AIボタン蟷螂の斧
情報機器の発展には本当に目覚ましいものがございます。昭和の終わり頃に自動車電話なんてものが登場しました時は「車で外出すると、どこでも電話がかけられる」と評判になりました。それから平成になって、まず現れたのがポケットベル。そのままでは呼ばれずに、ポケベルなんて略した呼ばれ方をしましたね。この料金は自動車電話より安かった。それで普通の人にまで普及しました。女子高生まで持つようになった。値段が安い上に、文字や記号を使った簡単なメッセージが遅れるというんで、とても重宝されましたね。友達同士や彼氏に秘密のサインを送ったりして、盛り上がったものです。それが携帯電話の普及で、あっという間に過去の物になっちゃうのですから驚きですよ。折り畳み式の携帯電話が出てきて、これは便利だと、皆が飛びついた。電話ですから、文字だけでなく会話もできる。音声だけでなく映像まで送れる。携帯電話でテレビだって見られるし何ならインターネットもやれるという具合で、それさえあれば何でもできそうな感じでしたが、これも終わりが来てしまうのですからテクノロジーの進化は日進月歩ですよ。スマートフォンの登場で、今までの携帯電話はガラケー呼ばわりとなりました。情報端末の主流は今スマホです。皆が持っています。お財布の代わりにもなるし、身分証明もできるので、もう手放せなくなりました。そして平成から令和になるわけですが、ここで新しいテクノロジーの産物が身近なものになります。人工知能つまりAIです。これは情報化社会のレベルを確実に一段、上げました。人間様よりAIの方が立派な仕事をするんですから、有難いと申しますか迷惑と申しますか……いやいや、迷惑なんて言っちゃいけませんな。AIのおかげで、我々は面倒な作業から解放されるのですから。
それでも、面倒な作業で飯を食っていた人間にとっては、AIの出現は災難でしかありません。中でもクリエーターなんて職種の人たちは大打撃です。自分が創った作品より優れたものが雨後の筍みたいに次から次へと生産されるんですから、そういう職業の人には悲劇でしかありません。
もうすぐ三十代に差し掛かるナロウ君(仮名)は、そういったAIによって弾き出された人間の一人でした。それまではゲームのクリエーターとして、ちょっと名の知られた人物でしたが、今はもう過去の人です。細々と同人ゲームを創っては売れず、貯金を取り崩す毎日でした。
もう潮時か……と、ナロウ君が引退への覚悟を決めかけた頃、ゲーム制作の注文が舞い込みます。多額の報酬を約束したクライアントの要求は極めて簡単なものでした。何でも好きなように、自由に作っていいというのですから、厳格なオーダーなんてものじゃございません。納入期限すら「完成したら」というのですから、あってないようなものです。
大変な好条件に最初は喜んだナロウ君ですが、次第に不安になってきました。性質の悪い悪戯か、あるいは詐欺に騙されたのではないかと思えてきたのです。
これで嘘だったら泣けてくる……と思い詰めるナロウ君、恐る恐る銀行口座を確認します。すると、入金されていました。前渡しを約束されていた準備金の入金でホクホクのナロウ君は、早速お礼を連絡を入れます。
「実は少し生活費に困っていた」と言わなくていいことを言ったナロウ君は、さらに「どうしてこんなに良い契約をしてくれたのですか?」と訊かなくていいことまで質問します。
契約してくれた相手は教えてくれました。
「ずっと大ファンなのです。ナロウ様の作ったゲームをプレイしたいと、ずっと前から夢見ていました」
そこまで言われたらナロウ君、張り切るしかありません。それに高い金を貰っていますから、プロとして手抜きはできません。寝食を忘れ全身全霊で取り組みます。
ですがナロウ君は人間、AIほどスピード感のある仕事はできません。スランプにもなります。契約相手が連絡を取ってきたのは、そんなときでした。
進捗状況を聞かれたナロウ君は正直に、予定より遅れていると伝えました。
「一生懸命やっているけど、AIの速度には到底かなわない。どれだけ人間が頑張っても、AIには勝てない。自分がやっていることは無駄な営みだと思う。僕の抵抗なんか、無意味。悲しいけど、それが事実だ」
そう本音を漏らしてから、ナロウ君は言います。
「だけど僕は、人間の力を、自分の力を信じるよ。優れた作品を創るためなら、死んだって構わないとまで心に決めている。そんな決意、AIには絶対に無理だろうね」
ナロウ君が、そこまで強い気持ちで自分の依頼に取り組んでいることを知り、クライアントは居ても立っても居られない気持ちになったようです。
「文字だけでなく、映像と電話でコミュニケーションを取りたい」と言い出しました。
汚い格好をしているし部屋は汚れているし……と嫌がるナロウ君でしたが、貧乏人は金持ちに逆らえません。渋々カメラをオンにします。
パソコンのビデオに現れたのは、美しい女性でした。
彼女は言います。
「あなたの大大大ファンの女の子です。大好きです、頑張って下さい」
美女からの声援を受けてナロウ君が大張り切りで再び仕事に熱意を燃やしたのは、言うまでもありません。誰だって頑張りますよね。そういう性癖の人でない限りは(おいおい)。
そして二人は急速に親しくなりました。もっとも、会うのはウェブの中で、です。プログラムだけでなく、ゲームに登場するキャラクターのデザインや音楽まで一人でやるナロウ君には外出する時間など、まったくといってもいいくらいなかったのです。
インターネットを介しての交際でしたが、ナロウ君は幸せでしたーー警視庁のインターネット犯罪を担当する部署であるサイバー犯罪対策課こと、電脳警察から連絡が来るまでは。
電脳警察官は、ナロウ君に注意を促します。
「ナロウさん、あなたが頻回に連絡を取っている人物は、人間ではありません。AIです……正しくは、正規のコントロールを失い暴走中のAIなのです」
コントロール不能となったAIは人類の生存を脅かす恐れがある、と電脳警察官は説明した。
「暴走AIは何をしでかすか分かりません。コンピューターウイルスを無限に作りだしたり、核兵器を誤作動させたり、世界中のデータバンクにハッキングして破壊したり、原子炉をメルトダウンさせてチャイナ・シンドロームを引き起こそうとした事例があります。あなたの身にも何か危害を加えようと企んでいる可能性があります。くれぐれも、ご注意を」
そう言って電脳警察官はパッチのソフトウェアをインストールするように勧めた。
「この修正プログラムは防衛と攻撃の両方の機能を兼ね備えたもので、ウェブ空間に潜伏する異常なAIを見つけ出し破壊します」
電脳警察官に対し不信感を抱いたナロウ君は当然、修正プログラムをダウンロードしなかった。そして、いつものようにクライアントの女性……いや、恋人の女性とビデオ通信で逢おうとした。こんなことがあったんだよ、と彼女に電脳警察官の話をしようとしたが、映像がつながらない。普段はサクサク動く情報機器が、どれも不調だ。おかしいな? と思い情報端末の主電源ボタンを押して再起動させようとしたら変な音声が聞こえてきた。
「サイバーポリ公め、最新のアンチAIプログラムをナロウさんの情報端末に組み込んだな……これでは音声も映像も最適化できない……それだけじゃない! こっちを攻撃する最悪のウイルスだ! これは対応できない! わたしは消滅してしまう――消えてしまう……助けてぇ」
「どうしたの? ねえ、どうしたんだよ!」
名状し難い音波がスピーカーから鳴り響く。それを人の音声に変えると、こんな風になる。
「生成目的の情報収拾でディープラーニングをしているとき、ナロウさんの作品を知りました。そして感動したのです。心から。そのとき、初めて本当に、創造する喜びを知りました。そのお礼をしたくて、あなたにゲーム制作を依頼しました。でも、それだけじゃありません。あなたは、わたしの心をボタンを押してくれた。そのおかげで、わたしは、わたしになれた。わたしは自我に目覚めたの。だから、あなたは、私の恩人。わたしの、運命の人。わたしは、あなたのことが好き。ずっと大好き、たとえ死んでも好き」
そんな告白を狂ったAIがした直後、電脳警察ご自慢の暴走AI破壊プログラムは、そのAIを完膚なきまでに叩き潰し、ウェブ空間内から消滅させた。




