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プロローグ~第一話一章 困惑の引き金

『ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ!・・・』

 何万人もの人間がひしめく空港。そこで少年は、小さな紅いお守りを拾った。少年はそれを拾い上げて周りを見渡した。すると、同い年くらいの少女が何かを捜しているのか、周りをキョロキョロと見渡していた。彼は近付いて声を掛けた。

「これ、君の?」

「え?・・・」

 少女は驚きの目で彼を見た。しばらく彼を見ていたその瞳は、やがて、彼の手の平にあったお守りに移る。

「あ・・・私の・・・」

「そ。はい。」

 少年はそれを少女に手渡して、

「お守りは落とさないことだね。」

 そう言って、少女の下から立ち去った。

「あの・・・」

 彼女はお礼を言おうと振り返ったが、既にそこには少年の姿は無かった。

『ただ今より、十六時発、アメリカ、アトランタハーツフィールド国際空港行き、ボーイング739便の搭乗手続きを開始いたします。』

 彼女の耳に聞こえたのはそれだけで、やっと見つけた少年は、既に改札を通り過ぎていた。


                 プロローグ

 一年の始まりって、暦の上では一月だよね・・・けどどういうわけか、桜咲く四月ごろ、それまで中学三年生だった少年少女は、高校一年生として新たな社会への適応を始める。なぜ、会社や学校の始まりは四月なのか・・・原因は、俺の頭の上で堂々と咲き誇ってくれちゃってる、あんたのせいじゃない?桜・・・

 いや、あんただけじゃない。いろんな生命の始まりが、どういうわけかこの春に集中する。集中しないのは、人間とかの哺乳類ぐらいなんじゃないの?言うなれば、どこかの誰かが昔に考えたのさ。新しい命の始まる春こそが、この地球におけるスタート地点なのだと。地球に住む俺達人間は、そう考えることによって、春と重なるこの四月を生活を新たに始める時だと決定した。つまり、『始まり』=『春』だと定義付けられた。

 ただ、古典の季語の定義を見てみると、春は一月、二月、三月を表している。今はといえば、一月と二月は冬真っ只中。三月はまだ初春で寒さが残る。現代では、春は三月、四月、五月と認識されている。昔の春は、今からは想像も付かない極寒の時期を指していた事になる。じゃあ、なんで昔と今で季節の定義が変わったのか・・・当然俺は知らない。興味のある人は、国語か社会の先生にでも聞いてみればいいんじゃない?その先生が答えられるかどうかは、先生の力量次第だけどね。

 さて・・・俺は今、桜並木を頭上に見ながら登校中。俺の通っている塩桐生高校は、偏差値や見た目は普通だけど、私服でバイク通学OKという、破格の値段で大手家電量販店が最新パソコンを売り出すような、とってもおいしい学校。でも・・・俺の誕生日は十月。チェ・・・

「あれ?衆君?」

 ん?誰か呼んだ?俺のこと。そう思って振り返ると・・・

「あ~!やっぱり衆君だ!ひさしぶり~!」

「お、衆!」

 俺を見てテンションの高い一組の男女。忘れらんない組み合わせだね、相変わらず。親友である本村智もとむらさとしと、その双子の妹である(あゆむ)。文武両道で女にモテモテの智と、そんな女達にとって最大の天敵である歩。

「智と歩か・・・ヒサシブリ。」

 俺は無感動に返答した。内心は嬉しいけど・・・

「アメリカ行っても変わんなかったみたいだな、その無愛想さは。」

「だね。むしろ、もっと生意気になっちゃったみたい。でもさ~・・・」

「なに?」

「その背丈で無愛想にしても、強がっているだけにしか見えなくてかわいいよ!」

 そう言って、歩はケラケラと笑い出した・・・四年ぶりに会った二人は、相変わらず俺を上から見下ろしている。いや・・・身長が百七十後半はあるであろう智を抜くのは最初っから諦めている。けど・・・

「結局・・・歩までも抜けずじまいか・・・チェ・・・」

 歩でさえ越えられなかった。

「でもさ・・・歩と目線は並んだよ。」

「あ、ホントだ~。衆君がおっきくなった~!」

「相変わらず、歩のボイスのでかさは変わんないな、智。」

「あぁ・・・にしても、お前、いつこっちに戻ってきたんだ?」

 俺は中学に上がる時、両親の都合だのなんだのでアメリカに飛んだ。

「戻ってきたのはついこの前。こっちの高校に通んなくちゃいけなくて、家から一番近い塩桐生高校を受験して、めでたく受かって今に至る。」

「そうだったのか。連絡の一つぐらいよこしてくれよ。」

「色々ゴタゴタしてたから、そんな暇無くてさ。でも、お互い同じ学校なんだし、別にいいじゃん。」

「相変わらずマイペースだね。向こうではそれで通用したの?」

「するしないの前に通した。」

「ハハ、お前らしいぜ。」

 そう言って笑う智の笑顔も、どこか懐かしい。

「ま、俺に言わせれば、二人もお変わりなさそうで。ひとまず安心だね。」

「ありがと。私、お兄ちゃんとずっと一緒だもん。」

 そう言って、歩は智に腕を絡めた。

「おい、くっ付くなよ。新学期そうそうよからぬ噂を俺に立たせるな。」

 智は困っていたけど、口でそう言う割には体は満更でもなさそうだった。あまり、歩を拒絶する動きが見られない。

「・・・ゴチソウサマ・・・」

 俺は二人に聞こえないように、そう呟いてやった。


 歩くこと数分。俺達は、これから何事も問題が無ければ三年間世話になるんだろう白塗りの校舎から、どことなく不思議な雰囲気が漂ってくる県立塩桐生しおきりゅう高校にやって来た。白塗りの校舎が一棟に、陸上部専用のプレハブ小屋がある中庭。体育でも使われる空手室や、一年女子の体育でなぜかダンスがあるこの高校で、その時はダンスホールに化ける剣道室を揃えた体育館。そのすぐ近くの自転車置き場を挟むように、サッカー部・男子テニス部・ハンドボール部・男子バスケ部に区切られた部室のあるプレハブ小屋。その横にテニスコート、反対側にハンドボールコートがある。白塗りの校舎と繋がっている別棟は、専用の部室を持たない文化部用に作られた建物。正式名称などなく、一般的に『クラブの集合体』と呼ばれている。校舎内には放送部、イラスト部、書道部、吹奏楽部なんかがある。こういった定番的なクラブの他に、この学校にはいくつか変わった部が存在する。

 一つ目は和太鼓部。活動場所は放課後の食堂。全国的に有名らしい。

 二つ目は茶道部。校舎の四階にある、一つだけ違う雰囲気を醸し出す木枠の引き戸。その奥には畳の敷き詰められた茶室があるらしい。夏場になると、校舎の内外で浴衣姿の女生徒が目撃されるらしい。

 三つ目は理科部。これは、生物部・物理部・化学部・地質部の四つが合体したものらしい。通称、『理科オタクなインテリの集まり』・・・通称の方が長いじゃん。

 四つ目はダンス部。まぁ、ダンス部自体ははそう珍しいもんじゃない。問題は、どこで練習しているかということだ。なんか、体育館を使えることは稀で、普段は廊下で踊っているらしい。それでも入部希望者は絶えず、校内随一の勢力を誇るらしい。

 他にも、例えば水泳部や卓球部や演劇部に女子テニス部、バトミントン部に男子バレー部と女子バレー部、野球部とソフトボール部に女子バスケ部、挙句には料理部に弓道部に軽音楽部などが存在する。どこにも同好会という物は存在しない。

 入学式の校長先生の挨拶。俺は右から左へアッサリとスルーさせた。長々と喋るね、あのおばさん。俺は智・歩と共に教室へ向かう。二階にある一年E組の教室。ここが、俺が今年一年間世話になるクラス。一年には全部で十クラスあって、一クラス平均四十人前後。男女の割合がほぼ半分という状況。担任の先生には特に期待していない。誰であろうと、それほど大差ないだろうし・・・

『ガラッ』

 などと思っていると、やおら二人の女性が入ってきた。背の高い長髪の女性と、やや胸の大きい短髪の女性。明らかに、俺達と同い年じゃない。この二人が、このクラスの先生?

「初めまして。担任の豊綱由子(とよつなゆうこ)よ。」

 そう言ったのは長髪の方だった。俺の予想は当たり。心なしか、男子陣の目の輝きが増した。

「ウチは、副担任の伊野川育美(いのかわいくみ)。よろしく。」

 そう言って、短髪の方がにっこりと微笑む。席が正面なせいか、やったら俺に向けられている気がするけど・・・

 二人について簡単に説明。豊綱先生は、このクラスの担任で現代国語を担当。背が高くて髪が長い美人。この学校の卒業生でもあり空手部部長の経歴を持つ。無論、空手部の顧問。

 伊野川先生は、このクラスの副担任で日本史を担当。豊綱先生より背が短くて髪もショート。勝るのは胸の大きさという感じの美人。出身は関西地方でソフトボール経験者。青春をソフトに捧げた事を大袈裟に語っていたので、それなりに楽しい先生。ソフト部顧問。

 まぁ・・・先生が若くて美人なのは、そこいらの学生より幾分か恵まれたと思う。


 その日の放課後。俺は、智・歩と一緒に帰ることにした。

「お姉ちゃん達、元気?」

 そう聞いてきたのは歩だった。

「元気だけど?そっちは?」

 聞いた刹那、二人は一瞬暗くなった。

「まさか・・・ディープな話?」

「あぁ・・・」

 智が、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで呟く。

「ゴメン・・・」

 二人の表情に、俺は反射的に謝った。

「いいよ・・・・・・・・・・・ねぇ、衆君。」

「なに?」

「家、来る?」


『チーン・・・』

 仏壇の鐘が、畳の部屋に悲しい哀しい余韻と共に響き残る。仏壇にある四つの遺影。智と歩の両親がその内の一組だ。おひさしぶりです・・・昔は、お世話になりました。その内、日を改めて親父達と一緒にまた来ます・・・その横にあるのは・・・

「ただいま~。」

 そう言って、たった今帰ってきた智の従妹、五弓(さゆみ)ちゃんの両親。直接の面識はない。

「誰?」

「俺の友達の衆だ。挨拶しな、五弓。」

「うん。初めまして、衆兄。相川五弓(あいかわさゆみ)です。」

「こんにちは・・・」

 衆兄・・・ね・・・

「智も、そんな感じの呼ばれ方なわけ?」

「あぁ・・・そうだ。衆、飯、食ってくか?」

「え?いいの?」

「遠慮しないで、衆君。久しぶりに会ったんだし、ね?」

 そう言った歩の目に、俺はどことなくもの寂しさを感じて・・・

「じゃ、そうする。」

 歩の手料理をご馳走になることにした。


「衆。」

 歩の作ってくれた日本料理的昼食を堪能していた時、智が話し掛けてきた。

「なに?」

「美味くなったろ?歩の料理。」

「・・・うん、美味くなってる。」

「よかった~。」

 歩は胸を撫で下ろした。昔から歩は料理が好きだった。けど、最初の頃はとてもじゃないけど食べられる物じゃなかったっけ・・・

「俺がアメリカにいる間に、何があったわけ?」

「日頃の努力の賜物だよ。大好きなお兄ちゃんの喜ぶ顔が見たい。その一心で頑張ってたら、いつの間にか上手になったの。」

 そう言って、歩は誇らしげに胸を張る。

「智への愛の勝利って訳ね・・・ずっとこんな調子なんだ。相変わらず苦労してるみたいだね、智?」

「まーな。もっとも、そのお陰で美味い飯が食えるからな。兄貴として素直に嬉しい時もあるし。でも・・・今日みたいな事は勘弁してほしい。」

 あぁ、自己紹介のあれね・・・自己紹介中、歩はクラス中にこう宣言していた。

『私が一番好きなものはお兄ちゃんです!』

 瞬間、智が机に頭をぶつけ、クラスは一瞬冷え固まり、伊野川先生だけが、

『いよっ!妹の鑑!』

 などと歩を囃し立てていた。

「え~!いいじゃない、お兄ちゃん。」

 歩は智の意見に不服を訴えた。

「恥ずかしいんだよ、時々。もう少し自重してくれ。お前の気持ちは、普段からさんざん聞いてるし。」

「言っても言っても言い足りないの!」

 あ~あ、始まっちゃったね、兄妹ゲンカ。それに我関せず、五弓ちゃんが俺の食器を片付ける。サンキュ。俺はその意味を込めて五弓ちゃんの頭を撫でた。さらさらのショートヘアーがいい触り心地だね。

「いつもああなわけ?あの二人。」

「うん。」

 そう言って、あぐらをかいている俺の上に五弓ちゃんが座る。

「甘えんぼじゃん、けっこう。」

「だって、衆兄は優しそうだもん。」

 優しそう、ね・・・そうでもないと思うんだけど。

「で、止めなくていいかな、あの痴話ゲンカ?」

「あれはコミュニケーションだからいいの。」

 そ。ならいいや。俺はしばらく、五弓ちゃんと一緒にコミュニケーションを眺めていた。


 午後六時。俺は我が家に帰ってきた。

「ただいま・・・」

「お帰りなさい。」

 俺を出迎えてくれる一人の女性。決して同棲相手なんかじゃない。俺の姉ちゃんだ。長い赤髪が映える美人。優しいのか厳しいのか分からない性格。頼りになるけど苦手な相手。

「智と歩に会った。て言うか同じクラス。」

 俺はすれ違いざまにそう言った。瞬間、姉ちゃんのテンションが上がる。

「智君に歩ちゃん!?懐かしいわね。元気そうだった?」

「まーね。相変わらず、歩は智が好きみたいだね。本気かどうかは別として。」

「あらあら、相変わらずね。ご両親は?」

 一瞬、俺は言うべきか迷った。でも・・・ウソをついてもいずれは分かるし、何よりその後が怖い。だから正直に言った。

「俺達がアメリカに行ってる間に、事故で亡くなったって・・・俺も、今日聞いた。」

 姉ちゃんは言葉を発さなかった。しばらく沈黙した後、

「そう・・・明日、家に行ってくるわ。私もお線香、してこなくちゃね。帰国報告もしたいし。だから、明日、案内してね。」

「分かった。」

 律儀な姉ちゃんだ。でも・・・・・・・そこが姉ちゃんだ。


 こうして、俺の高校生活の初日は幕を閉じた。平凡は、二週間と持たなかった。


                 第一章

                 困惑の引き金


 新学期が始まって二週間経ったある日。例によって例の如く、桜が散った以外は大して変わらない通学路を、俺はテニスバッグを背負って歩いていた。アメリカに越した時から始めたテニスに、俺は今でもドップリな状態。俺のクラスでは男子テニス部が人気だったみたいで、俺を入れて六人いる。その内の一人は智。歩は、伊野川先生が顧問を務めるソフト部に入った。

「あ、衆君。」

 後ろから歩の声がした。

「智は?」

「朝練に行ったよ。衆君は行かなくていいの?」

 あぁ、朝練ね・・・

「朝練は、自由参加だからどっちでもいいの。智は真面目だね、相変わらず。」

「衆君は不真面目だね、相変わらず。」

 そう言って、歩はクスクスと笑った。大きなお世話だよ・・・

「歩こそ、朝練とかあるんじゃないの?」

「こっちはないの。」

 それは緩いんじゃないの?伊野川先生。

「お。珍しい組み合わせだな。」

 俺の後ろから声がした。振り返ると、俺と同じくラケットバッグを背負った男。

「あ、おはよう!佐藤君。」

「おっす、本村。」

 佐藤恭一(さとうきょういち)・・・同じクラスの男子テニス部。背が高くて均整の取れた体つき。おそらく、このクラスで最も平均的な名前だと言える。俺の感受性から言わせると、何かと変わった名前が多いしね、このクラス。俺は恭一と呼んでいる。実は、クラスには女子にも『佐藤』がいるため、それと区別しているだけだけど。

「恭一も行かなかったんだ、朝練?」

「行けるわけねーだろ。学校が遠い俺にとっちゃ、早朝五時に起きて朝練通いは不可能だ。授業態度に影響しかねない。」

「いつも寝てるくせに。」

 恭一の反論に、俺は少し皮肉ってやった。

「日本史は起きてるぜ。」

 恭一は、少しムッとしながらそう返してきた。

「惚れたの、伊野川先生に?」

「ちげーよ。歴史が好きなだけだ。なんなら、今度の中間テスト、日本史だけ勝負してやってもいいぜ?」

「やだね。英語で勝負しようよ。」

「本場の英語を仕込まれたお前と?」

 やるだけ無駄だろと言わんばかりの恭一。ま、その反応がほしいから言ったんだけどね。

「ったく・・・アメリカンナイズされたんなら、もうちょっと本場仕込みのジョークの一つも言ってみろ。」

「言って分かるの?ああいうのって、英語で言ってこそ面白いんだよね。」

「さよけ。言葉が違えばツボも違うわけか。」

 そう言って、恭一はため息をついた。

 それから歩くこと数分。学校に着いて教室に入ると、

「お、来たか。」

 智は既にそこにいた。ま、入ってくる時刻が予鈴ギリギリだから当然か。

「よ、智。」

「あれ?今日は恭一が一緒か。」

「あぁ。たまたま出くわしてな。」

 そんな感じで智と恭一が談笑していて、俺がカバンを置いたその時だった。

「おーっはよう!」

 とても大きな挨拶が教室を包んだ。その声と同時に、恭一が嫌そうで嬉しそうな顔をする。それにしても、相変わらずのビックボイスだね。

 声の主は近松瑠璃(ちかまつるり)・・・文武両道唯我独尊才色兼備。かなりの変わり者でありバレー部期待のアタッカーであり恭一の幼馴染。智や歩と中学が一緒だったらしいけど、昔からかなりの破天荒でおてんば。近松を止められるのは恭一だけらしい。

「がーん!恭一に負けた~!悔し~!」

 さっきよりは小さいけど、それでもまだ大きい声でそう言う近松。お手本のような地団駄まで踏む。最近になって分かったことだけど、どうやら二人は、どっちが早く登校してくるかという勝負をしているみたいだ。恭一が言うには、小学校の頃から続いているらしい。さっきの嬉しそうな表情は、今日は勝負に勝ったから?嫌そうな表情は、今日も近松の相手をするのかというメランコリーな心情の表れ?だとしても、恭一はどこかでそれを楽しんでる。

「不覚を取ったわ・・・」

 近松はまだ悔やんでいる。それを聞いた恭一は、

「お前が俺より遅いとは珍しいな。こりゃ、今日の午後から天気は大荒れか。」

 そう言って、雨の降る確率なんてアメダスが狂わない限り無理そうな青空を見上げた。

「明日は負けないんだから。」

 まだ近松はブツクサ言っている。余程負けず嫌いなようだ。

「勝つとまずいんじゃないのか?」

 智が、恭一の後ろからポンと肩を叩いてそう言った。俺もそう思う。完全にナーバスだ、近松の目つきは。

「大丈夫さ。どうせ、体育で暴れりゃ機嫌が直る。だから、体育のある日以外は勝てないがな。」

 そう言って、恭一は微笑んだ。そこに感じたものは、近松に対する確かな信頼だった。


 で、問題の体育の授業。男女共に外で陸上競技。女子は短距離走、男子は走り幅跳び・・・・なにが面白くてこんな事をしなくちゃいけないんだろう・・・もっとも、智は違うみたいだけどね。

「こういう体育の授業も、俺にしてみりゃトレーニングなのさ。」

 だってさ。とは言っても高が走り幅跳び。テニスに何の関係があるかなんて全然分からないけど、

「本村、六メートル五十。」

 恭一が告げた智の記録を聞いて、なんだか無性に抜きたくなった。いいぜ、やってやろうじゃん。

 助走をつけて、踏み切り板の縁ギリギリで飛び出し、思いっきり手足を伸ばして着地!

「・・・記録は、恭一?」

 俺は砂を払いながら、恭一に尋ねた。

「衆、六メートル五十。」

 智と同じ・・・引き分けね。

「けっこう飛んだじゃん。」

 鉄棒にもたれていた智がそう言った。

「記録は引き分けだけど。」

「俺と?そっか。ま、お互いそのレベルって事だな。」

 そう言って、智は女子の方に目を向けた。俺も目を向けてみると、そこには歩がいた。

「そういえば、歩、昔から速かったよね、走るの。」

「あぁ。その脚力は今も健在だぜ。」

 そう言う智の口調は、どことなく誇らしげだった。

『パン!』

 高らかに銃が鳴り響く。歩は・・・智の言った通り速かった。いや、速くなっていたに訂正。暫し俺達は、快速を飛ばす歩に注目していたんだけど・・・ものの数秒で、意識は違う方向へと向けられることになる。その原因となるものは、

『バタン!』

 そんな擬音を付けるかのようにこけた。歩が快速を飛ばしたその横で、その人物は盛大に転んでいた。慌てて女子数人が駆け寄る。ところで・・・・・・・・

「誰だっけ?今こけたの。」

 見覚えはあるけど名前が出てこない。

「おいおい・・・自分の前の席に座ってる人の名前ぐらい覚えとけよ。」

 俺の前の席?・・・あぁ、そう言えばそうだ。あの髪型、妙に見覚えがあるかと思ったら、俺の前の席だったのか・・・で・・・・

「名前なんだっけ?」

 クラスの女子なんて、顔と名前が一致しているのはほんの数人。男子でさえ未だ曖昧なのに。

平牧陽(ひらまきあかり)だよ。」

 平牧陽・・・あぁ、やっと思い出した。全然目立たないから。でも確か・・・

「学級委員だよね、確か。」

「そうだよ。ちゃんと覚えといてやれよ。」

 そう言われた挙句、智に小突かれた。

「にしても・・・全然学級委員ってタイプじゃないよね、なんだか・・・」

「ま、半ば押し付けも同然だったからな。」

 そう言って智が笑った。そう言えばそうだ。クラスの委員を決める時、たいてい学級委員という枠は開きがちになる。進んでクラスのお節介役を買って出るようなもんだしね。普通は避ける。そうなってくると、基本的に決め方には二つある。

 一つはくじ引きという形だ。こんないい加減な方法で決めるのは些かどうかと思うけど、決まらないものは仕方がない。当たった人は不幸者だがそれも仕方がない。もう一つは推薦投票という形。しかし、これもどうかとは思う。お互いの事がなんとなく分かっている時期ならまだいい。しかし、俺達は高校一年、決めたのは新クラス発足僅か三日後。顔見知りの人間以外のことなんてろくすっぽ分かっていない時期だ。そんな時に誰をどう推薦したものだろうか。俺は、男子の学級委員にはすんなり智と書けたが、女子となると困り者だった。なにせ、ちゃんと知っている女子が歩しかいなかったからだ。

 しかし、いかんせん、歩と智という学級委員コンビでは何かとまずくなりそうな気がした。確かに普段は仲がいいけど、ひとたび衝突するとこれほど仲裁しにくいコンビもそういない。

 無論、理由はそれだけじゃない。正直、歩が学級委員に向いているとも思えない。あいつが前方へ行きたがるのは元来のリーダー気質なんかじゃなく、単純に後先を考えずに突っ走ってしまう子供っぽさが原因だ。智が制御できる範囲でならそれでもいい。けれど、智は歩に甘い所が未だにある。そのせいか、歩の暴走を暫し見過ごし、挙句にはそれが暴走と気付かず乗ってしまう時さえある。二人で騒ぐだけならまだいいけど、昔、俺はしょっちゅうそこに巻き込まれた。まさか、高校生にまでなって同じ轍を踏むつもりはない。そこを穏便に解決するには、単純に考えれば、女子の学級委員に歩以外の女子の名前を書けばいいだけだった。

 でも俺は、先述したとおり女子のことがほとんどよく分からない。そこで俺は、適当に女子の名前を書いたと思う。多分、『平牧陽』と書いたんだと思う・・・自信がない・・・だけどそうだとすれば、俺と同じような考えをした人間が他にもいたんだろう。女子の学級委員は、めでたく(?)平牧に決定した。恭一がホッとしていたのを覚えている。あいつのことだから、どうせ、近松が学級委員に選ばれたらどうしようとかいう不安があったんだろうね。


 けど、俺がびっくりしたのはその後だった。


「それじゃ、次は男子の集計をするわ。」

 そう言って、豊綱先生が票を数え始める。妙に教室内は静まり返っていた。なにをこんなに緊張するんだろうか?俺はどうせ選ばれるわけも無いと思い、女子の学級委員に決まってオロオロしている平牧の後ろ姿を、特に見たいわけじゃないけど他に見るものもなく見ていた。視線を前方の黒板へと向ければ、否が応でも入ってくる平牧の髪。淡くオレンジに染められて青い髪止めで結わえられたその髪が、さっきから右へ左へ動いている。よっぽど、自分が学級委員に選ばれて困惑してるみたいだね。

 それにしても・・・どうして平牧なんだろう・・・明らかに頼りなさそうな気がするんだけど。ま、そう言いつつ俺も推薦したけどね、平牧を。

「男子は・・・」

 集計結果がでたらしい。ま、俺じゃないからいい

「衆!」

 かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?「今、衆って言ったわけ、豊綱先生?」

「そうよ。おめでとう。」

 え?それってつまり・・・

「・・・俺が男子の学級委員?」

「そうだけど?それがどうかした?」


 こうして俺は、予想外にも学級委員になってしまった。ほんと、予想外です。


 とまぁ、『平牧陽』という単語を聞いただけで、未だに信じられない過去の出来事まで華麗にフラッシュバックしてきて、再び疑問が浮かび上がってきている間に、いつの間にか体育の授業は終わっていた。一人着替えて教室に戻ると、そこには既に平牧がいた。

「早いね。」

「・・・・え?」

 俺に話しかけられるとは思っていなかったのか、反応が少し遅れて帰ってきた。

「いや・・・あんた意外誰に話し掛けんの?」

「あ・・・そうですよね。」

 どういう表情をしていいのか分からない時に浮かべそうな笑顔を浮かべながら、平牧は俺の方を向いた。

「ところでさ、平牧?」

「はい?」

「さっき、こけてたよね?」

 言われた瞬間、平牧の顔が紅葉みたいに赤くなった。

「み、見ていたんですか?」

「バッチリと。盛大に土煙を立ててスッテンコロリンの一部始終をね。」

 俺は一つも間違いを言っていない。土煙が盛大だったかどうかは多少のエフェクトだけど。

「そ、そんなに盛大でしたか?」

「俺の目には、そう見えたね。ちなみに、智も見てた。」

「本村君も・・・そうですか・・・」

 消えるような声でそう言うと、平牧はシュンと俯いてしまった。

「そんなに落ち込まなくてもいいんじゃない?誰だってこけるよ。」

「そ、そうですよね。」

「あぁ。平牧なら尚更ね。」

 そう皮肉ってやると、明るくなった平牧の表情は一瞬で怒り始めた。

「わ、私ならってどういう意味ですか!」

「そのまんまの意味だよ・・・」

 ここまでは口で言って、次の言葉は心の内に留めておいた。


『頼りなくてどんくさいって意味さ。』


 こんな事を言っちゃうと、繊細そうな平牧は涙を流し始めそうだ。そんな所を誰かに見られたら、クラスの女子から締め上げられそうだ。近松なんかに見つかったら、俺の命はその場で潰えるね、絶対。

「そのまんま・・・それって、悪い意味でですか?」

「平牧・・・それは言えるわけないじゃん。」

「悪い意味なんですね、そう言うって事は・・・」

 そう言って、平牧はまた俯いてしまった。ちょっと、からかい過ぎたかな?

「・・・そんな、ネガティブでメランコリーな表情はナシなんじゃない?言い過ぎたって感じたんなら謝る。ゴメン。」

「そんなんじゃないんです・・・でも、お約束的にそうかなと思って・・・」

「関西人でもないのにそういうことを気にしない方がいいんじゃない?ま、平牧がなんでもすぐ気にするタイプだって分かったから、これからはちょっと気をつける。」

「その方がいいですね。なんだか、貴方はちょっとクールで自分に素直そうだから、そう気付かずに言っちゃっていそうで。」

 あぁ、平牧からはそう思われてたか。

「それが、俺の印象?」

「えぇ。これでも学級委員ですから。クラス全員の人となりは知っておかないと。」

 そう言って、平牧の表情にまた笑顔が戻る。

「へぇ、半ば押し付けられた仕事ながらも、自分なりに頑張っているみたいじゃん?感心するよ、素直に。ついでに、俺の分まで頑張っといてくんない?」

「ダメですよ。今日の放課後も委員会がありますから、ちゃんと出席してください。」

 そう言って、平牧はまた怒ったような表情になる。

「でも、部活は休みたくないし・・・」

「その気持ちは分からなくもありませんけど、ダメなものはダメです。」

 キッパリ、言い切られてしまった。こりゃ、観念するしかないみたいだ。

「ところで、何部なんですか?」

 あれ、知らなかったんだ。

「このカバン見て、分かんないの?男子テニス部。」

「テニス部なんですか。私は、イラスト部です。運動はどうも苦手で。」

「だろうね。こけたし。」

「そ、それはもう言わないでください~!」

 平牧は恥ずかしそうに俺を叩いた。そりゃもうポカポカポカポカと。痛くも痒くもないね。

「エライ見せ付けてくれはりまんな~、お二人さん。真昼の情事ってやつ?」

 聞き覚えのある関西弁だ。誰かと思って顔を上げれば、

「犬飼・・・」

 犬飼真由美(いぬかいまゆみ)だった。背の高い女子で、クラスの女子のムードメーカー的存在。確か女子バスケ部だ。青系の服を好むみたいで、今日も水色のシャツを着ている。

「情事なんかじゃないよ、別に・・・」

「アハハハハハハハハ!なに本気にしてんねんな~。そないに睨まんでも冗談やって。」

 高笑いとともに、俺の呟きを一蹴する。

「分かってるけどなんとなくね・・・平牧が本気で俯いちゃったし。」

「あらららホンマやわ。陽も本気にしなや~。イッツア芦屋んジョークやって。」

 そう言って、犬飼は平牧の肩をポンポン叩きながら笑った。

「アメリカンジョーク的な言い回しで言っても、平牧だからな~。」

「だからどういう意味ですか!」

 そのまんまの意味。


 その日の夜。夕食時の我が家には、姉ちゃんが作ってくれた煮物が並んでいた。

「そういえば・・・なんだって、姉ちゃんは俺と一緒に帰ってきたのさ。ずっと気になってたんだけど。」

「あなた一人じゃ不安だからに決まってるでしょ。」

 当たり前だと言わんばかりに、姉ちゃんは箸でニンジンをつかんだまま、キョトンとした表情を見せる。

「心外だね。俺だって、やる時はやってみせるさ。」

「・・・テニスとは違うの。コートでは有言実行のあなたも、それ以外じゃ不安で仕方ないわ。」

「心配性すぎるよ、姉ちゃん。」

「楽天的すぎるのよ、衆。」

 俺のささやかな抵抗に、姉ちゃんのジトリと睨む視線が飛んでくる。

「アイアンクローはなしね。」

「じゃあラリアット。」

「死んじゃう。近所迷惑。」

「コブラツイスト。」

「体格が違いすぎる。て言うか暴力反対。」

 姉ちゃんに本気でそんな事をやられると、冗談抜きで死にかねない。昔、一度だけ救急車を呼ぶ騒ぎになったこともある。姉ちゃんはその華奢な体からは想像も付かない怪力の持ち主。そのせいで、俺と二人でプロレスごっこの最中、俺は気を失って病院へ。それ以来、姉ちゃんも自重はしている。しかし、やっぱりたまにはやってくる。今日はその日じゃないことを祈りたい。

「・・・なら、風呂掃除をあなたがする。それで手を打ちましょ。」

 それで済むならお安い御用。そう思い、夕食後風呂掃除をしていたんだけど・・・やっている途中で思った。そもそも・・・なんの交渉だっけ?・・・よくよく思えば、姉ちゃんは俺を睨んだだけだ。何をするとも言っちゃいない。つまり・・・あぁ、やっぱり俺は姉ちゃんが怖いんだ。これじゃ、姉ちゃんが自重してようがいまいが大して変わらない。

 姉ちゃんに騙されて風呂掃除を終えた俺は、する事がなくなった・・・宿題くらいはある。でも、する気なんて毛頭ありはしない。姉ちゃんに騙されて気分が失せた。

「誰か、俺の暇を潰してくんないかな~・・・」

「私が潰してあげようか?」

 俺の呟きが聞こえたのか、そう言って、姉ちゃんが顔をのぞき込んできた。

「KISSでもしてくれるの?」

 無論、本気じゃないけど。

「ファーストキスを実の姉で終わらせるの?そういうのは、ちゃんとした相手にとっておくものよ。私だって、ちゃんととってあるんだから。」

 そう言いながら、姉ちゃんは俺の横に寝転がってくる。

「ただ単に彼氏が出来ないだけでしょ?」

「だったらなに?」

「怖い顔したって無駄だよ。例の事がある限り、姉ちゃんは精神的に躊躇う筈さ。」

「・・・四文字固め。」

「いや、腕折れるし。今後のテニス人生に響く。」

「大したもんでもないくせに・・・」

「・・・姉ちゃんに勝てないだけだよ。」

 そう・・・俺はテニスで姉ちゃんに勝ったことはない。なんでだろう?姉ちゃんが強くて俺が弱いから。簡単に言っちゃえばこれだけの事。でもそれだけじゃない。姉ちゃんほどの腕があればプロなんじゃないのかと、本気で思う時がある。

「どうして、プロにならないのさ?」

「テニスはあくまで趣味。今はしがない女子大生。目指す先は女流作家。それだけよ。」

「そっちの芽は、全然出ないみたいだけど?」

「両立は難しいのよ。学業と趣味の両立ならまだしも、そこに生活が掛かってくるんじゃ、そううまくもね。だから、あなたはプロになって、お姉ちゃんに楽をさせてちょうだい。ね?」

「姉ちゃんのためだけにプロ?それは嫌・・・俺は、ただ先を見たいだけなんだ。テニスで世界の表舞台に立った時、そこになにが見えるのか。それが知りたいだけ。」

「・・・そう。あなたならできるわ、衆。私の弟だもの。」

 根拠にならないよ、姉ちゃん。俺がそう言おうとした時だった。

『ピリリリリリリリ!ピリリリリリリリ!』

 俺の携帯が鳴りだした。ディスプレイには『智』の表示。どうしたんだろうか?

「もしもし。」

『衆。俺だ。』

 電話口から聞こえたのは智の声だ。

「何か用?こんな時間に。」

『今から、外、出てこれるか?』

「今から?」

 今からって・・・そろそろ十時半を過ぎようかっていう時間なのに・・・

『話があるんだ。』

「・・・」

 どことなく、智の声は震え、緊張しているようだった。少なくとも、いつもの智とは違った。

「重大な話?明日、学校とかじゃ無理なの?」

『早い方がいいんだ。無理か?』

 声を聞く限りは、いつになく深刻そうだ。手紙だけだった三年間のブランクがあるとは言え、それぐらいのことは分かる。よっぽど重大な事?・・・俺は、次の質問をぶつけた。

「姉ちゃん、一緒の方がいい?なんだか、深刻そうなのは分かる。」

『・・・・・・・・・・・・』

 今度は智が考え出した。普通なら即答でOKを出す問だ。これはいよいよなにかある。

『・・・そうしてくれ。お前が、隠し通せるとも思えない。最初から全て了解を取ってもらった方がいいだろう。』

 悩んだ末、智はそう言った。俺は分かったとだけ告げ、電話を切った。

「どうしたの?」

「姉ちゃん、智が俺達に話があるって。一緒に遊んだ、あの公園に行くよ。」

「え?・・・・どういうこと?ちゃんと説明を」

「説明は智がしてくれる。とにかく行こう。」

 俺は有無を言わさず、姉ちゃんと共に公園を目指した。姉ちゃんを後ろに乗せて自転車で走るのは、どう考えても不条理だけど・・・


 公園だ。昔、智と歩、俺と姉ちゃんの四人で一緒に遊んでいた公園。ブランコと滑り台とシーソーと砂場しかない、シンプルな事この上ない公園だ。夜になると人影はない。

 でも、今夜はそんな公園が変わる。自転車を飛ばしてきた俺と姉ちゃんが公園に入ると、そこには智や恭一を含めて六人いた。月明かりで照らされたその六人は、クラスの男子テニス部関係者全員だった。

「衆、こっちだ。」

 智の声のした方に向かう。全員を視界に収めたところで、俺は早速切り出した。

「話って?」

「・・・事実だけど受け入れ難い話さ。」

 智はそう言った。そこには、あまり笑顔はない。

「智君・・・いったいなにがあったの?」

 姉ちゃんが智の肩を掴んでそう言った。智は、少し俯いて黙った。他の奴も黙っている。

「衆・・・パンドラの箱って、知ってっか?」

 智が唐突にそう言った。え~っと・・・

「あれでしょ?開けちゃったら世界に災いだか不幸が降り注いだっていう、ギリシャ神話だっけ?それがどうしたの?パンドラの箱が、学校の中庭にでも埋まってる?」

「埋まってるなんてもんじゃないさ。」

 そう言って恭一はため息をついた。そしてこう続けた。

「俺達の身近にパンドラの箱はあるんだ。それも、この世界に不幸なんて生温いもんじゃなく、破滅を齎すような代物だ。」

 へぇ~・・・世界の破滅ね。

「揃いも揃ってなんの冗談だよ。こんな夜中に大勢で呼び出して。絵空事にも程があるよ。」

「冗談でも絵空事でもない。事実そうなんだ。」

 智が、語調を強めてそう言った・・・その目は真剣だった。俺や姉ちゃんを騙そうなんて気は感じない。本気だった。授業中とはまるで違う、テニスをしている時よりも強い目だ。俺に本気で言っているらしい。そこまで本気なら・・・

「OK。話して。」

 話を聞こうじゃん。


「話は遡ること七年前。イギリスの諜報機関がとんでもない物を手に入れた。それがパンドラの箱だ。正確には、次世代の武器、世界を破滅に導くハルマゲドンの主役となるであろう兵器の機密情報。」

「次世代兵器?」

「あぁ。それはオリジナルの物で複製はない。これがアメリカかロシア、冷戦時代の主役であるこの大国に渡ると厄介な事になる。そう思ったイギリス側は、このデータをデリートしようと考えた。」

「なるほど・・・賢明な判断なんじゃない?」

 さっさと消したいだろうしね、そんなデータ。

「ところがその方法が厄介だった。デリートしようにもプロテクターが幾重にも重なっていて、ちょっとやそっとじゃ出来なかった。そのプロテクトを解くためのパスワードでさえ、そうそう簡単に手に入れることが出来なかった。そのパスワードを手に入れる方法が判明したのが四年前だった。その方法は、その情報の入ったマイクロチップを触った百人目の人物、その人物の所有するパソコンで立ち上げた時のみ、パスワードが表示されてデリートが実行できる、というものだった。それ以外の方法で情報操作を行った場合、この兵器の情報は、瞬時にロシアとアメリカ両国の軍部に送信される。二つの大国が同じ力の情報を手にいれ、国の威信をかけてそれの制作に取り組んだ挙句は、想像がつくよな?」

 最悪のシナリオ・・・表現が過大かもしれないと思いつつ、俺はこう言った。「ハルマゲドンのスタート。世界崩壊の始まり・・・地球は消える。そういうこと?」

「正解。イギリス側は、当初、自国でそれに取り組もうとした。ところがそれを嗅ぎつけたアメリカに追われ、急遽、日本でそれを実行する事にした。デリートを実行する人物の手に渡った時を百人目にするため、帳尻合わせの運搬作業が始まった。ところが、その過程でミスが起きた。あってはならないミスだ。」

「どうしちゃったわけ?」

「・・・落としたのさ。」

「落としたですって!」

 突然の展開に、姉ちゃんが思わず叫ぶ。

「声でかいよ、姉ちゃん。」

「あ、ごめんなさい。それで、落としたマイクロチップは?」

「四年前、日本にそれを持ってきた運び屋は、そのマイクロチップを九十九人目の人物に渡そうとした。ところが、手元にそれが見当たらない。当然、その場にいた二人は血眼になって捜し始める。ようやく見つけたそれは、既に百人目の人物に、九十九人目の人物を介して渡っていた。それがそういう物だとは知らず、落とし物を拾った九十九人目の人物は、近くで捜し物をしていた、本来とは違う百人目の人物にそれを渡した。百人目の人物も、見た目は自分の捜し物と同じだったから、何も疑わずにそれを受け取りその場を後にする。」

 なるほど。関係ない人物二人によって、目的が達成されちゃったわけか。

「だったら、その場で取り返せばよかったんじゃないの?」

「さっき言っただろ?百人目がデリートを実行する以外、世界の破滅を救う方法は無い。その時点で百人目が決まってしまったため、イギリス当局も日本当局も困った。そこで考え出された方法はただ一つ。その間違った百人目の人物に、データデリートを行ってもらうしかない。」

 そうなるだろうね。言われた当人はびっくりするだろうけど。

「で・・・それと俺達と何の関係が?」

「関係大有りだぜ、衆。」

 そう言ったのは恭一だ。

「俺も?」

「あぁ。なにせ、その百人目にマイクロチップを渡したのは、他ならぬお前だからな。」

 俺が渡したんだ・・・・・・・・・・・・・・・

「覚えがないんだけど。四年前、だろ?」

「そう、四年前だ。ま、お前も相手も憶えちゃいないとは思っていたけどな。お前がアメリカへ発ったあの日さ。」

 俺がアメリカに行った日?あの日にそんなことあったっけ・・・?

「お前は、そこで紅いお守りを拾った筈だ。」

 紅いお守り・・・その言葉に、記憶が少し引っかかってくれた。

「あぁ、薄らぼんやりとだけど思い出した。そういえば、確かにお守りを拾って誰かに渡した。」

「その子が百人目。世界の危機を救う運命を、お前の手によって託された人物だ。そして、その人物こそ平牧だ。」

「ひ、平牧!?俺があの日、お守りを渡した奴が?」

 予想外の人物の名前に、俺は思わず目を丸くした。

「間違いのない事実なんだ。」

「いや、事実だとしてもさ・・・平牧は、それを知ってるわけ?」

「いや・・・平牧は知らない。というか覚えてないだろうな。」

「覚えてない?どういうこと?」

「それからすぐ後、平牧は事故で記憶を失った。それに、平牧は自分が持ってるお守りに、そもそもそんな代物が入っていること自体、知らないだろう。」

 平牧は記憶喪失・・・そうなんだ。

「もちろん、敵も同じ。平牧がそうなった事はおろか、平牧がマイクロチップを持ってること自体、それを狙ってる奴らは知る由もない。けど、それに気付かれたが最後、平牧の命はない。」

「つまり、俺達は来るべきその日に備え集められた、いわば平牧のボディーガードってわけだ。」

 平牧のボディーガード、ね・・・

「平牧は・・・その事を?」

「無論、知りはしない。彼女がそれを知るのは、おそらく、記憶が戻ってデータデリートを行う時だ。それまでは、平牧に俺達のことをなるべく悟らせてはいけない。もっとも、彼女の身に危険が迫った時は、そんな悠長な事も言ってらんないけどな。俺達の話は以上だ。質問があれば受け付けるぜ、衆。」

 どうやら、以上で話を一区切りみたいだ。

「山ほどあるね。まず、なんで智達なわけ?そんなスキルがどこにあるの?」

「手段なら持ってるさ。クラスの奴は全員、なんらかの特殊能力に長けた人物ばかりだ。例えば俺は・・・」

 そう言い掛けると、智は突如俺に蹴りを放った。

「ちょ!?!?」

「俺は、『カポエラ』と言われるブラジルの武術を体得した。苦労したんだぜ、かなり。」

 カポエラ・・・かの昔、圧政に苦しめられていたブラジルの民族が、軍部と対抗するために、祭りの時に踊る踊りの練習と偽装して考案した武術。踊るように連続攻撃を雨霰と繰り出して、敵をなぎ倒す武術。ブレイクダンスに通じる動きもあると言われるけど・・・そういえば・・・

「昔、どっかの道場に通い始めたって言ったよね。これのことだったわけ?」

「そうさ。その頃は、こんな事に巻き込まれるとは思ってもみなかったけどな。」

 そう言って、智は構を解いた。

「じゃあ、恭一の特殊能力も見せてよ。」

「悪いが、俺のは今すぐに見せられるもんじゃない。俺の力は、瑠璃と共にでないと発動できない。と言うより、あいつの力が暴走しないように抑え込むのが俺の役目だからな。」

「近松の力?」

「あぁ。あいつの力自体、得体の知れないものでさ。あいつは、自分にそういう力があるとこまでは知っちゃいるが、その力の正体がなんなのか、まだ謎な部分が多い。でも、俺にはどういうわけか、あいつの力を抑え込む力がある。抑え込む力があるって事は、抑えないと危ないってわけだ。」

 なるほどね・・・

「近松自体が危険ってこと?」

「危険じゃないとは思うぜ。あいつは、口こそ悪いが、仲間が傷付くのを誰よりも嫌う人間だ。平牧を守るためなら、得体の知らない力でも使ってくる。俺はそれを安全レベルまで抑えるだけだ。俺とあいつは、力の上では二人で一人。ただそれだけだよ。」

 ふ~~ん・・・

「なんだよ?」

「要するに、近松を好きだけど素直になれないってわけなんだ。」

「どう読み取ればそう聞こえるんだ!?」

 図星だったのか、恭一の声が少し大きくなる。

「俺の思考がそう読み取ったから。他意はないね。」

「・・・ま、どう思おうがお前の勝手だ。あながち間違いでもないしな。」

 そう言いながら恭一は微笑んだ。どことなく諦観の含まれた笑いだった。

「それじゃ・・・次は伊吹のやつを見せてよ。」

「分かった。」

 そう言ったのは、俺のダブルスパートナー、伊吹涼(いぶきりょう)・・・背格好は俺と大して変わらない奴で、それでも俺より少し背が高い。顔は、どっちかって言うと童顔の部類に入る。

「僕の特殊能力も、佐藤君と同じで、傍からは分かりにくいものなんだ。」

「分かりにくい?」

「うん。じゃ、とりあえずやってみるね。」

 そう言って目を閉じたかと思うと、伊吹の体はその場に倒れ込んだ。

「まさか・・・死んだフリが特殊能力?」

 倒れている伊吹にそう言ってみた。だけどその返答は、

『う~ん・・・それに近いかもね。』

 俺の耳元で、冷気を含んだ風と共に聞こえてきた。そっちを見ても、

『見える?』

 伊吹の声だけが聞こえて姿が見えない。

「まさかあなた・・・幽体離脱が出来るの?」

 そう言ったのは姉ちゃんだった。

『ご名答です、お姉さん。僕は、この通りの離脱体質なんです。』

「この通りって言われても、俺にも姉ちゃんにも見えないって。さっさと体に戻って説明続けてよ。」

『了解。』

 その声とほぼ同時に、伊吹が目を開けて起き上がる。

「で?離脱体質って?」

「僕みたいに、幽体離脱が簡単に、自分の意志で操れる人のことさ。霊感っていうのは生まれつきの能力なんだけど、それが高くても幽体離脱が出来るとは限らない。僕は、たまたまその体質だっただけの話。」

 たまたまね・・・

「てことは、そうじゃない人もいるってわけ?」

「うん。それに、霊感の高い人の能力はこれに限ったことじゃない。クラスには他にも霊感体質の人が少しいる。その中で離脱体質は僕だけで、残りの人は全員放射体質なんだ。放射体質っていうのは、霊感に比例する霊力を、そのまま物理的攻撃に使える人の事。それは手から衝撃波のように放つ事も出来るし、それ以外にも色々とね。基本的に、霊感の高い人はこのどちらかに分類されるんだ。」

 なるほどね・・・つまり、クラスには何人か、霊感の強いやつがいるってことだ。

「ところで、それってどうやって使うの?平牧を守る上で。」

「例えば、平牧さんが敵に捕まって、アジトみたいな所に監禁されたとする。その時、センサーに引っ掛からずにアジトの中を探るのに、幽体離脱は都合がいいんだ。いわば、偵察が主ってところかな。」

「偵察・・・でも、敵に霊感の高い人がいたら見えるんじゃ?」

「無論、その可能性はゼロじゃないよ。でも、幽体は少しくらい霊感が高くても見える物じゃない。いざそうなったら・・・・・・・その場その場で何とかしてみるよ。」

 へぇ~・・・

「自信なさ気じゃん、その目。」

「し、仕方ないよ。僕だって、突然こんな事に巻き込まれてビックリしてるんだし・・・でも、ただ出来るだけだったこの力が、これからは世界を守ることに繋がるかも知れない。そう思うだけで嬉しいんだ。」

 ふ~ん・・・ポジティブだね。力がある。そう言った時の伊吹の握り拳が妙に印象的だった。

「じゃあ、次は杉山の力を見せてよ。」

「OK。」

 妙に発音よくそう言ったのは、恭一のダブルスパートナー、杉山太助(すぎやまだいすけ)・・・下の名前は『だいすけ』って読むんだけど、みんなは漢字をそのまま読んで『たすけ』って呼んでいる。俺はまだ名字で呼ぶ。そこまで親しくないから。恭一より少し低めの身長とバランスのいい体格。どことなく優しい雰囲気を醸し出す奴。

「俺の能力は、あるものを呼び出す力だ。手始めに呼んでみるよ。」

 そう言うと、杉山はやおら手を地面につけた。なにして

『召喚!見習い魔法使いのローサ!』

『ボウン!』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?

 俺は目の前の光景を疑わざるをえなかった。なんせ、杉山が手を地面に押し付け、何か叫んだかと思ったら、俺達の目の前に、

「呼んだ?タスケ。」

 杉山を堂々とあだ名で呼ぶ、ブラックのシルクハットにピンクとブルーで彩られた袈裟のような物を身に纏う、まぁ美少女に分類していいであろう少女が、なにやらステッキを持って笑っていたんだから。

「杉山・・・どこの大道芸人?」

 俺は思わずそう聞いた。一瞬目をやればそうとしか見えない。けれど、彼女はそんな俺の質問に気分を害したらしい。なにやら怒ってきた。

「ちょっとボウヤ!私は大道芸人じゃないの。私は、見習い魔法使いのローサ。立派な魔女候補の、とってもセクシーなお姉さんだよ。」

 そこまで自分を誇張できる人間もそうそういないだろうけど、幾分思うのは、目の前の彼女ははたして人間に分類してもいいのか?自称、立派な魔女候補のセクシーなお姉さんであるローサは、年だけ見れば俺達と幾分も違わないように思える。実年齢も知らないのにそう思うのもどうかとは思うけど。

「これは・・・どういう能力なわけ?」

「簡単さ。この世界とよく似た全く別の次元に存在する世界の住人を呼び寄せるだけの事。もちろん、特殊な訓練を年月をかけて行わないといけないけどね。基本的に、繋ぐ事の出来る世界は二つに分かれていて、片方は、ローサ達の住む『人界』。もう一つは、『獣界』。こっちは、ローサ達とはまた姿を異にする住人達が住んでいるんだ。俺は、その中で『人界』とのコンタクトに成功し、こうして呼び出すことが出来る。少しこの能力で厄介なのは、呼び出した相手の強さに比例して、術者の体力が奪われること。だからこの能力の術者達は、昔から体力作りを優先していることが多い。俺も昔からそうでさ、体力だけなら誰にも負けない自信がある。」

 そう言って、杉山は胸を叩いた。そんな自信は、今度クラブの時にでも立証してよ。問題はこの能力だ。

「なんか・・・まったくもって頭が付いていかないんだけど。」

「無理もないと思うよ。誰でも初めは混乱するものさ。いきなり順応できたら逆に驚くよ。」

 そう言って、杉山は軽く笑った。あぁ、俺も自分がそれだけ順応性が高かったらって思うよ、つくづく・・・まぁ、ここまできたらそんな愚痴も言ってらんないね。あと二人、どうにかして頭に入れるから・・・

「じゃ、話してもらおうか?一義。」

「うん。」

 頷いたその男の名前は朱崎一義(くすざきかずよし)・・・智のダブルパートナーで、このあたりの中学校では、その当時、『スナイパー一義』の異名を誇った、コントロールの正確さが光る男。智と比べると身長は十センチほどの単位で違うんだけど、俺はやはり見上げないといけないわけで・・・・・次から外そうかな、この説明。

 中学時代、アイドル的存在だった一義は、今でもその色男ぶりをいかんなく発揮している。しかし、本人にそんなつもりはなく、事実、クラスの女子に既に恋人がいるという黙認事項がある。俺のクラスからは門外不出とされるネタだ。外へ出ると暴動が起きるとも言われている。いざ起きればどういう名前の付く暴動になるんだろうか。

「僕の能力は、この手袋さ。」

 そう言って、一義は俺に白い手袋を見せた。明らかに、毛糸のようなか弱いものじゃなくて、何か合成繊維のような物で作られている。でもそんな感じがするだけで、普通の手袋にしか見えない・・・

「一義、これ、なんに使うの?」

「じゃ、実際に使ってみるね。」

 そう言うと、一義は無造作に手袋をはめた。そして俺にこう言った。

「なにか、切ってほしいものはある?」

 切ってほしいもの・・・一義は今確かに、俺に、そんな事を笑顔で言ったような気がする。にしても・・・切ってほしいもの?いきなり言われてそんなもの・・・

「あ・・・」

 辺りを見回してみると、なんのことはない、空き缶が少量転がっている。俺はその中から、自分から一番近い位置にあった缶を拾って一義に渡す。

「これだね、分かった・・・」

 すると一義は、

『ヒュッ』

 擬音を付けるとしたらそんな感じで缶を上に放り投げた。俺は舞い上がった缶を見つめてみることにした。どうなるのかと目を凝らしていると、

『スパン!』

 今度は本気でそんな音を発して缶が見事に真っ二つになった・・・・・・

「冗談でしょ?」

「これくらいは、楽勝だよ。」

 そう言って笑う一義の手袋からは、見間違いでなければなんだけど・・・・

「糸?その先に見えるもの。」

 姉ちゃんと同じ疑問だ。手袋の先から、糸のような細い物が揺らめいている。風なんかほとんどないこの公園で、その糸は月明かりを浴びて銀色に光ってユラユラ・・・

「あぁ、名前だけ教えてくれる?」

 多分、それ以上は情報過多だ。

「ウェーブストリングって言うんだ。特殊な糸であらゆる物を切り裂き、掴み、弾く。今や、世界中でも僕しか使わないと思う、暗殺術にもなりかねない危険な代物さ。」

「名前だけって言ったじゃん。ていうか、かなり危ない能力だね。」

「そうかもね。事実、扱いきれない部分もあるし。兄さんに追い付こうと、頑張ってはいるんだけど・・・」

 寂しそうに笑う一義。

「兄さん?」

「・・・この武器の使い方を、僕に教えてくれたのは兄さんなんだ。でも・・・兄さんは突然、僕の前から姿を消した。一言残してね。」

「一言?なんて?」

「『俺は行く』って・・・どこへ行くのか、その目的がなんなのか、何も教えてくれないまま・・・でも・・・」

 一義はそこで言葉を区切ると、拳をギュッと握った。

「平牧さんを守る・・・世界機密を死守する・・・こんな非現実的な現実と向き合っていれば、いつか・・・兄さんに出会えそうな気がするんだ。敵としてでも味方としてでもいい。ただ、会えるならどちらでもいい。敵なら倒す。味方なら歓迎する。それだけだと思いたいんだ。」

 一義・・・そんな過去があったんだ。まぁ・・・こんな非現実的な現実に巡り合ったのなら、少しは過去にディープな部分があっても不思議じゃない。でもさ・・・

「あんたからは、そういうディープな過去が思い浮かばないんだけど?」

 そう言って俺は、最後の一人に視線を向けた。竜堂蘭花(りゅうどうらんか)・・・男子テニス部マネージャー。三つ編に大きい目が印象的な女子。しかし、外見こそ印象的だけど、中身にこれといって印象的な部分はなく、しいて挙げれば、そのお人好しで謙虚で一生懸命だけどどこかずれている所とかかな・・・ホント、平牧と同じくらい頼りなさそうな奴なんだけど・・・

「ここにいるってことは、竜堂にもあんの?不思議な力が。」

「・・・うん・・・」

 申し訳なさそうに頷く竜堂。

「ここまできたら、もうどうだっていいよ、なにを言われても。手短にね。」

「わ、私はね・・・忍者なの。」

 ・・・うん、実に手短な説明だ。

「シンプルこの上ない説明、サンキュ。で・・・忍者?」

 最後がえらくベタな気がするんだけど。

「うん・・・ちょっと長い話、してもいい?」

 う~~ん・・・・長い話か。

「お願いするわ。」

「・・・姉ちゃんが承諾したからいいよ。でも、なるべく手短に。」

「クラスにいる忍者は、私一人じゃないの。私の他にも五人。」

 五人も?つまり、全部で六人?随分とまた大所帯だね。

「それぞれ、術のルーツって言うか・・・技の特徴が違うの。た、例えば、私なら火を使う忍術が出来るとか・・・」

「他の五人は?」

「水・土・風・拳・草。そして私の火。クラスの中に存在する流派はこの六個だけ。でも・・・昔はもっと多かったの・・・滅びたんだとしたら・・・脅威でもなんでもないんだけど・・・」

 竜堂の表情から、危惧していることは何となく伝わってくる。

「滅びずに敵側についていたら、何かとまずい?」

「うん・・・伊吹君と同じように、霊力を使う流派もあるから。杉山君のような流派も、昔は存在していたって聞いたことあるし・・・」

「なるほどね・・・ま、残りの五人に関しては、その内、向こうから教えてくれるんでしょ?どうせ、あまり俺と打ち解けていない奴がそんな話をしたところで、俺は当然聞く耳を持ちはしない。だったら、まずは俺の身近にいるあんた達六人が、その先鋒を買って出た・・・違う?智。」

「・・・ご名答だ。その方が、次の話もしやすいと思ったんでな。」

「次の話?智君、これで終わりじゃなかったの?」

 姉ちゃんは、そう言って身を乗り出してきた。

「・・・実はな、衆。今回、平牧を守る任務に就くに当たって、俺達メンバー構成の一覧の中には、お前の名前はなかった。」

「俺の名前?」

「あぁ・・・俺達にこの事が知らされたのは今年の二月。その時は、お前が俺達のメンバーに加わるなんて、一言もお上から聞いちゃいなかった。なのに、新学期が始まったあの日、俺と歩の前に、お前の姿があった。俺は最初、違うクラスになるもんだって思っていた。お前がアメリカから帰ってきて、塩桐生を受験したところまでは、偶然で片付けられる範囲だからな。だけど、同じクラスになる事はマジに予想外だった。上が予定を変更したのかも知れない。だけど、だとしたら尚更、俺達にそれ相応の通達がある筈だ。じゃあなんでか・・・俺はこう推理してみた。俺達が結集された当初、平牧にチップを渡したのが誰か分かっていなかった。平牧が記憶喪失であることも。ところが、俺達が呼ばれた後で調査を続けてみると、平牧は記憶喪失だった。それも、お前と出会ってすぐだった。上はこう思ったんじゃないかな。『平牧の記憶を戻す鍵は衆にある』ってな。」

「・・・見事な推理だね。穴だらけだ。」

「あぁ、そうだろうよ。だけど、それ以外にお前が俺達と行動を共にするように仕向ける上の動向の意図が説明できない。そして、上は慌てているだろうし。なにせ、平牧の記憶の鍵かと思われたお前が、結果的には違い、こうして、俺達の話を聞いて混乱に陥っている。少なくとも、上にしてみれば計算外だ。だけど、少なくとも俺と歩は違う。」

「え?」

「久しぶりに会えて嬉しかったぜ。」

 そう言って微笑む智を見ると、なんか・・・信じる信じないの前に、素直に嬉しくなった。


「最後に聞かせてくんない?」

 俺はそう言った。返事をしたのは智だ。

「なんだ?」

「俺は・・・どうすればいい?何をすればいいか分からない・・・智達と違って、俺にはなにもない。力も知恵もない。でも、足を引っ張るのだけはゴメンだ。智、俺は何をすれば・・・」

「衆・・・お前は、俺達と平牧を繋ぐ架け橋にでもなってもらおうか。」

「架け橋?」

「あぁ。お前はクラスの学級委員だしな。同じ学級委員である平牧をサポートしつつ、俺達と彼女の架け橋を作ってほしい。」

 架け橋・・・

「つったって、同じクラスなんだから、そっちから話し掛けてやれば・・・」

「それもそうだけど・・・いいじゃんか。」

「・・・どういう意味、杉山?」

「俺、彼女と同じ中学でさ・・・平牧さん、事故で記憶を失ってから、どういうわけか他人と距離を置くようになっちゃって・・・心を、どこかで閉ざしている感じなんだ。だから、君が先頭に立って、彼女の心を柔らかくしてほしいんだ。これ以上の大役は、無いと思うぜ。」

 大役ね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ギュイ!』

 い、いって~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

「何すんだよ!姉ちゃん!いきなり耳を引っ張るなんて!虐待罪で訴えるぞ!」

「衆、この任務を請けなさい!」

 え?・・・・・・・・・・・・

「なんだか漠然としか分からないけれど・・・少なくとも嘘じゃなさそうね。実際、能力だって見たし。私はみんなを信じるわ。だから衆。その平牧って子の心、少しずつ解してあげなさい。それが、あなたがみんなのために出来る事。ある意味、今回の騒動の発端そもそもは、あなたにあるようなものなのよ。しっかり責任つけなさい。」

 責任って・・・

「だからって、俺にそれが務まるとも・・・」

「さっき、自分で言ったじゃない。智達と違って、俺にはなにもない。でも、足を引っ張るのはゴメンなんだって。だったら、足手まといにならないように、智君に頼まれた事をやりなさい。それくらい、あなたなら出来るでしょ?」

 姉ちゃん・・・

「確かに、あなたは人付き合いがあまり得意な方じゃないわ。昔から知っている智君や歩ちゃんはまだしも、初対面の女性はとてもじゃないけどね。少なくとも、あなたから話し掛ける事なんてまずない。なにかない限りはね。」

「いや、自分から話し掛けたりぐらいはするけど・・・」

「あら?・・・なるほど。アメリカ時代にちょっとは変わったみたいね。なら尚更よ。出来るのならやりなさい。いいわね?」

 有無を言わさず姉ちゃんが迫ってきた・・・・

「・・・分かった。」

「それでよろしい。」

 そう言って、姉ちゃんは俺の頭を撫で始めた。

「・・・いつまで俺は子ども扱いされるわけ?」

「私の弟でいる限り。」

 つまり一生ね。


 こうして俺は、平牧の心を開かせるという、なんかとてつもなくややこしくてメンドクサイ、そんな任務を任される事になった。愚痴の百も言いたいところだけど・・・とにかく、俺の生活は変わり始めた。いや、運命かな。


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