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エピローグ『太陽は昇る』

「……っ、ぁ」


 泥の中に沈んでいたかのように、深い眠りに就いていた。

 サリ、サリ、というどこか小気味の良い音が耳に届いて、鵺の意識を半分覚醒状態にまで導いてくれたのだ。その情報を頼りに思考をゆっくりと動かして、ようやく瞼越しに僅かに感じる光の感覚を知覚する。


 長らく目にしていなかったであろう柔らかなLEDの光は、しかし目覚めたばかりの鵺にはいささか眩しすぎた。


「起きよったか、坊主」


「……?」


 冗談みたいに重い腕を辛うじて動かし、目を灼きそうな程の光を遮ってゆっくりと視界を巡らせる。

 見慣れない天井だった。辺りに置かれた物々しい機材や腕に繋がれたチューブを見る限り、おそらくは病室だろうか。掛けられた声の出所を探ってゆっくりと首を傾ければ、ベッド脇の椅子に足を組んで腰掛ける男の姿が見える。


 黒い髪をオールバックにして眉間に深い皺を刻んだ、人相の悪い男だった。視線だけで人を殺せそうなくらい鋭い目付きで鵺を見下ろした男は、慣れた手つきで林檎の皮を剥いている。


「アン、タは」


「そういや、ちゃんとは自己紹介しとらんかったな――改めて、機密災害特異対策機関『旭』、第三調停者。金糸雀仁義や」


「あ、さひ……」


「心配せんでも、もうお前と事構える気はあらへんわ。大人しゅう寝とれ、傷開くぞ」


 呆れたような声でそう補足した金糸雀は切り分けた林檎を小皿に並べると、爪楊枝を刺してベッド脇の机に置いた。

 どういう状況なのかいまいち把握出来ぬまま困惑する鵺の様子を見かねてか、彼はひとつため息を吐くと「安心せぇ、事の顛末くらいは聞かせたる」と気だるげに付け加える。


「とりあえず、アレから一週間ってトコか。酷いもんやったぞお前。体ン中ズタズタで、まだ生きてるんが奇跡や言うてな」


「……アンタたちが、それ言うのかよ」


「は、違いあらへんな。むしろウチのカシラとやり合うて、ようそこまで保ったモンやわ」


 そこまで鵺を追い込んだ原因の一端に言われるのも癪な話ではあるが、事実こうして命を拾った事に鵺自身驚きを感じるほどの深手だった。

 病衣に包まれた体を眺めてみれば、どこもかしこも包帯だらけだ。腕は辛うじてゆっくりとなら動かせるものの足はいう事を聞かず、体を支える力も入らないため上体を起こす事すらままならない。


 昔からそうだが、我ながら悪運ばかりは強いらしい。命の危機に陥る事態など、そう何度も経験するものでもない筈なのだが。


「暁月鵺、いうたな」


「――?あぁ」


「結論から伝えると、お前の身柄は暫くウチで預からせてもらう。悪いが、拒否権はあらへんぞ」


 なんとなく、彼がこの場にいる時点でそんな気はしていた。彼らは国直属の執行人――その前に立ちふさがるばかりか、徹底的な妨害行為を繰り返したのだ。何のお咎めもなしに済むなどとは、今更考えてもいない。

 報いは、当然受けるつもりだった。だがそれは果たされるべき前提があっての事、自身の身柄がどうだとか体の具合がどうだとかは、今となってはもうどうだっていい。


「俺の身柄なんて、どうしてくれてもいい。あの子は――日葵は、どうなった」


「現状、『災禍』の抹殺は保留扱いになっとる。何を思うたんかは知らんが、カシラからの指示でな。ただ問題は、その指示が下った頃にはかなり『事』が進行しとった、っちゅう事やな」


「……!」


 つまるところ、日葵の抹殺を保留とする通達が下された時には些か遅かったのだ。完全に日葵を殺し切るには至らずとも、不死をも殺す『神喰』の刃は日葵を確かに斬った。

 日葵の身を守護する筈の不死身の神秘はその刃によって引き裂かれ、一時的にとはいえ今の彼女はただの少女と何ら変わらぬ身になっているのだ。或いは『神喰』による傷のみであるのかもしれないが、その考察については今はいい。


 日葵はまだ、命の危機を脱してはいないのだ。常人が刃物で深く傷付けられれば死んでしまうように、彼女もまた今その瀬戸際に立たされている。


「……っ、あ」


「逸ンなや、お前が行ってもどうにもならん。祈っとれ」


 すぐにでもベッドから起きあがろうとするが、体がまるで言うことを聞かない。無理に上体を支えようとした腕はすぐに限界を迎えて、鵺の体はベッドに再び崩れ落ちた。

 その様子を見た金糸雀が呆れたように静止するが、鵺の体にしろ日葵の容体にせよ、元を正せばその要因は彼ら『旭』にある。


「祈れ、って……!アンタ達が、斬ったんだろうが……!」


「ああそうや――なんやったら、今からトドメ刺しに行ったってもええねんぞ?ワシ個人としては『災禍』抹殺の保留なんぞ、リスクを鑑みれば断固として反対やからな」


「……お前っ」


 僅かながらも『呪い』を滾らせて凄む鵺を相手に、しかし当然ながら金糸雀は欠片も引く様子を見せない。

 あくまでも日葵の抹殺は保留、完全に凍結された訳ではない――つまるところ、彼らがいつ再び日葵の命を狙うかなど分かったものではないのだ。鵺の胸中に、再びいつぞやの緊張が走る。


 丁度、そんな時だった。


「――鵺?」


 病室の入り口を開けて入ってきたのは、鵺にとってよく見知った顔だった。

 依然変わらぬ端正な顔立ちを珍しく曇らせていた少女、永嶋奏と、その額に包帯を巻いた上で幾つかの傷跡も目立つ少年、柊敦也。

 彼らはベッドの上で意識を取り戻した鵺の様子に気付くと、つい出かかったのだろう大きな声を抑えながら小走りで駆け寄ってくる。


「ようやく起きた……!アンタね、今回という今回ばっかりは流石に肝が冷えたわよ……!」


「……言っただろ、『命に関わる』で済めば大儲けだったんだ。これでも十分豪運な結果だよ」


 なんとか動く片腕で傍らに置かれたリモコンをとって、ベッドの背を持ち上げる。こうでもしなければ身を起こしていられないというのが情けない話だが、今どうにもならない事を言っていても仕方がない。

 それ以上に気になっていたのは、親友の珍しい姿だった。何となく察しはついていたが、巻き込んだ側としては聞かなければ始まらない。


「――で、敦也。その傷は?」


「日葵ちゃんを逃してる時にちょっとね。名誉の負傷、っていうにはちょっと情けない顛末だったけど……っと。ありゃ、先客だ」


 拳で軽く包帯の位置をコンコンと叩いて苦笑した敦也は、心配させないためかわざとらしく話題を逸らそうとフルーツ入りのバスケットをデスクに置きかけて、しかし既に皿へと飾られたウサギ型のリンゴの切り身を見て動きを止めた。


 そういえば、その威圧的な態度と裏腹に金糸雀は見舞いの品まで用意してくれていたらしい。綺麗に整えられたウサギ型を見るに、見た目に反して案外手先は器用なのだろうか。


「おぉ、また会うたなお二人さん。傷の具合はどうや」


「おかげさまで、何事もなく快方に向かってます。でも良かったんですか?医療費まで負担してもらって」


「巻き込んだのも半分はウチの責任や。関係ない一般市民に迷惑かけた以上、最低限の筋は通さんとな」


 『どの口が言うんだ』と出かかった言葉を、咄嗟に飲み込めた事は自分でも賞賛モノだった。とはいえこうして取り繕っている以上は、その辺りの事情を詳しく知らない彼らへはある程度伏せて事情を語っているのだろう。

 無論二人もそれが嘘っぱちな事くらいは分かっているだろうが、それ以上の事に興味本位で踏み込むほど浅慮でもない。


「鵺の手術費用を負担してくれたのも、金糸雀さんの所属してる機関だって話よ。お礼くらいは考えておいたら?」


「……そりゃどうも、ありがとうございました」


「は、心にもない礼をどーも。まぁ指針を決めたんはカシラや、礼言うんやったらそっちにしとけ」


 ほとんど棒読みの感謝の言葉を鼻で笑った金糸雀は、椅子から立ち上がって皿に盛られたリンゴの切り身の一切れを口に放り込む。お前が食うのかよと内心でツッコミを入れる鵺を傍目に、しゃくしゃくと咀嚼音を鳴らしながら傍のゴルフバックじみた長鞄を担ぎ上げると、手を振って病室を立ち去ろうとした。

 が、寸前でふと立ち止まったかと思えば、きょとんと見送っていた鵺にその視線を向ける。


「まあ何や、勘違いしとるようやから言っとくけどな……別に嬢ちゃんの容体、そんな重いもんちゃうぞ?」


「へ?」


「なぁ?そこらへん、当人の口からも言うたってくれや」


 素っ頓狂な声を上げて困惑する鵺をにやりとほくそ笑みながら見ていた金糸雀は、眼前の扉をガラリと勢いよく開く。その先に居たのは、信じられないものを見たように目を見開いて立ち尽くす、白銀の髪の少女だった。


「つ、ぐみ……?」


「――日葵?」


 その真紅の瞳を微かに震わせた彼女は確かに節々で傷跡こそ見られるものの、鵺のそれよりはよほどマシなくらいだった。その証拠に、体を起こすことすらままならない鵺に対して、彼女は松葉杖ありきとはいえ一人で自立している。

 特段無理をしているようにも見えないが、であるならば――。


「アンタ、さっき祈ってろとか……!」


「まぁウチには医療関係の神秘を抱えたモンも多いが、完治にはしばらく掛かるやろうからなぁ。はよ退院できるように祈っとけくらいのつもりやったんやが、これは勘違いさせてしもうたかぁ?すまんなぁ、別にあの時してやられた事を根に持ってるとか、そういうワケとちゃうんやで?」


「絶対根に持ってるだろアンタ!!心狭ぇな!!?」


「ははは、ドッキリ大成功ってなぁ!」


 真面目な状況での心臓を直接握られているかのような気迫からは一転、温度差で風邪を引きそうなくらいのテンション差に愕然とする。ケラケラと笑って病室を出て行った金糸雀と入れ替わるように、よろよろと杖を支えにした少女が病室に入ってくる。

 その驚きようはまるで、死人でも見たかのような様子だった。必死になってベッドのそばまで駆け寄ってきた日葵は、半ば倒れこむように鵺の隣へと寄りかかってくる。


「あっ、ぶな――」


「つぐ、み……つぐみ……!生きてる……ほんとに、生きてる……!鵺……っ!」


「……ひ、日葵?」


 尋常ではない様子で縋りついてくる日葵に困惑しながら、脇でその様子を見守っていた敦也らに視線で助けを求める。が、帰ってきたのは残念ながら当然だとでも言いたげな奏のジトッという視線と、仕方がないよとでも顔に書いてありそうな敦也の苦笑だった。


「金糸雀さんから聞かなかった?鵺、本当に酷い状態だったんだよ――そのまま二度と目覚めなくても、全然不思議じゃなかったくらいに」


「それ、は」


「ま、昔からアンタを見てると今回もどうせひょこり起きるでしょ、なんて思えるけど……日葵ちゃんからすれば、そうはならないでしょうね」


 事実、それも無理はないと言える惨状に違いはない。デタラメに繋ぎ合わされた臓腑、形だけを取り繕っただけの四肢、ズタズタに引き裂かれた血肉――どれを取っても、今ここに鵺が命を繋いでいること事態が奇跡としか言えない事態だったのだ。

 むしろ、よくもまあ一週間程度で意識を取り戻せたものだというもの。体がロクに動かないのも、そう考えれば充分に頷ける。


 横たわる鵺に抱き着いてすすり泣く日葵の声が直に耳元へ届いて、二人に見守られるこの状況も相まって少々気恥ずかしい心地だった。触れ合った体から布越しに伝わる体温が、余計に気まずさを加速させてくる。

 抱擁を交わすのだって別に初めてではない筈なのだが、そんなことを考えている余裕もなかった以前とは、さすがに状況が違いすぎた。


「……お互い、言いたいこともあるだろ。僕らは今日は帰るからさ」


「や、ちょっと待て、このまま放置するなって」


「無粋なこと言うなよ、相当堪えてたんだ――ちゃんと話してあげてくれ」


 有無を言わせぬ様子でそう念押しした敦也は、「また後でね」と言い残した奏を連れてそそくさと病室を出て行ってしまう。パタン、という静かな音とともに閉まった扉を呆然と眺めていれば、キュッと日葵の手に込められた力が強まった。

 しばしの間、二人きりの病室を耐えがたい沈黙が満たす。


「……っ。あ、その、何だ……思ったより元気そうで良かった。アヤカシだらけだったから、そっちにも襲われてたんじゃないか、って」


「――あの、雛菊っていう子。途中までは殺されそうになってた、けど……多分、途中で『旭』の方針が変わったから……そのあとは、逆に私を護ってくれてたの」


「あぁ……だから、あの屋上はアヤカシの一匹も居なかったのか」


 雛菊といえば、恐らくはあの二刀使いの少女だろう。小さい体からはまるで想像もつかない恐ろしい膂力に肝を冷やした記憶があるが、日葵を直接狙っていたのは彼女だったらしい。

 直前まで命を狙っておいて、恐ろしい手のひらの返しようだ――とも思ったが、彼女は日葵の抹殺にあたって、金糸雀のように自分の意思を持ち込んでいるようには見えなかった。


 ただ仕事だから、そのように言われたから斬る――それはそれで腹立たしい話ではあるが、その性質が日葵を救ってくれたと考えれば感謝の念もある。


「……、ぅ」


「――。」


 何とか捻り出した疑問……という名の話の種も底を尽きて、再び二人の間を静寂が包む。微かに耳に届いてくる互いの呼吸の音すらもが妙に目立って聞こえて、余計に鵺の内心は穏やかでなくなっていく。

 が、徐々にいたたまれなくなってきた鵺の内心を知ってか知らずか――或いは、彼女自身でその心持ちに一先ずの区切りをつけたのか、自分から言葉を発する様子のなかった日葵が、ようやくぽつりと言葉を零した。


「私は、関わった人たちを皆不幸にする」


「……日葵?」


「今回も、きっとそうなんだって思った。私は『災禍』だから……不幸を振り撒く災いだから、きっと鵺まで不幸にしてしまうって、思ってた」


 それは、彼女がその胸のうちに抱え続けてきた不安だ――きっと彼女自身、金糸雀にその事実を突きつけられるまで、その身の仔細までは知らずとも漠然とした自覚はあったのだろう。


 『旭』や『夜』が彼女を狙った理由、自身を取り巻く異常な環境。例え誰に教えてもらわずとも、自分という存在が周囲にどのような影響を与えるのか、おおまかな察しはついていたのだ。

 その上で過ごした200年という長い時間は、彼女の希望を折るには充分すぎる期間だった事だろう。その心中に隠された望みを、執拗に塗り固めてしまうほどに。


「でも、鵺が約束してくれた。ただの人並みの幸せを教えてくれるって、言ってくれた」


「……あぁ、そうだな」


 その為に鵺は、この分が悪すぎる勝負に打って出たのだ。例え千に一つ、万に一つの勝機だったとしても関係ない。無論日葵のためでもある――が、何より己が貫くべき信念の為に、抗うことを選んだのだ。


 結果として暫定ではあるものの、鵺は日葵の未来を勝ち取る事に成功した。決して抗う事の出来ない筈の運命を押し返し、ある筈のなかった『今』を繋いだ。


「嬉しかった……本当に、そう言ってくれただけでも嬉しかったの。鵺が言ってたように、抱えきれなくてどうにかなっちゃいそうなくらい」


 これまでずっと孤独だった日葵に、誰とも関わることもなく生きてきた日葵に、その言葉はまるで呪いのように深く焼き付いた。決して逃れられない――離れたくないとすら思ってしまう程に。

 けれど。


「……“そこ”に、鵺もいなきゃ意味ないよ」


「――。」


「わたし……!つぐみが一緒じゃなきゃ……ぜったい、しあわせになんて、なれないよ……!」


 日葵の冷え切った心に、優しく熱を灯したのは鵺だ。その積み重なった諦観で凝り固まった筈の決心を、甘く溶かしてしまったのは鵺だった。日葵が垣間見た夢想の景色の中には、いつだって鵺の姿があった。

 その先に与えられるはずの未来に鵺が居ないなど、日葵にはとても耐えられるものではなかったのだ。


 微かに驚いたように目を見開いた鵺は、数秒ほど逡巡するように視線を揺らすと瞼を閉じる。少年の胸の中で必死にその心を訴えかける少女の背を、あまりに重い腕を必死に動かして、優しく、まるで子供をあやすみたいに叩いた。


「ごめん、無責任だったな」


「……っ」


「約束する。もう、こんな無茶はしない。日葵を唆した責任くらいは……ちゃんと取らないとな」


「――うん。うん……っ、ぜったい……約束、だから」


 きゅっと遠慮がちに、少女の腕が鵺の体に回される。かつての別れの時に交わした抱擁でも感じられた互いの心臓の鼓動が、今一度強く交わった。

 以前は微かな緊張の混じった早いテンポの鼓動――しかし今度は、どこまでも安心しきったような穏やかな鼓動。遂に拠り所を得た寂しがりの心は、今ようやく本物の温もりを知った。


 窓から、燦々と朝日が差し込んでいた。日葵にとっての永い夜はようやく終わりを迎えて、200年も白紙のままだった生に新たな歴史を刻み始める。

 自身の胸に顔を埋めた彼女を、鵺は辛うじて動く片腕で必死に抱き留めた。もう二度と離さないように。もう二度と、暗闇の中に取り残してしまわぬように。強く、強く、なけなしの力をいっぱいに。


 どこまでも静かな病室の中。畏るべき呪いに囚われ続けてきた少年少女は、有り得ぬ筈だった再会を――抱き合ったまま眠ってしまうまで、いつまでも祝福し続けていた。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


「……『卑弥呼』、か」


「――はい。まず、間違いないかと」


「まぁ納得やな。たまたま『災禍』の逃げ込んだ先におったんがあの怪物やった……なんちゅう偶然、そうそうあってたまるかい」


 鵺らの入院する病院、その屋上にて並ぶ二つの人影があった。

 タバコから吸い込んだ煙を噴き上げて断言した金糸雀は、深いため息を吐いて背後の金網にもたれ掛かる。その横でこくりと言葉もなく頷くのはやはり、長カバンに蓋振りの刀を納め肩に背負ったセーラー服の少女――四辻雛菊だ。


 金糸雀のように金網に背を預けるでもなく近くのベンチに腰掛けるでもなく、ただその場で直立する彼女は、会話の際に微かに動かす唇と肯定と示す首肯する動作でしか微動だにしない。


「しかし、今になって卑弥呼が『災禍』に手ぇ出してくるとはな」


「卑弥呼の介入がなければ、叔父様の指示を待たず私は『災禍』を仕留め切っていました。叔父様の方針を鑑みれば結果的に好転した、とも言えますが……」


 日葵には長らく無縁だった死に直面した、あの屋上での一幕。意識を失った彼女の前に現れた、丸いサングラスをかけた長髪の女。


 ――卑弥呼。古くから日本を守護する神子の一族にして、二百年前に日葵という少女を『災禍』という存在に作り変えた存在。

 その存在は当然『旭』としても把握している。が、一族の負った任は遥か昔から国の統治とも独立しており、その所在は追えていないというのが実情だ。


 とはいえ、『災禍』の存在と違って害を及ぼすものではない。その『災禍』を生んだ存在こそ卑弥呼ではあるが、とはいえ伴う『呪い』は元を辿れば卑弥呼ではなく、かつての災害に起因するもの。

 今更『旭』が卑弥呼の存在を追う理由がない。そういう方針だった、のだが。


「キナ臭い奴やとは思うとったが……今回は決定的や。あの坊主の中に住んどる『恐ろしいもの』……あれを引き摺り出したんが卑弥呼やとしたら、日本守護の任とは明確に乖離した行為や。話ィ聞く必要あるわな」


「彼は、卑弥呼の差し金という事でしょうか」


「いや、本人は自覚すらない――どころか、卑弥呼の事なんぞ知らんやろうがな。何かしら、目覚める切っ掛けを与えたんはまず奴やと思うて間違いないやろ。例えば、『隠し』の中に無理やり送り込んだり……とかな」


「――。」


 金糸雀自身でも自覚するほど適当。殆ど当てずっぽうで口にした推測に、雛菊は微かに視線を伏せる。一体彼女が何を思ったのかなど金糸雀には知る由もない事だが、それ以前に推し量るつもりもなかった。


 正直な話、卑弥呼に関しての情報は極めて薄い。今からその跡を辿る事は困難を極めるであろう事も、容易に推測できた。

 ならば、少なからず卑弥呼が干渉の意思を見せた二人を囲い込むことで、卑弥呼当人からの接触を待つ――無論、『災禍』及び『恐ろしいもの』への対応が手探り状態にある、という実情の影響も少なからず存在するが。


「しかしあの坊主、とんだ生命力やな。助かる可能性なんぞ万に一つでもあれば御の字やいう話やったが……都合悪い未来は全部『剪定』でもしたんか、っちゅうレベルやぞ」


「……私は、如何様に?」


「あぁん?あー……カシラの話やと確か、全調停者を招集、後に会合を開くつもりらしい。いくらカシラとはいえ、ここまでの大事を一人で舵切るわけにはいかんっちゅう事やろな。お前はそれまであの二人の警護、楽な仕事やろ?」


「それが、責務とあらば」


 略式の敬礼の形を取った少女は、刀を納めたカバンを背に屋上庭園から屋内へとその姿を消した。どこか渋い顔のままの金糸雀は「つまらんガキやのぉ」と小さく文句を溢して、再び指先に持ったままのタバコを咥え直す。


 日葵という『災禍』を起点とした運命。古くから続く神秘の時代は、想像の範疇を超えた変革を遂げようとしている。

 その変革は果たして国を救うものとなるか、或いは楯突くモノとなるか。未だ鮮明ならざる未来は、まるで嵐の如く無慈悲に訪れる事だろう。


「――にしても、今回のこっち側の立ち位置悪役すぎるやろ。ガラちゃうんや、勘弁せぇっちゅうねん」


 ガシガシと気まずそうに頭を掻いた男は、大きな溜息と共に二本目の煙草を口に含んでいた。


 以上で『いずれ終幕の百鬼夜行』はひとまず完結となります。お付き合い、ありがとうございました。


 現時点ではこの続きを書く事は考えていませんが、一応構想としてはこれ以降の物語もない訳ではないので、気が向いたら続きを書き始めるかもしれません。

 その時はまた、お付き合い頂けますと幸いです。

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