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四節『重なっていく歪み』

「いやぁ買った買った。鵺、随分太っ腹じゃない?私には買ってくれないのに」


「お前は強請るにしたって敦也が居るだろ。それに、今回は急を要するからってだけだ」


 チラリと背後に視線をやれば、昼までの趣深い和装とは一転、年頃の少女らしい洋服に着替えた日葵の姿がそこにはあった。

 彼女が奏の着せ替え人形にされることおよそ二時間。鵺の両腕に下げられた紙袋の中には、元々日葵が身に纏っていた和装に加え、追加で購入した十近いレパートリーの着替えが収まっている。


 早速奏の手によって着替えてさせられた日葵は、今やフリルがふんだんにあしらわれた純白色のワンピースにレース生地のカーディガンと、現代らしい姿に様変わりした、という訳だ。


「……かなり手持ちは飛んだな」


「いいじゃないか。日葵ちゃん、喜んでるようだし」


 敦也も言うように、日葵自身としてもどうやらお気に召してはくれたようだった。時折ゆらゆらと体を揺らして身に纏う衣装を眺めては、僅かにだが頬を緩めている。普段の様子と比較しても、機嫌がいいのは明らかだった。

 隣でうんうんと成し遂げたような顔をしている奏は何となく癪に触ったが、彼女の助けが必要だったのもまた事実。今はスルーしておく事とする。


「……ありがとう、鵺」


「いいよ、どうせ使い道もないんだ」


 微かに足を早めて横に並んできた日葵が、そっぽを向いた鵺の顔を覗き込んで声を掛けてくる。何故だか妙に照れくさくなって視線を逸らせば、その先で絶妙に腹の立つ顔でニヤニヤと笑っている敦也の顔が映った。


「だっ、痛いっ、暴力反対!」


「やかましい。……で、奏。これ今どこに向かってんだ」


 明らかに面白がっている様子の彼にローキックを見舞いつつ、最前を意気揚々と歩く少女に問いかける。てっきりこのまま帰るものだと思っていたのだが、今歩いている方向は明らかに駅とは逆方向だった。

 彼女は鵺の問いに直接答える事はなく、懐から一枚の紙切れを掲げて見せる。小さい紙切れというのもあって一瞬何なのか分からなかったが、よく見れば描かれたロゴには見覚えがあった。


「ジャンカラのクーポン」


「そ。パパの会社の近くに新しくオープンしたんだけど、ご近所にルーム半額券配ってるみたいでね、私も貰ったの。せっかく人数いるんだから、活用しなきゃね。この後どうせ暇でしょ?」


「まあそりゃ暇だが」


 その手に握られていたのは関西ローカルのカラオケ施設のクーポン券らしかったが、別にそれ自体は鵺個人としては吝かではない。

 チラリと横に視線をやって、日葵の様子を見る。彼女はよく分かっていない、といった様子で首を傾げていたが、そもそも彼女の様子を見る限り、カラオケ自体過去に行った事はあるのだろうか。


「日葵、カラオケに行った経験はあるか?」


「からおけ……っていうのは、何?」


「そう来たか……」


 ――『神秘に触れたのはかなり昔のこと』という彼女の発言から、幼少期から真っ当な生活を送っては来れなかったのでは、とは何となく予想していた。

 だが、まさか知らないとまで言い切るとは思っていなかった。よほど激動の人生を過ごしてきたのか、この分では同年代の少年少女らが経験してきたであろう娯楽も殆ど知らずに生きてきた、とまで言ってきそうだ。


「……せっかくだ、行ってみるか」


「――?うん、分かった」


 ともかく日葵と、ついでに敦也の了承も改めて取った上でそのままカラオケ施設まで移る。事前にアプリで予約は済ませていたようで、受付すら経由せずに割り振られた番号の部屋までさっさと移動してしまった。

 想定はしていたが、やはり日葵にとっては随分と新鮮な経験だったようで、道中に飲み物を取りに行ったドリンクバーや部屋の中の実際の設備も含め、常にぐるぐると視線を右往左往させている。


「これは?」


「カラオケで使う音楽再生用の機械……って、分からん単語で分からん単語の説明されても意味不明か。まあ、好きな音楽を流してくれる機械だよ」


 日葵はイマイチ状況自体が飲み込みきれてはいない様子だったが、それがどういったモノであるのかは一先ず把握したらしい。おそるおそる、といった様子でタッチパネルをつついては首を傾げている。


「ここはね、さっきも言ってたけどカラオケって言ってね。まあ簡単に言うと、皆で好きに歌って遊ぼうっていう施設」


「……私、あんまり音楽はわかんないよ?」


「いいのよ。分からないなら分からないで、いろんな楽しみ方とかもあるから――ね、今日もやるでしょ、ミリしらチャレンジ」


「またやるのかよアレ、今回は何賭ける?」


「また、とかいってやる気満々じゃん。日葵ちゃん除いた最下位が今日の夕飯奢りでどう?」


「じゃあそれで」


「???」


 困惑する日葵を差し置いて、各々好き勝手に知りもしない曲を予約リストに突っ込んでいく。曲をあまり知らない日葵がいる場には確かに適切かもしれないが、流石にジャンルまで適当にしたのは拙かったかもしれない。

 採点機能に付随して出てくる音程ガイドと歌詞表示だけが頼りだが、少なくとも曲調を何となく掴めるようになる中盤まではボロボロになるのは目に見えていた。


「ばっかお前流石に演歌は無理だって」


「え、これ演歌なの?」


「タイトルで何となく察せるだろ!」


「よし行け鵺、前回優勝者だろ?」


「加減しろ馬鹿!!」


 聞いたこともない曲を交互に歌っていって、総合点数が高い者が勝ち――というありがちなルールだが、あまり楽曲を知らないという日葵がいるこの場には確かに適しているのだろう。

 ただ当の日葵に何の説明もないせいで暫く困惑は続いている様子だったが、一周が終わる頃には概要を把握したらしく、彼女はおそるおそるマイクを手に取る。


 彼女に割り当てられたのは、先ほども話題に出ていた、奏が適当に予約リストに放り込んだ欠片も聞き覚えのないタイトルの演歌。いくら何でも最初がこれは難易度が高いか、とは思いつつも経過を見守る。


「――、♪。――?」


 何とか音程ガイドを頼りに歌おうとしているようだが、やはりこれまでのものとも違って曲調が別物というのもあり苦戦している様子だった、が。


「……ぁ」


「日葵?」


 恐らくはサビパートなのだろうあたりで、不意に日葵が何かに気がついたようにポツリと声を漏らす。歌唱も止まってしまったので、何かあったのかと声をかけようか悩んだが、幸い彼女はすぐに歌唱を再開した。


「――――♪」


「……あれ?」


 奏が心底意外そうな様子で、そんな声を漏らす。とはいったが、何も彼女だけではなく鵺も、加えて敦也も意外な展開に目を見開いていた。

 彼女が何か気づいたように硬直して以降、それまでの手探りな歌唱とは激変して、一気に『それらしい歌唱』へと変貌していたのだ。勿論原曲を知っているわけではないので、あくまでそう感じただけという前提ではあるが。


「歌えてる……」


「これ結構昔の曲って書いてなかったっけ」


 曲名表示とともに出てきた年数表示では30年以上前との記載だった筈だが、少なくともこうして聞く限りはしっかりと歌えているように聞こえた。

 彼女が自分で言っていたように歌い慣れているといった様子ではないが、それでも元の歌を忠実になぞろうとしている事はわかる程度にはきちんと歌唱されている。彼女はこの歌を知っているというのは、間違いなさそうだった。


 とはいえ、本人も途中から思い出したといった様子を見るに、ほとんど記憶の片隅に押し除けられていた程度の記憶ではあったのだろうが。

 当然、採点機能によるジャッジは四人の中でも最高得点。流石に元曲を知っている相手には勝てない。


「……昔、よく流れてたから頭に残ってたの。途中が特徴的なリズムだったから、思い出した」


「意外な趣味……服も和服だったし、家がそういうお家だったのかしら」


 まあ実際珍しくはあるが、家族の影響を受けて昔の時代の曲にも造詣が深いといった若者もいない訳ではない。まして彼女のように、頻繁に聞く機会があったから自然と頭に残っていた、というのもよくある話ではある。

 鵺や敦也、奏らの親世代なんかは特にその時代で育ってきている世代だ。見たところ同年代程度に見える彼女の親が同様でも、何らおかしくはなかった。


「……でも、これ良かったの?ルール違反みたいな……」


「ああ、いいのいいの。流石に罰ゲームは日葵ちゃんに適用する気なかったし」


 まあそもそも彼女は問答無用で連れてきたようなものなので、それで罰ゲームに巻き込まれるのも流石に不憫が過ぎる。歌える曲があるのなら、それはそれで楽しんで貰うのが良い。


「……どこで聞いたんだろ?」


「家族が聞いてたのを横で聞いたとかじゃないのか?」


「ん……分からない。なんだか、違うような気もするけど……まあいっか」


 どこか腑に落ちていないような様子の日葵ではあったが、別にそう考え込むほど大事なことでもない。同様の結論に至ったらしい彼女もまたその疑念を振り切ると、既に次曲の挑戦を始めていた奏の方に意識を戻す。

 ――結局、ゲームの結末としては言い出しっぺの奏が、鵺と僅差で最下位。夕飯の外食の支払いは彼女が持つ運びとなって、散々ファミリーレストランの一角を占拠し雑談で粘り、その後解散となった。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


「鵺、こっち」


「日葵?」


 四人での食事も終え、日もすっかり沈み解散となった後の帰路のこと。

 最寄駅から、鵺の住むマンションまでの徒歩5分にも満たない短い道筋の最中。不意に鵺の服の裾を引いた日葵は、そのまま路地の裏へと進んだ。突然の事に困惑する鵺にも構わず、表から視覚的に遮られた空間にまで辿りつく。


 と、そこまで行ったところでようやく気付く。つい先ほどまではまるで感知できなかった、どこか悍ましい気配。微弱ではあるが、確かにそこに在る歪み。

 見知った空間そのものの揺れのような姿とはまた違う、不定形ながらも確かな実体を持つ恐るべき怪異。


「呪い――いや、アヤカシか?」


「うん……前の『手』よりは、よほどマシだけど」


 確かに、以前日葵と共に遭遇した魔手のアヤカシと比べれば随分と気配が弱い。日葵を取り巻く呪いの坩堝によって鵺の霊感が若干おかしくなっているというのも勿論あるが、それを抜きにしても目の前のコレの歪みはかなり小さく感じる。

 その事実が、逆にこのアヤカシの隠れ蓑になっていたのだろう。日葵はずっと気付いていたのだろうか。


「まさか、ずっと追ってきてたのか?こいつ」


「うん。鵺の中にいる『恐ろしいもの』を警戒してたのか、遠巻きに見てるだけだったけど……いつ気が変わるかは分からなかったから」


 二人と離れるまで出てこなくて良かったと付け足した日葵は、ジッとその真紅の瞳でアヤカシを見つめる。もしもこのアヤカシが早々に襲いかかって来ていれば、最悪の場合奏や敦也まで巻き込まれてしまっていた。

 そんな可能性を想定して肝を冷やすが、流石にそうなれば日葵も黙ってはいなかっただろう。仮にこういう事態も想定しての日葵の監視だったとすれば、彼女の慧眼には頭が上がらない。


「戦えそう?」


「……やってみる。その為に習ってた訳だしな」


 深く深呼吸をして、四肢に意識を集めていく。空想を否定する空想、神秘を討ち払う神秘。呪いを打破する感覚を応用して、祓魔の対象を呪いから『非日常』そのものへと拡張していく。

 全身を深く巡る名状し難い熱の感触を確かめてぐっと両の拳を握れば、僅かに漏れた神秘の残滓が空間を揺らがせた。


「一人で何とかなりそう?」


「……やってみないと何とも。日葵は?」


「大丈夫。ただ、その……私の神秘は、多用出来ないから」


「――?わかった。できる限りは何とかしてみる」


 事情は分からないが、不死身なんて馬鹿げた神秘を宿しているのだ。何かしらの制約があったところで驚く事ではないか、と一先ずは自分を納得させて意識を切り替える。

 アヤカシの姿は、不定形の肉の塊。特定の形を持たないがゆえに目視で分かるような弱点は無さそうだが、逆に高い強度を持つようにも思えない。


 こちらに踏み込んだばかりの鵺の神秘であっても、出力的には十分に対応は可能だろう。だが何よりも懸念すべき一点――鵺自身が真っ当に、正しく神秘を扱う事が出来るかどうか、そこがカギだ。


『る、るるる。るる、る。』


「……っお、ぁ!?」


 ヒトの歌う子守唄にも似た音を垂れ流しながら、不定の怪異がその身を広げて襲い掛かってくる。速度はそう速くないので余裕を持って飛び退いて、追い縋ってくる触手は両の腕で打ち払う。

 体を巡る神秘の影響か、動体視力も向上しているらしい。普段であれば反応するのは難しいであろうソレも、余裕を持って叩き潰していく。


 九ノ里曰く、神秘の真価はその人物を表す異能の発現。それは例えば日葵の持つ不死身という神秘であったり、或いは九ノ里が瀕死の鵺を救ったのもその神秘によるものだ、と推測している。

 つまるところ、今まさに鵺が行っている身体能力の向上はあくまでも副次的な効果に過ぎないのだ。神秘を操るアヤカシ狩りは、基本的にこの異能を行使してアヤカシを駆逐する。


 いずれは鵺も異能の術を確立する、とは九ノ里から聞いていたが、少なくとも今はまだその兆候はない。これもまたアヤカシの存在と同様に、認知がその存在を決定付けるが故だ。


「簡単には行かないよな」


 確かに鵺は神秘を持っている。だがそれはあくまで持ち合わせていた霊感の延長線上の神秘でしかなく、異能などと言う大それたものではない――そういう認知が、鵺の脳裏に強く刻まれているからだ。

 神秘に触れ、神秘を探り、それらを通して自らの根幹を知る。それが九ノ里によって鵺に示された、異能を発現する方法だった。


『る、ルルルル、るる』


「――っ、シッ」


 弾かれたみたいに地を這って動き出したアヤカシの肉片を、即座に踏み込んで地面に釘付けにする。それでもその身を蠢かせて暴れようとする怪物に、加えて頭上から拳を打ち下ろした。

 ぐずり、という心地悪い手応えと共に、神秘を宿した拳がアヤカシの身に半ばほどまでめり込むが、アヤカシはまだ絶命してはいなかった。ゆっくりとでも足掻こうと持ち上げた肉片を、今度は本体も巻き添えにして踏み潰す。


 それ以上の抵抗も、反応もなかった。完全に動きを停止させた怪異は、やがて影に溶けて消えていく。


「それで大丈夫。お疲れさま、鵺」


「……思ったより、すんなりと祓えたな」


「というよりは、鵺は神秘の素の出力がかなり高いの。きっと、『恐ろしいもの』の影響もあるんだろうけど」


 九ノ里も言っていたが、この身に潜むアヤカシは随分と神秘を持て余している、という。これまでその『恐ろしいもの』とやらの影響を自覚した事はないが、その神秘が鵺の扱うものとして転用できるというならそれは好都合だった。

 とはいえ――。


「まさか、ここまで早く別のアヤカシに会うことになるとは思わなかったよ」


 これまでの20年近くの人生でアヤカシに出会った事など数日前の魔手のアヤカシが初めてだったというのに、まだそれから数日程度しか経過していない。

 九ノ里が言うには『アヤカシを認知してしまった以上は、アヤカシと出会う可能性はどうしても高まってしまう』との事だったが、流石に数日に一度ペースで命を狙われてはたまったものじゃない。


「さっきのやつ、俺達を追ってきてたんだよな」


「――。」


「……日葵?」


「え?あ、うん。そう……かな。もしかしたら、『恐ろしいもの』の神秘の残滓が、アヤカシを引き寄せてるのかも」


 日葵は少しばかり呆けていたような様子を覗かせたが、すぐに頭を振って自身の推測を提示する。実際問題、彼女自身も神秘を得てからアヤカシに襲われたという話をしていた事もあった。

 その例に倣えば、強固な神秘はアヤカシを招くという理屈も考えられなくはなかった。或いは既に存在するアヤカシ狩りらの事も考慮に入れるのであれば、制御の未熟な神秘の行使はアヤカシを呼び込みやすい、という線もある。

 何にせよ、神秘の行使への適応は想像よりもずっと急務なのかもしれない。九ノ里にもう少し手伝ってもらう必要があるかもしれない。


「これ、まさか家まで襲われたりしないよな?」


「昔はそういう事もあったみたいだけど……家を立てる時にお祓いとかする文化があるでしょ?ああいうもので建造物を聖域化して、アヤカシが踏み込みづらくしてあるの。勿論、それを踏み壊せるような強力なアヤカシなら話は別だけど」


「アレ、そういう意図もあったんだな……」


「まあ、あくまで元はただの魔除けだけど……そういう儀式をしたっていう人の認識がそうさせてる、って方が正確かな。お寺とか神社なんかは特にそういった力が強いから、手に負えない相手だと思ったらそう言う場所に逃げ込むのも手だよ」


 なるほど、と内心で納得する。元より人の認知から生まれた怪物がアヤカシであるのなら、それが人の認知の影響を深く受けるのは道理だ。


 無論、社会の裏側に隠れたアヤカシ狩りの活躍もあるのだろうが、あの魔手の怪物を想起するに人的なもの以外でも洒落にならない被害の一つや二つは出ていてもおかしくないだろう、とは疑問に思っていた。

 あんなものが野に放たれていて尚大きな災害などに発展していないのは、『隠し』の他にも、そういった側面もあるのだろうか。


「……それにしても、全然怖がったりもしないんだね。普通の人だと、今のアヤカシだって充分すぎなくらい恐ろしく見えてもおかしくないのに」


「言ったろ、人より随分とこういう事には関わり深いんだ」


「それもあるのは、本当だろうけど……それでも、自分を殺そうとしてる相手にも全然怖がってないように見える。ソレ単体で人を殺すくらいの『呪い』なんて、そうそう無いでしょ?」


「――、あー……」


 日葵の問いかけに対し、微かに鵺は視線を伏せる。どこか言い淀んでいるかのようなその様子に日葵は慌てて「聞かれたくない事なら、別に……」と取り繕うが、数秒ほど沈黙した鵺は微かに微笑んで日葵を見据えた。


「いいよ、別に隠すような事じゃない……昔、この霊感体質を手に入れてから少し経った頃に、こう言う業界について詳しい先生の下でバイトをしてた頃があってさ。そこで、ちょっと俺がバカをやったっていう、それだけの事なんだ」


「バカを、やった?」


 中学三年に上がってすぐの頃だったか。いつも通り『先生』からの無茶振りを少しずつこなしていくその一環で、『先生』の助手としてとある山奥の農村を訪れた事があった。

 無論、曰く付きなんてモノではない厄ネタの宝庫みたいな村。古くから残る悍ましい伝統を律儀に、徹底的に、狂信的に続けてきた結果――拭いきれないくらいの『呪い』が積層してしまったという、そんな村。


「詳細は、流石に省くけど。村の人間は殆ど洗脳でもされたみたいに『伝統』に忠実だった。外野の俺や先生が何を言おうと、まるで取り合っちゃくれないくらいに」


「……古い時代じゃ、飢饉とか流行病の苦しみから逃れようと『信仰』に縋る事もあった。それで運よく、そういった『災い』を乗り越えてしまったら……」


「詳しいな――そうだよ。その村は運よく……いや、運悪く、か。『災い』が去ってしまったせいで、その悪習を伝統にしてしまった。だからせめて、まだ村の教育が刷り込まれてなかった子が居たから、その子だけでも逃してやりたい、って」


 そう思って、当時の鵺は軽率にも動いてしまった。まるで救世主や勇者気取り、目の前の『その子』を自分なら救ってあげられる、その力が自分にはあると増長して、身勝手に救いの手を差し伸べた。

 鵺の想いに対し否定的な忠言を残して、準備のために一度村を離れた『先生』の目を盗んで、勝手に。


 ――その結果、積み重なって今にも弾け飛びそうなまま保っていた、悍ましい『呪い』のフタを開いてしまった。


「村は、全滅だ。年寄りも大人も子供も、みんな、『呪い』に呑み込まれて……俺も、死に掛けた」


「――。」


 鵺が生き残ったのは、この身に眠る『恐ろしいもの』の仕業か、或いはこの体質が僅かでも鵺を守ってくれたのか。

 この子だけでも守ろう。そう考えて手を差し伸べた女の子は、鵺の目の前で『くらやみ』に呑まれて狂死した。死に物狂いで叫ぶ無力な鵺の目の前で、恐怖と絶望に喰い潰されてこの世から消えた。


 目が覚めた時に残っていたのは、ヒトの暮らした痕跡など消え去った山に取り残された、半ば死に体の鵺一人だけだった。


「痛くて、苦しかったのは間違いない。けど、怖いなんて思ってる余裕はなかった――ただ、バカで無力な自分への失望で、すぐにでも消えてしまいたかった」


「そ、っか」


「……結局、その時はそのまま死んじまおうなんて考えたけど、何日も戻ってこない俺を心配して探しに来た奏と敦也に助けられた。奏の家、結構名の知れた家だからさ。ゴネにゴネて色んなツテを借りたらしい……ちなみに、当の奏には引っ叩かれた上でめちゃくちゃ怒鳴られたよ」


「……ふふ、想像しやすいなぁ」


 結局、その事件を切っ掛けに鵺は少しづつバイトから離れ始めた。『先生』とも次第に疎遠になり始めて、高校の半ばになる頃には遂にハッキリと『そういう事』とは縁を切りたいと宣言した。


 だがソレから数年が経った今でも、当時の影響は色濃く残っている。流石に死んでしまいたいなんて事はもう欠片も思ってはいないが、どこか『自分に降りかかる危険』への、いわゆる本能が起こす反応が鈍くなっているような自覚はあった。


「多分、危険を避ける人間の本能的には良くない傾向なんだろうけどな……おかげで変に竦まずに自分の身を守れるって考えたら、まあ都合は良かったか」


「……初めてあった時、私のいうこと聞いてくれなかったのも、そのせい?」


「ぅぐ……ほ、ほら、そろそろ戻ろう。こんな暗がりに居続けても、アヤカシのタチを考えるならあんまり良くないだろ」


「はいはい、そうだね」


 どこか揶揄うような声音の日葵から、僅かに目を逸らして適当に誤魔化す。つい自然に話してしまったが、この話を当事者である奏と敦也以外に聞かせるのは初めてだった。

 彼女もいわゆる『非日常』に触れている人間という事もあるが、我ながら人に話すには少しばかり重い話だったようには思う。


「――。」


「……?」


 チラリと彼女の様子を覗き見れば、先の明るい様子とは裏腹に暗い表情を浮かべていた。変な気を使わせてしまったかとも考えたが、どこか様子がおかしい。

 罪悪感に苛まれているというよりは、何かを恐れているかのような――或いは、どこか追い詰められたような顔。どうかしたのかと問いかけるべきかとも考えたが、取り繕っている以上は追求をされたくもないのだろう。


「明日の朝、何食べたい?」


「えー?ごはん食べたすぐ後だもん、あんまり浮かばないよ」


「……そりゃそうか」


 結局、口に出せたのはそんなつまらない言葉だけだった。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 ――それから数日後、町外れのバッティングセンター。


「ふ、ッ……!」


「うわすっご、ホームランじゃん……見かけによらず体育会系なんだ……」


「……アレ神秘使ってるよな?」


 ――さらに数日後、繁華街のゲームセンター。


「あちゃあ、残念。景品ゲットならずだね」


「〜〜っ!!」


「日葵、折れる。レバー折れる。100円入れるから待て待て」


 ――さらに数日、少し遠出した先の大型公共プール施設。


「えぇー、隠しちゃうの?せっかくかわいい水着にしたのに」


「だ、だってこんな……ほとんど下着と変わらない……っ、なんで奏は平気なの……?」


「待て待て待て無理強いするなコラ。ほら日葵、ラッシュガード貸すから」


 ――さらに数日。

 ――さらに……


「ローテーションが早すぎるだろ……っ!!」


「?」


 あの日以降、あのコンビが日葵もろとも外出に連れ出してくる頻度が尋常ではない。ここ3週間ほどの内の半分近くは、ヘトヘトになるまで遊びまわって帰ってきているような気すらする。

 当の日葵自身は割と楽しんでいるようなので良いが、それにしたってとんでもない頻度だった。軽く計算しただけで、金銭的にもかなり吹っ飛んでいる。


 結局、九ノ里との訓練もそこそこ程度にしか行えてはいない。度重なるこちらの外出もそうだが、彼も彼で少々立て込んでいるという。幸いあれ以降アヤカシに遭遇したのは二、三回程度で、どれも大したものではなかった。

 とはいえ、それもいつまで続くかは分からない。初めに比べれば神秘の扱いにも十分慣れたが、未だ九ノ里の語る神秘の果て、いわゆる『異能』の糸口の背中すら見えていない状況だ。


 日葵に聞こうかとも思ったが、以前にも聞いた通り彼女の場合は死の淵に瀕した際に出会った神秘使いによって異能に、つまるところ不死の力に目覚めたという話だ。残念ながら鵺の求める回答は得られないだろう。


「すごいね鵺、こんなところがあったんだ」


「あぁ……そうだな」


 今回訪れているのは、以前にも奏らと遊びに行く約束をしていた超大型レジャー施設――関東の某夢の国とも並ぶ、日本の遊園地二代巨頭の片割れだった。

 加えて現在、あのバカップルとは別行動中。二人が某魔法学園モチーフのエリアで物販を買いに行っている間、散々色んなアトラクションに並び倒したこともあってベンチに座り込んでいたのだ。


「……しかし、日葵もよくあの二人のバグったローテーションについていけるな。疲れないか?」


「ろーてーしょん?っていうのはわかんないけど……奏や敦也といると、楽しいから」


「まあ、退屈はしないっていうのは同意だな……」


 なんだかんだとは言いながらも、幼少から未だ彼らとこうして関係を続けているというのはつまりそういう事だ。実際文句は言いながらも、彼らの隣にいるのは鵺にとっても居心地が良かった。

 そんな鵺の内心を見抜いてか日葵はくすりと笑うと、手元のペットボトルの麦茶をちびりと一口含む。何となくその様子をじっと眺めていれば、視線に気が付いたのか日葵は首を傾げて鵺に視線を返してきた。


「……どうしたの?」


「いや、随分馴染んできたな、ってさ」


 以前に買った洋服姿が随分と定着してきたというのもそうだが、驚くほど世間知らずだった彼女が今は見違えるほど一般文化に慣れてきていたように思う。

 奏の後押しの影響も勿論あるが、首から下げられたポップコーン容器に加え、頭に付けられたキャラクターモチーフのカチューシャ。すっかりこのテーマパークの空気感に浸っているようだった。


「……浮かれすぎかな」


「いや、浮かれてるぐらいでいいさ。そういう場所だ」


 僅かに頬を赤くして顔を抑えた日葵に、決してそんなことはないと否定する。某夢の国ではないが、元よりここはテーマパーク――普段生きている現実から抜け出して、ひと時の夢に酔う事を楽しむ場だ。

 浮かれたって、誰も責めはしない。


「初めてなの、こんなに楽しい事。やっぱり、どうしてもはしゃいじゃう


「大袈裟だって。楽しい事なんてまだまだいくらでもある、あんまり持ち上げなくたっていいんだぞ」


「ううん、そんなことないよ」


 随分と大仰な言い方をする日葵に笑ってそう突っ込めば、しかし彼女は僅かに微笑んだ表情のままそう断言する。普段はあまり自分の意見を表に出すことが少ないだけに、そこまで彼女が強く言い切るのは随分と珍しい。


「こんなに楽しい事、本当に初めて。ずっと、このまま皆と居たいくらい」 


「別に、俺たちはこのままでも……」


「……それは出来ないの。本当に、寂しいけど」


 当初、彼女は確かに少しの滞在になるとは口にしていたが、別に食費が一人分増える程度これまでと大した差はない。もし遠慮しているのならばとそう提案するが、日葵はどこか痛みを堪えるような顔を浮かべてそう辞退する。


 ――彼女が良い幼少期を過ごしてこなかったという事は、なんとなく察しが付いている。とはいえいくらなんでも、こんな簡単なことで『生まれて初めて』なんて言葉が出てきて欲しくはなかった。

 でなければ、彼女のこれまでの人生は一体どれほどに灰色だったのか。たったこれだけの事が人生で一番楽しかった出来事だなどと、一体どれほどの虚無に包まれた時間を過ごせば言えるのか。


「……なあ。家族とか、居なかったのか?」


「私は、忌み子だったから。今思うと、ほとんど話したこともないな」


 日葵は自らの真っ白な髪に触れて、そう寂しそうに笑う。

 彼女の持つアルビノ体質――先天性の色素の欠乏を要因とする極端に色の薄い体は、確かに一般的な人間とは大きくかけ離れているのかもしれない。


 とはいえ、ただそれだけで忌み子扱いなど一体いつの時代の話だというのか。或いは閉じた山奥の山村や集落ではそういった文化が残っていたとしてあり得ない話ではないが、それでも信じたくはなかった。

 これまでだって安住の地を持たず、頼れる者も居ないまま彷徨い続ける生活をしていた日葵。死なないとはいえ、満足に食べることすら出来ず、アヤカシにも襲われ、安息の目処など何処にもない。


 せめて彼女に、幸福な記憶の一つでもあったのならば。

 いや、或いは幸福な記憶など何一つ無かったから――取り戻すべき安心が元より存在しなかったからこそ、今も彼女は正気を保てているのか?

 初めからこの世界に期待など抱かずにいたから、彼女は平然と過ごしていられたのか?


「――。」


 所詮は推論、真実は彼女の心の内にしかない。彼女が実際どう考えているのかを無視してそれを憐れむのも、彼女に対して失礼なのかもしれない。

 だがそれでも、到底納得は出来そうにもなかった。


「……そんな顔しないで。せっかく遊びに来てるのに」


「そう、だな。悪い」


 くすりと笑ってそう言ってくる日葵に、何とか微笑みと謝罪を返して立ち上がる。彼女のいう通り、こんな場所で考えることではなかった。彼女にとっての大切な時間に、水を差してしまうのは本意ではない。


「ちょっと手洗いに行ってくる。奏たちもそろそろだろうし、ここで待っててくれるか?」


「うん、大丈夫。いってらっしゃい」


 すこし頭を冷やそう。余計なことを考えている暇があるのなら、彼女がしっかりと楽しめるようにこちらも遊びに集中すべきだ。

 彼女にとって見知らぬ場所に一人放置するのも気が引けたが、とはいえ日葵とて子供ではない。ついでに何か自分の飲み物でも買ってこよう、と手元の園内見取り図に視線を落として、手近なお手洗いの場所に視線を走らせた。






「……えーっと、自販機、自販機」


 用を済ませてから、財布を片手に人ごみの中を渡り歩く。広大な敷地の中にはいくらでも自販機ぐらい設置されていると思っていたが、それ以上に広すぎてなかなか目的のモノが見当たらない。

 加えて今は夏休みシーズン真っただ中だ。遊びに来ている学生や家族連れは数多く、視界も碌に開けてはいなかった。


「っと、あったあった」


 ようやく見つけた自販機に硬貨を押し入れて、適当なスポーツドリンクを購入する。この人ごみに加え、年々勢いを増していく酷暑だ。熱中症には十分な注意を払う必要がある。

 熱された額にボトルを押し付ければ、冷えた感触が心地いい。ふぅ、と一息ついてから蓋を開けて、こくりと一口喉に流し込んだ。


 自販機を探している内に先程のベンチから少し離れてしまったようだった。別に、帰りの経路は頭に入っているので迷う事はないが、この人ごみをまた渡っていくと考えると少々憂鬱になる。


「――こんにちは、少しいいかな」


「……?え、っと」


 不意に背後から掛けられた声に振り返れば、そこに居たのは齢にして50頃といった様子の男性だった。この尋常ではない夏日だというのに、きっちりとしたスーツを着込んで汗一つかいていない。

 その背に随分と縦長なバッグを背負った彼は温和な笑みを浮かべたまま、確かに鵺の事を見つめていた。


「突然ごめんよ、ここにはよく来るのかな」


「まぁ、はい。友人によく連れられてくるので」


「なら、えぇと……実はこの場所に向かいたいんだが……どっちに行けばいいか、分かったりするかな?」


 申し訳なさそうに頭を搔いた男性が差し出してきたスマートフォンに映っているのは、ちょうどさっきまで日葵と共に居たエリアだった。

 しかしなぜわざわざ自分に?と周りを見渡せば、この人ごみへの対応のためか、見える限りのクルーらしき人は皆忙しそうにしている。周囲にいる人々も基本的に複数人連れの所を見るに、一人で休んでいる鵺に白羽の矢が立つのは仕方がないとも言えた。


「ちょうど友人との待ち合わせがここなんで、良かったら案内しましょうか?」


「良いのかい?ありがとう、助かるよ。僕も知人と待ち合わせなんだが、どうも昔から方向音痴なきらいがあってね」


 そう自虐混じりに苦笑した男性は、肩に掛けたそれとは別の、傍に置いていたらしい大きなカバンを担ぎ上げる。二つ合わせれば随分な重さになりそうだが、大した苦も無くひょいと軽々持ち上げていた。見かけの細さに反して、思いのほかパワフルだ。


「……重くないんですか?」


「あぁ、これくらいなら何ともないよ。職がかなりの力仕事でね、これでも結構鍛えているんだ」


 細身な体からは想像も出来ないパワーで、男はひょいと荷物を軽々持ち上げて見せる。どこか初めて出会った時の日葵を彷彿とさせるギャップだが、流石に考えすぎか。余計なことを考える必要もないと、早々に移動を開始する。

 不意に懐の携帯に来た通知を覗けば、奏からの合流の催促のメッセージだった。今のこの状況と、これからそちらに戻る旨を返信で返して端末をしまい込む。


「……不思議な星を持っているね、君は」


「星、ですか?」


「血筋柄ね、ちょっとした占いモドキみたいな事が出来るんだ。オカルトは信じるかい?」


「――まあ、割とあるとは思ってます」


 信じるどころか、オカルトを超えてファンタジーのような状況に放り込まれているなどと誰が言えようか。元より持っていた体質だけでもオカルトそのものでしかないのに加え、それが今や度々異形の怪物と戦うにまで至っている。

 鵺の返事に『そうか、最近の子にしては珍しいね』とどこか嬉しそうに笑った男性は、そのまま歩みを止める事のないままにぽつぽつと言葉を続ける。


「人は皆、辿るべき星の標に従って生きている。運命と言い換えてもいいね――君の持つそれは、随分と数奇な色をしている」


「数奇な、色」


「複雑な運命だ、君の未来は決して真っ当な道を辿ることはないだろうね」


 言われ、僅かに萎縮する。

 自分が真っ当な生を送っているかと問われれば、それは断じて否と言える。こんな社会の枠組みから離れた事象に触れて、この先何の問題もなく平穏に暮らしていけるなどとは流石に楽観してはいない。


 日葵や九ノ里の言う、鵺に巣食う極大のアヤカシについても何ら解決したわけではないのだ。いつソレが表に顔を出すのか、そして一体何をしでかすのかも、何もかもが未知数。

 何となく察しのついていたことではあった。だが、こうしてハッキリと口にされると流石に物怖じしてしまう。


「すまない、脅かしたかった訳じゃないんだ。君の星は混沌の渦の只中にある事は確かだが、それは何も悪いことばかりじゃない」


「……悪いことばかりじゃ、ないんですか?」


「混沌の側には、常に変化が付き纏う。時にはそれが君を苦しめる事にもなるだろうが――逆に、決して動かし得ない運命をも突き動かす流れすら、混沌は生み出しうるんだよ」


 正直、心当たりのない話だった。混沌に伴う変化――それ自体は思い当たる節しかなかったが、仔細の部分はあまり今の状況に沿った話ではない。

 とはいえ、占いというものはそんなものだ。何もかもが鮮明に見える訳ではなく、断片的に与えられた予言を基に自分のこの先の振る舞いを考える、安っぽい言い方をするならアドバイス程度のものでしかない。


 或いはそれが全くの空言に終るのかもしれないし、或いは未来に起こる何かしらを暗示しているのかもしれない。鵺に許されることは、その言葉をどう受け止め、どう心構えに取り込むか……それを決めるだけだ。


「そんなことも言われたな、くらいには受け取っておきます」


「あぁ。流石、よく分かってるね。胡散臭いおじさんの占いなんて、それぐらいの認識で良いのさ」


 元より、直線で歩けば大した距離もない位置だ。そんな話を軽く交わしている間に、気が付けばつい先ほど日葵と離れたエリアに入り込んでいた。見せられた写真はエリア内でも一際大きな城を模した建造物なので、ここまでくれば目視で捉えられる。


「助かったよ、おかげで時間には遅れずに済みそうだ」


「戻るついででしたから。それじゃあ、ここで」


「ああ、ありがとう。また何処かで会う事があったら、よろしく頼むよ」


 どこまでも温和な空気を纏った男だった。丁寧に頭を下げて礼をする姿に、こちらも触発されたみたく頭を下げて返す。そうして簡単に挨拶を済ませて、待ち合わせ場所に指定された店の方角へと足を進めた。


――そうして去っていく鵺の背中を見送った男は微かに微笑むと、背後へと歩み寄ってきていたもう一人の男へと向き直った。


 その男も、彼同様に真っ黒なスーツに身を包んでいた。年頃は30前後といった所だが、眉間に寄ったしわのせいもあって随分と険しい顔立ちをしている。

 ジト、と半ば睨むように見つめてくる男に対して彼はにこやかな笑顔で笑うと、ガシガシと頭を搔いて謝罪の言葉を口にした。


「いやぁすまない、すっかり迷ってしまってね。間に合ってよかったよ」


「間におうた言うてもギリギリですがな、十条さん。カシラがそんなんじゃ、下の連中に示しがつきまへんわ」


「悪かった、悪かったよ金糸雀。それで、監視体制はどうだい?」


 問い掛ける十条と呼ばれた男に対して、壮年の男はくいと背後を親指で指す。指し示された先、アトラクションの関係者スペースから僅かに姿を覗かせるクルー姿の人物らが、その視線をパーク内の隅々にまで行き渡らせていた。

 姿こそパークの一般的なクルーを模しているらしい。が、その実態は一般のクルーとは全く別種のものだ。


「ウチの部隊を既に関係者に話し通して、スタッフに紛れ込ませました。『災禍』が出現次第拘束、及び回収する手筈になっとります」


「流石、仕事が早いね――現れると思うかい?『災禍』は」


「確証なんぞはありませんが、この一帯で微かに反応が出たのは確かです。ここ数週間の反応の頻発に合わせて、感知を絞っとった四辻の嬢ちゃんのお手柄ですわ」


 何処か癪に触る、といった様子を僅かに滲ませながらもそう言い切った金糸雀と呼ばれた男は、その肩に下げた細長い鞄を背負い直す。僅かにジッパーの開いたその閉じ口からは、荘厳な意匠を施された日本刀の姿が僅かに垣間見えた。


「ようやく掴んだ尻尾です、逃がしゃしません」


「……アヤカシを招く災厄の種。或いは、死せずの亡霊か。もし接触が叶えば、前回の接触からは90年ぶりになるそうだよ」


「爺さん方の代の失態を精算する好機、っちゅう訳ですわ。真面目に頼んますよ、カシラ」


 男の言葉に頷きだけで返した十条と呼ばれる男は、微かに目を伏せて自身の鞄の中にある大太刀の感触を確かめる。ただそれだけの動作に付随して、周囲の熱気が怖気に吞まれたみたいに、微かに冷えたような錯覚があった。

 それは争いを禁じ、平穏を常として昇華した現代日本にあって、在りうべからざる気配。強烈なまでの意志によって対象を撃ち滅ぼさんとする、明確な殺気。


「――せめて、恨むといい。『災禍』」


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