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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この中に1人、寄生生物がいる

作者: ShaKa

 今朝発行されたばかりのその記事は即座に注目の的になった。俺は背筋が凍る思いだった。

 

『【勇者一行殺人事件】森林で見つかった三つの遺体 消息不明の勇者 謎の寄生生物の仕業か』

 

 近くのテーブルに座る冒険者風の青年たちが、例の記事を広げていた。

 顔や髪についた水滴を腕で拭いながら、雨粒のシミがついたその紙を貪るように見ている。

 

「現場に勇者の遺体だけがなかったんだとよ」

「一説によると、勇者は寄生生物に乗っ取られてるって話だ」

「それで、仲間を皆殺しにしたと」

「多分な」

 

 違う。そうではない。全ての事情を彼らに説明したいが、そうするわけにはいかない。

 

「手がかりはあるのか」

「いや全く」

「俺たちで探すしかないな。寄生生物の特徴は」

「色は黒。身体の形を変えてハネや刃物のようなものを作れるようだ」

「かなりやっかいだな」

「あんがい近くにいるかもしれないしな」

 

 俺は黒いフードをより深く被った。もうここにはいられない。

「お待ちどうさま」と、今日初の食事が目の前に置かれた。

 スープの香ばしい香りが嗅覚をくすぐった。くっそ、ようやく食事にありつけると思ったのに。

手を付けずに、席を立って歩き出した。視線を感じる。顔をのぞき込まれているような気がする。「あいつ、まさか……」とウワサされているような気がする。

 

 扉を開けると、外は土砂降りだった。歩き出した途端に滝のような雨がフードを水浸しにした。暗闇の町に、雨がどこまでも続いていた。人の声が聞こえなくなるまで、ただ進んでいく。先の見えない暗闇の中を。

 

 

 

 朝日が照らす石畳を全力で駆け抜ける。冷たい向かい風がびゅうっと吹き抜けてきた。超えた先にあったのは、本屋だ。けっこう早く来たのに、もう3人も並んでいる。

 店の前には、『週刊冒険の書』のポスターがデカデカと張り付けられていた。

 

『勇者一行 新たに出現した強敵に挑む』

 

 勇者、戦士、魔法使い、僧侶の四人が力を合わせて挑もうとしている。その相手は、ハネの生えた黒い生物だった。刃物と化した腕を勇者たちに向けている。

 開店時間直前になると、もうかなりの行列になっていた。待っている間、彼らが口にするのはやはり、勇者のことだ。

 

「勇者パーティ、最初はあんな険悪だったのにな。よくまとまったよな」

「ああ、だから魔王倒せたんだよな。ほんと、勇者すげぇよ」

 

 手の中の小銭を握りしめた。身体が熱くなって、鼓動が早くなるのを感じる。早く手に取りたい。まだか、まだか。

 

「そういや、この記事書いてる『戦場の記者』って何者なんだろうな」

「ああ、どうやって勇者に取材してるんだろうな。しかも独占」

 

 前の男たちの会話に耳を傾けてすぐ、扉が開いて店主が出てきた。開店だ。

 目当ての本が出入り口近くに大量に山積みされていた。うち一冊を手に取った。

 

『週刊冒険の書』が創刊されたのは数か月前。初刊はパーティ内でメンバーがいがみ合っているような表紙だった。それが今、互いを支え合っている。彼らは困難を乗り越え、本当に大事なものを手にしたんだ。

 俺も、いつか……。

 

 握りしめたそれを手に、俺は会計カウンターまで向かった。

 

 

 

「なあ、今朝出た『週刊冒険の書』見たか?」

 

 油の臭いが充満する厨房の床をモップ掛けしている最中、一人が口にした。

 今、『勇者』と言っていた。一度彼の方へ振り向くと、数人のシェフやウエイターが男女数人で固まっていた。

 

「見た見た! 寄生生物ってヤバくない?」

「パーティの誰かが寄生されたらどうするんだろうな」

「そりゃぁ、殺すしかないだろ。人格乗っ取られるんだから」

「うわっ、それはキツいな。勇者パーティが殺し合いとか最悪じゃん」

「乗っ取らずに宿主の血全部吸って殺すこともあるんだってよ」

 

 一瞬、空気が凍ったかのような沈黙が、彼らに訪れた。

 

「……こわっ」

 

 この話題なら俺の方が知り尽くしている。うまく会話ができるはずだ。

 

「そう言えば、最近また村が寄生生物に襲われたよね」

 

 数歩先の彼らに向かって口を開いた。一人だけ「ん、ああ」と返事をし、何人かこちらに一瞥をくれた。一瞬白けたような気がする。

 彼らはこちらから視線を外して会話を再会した。

 

「今回も村が全焼してたんだってな。何か火吹くらしいよ」

「あとハネ生えるんだって」

「マジかよ……こっちまで来たらどうしよう……」

「も~! 気味悪いこと言わないでよ~!」

 

 彼らが喋っている最中、誰とも目が合わない。いや、俺と合わせないようにしているのだろうか。床へと視線を落とした。声なんかかけなければよかった。

 

「この記事書いてるのって、『戦場の記者』だよな? アイツ何者?」

「ずっと勇者追ってるよな」

「けっこうカッコイイよね! さわやかイケメンて感じ」

 

 やっと苦痛の時間が終わって、俺は帰路についた。

 ひんやりとした氷のような風が吹き抜けてきた。ブルりと震えた身体を抱いた。

 

「ううっ、寒……」

 

 身体が重たい。疲れた。明日は休みだけど明後日は仕事だ。行きたくない。

 歩いている途中で、ふとその張り紙が目に入った。

 

「冒険者、募集……」

 

『初心者大歓迎! 仲間が君を全力でサポートするから大丈夫! 応募条件 男 年齢:15~17 希望者は明日、この場所へ』


 駆け出し冒険者といった風貌の少年少女たちが笑顔で肩を組んでいる絵が描かれていた。兄弟姉妹のように仲良さそうだ。

 

 冒険に出た後はみんなで宿に泊まって、食卓を囲んで、ベッドで夢を語り合って、そしてみんなで成長していく。そんな冒険者生活を求めて、俺は田舎から都市に出てきた。もうあれから一年が経つんだ。早いな。

 ギルドに登録して冒険者カードを受け取ったときのことは昨日のように覚えている。期待で胸がいっぱいだった。これから楽しい日々が待っている。そう信じて疑わなかった。

 でも現実は違った。友情を育むどころか、俺を入れてくれるパーティはどこにもなかった。一〇は応募しただろうか。全部断られた。

 実績を積むために一人でクエストに挑んだ。配達や清掃の依頼を受けたけど、アルバイト以下の報酬で都合よく使われて、心が折れた。

 

「俺たちやっとDランクだな!」

 

 声が聞こえた。見ると、冒険者風の男女数人がこちらの方向へ歩いて来ていた。

 

「おうよ! 次はCランクだな」

「ねぇねぇ、今から昇格お祝いパーティーやろうよ」

「おっ、いいねいいね!」

 

 通り過ぎた彼らは、飲み屋街の方へと歩いて行った。

 

「みんなでパーティー、か……」

 

 きっと楽しいだろうな。みんなカンパイして、おもいっきりお酒を煽って、おいしいものを食べながら今まで乗り越えたことや、これからのことを語り合う。

 再び張り紙へ目を向けた。

 

 もしかしたら、俺にもこんな仲間ができるのだろうか。

 

「行くだけ行ってみるか」

 

 

 

 翌日の昼、俺は張り紙があった場所へ再び赴いた。

 どんな人が来るんだろう。時間が経つにつれて心臓の鼓動が激しくなっていく。まだ来ないのか。


 その場でぐるぐると歩き回っていると、黒いフードを着た人がこちらへ向かってきているのが分かった。あの人だろうか。顔は見えない。身長は俺よりも頭一つ高くて肩幅も広い。多分男だ。

 その人は俺の前で立ち止まると、黒いフードを深く被った。

 

「もしかして、応募してくれた人かな?」

 

 フードの奥から言葉が発せられた。人の好さそうな優しい口調だった。

 

「あっ、はっ、はい」

「そっか。よかった。誰も来なかったらどうしようかと不安だったんだ。来てくれて嬉しいよ。ありがとう」

「い、いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

 

 彼が握手を求めてきた。明るく、爽やかなしゃべり声で。

 俺はその手をがっちりと握りしめた。

 

「早速君を新しい仲間として迎えたい。案内するよ。俺たちのギルド寮へ。仲間が待っているよ」

「は、はい!!」

 

 案内されたのは、人気のない路地裏だった。奥へ進むにつれて暗くなっていく。

 

「まだまだ発展途上のパーティだからね。ここらへんの家しか借りられなかったんだ」

「ああ、そうですよね」

「もっとパーティを成長させて、いつかは都市の中心に拠点を置くつもりだよ」

「おおっ! すごいですね」

 

 向上心があるんだな。もしかして、この人がリーダーじゃないか?

 彼が束ねるパーティならメンバーもいい人たちに違いない。きっと俺を受け入れてくれる。会うのが楽しみなってきた。

 寮はまだだろうか。薄闇の中でボロ家が並んでいる。こんなところに人が住んでいるのだろうか。静かだ。全くと言っていいほど人気がない。

 

 ふと、彼が足を止めた。

 

「どうしました?」

 

 返事がない。何をするでもなく、ただ黙って立ち尽くしている。

 

「……すまない」

「へ?」

 

 突如、彼がこちらに飛び掛かってきた。

 

「うっ」

 

 腹部に鋭い痛みが走った。刃物が引き抜かれ、血しぶきが飛んだ。

 膝が砕けた。顔から地面に落ちた。今、見えた。マントから出た黒い腕と、刃物――いや、腕そのものが刃だった。昨日見たポスターが頭を過った。勇者と対峙する黒い生物。

 なぜ俺を狙ったんだ。こんなのあんまりじゃないか。

 血の海が広がっていく。意識がもうろうとしてき、やがて暗闇に飲まれた。

 

 

 

 真っ暗な視界に徐々に光が入ってくる。ゆっくりと目を開ける。

 一気に身体を起こした。思いっきり空気を吸い込んだ。呼吸を繰り返す。

 

「……生きてる……生きてる!」

 

 痛みがない。腹部を触る。なぜか傷がない。さっきまで着ていた服と違う。ウールのシャツとコートを着ていたはず。なのに、今は黒のインナーの上に青いトップスを身に付けていた。赤紫のマントも羽織っている。どうなっているんだ。両手には革のグローブがはめ込まれていた。

 

 この服装、見覚えがある。そうだ、勇者の服装じゃないか。

 身体をあちこち触ってみる。ガッチリと、硬い。全身が筋肉で覆われている。自分の身体じゃないみたいだ。腕とかこんなに太くなかった。まるで……。

 

 鏡か何か、自分の顔を見られるものはないか。周囲を見渡す。森の中だ。もう日が沈み始めている。ここはどこなんだ。

 

 空気を切り裂く音を、聴覚が捉えた。飛び上がる。宙で一回転し、着地。地面に何かが刺さる音が聞こえた。見ると、それは黒い刃物だった。

 

 飛んできた方向へ目を向ける。背中から剣を引き抜き、構えた。殺気を感じる。なぜか分かる。確かに誰かいる。木影に隠れている。動いた。黒いマントだ。フードを被っている。

 

 ――アイツだ。寄生生物だ。

 

 再び、黒い刃物が接近してきた。俺は剣の柄を強く握りしめ、振り上げた。強風が巻き起こり、木々が切り裂かれ、なぎ倒された。十数メートル先まで、地面が削れた。しかし、手ごたえはなかった。

 

「待て!」

 

 走ってヤツを探した。とっくに気配は消えていた。見渡す。姿が見えない。逃した。

 俺は思いっきり息を吐いて座り込んだ。

 

 俺はさっき、とてつもない身体能力を発揮した。目の前には破壊されて荒れた土と木々。これは俺がやったのか。この手で。こんなことがあるものなのか。すごすぎる。まだ手が震えている。熱い。

 

「おい勇者。こんなところにいたのかよ」

 

 後方から男の声。誰だ。剣を握りしめる。態勢を立て直し、構えた。

 

「何だよ、俺だよ」

「何身構えてんの」

 

 そこにいたのは、赤い鎧を着た男と、魔術師風のワンピースを着た女だった。

 俺は握りしめていた手を緩めた。この二人、見たことがある。何度も、雑誌で、写真で。

 

「戦士……魔法使い……」

 

 勇者パーティのメンバーだ。二人がここにいる。しかも俺に話しかけた。

 ということは、やっぱり……。

 

「こんなところで何してたのよ」

「あ、あのさ! 今、俺のこと勇者って言ったか!」

 

 魔法使い言葉を遮り、戦士に近づく。彼は「はぁ?」と怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「勇者って、言ったよな!?」

「あぁ? それがなんだよ」

「おお!」

 

 両手の拳を握りしめた。今すぐ飛び跳ねたい。後は顔が確認できれば……。

 

「ああ、そうだ。鏡とか持ってるか?」

「はぁ? んだよ急に。持ってねぇよ」

「魔法使い、持ってないか!?」

「……んまぁ、持ってるけど……」

 

 彼女はワンピースのポケットからそれを取り出した。掴み取って中を覗き込む。

 映っていたのは、別の人間だった。男らしく跳ね上がった短い茶色い髪、太い眉。凛々しく整った顔立ちの青年だ。顔をつねる。鏡の向こうの青年も同じ動きをした。そして痛みを感じる。間違いない。この身体は勇者のものだ。俺はあのとき確かに死んだ。なぜかは分からないけど、この身体に乗り移ったんだ。

 

 その場でガッツポーズを取った。

 やった……やった! やったぞ! 俺は手に入れたんだ!

 

「なあ、コイツとうとう頭イっちまったんじゃねぇの?」

「……かもね」

 

 もうあんな惨めな生活とはこれでおさらばだ。これから勇者としての生活が待っている。仲間に囲まれて、きっと充実した日々なんだろうな。

 

「んで、お前こんなところで何してたんだよ」

 

 戦士に聞かれ、我に返った。

 そうだ、寄生生物のことを伝えなければならない。

 

「あのっ……」

 

 すぐに言葉を止めた。言ってしまっていいのか。まずい気がする。

 最初アイツは善人を装って俺を殺した。手口が巧妙だった。目的は分からないけど、あんな募集までかけていた。かなり知能は高い。

 誰かに成りすますことも容易いだろう。この二人も、例外ではない。

 

「なんだよ」

 

 戦士と魔法使いの顔にはイラ立ちが交っていた。

 

「あっ、えっと……あれだよ。少し特訓してたんだ」

「へぇ」

「特訓ね」

 

 二人は興味なさそうに答えると、こちらに背を向け歩き出した。冷たくないか。聞いてきたのはそっちだと思うが。

 

「いっ」

 

 突如、首後ろがズキっと痛んだ。手を回してみると、布がついていた。ズキズキする。ケガをしているようだ。

 

「ちょっ……」

 

 気づけば彼らと距離ができていた。一切こちらを振り向かない。走ってその背中を追った。

 二人ともちょっとそっけないような気がする。いや、普段はそうなのだろう。

 

 でも俺は知っている。

 俺が危機に陥ったとき、二人が必ず助けてくれることを。

 

 戦士と出会った多くの人が彼を悪人だと思っている。でも本当は違うんだ。彼は仲間を守るために、わざと悪人の仮面を被る。そんな自己犠牲の精神を持っているんだ。

 

 魔法使いはというと、周囲とよく対立しがちだ。でも本当は誰よりも仲間想いで、もしもメンバーがバカにされるようなことがあったら、真っ先に激怒するのは彼女だ。

 

 早くこんなシチュエーションが来ないか、今から楽しみだ。

 

「あー、昨日全然寝られなかったからホントダルいんだけど」

 

 魔法使いが言った。少し声が大きいような気がする。誰かに聞かせようとしているみたいな。

 

「お前、見てただけじゃねぇかよ」

「でもちゃんと起きてたじゃん。てかあんたも何も手伝わなかったじゃん」

「まぁな」

 

 二人が声を上げて笑った。

 何の話だ? 二人だけで会話が進んでいく。話を振ってこないどころか、顔すらこちらに向けてこない。何を質問したらいいのだろうか。事情を知らないからか、会話に入れない。

 

 結局一言も発しないまま、目的地に到着した。村だった。

 まっさきに向かったのは、やはりというべきか、宿屋だった。

 屋敷の中に入ると、太った男性がテーブルを拭いていた。

 

「おい店主。俺ら飯にすっから早く作れよ」

「は、はいっ、かしこまりました……あ、あの、戦士様……」

 

 店主と呼ばれた男の顔がやけに強張っている。

 

「ああ? んだよ」

「あ、あのですね……」

 

 何か言いたげだ。目を背け、額に汗がにじんでいる。肩が震えている。

 

「確認ですが、宿泊は今日で……その、最終日ということで、よろしいでしょうか」

「そうだっつってんだろ。あれか、金か。もうちょっと待ってくれよ」

「い、いえ……お題は、結構です」

「ふーん。あっそっ」

「そ、その代わりに……お食事が終わりましたら、ご退館をお願いしても、よろしいでしょうか」

「あー、わーったわーった。そのつもりだよ」

 

 戦士は店主をあしらうように手で軽く払った。階段を上っていく。

 あの店主、勇者パーティをあまり歓迎していないような感じに見えた。

 戦士の態度も、なんというか、ひっかかる。あまり気持ちのいいものではない。

 

 二階に上がって、ドアを開けた。

 きっと中で僧侶が待っているのだろう。緑色の魔術師風のローブを着ていて、髪を全部剃った黒縁メガネの男。物静かで不愛想だけど、誰よりもメンバーの体調やメンタル面に気遣っていて、いつだって冷静に判断し対応する。パーティに欠かせない助言者だ。

 

 ところが、その人物を見て、俺は目を見張った。

 全身黒いローブに身を包み、深く被ったフードの下にはガイコツのような奇妙な仮面が合った。そいつが、平然とテーブルの上に腰かけながら、何かを書いていた。

 

 誰だ、コイツ。この黒いローブ……寄生生物が着ていたものと同じだ。

 

「連れ戻してきたぜ」

「マジ疲れたんだけど」

 

 戦士と魔法使いが言うと、仮面は静かな低い声で「ご苦労」と言った。男の声だった。

 善人ずらして俺を殺した、アイツの声やしゃべり方とは似ても似つかない。よく見れば体つきも違う。あの身体はかなり筋肉質だった。対して、この仮面はかなり細い。

 

 戦士と魔法使いがベッドにドサりと腰を下ろした。この仮面男のことを一切気にしていないどころか、普通に接している。

 僧侶がいないもの気になる。彼はどこに……あ、そうか。そういうことか。分かったぞ。こいつが僧侶か。それしか考えられない。ただ、何でこんな格好しているのだろうか。聞きたいけど、何で知らないんだ、って話になったらめんどくさそうだ。

 

「考え事か、勇者」

 

 仮面男が抑揚のない声で言った。じっとこちらを見ている。

 

「えっ、あっ、まっ、まあな……」

「ずいぶんと長い時間出かけていたみたいだが、何かあったか」

「森で技の特訓してたんだ」

「ほう。五時間も特訓してたのか」

 

「えっ……!?」と、つい間の抜けた声が出てしまった。同時に、戦士と魔法使いも「はぁ?」と声を上げ、こちらを見やったのが分かった。二人とも目を見開いている。

 勇者はそんな長い時間出かけていたのか。どんな目的があったんだ。

 

「おいおい、何言ってんだよ。せいぜい一時間ぐらいだろうが」

「冗談だ」

 

 そっと、ため息を一つ。

 冗談だったのか。危なかった。戦士の言葉がなければどうなっていたか……。

 コンコン、と部屋がノックされた。

 

「ゆ、勇者パーティ様。お食事をお持ちしました」

 

 店主が部屋に入って配膳し始めた。

 

「ところで勇者、この一時間でずいぶんと覇気がなくなったじゃないか」

「えっ……」

 

 心臓がドキリと跳ね上がった。とっさに彼へ目を向けた。あるのは仮面のみ。目元に空いた二つの穴から、氷のように冷たい視線を感じる。

 

「あっ、あれだ。少し疲れてるんだ」

「いや、理由は別にあるはずだ」

 

 何が言いたい。まさか俺が転生者だって気付いてるのか?

 いやいや、そんな神話みたいな推測をするわけないじゃないか。じゃあコイツは何を思っているんだ。質問の意図が分からない。気味が悪い。

 

「お待たせしました」

 

 目の前に食事が運ばれてきた。

 

「どうした、食べないのか」

「あ、あぁ……」

 

 言われて、俺はパンに手を伸ばした。味はしなかった。

 

「あー、まっずっ」

 

 無表情で言いながら、魔法使いはスープを口に運んでいた。

 

「はははははっ! お前、今回も宿の店主に文句言ってたもんな。ウケたわ」

「だってこんなん食べ物じゃないでしょ」

 

 魔法使いはスプーンでスープを小突いた。蔑むような目を向けている。

 本心だろうか。冗談を言っているようには見えない。仮にそうだったとしてもあんまりな言いようだ。この二人、ちょっと性格悪くないか?

 

「うし、腹も膨れたし、仕事に取り掛かるか」

「眠いんだけど」

 

 戦士の言葉に魔法使いが気だるげに言葉を返し、仮面男が黙って立ち上がった。

 仕事? と、聞こうとして口をつぐんだ。

 各自自分の荷物に手を伸ばしている。一つだけ誰も手を付けていないバックパックがあった。あれは、きっと勇者の荷物だ。あの中に手がかりがあるかもしれない。

 開けて中を見てみる。洋服やタオルばかりだ。勇者の情報に繋がるものはないだろうか。変な仮面が出てきた。あの仮面男のものと似ている。勇者もそういう趣味があったのだろうか。

 次は紙が出てきた。広げてみる。

 

 『冒険者ギルド 寄生生物討伐依頼書 受理』

 

 間違いない! これだ!

 今から探しに行くってことか。今度こそ倒してやるぞ。寄生さえされなければ大丈夫だ。この力があれば倒せる。しかし、ヤツは一体どこにいるのだろうか。恐らくまだこの近くにいるはずだ。何ならもう、すでに……。

 

「ん?」

 

 バックパックを閉じようとしたとき、一冊の本が入っていることに気づいた。取り出して見る。

 

『僧侶の日記』

 

 なぜこんなものが勇者の荷物に入っているのだろうか。仮面男に目を向けたとき。

 

「おい勇者、もたもたしてんじゃねぇよ!!」

 

 戦士の怒声に、身体がビクりと反応した。とっさに日記を懐にしまった。見られてはいけないもののような気がする。

 後方へ振り向く。怒りに染まった顔があると思いきや、戦士も仮面を被っていた。そして、彼の背中で、巨大なオノが鈍く光を発している。

 魔法使いも似たような仮面をつけている。

 

「さっさとしろよ」

 

 言いながら、魔法使いと共に自分の荷物をこちらに放り投げてきた。持てということだろうか。彼らはこちらに背を向け、部屋を出た。全員分の荷物を持って後を追う。廊下に出ると、戦士がこちらへ振り向き、足を止めた。

 

「お前……! 何で顔さらしてきてんだよ! 仮面つけろよ!」

「えっ……!?」

 

 怒りの籠った小声で戦士が詰め寄ってくる。

 

「仮面持ってんだろ、早くつけろよ!!」

「あ、ああ……」

 

 きっとあれのことだ。急いで荷物を下ろし、中に手を伸ばした。あった。

 

「ありえないんだけど」

 

 魔法使いがため息をついたのが分かった。

 震える手で仮面を自分の顔に被せた。

 なぜこんなことをしなければならないのか。これから彼らは何をするつもりなのだろうか。胸がざわついた。よくないことのような気がする。

 

 階段を下りてすぐ、戦士が巨大なオノを振り下げた。

 

「おりゃあああ!」

「ひいいいい!?」

 

 オノがカウンターテーブルに激突し、粉砕された。木の破片が飛び散る。店主が尻餅をついた。戦士と魔法使いが引き出しの中を漁り始めた。コインや紙幣を袋の中に入れていく。

 店主が「ああっ……あぁっ……」と、言葉にならない声を出している。顔が恐怖に歪んでいる。

 

「はぁ? これしかないの?」

「しけた宿だからしゃぁねぇだろ。次行くぞ」

 

 戦士と魔法使いは速足に宿を立ち去った。仮面男も後を追った。

 俺と店主だけが、この場に残った。

 

「もっ……もう勘弁してください……! どうか、どうか命だけは……!!」

 

 店主は地面に両手をつき、俺に頭を下げてきた。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。必死に命乞いをしている。

 

「あっ、いや……」

 

 後退る。俺もあれと同じに思われているということなのか。これじゃあ、まるで……。

 彼に背を向け、その場から走り去った。これ以上いられない。あのまま店主の姿を見ていたら頭がどうかしてしまいそうだ。

 

「いやあああああああああ!」

 

 悲鳴が聞こえてきた。心臓がゾクりと脈打った。

 外へ出る。その光景を見て、自分の目を疑った。

 

「おらおら命が惜しけりゃ金出せ金!!」

 

 戦士がオノを振り回している。家のドアを破壊し、問答無用で押し入っていく。

 

「助けて!!」

 

 泣き叫びながら、女の人がこちらへ向かって走ってくる。縋るように、手を伸ばしている。

 瞳から、大粒の涙が溢れていた。

 彼女の首を、魔法使いが掴んだ。

 

「その顔燃やされたくなかったら大人しくしてな!!」

 

 そのまま首飾りを力ずくではぎ取った。魔法使いは転倒した女の人には目もくれない。

 

 手から荷物がドサりと落ちた。

 目の前にあるのは、手当たり次第に民家や店を襲い、理不尽に金品を取り上げる仲間の姿だった。

 おかしいとは思っていた。こんなの、蛮行じゃないか。違う。あまりにも違いすぎる。

 恐怖の叫び声が耳の中へこびりつく。人々が逃げていく。あの顔を見て何も思わないのだろうか。戦士は笑っている。楽しんでいるのだろうか。異常だ。

 魔法使いは、イラついている。切羽詰まっているような、そんな顔だった。

 

「おい魔法使い!」

「わっ、分かってるわよ!」

 

 魔法使いは家々へ杖を向けた。

 

「フレイゾーマ!!」

 

 杖の先から大きな炎を連続で飛ばした。建物が一瞬にして炎の海に包まれた。

 

「よっしゃ、ずらかるぞ!!」

 

 焦げた臭いが鼻をつく。村がメラメラと燃えている。黒い煙が上がっている。罪のない人々の、弱者の居場所が今、消え去ろうとしている。俺の、仲間の手によって。

 

 ふと、過去の記憶が頭を過った。

 『今回も村が全焼してたんだってな。何か火吹くらしいよ』

 

 まさか、その真犯人は――

 

「おい勇者!! てめぇ何ぼーっとてんだよ早く逃げるぞ!!」

 

 

 

 その先はよく覚えていない。気付けば森の中、四人で焚火を囲んでいた。

 

「今回ダメだわ。はした金しかなかったな」

「ほんと最悪」

 

 薄闇の中で札束を数えながら戦士と魔法使いが言った。

 

「おい勇者」

 

 ギロリ、と戦士の目が焚火の炎に反射して光った。重く、のしかかるような声だった。

 

「お前あれはなんだよ。仮面つけてくんの忘れるしいつまで経っても逃げねぇしよぉ」

「いっ、いや……」

「あんたさ、せめて荷物持ちぐらいはしっかりしてよ。あたしたちが金稼いでやってんだからさ」

「あ、ああ……すまん……」

 

 勇者はこれを容認していたのか。情けない。謝っている自分が、情けない。

 かなり手慣れていた。多分常習犯だ。こんなことをこれからも続けていくのだろうか。

 

 戦士が「クソッ!」と吐き捨て、体をブルりと震わせた。魔法使いも「最悪」と言いながら自分の体をさすっていた。気分悪そうだ。

 しばらく沈黙が続いた後に「なあ」と戦士が口を開いた。

 

「思ったんだけどよ、今日のお前おかしくねえか」

「それあたしも思った。なんというか、別人と話してる感じ」

 

 戦士も魔法使いも、こちらを睨んでいる。

 

「えっ、いっ、いや……」

 

 まずい。気付き始めてる。

 

「そっ、そんなことないぜ」

 

 誰も何も反応しない。戦士も魔法使いも、真顔でこちらを見ている。針のような視線が突き刺さる。気まずい沈黙が流れている。

 

「戦士も魔法使いも顔色が悪いが、大丈夫か」

 

 静寂を破ったのは、仮面男だった。

 

「あぁ? んなん今は関係ねぇだろ」

「あたしたち勇者の話をしてるんだけど」

「大ありだ。不調時は何でも歪んで見える。気にし過ぎだ」

 

「けどよ……」と、戦士が不服そうに漏らしたが、仮面男が「ところで」と声のトーンを上げて遮った。まさか彼に助け舟を出されるとは。

 

「勇者。今日、僧侶から俺に連絡があった。予定が変更になって今から戻ってくるそうだ」

 

 戦士と魔法使いが「は?」と声を上げた。

 僧侶はこの仮面男じゃなかったのか。そうなると、コイツの正体について疑問が生まれる。

 だが、僧侶がパーティを離れてどこに行っていたのかも気になる。

 

「あ、ああ。分かった。予定変更って、何かあったのか?」

 

 戦士と魔法使いが再び俺を見た。口を開けている。驚愕しているようだ。まずいことを言っただろうか。今の質問は問題なかったと思うが。

 

「えっと、あれだよ。予定変更って、いろんな要因があるものだろ?」

 

 自分を守るように、手の平を相手に向けた。

 なぜだ。戦士と魔法使いの顔がみるみる険しくなっていく。

 

「やっぱりな」

 

 仮面男が言い、立ち上がった。

 やっぱり? どういうことだ。理解が追い付かない。

 

「しかも、そいつの首後ろに傷があった。もう間違いない」

 

 瞬間、戦士がこちらに接近してきた。

 

「おっ、おい!」

 

 首元のマントを掴んで俺のうなじを覗き込んできた。

 

「やめろ!!」

 

 彼の手を振り払い、俺は首後ろを手で押さえた。ズキりと痛みが走った。

 戦士の肩が震えている。火に照らされた眼光がメラメラと燃えている。

 

「騙しやがって……! この寄生生物め!!」

「…………え?」

 

 激しい剣幕を滾らせ、戦士がオノを構えた。彼だけではない。仮面男は後ずさり、魔法使いはこちらに杖を向けている。先端の玉に反射した炎が、赤く揺れている。今にも業火が飛んできそうだ。

 

「ちょ、ちょっと待て。寄生生物ってどういうことだよ」

「とぼけんじゃねぇ!!」

 

 戦士がオノを振りかぶる。後方へ飛び、かわした。斬撃が地面に激突。土が飛び散った。

 俺は背を向け、走り出した。話し合いが出来る状態じゃない。

 

「待て!!」


  木々の間を駆け抜けていく。暗闇なのに視界が鮮明だ。これが勇者の目か。

 

「ボムラズン!!」

 

 爆発が巻き起こった。盛大に土が噴出した。足元がぐらつく。地面を強く蹴る。離れた場所へ飛び、回避した。そして目を疑った。その先に、戦士がいたのだ。

 

「おらあああああ!」

 

 オノが接近してくる。右肩へ手を伸ばし、抜刀。刃と刃が激突した。衝撃が両手から身体に伝わってきた。強い。手が痺れる。俺は後方へ飛ばされた。手から剣が離れ、地面を転がった。

 

「やっぱり、なっ……勇者の戦い方じゃねぇよ……ふー、ふー……剣の使い方が、まるでド素人じゃねぇか」

 

 戦士の呼吸が荒い。肩を大きく揺らしている。こちらに近づいてくる。後退る。

 

「まっ、待て! 俺は寄生生物じゃない!」

「この期に及んでまだそんなん抜かすか! 首後ろの傷が何よりも証拠じゃねぇか! はー、はー……どうせそこから入り込んだんだろ? 寄生生物さんよぉ!」

「違う! この傷は……」

「じゃあ何だ! 答えてみろ!!」

「それは……」

 

 分からない。勇者はなぜこんな誤解されるような傷を負ったんだ。事前に説明しておけよ。

 

「はぁ……はぁ……やっぱ答えらんねんじゃねぇか! このクソヤロウが!!」

 

 

 戦士がオノを掲げた。万事休すか。と思いきや、彼の足がふらついた。倒れる寸前でオノを支えにし、もたれかかった。

 チャンスだ。俺は駆けだした。助かった。思えば戦士も魔法使いも体調が悪そうだった。

 後方から「待て」という言葉と罵倒が聞こえる。待てと言われて誰が待つもんか。

 

 暗闇の中を駆け抜ける。走った。ひたすら走った。どこまで行っても木々が続いている。先が見えない。

 徐々にペースを落としていく。激しく呼吸をしながら森の中を歩く。静かだ。もう戦士の声は聞こえない。うまくまいたようだ。

 月明かりに照らされた岩が、近くにあった。吸い寄せられるように近づいて腰かけた。暗かった視界が鮮明になった。満月が輝いている。

 冷たい風が高温の身体を冷やした。心地いい。

 

 なぜこんなことになってしまったのだろうか。俺が寄生生物だって? 

 確かに、喋り方は本人と違っていたかもしれない。でも普通、あんな早く寄生生物だと断定するだろうか。意味が分からない。

 仮面男は僧侶が戻って来ると言っていた。予定が変更になったとかなんとか。俺が答えた途端に血相を変えていた。何がよくなかったんだ。おかしな回答はしていないはずだ。

 そもそも僧侶はどこに行ってるんだ。

 

「あ……」

 

 俺は懐に手を伸ばした。取り出したのは、『僧侶の日記』だ。

 すっかり忘れていた。これを見れば何か分かるかもしれない。俺はページをめくった。

 

『僧侶の日記。

 

 国王の命により、勇者一行が結成された。

 私の役割は回復要因として彼らを支えること。それが神に仕える者としての義務であり、また己の誓いでもあった。私が教会から指名されたのは、回復魔法の専門家としての資質と、まれにしか使い手のいない即死系の呪文を扱えるという理由による。仲間を癒し、敵を討つ。その二つを担うことこそが、私の存在意義であった。

 だが同時に、国王から密かに下された命――勇者暗殺――その重荷は私の胸を焼き続けていた』

 

「なんだって!?」

 

 そもそもなぜ俺はこの身体に転生できたのか? 勇者が生きていなかったからだ!

 じゃあなぜ死んだ? 僧侶に暗殺されたのか!

 彼は勇者を殺害した後はどうしたのだろうか。きっと逃げたんだ。

 

『勇者は早々にそれを悟っていたのだろう。彼の眼差しは、真実を知りつつも敢えて沈黙を選んだ者のそれであった。私が剣を振るわぬことも、刃を隠すことも、彼は全て見抜いていた』

 

 勇者は知っていたのか。自分の命が狙われていることを。その相手と旅をしなければならない。どんな心境だったのだろうか。

 一行の旅が始まった。序盤からパーティの関係はギスギスしていた。ここまでは『週刊冒険の書』とほぼ同じだ。

 

『やがて魔法使いが体調を崩し、何度も旅は足止めを食らった。戦士が資金を私欲に費やしたことも重なり、金は瞬く間に尽きた。焦燥の中で、戦士は魔法使いをそそのかし、ついには村を襲うに至った。血と炎で得られたものに、勇者も私も救われていた。私もまたその恩恵を受けた一人だった。何も言えぬ自分が情けなかった』

 

 彼らを最大限苦しめていたのは魔王軍ではなかった。金だったのだ。

 

『その中で、私にとって唯一の救いが勇者だった。彼との絆は強かった。かつてモンスターにさらわれた少女を、共に救い出したことがある。だが、あれはほとんど勇者の力だった。私は無謀に突っ込み、命を落としかけただけ。そんな私を助けに来てくれたのは勇者ただ一人だった。彼こそが、真に友と呼べる存在であった。

 しかし、その勇者もまた、荒んでいく仲間たちを止めることが出来ず、自らを黙して前に進んだ。私と同じように。いや、私よりも重いものを背負って。

 だが、これ以上は許されぬ。神は私の沈黙を赦さないだろう。寄生生物討伐の依頼の最中であったが、私はついに決意した。この腐敗を告発し、正すことを』

 

 ページはここで終わっていた。

 結局、僧侶の告発は表ざたになっていない。じゃあ彼は考えを変えたのだろうか。もしくは、できなかった。妨げられたということだろうか。

 

「ここにいやがったか。寄生生物め」

 

 その声に、心臓がドキリと脈打った。

 暗闇の中から近づいてくる、黒い影。姿がだんだんと鮮明になっていく。鋭い目をギラつかせた戦士が、オノを肩に担いでいた。

 見つかった。立ち上がり、後ずさる。

 

「今度こそ……ぶっ殺してやる!!」

 

 威勢はいいが、さっきよりもしんどそうだ。この極寒の中でかなり汗をかいている。顔が真っ白だ。

 

「ほ、本当に違うんだ。俺は寄生生物じゃない!」

「まだぬかしやがるか!!」

 

 重たい斬撃が降りかかる。しかし、刃は大きく逸れ、見当違いの場所に激突した。

 

「おめぇはな……はぁ、はぁ……勇者になり切れてねんだよ」

 

 深く食い込んだオノにもたれかかりながら、彼は言った。

 

「だっ、だから……」

「僧侶が戻ってくるわけねぇんだよ! あいつはもうとっくに死んでるんだからな!」

「へっ……?」

 

 僧侶が、死んだ? じゃあ、なぜ、どうして。わけがわからない。言葉が出てこない。

 

「初めて知ったって顔だな」

「あっ……いや……」

「気になるか」

 

 ささやくような声で、彼はニヤっと笑った。

 気になる。しかし、ここで頷いてしまえば、俺が勇者でないことを完全に認めることになってしまう。ほぼほぼバレてはいるようだが。弁解しても、多分無理だ。いっそのこと聞いてしまおうか。

 

「まぁ冥途の土産に教えてやるよ」

 

 地面からオノを引き抜いた。再び肩に担ぎ、ゆっくりと、迫りくる。

 辛そうではあるが、楽しんでいるようにも見える。他人の不幸を話したくてしょうがない、そんな顔をしている。

 

「僧侶はな――」

 

 俺は唾をゴクリと飲み込んだ。ついに、聞ける。彼に、いや、彼らに何があったのか。

 ところが、彼は「うっ」と声を上げた。足がふらついている。手からオノが離れる。落下すると同時に、彼の膝が砕けた。

 

「うううっ……」

 

 呻いている。苦しそうだ。心臓を押さえたまま地面に倒れこんだ。

 

「……」

 

 動かない。急にどうしたのだろうか。

 

「お、おい」

 

 返事がない。ゆっくりと近づいてみる。突然起きてこないだろうか。横から顔を除いてみ

 る。

 

「ひつ」

 

 その場でしりもちをついた。

 口から舌がだらりと出ていて、目は開いたまま一切瞬きをしない。目の焦点が合っていない。ついさっきまで瞳に宿っていた光が完全に消えていた。

 死んでいる。なぜ。確かに体調は悪そうだった。それにしたって、いきなりこんなことになるだろうか。

 顔が真っ白だ。唇も青白い。

 

『乗っ取らずに宿主の血全部吸って殺すこともあるんだってよ』

 

 まさか、寄生生物にやられたのか。

 実は彼に寄生していて、宿主を殺すことにした。なぜ。

 宿主を変えるためか。そして今、この中に寄生生物がいる。

 

 俺は後方へ飛び跳ねた。

 どうする。出てきた瞬間を狙い撃つか。しかし、ヤツの力がどんなものなのかは分からない。まだ公開されていない能力があるかもしれない。じゃあ逃げるか?

 

「ひっ」と、後方から声が聞こえた。振り向くと、魔法使いが尻餅をついていた。必死に後退っている。肩を震わせ、何かを呟いている。彼女の視線は、戦士の遺体に向けられていた。

 

「まっ、待てっ、これは……」

「何でぇ……? 何で……何で何で何で何でぇ!? 何でよ!!」

 

 声は徐々に大きくなっていき、奇声にも近い叫び声が森の中をこだました。首を左右に激しく振っている。わけが分からないといった様子で、両手で頭をかきむしっている。今にも泣きそうだ。

 

「あっ、あれだ、寄生生物は戦士に寄生してたんだよ。それで、コイツの血を吸い取って……」

「違うわよ!! それは毒で死んだのよ!!」

「…………は?」

 

 再度戦士を見やる。なぜ毒だと言える。なぜそう断定できる。

 

「いっ、いや、だって、死に方が寄生生物と同じじゃないか。なんでっ……」

「そんなのデマよ!! 勇者を騙して僧侶を殺すために流したデマなの!! あたしたちが僧侶に使った毒が戦士に使われたのよ!!」

「なっ……」 

 

 ピタっと、風が止んだ気がした。森のざわめきがなくなった。聞こえるのは、自分の心臓の音だけだ。

 

「もしかしたらあたしにも使われてるかもしれないわ。ねえ、あんた解毒薬持ってないの!? この際だから寄生生物でも何でもいいわ! あたしを助けてよ!!」

 

 情報を頭の中で整理する間もなく、魔法使いが畳みかけてきた。俺の腕を掴んで詰め寄って来る。

 

「いっ、いや……」

「ちゃんと見なさいよ!! ほんとはあるんでしょ!! 渡しなさいよ!!」

 

 充血した目から、大粒の涙が流れ出た。思い通りにならず駄々をこねる子供だ。離れようとしたとき、彼女が動きを止めた。口がパクパクと動いている。声にならない声を絞り出そうとしているみたいだ。その目は、俺の後方へ向けられていた。何かあるのか。振り向く。

 

「いっ、いやああああああああああああああああああああああ!!」

 

 魔法使いが、発狂した。

 それも当然だった。彼を目にしたとき、俺も自分の目を疑った。

 そこに、黒いマントを着た人物がいた。フードを目深に被っている。

 

「あっ、アイツ……!!」

 

 あのとき、俺を殺した男だ。

 彼は被っていたフードを取り、その顔が露わになった。髪を全部剃っていて、黒縁メガネをかけた男だった。

 

「ウソよ……ウソよウソよ、ウソ!! そんなのウソ!! 何でいるのよ!! どういうこと!?」

 

 魔法使いの目の焦点が合っていない。起こった出来事をひたすら拒んでいるように見える。やっぱりアイツが僧侶なんだ。でも彼は死んだはず。

 

「……うっ」

 

 言葉の途中で、魔法使いは胸を押さえた。苦しそうに屈んでいる。戦士と同じ動きだ。

 やはりというべきか、そのまま倒れて動かなくなった。多分、死んだのだ。顔が真っ白だ。

 戦士の身体から、寄生生物は出てこなかった。じゃあ、やっぱり魔法使いの言う通り、その毒で死んだのか。

 

「白化毒だな」

 

 抑揚のない声がし、俺はとっさに振り向いた。

 戦士の遺体の前に、あの仮面男がいたのだ。しゃがんでじっと見つめている。

 

「どうやら俺たちの負けのようだ。お前の策略か、僧侶」

 

 仮面男は立ち上がると、こちらへ歩いて来る僧侶の方へ顔を向けた。俺には一切目もくれない。

 

「私ではない」

 

 落ち着いた声で、僧侶が返事をした。

 俺を殺したあの男と、違う。声も、喋り方も、振る舞いも。体つきもそうだ。彼は細身で、あんなにガッチリしていない。

 

「ほう。じゃあ勇者か。それなら大したものだ。戦士のように戦闘だけのノウキンではなかったということか」

「あのような愚者と勇者を同列に扱うとは、貴様の目は節穴のようだな」

 

 僧侶は眉を吊り上げ、目を細めた。その声にも瞳にも静かな怒りが交っていた。

 

「あ奴は全てを見抜いていた。貴様らが私を殺害しようと計画していることも、白化毒なる毒薬を保有していることも。それは服用から数時間後に死に至り、顔面蒼白になる」

 

 俺は戦士と魔法使いの遺体に目を向けた。やはり顔が白い。寄生生物に殺されたと思っていた。しかし、俺はその寄生生物を一度として見たことがない。

 

「貴様らはメディアを利用し、偽情報を流した。寄生生物に殺されれば顔面蒼白になるなんていうデタラメを。私が寄生生物に殺されたと見せかけるために」

「ご名答。まさかそこまで見破られていたとはな」

 

 仮面男の声は落ち着き払っていた。彼は今、どんな表情をしているのだろうか。あまり動じていないように見える。

 

「昨日の私の食事に、白化毒を混ぜたのだな」

「だが、あのとき既に、お前は解毒薬を飲んでいたわけだな」

「左様」

「昨日は野宿だったな。お前は夜中に起き上がり、体調不良を装ってどこかに行った。タイミングよく勇者が起き上がってお前を追いかけた。戦士も、魔法使いも、俺も。すると、僧侶らしき人間が倒れていた。顔面蒼白で、確かに息がなかった。間違いなく死んでいた」

 

 僧侶が、死んでいた? それはありえない。だって目の前にいるのだから。きっとそのような偽装工作をしたのだ。

 

「いやでも、僧侶は確かにそこに……」

「黙れ寄生生物」

「なっ……」

 

 仮面男は俺に一瞥をくれてから、再び僧侶の方へ向き直った。

 僧侶はバツが悪そうに、目を逸らした。口を固く閉じている。

 

「俺たちを欺くために、お前と勇者でどこかから偽物の遺体を用意した。髪を剃り、白い粉を塗りたくって服を着せ、メガネをかけさせればそうそう簡単に判別はできまい」

 

 僧侶は黙ったまま、答えない。なぜ否定しないんだ。頼む。違うと、勇者はそんなことしていないと言ってくれ。

 続きを促すように、風が流れた。僧侶が答えないまま、仮面男が続けた。

 

「遺体を事前にあの場に配置し、お前は気分が悪い振りをして姿を消した。その後勇者が第一発見者となった。遺体を埋葬した後、俺たちはあの村に向かったわけだが、お前はずっと俺たちを監視し続けていた。違うか」

 

 しばらく間を置いてから、僧侶はその硬い口を開いた。

 

「どこから気付いていた」

「夜中にお前が起き上がったときから、おかしいとは思っていた。お前も勇者も芝居がかっていたらな。戦士と魔法使いの目はごまかせたようだが。しかし、俺もお前たちの殺害計画まで見抜くことはできなかった。村に行った後、ずっと考えていたよ。何かある、とな。俺としたことが、考えに耽っている間に毒を盛られるとはな」

 

 目の前がぐらりと揺れた。息が苦しい。肺が空気を拒んでいる。

 

「度重なる悪事と蛮行。もうすでに勇者パーティは破綻していた。取り返しのつかないところまで来てしまっていた。このようなことになり、勇者は責任を感じていた。いつしかこの事実が露呈するであろう。あ奴はパーティの長として、自らの責任を果たしたのだ」

「だろうな。こんなことが世間様に知れ渡れば英雄としてのメンツが丸つぶれだ」

 

 仮面男の言葉に、僧侶が口を引き結ぶ。反論したげに、目を細めている。

 

「貴様らの命が尽きたそのとき、私は――いや、私たちは、全てを告発するつもりだった」

「ところが、とんだ誤算があった。お前にとっても、俺にとってもな」

 

 仮面男が一度話を区切った。僧侶の言葉を待っているかのようだ。しかし、彼は一向に口を開こうとしない。ただ、仮面男も、僧侶も、何かを知っている。俺の知らない事実を。そんな予感がした。

 

「勇者は既に寄生生物に侵されていた。魔王を討伐して、すぐの頃だ」

 

 それは、本当なのか。俺が転生する前じゃないか。両手を見る。この身体に、寄生生物だと。

 

「魔王を討伐したぐらいから様子が変だとは思っていた。案の定、首後ろに傷があった。どこで入り込んだのかは不明だが」

 

 確かに首後ろには傷がある。でも根拠としては弱い。それとも実際に見たというのだろうか。

 

「勇者は昼頃に宿を出て行った。アイツはお前と落ち合ったんじゃないか」

「左様……あ奴から、白化毒を飲み物に仕込んだと報告を受けた。数時間後に死ぬだろうということも……」

 

 僧侶の顔が曇った。あんなヤツらでも、手に掛けたことが痛ましいのだろうか。それとも、あの顔はそのときの勇者の表情を再現しているのだろうか。

 

「そこで、勇者に寄生生物がいることを知ったということだな。アイツから告白したのか」

「……うむ。あ奴は、寄生生物の支配に抗っていた。だから、こう私に告げた……殺してくれ、とな」

「殺害方法は、即死系魔法か」

 

 僧侶はゆっくりと頷いた。とっくに、寄生生物は討伐されていた。彼の手によって。勇者の命と引き換えに。仲間を手に掛けた僧侶は、どんな気持ちだったのだろうか。

 

「後は俺たちが死ぬのを待ち、全員が寄生生物に殺されたというシナリオを作り上げれば済む、はずった。ところが、死んだはずの勇者が起き上がった」

 

 二人同時に、こちらを見た。突き刺すような視線が俺の胸を射抜いた。

 彼らにとって、俺は得体の知れない存在。この流れで勇者だと名乗ることはさすがにできない。記憶がないと言うか。いや、ここまで来たらもうムリだ。誤魔化せない。

 

「わっ、分かった……! 認める。認めるよ。俺は勇者じゃない」

「ようやく認めたか。寄生生物め」

「違う! 俺は寄生生物じゃない! それは本当だ!! 寄生生物なら僧侶が殺したじゃないか!」

「いいや、お前は寄生生物だ。俺は推理を外さない」

「その身体から離れろ……! 寄生生物め!」

 

 空気を切り裂く音。僧侶の腕から黒いものが放たれた。横に飛ぶと、それが地面に突き刺さった。黒い刃物だった。しかも、見覚えがある。

 再び僧侶に目を向けると、彼は憎しみの籠った目で、こちらをじっと見つめていた。

 坊主頭にいくつもの青筋が浮き出ている。彼は右手に黒いボーガンを装着していた。セットされた漆黒のナイフの先端が、俺に向けられていた。そのナイフには、見覚えがあった。俺が勇者として目覚めたときに、襲ってきたナイフと恐らく同じものだ。

 僧侶は勇者を殺した後、俺が勇者として起き上がったのを見ていた。あの黒いマントを着て。そして、襲撃してきたということだ。

 じゃあ、俺を殺したあの男は一体誰なんだ。

 

「僧侶、慌てるな。この寄生生物はずいぶんと知能が低いようだ。人間と比べれば平均より少々下ぐらいだろう。自分の能力にすら気づいていない」

「貴様に教示される筋合いはない」

 

 自分の中にある糸がプツンと切れたような気がした。気に食わないとは思っていた。人を見下したような、バカにしたあの態度も、発言も。

 

「おっ、お前一体何なんだよ!」

 

 仮面男を指さし、声を張り上げた。こうなればもうやけだ。

 

「何で勇者パーティにいるんだよ。お前なんか『週刊冒険の書』に載っていなかったじゃないか」

 

 数秒の沈黙の後に、彼は応えた。

 

「載ってたさ」

「は?」

 

 記憶を探る。こんな仮面がいたら印象に残っているはず。

 

「何言ってんだよ。お前なんかいなかったぞ」

「いたさ」

 

 おもむろに、彼は仮面を持ち上げた。それを取り、素顔が露わになった。

 その顔を見て、ハッとなった。

 

 いた。確かに載っていた。あの抑揚のない声からは想像できないほど爽やかないでたちで、整った顔立ちの好青年。

 

「『戦場の記者』……」

 

 独占で取材し、勇者パーティにとって都合のいい情報――いや、物語を流すことができたのは、そういうことだったのか。

 

「最後に言っておく。俺は推理を外さない」

 

 彼の手から、仮面がこぼれ落ちた。そして彼自身も倒れた。皮膚や唇が白く変色していく。死んだのだ。

 

「残るは寄生生物のみ。貴様を殺す準備はとうにできている」

 

 僧侶が杖をこちらに向けてきた。反射的に、両手を上げた。

 

「が、最後にチャンスをやろう」

「え?」

「その身体から出ていけ。私もその身体を二度も殺したくない」

 

 静かだが、力強い口調で彼は言った。激しい形相で俺を睨みつけている。

 

「……いやっ、それは無理なんだ」

「なぜだ!? まだ勇者の身体を汚すというのか!!」

「だから俺は寄生生物じゃないんだって。抜けられないんだよ!」

「まだそのようなことを抜かすか、たわけ!!」

 

 杖の先端の赤い球がギラりと光った。刃物を突き付けられているようだ。

 

「勇者がどのような思いで死んでいったのか、貴様には分かるまい……!! 最後の瞬間、あ奴は涙を流していた。自らの過ちを、責めていた」

 

 その口から呪文が放たれるかと思いきや、彼はささやくように言った。その声が、徐々に悲しみを帯びていく。

 

「私のダミーとして使われた遺体は、我々と同じ十代の少年だった。腹部に大量の血がついていた。刃物のようなもので刺されたのだ。恐らく、勇者が殺めたのだ」

 

 目の前がグラりと揺れた。聞きたくなかった。どうせなら黙っていてほしかった。

 

「さぞ苦しかっただろう。あの少年がどこの誰なのかは、最後まで答えてはくれなかった。ただ分かるのは、孤独だったということだ。勇者はそのような人間を募集したのだ。消息を絶っても捜索されないような、孤独な人間を」

 

 なぜか自分の心臓が強く反応している。彼の口から言葉が出てくるたびに、鼓動が激しくなっていく。

 

「彼のカバンから、『冒険者募集』の張り紙が見つかったのだ」

 

 自分の顔から、さあっと血の気が引いていくのが分かった。冷たい声が頭の中で響いている。

 孤独な人間。冒険者募集の張り紙。全てが繋がった。バラバラに切れた線が一本に、綺麗にまとまった気がした。それが、急速に熱を帯びていく。

 

「その紙には、仲間ができるといううたい文句が書いてあった。その者はきっと、ただ仲間が欲しかっただけの孤独な人間だったのだ。そんな罪なき人間を、勇者は手にかけた。彼は最後まで苦しみ、強い罪悪感と共に死んでいった。私のために」

 

 俺は拳を強く握りしめた。その勇者が、あのとき俺を殺した黒マントの男だったのだ。善人ズラして俺に近づき、寄生生物の力を使って、俺を殺した。

 撒かれたエサにほいほいと釣られ、俺はまんまと利用されたのだ。

 

「あ奴はもう報いを受けたのだ。せめて、死んだ後は安らかに眠らせてやりたいのだ……! この通りだ……! 頼む!!」

 

 泣いてやがる。自分に酔いやがって。

 勇者がどんな思いで死んでいっただ? 知らねぇよ。理不尽に殺されて、関係のない他人の食い物にされた被害者よりも、殺人者のお友達かよ。罪悪感だ? 当たり前だろ。

 

「いやだね」

「この、外道め……!! こうなれば容赦はせぬ!! 『デス・キーマ』!!」

 

 僧侶の杖から、黒紫の禍々しい光の玉が放たれた。それは形を変え、ガイコツの亡霊と化した。

 

「何が報いを受けただ。被害者ズラしやがって」

 

 ふつふつと、俺の中で黒いものが煮えたぎっている。急激にせり上がって来る。身体から溢れ出てきそうだ。

 

「うあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 とうとうそれが出てきた。両手が黒く鋭い剣と化していた。身体が浮いた。浮遊している。背中から黒い翼が生えていた。

 これは、人間ではない。

 

「正体を現したな!! 寄生生物め!! だが、ここで終わりだ!!」

 

 声の無い嘆きを上げ、亡霊が俺に群がってくる。心臓のあたりを狙って。

 邪魔だ。俺は剣と化した腕を振り上げた。ヤツらが真っ二つに切り裂かれた。無音の叫びを上げ、それは消えた。大したことないじゃないか。

 

「なっ、なんだと……!? 最強クラスの即死系魔法っ……!?」

 

 言い終わるのを待たずに、今度は僧侶の腹部を突き刺した。引き抜くと、血が吹き出た。

 

「きっ、貴様……!」

 

 僧侶の膝が砕けた、草むらがその身体を受け止めた。既に目の光は無くなっていた。草が黒く染まっていく。

 俺は翼と剣を引っ込めた。すぐに人間の手に戻った。

 

『俺は推理を外さない』

 

 彼の言葉が、脳裏を過った。当たっていた。俺は、勇者じゃなかった。もはや人間ですらなかった。

 

 眼の前が暗くなっていく。意識が遠のいていく。全身から力が抜けていき、俺は倒れた――いや、勇者の身体が、倒れたのが分かった。同時に、胸の中で膨張していた黒いもやが、すうっと消え去った。何も感じない。暗闇の中をただ彷徨う。上から月明かりが差し込んでいる。無数にある手足を動かし、登っていく。

 

 顔を出した場所が勇者の首後ろだということはすぐに分かった。ムカデのような手足。長く黒い身体。

 仮面男の言う通り、この生物は勇者の首後ろを切り裂いてここから入り込んだのだ。僧侶の『デス・キーマ』によって、彼とコイツは死んだ。そして、俺がこの得体の知れない生物に転生した、ということだったのだ。

 

 再び、俺は勇者の中に入り込んだ。目を開ける。息を吸い込みながら身体を起こした。

 四つの死体が転がっていた。こんなはずじゃなかったのに。俺はただ、仲間が欲しかっただけだったのに。

 胸元を両手で強く抑えた。心臓を強く握られているような、そんな感覚だった。肺に空気がうまく通らない。呼吸することを拒んでいるみたいだ。この身体を離れていたさっきまで、何も感じなかったのに。あの生物として、自分が手足をうねうねと動かしている感覚が、蘇ってきた。

 

「うっ」

 

 口元を手で押さえた。

 俺は立ち上がり、仮面男――いや、『戦場の記者』から黒マントをはぎ取り、羽織った。

 

 俺はこれからどうなるのだろうか。勇者一行が遺体で発見されたとなれば大事件になる。しかも、寄生生物討伐クエスト中に。冒険者たちが、警備隊が、軍隊が、躍起になって俺を探すかもしれない。とにかく逃げるしかない。

 宿主を変えるか。いや、またあんな姿になるのはもうごめんだ。それに、勇者の力を手放すわけにはいかない。

 

「……腹減ったな」

 

 何でもいい。何か食べよう。

 周囲には木々が並んでいる。どこに行けば町にたどり着くだろうか。分からないが、とにかくここから離れたい。俺は歩を進めることにした。先の見えない暗闇に向かって。


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