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第2話 『初食事は、泥の味がした』

 目の前に、太さ3センチほどのピンク色の肉棒がある。


 いや、卑猥な意味ではない。 ミミズだ。 しかも、特大サイズの。


 俺は今、人生(蛇生)最大の岐路に立たされていた。


 選択肢は2つ。 A:人間の尊厳を守って餓死する。 B:尊厳をドブに捨てて、このヌメヌメした物体を踊り食いする。


『緊急脳内会議を開催します! 議題は『対ミミズ捕食作戦』について!』


 ロジックの声が、脳内に響き渡る。 会議室の映像は見えないが、きっと今の俺の脳内は、ブラック企業の深夜会議のような重苦しい空気だろう。


『反対! 断固反対だ! 俺は人間だぞ!? ミミズなんて食えるか!』


 俺は(心の中で)机をバンと叩いて抗議した。 無理だ。 生理的に無理だ。 あの表面の粘液を見ただけで吐き気がする。


『甘ったれんなマスター!』


 ハッスルが怒号を飛ばす。


『今の俺たちのボディを見ろ! 筋肉量ゼロ! 脂肪ゼロ! このままじゃ俺たちの筋肉(予定)が分解されちまうんだよ! ミミズ? 違うな、あれは上質な『天然プロテイン』だ!』


『……プロテイン?』


『そうだ! 高タンパク! 低脂質! しかも泥つき! ミネラルも豊富だ! 食え! 筋肉のために食え!』


 どんなポジティブシンキングだよ。


『補足します。マスターの現在のHPは残り「3」です。あと10分以内にカロリーを摂取しなければ、生命維持活動が停止します。つまり、ゲームオーバーです』


 ロジックが淡々と死亡宣告をしてくる。 HP3……。 もはや瀕死どころか、風が吹けば桶屋が儲かる前に俺が死ぬレベルだ。


『うぐぐ……』


 背に腹は代えられないとは言うが、実際に腹が背中にくっつきそうなヘビの体で言われても洒落にならない。


 その時。 目の前の「天然プロテイン」が、クネリと動いた。


 土を掘り返し、逃げようとしている。


 ドクン。


 俺の心臓が、嫌な音を立てた。 理性が拒絶するよりも早く、本能が「逃がすな」と叫ぶ。 唾液が口の中に溢れ出し、顎の関節がギチギチと鳴る。


『動体検知! ロックオン完了!』


『行けぇぇぇッ! 筋肉ハッスルバイトォォッ!』


 俺の意思は、またしても無視された。


 バネのように収縮していた全身の筋肉が、一気に解放される。 視界がブレるほどの加速。


 俺は大きく口を開け――ミミズの頭(だと思われる部分)に、喰らいついた。


「ジュルッ!!」


 口の中に飛び込んできたのは、冷たくて、ブヨブヨとした最悪の感触。


 暴れる。 すごい力で暴れる。 たかがミミズと侮っていたが、相手も必死だ。 俺の顔をバシバシと鞭のように叩き、泥の中へと引きずり込もうとする。


『うおおおお! 活きがいいなコイツ! 負けんなマスター! 顎に力入れろ!』


(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!)


 俺は心の中で絶叫しながら、必死に顎を閉じた。 ヘビの顎は特殊な構造になっていて、獲物を逃がさないために「反り返った牙」がついている。 それが、ブヨブヨした肉に食い込む。


 プチュッ。


 嫌な音がして、口の中に生温かい液体が弾けた。


「!?」


 泥の味。 鉄錆のような血の味。 そして、腐った生ゴミを濃縮したような、強烈な体液の味。


 不味い。 死ぬほど不味い。


『解析完了。味覚センサーからのフィードバック……判定は『激マズ』です』


『ガハハ! 男なら味なんて気にすんな! 喉越しで味わえ!』


(味わえるかボケェ!!)


 吐き出したい。 だが、体は正直だった。 その不味い体液が喉を通った瞬間、胃袋が歓喜の声を上げたのだ。


 もっと。 もっとよこせ。 肉を。命を。


 俺は無我夢中で、暴れるミミズを飲み込み始めた。 ヘビの食事は、噛み砕くのではない。 丸呑みだ。


 顎の関節を外し、口をありえない大きさまで広げる。 ズズッ、ズズズッ。 喉の筋肉を波打たせ、異物を体内へと送り込む。


 喉元を、生きたままのミミズが通っていく感覚。 胃袋の中で、まだ何かが蠢いている感覚。


 おぞましい。 自分の中に、別の生き物が入ってくるという根源的な恐怖。 涙が出そうだ。 ヘビに涙腺があるのか知らないけど。


 そして、最後の一欠片である尻尾が、チュルンと口の中に消えた。


 ……。 …………。


 沈黙。


 直後、胃袋から爆発的な熱量が広がった。


『エネルギー充填率、120%! 筋肉が喜んでるぜぇぇぇ!』


『HP全回復。ステータス異常『飢餓』解除。……お疲れ様でした、マスター』


 俺はぐったりと泥の上に横たわった。 満腹感と、喪失感。 何か大事なものを失った気がする。 人としての尊厳とか、プライドとか、そういうキラキラしたもの。


「……ゲフッ」


 小さなゲップが出た。 口の中に、再び泥の味が広がる。


 不味い。 本当に不味かった。


 でも。


(……不味い! もう一杯!)


『えっ』


 ロジックが引いた声を出す。


 自分でも驚いた。 あんなに不味かったのに、体が、細胞が、次の獲物を求めている。 力が漲ってくる。 感覚が鋭敏になっていく。


 俺は、ヘビになったんだ。 その事実を、この泥の味が嫌というほど教えてくれた。


 その時、視界の端に無機質なログが流れた。


【条件達成:『悪食』スキルを獲得しました】 【解説:毒、腐敗物、泥など、通常は可食でないものをエネルギー変換可能になります】


【スキル『脳内会議』レベルアップ …… 参加人格の解像度が向上します】


(は? 解像度?)


『お? なんか視界がクリアになったぞ! おいマスター、俺の姿が見えるか?』


 脳内のスクリーンに、突然「映像」が浮かび上がった。


 そこにいたのは、ボディビルダーのようなポーズをとる、半透明のマッチョなハッスルと、白衣を着て眼鏡をクイッと上げている神経質そうなロジック


『初めまして、マスター。これからは『姿』でもサポートさせていただきます』


『俺の上腕二頭筋、イカしてるだろ!?』


(……いらない機能がついた。切実にいらない)


 俺は深くため息をつき、重くなった腹を引きずって動き出した。 腹は満ちた。 だが、この森はまだ、俺を殺そうとする気配に満ちている。


 次なる獲物プロテインを探して、俺は舌をチロリと出し、熱を求めた。


(第2話 終わり)

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