりなどという事は、少なくとも、俺達のようなクラス単位のコミューンにおいてはしなかった。無論、それは女子にも適用される事だった。 いうなれば、女子の誰にもそれらしい態度をとっていたというわけだ。よって、智にそんな気はないとは思うけど、周りの態度により、智は期せずしてプレイボーイへの道を、よりにもよって幼少の頃から歩む事になってしまった。そうなった智の顛末が、現在の高村のような女子を多く作り出す結果となった。俺が知っているのは小学生まで。あの頃は、その影響はまだ同学年に収まっていた。

 だけど・・・中学ではどうだったんだろう。思春期真っ只中の上級生と下級生の群れ。そこに存在する智という男の存在・・・秘密裏にファンクラブが出来ていてもおかしくない状況かもね。これがまたどういうわけか、智の周りというのはレベルの高い女子が多い。なにせ小学校時代、学年のマドンナが惚れたのが智という話を聞いたことがある。真実かどうかは定かじゃないけど、一説には、そのマドンナが智の気を引くために自分で流した・・・なんて話もあったぐらいだ。おそらく事実に違いない。でもそんな時に限って、そういう男には意中の人が・・・なんて話はドラマじゃ通例。そして、その意中の人は全然違う人が好きなんです・・・あぁ、ベタな恋愛ドラマの定番だ。

 ところが、智にはそれすら適用されない。なにせ、智と他の男を比べた時、その他の男が智に勝てる要素が一つもないからだ。スポーツ万能・勉学秀才・容姿端麗・リーダー気質溢れる優しい男。智を賞賛するための形容詞なんか数多に存在する。けれど、男にとっては嫉妬の根源限りない時もある。事実、幾度となく他クラスの男子の嫌がらせを受けていた。しかし、その後の女子による報復は筆舌に尽くし難いものがあった。俺は智の親友で良かったとつくづく実感するね。あんな報復を一斉に受けた日には、俺は不登校になって転校を親に申し出るだろう。女は怖いという格言を、俺はその時身を以って知った。結論を言ってしまうと、智は無自覚の内に罪な男になってしまったってわけ。羨ましいような気の毒なような・・・智自身は、塵ほどにも気付いていないだろうけど。

「・・・ま、頑張りなよ、高村。」

「なん?」

「智を狙ってる奴って多いからさ、急がないと、差し押さえられかねないよ、マジな話。」

「それは、分かってんねや・・・せやけど、ウチが智君と釣り合うかどうか・・・」

「そんなこと、今から気にしてんだ。早いんじゃない?それを気にするの。そういうことは、智との間柄が少しでも進展してから悩みなよ。今、二人はただの友達なんだからさ。」

「ただの・・・友達・・・」

 そう、友達だ、傍から見れば・・・

「・・・だけど、これからは否が応でもそう言ってらんないかもね。」

「なん?」

 首を傾げる高村をよそに、俺は、教室内に平牧がいない事を確認してこう言った。

「平牧を守るためのボディーガードであるこのクラス。そんな特殊な状況にいる以上、俺達の間柄は『ただの友達』なんかじゃいられなくなる筈さ。少なくとも、全員が全員を『仲間』だと、そう認識し合わなくちゃいけなくなる。あいつを守るために、体を張る事だってあるんだろ。そんな時に、『ただの友達』より『仲間』の方が、お互いを助け合おうとする心は強そうでさ。」

「な、なんで衆君がそれを知ってるん!?」

 驚愕の表情を見せる高村。今朝の近松を見ても感じたけど、智の奴、テニス部以外の人間には、俺にその事を話す事を伝えてないみたいだ。

「昨日、智や一義とかが話してくれてさ。なんか、俺が原因っぽいし。」

「・・・衆君が原因やあらへんよ。そもそもは、あないなもんを作った張本人や。」

「そりゃ、そうだけどね。」

 確かにそうだ。その誰かさんがあんな物を作らなきゃ、俺がそれを拾う事もないし、それを平牧に渡す事もない。こんな事態になる事もない筈・・・よくよく考えれば、その張本人は果たしで誰なんだろうか?昨日の智の話から察する限り、それが誰なのかを知っているのはイギリス側だ。俺達が知っているかどうかは定かじゃない。少なくとも俺は知らない。

「高村は知ってるの?作った張本人の情報。」

「ううん、ウチラもよう知らへんねん。」

 高村は申し訳無さそうに首を振る。

「誰も知らない?」

「多分・・・」

 誰も知らない・・・よくそれでボディーガードをしているもんだね。敵を知らずに、ただ平牧を守るだけ・・・それだけなのか?このクラスの存在意義は。いや・・・俺達の存在価値は。

「高村・・・このクラスの奴ってさ、必ずなんか凄いんでしょ?」

「うん、そやけど?」

「高村は、なにがどう凄いの?正直、どんくさそうなイメージしかないけど?」

「アハハ・・・ウチは頭だけや。運動全般はそないに得意やあらへんよ。ウチは、IQの高さを買われてん。」

「IQ?どれくらいなの?」

「だいたい・・・百六十ぐらい。」

「・・・へぇ~・・・」

 言われて俺は、もう一度高村を見る。

「そ、そないに不思議?」

 俺の視線に、高村が少し視線を逸らす。

「うん。全然、そんな天才に見えない。」

「まぁ、IQの高さなんか外から見ても分からへんもん、普通そうやって。それに、ウチぐらいのIQやったら、他にもたくさんおるもん。たまたま、ウチが今度高一になるからって、それだけの理由やと思うんや、ここに選ばれたん。ウチが、もしいっこでも年違うかったら、ここにいるみんなとも会えへんかったと思うし、こないな事も知らへんまま、もっと普通な人生をしてたんやと思う。せやけど、ウチはそっちの方が、なんかイヤやな。陽ちゃんを守らないかん。失敗したら世界は破滅。そんな、なんやすごい危険が背中にあるけど、ウチはそれでいい・・・だって、普通の人生なんて、ちょっとは楽しいやろうけどつまらへん。非現実的でもスリルのある方が、正直、ウチは楽しい。」

 そう話す高村の笑顔は、本当に楽しそうだった。

「ホント・・・何から何まで意外だね。まさか、高村がスリルを楽しむ性格だったなんて・・・ホラー映画やジェットコースターで失神しそうなイメージすらあったのに。」

「そ、そないなイメージやったん?ウチ。」

「俺の中ではね。認識を改めなくちゃ。あ、言っておくけど、智の前で俺が言ったイメージ通りの事をしても無駄だよ。あいつ、そういうのってすぐに見抜くし、だいいち、そういう演技をする奴、あいつは好きじゃない。智とそういう状況になったら、素直な自分で楽しむ方がポイント高いよ。」

 言った後で俺は思った。なんで、高村にアドバイスしたんだろうって。俺はおそらく、後々に竜堂にも同じ事を言うに違いない。どうやら俺は、世界だけに飽き足らず、高村と竜堂の智争奪戦まで引っ掻き回すつもりらしい・・・・・・ま、それはそれでおもしろいかもね。ついでに歩にも・・・あいつは知ってるかな・・・

「衆君、なんでウチにそないなこと、教えてくれるん?」

 案の定、高村は不思議そうに聞いてきた。

「人の忠告は、聞いても損はないよ?」

「せやかて・・・ウチに損はのうても、衆君には得も損もないんとちゃう?」

「・・・損得勘定は抜き。人の恋路を素直に応援するくらい、俺はアメリカで丸くなっただけだし・・・それに俺の感想としては、あんたと智、けっこうお似合いだよ。」

 俺はそれだけ言うと、なんだか無性に恥ずかしくなって立ち去った。高村の表情なんか分かりはしないけど、それなりに驚いてはくれてるんじゃない?さて・・・教室にいなかった竜堂に、この情報を伝えるのはクラブの時かな・・・


 そんで、クラブの時がやって来た放課後の事。その日も、男子テニス部の練習は何事もなく始まった。先輩達がコートで練習している間、俺達一年は基礎的な事ばっかりしている。やれ校舎周り十五周だの、腕立て・腹筋・背筋・スクワットそれぞれ五十回をファイブセット・・・挙句にはいまさら素振り二百回と来た。

 いや、勿論経験者組だ初心者組だからって分けられるわけじゃない。そんなのは強豪私立高校がする事だ。俺達は、少なくとも体裁は一般の公立高校。もっとも、その割にはそれなりにレベルは高いんだけど。だから、練習メニューが一緒なのは仕方のない事だ。

 それに、このメニューは俺にとってもそれほど嫌いなものじゃない。むしろ、基礎的な体力や筋力が付いて助かっている。アメリカ時代は、体力だの筋力だのは、テニスをしていれば身に付くものだと思っていた。ところが現実はそううまく出来てない。技術を習得するには、それ相応の体力・筋力と言った基礎的ポテンシャルがあって、どうやら初めて身に付くものらしい。特に俺なんか、筋力って点に関しては部内最低を誇るかもしれない。なにせ、どうしようもないくらいチビで細身だからね。もっとも、そういった表面的な身体的特徴は、俺の相棒である伊吹と大差ないんだけど・・・どういうわけかあいつはやたらと筋力がある。そのか弱そうな体からは想像もつかないパワーを内蔵している。

 というか、今年の一年生は、俺が見た感じではパワー系統の奴が多い気がする。智や杉山、恭一もその分類だ。一義は違うと言えば違う。あいつは、重い速さではなく軽くて鋭い速さのショットだ。だてにスナイパーの異名を誇った中学時代があるわけじゃない。その実力は一年の中でも一目置かれている。

 さて、今日の俺のメインは少しばかり違う。竜堂に、俺が昼間高村に言った事と同じ事を吹き込まなくちゃいけない。しかして、問題はそこに持っていくまでのきっかけだ。いつ、どのタイミングで話し掛ければいいんだろうか・・・

 俺は今日、どうやらこういう事に関しては運がいいみたいだね。竜堂、つまりはマネージャーの業務の一つにある水汲み。筋トレの終わった俺は、先輩に言われてそれを手伝う事になった。ところが、それを俺から聞いた竜堂はこう言った。

「い、いいよ、お手伝いなんて。これはマネージャーの私の仕事だから、衆君は休んでてよ。」

 案の定と言えば案の定だ。竜堂が素直に手伝いを受け入れるとは思えなかった。どうやら竜堂の中で、マネージャーの仕事=裏方全てになっているみたい。裏で全てを支え、裏の全てを仕切るのがマネージャーの本懐である、というようなものかな。しかし、今回は先輩からの言いつけに加え、俺自身の個人的な楽しみもあるのでそういうわけにはいかない。

「いつもやらせてばっかじゃ、なんか申し訳ないし。それに、先輩に手伝えって言われたんだから、手伝うっきゃないだろ?」

「・・・ありがとう。」

 竜堂も、どうやら納得してくれたらしい。

 さて、いざ本題に入ろうにもどうしたものか・・・こうして、二人で話す機会は得られた。だけど、次は話における起承転結の起だ。どういった世間話から入るべきか・・・いや、俺の性格上ストレートな方がいいかも知れない。なにせ、あんまり関係のないところから入ろうにも、そこが思い浮かばない。よって、俺はストレートに入ることにした。

「竜堂ってさ・・・」

「なに?」

「智の事、好きだよね。」

『コロン』

 コップの一つが転がった。ホント、竜堂は期待を裏切らないね。お約束なリアクション。

「・・・図星だね。」

 そう言って俺が見た竜堂の顔は・・・夕焼けのせいなんかじゃありえない、まごう事なき紅潮ぶりだった。

「誰から・・・・・・・・き、聞いたの?・・・」

 周りの騒音にかき消されるかのような声でそう言う竜堂。

「誰にも。見てりゃわかること。」

 無論、そういう節もあるんだけれど、人からの話も少なからず。まぁ、情報提供者を伏せるのは当然の事としてもらいたい。

「そ、そんなに・・・顔に出てた?私・・・」

「バッチリね。気付かないのは当人ばかりなりだね。おそらく、歩ですら分かってると思う。」

 歩に気付かれると、何かとアタックしにくいよ。俺はそう付け加えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好きだよ。」

 竜堂は、俺にだけ聞こえるようにそう言った。

「私・・・一目惚れしちゃったんだ、智君に。笑顔だけで・・・分かったって言ったらなんか違うけど、彼の優しさとか強さとか・・・そういうの、全部伝わってきて・・・それで・・・好きになっちゃって。」

「それは、随分とまた強烈だね。入学式の日でしょ?春先から随分と強烈だね。」

「ううん・・・部隊を結成した日・・・まだ、衆君がアメリカにいる頃だと思う。」

「え?マジ?それっていつぐらい?」

「今年の・・・二月の終わりぐらいかな?・・・その頃は、顔もちゃんと見れなかった・・・・私から話し掛けるなんて、到底できることじゃない。だから・・・だからね・・・智君から声を掛けてきてくれた時は、ホントに・・・とってもすっごく嬉しかった。」

 そう言う竜堂の表情に、嘘も誇張も見られない。心の底から嬉しかったんだろう。まぁ、智の意図を推測すると、突然告げられた謎の部隊結成に戸惑っていて、どうしていいか分からずただ俯いている竜堂を、励ますつもりだったんだろう。

「智らしいね・・・」

「え?」

 いや、こっちの話。で?

「え?」

「智には言ってないんでしょ?恥ずかしがりだもんね、竜堂。」

「な、なんで推測じゃなくて決定なの!」

 あれ?違うと言いきれるの?だったら、訂正するけど。そう言って、俺は竜堂を見てやった。

「・・・・・・・・・・・・・・う~・・・・」

 竜堂は小さく唸った。対抗しているつもりなんだろうけどね。精一杯目に力入れて。だけど、

「・・・・・・・・・言ってないよ・・・・」

 睨み合いなら俺の勝ち。

「竜堂、あんたが視線で勝とうと思ったら、対戦相手は高村にでもしときなよ。俺相手に勝とうなんて、来世になっても早いんじゃない?」

「そ、そんなことないもん。」

 俺から視線を外し、軽く頬を膨らませる。

「怒ってんの?」

「そうだけど?」

「全然怖くない。自責の念も浮かばないね。」

「・・・衆君って、ホントに中学三年間アメリカにいたの?」

「いたけど?」

 今の流れのどこで、俺のそのプロフィールに引っかかるんだろ?

「難しい日本語とか知ってるから、なんだか嘘っぽい。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・俺、なんか難しいこと言った?」

「数々・・・」

「そ。なんなら、これから全部英語で言ってやろうか?誰も分かんないと思うよ。」

 竜堂は・・・『それはいい・・・』とでも言いたそうに首を振った。それが賢明だね。

「・・・ねぇ、衆君。」

「なに?」

「歩ちゃん以上に、智君の傍にいていい人になるためには・・・どうしたらいいかな?」

「・・・それって、現状だと歩が智の傍にいて一番不自然じゃないって事だよね。」

「え?そ、そうじゃないの?」

「強ち間違いじゃないとは思う。でも・・・だからって、その質問はないんじゃない?」

「?」

 竜堂は、よく意味が飲み込めていないみたいだ。え~と・・・どう説明したもんだろうね?

「つまり・・・その・・・竜堂は、智の傍にいて一番自然、いわゆるお似合いな人間、それが歩だと思っている。」

「う、うん・・・」

「でも、俺はそうは思わない。確かに、智の傍に一番長くいるのは歩。それは間違いない。だけど、だからって歩が智と一番お似合いとは限らない。二人は双子。一緒にいるのがあまりにも普通すぎるから、誰もがそう思い込んでしまっているだけ。竜堂だって、智と立派にお似合いだと思うけど?」

 そう言った瞬間、竜堂の目は輝きを増した。喜んだのか驚いたのかは分からない。そこまで竜堂に詳しいわけじゃないからね、俺も。

「お世辞はいいよ・・・私は・・・そんな器じゃ・・・」

「それを決めるのは、智本人だと思う。つまるところ、その人とお似合いかどうかを決めるのは周りじゃなく、当人同士の気持ちと雰囲気ってわけさ。当人達がその気だと、周りも自然とそう思ってくるから。」

 だからこそ、誤解されてしまう事もあるんだけど。

「だから、竜堂にだって、全然チャンスはあるんじゃないの?」

「そ、そうかな?・・・」

「俺は、少なくともそう思う。でも、そうと決まったら急いだ方がいいよ。智は人気者だから、急がないと誰かに奪われかねないし。」

 わざと不安を煽っているわけじゃない。事実しか俺は述べていない。

「そ、そうだね・・・でも、衆君も気をつけた方がいいんじゃないかな?」

「え?俺が?俺になにをどう気をつけろと?」

「衆君も、女の子に人気がありそうだから、気をつけた方がいいよって事。朱崎君とか、中学時代はそれで随分苦労していたみたいだから。」

 あぁ、二人は同じ中学だったっけ。

「一義は、いたし方のない事なんじゃない?俺は、別にそんな目に自分が遭うとは思えないし。」

「それを、油断大敵って言うんだよ。お世辞じゃなくて、ホントに衆君はカッコイイもん。朱崎君や智君にひけをとらないぐらい。」

 そう言われると、今度はこっちが照れてくる。俺のビジュアルを面と向かって褒めるのなんて、姉ちゃんや歩くらいだ。

「参考程度に聞くけど、それは竜堂の価値観で?」

「え・・・私だけじゃないよ。一般的な女性全体の観点から、そう判断したの。」

 いや・・・それをそんな胸を張って自慢げに答えなくても・・・

「ていうか、俺、これまでにそんな風になった事ないし。」

「え?アメリカでも?」

「そうだけど・・・小学生時代は智がいたから、まぁ仕方のない事だけどね。」

「・・・」

 竜堂が、どこか怪訝そうに俺を見ている。

「なんなのさ?」

「これから起きる衆君の女の子による逃走劇の想像。」

 逃走劇って・・・

「俺が誰から逃げなきゃいけなくなるわけ?」

「ファン・・・」

 ファンって・・・俺はどこぞの売れっ子?ファンから逃げ回る高校生活って何だよ?

「だいたい、俺がなにをどうすればファンなんて出来るの?」

「テニス部で大活躍するとか、文化祭や体育祭ですごく目立っちゃうとか。」

 ハァ~~~・・・盛大なため息をどうかこの場は許してほしい。

「文化祭や体育祭でちょっと目立ったくらいで、そんなことになっちゃたまんないね。しかもそうなったところで、どうして俺が逃げ回るの?」

「その時になれば分かるよ。なんなら、朱崎君に聞いてみたら?」

「一義に?」

「うん・・・同じ中学だったから、よく見た光景なんだよ?だからこう言ってるのに・・・聞かないんだもん、衆君。」

「聞かない?」

「うん・・・私の忠告。昼間は高村さんに、『人の忠告を聞いて損はないよ』みたいなこと言ってたのに。おまけに、高村さんにも恋のアドバイスしてたし・・・」

 あ~・・・そこまで聞こえてたんだ。残念。

「目論見失敗だね、こりゃ。」

「目論見?」

「竜堂と高村に同じ事吹き込んで、智の争奪戦を盛り上げようとした。歩も必然的に加わってくるだろうし、面白そうだって思って。」

「え!そ、そんなこと考えていたの!」

 竜堂は俺の言葉に、思わず作業を止めて顔をズイッと寄せてくる。

「おっと。急なビックボイスは鼓膜に悪いよ。」

「普通は心臓でしょ?」

「現実的には耳でしょ?」

「そ、そんなことはどうでもいいの!それより衆君。高村さんも智君が好きって本当?」

 え、そこから?

「今更聞くこと?」

「だ、だって・・・一般的な恋愛論だと思ってたんだもん。まさか・・・智君のことだったなんて・・・」

 あぁ・・・なるほどね・・・どうやら竜堂は、一番耳にしとかなきゃいけないワードを聞き逃していたみたいだ。

「ある程度覚悟はしてたけど・・・智君と中学校が同じだった人は・・・みんな、智君を好きなんじゃないかって。」

 なるほど、ある程度予測は立てていたってわけか、竜堂も。

「で、高村にいたってはその推測が的中したわけだ?他はいざ知らず・・・」

「うん・・・近松さんは違うって、最初から気付いていたけどね。」

「なんで?」

「彼女は、佐藤君が好きだもん。それくらい、彼女を見たら分かるよ。」

「じゃ、なんで高村のは分からなかったわけ?」

 近松のが分かって高村は分からないって、どういうことだ?

「だって・・・智君は誰にでも優しいし、高村さんは関西出身だから、男女間の割りきった友情関係をうまく作っているんじゃないかって思って・・・」

 なるほど・・・先入観があって、今の今まで気付かなかったってわけか・・・

「でも、覚悟はしていたんでしょ?」

「うん・・・・・・・・・・・・でも、そう思っていてもやっぱり・・・」

 竜堂の表情は、高村の事にショックとも失念ともいいがたいものだった。この年ぐらいの女子の心情って、俺達男子からはそうそう計れない領域にあると思う。だから俺は、それ以上無理して計らない事にした。

「当面、ライバルは歩と高村って感じだね、竜堂。」

「う~・・・もっと多いよ。」

「でも、身近ではその二人なんじゃない?他には、特にいなさそうなんでしょ?クラスには。」

「う~~~ん・・・・・・そう思いたい。」

 口調が希望的観測に変化した。

「弱気だね、ずいぶんと。」

「誰のせいだって思っているの?」

「誰のせいでも・・・しいて言うなら、悪戯な恋愛の女神様なんじゃない?」

「・・・・・・・・・・もう・・・・・・」

 竜堂に諦観された。無意識の内に満杯になった男子テニス部用燃料補給ポット、通称『水・ブルー』・・・あまりのダサさに、最初俺は壊したくなった・・・を、非力でとうてい一人で持てない竜堂と二人で持ったけど、その間だけじゃなく、その日のクラブ中、竜堂は俺を見るたびにため息をついていた。


 それから数日が経った。平牧を取り巻く特殊な状況のことなんか、まるで嘘のような平穏な日々が続いていたある日、突如としてその日常は打ち砕かれた。


 その日、俺はいつものように学校へと向かっていた。途中で歩に会った。そこまではいつも通りだった。違ったのは、

「あ、おはようございます。」

 俺に敬語で挨拶する、歩と同じくらいの身長しかない平牧が一緒だったことだ。

「おはよ。珍しいじゃん、二人が一緒だなんて。」

「たまたま、そこの交差点で会ったの。」

 そう言って、歩が後方百メートルほどの所に存在する交差点を指す。

「平牧にしては、ちょっと早いんじゃない?登校時間。いつもは、計ったように予鈴と共にやって来るのに。」

「今日は、なんだか目覚めが良かったので・・・ちょっと、早く出てみたんです。」

 そう言って、平牧は少し照れくさそうに笑顔を向ける。

「早起きは三文の得ってやつ?それを実行するには遅いんじゃない?」

「そ、そうですか?・・・」

 すると今度は、少しショックを受けたように目を見開いて俺を見た。豊綱先生ばりに、表情がコロコロと変わる奴だ。

「そんなことないよ。気持ちの問題だと思うな。」

 俺に向き直って、諭すようにそう言う歩。

「諭すのは勝手だけど、歩が偉そうにしない。」

『コツ』

「あて。」

 歩は、俺に小突かれた所を押さえて舌を出す。それを見て、

「ホント、お二人は仲がいいですよね。」

 平牧は微笑ましそうに笑っていた。こいつのこんな笑顔を見ていると、本当に平牧が世界の鍵となるべき物を持っている人間なのかと疑いたくなる。俺がそう思ってしまうくらい、平牧は、いつも純粋で無邪気だった。歩とは違う、大人な子供っぽさだった。最近、杉山のあの時の言葉さえ疑いたくなる。あいつは、平牧が事故で記憶を失って以来、何かと他人と距離を置きたがるって言っていた。 だけど、今、俺や歩と接している平牧からは、そんな感じは微塵もない。むしろ、積極的にコミュニケーションを図ろうとするぐらいだ。無論、それは女子が相手の時に限った事だと言われればそう思う。男子には、少なくとも、俺以外の男子に話し掛けている姿を見た記憶は・・・あんまりない。俺には、まぁ、立場上学級委員の相方という事が占有するんだろうけど、たまに話し掛けてくる。業務連絡が自然と世間話になるほど俺にボキャブラリーがあれば良かったんだろうけど、おあいにくさま、俺にはそんな話術はあまり備わっていない。

「よ。」

 俺の後ろから声を掛けてきたのは恭一だ。

「今日の勝負は?」

「今日は負け戦だな。」

 そう言って自転車から降り、俺達と並列して歩き出す。

「あの・・・佐藤君。」

「ん?なんだ?平牧。」

「近松さんとの・・・その・・・朝の勝負は楽しいんですか?」

 平牧が不思議そうに尋ねた。言われてみればもっともだ。

「楽しんでいるのって、近松だけなんじゃない?」

「そんなことはないさ。俺も、それなりに楽しんでる。正直、この勝負のお陰で遅刻はしないからな。まぁ、正直勝ち負けなんてどっちでもいいんだけどな。」

 あいつは勝ちにこだわってっけどな。そう言って恭一は笑う。

「つまり、当人達は楽しんでいるわけだ。」

「当人達と言うか、七割方あいつの楽しみに俺がつき合わされ、三割方、どこでピリオドにするか分からないから終われない、って感じだと思うけどな。」

 そう言って恭一はまた笑う。

「終わり方が分からない?」

「あぁ。まさか、高校まで一緒になるとは思わなくてな。中学三年間で終止符が打てると楽しみにしていたんだが・・・」

 そう言って、今度は一つ虚空にため息。

「どうやら、恭一はいいかげん飽き気味だね。近松に、終止符を打つ意志はないの?」

「おそらく、な・・・こうなったら、高校三年間、あいつの朝の楽しみにトコトン付き合ってやるさ。俺のメリットは、遅刻しなくなることぐらいだけどな。」

 また笑う。どうやら恭一は、近松の話になると自然とにやける体質のようだ。その後も他愛ない世間話をしながら、俺達は教室へと向かった。


 異変が起きたのは昼休みの事だった。いつもの様に、自分の席で昼飯を食っていた。たまに、横から歩や高村なんかが話し掛けてくるから、それに適当に頷いていた頃だった。

「号外号外!」

 突如として、閑静な教室内に駅前の声が響いた。いや、号外は駅前じゃなくても配っているかな・・・と、それはさておき・・・そんな言葉を叫びながら教室に飛び込んできたのは、誰であろう、副担任の伊野川先生だった。教壇で息を整えるように肩を上下させる。誰もが訳が分からずポカンとしていたけど、その空気を破ったのは犬飼だった。

「どないしたん、先生?先生が廊下を叫びながら走ってくるんはマズイんちゃう?」

「せ、先生の場合は特例や。それより、えらいこっちゃ!ホンマに号外もんやで!智!」

「な、なに?」

「アンタ、図書委員やろ?急いで図書室の輪転機回してきて!ほんで、さっさと号外の記事を印刷するんや!昼休み中に校内の生徒分な!」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 教室内は、一人で張り切って訳の分からない伊野川先生を冷ややかな空気で包み込む異空間と化した。

「さて、本題に入ってもらおうじゃん?}

「もう・・・マジにそれくらいの事やねんで。」

 伊野川先生は、俺達の反応にどこか不服そうだった。

「ま、確かにふざけてる場合でもあらへんしな。もうすぐ校内放送で詳しい言うかもしれへんけど、先に教えとくわ。ついさっきのことやねんけど・・・」

 伊野川先生は、いつになく神妙な面持ちで語り始めた。


 先生の話を要約するとこうなる。ついさっき、明らかに本校の生徒ではない、おそらく近所の子供が職員室に入ってきて、いきなりこう叫んだと言う。

「警察呼んで!僕、死体を見ちゃったんだ!」

 当然、誰も子供の言うことなんか聞き入れはしない。しかし、律儀にも豊綱先生は子供の言い分を信じ、伊野川先生と一緒に、子供が死体を見た場所まで行ってみると、

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 二人は息を呑まざるを得なかったらしい。そこには、その子供の言った通り、女性の死体が、見るも無残な姿で横たわっていたらしい。先生の話から察するに、そんなとこだろう。あまり、昼飯時に聞きたくない話である事に変わりはない。

「もうじき、警察が来る筈や。せやさかい、午後からの授業は全部自習にする思うわ・・・・・みんなは、放課後に由子が来るまで、おとなしーしとりや。」

 そう言い残し、伊野川先生は教室を去った。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 さっきとはまた違う、嫌な空気が教室を包み込む。誰も言葉を発しようとはしない。いや、この状況で何か言葉を発しようとする方が無理だね。今はどんな言葉を言っても、重苦しい雰囲気に全て押しつぶされるに決まっている。それに、そんな状況じゃない。

『カチコチカチコチカチコチカチコチカチコチ・・・・・・・・・』

 鳴り響く時計の音。いや、ただ秒針が動いているだけなんだけど。一秒、また一秒と、時計の針が時を知らせる度に、教室内の重苦しさは増していくようだった。

『ファンファンファンファン・・・・』

 遠くからポリスカーの音が聞こえ止まった。警察のご到着らしい。先日の席替えで窓際になっていた俺は、そこから外を見た。集まっているのは、プール脇の茂みのような所だ。あそこが、死体のあった場所なんだろう。普段、俺達生徒でさえあまり足を踏み入れないような場所だ。近くに少年の姿が微かに見える。どうやら、第一発見者の少年とは彼のことみたいだ。見ると、脇にサッカーボールを抱えている。外の道路で遊んでいたら、何かの弾みでボールが塀を飛び越えたんだろう。それを拾いに中へ入ったら、死体を見つけた・・・俺の視界に入った情報だけから簡単に考えればそんな所かな。それにしても・・・

「平牧・・・」

『ビクッ!』

 周りに気を遣って小声で話し掛けたのに、それだけで平牧は肩を震わせた。いや・・・平牧は死体発見の一報を聞いてからずっとこの調子だ。

「そんなに、あんたがビビル必要ないんじゃない?」

 そう言って、平牧の右肩にトンと手を置いた瞬間だった。

「きゃ!」

『ドンガラガラガラガラガラ!』

 平牧は盛大に跳ね上がり、短く叫んだかと思うと、机ごと前に転がった。静かだった教室に、その音がいっそう響いた。そしてすぐ、

「ちょっと衆!なにやってんのよ!」

 平牧の叫び声よりも盛大に、近松が俺の襟首を掴んで真正面から睨む。いつもの険しい目が、今はよりいっそう険しく見える。いや、これはもはや向けられる者にとっては脅威でしかない。脅威と恐怖しか俺は感じない。憎しみに満ち、ただ俺を一点にまっすぐ睨む。この眼差しに対し、見つめるという表現は誤りでしかないと思う。

「俺は・・・別に何も・・・」

「してないわけないでしょ!あんた、いったい陽になにしたのよ!」

「なんにもしてないよ!」

 思わず、俺も声を荒げてしまった。しかし、俺の反撃は近松の声に消える。

「じゃあ・・・じゃあなんでこうなるのよ!」

「こっちが聞きたいよ・・・」

 俺はただ、平牧に話し掛けて、肩をポンと叩いただけだ。

「・・・責任転嫁・・・してんじゃないわよ~~~!」

 俺の反論は無意味だったらしい。至近距離で俺の襟首を掴んでいる近松は、そのまま右腕を振りかぶり、勢いを乗せて俺の左頬を狙って飛ばしてきた。この距離じゃガードが間に合わ・・・

『バチン!』

 ない筈だったんだけど・・・幸いな事に俺はノーダメージだ。代わりにダメージを受けてくれたのは・・・

「いいかげんにしろ!瑠璃!」

 近松の右ストレートを左手で受け止めた恭一だった。相当痛そうな音がしたけど?

「安心しろ。打たれ慣れている。大丈夫さ、これくらい。」

「恭一・・・あんた・・・」

「いいかげんにしろよ、瑠璃。お前が友達思いなのは分かる。それにこの状況じゃ、一見すれば衆に非があるように見える。だからって、手を挙げていい筈がないだろ。俺のガードが間に合わずに、そのままお前のパンチが衆にヒットしていたら、へたすりゃ衆の頬骨が折れてる。」

 静かな口調で、恭一は近松に諭していた。近松の表情からも、徐々にではあるけど憎しみが消え始める。

 なにはともあれ、俺が原因で平牧がすっころんだのは紛れもない事実。起きた気配が全然ないし、起こすのを手伝おうと思って平牧を見た瞬間・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

 俺にはクェスチョンマーク一個でよかった。机は起き上がっていない。それどころか・・・・

 平牧自身さえ、その場に姿はなかった。教室を見回しても、あいつの姿はない。

「智・・・」

 俺は無意識に智の名前を呼んだ。

「どうした?」

「平牧・・・どこ行ったの?」

「・・・え?」

 俺に言われて、智も辺りを見回した。そして、平牧の姿が無いのを確認するなり、

「恭一、瑠璃。ちっと静かにしてくれな。」

 まずは二人を黙らせた。あまり描写していなかったが、恭一の説教は続いていた。

「どうした、智?」

「平牧の姿が無い。」

 智がそう言うと、今度はクラスの奴らが揃いも揃って辺りを見回した。そして全員が、平牧が姿を消したと認識すると・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 教室内に、さっきまでとはまた違う緊張感が走った。

「智、どうする?」

 口を開いたのは一義だった。

「・・・捜すしかないだろ。」

 智はそう答え、教室から飛び出そうと扉を開けた。けれど・・・

「わっ!」

 教室から飛び出した筈の智は、その場で尻餅をついた。扉の向こうを見てみると、

「あいったたたたた・・・・・・・」

 そこには、智と同じポーズで倒れている豊綱先生がいた。廊下が硬い分、先生の方がダメージが大きい予感。

「まったく・・・どうしたのよ?智。大人しく教室にいなさい。」

 先生は尻餅をついたまま智を諭す。智はすぐに反論した。

「それが先生・・・平牧がいなくなったんだ。で、捜しに行こうと・・・」

「え?陽、いなくなっちゃったの?」

 先生は目を丸くした。普段から丸っこいけど。

「でも・・・どうして?」

「俺達にも、よく分からない。でも、実際に平牧はいなくなった。誰にも気付かれずに。」

「そう・・・分かった。じゃあ、陽は私と伊野川先生で捜すから、あなた達は教室にいなさい。あんまりうるさくしなかったら、多少は騒いでいいから。じゃね。」

 そう言い残し、先生は走り去った。

「ああ言っているし、平牧さんの事は先生に任せようぜ、智。」

 杉山が智にそう言うと、

「・・・仕方ないか、この際。」

 智はそう言って苦笑したように見えた。

「なに笑ってんの、智?」

「いや・・・ちょっとな・・・」

「気になるじゃん?」

 俺がそう言うと、智は息を一つついてこう言った。

「・・・・伊吹の奴が、どうやら抜け駆けしたみたいなんでな。」

「え?伊吹が?」

 俺は伊吹の方を振り返る。机に突っ伏していた。

「寝ているだけなんじゃないの?」

「いや。あいつは今、幽体状態だ。」

 自信あり気にそう言ったのは、派手な金髪の長身だった。入沢晴一(いりさわせいいち)・・・空手部に所属している、かなりの大男だ。身長だけでなく、体格全体がその言葉を思わせる。ていうか・・・

「それが分かるって事は・・・?」

「あぁ。俺も霊感が強い。もっとも、あいつと違って放射体質だけどな。」

「聞いた。伊吹以外は、全員放射体質なんだろ?」

「あぁ、まーな。とりあえず、平牧の事は、伊吹と先生に任せりゃ問題ない筈だ。すぐ見つかるさ。」

「・・・だといいけど・・・」

 晴一が笑うその横で、歩は不安そうに表情を沈めた。

「それにしても・・・なんだって平牧は姿を消したんだ?」

 恭一が疑問を口にした。全員がそれを考え出したかのように、教室内は再び静まり返る。もちろん、俺も考える。

 だけど・・・俺にはさっぱり分からない。そもそも、平牧はなんであんなに怯えていたんだ?確かに、学校の中で死体が見つかったとなれば、それはそれで緊張するとは思う。だからって、あそこまで怯えるもんだろうか?平牧が繊細なのは分かっている。でも、だとしても・・・やっぱり怯えすぎだと思う・・・俺が分かるのは、平牧は怯えていたってことぐらいか・・・ま、平凡な俺にはこの程度が限界でしょ。

「よっこいしょ。」

 戻ってきたのか、伊吹が起き上がった。

「どこ行ってきたわけ?」

「平牧さんがいなくなったから、捜しに行ってたんだよ。」

「だろうね。で、見つかった?」

 俺がそう聞くと、伊吹は静かに首を振る。

「残念ながら。でも、駐輪場には平牧さんの自転車があったし、靴箱の中も外靴のまま。まだ、この学校の敷地内にいることは間違いないと思う。ところで、僕以外に誰か彼女を捜しに出たの?」

「今、豊綱先生と伊野川先生が捜している。その内見つかるさ。」

 智がそう言うと、伊吹の表情も少し緩む。

「先生達が捜しているんなら、とりあえず安心だね。あ、そうそう。ついでに、現場も見てきたよ。」

「現場って・・・死体の?」

 なんだってそこまで?

「うん。警察の人がなにを言っているかまでは聞こえなかったけど・・・僕が見た感じ、二十歳台から三十歳台の女性。細身で長髪。首を絞められた跡は無かった。その他、目立った外傷はあまりなし。死因は、毒物中毒か溺死だね。まぁ、服も髪も濡れてはいなかったから、毒殺だとは思うんだけど・・・」

 見ただけで、そこまで分かるなんて・・・

「伊吹って、ミステリー好きなの?」

「別に好きってこともないんだけど・・・知識としては一応持っているから。」

「少なくとも俺は、一応でそんな知識は持たないね。」

「それにしても・・・なんだって死体があんな所に?」

 杉山が、ある意味俺達が一番騒がなければいけない疑問を口にする。確かにそうだ。

「なんでって、死体発見を遅らせるためなんじゃないのか?」

 晴一は正論を言った。確かに、それが一番考えられる理由だけど・・・

「にしては、あまりにも中途半端な場所なんじゃない?」

 俺はそう言った。そしてこう続けた。

「確かに、あの茂みの部分は、俺達生徒でもそうそう足を踏み入れる場所じゃない。けれど、死体を隠すにはあまりにも・・・なんか、いいかげんって言うか、場違いな感じだね。放課後になれば、否が応でも俺達男子テニス部の誰かが発見する。あそこは、よくテニスボールが転がっていく。なにせ、その横のスペースは、男子テニス部一年生練習用のスペースだから。あるいはその前に、校内のゴミを拾っている用務員の人が見つけるだろうし。」

「・・・確かに、君の推察通りなら、犯人は中々に場違いな場所に死体を捨てた事になる。」

 同意してくれたのは一義だ。他の奴は言葉を発さない。

「・・・なぁ?」

 不意に高村が口を開いた。

「なんか気付いたの?」

「ううん、ウチがそう思っただけやねんけど・・・もしかしたら、あそこに犯人が死体を置いたんは・・・死体を捨てるだけやのうて、なんらかのメッセージを含んでいるんとちゃうかな?」

「メッセージ?ダイイングメッセージってやつか?」

「晴一。それは死ぬ人間が残すものだよ。」

 サスペンスの知識に乏しい俺でも、それくらいは分かる。

「あ、そうだっけか・・・んで高村。お前には、そのメッセージが分かるのか?」

「そ、そんなん分からへんよ・・・せやけど、もしそうやったとしたら・・・これから先、犠牲者はもっと増えるかも知れへん。もし犯人が、女性を殺して学校に置いておく事で何らかのメッセージを伝えようとしているんやったら・・・これから先、全国の学校に死体が転がっていくかも・・・」

 高村・・・あんたのその回転の速い頭は、どうやら余計な事までいちいち考え付くようだね。いくらなんでも考えすぎでしょ。

「確かに、高村の言う事は極論過ぎるかも知れない。」

 智がそう言った。

「だけど、可能性はゼロじゃない。でも、だからって俺達にはどうしようもないさ。今ここで俺達が考えるべきなのは、事件の方じゃない。いなくなった平牧の方だ。」

 あぁ、智に言われて思い出した。そういえば平牧、まだ見つからないのか?先生はなにやってんだろうね、まったく・・・だからって、俺達が捜しに出て警察や教師に見つかってもエンドだ。

「今は、平牧の帰りを待つしかない。そういうこと?智。」

「その通りだ、衆。俺達は平牧を待っていようぜ。事件は警察に任せりゃいい。」

「だな。へたに首を突っ込んでも、俺達の結果は骨折り損のくたびれ儲けにしかならないだろうし。」

 智の後に恭一が続く。確かに、事件を解決するのは警察の役目。俺達がすべき事は、平牧を守る事だけ。でもせめて・・・いなくなった理由くらいは、戻ってきたら問い質したいけどね。


 平牧が教室へ戻ってきたのは、先生達が捜しに出て数分が経過した頃だった。その時、平牧は先生の背中で眠っていた。戻ってきた平牧を見て、俺達は一様に安堵した。にしても、寝られると何も聞けない。

「どこにいたの?陽ちゃん。」

 歩が、平牧を心配そうに覗き込みながら先生に聞いた。

「彼女を見つけたのは、一階にある美術室よ。」

 豊綱先生がそう答えた。

「美術室?なんだってまたそんな所に?」

「分かれば苦労しないわよ。でも彼女、背中で呟いていたわ・・・『行かないで・・・』って。」

 行かないで?・・・なんとも意味深な寝言だけど・・・

「随分とまた脈絡のない台詞だね。主語がないじゃん?」

「そうね・・・きっと、怖い夢でも見ていたんだと思うわ。」

 そう言って、先生は平牧の髪を撫でた。今はそんな夢なんて微塵も感じさせないほど、まるで至福の夢を見ているかのような寝顔だ。騒動の張本人にこうまでグッスリ眠られると、まるで、さっきの騒動が嘘のような感じだった。なんか、問い質す気分も失せたし・・・


 それから更に一時間ほど後だった。警察の人から話があるらしく、一人の女性が教室に入ってきた。

「ね、姉ちゃん・・・」

 と言ったのは俺じゃなく、俺の横の席に座る奴だった。小野義政(おのよしまさ)・・・陸上部に所属する細身の男子だ。なんでも長距離が得意分野で、中学時代は賞を取ったこともあるらしい。

「あら、義政。ここ、あなたのクラスだったのね。ま、私の事を知っている人も多いでしょうけど、自己紹介しておくわ。義政の姉で、県警捜査一課に勤める小野蛍(おのほたる)です。この度は、騒がしくしちゃってごめんなさいね。事が事だから・・・」

 そう言って、小野さんはこう切り出した。

「他のクラスにも、先生や他の刑事に頼んで伝えてもらっているんだけど、今日は、まだ事件の捜査をしたいから、クラブ活動については全体的に中止とさせてもらったわ。敷地内に死体があるからには、校舎も一応調べたいし。明日には、また元に戻すから、心配しないで。何か質問はあるかしら?」

 小野さんが辺りを見回すと、クラスの端の方で手が挙がる。歩だった。

「なにかしら?」

「あの・・・殺されたのは誰なんですか?・・・」

 歩は遠慮がちに聞いた。

「・・・・・・・・・」

 小野さんは答えにくそうだったけど、

「どうせ、夕方のニュースには出ちゃうし、いっか。」

 そう言って手帳を取り出し、パラパラとページを捲る。

「殺されたのは川西久子(かわにしひさこ)さん、三十一歳。隣町に住んでいる女性で、化粧品会社に勤務。死亡推定時刻は午前零時から一時。死因は解剖の結果待ちだけど、鑑識の話では目立った外傷は特になく、おそらく、なんらかの毒物中毒だと思われるわ。」

 お~・・・伊吹の推理が大体当たっている。にしても、今日はクラブなしか・・・嬉しいような気がする。ていうか嬉しい。人が死んだってのに、のん気だね、俺。

「じゃ、私はこれで。」

 歩の質問に答え終わっていた小野さんは、そう言って教室を後にしようとした。

「姉ちゃん?」

 それを呼び止めたのは義政だった。

「なに?義政。」

「飯はどうするんよ?」

「そうね・・・今日は遅くなりそうだから、私の分はいいわ。」

「了解。気ぃつけてな。」

「はいはい。」

 小野さんは義政に手を振ると、足早に教室を後にした。

「飯って?」

「姉ちゃんの分の飯だ。基本的に、おいらが料理作ってっから。」

「へぇ~。料理できるんだ、義政?」

 そんなイメージないけど。

「しゃーねーさ。」

「え?なにが?」

「・・・姉ちゃんが警官になってすぐ、両親に死なれちまってな。姉ちゃんに家事をやらせるわけにはいかんから、おいらと妹で分担しているだけだ。」

 なるほど・・・

「大変だね、義政も。」

「慣れると楽だぜ、料理は。」

「そういうもんかな・・・」

 料理なんて興味はない。最後に包丁握ったのは、小学校の調理実習あたりまで遡る必要がある。

「朝早く起きて料理を作るぐらいなら、その時間を睡眠にあてたい人間だからね、俺は。」

「その気持ちはよく分かる。おいらも最初はしんどかった。でも、すぐに体が慣れちまう。親父達が死んだ時はどうでもよくなった世の中も、今じゃまた好きになっている。人間ってのは、その順応性の高さがすごいんだろうけど、高すぎるってのも考えもんだ。しかも、どんなに慣れても不意に思い出しちまう記憶力。テストに役立つもんを覚えたいね、代わりに。こんな悲しい記憶、とっとと何かで上書きしたい・・・」

 そう言った義政の笑顔は、本当にどこか悲しかった。俺は、なんだか妙な気分だった。なんだか、義政がすごく大人に思えた。


 それから三十分ほど後。俺達はようやく帰宅できる事になった。なんでも、駐輪場を調べていた関係で、俺達の自転車を動かすわけにはいかなかったらしい。その駐輪場へ行く途中、現場のすぐ近くを通る事になる。

「あそこが現場か・・・」

 いまさらながらそう呟く俺。小野さんが指示を出している姿が目に入る。すぐ近くを歩いていた義政に聞いた。

「義政。あんたの姉さん、それなりに偉いわけ?」

「偉い・・・のかな?・・・一応、警部補だって聞いちゃいるんだけど。」

 警部補ね~・・・普通の会社だと、係長レベルかな?

「じゃあ、今回の事件を解決できれば?」

「警部に昇進かもな。ま、そん時は大好物のオムライスでも作ってやっかな。」

 そう言って、義政はヘラヘラと笑っていた。それにしても・・・小野さんの大好物がオムライスって・・・意外と子供っぽいね。


 春の心地いい風を感じて帰宅。姉ちゃんは・・・玄関に靴がないし、まだ帰ってないみたいだね。さて、これからどうしようかと思った矢先だった。

『ピリリリリリリリ!ピリリリリリリリ!』

 電話が鳴った。智からみたいだ。

「もしもし?」

『衆、俺だ。』

 案の定、相手は智だった。

「どうしたの?また、平牧関連の話?」

『いや・・・今回はちょっと違う。』

「違う?じゃあ、どんな用事?」

『今日の八時、学校に来れるか?』

 八時に?少し遅い時間だね・・・

「まぁ、大丈夫だとは思うけど?」

『じゃあ、よろしく頼む。詳しい事は、そこで話す。』

「あ、あぁ・・・」

 電話は切れた。唐突過ぎる話だったけど・・・とりあえず俺は、姉ちゃんにどう言い訳しようか考えていた。

「ただいま~。」

 考える間もなく、姉ちゃんは帰ってきた。

「あら?今日は早いのね。」

 姉ちゃんは俺の横を通り過ぎる時、そう言って少し不思議そうな顔をする。

「まぁ、ちょっとね。」

 事件があったことを言うべきかどうか、俺は一瞬迷った。で、言わないことにした筈なんだけど・・・

「ちょっと・・・どうしたの?」

 姉ちゃんは、買ってきた野菜やらを冷蔵庫に入れながら聞き返してくる。たまに、姉ちゃんは追求してほしくないことを追求する事がある。それも、決まって俺にとって都合の悪い時だけ。姉ちゃんは、俺の心の内を読み解く事だけ天才かも知れない。

「聞きたい?」

「すごく。」

 即答された。ていうか、いつの間に背後に来たわけ?そもそも、背後に立つ理由は?

「衆を逃がさないため・・・」

 そう言いながら、後ろからゆっくり姉ちゃんの手が伸びてくる。

「耳元で色っぽく囁くなよ、姉ちゃん・・・」

「あら?あなたの布団に潜り込んでからの方が良かったかしら?」

 そう言って姉ちゃんは、あぁ・・・それはそれは嬉しそうに笑っていた。不可解なくらい嬉しそうだ。どうやら、言わないと開放されないようだ。なので、素直に白状した。

「今日・・・学校で死体が見つかって・・・全部のクラブが、今日一日休みになったんだ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 姉ちゃんの笑顔はすぐに消えた。

「嘘だと思うなら、ニュースでもつけたら?そろそろ、速報ぐらいは入っているかもね。」

「そう・・・」

 姉ちゃんは半信半疑にテレビをつける。夕方のニュースの時間帯だったから、案の定、事件はすぐに見つかった。リポーターが、学校の裏門辺りでなにやら喋っている。殺された人の顔写真が公開されている。川西久子、三十一歳。隣町に住んでいて化粧品会社に勤める、いわゆるキャリアウーマンタイプの女性。毒物による中毒死である可能性が高く、金品が盗まれていない点から、警察は顔見知りによる殺人死体遺棄事件として捜査中。やっぱり、ニュースだと得られる情報が増えて助かる。

「ね?本当だったでしょ?」

「ええ・・・でも、なんだか信じられないわね。いざ、こうやって映像を見ても。」

「俺だって、あんまし実感はないけどね。」

 赤の他人だからっていうのが大きいんだろう、なんだか奇妙な実感しかない。確信できない実感、とでも言うべき奇妙なもの。それが、さっきから俺の中で渦巻いている。なんか、やな感じだね。

「あ、姉ちゃん。ついでにもう一つ言いたい事があるんだけど。」

「なに?」

「さっき、智から連絡があってさ。八時に、学校に来てくれって。平牧の事かも知れないし、俺は行くから。」

「そう・・・気をつけなさい。万が一にも、この事件が通り魔的犯行だったら、あなたが危険に晒されるかも知れないし・・・お願いだから、無事に帰ってきてね。これでも私は・・・けっこう、あなたが好きだから・・・衆が、やっぱり好きだから。」

 そう言って、姉ちゃんがまた後ろから抱きついてくる。さっきよりも優しく、包み込むように。

 そんな姉ちゃんに、俺は・・・何も言い返せなかった。なんだか・・・初めて姉ちゃんの素直な気持ちを聞いた気がして・・・俺はただ、姉ちゃんの手を握る事しか出来なかった。とりあえず・・・要件をさっさと済ませて早く帰ろう。


 そして、約束の午後八時がやって来た。俺は、言われた通り学校へとやって来た。死体発見現場はまだ明るい。警察の現場検証が続いているんだろう。

「衆。」

「恭一。それに近松。」

 俺の後ろから、恭一と近松がやって来る。

「いったいなんだっての?」

「俺にもよく分からん。とりあえずこっちだ。」

 俺は、二人の後に付いていく。少し行くと、そこには智達がいた。壁を隔てたすぐ向こうで、警察の現場検証が続いている。

「いったい、どうしたっての?智。」

「な~に・・・今回の殺人事件を、ちょっと変わった方法で解決しようってだけさ。」

 変わった方法?

「どうするの?」

「私が説明するわ。」

 そう言って一歩前に出てきたのは、視線の鋭い金髪女子だった。緑山安奈(みどりやまあんな)・・・ダンス部に所属する義政の『嫁』だ。これは紛れも無い事実に将来なる。義政と緑山は許婚だからだ。

「緑山・・・変わった方法って?」

「簡単に言えば、死者の魂に聞くのよ、犯人をね。」

 え・・・?

「死者の魂に犯人を聞く?」

「そうよ。」

 サラッと言ってのける緑山。緑山の言葉に、俺の理解は追いついてこない。そんな事お構いなしに、緑山は説明を始めた。

「伊吹君から聞いているとは思うけど・・・私も霊感体質なの。彼と違って放射系のね。もっとも、私は自分の意志で、その体質を放射から離脱に変換することができる。今回、死者の魂を呼ぶ場合は、直接的な霊とのコミュニケーションが容易になる離脱体質の人間が行うのが一般的。だけど、そのためにはそれ相応の訓練が必要なの。残念ながら、伊吹君にはスキルがないわ。そこで、長年修行を積んできた私が、被害者の霊を呼び出す。本来、霊とのコミュニケーションをとるのは私。でも、今回の場合は、そうしちゃうと他のみんなが状況を把握できない。だから一度、呼び出した被害者の霊を伊吹君に憑依させる。一時的に、伊吹君の体内に二つの魂が存在する事になるけど、彼の実力なら何の問題もないわ。それで犯人を割り出す。もっとも、それで犯人が分かったところで、到底逮捕は出来ない。だったら、証拠を見つければいいだけの話。ま、そっちは警察に任せればいいし。幸い、蛍さんは私達の内部については既に承知しているから、彼女に任せればいいしね。」

 朗々と喋っていた緑山は、そこで一息入れ、俺を見た。まるで、『何か質問ある?』とでも言いたそうな眼差しだ。

「要するに、死者の霊から犯人を聞き出そうってわけ?」

「そういうこと。じゃ、始めるから、少し離れて。」

 緑山にそう言われて、伊吹以外は一歩後ろに下がった。緑山は巾着から数珠を取り出し・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 小声でよく聞き取れないけど、何やらお経のようなものを唱え始めた。小声なのは、捜査中の警察に聞こえないためだろうか・・・しばらく、俺達は息を呑んで見守っていた。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・!』

 けれど、すぐにお経は止まった。いや、どっちかって言うと、緑山が途中で終わらせたって感じだ。妙に驚いた表情をしている。

「安奈、どうしたんよ?」

 義政が緑山に声を掛ける。俺達も集まる。緑山はこう口にした。

「・・・これは予想外ね・・・」

 そう呟く緑山。その表情は、困惑と苛立ちに満ちていた。

「なにが?」

「犯人、相当のやり手よ。御丁寧にも、不霊防壁を仕掛けているわ。」

「ふ、不霊防壁?」

 フレイボウヘキ・・・その言葉を聞いた瞬間、義政も驚いていた。霊界の専門用語か何かかな?

「あの・・・それなに?」

「通常、死者の霊は、死んでから数日、短くても二日は、死んだ場所、あるいは、死体の発見された場所や思い入れのある場所に留まるわ。でも、不霊防壁を仕掛けられると、本来浮遊する筈の魂がそうならず、私達のような霊能力者の力では感知できなくなる。」

 なるほど・・・

「で、それが施されているって事は?」

「犯人も、それ相応の力を持った霊能力者って事になるわね。しかも、私の感覚が正しければ、この不霊防壁は相当強力よ。不霊防壁を行うためには、霊を閉じ込める地点を中心として、東西南北それぞれの地点に専用のお札を貼る必要があるの。その半径が広ければ広いほど、霊を抑え込む力は強くなる。この防壁の力は、少なくとも半径四百から五百メートル。仕掛ける時には莫大な霊力を必要とするんだけど、一度仕掛けることが出来たら、その札を剥がさない限り、防壁は永久にその役割を行使し続ける。これだけの力で霊を抑え込むなんて・・・」

 一気にまくしたてる緑山。焦っているのか?

「なんだか俺にはよく分かんないけど・・・つまり、犯人は霊感がめちゃくちゃ強いってこと?」

「そう考えてもらっていいわ。」

 緑山は、相手が想像以上の力の使い手だったことにまだ驚いているようだ。にしても、霊能力者が犯人か・・・なんか、これから先、めんどくさい事になってきそうな予感がした。

「緑山、これからどうすりゃいい?」

 恭一が尋ねると、緑山は数珠を袋に入れながらこう言った。

「お札を剥がすのが先決ね。夜は暗いから、そうそうお札は見つからないだろうし・・・幸い、明日から土日だし・・・そうね・・・休日、午後のクラブの終わりは五時だから、全員、明日の五時半にここに集合しましょ。」

 というわけで、その日は解散となった。さて・・・明日も遅くなりそうだって、姉ちゃんに伝えないと・・・

「!」

 な、なんだ?これは・・・・視線か?誰かが、俺達を見ている?

「・・・?」

 俺は後ろを振り返った。そこには月しかない。

「どうした、衆?」

 智の声で我に帰る。気のせいか・・・

「なんでもない・・・」

「そうか。」

 なんでもない・・・それは、智に対する弁明と言うよりは、俺自身に言い聞かせたようなものだった。


 翌日。姉ちゃんに、『おまじない』とか言われて頬にKISSをされてから家を出た俺は、もうすぐ西に沈む太陽を見ながら、昨日と同じ場所に来た。パッと見た感じ、俺が最後って雰囲気だ。到着した時、俺は智に聞いた。

「俺が最後?」

「そうだ。」

 まぁ、予想のついていた事なんだけど。

「で?これからどうすればいいんだ?緑山。」

 智の問いに、緑山は即答した。

「とりあえず、お札を剥がす事が先決よ。東西南北の四方に分かれて、お札を捜して。剥がし終えたら、再びこちらへ集合。あ、伊吹君は残って。憑依させるべき体は、近くにあった方がやりやすいから。」

 というわけで、結界を壊すお札捜しが始まった。俺は、智達男子テニス部一行と女子テニス部一行の合同部隊で、現場から東の方を捜す事になった。地図を基に、学校から真東五百メートル地点を目指す。

「ここだな・・・」

 自転車で走る事数分。そこは、河川敷の公園だった。歴史の古い川に沿うように、横長の公園が川の両岸に存在する。

『こちら智。真東五百メートル地点に到着。河川敷の公園だ。どうぞ。』

 智の声が携帯から響く。最近の携帯っていうのは本当に便利で、まるで無線機のように多人数と同時会話が可能になっている。昔は最先端だったこの機能も、今じゃ日本では当たり前の機能となっている。ホント・・・技術大国日本は伊達じゃないね、やっぱり。

『こちら本部、伊吹。智、お札はある?緑山さんの話では、流れ文字で書かれた長方形の紙らしいんだけど。』

『分かった、確認してみる。』

 俺達はお札を捜し始めた。けれど・・・少なくとも俺には、それっぽい物は一切見えない。

『こちら反対岸、竜堂。見つからないよ、智君。』

『こちら智。こっちもだ。一度、こっちに合流してくれ。』

『うん。』

 反対側の竜堂達も見つけられなかったようだ。

「どうする?智。」

「他の所の話を聞かない限りは、なんとも言えないな。とりあえず、伊吹に報告しないと。」

 智が伊吹の報告している間も、俺は辺りを見回してみた。ライトアップされた公園には、遊んでいる子供達の姿はほとんど無い。あったとしても、すぐ近くには親の姿がある。あとは、犬の散歩道にでもしている人が通るだけ。こんな所に、そんなお札が本当にあるんだろうか?

 いや、緑山の見解を疑うのは野暮というものだろう。あそこまで自信たっぷりに指示をしているんだ。それなりの根拠があっての事に違いない。おそらく、その力を持った人間にしか分からない領域で、緑山は結界を感じ取ったんだ。俺には全く何も感じ取れないあの空間で、あいつは感じ取った。それは、あいつの力、あいつのスキルがあってこそ成せる業ってものなんだろう。その緑山が、自信を持って指定した距離だ。多少の誤差こそあれ、この公園内のどこかにある事は間違いない。

『こちら、西側担当入沢。今、ちょうど西側五百メートル地点に到達。』

 晴一から通信が入ってきた。俺達は耳を澄ませた。

『現場から真西に五百メートル行くと、ちょうど私立病院の辺りに差し掛かった。今から札の捜索に当たる。』

『続いて、こちら南側の犬飼。学校から真南に五百メートルの地点や。学校から一番近い小学校の門や。中は捜しにくいから、外っかわ調べるわ。』

『最後に、こちら北側の近松。ゲーセン近くの大きな交差点に到着。お札を捜すわ。恭一!』

『なんだ?』

『サボったら、承知しないんだからね!』

「・・・恭一、私用は終わってからにしてくんない?」

「俺に言うな。」

 恭一がため息をつくとほぼ同時に、緑山から指示が来た。

『全員、現場に着いたみたいね。それじゃ、今から捜索を開始して。見つけたら、即行で剥がして構わないわ。』

 というわけで、俺達は再び捜索を開始した。木の幹や遊具、岩の周りなんかを調べて回ってみる。けれど、俺には見つけられなかった。他のやつとこまめに通信していたけど、どこも状況は芳しくないらしい。日が沈んでライトアップされた公園は、茂みの中なんかは想像以上に視界がない。ライトなんて洒落た物は持って来なかったし・・・見つかるのは、空き缶・ボールといったゴミばかり。

そうこうしている内に夜が更ける。八時半ごろ、俺達は一度学校へと集合した。どこも、お札は見つけられなかったらしい。

「弱ったわね・・・」

 緑山は、いつもより一割ほど険しさを増した顔で悩んでいた。俺は、既に空腹感が限界に来ていた。けれど、今はそんな軽口を叩ける状況じゃない。

「どないすんの?安奈。」

 犬飼が詰め寄る。緑山は少し迷った後、

「・・・明日は・・・クラブが休みの日だったわよね。」

 そう言った。そうだった。明日は今月最後の日曜日。毎月、最終日曜日はクラブが休みなんだっけ。昔から生徒会で守られている原則だとかで、破られた事も無いらしい。

「予定が無ければでいいんだけど・・・明日も、手伝ってくれるかしら?・・・」

 緑山は、自信なさ気な表情で頼んできた。まぁ、俺は構わないけど・・・

「他人の予定、心配している場合かよ。」

 晴一がそう言った。そしてこう続けた。

「ここまでやったんだ。今更引きたくねーぜ、俺は。そうだろ?みんな。こうなりゃ、犯人とっ捕まえるまで、徹底的にやってやろうじゃねーの!」

『オー!』

 近所迷惑な気合を入れた俺達。緑山の顔は、いつもと違って綻んでいた。


 翌日、朝十時。

「ちょっと考えたんだけど・・・」

 昨日と同じ場所に集合した俺達に、緑山が、唐突にそう切り出した。

「昨日、あなた達が報告してくれた場所、どこもかしこも霊的な関係があるのよ。」

 え?霊的な関係?

「そない言うたら、晴一が調べたとこ、病院やったやんな?確か。」

「あぁ。だけどよ、緑山。それ以外はあんまし関係ないんじゃないか?霊は。」

「俺もそう思う。他の三点は、河川敷の公園・ゲーセン前の交差点・小学校。霊なんか、微塵も関係していなさそうだけど?」

「それが、衆君。その小学校っていうのは僕が通っていた所なんだけど・・・戦時中、避難所として使われていたんだって。しかも爆撃されて、大勢の人が死んだらしいんだ・・・先生に聞いたことがあるし・・・友達の間で噂を聞いたこともあるんだ。夜な夜な、幽霊が学校中を徘徊しているって。だから・・・霊的なことはけっこうあるんだ。」

「マジで?伊吹。」

「嘘をついたってしょうがないでしょうが、今更・・・」

 それもそうか。

「ゲーセン前の交差点だって、霊と無関係って訳じゃないのよ、衆。」

「どういうこと?近松。」

「あそこ、すぐ近くに墓地があるのよ。交差点だって、毎年事故が絶えないし。霊を無視できる場所じゃないわ。」

「そして、俺達が調べた公園も同様だ。」

「え?智、あの公園にも墓地あったっけ?」

「いや、あそこには墓地はないが、たまに死体がある。それは、時としてあそこを死に場所に選んだ自殺者であり、橋の下で過ごしていたホームレスの人であり、時には、行き倒れた野良犬の流れ着く先だ。霊と無関係とは言えない場所だな、確かに。」

 なるほど。つまり、どこもいわくつき物件ってわけだ。

「それで、緑山。それが何か関係あるわけ?」

「えぇ。霊を押さえ込む不霊防壁を形成するお札には、少なからず、仕掛けた人間の残留霊力があるものなの。通常、その残留霊力は年月を経て徐々に失われていく。そして無くなった時、不霊防壁も消滅する。でも・・・残留霊力が無くなっても、不霊防壁を維持する方法がある。」

「維持する方法?」

「えぇ。それは、お札を貼った場所に存在する霊の力を利用する方法。」

「霊の力?」

「そ。相手は、何年も先を見越しているわね。死亡事故の絶えない交差点と墓地の近く、病院の近く、自殺者・浮浪者の孤独死が絶えない公園、戦死者の霊が今も彷徨っているであろう小学校の近く・・・こんな所に仕掛けられたら、ここを覆う不霊防壁は消える事はない。例え、仕掛けた人間自身が霊となってもね。」

 こりゃまた・・・随分と大きな保険だね。

「で?どうするの?」

「時間が掛かるけど、私がそれぞれの地点を回ってみるわ。そうね・・・瑠璃と真由美と衆と伊吹君は私に付いて来て。後のみんなは、一番捜索範囲が広そうな公園に向かって。」

「え?・・・俺、緑山に付いて行くわけ?なんで?」

「ちょうど良い機会だから、私の能力を間近で見せてあげる。」

 いや・・・あんまり見たくないんですけど・・・とは言わせてくれないオーラが、緑山の目から伝わってくる。怖・・・・


「さて・・・まずはここね。」

 最初にやって来たのは、北側に位置するゲーセン前の交差点。交通量の多い交差点だ。真ん中には、歩行者用の安全地帯があった。車が通っている間、歩行者用信号は『赤』だった。そういえば・・・

「ねぇ、犬飼。質問いい?」

「ん?なんやの?藪から棒に。」

「大阪だと、赤信号でも渡るって聞いたけど本当?」

「・・・・・・・・・・・・・・あ~・・・せやな~・・・」

 妙に答えにくそうだった。

「まぁ、渡れる時には渡ってまうな。何かとせっかちやさかい、そういう時もあるんは事実や。せやけど・・・大阪の人間全部がそうとは限らへんと思うで。」

「ふ~~ん・・・犬飼は渡る派だね、確実。」

「いや~、待つんは苦手やね~ん。ってなんでやねん!」

 強烈な左手のツッコミが飛んできた。

「あ、ノリツッコミ。やっぱ上手いね~。」

「こんぐらい、関西では常識やて。」

「お二人さん、夫婦漫才は後にしてくれない?」

 近松に諭された。へ~い・・・

「それで、緑山さん。お札の場所、分かる?」

 伊吹が、緑山の横顔を見ながら尋ねる。信号が青に変わると同時に、

『ダッ!』

 緑山は安全地帯めがけて走り出した。俺達は後を追った。

「ここら辺ね・・・強い霊の力を感じる・・・」

 ここら辺って・・・小さな安全地帯だけど、ここ?

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 無言で周りを見回す俺達。

「あれ?」

 近松が声をあげる。

「なんか見っけた?」

「これ。」

 近松が示した方を見てみる。黄色い線を指しているだけのように思えたけど・・・目を凝らすと、微妙に塗装の色が違う。緑山が、注意深く爪を立てていくと・・・

『ペリリリリリリ・・・・・』

 音を立てて剥がれた。流れ文字が書かれた長方形の紙。

「これ、緑山?」

「えぇ、間違いないわ。カモフラージュに、裏に塗料を・・・」

「どうやら犯人、よっぽどあの人の魂を閉じ込めたかったんやろうな。ここまで手の込んだことやりよるとは。」

 確かに、手が込んでいる。こうまでして魂を浮遊させない事に、いったいなんの意味があるんだろうか・・・

「とりあえず、これで一枚ね。連絡お願い、伊吹君。」

「分かった。」

 伊吹が連絡している間、俺はなんとなく札を眺めていた。こんな小さな紙が、たった四枚同じ間隔に存在するだけで、強力な力となって、天に召される筈の魂を地にひれ伏させる・・・なんだか、今になって現実離れした感覚に襲われた。これが・・・本当に、平穏で、時々虚しくて、貧富問題や核問題を抱えて戦々恐々とした地球の出来事なのか?いや・・・平牧という存在がここにあれば、そうなってくるんだろう。

 でも、今、あいつはここにいない。あいつは今頃、自分の部屋で宿題でもやっているに違いない。真面目だからね。そう・・・今俺がしている事自体に、世界的な危機はないだろう。でも・・・首を突っ込んで・・・現実離れした状況に俺は、今・・・なんだか呆気に取られている。なんか・・・情けないような怖いような・・・

 とは言っても・・・俺が気分を下げていても捜索は続く。次は、晴一達が調べた西側。行ってみると、大きな私立病院があった。ここか・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 緑山が、精神を集中させて札の位置を探る。

「捉えたわ。屋上よ。」

 そう言って、緑山は屋上を見上げ、すぐに歩き出した。俺達も後に続く。

「・・・ちょうどいい立地条件ね。」

 緑山は屋上に着くなりそう言った。

「いい立地条件?」

「霊は、ある程度高い所に浮遊するもの。屋上ならちょうどいい高さだし・・・それに、方角も悪くないしね。どういうわけか、この地方の霊は西側を好むのよ。西側の病院の屋上。お札を貼っておくにはいい立地条件だわ。」

 そう言って、緑山はお札を捜し始めた。俺達も付近を捜索する・・・

「あ、これとちゃう?」

 犬飼が声をあげる。それは、病院の屋上なんかにある給水タンクの裏側だった。台座に上がらなきゃ、まず見えないような位置にある。

「私が剥がすわ。」

 緑山が身軽に台座に飛び乗ると、裏に回ってお札を剥がす。これで二枚目もクリアだ。

「ところで、緑山?」

「なに?」

「剥がすのはいいけどさ・・・これ・・・剥がしたら犯人に見つかったりしないわけ?」

「大丈夫よ。不霊防壁は、それを守る四枚全てを剥がさない限り問題ないから。逆に、四枚目を剥がすと、犯人に知られてしまう。でも・・・それを怖がっていたってしょうがないわ。とりあえず、次行くわよ。犯人に知られたって、向こうから出て来てくれるんだからこっちにとっては好都合。そこで捕まえちゃえばいいのよ。」

 そう言って、緑山は力強く歩き出した。強い・・・手強い・・・敵に回したくない・・・俺の素直な感想だった。

 三枚目は、南側にある小学校だ。伊吹が懐かしがっていた。俺は、少なくとも中学時代の母校は見に行こうとは思わない。見たくなったからって、アメリカに気軽に行けるもんじゃないし。

「・・・こっちよ。」

 緑山の後に付いて行くと、そこは学校の裏門のようだった。今度もまた見えにくい位置に、御丁寧にも門と同じく黒く裏面が塗りつぶされている。それを剥がした俺達は、いよいよ、公園へと向かって歩き出した。まだ、公園から発見の一報は入っていない。広いと言ってもあの人数だから、すぐ見つかると思うんだけど・・・

「緑山?」

「なに?」

「あんたが札の位置を確認できるんなら、晴一とかにもできるんじゃない?」

「そういうわけにもいかないのよ。なにせ、残留霊力はかなり微弱。不器用な彼じゃ、ちょっと難しいわね。」

「晴一が不器用?裁縫が苦手とか?」

「・・・ま、色々とね。」

 緑山にはぐらかされた。これは、追究するなっていう暗喩なんだろうか・・・考えをまとめる間もなく、俺達は公園に到着した。

「緑山~。こっちだ~。」

 遠くから、晴一が呼ぶ声が聞こえた。

「見つかった?」

 俺の質問に、誰もが口をつぐんだ。

「隅から隅まで捜したってわけじゃないがな・・・ここだけ、かなり念入りに隠しやがったな、犯人。」

 晴一はそう言って、公園の中をグルっと見渡す。

「・・・確かに、弱ったわね。」

 緑山がそう呟いた。

「どうしたの?」

「自殺者とかの霊力が混在しすぎているわ。微弱な残留霊力を、はたして私でも探知できるかどうか・・・」

「なんか、他の原因もあるみたいな言い方だね?」

「えぇ・・・この川、実は古事記の舞台になっているのよ。」

「古事記の舞台?」

 古事記って・・・え~っと・・・

「あの、日本書紀とかの分類に入る、あの古事記?」

「えぇ。駆け落ちした男女の内、女性が鬼に食われてしまうお話。無論、事実無根の絵空事だと言われているわ。でも・・・おばあちゃんは違う考えだった。古事記に作り話などない。全て、当時の人が書き記した真実だって。そしてこうも言っていたわ。鬼に食われた女性の魂は、その物語の題名と同じ名前を持つこの川を、未だにそこへ帰らぬ男の霊を待つが故、川全体を覆い尽くし、永き時の間にその力は無限大に増幅し、時には味方となって背中を押し、時には壁となって夢を阻むだろうと・・・それが事実だとすれば、この川を覆う霊力が、犯人の残留霊力を覆い隠してしまっている・・・自殺者の霊があるのは事実。でも、それだけで、巨大な防壁を作り出した人間の残留霊力を、覆いきれるとは思えない。おばあちゃんの話が本当なら、その女性の霊が邪魔をして、犯人の霊力を隠してしまっているかも・・・」

 あ~・・・緑山のおばあちゃんは、随分とまた突拍子もないことを考えたもんだね。そんな、遠い昔の霊の力が、現代まで残っているとは思えないけど。残っていたとすれば、随分と未練がましい女性だね。

「ま、理由はどうあれ、犯人の残留霊力を感じ取れないのは事実。この場所は、根気で捜すしかないわね。もうお昼だから、一旦休憩にしましょ。」

 というわけで、俺達のお札捜しは一時休戦となった。


 昼飯のおにぎりを食べ終えた俺は、食後すぐに動く気にもなれず、川の真ん中辺りにポツンと佇む、ちょっとしたスペースにいた。丸太を飛び跳ねながら辿り着いたここは、それなりに居心地がいい。川の流れる音が心地よく眠気を誘う。いっそのこと、昼寝でもしよう。そう思って、目を閉じた瞬間だった。

「随分、のんびりだな。」

 目を開けると、そこには智がいた。

「寝かせてくれたっていいだろ?

「一度寝たら起きなさそうだからな、先に起こしといてやる。」

「ちぇ・・・戦士に休息を与えてくれよ、智。」

「な~にが戦士だよ。」

 智は俺の横に腰かける。

「歩は?」

 一緒かと思ったけど、歩の姿は近くにない。

「近松達と水遊びに夢中だ。」

 そう言って、智は左を示した。あぁ、確かに。川に入ってキャッキャッと騒いでいる近松と歩が見える。

「無邪気なもんだね?」

「まったくだ。」

 後ろから、恭一が話に入ってくる。

「ところで、智?」

「なんだ?」

「本当に、お札は見つからなかったわけ?」

「あぁ、面目ない。明るい内は見つけやすいって思ったんだけどな・・・」

 智は頭をかきながらそう言った。恭一もため息混じりに、

「犯人の野朗、ここだけ随分と趣向を凝らしてくれたようだな。おそらく、なにかにカムフラージュしたんだろうが・・・」

 そう言った。公園でカムフラージュするとなると・・・

「木の幹とか・・・あるいは、遊具の裏とか?」

「んなとこ、真っ先に捜したっつーの。それで無かったから、手当たり次第に人海戦術したっていうのに・・・どういうわけだか影も形も見当たらない。頼みの緑山の能力で感知できないとなると・・・こいつは相当まずいな。」

 恭一はそう言って、更にため息をつく。緑山のセンサーなしで、この広大な公園の中から、小さな長方形の紙を見つけ出す・・・恭一の言う通り、相当まずいね・・・

「こりゃ、昼間も手当たり次第だな。」

 そう言って、恭一が景色を見ながら諦観した笑みを浮かべた。

 そして昼過ぎ。公園内に散らばった俺達は、最後のお札捜しに取り掛かった。とは言っても、頼みの綱だった緑山の霊感センサーが使えず、ハッキリ言って手掛かりはゼロ。このだだっ広い公園に存在する小さな紙切れを見つけるには、それ相応の根気と運が必要だ。俺には両方無いような気がするけど・・・

『バシャ』

 水音がしたから、なんとなしに川を見た。水遊びをする子供達の姿が見える。釣りを楽しんでいる人もいる。キラキラと・・・さっきの、緑山の話が嘘のような綺麗な川。いや、緑山の話は本当だろう。緑山のおばあちゃんの考え方が変わっているだけだ。こんな綺麗な川に、ドロドロの怨念が渦巻く筈が無い・・・

 でも・・・俺はよく考えてみて思った。それを言い出したのは、あの高い霊感を持つ緑山のおばあちゃんだ。それなりに高い霊感を持っていた可能性は大いにある。しかも、昔の人はそういう神話的な事には執着して信じ込みやすい。しかも、そこにはある程度の教養と知識もある筈・・・

 考えれば、その話が嘘だという確証がどこにある?いや、そんなものはない。嘘か真実かは、まだ分かっていない。本当じゃないと、どうやって凡人の俺が言い切れる?霊感なんて大してない・・・それどころか、古事記についてすらあまり知らない俺が、何を持ってその話を嘘だと決め付けられる?嘘じゃない可能性は十二分にある。

 仮に、嘘じゃなかった場合、この川は怨念の渦巻く・・・いわば三途の川に近いものだ。死人が渡るのが三途の川なら、死んだ人間の魂が待つべき魂を待つのに相応しいのもまたそこだ。その女性が、愛した男性の魂を、流れ着くその時まで待っている可能性は否定できない。その霊の力が強大すぎて、犯人の霊力を感じ取れないって緑山は言っていた。女性の霊が、川で男性の魂を待ち続けているのだとしたら・・・この川全体が、大きな魂のシールドで覆われている事になる。緑山が自殺者の霊を感知できるという事は、この川での自殺方法は、俺が子供の頃と変わっていないのなら・・・首吊りが主流の筈だ。つまり、陸にある霊は感知できる。感知できないのは、川に沈んで死んでいった人間達の霊。そう仮定できるのとすれば・・・


 お札は川の中のどこかにある・・・


 しかも、河川敷の公園の中で、唯一子供達の遊び場があるこの辺り一帯に絞られる筈だ。ここより下流は、大きな川と流れがぶつかって、急激に水深が深くなる。仕掛けるには不向きだ。上流は上流で、岩肌が露出していて危険だ。毒物を使って人を殺し、お札を分かりにくい所に貼った挙句カムフラージュを施すような犯人だ。運動神経がいいとは思えない。

 つまり、俺の独断と偏見だけで言うのなら、この一帯にお札はある。しかも、川の中。俺はそう考えて、靴と靴下を脱いで川に入っていった。

「冷て・・・」

 もうすぐ五月に入るのに、川の水は微妙に冷たい。さて、勢いで川に入ったまではいい。問題は、この川のどこにお札があるかだ。水深はそんなに深くないし、川の水も澄んでいる。目を凝らせば、おそらく見つかるとは思う。

 だけど・・・川に入って俺は思った。こんな所に、どうやってお札が仕掛けられるんだろうか・・・粘着剤なんか、水に浸かった時点で効力を発揮しなさそうな予感がする。でも・・・なんだか俺は、自分の論理に無性に賭けてみたくなっていた。どうせ、陸で探していても飽きるだけだ。なら、ちょっとは可能性のある方に信じてみたい。もっとも、その可能性も俺一人で考え出したものだから、当てのへったくれも無いんだけど・・・

「衆く~ん。なにしてるの~?」

 遠くから、竜堂が俺を呼んだ。

「川の中にお札があるかもって思ったから、川を調べてんだよ。」

 俺は声を張って返答した。すると竜堂が、

「じゃあ、私も手伝うね!」

 とか叫びながら・・・器用にも、走りながら靴と靴下を脱ぎ捨て、川に入って俺に駆け寄って来た。

「冷たいね。」

 俺の二歩くらい前で足を止めた竜堂は、水の冷たさに少し困った笑顔を見せる。

「だったら陸に上がれば?お腹冷やすよ。」

「大丈夫。そこまで弱くないよ。」

 竜堂はお腹をポンと叩いて威張った。

「じゃ、もう少し下流に行ってくれない?」

「え?」

「同じようなとこを二人で捜したって意味ないし。田植えじゃないんだから。」

「あ、そっか。分かった。じゃあ、このあたりは任せるね、衆君。」

 そう言って竜堂は、魚のように水の上を走って行った。水を走る人間のスピードじゃないような速さだ。

 さて・・・俺と竜堂が川に入ったのを皮切りに・・・別に駄洒落じゃないよ・・・他のみんなも川に入り始めた。そして、川一帯を捜索し始めてから二十分くらい後の頃・・・

「あった!あったで~!」

 犬飼がそう叫んだ。俺達が近寄ると、水底に沈む長方形の紙。あのお札だった。

「でかしたわ!真由美。」

「関西の勘は一級品や!これくらいちょろいて!」

 得意気な犬飼とそれを囃し立てる近松をよそに、緑山がお札を剥がす。にしても・・・

「どうやって紙を水の中にくっ付けたわけ?」

「霊力よ。犯人の残留霊力が、これを水底にくっ付ける接着剤の役割を果たしていたのよ。」

 霊力って便利だね・・・さて・・・お札を全て剥がし終えたわけだけど、

「これで終わりじゃないんでしょ?緑山。」

「えぇ。それじゃ、これから現場へ戻りましょ。川西さんの魂から、犯人を聞き出さなきゃ。」

 こうして俺達は、大急ぎで現場へと戻った。


 現場に到着した緑山は、二日前の夜と同じく、お経を唱え始めた。あの時と違うのは、今が昼だということと、あの時感じた、視線のような気配を感じないことだけだった。今思い出しても不思議だった。あの視線・・・いや、俺がそう感じただけかも知れない疑心暗鬼の産物・・・・いずれにせよ、あの時、俺達以外の誰かが確実に俺達を見ていた。本当に、誰も気付いてなかった?

 いや、俺だけが気付いたとも思えない。他の誰かが気付いて黙っていたのかも知れないし、学校に残っていた先生か警察の人が俺達を見ていただけかも知れないし、本当に俺の気のせいかも知れないし・・・いずれにせよ、今は何も感じない。聞こえるのは緑山のお経だけ・・・と、そのお経が止まった。緑山は伊吹に向き直り、手に持っていた数珠を伊吹の体にあてがう。すると・・・・

「え?・・・ど、どうなっているの?」

 伊吹の口調が変わった。女性っぽい感じがしなくもない。

「川西久子さん、ですね?」

 緑山が伊吹に問い掛けると・・・

「・・・・え、えぇ・・・」

 伊吹が頷いた。どうやら、伊吹の体内に川西さんの魂が入る事に成功したようだ。まぁ、見た目も声も伊吹だから、その違和感は半端ないんだけど・・・

「あの・・・これはいったい?」

「あなたの魂を、一時的にその体に入れました。」

「そ、そんなことが出来るの?あなた。」

「簡単です。ご安心ください。私達は、あなたを殺した犯人を捕まえるだけです。あなたも、殺されて死んだんじゃ無念でしょ?」

「そ、それはそうだけど・・・でも、そのお気遣いは嬉しいけど・・・あまり・・・本心としては、あなた達を巻き込みたくないって感じね。」

 巻き込みたくない?

「私に毒を盛ったのは、おそらく彼でしょうね。」

 彼?ってことは・・・

「恋人ってこと?」

「そうよ。一回り年下のね。」

「ひ、一回り年下やて?」

 犬飼が驚くのも無理はない。干支一周分の歳の差。殺された川西さんは三十一歳だったから・・・単純計算、犯人の年齢は十九歳って事になる。

「大学生ですか?」

「いいえ・・・実質、フリーターよ。私が、囲っていたようなもんだったわ。」

 あの・・・それって・・・

「いわゆる、ヒモって奴ですか?」

「そうね・・・そう思ってもらっていいわ・・・」

「そんな・・・ヒドイ!ひどすぎるよ!その人。さんざん貢がせた挙句、殺しちゃうなんて!」

 歩が怒りを露わにした。男の俺から言わせても充分にひどい男だとは思うけど・・・同性である歩達女子からしてみれば、その怒りは半端ないんだろう。犯人の名前と住所を聞いた途端、近松なんか即行で殴り込みに行きそうだ。さすがにその時は止めないと。せめて、家宅捜索の令状は取っておかないとね。

「ありがとう。私のために、怒ってくれて・・・でも、そんな親切なあなた達を、やっぱり、私としては、あまり巻き込みたくないわ。時々、彼の抱いた思想に私も恐怖を覚えたわ。でもね、それでも彼を愛する気持ちは捨て切れなかった。そんな私だった。」

 思想?どういった危険思想の持ち主なのか、興味を抱くね。それはともかく、

「今は、あんたを殺したであろうその男の居場所が先決。どこにいるわけ?あんたの自宅?」

「いいえ・・・彼が住んでいるのは、この先にあるマンションよ。」

 そう言って、その人はマンションのある方向を示した。目を凝らすと、二十階建てぐらいのマンションが見える。

「あれ?」

「そう、あの白いの。ところで・・・」

 川西さんは、俺達にこう問い掛けた。

「警察の捜査が始まってから、どれくらい経ったの?」

「川西さんを発見したのが、この前の金曜日だったから・・・だいたい二日ってところだけど・・・それがどうかしたんですか?」

「・・・二日か・・・それだけあれば、彼に警察の捜査の手が伸びている筈なんだけど・・・・少なくとも、事情くらいは聞かれたんじゃないかしら。」

「あ、そのことならニュースで言っていたぜ。」

「マジ?どうだったの?晴一。」

「死体発見の翌日、つまり昨日、警察が恋人の自宅を訪れた。だけど、既に逃亡された後だったらしい。警察は、恋人を指名手配したって話だ。」

 既に逃げた・・・

「逃げ足の速いネズミだね?」

「あぁ、まったくだ。警察は、まだ国外へは逃亡してないと踏んで、全国に捜査網を広げ始めている。ほっといても、その内お縄の筈だ。」

「・・・そう、上手くいけばいいんだけど・・・」

 自信たっぷりそうだった晴一に対し、川西さんは不安そうだった。

「何か気になる事でも?」

「えぇ・・・普段から彼は、その・・・警察の事にすごく詳しかったの。だから・・・そう簡単には・・・捕まえられないんじゃないかしらって思って・・・それに、彼の場合、機転も利くし頭もいい。裏をかかれるんじゃないかって思って・・・」

「裏?」

「そう。例えば、遠くへ逃亡させたと見せかけて、この近辺にいるとか・・・」

 川西さんがそう言った瞬間だった。

『ズオッ!』

「うっ!」

 とてつもない・・・圧力のような物が圧し掛かってきた。ていうか・・・マジになに?なんだか・・・立っているのがやっとなんだけど?

『バタッ!』

『ドサッ!』

 何かが倒れる音がしたから振り返ってみると・・・地に平伏す歩と高村の姿だった。駆け寄ってやりたいのは山々なんだけど・・・あいにく、片膝ついて堪えるのが精一杯でさ・・・この、圧力とも重圧とも言いがたいプレッシャーに、俺達の大半は死にかけていた。平然と立っているのは、ほとんどが霊感体質だと言った奴ら。それ以外の奴も何人かいるけど、少なくとも、まともに立っている奴は全員そうなんだろう。そう考えると、けっこう多いんじゃない?霊感体質の人間。

「晴一・・・これ・・・なに?」

 かろうじて出した声に、晴一は平然と答えた。

「ひと言で言っちまえば、放出された霊力だ。片膝で耐えてるお前はすげー方だ。この放射霊力の中で堪えている、あんまり霊力に耐性のないお前はな。」

 これが・・・霊力?

「冗談じゃないよ・・・半端ない力じゃん・・・」

「確かにな。こいつは、相当の霊力だ。俺の全開にゃ及ばないが、こいつは強いぜ。霊力に慣れちゃいねぇお前達なら、歩や高村の状態が普通だ。そうだろ?義政。」

「あぁ、確かにな。この霊力じゃ、おいらでもちょっと踏ん張らねーと厳しい。ケロッとしている、お前や安奈は凄すぎるぜ。」

 いや、お互い褒めあっているとこ悪いんですけど・・・なんだっての?この圧迫感。すんげー重いものに、上から体重かけられている感じなんだけど?

「だろうな。俺もビシビシ来るぜ。おそらくこいつは・・・タイミングから考えて、犯人の霊力だ。そうだろ?緑山。」

「えぇ、おそらくね。お札に残った残留霊力と、波動が酷似しているもの。でかい霊力で、同じ能力者の私達をびびらせようって魂胆なんだろうけど・・・そんな小細工は通用しないわ。さっさと姿を見せたらどうなの?陰気な殺人者さん?」

 緑山がそう言うと、さっきまでの圧迫感がスッと消えた。俺はどうにか立ち上がる。

「へぇ~・・・噂には聞いていたけど、想像以上だね。」

 声がした方を見る。俺達の前方に止まっている車の上に、一人の少年が座っていた。細身で、白髪の童顔。その髪は、嫌味なくらい風にサラサラと流れている。誰?ていうか、いつからそこにいたわけ?

「初めまして。おっと、そこの女性には、『久しぶり』だね。」

 そこの女性?

「あなたのことですか、川西さん?」

「えぇ・・・彼こそ、さっき話していた私の恋人であり、私を殺した張本人、光崎(こうさき)レイ。」

 光崎・・・レイ・・・

「いかにも。では、改めて自己紹介を。僕の名前は、光崎レイ。あ、レイはカタカナでお願いします。女っぽい名前ですが、れっきとした男です。あ、年は十九です。久子から聞いたと思いますけど。」

 そう言って、光崎レイは恭しく頭を下げた。十九・・・ね・・・俺達と同い年でも通りそうだけど・・・

「いやはや・・・僕の放射霊力に耐えられるなんて、さすがと言ったところですか・・・しかしながら、防壁の決壊が思ったより遅かったので、危うく警察に捕まりそうでしたよ。簡単に見つかりそうな所に置いていたのに・・・そこは拍子抜けです。」

「そうか。なら、期待を裏切っちまって悪かったな。」

「あなたは?」

「入沢晴一。お前と同じく、放射体質の霊力者だ。俺達の前に姿を見せたのが運のツキだな、光崎。数時間後には、警察署の中で取調べとカツ丼が待っているぜ。」

 そう言って、晴一は光崎を睨んだ。だけど、光崎は軽くこう返した。

「カツ丼は弱りましたね。僕、カツ丼嫌いなんですよ。」

 まったく物怖じしていない。光崎のこの余裕は何だ?

「光崎だっけか。聞きたいことがあるんよ。」

 義政が話に入ってくる。

「なんでしょう?」

「なんだって、川西さんを殺したんよ?」

「どうして殺したか?そうですね~・・・いいでしょう。いずれ、皆さんに会わなくてはいけなかったんだ。ここで教えておきましょう。」

 もったいぶってくれんじゃん。

「久子を殺した理由は・・・あなた達を誘き寄せるためです。」

「俺達を?どういうこと?」

「簡単なことですよ。なぜ、あなた達にそんな事をする必要があるのか・・・答えは至極簡単です。僕の狙いが、平牧さんが今も持っているであろう『世界機密』だからです。」

 え?・・・平牧が持っている・・・それって!?

「例の次世代兵器の情報・・・あんたの狙い、それなわけ?」

「そう言ったでしょ?それさえあれば、ウチの組織が世界を掌握できますから。」

 そ、そんな・・・嘘だろ?こんなに・・・こんなに早く・・・敵の追っ手が来るのか?

「ちょ、ちょい待ち!」

「犬飼?」

「あんた、ウチラとあんたをこうやって会わせるためだけに、久子さんを殺したって言うん?」

「そうですよ?」

「ヒドイ男やな・・・最低や。」

「そうかも知れませんね。ですが、これが一番手っ取り早かったもので。自分達の通っている学校に死体があった。好奇心旺盛なクラスの誰かさんが、事件に首を突っ込んでくれるんじゃないかって思って・・・まぁ、もしそうならなかった場合、普通に、平牧さんが持っている、次世代兵器の情報が詰まったデータ媒体を頂くつもりでしたけど・・・」

 そう言って、光崎は高らかに笑い出した。やろう・・・俺は怒りが抑えきれなくなって・・・

「うおぉぉぉぉぉ!」

 気が付いたら光崎に殴りかかっていた・・・筈なのに・・・

『ゴロゴロゴロゴロゴロ!』

 俺の攻撃は当たらず、逆に俺は弾き飛ばされたように転がった。いってー・・・コンクリートって、とんでもなく痛いね。

「衆、大丈夫か!?」

 智が体を支えてくれる。大丈夫・・・っぽいね?そこいら痛いけど。ま、明日からのクラブには支障ないよ。

「君が、イレギュラーの衆、ですか。」

「イレギュラーの衆?なんのこと?」

 なんか、たいそうな二つ名をつけてくれたみたいだけど・・・

「本来、部隊に組み込まれる事のない筈だった、平牧陽にデータ媒体を渡した張本人。君のせいで、僕らの組織はかなりのタイムロスだ。正直、上からの命令がなければ、君だけは今すぐにでもタコ殴りにしたいぐらいですよ。」

「へぇ~、俺のこと、マークしてくれていたんだ。そりゃどうも。言っとくけど、口であんたに負けるつもりはないよ。」

「威勢がいいですね・・・ま、顔見せは終わりましたし、こっちから先に失礼しますよ。」

「逃げんのか?」

「人聞きの悪い事を言わないでください、入沢君。僕の今回の任務は、平牧さんの護衛である、あなた方の現状視察と戦力分析。戦って量りたいのは山々なんですが、そういうわけにもいきませんので・・・何せ僕は、戦闘となると雑魚ですから。あ、そうだ。せめてもの情けに、一つだけ情報を教えておきましょう。」

「情報やて?」

「えぇ。僕の所属する組織『ゼロ』は、本気で世界の掌握を目論んでいます。平牧さんから目を離さないことですね。あ、ご安心ください。寝込みを襲うなんて卑怯なマネはしません。組織の実行部隊には、時として変わった美学の持ち主が多いので。少なくとも、彼女が一人の時は狙いません。今回僕が持ち帰ったデータを見て、ほぼ百%、あなた達が大人数で、しかも平牧さんを伴っている時を狙うでしょう。あなた達と、戦いたいがためにね。」

 それだけ言い残すと、光崎は目の前から姿を消した。音も影も残さない、見事な逃げ足だ。


「あぁ、もう!思い出しただけでムカツク!」

 あれから三十分ほど後。俺達は、公園へと場所を移して話をしていた。着くなり早々、近松が先ほどのセリフを叫んだわけ。普段なら、そんな近松をなだめる筈の恭一も、

「あぁ、まったくだな・・・」

 拳を握り締めていた。目も険しい。いや、その二人だけじゃない。誰もが、険しく、厳しく、怒ったような表情を浮かべていた。いや、実際に怒っているんだろう。俺は・・・怒っていると言われればそうだ。

 けど、それ以外にも感情がある。それは『悔しさ』だった。威勢のいい事を言ってはいたけど・・・正直な話マジにビビった。あのにやけた笑顔の後ろに、俺は何か大きなプレッシャーを感じた。色で言うと、黒っぽいというかグレーというか・・・少なくとも、明るい色じゃなかったね。そのプレッシャーに、俺はどうしようもなく恐怖し、ビビって足が竦んでいた。殴り掛かったのは、そんな自分が正直イヤだったから。あいつに一発、この左ストレートを叩き込めれば、そんなもん、どっか飛んで行くって思った。でも・・・俺は返り討ちにあい、あいつが消えるまで、正直、立てなかった。虚勢を張ってはみたけれど、あいつのスマイルポーカーの前じゃ、そんなもんはなんの防壁にもなりゃしないだろうね・・・ホント、自分が情けない・・・

「智。」

 俺は智を呼んだ。悔しさや怒りより、とりあえず今は、解決したい事が山ほどある。

「なんだ?」

「あいつが言っていた『ゼロ』って組織の話、どこまで本当だと思う?」

「・・・今の段階じゃ、なんとも言えたもんじゃないさ。あの光崎って奴の口振りからして、俺は・・・ある程度の信憑性は感じた。もっとも、あの笑顔と言葉の裏で、何を考えているかなんざ、俺にはさっぱりだけどな。俺達も、結成当初に敵組織の情報を多少は貰っていた。けど、それは本当にごく一部だった。イギリス側から渡された資料は、ハッキリ言って使えたもんじゃない。」

「・・・イギリス側も無責任だね。」

「そうだな・・・」

 そう言って、智は下を向いた。『ゼロ』か・・・こりゃまた、とんでもない所で繋がったもんだ。

「これもまた、一つの偶然なのかな・・・」

「え?」

「だってさ・・・俺達は元々、川西さんを殺した犯人を見つけるために動き出したんでしょ?なのに、いつの間にか俺達の敵と対峙している・・・正直、ちょっと出来すぎって気がしない?」

「世の中なんて、言っちまえばみんなそんなもんだよ。ふとした偶然が、この世を支配していると言っても、俺は過言じゃないと思う。」

 偶然に支配された世界ね・・・

「なんか、やってらんないじゃん、そんなの。」

「やってらんない?」

「俺的にはね・・・偶然よりも実力だと思うよ、実際。」

「ま、本来はそうなんだろうがな。だがな衆。議論すべき点は、今は違うようだ。」

「違う?・・・あぁそうか。『ゼロ』について話しなきゃいけないんだっけ。」

「そうじゃない。」

 え?・・・そうじゃないって・・・

「じゃあ、なに?」

「お前は聞こえないのか?相棒の悲痛な叫びが。」

「相棒?叫び?・・・・なんのこと?」

「後ろを見りゃ分かる。」

 そう言われた俺は、後ろを振り返った。そこにいたのは、

「もう勘弁してくださいよ~。」

 と、何やら一人困りきっている伊吹だった。

「相棒って・・・」

「おいおい、ダブルスパートナーなんだから、それくらいの感情は持ってやれよ。」

 いや、そりゃそうかも知れないけど・・・

「で?伊吹がどうしたって?」

「見りゃ分かるだろ?あからさまに困っているじゃねーか。」

「だから何に?へたな猿芝居にしか見えないけど。」

 一人で困っているようだけど・・・何に困っているのか見当が付かない。

「伊吹に聞きなよ。正直、俺もそこまで分かっちゃいない。」

 俺は思わず体勢が崩れた。『ずっこけ』ってやつだ。まぁ、困っているのは事実だから聞いておこう。

「伊吹、さっきからなにやってんの?」

 すると伊吹は、

「聞いてよ、衆君。川西さんがくっ付いて離れないんだよ~。」

 と、俺に泣きついてきた。いや、そう言われても・・・

「て言うか、川西さんが離れないってどういう事?もう成仏したんじゃないの?」

 すると、伊吹が後ろを見た。なにやってんだろ?俺が伊吹の後ろを注視していると・・・・・

「まだ成仏できないって・・・」

 伊吹がそう言ったんでちょっとビックリした。こいつが後ろを向いた時は、川西さんと話をしていると思った方がいいみたいだね。

「じゃあ、なんで成仏できないんですか?」

 俺がそう問い掛けると・・・

「はぁ~・・・」

 川西さんの答えを聞いた伊吹がため息をついた。

「光崎君が捕まらないと、成仏できないんだって。殺された恨みはすごいだろうから・・・」

 まぁ、その気持ちは分からなくもない。じゃあ・・・

「なんだって、伊吹にくっ付くんです?」

 伊吹がじっと後ろを見る・・・

「な、なんだって川西さんが顔を赤くするんですか!」

 どうやら、川西さんは伊吹に恋をしたらしい。年下の男性が好きなんだろう。「良かったじゃん伊吹。結婚式には呼んでよね?」

「呼ばないよ!ていうか呼べないよ!」

 ややパニック状態だけど受け答えはしっかり出来ている。しかし・・・

「伊吹・・・残念だけど、俺にはこの問題はどうしようも出来そうに無い。頑張って、自力でどうにかしてくれ。」

「そ、そんなのあんまりだよ~。衆君・・・」

 いや・・・だから俺に泣きつかれも困るんだけど・・・


「というわけだから、どうにかしてやってくんない?義政。」

 とにかく、俺自身じゃどうしようもないのは事実なんで、その道のプロである義政に頼んだ。

「あぁ、なんとかしてやりて~が・・・おいら、成仏したくない霊を除霊すんの、あんまし趣味じゃないんよ・・・」

「そこを何とか頼むよ~。こうぴったり川西さんにくっ付かれたんじゃ、おちおちお風呂にも入れないよ。」

「あ、そんなこと気にしていたんだ、伊吹。」

「そ、そんなことって・・・衆君は嫌じゃないの?女性に裸を見られることって・・・」

「え?嫌っていうか、う~ん・・・もう慣れた。」

 語弊があるかも知れないけど、感覚的にはそうなる。

「え?!」

「そんなに驚かないでくれる?姉ちゃんの話だよ。今でも時たま、機嫌がいいと風呂に入り込んだり布団に忍び込んで来たり・・・」

「あぁ、その気持ち分かるぞ、衆。おいらの姉ちゃんも、非番の日なんかよくやってくるし。」

 義政も、そう言ってウンウンと頷く。

「お、同士がいたね。子供の頃ならまだしも、ね?」

「なんも今んなってするこたねーよな。」

「そうそう。恥ずかしくないのかね~。」

「いやいや、まったくだ。確かに、嫌ってわけじゃねーんだけど、この年になると・・・どうにも恥ずかしいんよね~、こっちとしては。」

「そうだよね~。」

「あれ?」

 伊吹が、俺達の話に乗ってきた。

「伊吹にも、姉ちゃんがいるわけ?」

「うん。言ってなかったっけ?」

「初耳。ていうか、伊吹もそんなことされる?」

「たまにね・・・こっちの場合、機嫌が悪い時の憂さ晴らしって感じだけど・・・特に最近は・・・恋人に振られちゃったみたいでさ。もう・・・憂さ晴らし通り越して、なんか・・・僕に泣きついてくるっていうか・・・まるで、いまさら気が付いた運命の人のように僕に迫ってきて・・・とはいっても、たった一人のお姉ちゃんだから、あんまり邪険にも出来ないしね・・・」

 そう言って、伊吹は諦観した笑みを浮かべた。

「だよな・・・おいらも、どうにも邪険に出来ん。」

「右に同じだね。どっか、心の中で許しちゃうんだよね・・・」

 肉親だから・・・血の繋がった姉だから・・・どっか心の中で許している・・・口先じゃなんとなしにいがみ合い、気付けば叩きたくもない憎まれ口。なんか・・・アメリカ時代はその度に後悔したりして・・・俺を子ども扱いする姉ちゃんを嫌いだって思っていたけど、やっぱり俺、そんなのが本心じゃなかった。そんな姉ちゃんを、俺は心の底から頼もしく思っていて、正直、照れくさかったんだね、きっと。

 そうだよ・・・姉ちゃん、なんだかんだと言って、昔はいつも俺の味方だった。弱いくせに負けず嫌いな俺は、ことある度にケンカして・・・でも、弱いからいつも負けてばっかりだった。そんな時、俺を助けてくれたのは誰だった?智だった時もあるけど、やっぱり、姉ちゃんが一番助けてくれた。ホント、強かった。そんな姉ちゃんに、俺は子供心に憧れていた筈だ。でも、姉ちゃんに助けられるのが悔しい時もあった。正直、複雑だった。

 やがて俺は成長し、自分で相手を負かすことが出来るようになった。だから俺は、心の中で無意識に、姉ちゃんの助けを拒み始めた。おそらくそれが、俺が姉ちゃんに反抗し始めた理由だった。

 だけど、結局俺は弱いままだ。今だって、なにかと姉ちゃんに助けてもらっている生活。俺を一番理解しているのは、両親や智達以上に姉ちゃんだ。考えれば簡単なことだ。姉ちゃんが風呂や布団に乱入してきても、俺、なんだかんだと言って結局拒まない。姉ちゃんの機嫌が悪いと、正直、ただでさえ集中しない授業を上の空。俺、すんげーシスコンだね、マジで。あ~あ、悟っちゃったらスッキリした。

「ところで・・・川西さんの話はどこへ行ったのさ~~~!」

 あぁ、忘れていた。


「で?なんだって、私の所に来るのよ?」

「そう言うなよ、安奈~。除霊は、安奈の方が得意だろ?」

 懇願し続ける義政に対し、緑山はどうにも乗り気じゃないらしい。かれこれ十分、あの調子。義政の言い分としては、大して得意分野でもなく、まして、乗り気じゃない除霊を行う気にはなれないから、緑山に頼んでいる。一方、緑山は緑山で、ただ疲れて気分が乗らないという理由だけで、これまた、除霊を拒み続けている状況。まぁ、両者の言い分に一理はあるけど・・・

「あの~・・・まだ~~~?・・・」

 待ちくたびれている様子の伊吹は、やや目が放心状態になっている。特に見えているわけじゃないけど、伊吹にピッタリくっ付いている川西さんの姿が目に浮かぶ。微笑ましいと言えばそうなんだけど・・・

「なぁ~、頼むよ~安奈。」

「・・・そう言われても、伊吹君にあれだけピッタリな状態の川西さんを除霊するの、ちょっと骨が折れるわよ。」

「いや、それはおいらも分かっとる。分かっとるからこそ、安奈に頼んでいるんよ。」

 その瞬間、緑山は何か分かったような表情を見せた。やる気にでもなったのかな?

「・・・あんた、まさか?・・・」

「昔から言ってんだろ?生きたい霊を、あの世で後悔させたくないんよ。」

「・・・・フッ・・・・」

「お、緑山が笑った。」

「そんなに珍しい?」

 と思ったら怒った。

「まぁ、それなりに。」

「しかたねーよ。安奈、けっこう照れ屋だからな・・・おいらの前以外じゃ、あんまり笑わないんよ。」

「ふ~~ん・・・要するに、それが、安奈ちゃんの小野君に対する愛情表現ってこと?」

 歩の何気ないひと言に、

『カ~~~~~~~~~~~ッ!』

 そんな擬音を発しそうな勢いで、緑山の顔が紅く火照っていった。

「いや~・・・そう言われると照れるな~・・・」

 義政は義政で、ニヘニヘと笑いながら惚気ている。

「な、なに笑ってんのよ!バカ!」

 緑山は、照れ隠しに叫んだ。けれど、義政は不思議そうにこう尋ねた。

「あれ?違ったんか?な~んだ・・・じゃあ、何で普段は、笑わねーんだ?」

「そ、そんなことないわよ・・・・」

 明らかに、緑山の態度はおかしかった。

「そっか・・・そうだよな。」

「え?」

「おいら・・・自惚れとったんだな・・・安奈、いつもおいらに優しく笑ってくれっから、おいらてっきり、それが安奈の愛なんだって思っとった。けど違う。安奈は、誰にも優しく笑い掛ける。安奈の笑顔は、おいらのためだけの、特別なもんなんかじゃないよな・・・ダメだな、おいら。安奈が好きで、いつも安奈を見とったのに・・・な~んも・・・な~んも安奈のこと分かっちゃいねぇ・・・」

 義政・・・

「ホント・・・な~んにも分かっちゃいないわ・・・あんたに向けている笑顔と、他のみんなに向けている笑顔の、重みの違いが分からないなんてね。」

 あの・・・なんだろう、この・・・甘酸っぱい雰囲気は・・・

「おんなじ・・・『笑顔を向ける』っていう行為でも、あんた相手じゃ重みが違うのよ・・・・・あんたへの笑顔は、あんたのためだけ・・・私が生涯で愛するであろう、ただ一人の愛しい男への愛情の表れなんだから・・・自惚れて受け取りなさいよ、バカ・・・」

 そう言った時の緑山の表情を、俺は忘れる事は無いだろう。

「・・・おう・・・自惚れとく。」

 義政がそう言って照れるくらいの、いい笑顔だった・・・

「だ~か~ら~・・・川西さんはどこへ消えたの~?」

 あぁ、何かと忘れるね。


「それで、どうするわけ?さっき、なんか思いついた顔してたじゃん。」

「簡単よ。川西さんの霊を、器に移し変えるの。」

 器?また専門用語かな・・・

「なんのこと?義政。」

「そうだな~・・・簡単に言っちまうと、霊をこの世に留める体、って所だな。」

「体?」

「おう。霊が何で現世に残るのか・・・答えは簡単だ。未練があるからだ。だったら、その未練さえ無くなれば、霊は成仏できる。その場ですぐに成し遂げられるような未練だったら、おいらや安奈の体に霊を憑依させ、一時的に体を霊に預ける。そして霊の意志で未練を成し遂げる。そして、納得して成仏してもらう。けど、今回はそうもいかんだろ?」

「まぁ、そうだけど・・・」

 確かに、今回はそう簡単にいく未練じゃない。川西さんの未練が晴れる頃には、大方の問題に決着がついている頃だろう。

「そんなに長い間、霊が他に魂を持つ人間に憑依しているのは何かとまずいんよ。へたすりゃ、霊に取り込まれかねねーからな。」

「と、取り込まれるの?そんなのやだよ~。なんとかしてよ、小野君。」

 伊吹が義政に泣きつく。

「川西さんが慰めてどうするんですか~!」

 それと同時にそう叫ぶ。川西さんに頭でも撫でられたんだろう。確かに、あんたが慰めてどうするのさ、川西さん。あんたのせいでこうなっているってのに・・・

「安心しな、伊吹。お前から川西さんを引き離し、同時に、川西さんをこの世に留める最善の方法がある。安奈!準備できたか?」

「とっくにね・・・」

 緑山が、やっとと言わんばかりに目を瞑った。さっきまで気付かなかったけど、よく見ると、緑山の後ろには大きな人形みたいな物が置いてある。

「それ、なに?」

 聞かずにはいられない。

「これが、川西さんの霊をこの世に留める器だ。」

「これが?ただの、大きな木の人形にしか見えないけど?」

「ただの木じゃないんよ、これ・・・安奈の家にある、樹齢百五十年くらいのご神木から作った物なんよ。」

 そう言って、義政はフフンと胸を張る。いや、原材料どうのこうのっていう問題じゃなくて。

「それに、川西さんの霊を?」

「あぁ、定着させる。準備いいな?安奈。」

「もちろん。」

 緑山は、またお経を唱え始めた。

「なんか、さっきのとは違うみたいだけど?」

「そりゃ、やることが違うからな。」

 なるほど・・・


 それから数分後。長かったお経が止まったと思うと、

『カタ・・・カタカタカタ・・・』

 木の人形が何やら動き始めた。やがて人形は立ち上がり、角張っていたその体が丸みを帯び始める。立ち上がった姿はやがて大きさを増し、ゆっくりと指が伸び、何も無かった顔に目や鼻が現れ始める。そして数秒の内に、その姿は人間へと生まれ変わった。長い黒髪、整った大人の女性の体を持つ、どこにでもいそうな人間の姿に・・・

「これが・・・川西さん?」

 俺の口から最初に出たのは、ある意味当然で、ある意味間の抜けた質問だった。

「そうよ。この姿は、川西久子さん本人。あなた、ニュースで顔ぐらい見なかったの?」

 いや・・・見たには見たんだろうけど・・・あんまり覚えてない・・・

「ま、いいわ。川西さん。気分はどう?」

 緑山に問い掛けられた川西さんは、少し不思議そうに辺りを見回してから、

「誰にも、見られてない?」

 そう問い返した。確かに。今まで注視していたからあんまり気にしなかったけど、よく考えてみれば、ここは人気の多い昼下がりの公園だった。

「誰も見てないの?」

「安心しなさい。予め結界を張って、私達以外には虚像が見えていたはずだから。」

「あ、そう・・・」

 もう俺は、緑山が何をしたとしても、やった後でそれを言われても、さして驚かなくなっていた。なんかもう・・・緑山がそう言うんならそうなんだって、心の中で解釈出来るまでに順応したのかもね・・・

「これで、川西さんの魂の定着は完了。後は、どっかに身を潜めといてもらえりゃ、誰も怪しみやしないぜ。」

 そう言って、義政はニヘニヘと笑った。

「身を隠す・・・伊吹く~ん!あなたの家に泊めて~!」

 川西さんは一瞬考えた後、そう言って伊吹に抱きついた。霊だろうが器に入ろうが、人格が変わることはないってわけね・・・

「あ、それとも義政君の家にしようかしら?」

 と、次は義政に言い寄る。その時、

「・・・いや、それは勘弁な・・・」

 俺は緑山の黒いプレッシャーを感じた。当然義政も感じたんだろう。汗ダラダラで辞退した。

「川西さんは、おいらんとこより安奈の神社にいた方がいいぞ。」

 義政はそう言った。川西さんは不思議そうにした。

「安奈の神社には、あんたみたいな奴が他にもいる。きっと、その方が居心地いいと思うぞ。」

 あぁ、それは一理あるね。仲間がいる方が、なにかと心強いんじゃない?それに、その方が、俺達もたまに会いに行けるしね。会いに行くかどうかは別として。

「そう。いいかしら?安奈ちゃん。お世話になって。」

「構わないわよ。その代わり、きっちり働いてもらうからね。」

 安奈はそう言って川西さんを睨み、踵を返した。これで一件落着?義政。

「あぁ、そだな・・・」

 そ・・・ならいいや。こうして、俺達の最初の仕事と言えるようなものは終わった。俺は、改めて世界の重みを知った。正直、担える自信なんてありはしない。でも、こうなったらもう後には引けない。みんなと一緒に、平牧を守って世界を救おう。春の終わりを告げる川の傍で、俺達はそう誓い合った。


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