第三話四章 勝負の文化祭・二日目
第四章
勝負の文化祭、二日目
「あ、衆君。おはよう。」
「おっす・・・」
朝九時。テニスコートに到着した俺に声をかけてきたのは、ちょうど部室から出てきた伊吹だった。さらに、部室の中に入ると、
「おう、藤越。」
阿部を始め、数人の部員が声をかけてきた。俺は適当に挨拶を返して、やや左奥にある自分のロッカーの前で着替え始める。まぁ、なんてことのないいつもの光景だ。ただ一つ気になると言えば・・・
「・・・なに?」
その場にいる全員の顔が、妙にニヤニヤとしていることだった。あまりにも気になって仕方がないから、俺は一番近くにいた古本に聞いた。
「どうした、藤越?」
「さっきから、なににやついてんの?」
俺が、やや不機嫌な感じにそう言うと、古本はにやついた顔のままこう言った。
「いやいや、お前もうまくやったもんだなって思ってな。」
「は?うまくやったって、なんの話?」
「とぼけんなよ。どうせ、今日も応援に来るんだろ?あの、可愛らしい彼女。」
「彼女・・・」
杏の言葉で、俺はなんとなく状況を察知した。どうやら全員、平牧と俺が付き合っていると思っているみたいだ。まぁ、この前あいつが怪我した時や、昨日一日俺と一緒だったことを踏まえれば、だいたいの人間なら行き着く結果だろう。まして、平牧が描いた絵のモデルが俺じゃ、その虚実も真実味を増すってもんだ。
「言っとくけど、俺と平牧は別に付き合ってなんかないし。」
「は?昨日ずっと一緒にいといて、そりゃないだろ?」
荒野が、とても信じられないといった感じで聞き返してくる。まぁ、普通の感覚でいえばそうなんだろうけど。
「でも、実際付き合ってないし。ま、応援には来るだろうけどね。ていうか、来いって言っといたし。」
「どういうことだ?」
カバンからラケットを出しながら、滝上がこっちを向いて聞いてくる。
「別に。俺は勝つから見に来ればって、そう言っただけ。」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・』
俺がそう言った瞬間、部室内の空気が凍った。その場にいた誰もが目を見開き、俺を見ている。俺はその視線に気づくと、自分でも驚くほど自信満々にこう言った。
「勝つこと以外、今日は考えることないじゃん。」
「よく言った、藤越。」
俺のやや自意識過剰な発言に拍手しながら入ってきたのは、部長の紀藤だった。
「悪いが今のセリフ、後でもう一回使わせてもらうぞ。」
「・・・どうぞ、ご自由に。ていうか、また走ってた?」
紀藤はどう見ても、肩で息をしていた。紀藤は、自分に合った調整法だとかいろいろ言っていたけど、傍から見ればただ無茶しているとしか思えない。
「どうせ、今日も七時くらいには来て、校舎周り十周以上したんでしょ?」
「ま、今日がいよいよ本番だからな。少々、いつもより気合を入れてみた。それより、そろそろ集合してくれ。先生がお待ちだ。」
紀藤はそう言うと、部室を後にした。俺達も少し慌て気味に身支度を済ませて、コートへと向かった。
部室を出て、駐輪場のフェンス越しにコートを見ると、コートの入り口付近で仁王立ちする一人の女性が目に入った。相変わらず、太陽を背に登場したがる。おかげで、近くまで行かないとその表情をうかがい知ることはできない。そして、太陽を背に立つその人は俺達が揃ったのを確認して第一声を発した。
「よし、全員揃ったな。」
そう言って笑顔を見せたのは、二学期から男子テニス部の顧問をしている城野崎香苗先生だった。この学校、クラブが新体制となりやすい春と秋に、よく顧問の顔ぶれも変わったりするらしい。ウチとしては、先輩が辞めて俺達一年だけになるから、いっそのこと顧問も若返りということで、それまで第三顧問だった城野崎先生が昇格。そして今に至るわけ。
で、その城野崎先生なんだけど、年齢はおよそ二十後半で、背丈は俺ほど。金髪ショートにピアスと、見た目は教師らしからない。が、その中身はまったく別物で、専攻は物理でありながら、理数系全般抜け目なし。授業はデータ論でガッチガチという噂だけど、ことこのテニスにおいては勢い重視。男子顔負けのパワーテニスが売りで、滝上や村中なんかも一目置いている。そして、とにかく口調が男勝り。
とまぁ、基本的にはいろんな意味ですごい先生なんだけど、ややめんどくさいのがその性格。太陽を背に登場しないと気がすまないなんていうのは、その代表格とも言える。他にも挙げればキリがないんだけど、まぁ、その辺は追々。
「よし、紀藤。いつものだ。」
「はい!一同、礼!」
『よろしくお願いしやす!』
とまぁ、この挨拶もその一つ。
「・・・ほう・・・文化祭の恒例行事である親善試合。そんな大一番を前にしてるっていうのに、お前ら・・・全然気負ってないな。」
俺達の挨拶を聞くと、城野崎先生はそう言った。俺達の挨拶。毎日やっていることだからこそ、僅かな違いでも分かると、前に言われた。そして、その的中度は日に日に増している。
「そりゃ、藤越にあれだけ自信たっぷりに言われたら、腹括るしかないですよ。」
紀藤は俺をチラッと横目に見ながら、少し笑みを携えてそう言った。すると、先生が俺を見ながら不敵な表情を見せる。
「何をどう自信たっぷりに言ったんだ、藤越?」
先生はそう言いながら、俺にドンドン顔を近づけてくる。俺は軽く息をついてから、さっき部室で言ったことを口にした。
「勝つこと以外、今日は考えることはないって、そう言っただけっすよ。」
「・・・・・・・・」
俺の発言に、さすがの城野崎先生も少し固まった。目と鼻の先の距離で、先生の目が丸くなったのが見える。でも、固まったのは本当に少しだった。
「・・・フフフフ・・・ハハハハハハハハハハハ!」
すぐに表情を崩したかと思えば、その次はいきなりの高笑い。腰に手を当て体を反らし、お手本のような高笑いだ。
「まったく、藤越って奴ぁ・・・好きだぞ、そういうところ。」
先生はそう言うと、俺を抱き締めながら頭を撫でてきた。これも先生のよくある行動で、ことあるごとに過剰なスキンシップを取ってくる。俺や伊吹みたいな、先生より背の低い男子はだいたいこうだ。逆に智や滝上みたいな背の高い奴は、急に背中に乗っかられるというのが代表例。
で、先生はひとしきり俺の頭を撫でた後、全員を見渡しながら話し始めた。
「藤越の言ったとおりだ。今日は全員、勝つことだけを考えればいい。試合に出る奴も、そうでない奴も全員だ。相手が松栄だろうとどこだろうと、今日まで必死に練習してきたお前達の実力、ここで負けるようなもんじゃない。それに私だって、お前達が負けるなんて微塵も思ってない!今日は絶対勝って、文化祭のフィナーレを飾ろうじゃないか!」
『はい!』
俺達の返事がこだました朝のコート。誰しもがヤル気に満ちた目をしている。俺達が、この男子テニス部として結集してからかれこれ半年近く。多分、今までで一番ヤル気が乗っているに違いない。
「さて・・・お前らの気合も分かった所で、今日の流れを改めて説明しておく。松栄高校は、十一時ごろに到着だ。部室への案内は滝上、頼む。」
「はい。」
「その後、十二時までが向こうの練習時間だ。そして、昼休憩を挟んで午後一時より試合開始。審判とボーラーは、こっちと向こうで一人ずつ出す。後のメンバーは会場整理だ。くれぐれも、混乱のないように頼むぞ。」
『はい。』
「よし・・・後は・・・」
先生は一息置くと、横目で竜堂をチラッと見た。
「試合に出るメンバーは、しっかり体動かしておけ。今日は少し冷えるらしいから、いつもより入念にな。で、試合になれば、後はお前らに任す。試合中は、竜堂の指示にしっかり従えよ。竜堂も、よろしく頼むぞ。」
「は、はい。頑張ります!」
竜堂が、なにやらノートをギュッと握りしめ、いつもの二割り増しくらいの声で返事をする。その後、俺達は各々のアップに向かった。途中、学祭関係で何人か代わる代わる抜けたりしながら、時間が過ぎていく。
そして、午前十時。俺達はコートに集まり、最後のミーティングを開いていた。
「それじゃ、私の方から最後に、相手に関する最終の報告をしたいと思います。」
ここでの主役は竜堂だ。正直、松栄との対戦が決まってから今日まで、一番多忙だったのは竜堂だろう。クラスでプラネタリウムのことをやっているかと思えば、練習中は俺達のサポート。そして、いつの間にか相手の情報収集。それでいて、国風の弁当は毎日ちゃんと作って、授業だって決して疎かにしなかった。
「昨日、私の所に来たメンバー表が、これです。」
そう言って、竜堂は半ペラの紙を見せた。
「向こうのダブルスツーは、二年生の浅尾慶介さん、同じく二年の柳田傑さんです。基本的に、柳田さんが前衛となるフォーメーションが多め。浅尾さんは、サーブミスが少なく、セカンドになっても威力、スピード共に変化は少なめです。」
「サーブで崩して、相方がボレーで決めるって奴か。」
杏が、竜堂のデータから相手の戦い方を予測する。
「うん、それが基本的な攻め方。また、ストロークにおいて、注意すべきショットが一つ。それは、浅尾さんのバックハンドから繰り出される、通称『超電磁砲』。最初は、名前ばかりでよく正体が掴めなかったけど、やっと分かりました。その正体は、超高速のフラットショット。浅尾さんは、今回のメンバーの中で最も体重が重め。そのパワーを活かした、まさに決め球。紀藤君と杏君で対抗できるかは、はっきり言って微妙です。」
「問題ないさ。フォア側に打ちさえすれば、ただの不発弾だ。」
杏はそう言って、自信あり気な表情を浮かべた。紀藤も、同じことを考えていたと言わんばかりに笑う。
「はっきり言って、私もそれが一番いいと思います。超電磁砲さえ打たせなければ、充分勝てる相手だと思います。なので二人は、そのショットに細心の注意を。」
『はい。』
竜堂は二人の返答を確認すると、俺と伊吹に向き直った。
「次にダブルスワン。二年の高橋昌治さんと、筒野康敏さんです。この二人は、前衛・後衛共にそつなくこなします。はっきり言って、衆君が一番嫌いなタイプの二人です。」
「あぁ、ネチネチとした地味タイプってわけだ。」
確かに、そのプレーが得意な奴は俺の嫌いなタイプだ。基本に忠実だとか、粘り強いとかいえば聞こえはいいけど、そういうテニス、見てもやられてもイライラする。
「だから、いかに相手のリズムを崩せるかに、勝負の行方はかかっています。相手は、穴はそんなにないけど決め球もない。二人のペースに引き込みさえすれば、そんなに苦戦しないはず。その点に注意して、二人は試合に臨んでください。」
『はい。』
こっちのペースに引き込むね・・・後で、伊吹と作戦会議でも開くか。
「次は、村中君が戦うシングルススリー。メンバーで唯一の一年生、荻野丈勝さん。プレイスタイルは、サーブアンドボレーを得意とする、典型的な攻撃型です。」
「智みたいな奴、と思えばいいのか?」
村中の問いかけに、竜堂は少しだけノートを見返しながら答えた。
「智君とは、まったく異なる攻撃型、と言えます。」
「どういうこと?」
智とは異なる攻撃型プレイヤー・・・前にはあんまり出てこない、とかか?
「そもそも、智君のプレイスタイルの原点にあるのはカポエラ。あの独特の動きをテニスに組み込む・・・正直、智君と同じスタイルのプレイヤーは、日本中捜してもいないと思います。」
「それじゃ、荻野の原点はなんなんだ?」
「それは・・・百九十近い身長と、長いリーチ。前に出られたら、隙を見つけるのはかなり難しいと思います。」
馬鹿でかい身長に長いリーチ。確かに、そんな奴に前に出てこられたら、俺達背の低い人間にはたまったもんじゃない。
ただ、こと村中に関してそれは別だったりする。実際、竜堂もその情報を説明した時、一切悲壮な感じは見せなかった。相手が俺や伊吹だったら、さすがの竜堂も不安そうにしたかも知れない。でも、その荻野の対戦相手は・・・
「そうか・・・百九十もあるのか・・・」
背の高い奴を倒すことがめっぽう得意な村中だ。今も身長を聞いて、驚いたりビビッたりするどころか、普段細く小さい目をさらに細くして、クククっとほくそえんでいる。村中は、既に完全に火がついている状態だ。まして、相手が同じ一年とあれば、その闘志も倍増する。村中は、そういう奴だ。
「ボレーの威力はあるとはいえ、滝上君ほどと言うわけでもなく、ましてや同じ一年生。村中君の実力なら、ほぼ問題ないと考えます。なので村中君は、決して油断せず、いつも通りのスタイルを貫いてください。」
「はい。」
こりゃ、村中が一番楽な試合かも知れない。村中が勝負事において、油断や加減なんてできるはずもない。俺達ダブルス組の結果によっちゃ、村中の勝利は団体戦の勝利に直結する。となれば、当然見えてくるのは五戦全勝。その鍵を握る二人に、竜堂は視線を向けた。
「次に、朱崎君の対戦相手。副部長の畠山忠成さんです。朱崎君と同じく、ベースラインからの打ち合いを得意とするプレイヤー。朱崎君ほどのフットワークはないけど、パワーは確実に勝っています。」
「パワー勝負か・・・確かに、それなら僕には分が悪そうだね。」
そう言って、一義は少し苦笑した。確かに、一義の数少ない弱点を挙げるとすれば、それはパワーだろう。普段の部活中も、筋トレの時は苦しそうにしている。
「なにより、この畠山さんは圧倒的なスタミナを誇ります。なのでイメージとしては、パワーは滝上君、スタミナは阿部君といった感じです。」
パワーが滝上で、スタミナが阿部?部内じゃ、それぞれの分野のトップ二人の名前が出てきた。
「阿部クラスのスタミナか・・・そりゃ、かなりの体力バカと言えそうだな。」
「確かに、智の言うとおり、僕にはそれなりに厳しい相手みたいだけど・・・今日は約束があるから、負けるわけにはいかないよ。」
「約束?時代と?」
一義の言い方からして、お相手はそれ以外、あんまり考えられないけどね。
「うん。ウイニングボールを渡すって約束しちゃったからね。彼女との約束だけは、破るわけにはいかないよ。」
時代との約束、ね・・・俺は相手の畠山って人に悪いと思いつつも、相手の負けを確信するしかなかった。一義の性格上、時代との約束を破るようなことは絶対にないとしか思えない。
「では朱崎君は、好の期待を裏切らないように頑張ってください。」
「はい。」
竜堂も、一義と時代の約束の話を聞いて安心したのか、最後は笑顔でそう言った。さて、時代が試合後に一義に抱きついたりしないように、しっかり見張っとかないとね。
「それでは最後に、智君。当初の予想通り、部長の正田辰則さんです。」
「出たね、今回のそもそもの元凶が。相手にしてみれば、智が自分の対戦相手だって知って、舌なめずりしてるんじゃない?」
「そういう言い方は勘弁してくれよ、衆。想像しただけで気分が悪くなる。」
とか言いつつ、智はいたって余裕の表情だった。
「正田さんは、基本的にオールラウンダー。サーブ、ボレー、ストローク。どれをとっても突出して高いものはありません。ただ・・・」
竜堂が、今日始めて言葉を濁した。
「どうかした?」
「突出して高いものはないんだけど・・・これといって苦手なこともありません。ポテンシャル的には、一番厄介なことは間違いありません。」
「なるほどね・・・さすが、天下の松栄を束ねる部長だ。性格にやや難ありとはいえ、実力はあるってわけだ。」
智はそう言うと、少しだけ頭をかいた。
「はっきり言って、実力は智君とほぼ互角。あとは、気持ちの問題だと考えます。」
気持ちの問題、ね・・・まぁ、メンタルで智がどうこうなる奴だとも思えないけど。
「どうする、智?」
「・・・向こうの方が一年上。当然、その分の経験差はあるだろうけど・・・しょーもない理由で部員動かしてケンカ売ってくるような奴に、俺が負ける道理はない。」
「・・・だね。」
智の固い決意に、どうやら竜堂も安心したらしい。さっきまでの不安そうな目元は緩み、いつもの笑顔に戻った。
「では、これで私からの最終報告を終わります。あとは、試合中に適宜対応していくつもりなので、よろしくお願いします。以上です。」
『あざーっした!』
竜堂に一礼するテニス部一同。それとほぼ同時に、
「作戦会議は終わったか?」
城野崎先生が現れた。文化祭二日目の衣装は、昨日と同じく迷彩柄の軍服だ。
「終わりました。あとは、コート上で成果を見せるだけです。」
紀藤が先生をまっすぐに見据え、そう答えた。すると、城野崎先生はフッと微笑むと、俺達に語りかけた。
「竜堂が必死こいて集めた情報、決して無駄にするんじゃないぞ?」
『はい!』
「よし、いい返事だ。」
そう言うと、先生はチラッと腕時計に目をやって、話を続けた。
「もう三十分もしない内に、松栄が到着するだろう。滝上と紀藤と竜堂で受け入れの準備、残りはいったんコート整備を頼む。それが終わったら、十二時半までは自由行動とする。以上!」
『はい!』
いっせいに作業へと散る俺達。とはいっても、コート整備に十人も必要ないといえば必要ない。案の定、コート整備は一瞬で終わり、俺はそのまま体育館へ向かった。
体育館に着くと、ちょうど演目と演目の間なのか、少しざわついていた。
「お、藤越。お前も見に来たのか?」
ちょうど真ん中あたりをウロウロしていると、長瀬が声をかけてきた。相変わらず身長がでかい。
「あんたがまだここにいるってことは、和太鼓には間に合ったみたいだね。」
「あぁ、もうすぐだ。」
長瀬はそう言うと、再び舞台に向き直った。俺も長瀬の横に並び、舞台に目を向ける。昨日、相沢と廊下で会った時、あいつは今日の演奏についてこう言っていた。
『私としては、後に控える男子テニス部への鼓舞の意を込めてという感じね。』
せっかく、相沢が本気を出して俺達を鼓舞しようとしてくれているんだ。見に来ないっていうのは、その意を知っている人間としてあまりにも失礼に当たるだろう。他の奴にこのことを伝える暇がなかったから、見に来ているのは俺だけみたいだけど・・・
ま、いっか。今はとりあえず、和太鼓の演奏を楽しむとしよう。
「続いては、和太鼓部による演奏です。和太鼓部のみなさん、よろしくお願いします。」
昨日と同じく、錦のアナウンスが響いて幕が上がった。暗がりだったステージに、スポットライトが当たり、演奏が始まった。最初は静かに、それでいて徐々に激しく、力強く動き回る和太鼓部。部員の七割が女子ということもあり、力強さの中にどこか女性特有のしなやかさというか、爽やかさというか・・・ま、あまり難しいことは分からないけど、とりあえずすごくいい感じ。
と、俺が和太鼓の演奏に少し圧倒され始めた頃、舞台の上手から見慣れた顔が出てきた。
「相沢・・・」
俺のその小さな呟きは、きっとこの轟々たる太鼓の音に掻き消えただろう。でも、俺に呟かせるほど、目の前の相沢のギャップは激しかった。
黒を基調としたハッピのような衣装を身にまとい、据え置いた太鼓じゃなく、首から太鼓を提げて力強く舞い踊る相沢。そのか細い手足からは想像もつかない力強さを、いつもと違った表情がよりいっそう際立たせている。腹に響く太鼓の音に混じって聞こえる、和太鼓部の掛け声。相沢も、いつもの数倍近くまで口を開けているあたり、確実に叫びたおしているに違いない。
ホント、あんな生き生きした相沢、初めて見たよ・・・とまぁ、俺が相沢に感心している間に、いつの間にか演奏は終わり、俺は自分の胸の内が熱く高鳴っているのを実感しつつ、体育館を後にした。これはいよいよ、今日はふがいない試合を見せるわけにはいかなくなった。そう思った俺の足取りは、心なしか力強くなったように思う。
そして十一時過ぎ・・・松栄高校男子テニス部が、大自転車軍団で駐輪場へと乗り込んできた。
「あれが、松栄か・・・」
俺はその様子を少し遠目に見ながら、ポツリとそう呟いた。到着した奴らに、紀藤が声をかけている。応対している人間の反応を見る限り、どうやら集団の先頭にいる、やや茶髪で長身の男が、部長の正田という奴で間違いなさそうだ。紀藤となにやら話し込んではいるものの、視線がちょくちょく動く。紀藤の横には、仲介人のような感じで佇む竜堂がいる。正田の視線は、明らかに竜堂に向いている。
「お、ようやく松栄のご到着かいな?」
後ろから声をかけてきたのは国風だった。昨日一日着ていた漫才用の阪神ユニフォームとはうって変わり、今日はいつものジーンズ姿だ。
「こっちの様子でも見に来たの?」
「せや。にしても・・・」
国風が少し怪訝そうな表情を見せる。その視線の先には、さっきと変わらず視線の鋭い竜堂がいた。
「どうかした?」
「いや、蘭花がエライ不機嫌そうやさかいにな。あないな蘭花、珍しいで。」
竜堂が不機嫌?俺は国風の言葉に疑問を抱きつつ、もう一度竜堂を見た。
「・・・・あれって、不機嫌なの?」
傍からは、部活モードの竜堂にしか見えない。こう言っちゃなんだけど、部活中の竜堂は、普段、教室で見る竜堂とは色々と差異があり過ぎる。
「ま、顔だけならいつもの蘭花や。せやけど・・・蘭花の気がここまで高ぶってんのは、間違いなく不機嫌な証拠や。」
「気が高ぶってる?そんなの分かるわけ?」
「ウチかて、竜堂の血を引く人間やで?そんくらい、訳ないて。」
国風の言葉を聞いて、二人が従姉妹同士だったことを思い出す。
「んで、アンタはここで何しとるん?」
「伊吹待ちだよ。」
「伊吹やて?」
そう言って、国風も周りをキョロキョロと見渡す。そう、俺がこんなとこでボーっと座っているのは、伊吹を待っているからだ。試合に向けていろいろ作戦を練ろうと思っていたんだけど、伊吹が委員会の用事だとか何とかで、今現在は席を外している状態だ。おかげで、ボーっと座り込みながらストレッチをするぐらいしかすることがない。
「ほな、ウチはちょうどエエ話し相手になったんとちゃう?」
「・・・まぁ、否定はしないけど。幾分か、気が紛れたのは事実だよ・・・国風は誰かと一緒じゃないの?」
よくよく考えれば、国風が一人という状況はレアだ。犬飼や高村、あるいは有地とか。一緒に回る人間、けっこういそうな気がするんだけど・・・
「それがな~、真由美も光も見つからへんねん。胡桃は守と一緒やし、幸美も日高と一緒やしな。」
「佐藤と日高が?あの二人、そんなに仲良かったっけ?」
「まぁ、いろいろあるらしいけどな。あんま詳しいことは知らんけど。」
「腐れ縁、って奴?」
俺がそう聞くと、国風はよう分からんと言わんばかりに、首を横に振った。俺自身、普段、二人が話してるとこなんてあんまり見ないけど。話してたら話してたで、いつも微妙な雰囲気になってるし。
「ま、あの二人もなにかとややこしいさかい。お互い憎からず思っとるはずやのに、どうにも素直やあれへんさかいにな。特に日高が、エライひねくれもんやさかい、幸美も苦労が絶えへんやろうな。」
日高が捻くれ者、ね。まぁ、一筋縄じゃいかない性格だってことは、俺もなんとなく感じてるけど。
「ま、ここにおったら、直に歩も光も来よるやろ。あの二人が、いつまでも智と蘭花を二人っきりにするわけないやろし。」
「まぁ、それもそうだね。」
高村はともかく、歩は全力で邪魔しに来そうだ。俺がそう思って国風を見た時、ふと頭に浮かんだ疑問。俺はそれを、暇つぶしのついでに聞いてみた。
「国風はさ、誰が智とくっ付けばいいと思う?」
「な、なんやの、突然?」
国風は俺の問いかけが意外だったのか、少し目を見開いて俺を見た。俺は視線を智達に戻し、話を続けた。
「国風はさ、歩とはチームメイト、竜堂とはルームメイトで親戚、高村とも関西人つながりで仲いいじゃん?その三人が、同じ男を巡って争ってるわけでしょ?それを、どういう心境で見てるのかなって、ふとそう思ったんだけど?」
「・・・せやね~・・・」
国風は、俺の横に座りながら話し始めた。
「正味、ウチは誰でもエエと思てるよ。せやけど、それは無関心やからそう思てるんやない。ウチにとって、歩も光も蘭花も、もちろん智も、大切な友達や。せやさかい、ウチは誰かの味方をするんやなく、みんなの味方でいよう思てる。きっと、そういう考えの子、ウチのクラスには多いんと違う?」
誰の味方でもなく、全員を平等にね・・・確かに、そういうスタンスを取る女子は少なくないだろう。
「それより、男子的にはどないなん?」
「さぁ?ま、俺は智の意思を尊重するけどね。」
基本、そっちと同じで、俺は誰の味方でもないだろうね。誰に肩入れしたって、俺に得があるわけでもないし。
「そういうお節介焼きな奴、ウチの男子には少ないんじゃない?」
「あぁ~・・・まぁ、それもそやな。そないなお節介焼き、おったとしても伊吹と真ぐらいのもんやろね。」
あぁ、そういや伊吹のこと忘れてた。委員会、まだ終わんないのかな?と、俺が校舎に視線を向けた時だった。
「ごめんごめん!ちょっと、臨時の委員会が長引いちゃって。」
息を切らしながらこっちへ走ってくる、伊吹の姿が目の前にあった。
「ホント、待ちくたびれたよ。んじゃ、飯でも食いながら作戦会議といく?」
「うん、そうだね。それで、お昼はどうするの?」
「どっかの出店でいいんじゃない?空いてそうなとこ捜して、さ。」
そう言って、俺が立ち上がり、伊吹と校舎に向かおうとした時だった。
「そんなこと、お姉ちゃんが許しません!」
「・・・・・・・・・・・・え?」
俺の後ろから響いた、なんとも聞き覚えのある声。俺は数秒の間を置いて、ゆっくりと後ろを振り返った。
「ほら、衆。お弁当、作ってきてあげたわよ。」
そこにいたのは、明らかに数人分のお弁当を持って現れた、姉ちゃんだった。脚の長さを際立たせるジーンズに、黒地にワンポイントの入ったシャツ。そして満面の笑みを携えて、姉ちゃんが俺に弁当箱を見せつけている。その後ろには、
「涼には、こーれ!」
これまた姉ちゃんと同じくらい笑顔な、めぐみさん。こっちはスカートスタイルだ。右手にあるのは、伊吹用の弁当だろう。
「まったく、大事な試合前に文化祭の出店で昼食?それで、本番で最高のパフォーマンスができると思ってるの?」
姉ちゃんは、その場にシートを広げながらそう言った。どこから出した、どこから。
「さり気に、出店の料理がマズイって言ってない?」
「あら、そうは言ってないわよ?少なくとも、料理部の中華と、二年の焼きソバ喫茶はおいしかったわ。」
焼きソバ喫茶なんてあったんだ。二年の方は、なんだかんだでチェックしてなかった。
「地味に堪能してんだね、文化祭。」
「衆が一緒だったら、もっと楽しかったんだけどね。」
どうだか。昨日、美術室で見た姉ちゃんは、この文化祭を俺抜きで、心底楽しんでいるように見えたけど。ま、それはともかく・・・
「こりゃ、ここで作戦会議するしかないね、伊吹。」
「・・・ま、ここまでされたらね。」
俺達はそう言って顔を見合わせると、靴を脱いでシートの上に座った。さらに国風も姉ちゃんに誘われ、おまけにいつの間にか合流していた智に歩、そして竜堂含めた男子テニス部全員にも、二人の作った弁当が振舞われた。
まぁ、伊吹と打ち合わせはほとんどできなかったけど、それはそれ。試合まであと一時間半。その時点でこのリラックスした雰囲気は、確実に悪いものじゃないと思う。
「では、両チームの出場メンバーは、コートに整列してください。」
午後一時。第一試合の審判を務める阿部の掛け声で、俺達八人と相手の八人が、コート上に集合、整列した。ネットを挟んだ向こうに見える、松栄高校男子テニス部の八人。部長の正田って人と、村中の相手である荻野って人以外は、誰が誰だか分からない。竜堂の報告書は、顔写真付きじゃなかったから、仕方ないといえばそうなんだけど。
「では、ここでルールを確認します。」
阿部の簡単なルール説明の後、両チームのベンチコーチが紹介され、次いで主将同士が握手。そして互いに一礼し、後はダブルスツーとベンチコーチを残し、残りのメンバーはコートをいったん後にする。俺達は、『テニス部待機場所』として確保されている駐輪場の一角に移動し、そこから試合の戦況を見つめる態勢をとった。
「それにしても、すごいギャラリーの数だね。」
伊吹は俺の横に座ると、小声でそう耳打ちしてきた。俺は確かにと返しながら、コートの周りの様子を確認した。
俺達テニス部はもちろんのこと、相手チームの部員に、ウチの生徒と思しき大量のギャラリー。加えて、放送部の中継班がカメラで撮影中だ。どういう原理かは知らないけど、さっき錦に確認したら、
「無事、視聴覚室に映像が届いているそうなので、ご安心ください。」
と、ニッコリ返されてしまった。いや、俺は別にそのことを気にしているわけじゃないんだけど。
それに、ギャラリーの中には見知った顔もチラホラ。泉ちゃんと五弓ちゃんは、近松と一緒だ。そのすぐ横には、歩と姉ちゃん、さらにめぐみさん。少し離れた所には、三年の先輩達。それにクラスの奴もあっちこっちにいて・・・その最前列には、平牧達イラスト部ご一行が見える。高村が自慢の頭脳でも駆使したのか、まさにベストポジションと呼べる所を確保している。
とまぁ、かなりの人間が狭いスペースにひしめいているわけ。正直、会場整理に当たっている恭一達は、俺達以上に大変だろうと思う。
「ゲーム!松栄高校、浅尾・柳田。ワンゲームトゥラブ、チェンジコート!」
と、そうこうしている内に第一ゲームが終わった。どうやら、松栄が先行したらしい。コートチェンジのタイミングで、竜堂が二人に二言三言、なにやら耳打ちしている。軽くアドバイスでもしたって所か。
「珍しいな。あの二人が、あっさり相手にサービスキープされるなんてよ。」
横でガットをいじっていた智が、少しだけ目を本気にしてそう言った。
「あっさりって?」
「ストレートでキープされた。こりゃ、相手の実力も相当と見るべきだな。」
村中の解説に、俺は今さらながら真剣に試合を見ようと思った。紀藤と杏のペアは、俺達の中でも粘り強さって点では郡を抜く。その二人が、あっさりとストレートで・・・
「どうやら二人とも、超電磁砲をかなり気にしているみたいだね。」
一義は微笑みを崩さずに、少し目を細めながらそう言った。
「あぁ、例の高速フラットショット?」
「うん。さっきのゲーム、そして今現在も、徹底してフォアサイドへの攻めが続いてる。柳田さんには時たまバックも混ぜているみたいだけど、あれだけフォア側に球を集めたら、相手もさすがに慣れてくるだろうね。」
「つまり、リスクを承知でバック側に攻める必要があるってか?」
荒野の質問に、一義は笑顔で頷いた。
「だが、杏はフォア側に打てばただの不発弾だとか言って、徹底して超電磁砲を封じる気満々だったけどな。大方、紀藤もそれで納得しているだろうし。」
智の言葉に、俺は数時間前のミーティングを思い出した。正直、超電磁砲とやらの正体が分かったのは、その時が最初だった。これがもし、昨日一昨日に分かっていることだったら、パワーバカの滝上なり恭一なり、パワーショットを得意とする奴相手に、いくらなりとも対策できた。
でも、その正体が掴めたのは昨日。俺達にそのことが告げられたのは今日。敵が、竜堂の偵察に気づいていたかどうかは定かじゃない。だけど、もし気づいていたのだとすれば、超電磁砲の正体をギリギリまで隠し通し、この試合で紀藤達に見えない恐怖を与え、試合を優位に運ぶことは容易だ。
「二人とも、ちょっと動きが固いね。やっぱり、プレッシャーがあるのかな?」
不安そうに二人の動きを見ていた伊吹が、そう俺に話しかけてきた。
「ま、紀藤と杏の性格なら、多少力んでも仕方がないと思うけど。」
紀藤は部長としての責任感が強すぎるし、杏は勝負事になるとトコトン熱くなる。二人が冷静にいつもの実力を出せれば、正直、超電磁砲のハンデを考えても勝てる相手だと思う。
『メンタル面を効果的に鍛える方法、考えないとダメかもね・・・』
以前、竜堂がそう俺にこぼしたのを覚えている。正直、メンタルは俺達の一番の課題だろう。実力はお墨付きの面々が揃っているとはいえ、全員が高校一年。他校の上級生相手に、経験値の絶対的な不足は否めない。相手は全国の修羅場を潜り抜けてきた二年。こっちは、半ば勢い重視の一年軍団。メンタルが弱いのは、はっきりいって歴然だ。
「ゲーム!松栄高校、浅尾・柳田。ツーゲームストゥラブ!」
そうこうしている間に、ゲーム連取されてしまった。ここまでは、完全に試合の流れを持っていかれてる。ここから見える二人の表情にも、まったく余裕がない。
「伊吹。いざっていう時は、俺達で流れを引き寄せるよ。」
「僕達でって・・・」
不安そうに聞き返してきた伊吹を横目に、俺は再びコートに目を向けた。すると、竜堂が一瞬、不自然に耳を触ったように見えた。何かのブロックサインかと、俺が少し怪訝に思った時だった。
「ん?・・・」
紀藤達が、ダブル後衛のフォーメーションにシフトした。珍しいね、あの二人が守備重視なんて。で、そのまましばらく打ち合いになったんだけど・・・
「妙だな・・・」
ラリーの行方を見つめていた村中が、不意にそう呟いた。
「どうかした?」
「浅尾のバックサイドにもボールが行き始めているのに、なんで、超電磁砲を打ってこないんだ?」
「あぁ、言われてみれば・・・」
村中の言葉を裏付けるように、紀藤の打球が浅尾のバックに飛ぶ。なのに、浅尾はいたって普通に打ち返している。二球、三球と飛んでいくけど、例の技を出す気配がない。
「紀藤達相手なら、決め球を出す必要もないってわけ?」
「それだけじゃなさそうだ・・・」
俺の言葉に異を唱えたのは、智だった。
「紀藤達の打球、ラインギリギリの深い所を狙ってる。つまり、あそこのバック側なら、超電磁砲は打てないってわけだ。」
「え?」
智の言葉に、俺はもう一度紀藤達の打球を追う。確かに、浅尾相手の打球は、かなり深い位置に集まっている。
「まさか竜堂、それをこの二ゲームの間に探り当てたってわけ?」
「竜堂さんなら、できなくはないだろうね。」
そう言って、伊吹は苦笑していた。たった二ゲームで、情報を書き加えたってわけか。
「でも、それならなんで、ダブル後衛の陣形なんか?」
「それも、竜堂さんの考えなんだろうね。ボレーで返すのは難しいから、しっかりストロークで返せるように、二人とも下がらせたんだよ。でも、いざとなれば・・・」
と、一義がそこで言葉を区切って、コートに視線を戻した時だった。
「ゲーム!塩桐生高校、紀藤・杏!ツーゲームストゥワン!チェンジコート!」
いつの間にか、紀藤達が相手のサービスゲームをブレイクしていた。しかもその時、紀藤がネット際で小さくガッツポーズしていた。
「なるほど、いざとなれば紀藤が前に出ると。」
「おそらくね。あの的確な状況判断と、それを支える広い視野は、紀藤君の大きな武器だよね。」
ストロークで粘りつつ、一瞬の隙を突いてボレーで決める。はまればこの上ない作戦だけど、果たして体力がどこまでもつか・・・
とか思っていた俺の杞憂は、まさしく杞憂だった。その後、その作戦ですっかり流れをつかんだ紀藤達は、安定した試合運びを見せてゲームを連取。途中、少しだけストロークの甘くなった所に、相手の超電磁砲を打ち込まれたりしたけど、それも数発打たれる間に、地力で対応し始めた。気がつけば、最初に二ゲーム連取された後は、怒涛の六連取であっさり勝利。最後は杏が、相手の超電磁砲を完全に打ち返して勝負を決めた。
「さて、今度は俺達の番だ。行くよ、伊吹。」
「うん。」
二人の試合が終わったタイミングで、ゆっくりと立ち上がり、コートへと向かう俺と伊吹。途中ですれ違った紀藤達と軽くタッチを交わし、コートに入る。紀藤達の勝利の余韻がまだ残る、どこか落ち着かない雰囲気の中、俺は竜堂に声をかけた。
「相手を打ち崩す策は、考えてきたよ。」
「さすが、衆君だね。陽ちゃんのためにも、頑張らないと。」
竜堂は、そう言ってクスクスと笑った。俺は竜堂を少し睨みながらも、視線はすぐにその平牧へと向いた。どこか不安そうな表情で、こっちを見ていた。その顔を見て、俺は思わず口元が緩んだ。なんでだろうね。あいつの不安そうな顔を見ると、すぐにどうにかしてやろうって思う。その丸い目をさらに丸くさせるような、そんな勝ち方をしてやろうって、少しだけ気合が入る。さて・・・
「んじゃ、相手の度肝を抜きに行こうか、伊吹?」
「りょーかい。」
「いよいよだね・・・」
「うん・・・」
紀藤君達の試合が終わり、次はいよいよ彼の試合。私は、金網に囲まれたコートの外から、ただ、彼と伊吹君の試合を見守ることしかできない。昨日、あれだけ一生懸命応援しようって決めたのに・・・コートに立っている彼に、私は一言も声をかけられない。さっきのミキティーの言葉にも、力なく頷きながら呟くだけ。暑くもないのに、喉が渇く。コートに立っているわけじゃないのに、脚が震える。正直、不安で今にも押しつぶされそう。テニスの応援は、あまり声を出すようなものじゃないから余計なのかも知れない。声を出して応援できれば、どれほどこの心臓も落ち着くだろう。そして思わず、私が胸の辺りを押さえた時だった。
「あ・・・・」
藤越君がこっちを見て、少し笑った。今のは確実に、私に視線を合わせて笑った。
なにが・・・なにがそんなにおかしいの?いつもそう。あなたは私を見ては口元を緩めて笑い、皮肉めいたセリフを残す。この距離だから言葉こそなかったけれど、いつもと同じその笑顔。あなたはこの大舞台で、まったく動じることなくそこにいる。ホント、すごい・・・
反対側のコートに見える、相手の選手。藤越君や伊吹君より、一回り近く大きい。そんな大柄な相手に、二人は一向に怯む気配も見せず、まっすぐに相手を見据えている。付近一帯に緊張感が充満する中、伊吹君のサーブで、第二試合が始まろうとしていた。
「さて・・・」
もう間もなく、伊吹のサーブでゲームが始まる。俺は後ろ手に、伊吹に指示を送る。とりあえず、この最初のポイントは可及的速やかに取らないとね。竜堂にああ言った手前、下手にラリーが長引くのは避けたい。基本に忠実ってデータどおりなら、長期戦は確実にこっちが不利。だから、先手必勝。
「ハッ!」
伊吹の叫びと同時に、俺の横を黄色いボールが回転しながら飛んでいく。相変わらず、キレイなトップスピンだ。おまけに、地面が砂であるにもかかわらず、よく跳ねる。相手にとっても、そのバウンドは予想し得なかったものだったみたいで、体勢を崩しながら返球してきた。力なく、俺の頭上を通り過ぎようとするボール。俺はそれを確認すると、
「フッ!」
力の限り飛んで、バックハンドの体勢から相手コートに叩き込む。相手のど真ん中を通過するボール。目論見通り、俺達の先制だ。
「ナイスサーブ、伊吹。」
俺は伊吹に近づいて拳を突き出した。
「衆君こそ、さすがだね。」
伊吹もそれを見て、拳を合わせてくる。とりあえず、速攻で最初のポイントは取れた。こうなったら、この勢いのままゲームをキープしたい。ここで下手にゲームを長引かせたら、キープできたとしても後味が悪い。
「伊吹、一気に行くよ。」
「了解。」
その後も、伊吹は正確無比に嫌な所をサーブで突き、甘いリターンを俺がポーチに出て決めた。それでも、ゲームポイントをかけてからは少し粘られた。さすがは基本に忠実な相手だ。対応するのも早い。
「あまり、攻め急がない方がいいかも知れないよ、衆君。長期戦は確かに不利だけど、焦ってミスしたらそれこそ・・・」
「大丈夫、焦ってないから。」
声をかけてきた竜堂の顔を見るでもなく、俺はそう言ってリターンの体勢に入った。
それにしても、こっち側に来ると、あの平牧の顔がよく見える。さっきと同じ、どこか不安そうな表情だ。速攻でサービスキープしたっていうのに、全然伝わってないみたいだね。
思い起こせば、あんたは昨日の開幕セレモニーからそうだった。俺達の試合のことになると、あんたはいっつも遠くから不安そうな顔でこっちを見る。昨日も一瞬その表情と目が合ったから、とりあえず笑ってみたけど。どうやらあいつは、俺達が完全に勝つまで不安なままみたいだ。となると、あの表情とおさらばするまで、最低でもあと二十分ってところかな?最悪、団体戦が終わるまであのままかも知れない。
「ったく・・・」
ラリー中に、思わず愚痴ってしまう俺。これ以上愚痴をこぼさないためにも、そして平牧の不安そうな表情からさっさとおさらばできるよう、今は少しでも早く、試合を終わらせよう。そう心に決めた俺は、
「ハァッ!」
相手コートにスイングボレーを叩き込んだ。
「ゲーム!塩桐生高校、藤越・伊吹!ツーゲームストゥラブ!」
藤越君の放った打球は、相手二人の真ん中を通過して、勢いよくフェンスにぶつかった。
瞬間、コートを包む歓声。だけど、私はただ大きく息をついた。さっきから、ずっとこの調子。ちょっと藤越君が体勢を崩しただけで、胸の前で組んだ拳に力が入る。ポイントが決まるたびに、その力を緩め、大きく息をつく。
「大丈夫、陽?」
近くで見ていた真由美が、心配そうに私の顔をのぞき込んでくる。私はなんとか笑顔を作り、再びコートに視線を戻す。
「ハッ!」
彼はボールを打つたびに、大きな声を出す。その声も、そしてその眼差しも、いつもの彼からは絶対に見ることのできない表情。思えば、私がこうして彼の試合を見るのは、今日が初めて。この試合が彼にとって、そしてテニス部にとって、どれほど大事な試合かは分かる。だからこそ、彼がとても真剣なんだって思う。
でも、そんな真剣な彼を見るのも、ほとんど初めてかも知れない。だからなのかな?数メートル先にいる彼が、まったく知らない別人に見えてくる。昨日はずっと横にいてくれた彼が、今はまるで手の届かない人のように感じる。
「!・・・・」
そう思った時、また胸が苦しくなった。思わず、唇をキュッと結ぶ。さっきまで感じていたのとは、また違う不安・・・このまま、本当に彼が、手の届かない存在になってしまうんじゃないか・・・そう考えるだけで、胸がワイヤーで締めらたみたいに苦しくなる。彼の一番輝いている瞬間を見ているはずなのに、素直に喜べない。思わず、目を逸らしそうになる。
「しっかり見なあかんで、陽ちゃん。」
光の声に、私はハッとして目を開ける。光はコートに視線を向けたまま、話を続けた。
「ウチな、試合前に智君と話してん。そしたら、衆君がミーティングで、『今日は勝つこと以外、考える必要ない』って言うたらしいねん。」
彼らしい・・・きっと生意気に、それでいて当たり前のように言い放ったんだと思う。そう言いながら、本村君達に不敵な笑みを浮かべる彼の顔が、容易に想像できる。
「智君、久しぶりに衆君の本気の目を見た言うて、なんや嬉しそうやった。でな、ウチ、智君に聞いてん。なんで、衆君はそないなこと言うたんか。」
光はそこまで言うと、私の顔をチラッと見る。私が光に視線を向けた時、光は笑みを携えたままこう言った。
「約束してくれたんやろ、絶対勝つって。」
光にそう言われた時、私は昨日の帰り道のことを思い出した。街灯に照らされた、彼の不敵な表情。自信あり気に、私に勝利を約束する彼の声。
「智君、言うとった。『あいつは、できないことを約束する奴じゃない』って。今、衆君があんなに必死に頑張ってんのは、陽ちゃんのため。せやから、陽ちゃんは絶対に、この試合だけは見なアカン。」
光・・・
「それに、さっきから衆君も、陽ちゃんのことよう見てるしね。」
光はその言葉の最後にクスッと笑うと、再び視線を試合に戻した。
「・・・・・・・・・」
私は、光の言葉に驚いた。彼が、藤越君が、試合中に私を見ている?相手の二人でもなく、ボールでもなく、伊吹君でも蘭花でもなく、私を?・・・昨日、私にああ言った手前、私がこの試合をどう見ているのか、心配してくれてるのかな?それともただ、見知った顔だから目が行くだけ・・・?
もし・・・もし私の声が届くのなら、彼に伝えたい。私のことは心配ないよと。ただあなたには、試合に集中してほしい。きっと私が、心配そうな顔をするのがいけないんだ。きっと彼は、試合が終わったらこう言うんだ。
『なに、泣きそうな顔してんの?』
私が試合中、あなたのこと心配して、勝利が決まったら安心しきって泣くと思ってる。なら、絶対に泣かない。負けるかもなんて、不安にも思わない。全身全霊、藤越君の勝利を確信して待っててあげるんだから!
「・・・よし!」
私は心を決め、まっすぐに目を見開き、試合を見つめた。もう絶対に、目を離さない!
「サーティーオール!」
「チッ・・・」
俺は、一歩先を通り過ぎていったボールを見ながら、短く舌打ちした。俺サーブの第三ゲーム。このゲームに入ってから、相手がドンドン俺達のペースに対応し始めた。ラリーも長引き始めたし、いよいよ相手の本領発揮って所だね。
「って、感心してる場合じゃないし・・・」
ここまでは、俺達のペースで試合が進んできてる。でも、このゲームで少しずつ、相手に流れを持っていかれ始めてる。なんとかして、ここもキープして流れを俺達のモノにしないと。
「ドンマイ、衆君。」
伊吹が、ボールを渡しながら声をかけてくる。さて、どうしたものか・・・俺は伊吹に声をかけようと、ボールから視線を上げた。
「・・・・・・・」
不意に、視界の端に平牧の顔が映った。さっきまでは、不安そうに試合を見てたっていうのに、なんか今・・・すんげーハッキリした視線でこっち見てるんだけど。
「フッ・・・」
「衆君?」
思わず笑みがこぼれた俺を、不思議そうに見つめる伊吹。平牧の奴、竜堂よりもしっかりした視線くれちゃって。OK、なら、やってやろうじゃん。
「伊吹、そろそろアレ、出してみてもいいんじゃない?」
「アレって・・・いいの?」
不安そうな伊吹。無理もない。今日のために準備してきたとはいえ、実戦投入はこれが初。それに伊吹自身、その完成度に少し自信なさ気だった。
「もし、失敗したら?」
「失敗しないよ、伊吹なら。」
俺はそう言って、伊吹の右肩を少しもんでサーブの位置に戻った。そして伊吹も、
「・・・・やれやれ・・・」
諦めたのか、それとも腹を括ったのか、いずれにせよ笑みを浮かべながら俺の横に並んだ。さっきの紀藤達と同じ、ダブルバックのフォーメーション。相手の表情が、わずかに曇ったのが分かる。まぁ、無理もないだろうね。
「いくよ、伊吹!」
俺はその掛け声と同時に、相手コートにサーブを放つ。しばらく、相手とのラリーが続く中、伊吹はじっくりタイミングを見計らっている。伊吹のアレが発動する前に、こっちがポイント取られちゃ意味がない。ここまでの展開で、相手のことはだいたい分かってきている。あいつら、確かにミスらしいミスはしない。でも、決め手もない。こっちがミスさえしなきゃ、チャンスはやってくる。
「あ・・・」
しばらくラリーが続き、やがて伊吹におあつらえ向きのボールが来た。
「伊吹!」
「りょーかい!」
伊吹はその小さい体に力を込め、自分のバックハンド側に来たその打球を、大きく腰を捻り、全身全霊を込めて打ち返した。
「どぅりゃあぁぁぁぁ!」
『ガッシャーン!』
「フォーティサーティ!」
伊吹の打球は、相手二人の間を通過し、その後ろにあるフェンスにめり込んだ。俺と伊吹がハイタッチする向こうで、相手はただめり込んだボールを見ている。
「決まったじゃん、伊吹。」
「へへ、なんとかね。」
伊吹は、ホッとした笑顔と共にそう言った。伊吹の打球、それはジャックナイフだ。小さい体に規格外のパワー持つ伊吹。そんな伊吹の決め球にって、ここんとこ、ずっと城野崎先生がこの技を指導していた。使う時は、お前が背中を押してやれって、先生に言われていたからそうしたけど・・・
「インパクト抜群。あれなら、恭一だって吹っ飛ぶね。」
「それはどうかな?」
とか言って笑っている伊吹。これだけバッチリ成功すれば、二発目からはもう問題ない。
「さ、このまま一気にいこうか。」
「そうだね。」
俺と伊吹は、再び視線を相手に向けた。アレだけのインパクトで意識付けしてやったし、こっからの駆け引きは俺達のもんでしょ。俺はそう心積もりしながら、サーブを放った。
「ゲームアンドマッチ!ウォンバイ藤越・伊吹!」
試合を決める一球を伊吹君が決め、伊吹君と藤越君は、肩で息をしながらハイタッチを交わした。ギャラリーから湧き起こる、割れんばかりの歓声。藤越君達は相手選手と握手を交わすと、蘭花と二言三言言葉を交わし、ラケットバッグを背負ってコートから出てきた。二人に惜しみなく送られる拍手。そして、
「藤越く~ん、こっち向いて~!」
「伊吹く~ん!」
勝者を称える歓声。そのほとんどが、この試合で二人に魅入られてしまった女子生徒からだった。私は二人に拍手を送りながらも、その歓声に少し胸が痛んだ。声に出して祝福したい気持ちはあるのに、恥ずかしさや感動、他にも色々な感情が混ざり合って声が出ない。代わりに出てきたのは、
「!・・・・・」
涙だった。頬を、涙がスーッと伝っていくのが分かる。泣かないって決めていたのに、一粒だけ、堪えきれずに伝っていく。そしてそれを拭う間もなく、
「あ・・・」
彼と目が合った。そして彼は、群集の最前列にいた私の元へ歩み寄ると、口元にフッと笑みを浮かべてこう言った。
「なに、泣いてんの?」
彼の言葉に、私は慌てて涙を拭う。そして、何か言おうと必死に口を開けるけど、やっぱり声にならない。すると、そんな私を見てか、彼は被っていた帽子を私に被せると、
「約束どおり、俺は勝ったから。」
そう言い残し、笑みを携えたまま私に背を向け、伊吹君と共に本村君達の所へ戻っていった。その誇らしげで、達成感に包まれた背中を見て、私は自分の顔が一瞬で紅潮していくのを感じた。
「ほー、噂通りの男だな。」
「こりゃ、平牧が惚れるのも仕方ねーっつーの。」
青井ちゃんは、どこか感心した感じでそう言い、春さんは納得した表情を浮かべながら私の肩に手を置いた。私は目に涙を溜めたまま、その背中を見つめ続けることしかできなかった。
「ナイスゲーム、お二人さん。」
試合を終えた俺達に真っ先に声をかけてきたのは、コートへ向かう村中だった。俺と伊吹は村中とハイタッチを交わすと、そのまま智達の横に座り込んだ。
「お疲れさん、色男。」
そう言って俺の肩を叩いたのは、にやけた笑みを浮かべた杏だった。
「色男?」
俺は杏を見上げながら、不満気な声を漏らす。まぁ、だいたいの察しはつくけど。
「お気に入りの帽子を被せた挙句、なにを耳打ちしたんだか・・・ま、平牧さんの表情を見る限り、心にグサッとくるなにかだったんだろうがな。」
紀藤までもが、そう言って苦笑する。
「別に。ただ、試合中からずっと不安そうな表情してたし、勝ったっていうのに泣いてるし、しかも何も言わないし・・・しょうがないから、約束どおり俺は勝ったって、そう言ってやっただけ。」
俺はそう言ってから、平牧の顔をチラッと横目で見た。高村や鳳凰やらに囲まれた平牧は、俺が被せた帽子を特に取ろうともせず、つばを指先で触ったりして落ち着かない。
今にして思えば、俺もなんだってあんなことをしたんだろう?ただ、試合終わりに竜堂が、
『陽ちゃんにも、声をかけてあげてね。』
なんて、珍しくウィンク交じりに言うもんだから、まぁ一言ぐらいと思って平牧に近づいた。そしたら、あいつは泣いていた。俺がそれを指摘したら、平牧は慌てて涙を拭って、何か言いたそうで必死だった。その姿が、どこかおかしくて、でも少し嬉しくて、照れくさくて・・・平牧のそんな必死な表情を、あれ以上はなぜか見ていられなかった。だからつい、俺の帽子を目深に被せた。ホント、なんであんなことしたんだろ?・・・
「試合に勝ったっていうのに、ずい分不満そうな顔ね。」
「姉ちゃん?」
いつの間に俺の横に来たのか、姉ちゃんが笑みを浮かべながらそう言ってきた。ていうか・・・
「なんでここにいるわけ?客席、あっちだよ。」
「あら?ちゃんと滝上君に、ちょっと通してって断りは入れたわよ?」
姉ちゃんはそう言って、文句でもあるのかと言わんばかりに笑顔を浮かべる。俺は、直立不動で立っている滝上を少し睨んでから、視線を姉ちゃんに戻した。
「で、なにか用?」
「少しね・・・」
姉ちゃんはそう言うと、俺の横に腰を下ろした。
「ま、試合内容についてはいろいろダメ出しもあるけど、それは紀藤君達もだし、おそらくこれからの三人も同じこと。それは追々、顧問の先生と相談して、場合によっては私が特訓してあげるわ。」
「特訓って・・・」
城野崎先生なら、姉ちゃんの提案を案外すんなり受けそうで怖い。そして、その後に待つ姉ちゃんの特訓も素で怖い。
「でも、今は置いといてあげる。だって、我が弟が全然浮かない顔、しちゃってるしね。」
姉ちゃんはそう言うと、俺の頭を撫でた。そして優しい声で、
「衆、変わったわね。」
と、それはそれは嬉しそうにそう言った。
「は?俺が、変わった?どこが、どう?」
姉ちゃんの言葉の意味が分からず、俺は頭を撫でる姉ちゃんの手を制止しながら少し睨み返した。
「試合後、陽ちゃんになに言ったか知らないけれど、あんなに勝ち誇った態度を周りに見せるなんて・・・少なくとも、私は初めて見た。」
「勝ち誇った態度って・・・勝ったんだから、別にいいじゃん。」
勝者は勝者らしく。姉ちゃんが、俺と試合するといつも言う言葉だ。
「確かに、あなたは勝ったわ。スコアだけ見れば、圧勝と言っても過言じゃない。」
「スコアだけって・・・そりゃ、俺だって内容には満足してないけどさ。」
「でしょうね。だからこそ、今、衆は不機嫌なんでしょ?」
姉ちゃんはそう言ったけど、あえてなのかわざとなのか、視線は俺を見ていなかった。
「不機嫌って程でもないけど・・・まぁ、スッキリした感じじゃないのは事実かも。」
「なるほどね~・・・ねぇ、衆。」
「なに?」
「そのモヤモヤの根底には、陽ちゃんがいるんじゃない?」
・・・そう言ってまた俺を見た姉ちゃんの目は、さっきまでと違って真剣だった。
「平牧が?・・・」
俺は半分図星かとも思いつつ、なるべく表情を変えずに聞き返した。
「あなたは、意図したわけでないとはいえ、陽ちゃんを一連の騒動に巻き込んだ。あなたの性格からすれば、絶対それに責任を感じているはず。」
「・・・そりゃ、少しはね・・・」
結果だけ見れば、俺には多大な責任がある。
「なら、あなたはそれを果たそうとするはず。で、この試合にもその一端があった。ただ、思ったほど陽ちゃんの反応が良くないように感じた・・・違うかしら?」
「・・・・・・・・・・」
俺は、何も言い返せなかった。確かに試合中、平牧がこの試合をどう見ているのか、かなり気にしていた。俺や伊吹が感じた、試合の中での反省点。これは正直、テニス素人の平牧には分からないと思う。平牧は、単純にスコアを見ていたはず。それだけなら、俺達の圧勝だ。
そう、俺達の圧勝だっていうのに・・・試合後、平牧は涙を流していた。あの涙がなにを意味していたのか、それは平牧にしか分からない。ただ、これだけ圧勝したっていうのに、平牧は笑顔を見せたり、賞賛の言葉を口にするでもなく、涙を流していた。俺は、それが不満だった?心の奥底では、平牧の笑顔や褒め言葉を期待していた?強い自分を見せて、少しでも平牧の不安を?
「ハァ・・・」
俺は小さくため息をつくと、横目で平牧の方を見た。平牧は、特に試合を見るでもなく、さっきと同じように、俺が被せた帽子を弄っていた。ただ・・・
「・・・・・」
さっきと違って、どこか楽しそうだった。口元が緩み、さっきまでの涙目も、今はいつもどおりの丸い目に戻っていた。そしてそんな平牧を見て、
「・・・・」
俺は、胸のあたりがスーッと落ち着いていくのを感じた・・・
あぁ、これはいよいよ、どうやらマジらしい。ここまでくると、もう心の奥底なんていう下手な言い訳は通用しない。完全に表層意識だ。どうやら俺は、マジで平牧の笑顔を求めていたみたいだ。俺の帽子なんかいじって喜んでる平牧を見て、どうしようもないくらい顔がにやけてきそうになる。
「いよいよ我が弟にも・・・春到来かしら?・・・」
「・・・なんか言った?」
「べっつに~?」
姉ちゃんは最後にそう言うと、それからは一切、コートから目を離さなかった。
「ゲームアンドマッチ!ウォンバイ、本村!」
智が試合を決める一球を放ち、阿部が声高らかに試合終了を告げた。盛大な歓声と拍手がコートを包む中、智は相手と握手を交わし、ラケットを高々と掲げて声援に応えた。やや西に傾きかけた太陽を背に、智のシルエットはいつもより大きく見えた。これで、団体戦は五戦全勝。文字通り、俺達の完勝だ。
「両校の選手は、コートに集合してください。」
阿部が、コートの中から俺達に声をかける。最後の握手タイムってとこだ。俺はその場から腰を上げ、コートへ向かおうとした。
「ゴメン、藤越君・・・ちょっと、手を貸してくれないかな?」
そんな俺に声をかけてきたのは、未だに肩で息をしている一義だった。村中、智の二人が比較的圧勝だったのに対し、一義の試合だけは一時間近くに及んだ。試合後も、軽く時代に微笑んだ後は、頭からタオルを被って今までずっと黙っていた。
「大丈夫?」
俺は一義に手を差し伸べながら、そう聞いた。
「ちょっと・・・緊張しすぎたのかな?・・・」
一義は俺の手を掴んで立ち上がると、苦笑いしながら途切れ途切れにそう言った。まだ、完全に回復した感じじゃないね。俺は、ゆっくり歩く一義の後ろを着いていき、コートに整列した。
「ただ今の試合、五対ゼロで塩桐生高校の勝利。両校、礼!」
『ありがとうございました!』
俺達は相手に向かって一礼すると、再び握手を交わした。相手の選手の表情は、まさに十人十色。どこか安堵に溢れた顔をしている人もいれば、いかにも悔しそうな人もいる。そして、松栄の選手がコートから出たのを見計らって、
「それでは、松栄との激戦を制し、我々に大きな感動を与えてくれた男テニの皆さんに、ヒーローインタビューしたいと思います!」
ハイテンションな中田さんが、マイク片手に突撃してきた。後ろには、いつもの笑顔で集音マイクを持つ錦と、無表情にカメラを回す東山の姿。真っ先にマイクが向けられたのは、部長の紀藤だった。
「まずは、団体戦の突破口を開いた、部長副部長コンビです。団体戦の勝利、おめでとうございます!」
『あざーっす!』
紀藤だけじゃなく、俺達全員で礼を言って頭を下げた。
「部長自ら、団体戦の先陣を買って出られたわけですが、プレッシャーなどはあったんでしょうか?」
「そうですね・・・まぁ、緊張していなかったと言えば嘘になります。僕らの結果次第では、その後の展開も左右しかねませんから、杏と二人、なるべく圧倒的な勝ち方をしようと、試合中も常に確認し合っていました。」
「なるほど。そしてあの試合、最後に決められたのは杏副部長だったわけですが、その時のお気持ちは?」
「えっと・・・すごい、気持ちよかったです。」
元来が口下手な杏は、それだけ言うと恥ずかしそうに頬をかいた。それを確認した中田さんは、すぐさま俺達にマイクを向けてきた。
「さぁ、次はダブルスワン、気迫溢れるプレーで我々を魅了してくれた、藤越君と伊吹君のお二人です。まずは伊吹君、とんでもない大技を隠し持っていましたね?」
中田さんの問いに、伊吹は少しだけ苦笑してから答えた。
「あれは、前々から城野崎先生のご指導の下、ある程度練習していたものでした。でも、試合で使うとなると中々自信がなくて・・・でも、藤越君が背中を押してくれたので、思いきって使うことができました。」
「なるほど。で、その藤越君は、かなり気合が入っていたように見えましたが?」
そう言って、笑顔でマイクを向けてくる中田さん。俺は少し言葉を選びながら答えた。
「まぁ・・・紀藤達と一緒で、俺達の試合結果がシングルのメンバーにも影響すると思って、なるべく早めに決着つけようと攻めました。」
「ほほう、なるほど・・・そういえば、試合後、なにやら素敵な女性と指定席でお話されていたようですが?」
中田さんの瞳の輝きが、その質問と共に一割ほど増した。俺は横目で姉ちゃんを見てから、その質問に答えた。
「あれは、俺の姉ちゃんです。姉ちゃんは、俺にテニスを教えてくれた人で、実際上手いし・・・なんで、ダメ出しがちょっとあっただけっす・・・」
「ダメ出し、ですか?」
中田さんが、少し首を傾げる。
「ま、姉ちゃんに言わせれば、俺らはもちろん、全員にいろいろあるみたいで・・・特訓も考えてるって言ってたんで・・・ま、全国大会で恥かかない程度には強くなりますよ。」
「おーっと!さり気に、全国制覇宣言です!」
俺の言葉をなにやら少し勘違いし、マイクで盛大に叫ぶ中田さん。周りのギャラリーからも、地鳴りのような歓声が湧き起こる。姉ちゃんは姉ちゃんで、俺の言葉を聞いて完全に火がついている感じだ。ゴメン、みんな・・・こりゃマジで、特訓が決定しそうだ。
その後、あんまりこういうのが好きじゃなさそうな村中、疲労困憊で喋るのが大変そうな一義のインタビューは手短に終わり、智の番になった。
「さぁ続いて、圧巻の攻撃テニスを見せてくれた本村君に、インタビューしちゃいましょう。いやー、電光石火の攻撃でしたね?」
「確かに、自分でも少し攻め急いだかなとは思います。でも、直前の試合が試合でしたから。」
智はそう言うと、横の一義に視線を向けた。
「なるほど。さて、本村君の勝利で、団体戦は五戦全勝となったわけですが、強豪校相手の圧倒的な勝利、その一番の要因はなんだと思いますか?」
「そうですね~・・・」
智はそう言って少し空を仰ぐと、口元を緩ませてこう答えた。
「色々あるでしょうけど・・・やっぱり一番は、マネージャーである竜堂さんの、陰の戦いなのではないかと思います。」
「え?」
智に不意に名前を出され、竜堂はその目を丸くしながら智を見た。そんな竜堂を、俺達も笑みを携えながら見た。
「竜堂さんは、俺達のために相手の情報を集めてくれ、練習中も徹底してサポートしてくれました。今日の試合中だって、相手の状況を把握し、的確な指示を常に出してくれました。彼女の戦いなくして、俺らの勝利はありえなかったでしょう。今日のMVPは、間違いなく竜堂さんです!」
智が力強くそう言いきると、ギャラリーからも拍手が起こり、口々に竜堂の名前を呼んで祝福した。竜堂は未だわけが分かっていないのか、湧き起こった歓声に右往左往している。
「では最後に、男子テニス部勝利の女神、竜堂マネージャーにお話を伺いましょう!」
「え?え?」
中田さんにマイクを向けられても、それは変わらない。
「相手の情報収集、練習メニューの考案などなど、ここ数日、厳しい戦いが続いていたことと思われますが、そんな竜堂さんから見て、今日の試合はいかがでしたか?」
「え、えっと・・・みんな、本当に一生懸命頑張ってくれて、すごく、カッコ良かったと思います・・・」
カッコよかった、ね・・・それは、俺ら全体への言葉と、受け取っていいんだよね?
「では、現場指揮官である竜堂さんから、そのカッコよかった選手の皆さんに、一言お願いします。」
「えっと・・・あの・・・」
竜堂は、俺達の様子を窺いながら、数秒言葉を選んでからこう言った。
「ホントにみんな、今日はお疲れ様でした。次は、全国に向けて、また一緒に頑張りましょう・・・」
最後は、自分でも柄にもないと思ったのか、少し言葉がしぼんだ。でも、俺達の反応は違った。
「よーし!男テニ集合!」
竜堂の言葉に、口元を緩めていた紀藤が、不意にそんな大声を挙げた。俺が少し面食らっている間に、コートの外にいた阿部達が、俺達を囲むように集合した。
「男子テニス部、よーく聞け!」
紀藤は、完全におかしなスイッチが入っているみたいだ。俺達を見渡しながら叫ぶ紀藤の口調は、完全に俺が知る紀藤ではない。
「俺達は、今日の試合に勝った。全国クラスの強豪校に、圧倒的に勝った。なら、他県の予選を勝ち抜いて全国大会に来た学校に、何も恐れることはない!俺達には、全国を勝ち抜く力がある!そして、勝利の女神がついている!」
『おう!』
勝利の女神というフレーズに、マジメに話を聞いていた竜堂が再び目を丸くする。
「よって今!我々を見守ってくれた勝利の女神に、感謝の意を込めて、力の限り胴上げを行いたい!行くぞ~!!」
「え?えぇぇぇぇ!?」
紀藤の胴上げ宣言に、竜堂は完全に腰が引けていた。そりゃそうだ。俺や伊吹みたいな小柄な人間がやるならともかく、だいたいこういう時に人を持ち上げるのは、
「智、恭一、やるぞ!」
と、智達をたきつける滝上他、大柄で力自慢な奴ばっかなもんだから、
「わわ!ちょとちょとちょ!」
竜堂は俺の二倍近い高さを舞うわけで・・・デジャヴュ?・・・まぁ、でも・・・
『わっしょい!わっしょい!』
滝上達によって、天を舞う竜堂は、
「ちょっと~~!?」
困りつつも、どこか満足そうな笑顔を浮かべていた。
「みんな、この二日間、お疲れ様でした。」
『お疲れ様でした!』
閉会式後の教室。昨日と同じく、侍装束を身にまとった豊綱先生を中心に、俺達は集合していた。
「男子テニス部に関しては、親善試合の勝利、おめでとう!」
先生がそう言うと、クラスメイトから拍手が起こる。
「そして、私達E組としては、文化祭巨大制作部門の準グランプリ獲得、バンザーイ!」
『バンザーイ!』
準グランプリで喜べる俺達。まぁ、グランプリが宮野のクラスじゃしょうがないという気もする。
「さて・・・このプラネタリウム、明日には壊さないといけません。」
先生がそう言うと、俺達の間に僅かにシュンとした空気が流れる。
「だから最後に、私達みんなで楽しみんじゃおっか。」
豊綱先生がそう言うと、伊野川先生が教室の電気を消した。すると・・・
「うわぁ~・・・」
思わず、歩が感嘆の声を漏らした。まぁ、気持ちは分かる。教室の天井、そして壁、さらには足下一面に散らばった、まさに星空。いや、これはもはや宇宙だ。
「なんだか、天の川を歩いているみたい・・・」
足下の光を見ながら、押川がメルヘンチックな言葉を口にする。でも・・・
「足下って、こんなだったっけ?」
なるべく部屋を暗くするため、床や壁にも暗幕を敷き詰めた。その過程で、壁の暗幕には蛍光塗料で星空を再現できるようにしたけど・・・足下はなにもしなかったはずだ。
「さっきの閉会式の間に、ちょちょっと細工さしてもろたんよ。先生らからの、準グランプリのご褒美や。」
そう言って、伊野川先生は天の川の床に寝転んだ。それがきっかけで、俺達は天の川に寝転んだり、座ったりしながら星空を眺めた。
「?」
そんな時、平牧がなにやら星空に願い事をしていた。
「なんか、願い事?」
俺の問いかけに、平牧はゆっくりこっちを見てから言った。
「ないしょ・・・」
「・・・そ・・・」
俺はそれだけ言うと、黙って星空を見上げた。平牧の願い事がなんだったのかを、心の片隅で気にしつつ・・・